2017年1月31日火曜日

2017.01.31 中牟田洋子 『モレスキンのある素敵な毎日』

書名 モレスキンのある素敵な毎日
著者 中牟田洋子
発行所 大和書房
発行年月日 2016.09.30
価格(税別) 1,400円

● モレスキンユーザーはモレスキンをどう使っているのか。それを取材したもの。もちろん,絵になる使い方でなければならない。そうでないと本にしずらい。
 というわけで,カラフルな使い方をしている人たちが多く登場する。その多くは女性。色鉛筆で絵日記を描いていたりとか,旅ノートを作っていたりとか。

● 貼る派の人ももちろんいる。趣味で集めた切手を貼っている人もいるし,食べ物のラベルを貼っている人もいる。
 貼るというのは,描くとともに,ノート術(?)の鉄板になっている感があるね。

● ただし,モレスキンならではという使い方はたぶん存在しない。ここで紹介されている使い方の多くは(というか,ほとんどは)『ほぼ日手帳公式ガイドブック』にも出てくるし,MdN編集部編『新 手帳で楽しむスケッチイラスト』とも重なるところが多い(ように思う)。
 つまり,ここで紹介されている使い方はどんなノートでもできるものだ。逆にいうと,モレスキンを使っていない人にも役に立つ(かもしれない)。

● モレスキンの特徴の第一は高価なこと。が,高価だといったところで,ノートだからね,値段など知れたものだ。
 モレスキンがこれだけ売れているのは,普通の人が買っているからだ。ここに登場するユーザーさんたちも,また然り。

● ぼくなんかは高価だってところに幻惑されて,これだけ高いのでは使えるのは特別な人たちに限られると思ってしまいがちだ。
 が,そんなことはないんだね。使いたければ誰でも使っていいんですよ。あたりまえのことだけど。

● また,高いからといって特別な使い方をしなくたっていいわけだ。普段使いで使えばいい。
 ちょっと話はずれるかもしれないんだけど,ぼくは恥も外聞も捨てたダイスキンユーザーだ。そのダイスキンに対して,横罫だけじゃなくて無地と方眼も出してくれという意見をしばしば耳にするわけですよ(ネットでね。目にするといった方がいいのか)。
 でね,あなたね,無地だ方眼だって騒ぐほどの使い方をほんとにしてるんですか,とか思ってしまうわけですよ。

● でも騒いでいいんだよね。これまた,あたりまえのことだけど。使い方の水準が幼稚園レベルだろうと小学生レベルだろうと,そんなの関係ないんですよ。
 無地や方眼にこだわっていいんですよ。些細な好みを口にしていい。
 同様に,高価なモレスキンを好きなように使っていい。使いたいように使っていい。
 というようなことを,この本を読みながら思った。

2017年1月23日月曜日

2017.01.23 葉加瀬太郎 『葉加瀬太郎の情熱クラシック講座』

書名 葉加瀬太郎の情熱クラシック講座
著者 葉加瀬太郎
発行所 ローソンHMWエンタテイメント
発行年月日 2016.12.10
価格(税別) 1,500円

● クラシック音楽の入門書として,ぼくが知る限り,第一に推されるべきものが出た。バロック以降の音楽史をサッと辿るのにも使えるし,キーマンとなる作曲家のプロフィールやエピソードも面白く語られるから,いわゆる楽屋裏の話も仕入れることができる。

● 著者は演奏のみならず,自身で作曲もする人だから,実作者ならではの視点もふんだんに盛り込まれている。
 著者が一番好きだというブラームスについての,その視点からの叙述は本書でしか読めないものだろう。

● また,著者がどういう生い立ちを経て現在の著者になっているのかという自叙伝的な記述もある。本書は自叙伝ではないので,そこは読み手に想像力を要求することになるけれども,著者の生い立ちを想像することは,本書のみで充分にできる。

● 以下に,著作権法違反にならない程度に転載しておく。
 あくまで彼(ヴィヴァルディ)の音楽は観光用の大量生産で,惰性で書いていたようなもの。新しいことを考えている暇がないから,ある意味,どの曲もほとんど一緒。モチーフさえ違えば,ひとつのコード進行を使ってすべての曲を作ることができる,そして楽器を変えれば別の曲になる。 でも,ヴィヴァルディ自身はヴァイオリンを知り尽くしていた人ですから,そのワンパターンが弾き手にとっては超気持ちいい!(p10)
 名曲が生まれれば,当然名手も生まれ,酒場の音楽から純芸術音楽へと,ヴァイオリンという楽器の地位が変わる。その立役者が,ヴィヴァルディなんです。(p11)
 バッハはすべての音楽の源泉だと僕は思っています。ビートルズだって,バッハがいなかったら生まれなかったかもしれない。(中略)しかし,当時のバッハはとにかく地味だった。(中略)地味な活動ゆえに,当時はヨハン・ゼバスティアン・バッハの名前を知る人はほとんどいなかっんですよ。(p17)
 バッハはプロテスタントの教会にずっといたので,今でもイタリアを始めとするカトリックの国ではバッハの作品はあまり演奏されないんです。(中略)日本は,そういう意味では宗教的な背景なく,音楽的な価値だけで評価する。ニュートラルに全部の作曲家を受け入れることができる素晴らしい国だと,僕は思います。(p21)
 バッハが作曲した『マタイ受難曲』や『教会カンタータ』などは,正確にいうと一部は,作曲ではなく編曲です。もともとはグレゴリオ聖歌の賛美歌の旋律があって,そこに装飾音やハーモニーをバッハがくっつけています。(中略)ルネサンス時代の頃から,作曲家たちは案外やっていたことです。(p23)
 彼(ハイドン)は「交響曲(シンフォニー)の父」とも呼ばれています。「父」といわれるゆえんは,ソナタ形式という勝ちパターンを確立した,ということでしょう。交響曲にしても,ソナタにしても,ハイドンが確立したからベートーヴェンが破壊できた。(p28)
 音楽はやはり,狂おしくなければいけない,と僕は心底思います。ハイドンの音楽には,狂おしさがまったくない。ペラッペラな感じがする。ツルンツルンな感じがする。何も引っかかってこない。(中略)楽器を持って,あるいは五線紙に向かって何かを書いたら,もう少し心揺さぶられる音楽が生まれるのではないかと思うんです。(p29)
 音楽というのは「はみ出るもの」で,そういう精神性が作品にも出るわけだけれど,ハイドンにはそれがまったくない。(p30)
 僕は,人生のほとんど毎日をヴァイオリンという,あの曲線だけでできている美しい楽器と接しているせいか,どうも直線とうものが嫌で,苦手です。直角とか,定規とか。線が入っているノートもダメ。真っ白で自由になんでも書いていい紙でないとダメで,かたい四角いものが大嫌い。 直線のようなかたくて四角い音楽,これもハイドンが嫌いな理由のひとつ。ぴっぴって縦に割れる直線なものに心は揺さぶられない。(p31)
 彼(モーツァルト)の残した楽譜を見ると,もうただただ,神と交信しているんだとしか思えない。頭に浮かぶメロディに手が追いついていないと思われる。どんどん浮かぶものを,次はなんだ次はなんだと,考える間もなく書き殴っているのがわかります。真の大天才ですね。(p32)
 ベートーヴェンと比較すると,彼は音楽のいちばん小さなパーツのモチーフ,例えば,「ド」「ミ」だけのパーツだけで,40分くらいの交響曲を書きます。しかし,モーツァルトの場合,例えば『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』は,次々と浮かぶメロディをそのままメドレーにしているんです。なんてもったいない! 僕だったら,そのメロディひとつで1曲を作ります。モーツァルトの1曲分で,10曲は作れるはずです!(p32)
 モーツァルトが作った曲には圧倒的に短調の曲が少ないということをご存知でしょうか。ほとんどが長調の明るい曲ばかりですが,それは彼がエンターテインメントの人だったからです。(中略) 日本では“疾走する悲しみ”なんていわれて,深い悲しみが云々などとあたかもドラマティックに深読みされて語られていますが,実は,モーツァルトにとって短調の曲は,楽譜を売るときのセット販売用でした。3曲セットなのに,明るい曲ばかりだとつまらないでしょう? メリハリをつけるため,短調の曲を入れていたんです。(p36)
 ベートーヴェンの暗くて重くて難しい音楽は,当時としてはほとんど前衛でしたが,新興貴族たちのステータスアップのためには,とってもピッタリだった。彼らは,こんな難しい音楽を「わかる」「理解できる」というところを見せたかった。時代が求めていたものと,ベートーヴェンというアーティストの音楽がピッタリ合致したわけです。(p41)
 ハイドンの100曲分がベートーヴェンの1曲といってもいいくらい。(中略)ベートーヴェンの9曲は驚くほどそれぞれが全部根本的に違います。まったく似ているところがありません。(p43)
 『運命』が象徴的ですが,ベートーヴェンという人は小さなパーツの積み重ねで曲を書く人です。(中略)「ソソソミー,ファファレー」というパーツのバリエーションだけで大曲を成していく。まるでレンガをずーっと積み上げて巨大な建築物を作るかのように。当時,レゴがあったらベートーヴェンは絶対にハマったでしょうね。(p43)
 観客を熱狂させるパフォーマンスの元祖は,なんといってもピアニストならリスト,ヴァイオリニストだったらパガニーニですね。ヴァイオリンのテクニカルなことは,パガニーニがやり尽くしてしまったといっても過言ではありません。(p47)
 パガニーニが書く曲のメロディはイタリア民謡そのもの。(中略)パガニーニは,ヴィヴァルディから脈々と続いていたイタリアン・カンツォーネの世界をちゃんと受け継いでいる作曲家でもあるといえます。 ヴァイオリンの音楽は,歌詞のない歌です。僕もヴァイオリンを弾くことは歌うことだと思って演奏しています。それこそがヴァイオリンの世界そのものですから。(p49)
 今でこそ演奏家たちは楽譜通りに演奏しますが,20世紀の初めぐらいまで,オペラというのは,出演する歌手が歌えるようにいくらでも変えて良かったんです。(中略)ストーリーの流れは関係ない。むしろオペラ歌手のショーが大事。(p54)
 19世紀の初頭というのはオペラやバレエの全盛期で,イタリアやフランスの音楽が主流になっていて,ドイツの伝統的な難しい音楽は廃れそうになっていました。ドイツ文化の復興というようなことがいわれるようになり,そこで『マタイ受難曲』の演奏会を行うことになったんです。(メンデルスゾーンは)お金持ちだったので,そうした忘れ去られていた名曲の楽譜も手に入れることができたんですね。(p62)
 当時の新興貴族は,けしてインテリだったわけではないので,自分の娘を良家に嫁がせるためのアピールとして,ピアノを習わせるのが流行りました。ピアノを弾けるというのはお嬢様の証だったんですね。『乙女の祈り』と『エリーゼのために』を弾けるのが,まず目標。(中略)そう思うとこの2曲はすごいですね。まさに永遠のピアノ・スタンダードです。(p68)
 ショパンは超浪費家。(中略)稼いだ分,金遣いも荒かったんです。(中略)リストも超イケメンで派手なイメージですが,見てくれを気にしたのは実はショパンのほうだったんです。(p69)
 (リストは)74歳までパワフルに生きましたが,晩年は俗世間とはかけ離れた,ある意味気難しい,暗く哲学的な曲を書くようになります。若い頃の人気ぶりと比べて,このあたりの極端な振れ方も興味深いものがあります。(p70)
 ショパンは,最終的には一人で死んでいきました。と言いながらも,臨終直前の絵をみると,彼の周りには女性が5人ほどいて,水を飲ませたり,手握ったりしているんですよ。ハーレム死ではないですか? これは。(p74)
 僕にとって超スペシャルで,最愛の作曲家はヨハネス・ブラームスです。(中略)ブラームスはきちんと曲を書いているからだと思います。駄作がないというのは,圧倒的に信用できる要因です。(p82)
 彼(ブラームス)の譜面はものすごい情報量で,いろんなことを教えてくれます。スルメみたいに,見れば見るほど,演奏すればするほど,新たな発見や気づきがある。(中略)あまり言及されないことですが,ブラームスはリズム感がいい。とにかくシンコペーションが素晴らしい。(p84)
 彼(ブラームス)ほど,過去の作曲家に対して賛辞を贈った人はいません。(中略)古い楽譜のコレクターでもありました。とにもかくにも自分の先代たちが大好きで大好きでしょうがなく,研究に研究を重ねていました。これは自分の音楽に自信があるからこその姿勢です。自信がない人ほど,「俺は自分のもので勝負する」って言いますからね。(p87)
 キャリア的にはどんどん登りつめてお金持ちにもなったのに,家は持たずにアパートに住み,稼いだ莫大な金は全部寄付してしまった。身なりもみすぼらしかったし,食べものも毎日同じ肉団子。(中略)ブラームスは,恋愛や結婚,夢といった人生のキラキラしあ部分はすべてスコアの中に詰め込んでいたのだと思います。自分は表に出ないまま,楽譜は美しく完璧に仕上げる。(p90)
 生涯孤独だったからこそ,僕はブラームスを信頼できる。作曲家で友達が多いなんて,まずダメ。そんなヤツの音楽は信用できない。だって,音楽は一人でいるときにしか作れないんだから,友達が多くて,夜な夜なパーティに行っていたら曲は書けません。(p90)
 フェリックスというシューマンの息子がいるんですが,僕は断言します。フェリックスは絶対にブラームスの子であると。(中略)まあ奔放な女性だったので,ひょっとしたらブラームスの子ですらないなんていう可能性もあるかもしれない。(p93)
 特にロマン派の音楽は色恋あってこそ。ロマン派音楽の本質は恋愛だとすると,いちばん深く結びついている楽器はやはりヴァイオリンとピアノです。この二つはロマン派の楽器といってしまってもいい。ヴァイオリンもピアノも恋愛を奏でているときこそ,いちばんきれいな魅力的な音がする。(p97)
 ブラームスがCマイナー(ハ短調)で書くときは,絶対にベートーヴェンのことを考えているんです。意識しすぎているのが辛いくらいに伝わってくる。Cマイナーというのは,ある意味ベートーヴェンの“城”ですから,あえてそこにぶつけていくというのは根性がないとできないことです。(p99)
 僕にとって音楽は,普段の喜びがあり,その上に何かがあるというものであってほしい。コンサートでもCDでも,音楽によって幸せな気持ちになる,それが最高だと思うんです。(P124)
 ヴェルディやワーグナーのように,政治と切り離せないところに作品があるというのが,僕があまりオペラを好きになれないいちばんの理由です。(中略)たとえ作曲家にその意図がなかったとしても,オペラは国策として利用されやすいんです。(P124)
 オペラってどんな作品でも,「ここはあんまり聴いてもらわなくてもいいや」という捨て曲が必ずあるんですよ。『カルメン』にはそれがない。捨て曲が1曲もない!(p125)
 ヨーロッパ社会とうのは,昔は横割りでした。基本は身分階級で分かれていて,フランス人、ドイツ人という分け方はなかった。(p128)
 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲について,ハンスリックという人が「音楽から悪臭がするということが初めてこの曲でわかった」みたいなことを書いている。でも,その悪臭,発酵臭こそが,チャイコフスキーの音楽の個性であり,武器だったんです。上流階級のものだったクラシック音楽に,大衆音楽を持ち込んだ。スノッブな上流の人たちにとっては,それこそ新鮮だったんです!(p130)
 交響曲は第四番も第五番も,まとまった構成で書かれているのに,彼(チャイコフスキー)のヴァイオリン協奏曲,ピアノ協奏曲は,どう考えてもわざとぶっ壊していると考えざるを得ない。構成がおかしいし,そのせいで気分が繋がらない。演奏していて右往左往するんです。(p131)
 僕は15歳のときに初めて『春祭』を生で聴きました。もうなんというか,ロックですよ,あれは。人生観が変わるくらいの衝撃でした。(p139)
 新しい表現が世に出たときの世間の反応というのは大方冷たいものですが,『春の祭典』も初演は最悪だったらしいです。なにしろ,それまで聴いたこともない音楽,観たこともないバレエだったからで,そりゃあ観客もわけがわからない。(中略)やがてパリだけではなくロンドンやニューヨークでも評価されるようになりましたが,必ず時代はとがった表現の後を追うんですよ。(p139)
 ベートーヴェンが作った苦悩から歓喜へと向かう物語の美学は継承しましたが,マーラーはその中で時間のコントロールをしたんです。その結果,物語は2時間にも肥大化して,交響曲という形は行きつくところまでいってしまいました。(p145)
 この時点では「ドレミファソラシド」という調性はギリギリのところで保たれていた。何か新しいことをやるとしたら,変わった楽器を増やすというアイディア勝負だったんですね。(p147)
 ニーチェの大傑作『ツァラトゥストラ』のテキストを,オーケストラ音楽にする。このような物語を描写する彼(リヒャルト・シュトラウス)のオーケストラ曲は,まさに映画音楽のパイオニアです。ハリウッドの大元はここにあるといってもいい。(中略)『スターウォーズ』や『スーパーマン』,『インディージョーンズ』など,名だたる大作の音楽をかたっぱしから手がけているジョン・ウィリアムズの音楽は,リヒャルト・シュトラウスのほとんどパクリです。(p147)
 マーラーが1000人のオーケストラでドカーンと「これが芸術だ!」とやっている頃,フランスではドビュッシーが「なにそれ,ダッセー」と言っていました。「なにを汗かいて大仰なことやってんだよ」と。(p150)
 彼(ドビュッシー)は単なるコンポーザーではなく,イノベーターでもあったんです。それまでとはまったく違う音楽のあり方を作って,音楽における美学のようなものを発明した。(中略)わかりやすく言うと,楽しい和音と悲しい和音を組み合わせて一緒に鳴らして,えも言われぬ雰囲気といいうものを作ったんですね。(中略)悲しい気持ちと楽しい気持ちが同居している,アンニュイな響き。そう“アンニュイ”なんていう雰囲気以外のなにものでもないものを音で作り出した。それまで「形式の音楽」「ダンスのための音楽」はありましたが,「雰囲気の音楽」なるものがここで初めて登場します。(p150)
 ドビュッシーは文学ではなくビジュアルの世界を音楽で作り始めた。演奏から絵や景色が浮かぶ。さらに抽象的な言い方をすれば,ドビュッシーの音楽は“光と影”を作り出したんです。(p152)
 ドビュッシーとラヴェルはよくセットで語られますが,まったく違います。ドビュッシーは雰囲気の音楽,ラヴェルは古典的な形式の音楽です。ただし,ラヴェルはテンションコードをたくさん使っている。外枠はバッハだけれど,中身はテンションコード満載といった曲が多いのが特徴です。(p154)
 ショスタコーヴィチはここから二枚舌を使い始めます。表と裏で言っていることが全然違って,ポジにしてみると国家賛美の曲だけれど,同じ曲でもネガにしてみるとものすごいスターリンをバカにしている曲というふうにできている。(中略)音楽を本当にわかる人が聴くと,これは後ろのほうに人をバカにしたようなメロディが入っていると気づく。そんな二重構造をとるようになります。(p164)
 現代音楽のジャンルで,今でも活躍している作曲家,スティーヴ・ライヒはミニマル・ミュージックという,同じパーツを繰り返す,現代のクラブミュージックやポップスの源流にもなっている音楽を生み出した人です。(p167)
 ビートルズは最初,アイドルバンドとして出てきたわけですが,最終的には音楽的にあんな高みまで登ってしまった。バロックもあれば,シタール奏者のラビ・シャンカールをフィーチャーしたインド音楽のアレンジも,ミニマル的なものも,弦楽四重奏もある。それまでの音楽をすべて内包して要素を取り入れたのは,間違いなくビートルズです。つまり,クラシックの行きついた先はビートルズだったと,僕は思っているんです。(p170)
 僕がいちばんヴァイオリンを練習していた時期は,中学時代です。ほかのことは何もしなかったといってもいいくらい。体育の授業は全部休んでいましたし,部活なんてもちろんやりませんでした。突き指をしたらコンクールに出られませんから。(中略)先生からも友達からも“特別枠”扱いでした。 そんな音楽漬けの毎日の中で,僕と遊んでくれるのは作曲家で指揮者のレナード・バーンスタイン,そしてヴァイオリニストのアイザック・スターンとイツァーク・パール万でした。(p184)

2017.01.17 中川右介 『巨匠たちのラストコンサート』

書名 巨匠たちのラストコンサート
著者 中川右介
発行所 文春新書
発行年月日 2008.05.20
価格(税別) 820円

● 本書が取りあげるのは,次の9人の「巨匠たち」の最後のコンサートの様子ということになる。
   トスカニーニ
   バーンスタイン
   グレン・グールド
   フルトヴェングラー
   リパッティ
   カラヤン
   マリア・カラス
   カルロス・クライバー
   ロストロポーヴィチ

● が,最後のコンサートだけを描くのではなくて,そこに至るまでの経過も語られる。ということはつまり,上の9人についての小さな評伝になっている。
 たとえば,マリア・カラスはぼくにとっては伝説のソプラノ歌手であって,ギリシアの海運王との恋愛で世間を騒がせたけれど,失意のうちに世を去ったという,それ以上の具体的な知識はなかったのだけれども,カラスの全盛期はごく短かったことなど,決して華やか一辺倒ではなかった彼女の人生を知ることができた。

● 以下にいくつか転載。
 天才音楽家の多くが神童でもある。三歳から五歳のあいだに音楽的才能を示し周囲を驚かせるところから,その人物の物語は始まる。(中略)だが,バーンスタインの場合は違った。彼が初めてピアノを習うのは,十歳のときなのだ。(p45)
 なぜ,バーンスタインは指揮の仕事を断らなかったのだろう。もう稼げるだけ稼いでいたので,収入が欲しかったのではない。苦労して作曲しても高い評価は得られないが,指揮をすれば,必ず万雷の拍手を得られる。結局,バーンスタインは喝采を求めたのだ。それを拒否したグレン・グールドとは本質的に異なっていた。(p53)
 コンサートとレコードとで演奏が違うのは,何もバーンスタインに限ったことではない。だから,彼の場合,その落差が大きすぎるのではないか。(中略)コンサートの録画が,レーザーディスクで出るようになった。これは,退屈しなかった。どれも感動してしまった。音楽は生き生きと躍動し,バーンスタインの表情を見ているだけで,感情の迸りを受け取ることができた。バーンスタインは,視覚で聴かせる人だったのだ。(p56)
 興味深いのは,この「最後のコンサート」で,途中からバーンスタインが立っているだけなのに音楽は途切れなかったというエピソードだ。これこそが,バーンスタインの指揮の本質を語ってはいないだろうか。彼は存在するだけでよかったのだ。いるだけで「気」(オーラといってもいい)を発し,オーケストラをコントロールし,客席を圧倒できたのだ。たとえ,死の病にあっても。(p64)
 グールドは一回性ゆえの価値を認めなかった。やり直しが可能で,編集できるレコードで,完璧な演奏を遺すことのほうが,彼には重要だと思えたのだ。(p76)
 聴衆からの喝采の快感を忘れることのできる音楽家などいないのだ。だが,グールドは違った。彼は,そもそも喝采に快感を抱いたことがないのだ。(p86)
 世評名高い「深い精神性」や「情念に満ちた」演奏は,単なる「演出過剰」にしか聴こえなかった。世俗的で権力的で「帝王」とされているカラヤンよりも,「神」に近い存在となっているフルトヴェングラーのほうに「権威」の塊を感じた。権威は倒さなければならない。(中略)かくして,私にとって,フルトヴェングラーは敵となった。(p91)
 自分を永遠に刻むには作曲するしかない-フルトヴェングラーはそう考えていた。だから,作曲家として,認められたかった。(中略)フルトヴェングラーにとってのライバルはシュトラウスであったろう。(中略)だが,作曲家としては圧倒的にシュトラウスのほうが勝っているのは,疑いようがない。この事実は,フルトヴェングラーにとっては深刻だったに違いない。(p97)
 この時代から,ピアノなどのコンクールが盛んに行われるようになるのだが,その後現在に至るまで,コンクールで優勝しなかった人のほうが活躍するという例は多い。(p114)
 音楽家たちは,自分が最高の音楽を奏でることよりも,それを多くの人に聴いてもらうことのほうに喜びを感じるものなのだ。その「聴いてもらう機会」を奪ってはいけない。「聴いてもらう機会」を失うことそのものが,彼らにとっては「死」とイコールなのだ。(p126)
 カラヤンは,ある時期から,先に録音し,後からコンサートに臨んでいた。カラヤンにとっては,そのほうが効率がよかったのだ。コンサートのリハーサルを長々とやることを,オーケストラは嫌う。だが,録音セッションとなると,手当ても出るので喜んで付き合ってくれる。録音セッションのためにオーケストラを拘束する場合,その経費(人件費)はレコード会社が払うこととなる。(中略)こうして思い通りの演奏が完成してから,カラヤンはコンサートでその曲を演奏していたのである。(p149)
 実は,カラヤンもまた,レコードとコンサートとでは,まったく異なる人なのだ。そう多くないコンサートのライヴ映像や,コンサートの放送音源のライヴ録音を聴けば,熱い演奏をしているのに驚く。(中略)カラヤンにとってレコードはリハーサルの一部でしかない。あくまで,コンサートやオペラの本番こそが,真の演奏である。(p152)
 では,なぜカラヤンはライヴ録音が残るのを拒絶したのだろうか。(中略)ようするに,面倒だったのだろう。「カラヤンのレコード」として出る以上は,自分で聴き直し,納得した上でなければならない。ミスがあれば直したくなる。しかし,そんなことはもうできない。そんな暇があったら,次の仕事をやりたい-それが本音だったのだろう。(p153)
 いい音楽,いい演奏を聴くと,すべてがどうでもよくなるものだ。生きていることにも意味がないようにすら思えてしまう。仕事なんて,もっとどうでもよくなり,数日にわたり,心ここにあらずといった状態になる。(p162)
 カラスに限ったことではないが,どの大歌手も,ある程度の地位と人気を築くと,準備に時間がかかり,喉も体力も消耗するオペラへの出演を減らし,手っ取り早く稼げるコンサートが増えてくる。興行主もオペラは莫大な費用がかかるが,コンサートであれば,極端に言えば伴奏ピアニストがひとりいればいいので,利益率が高い。ファンにしても,その歌手の歌が聴きたい,あるいはその歌手を見たいのであるから,チケットが高くなるオペラである必要はない。(p173)
 ヴィスコンティ,そしてゼッフィレッリという,オペラの演出家でもあり映画監督でもある二人がそばにいながら,カラスの舞台を映画として記録したものは,《トスカ》の第二幕しかないのは,不思議である。(中略)それだけ,カラスの声の衰えが早かったということでもある。(p180)
 《トスカ》の第二幕を収録した映画は,ぼくも見たことがある。渋谷のシネマライズで。この頃は彼女の全盛期だったということか。古い映画だけれど,オーラ出まくりの感があったが。
 戦後の日本のクラシック音楽の世界には,山師的な人物が跋扈していた。有吉佐和子と結婚したことでも有名な神彰もそのひとりだが,ほかにも何人もの怪しげな人物が,はったりだけで超大物音楽家を海外から呼んできては,博打に近い興行を打ち,大儲けしたり,大損して夜逃げしたりしていた。一九七〇年代も,まだそんな時代だった。(p185)
 欧米のクラシック音楽の演奏家には,親も演奏家だったという人は多い。才能の遺伝という要素もさることながら,子どもの頃から音楽と楽器に親しんでいないと,プロになるくらいの腕前になるのが困難という理由もある。その点は日本の歌舞伎をはじめとする古典芸能と同じであろう。(p195)
 しかし,(中略)親子ともに世界的名演奏家になった例はそう多くはない。(中略)そのなかにあって,クライバーは父子ともに歴史に残る指揮者になった。奇跡に近いと言っていい。(p196)
 カルロスは,いったんは,スイスのチューリヒの工科大学に入学し,化学を学ぶことにするが,結局,音楽の道を選ぶ。しかし彼は,音楽院に進むのではなく,いきなり現場に向かった。ミュンヘン・ゲルトナープラッツ劇場の無給練習指揮者になったのだ。(p199)
 ベートーヴェンの交響曲第四番など,それまで「ベートーヴェンのなかではたいした曲ではない」と思っていたものが,「こんなにすごい曲だったのか」と,認識を新たにさせられた。 あるいは,まだレーザーディスクの時代,クライバーのコンサートの映像を見たが,同性愛の趣味は無いけれど,男が見てもうっとりする姿だった。全身で音楽を表現しているなどという次元ではなく,音楽そのものなのだ。(p206)
 カルロス・クライバーの才能を認めていたカラヤンが,「困った奴だ,あいつは冷蔵庫が空になるまで仕事をしないんだ」と言ったのも有名な話である。(p213)
 こういう追悼特集は,編集者側にある種の狂気が必要である。冷静に考えたら,家族でも友人でも仕事での直接の関係者でもないのに,「追悼する」行為そのものが,失礼である。やるべきではない。だから,そんなことをグダグダと考える暇もないくらい,「なんてことだ,あの人が死んだなんて」との慟哭の思いを沸騰させ,前後の見境をなくさなければ,「いい追悼特集」などできないのだ。それが,私には欠けていた。(p216)
 後のロストロポーヴィチもそうだが,ソルジェニーツィンもあくまでこの不自由な国に留まり,そのなかで自らの作品を発表することにこだわった。それが,彼らの愛国心だった。彼らは,おそらくソヴィエトという体制をまだ信じていた。だから,国内で活動することに固執した。その意味では楽天的だった。(p239)
 「さよなら公演」が盛り上がり,感動の嵐に包まれたとしても,聴衆は「これが最後」だと思うから,そこに至るまでの過去の名演のすべてに対して,絶大な拍手を贈ったに過ぎない。別に,その日のコンサートの演奏に対して,賞讃したわけではないのだ。それを「まだまだ自分はやれる」と勘違いしてもらっては困る。(p267)
 知る限りにおいて,その後カムバックしないということも含めた上での完璧なファイナルコンサートは,二つしかない。(中略)一九七八年四月四日の後楽園球場でのキャンディーズと,一九八〇年十月五日の日本武道館での山口百恵である。老人と違って,若い女性たちは潔いのだ。未練がない。(p269)

2017.01.15 宇野功芳・中野雄・福島章恭 『新版 クラシックCDの名盤 演奏家篇』

書名 新版 クラシックCDの名盤 演奏家篇
著者 宇野功芳・中野雄・福島章恭
発行所 文春新書
発行年月日 2009.11.20
価格(税別) 1,200円

● どうせ聴くなら評価の定まった“名盤”で聴きたい。そう思う人たちがたくさんいるのだろう。本書以外にも“お勧め名盤”の紹介本は数多く出版されている。
 一定の売行きが見込める手堅い分野であるのだろう。

● ぼく一個はあまりそうしたものに右往左往しない方がいいと思っている。たまたま手に取って,たまたま自分の元にやってきた,その1枚を大事に聴けばいい。
 そうこうしているうちに,特定の曲については,何枚かのCDが溜まってくることになる。その中には,自ずと本書や類書で紹介されている“名盤”が含まれているだろう。

● 本書の価値は,名盤が紹介されているところにあるのではない。それは全体の2割くらいかな。
 本書は音楽評論の掌編の塊だ。ひとつひとつに読み応えがある。しかも,同じテーマについて著者たち3人がそれぞれの蘊蓄を書いているわけだから,いやでも比較対象することができる。それが本書の価値の7割だ。

● では,残りの1割は何か。それは,音楽について語るときの語彙や語法を学べることだ。この分野には他にはない独特の言い回しがある。なるほど,ここではこういうふうに描けばいいのかという発見があるはずだ。
 ただし,その発見をそのまま自分で使っていいかどうか。それはまた別の話ではある。

● 以下に著作権法に違反しない程度に転載。宇野さんと福島さんの文章を転載する場合は,その旨記載。その記載がないものは中野さんの文章。
 饒舌の指揮者はオーケストラから嫌われる。「指揮は身体と手でしてくれ。できれば眼光と呼吸で」と,一流楽団の奏者は口を揃える。「中身の無い奴ほど,口で指揮したがる」とまで言う一流のオケマンもいた。(p28)
 リハの始まりにはアムステルダム・コンセルトヘボウのステージに降りる長い階段を守衛の手を借り,手摺りにすかまってゆっくりと赤ん坊のつたい歩きみたいに降りてきた八十八歳の老人(モントゥー)が,二時間近い練習をほとんど立ち放しでこなしたあと,休憩時間に入るや,今度は同じ階段を手摺りにも触らず小走りに駈け上がり,出入口の扉の奥に消える“奇蹟”の如き姿に唖然たる思いを味わったこともあった。(p33)
 「演奏は〈時〉を変える行為です。演奏された音楽によって聴き手の〈時間の質〉が変わる。その記憶が聴いた人の人生を変える。それが演奏家の存在する意味」と,ピアニストの内田光子が私に語ったことがある。(中略)ただ一度限りの演奏という行為をその意義を,「束の間に過ぎ去るものの永遠性」という美しい言葉で表現された吉田秀和氏の文章が突然思い出されもした。(p46)
 フルトヴェングラーの演奏哲学の神髄は,「楽譜の背後にある作曲者のメッセージを,〈音楽〉によって聴き手に伝える」という一語に尽きた。「楽譜に忠実」という,音符を客観視するトスカニーニ的思想や演奏法を,彼は生涯嫌い抜いた。(p48)
 エロスこそ,あらゆる芸術行為の根幹を成すものではないのかね。性欲の強い人ほど,ものすごい作品を生み出す。ピカソを見たまえ。彼のおかげで何人の女が幸せになり,また不幸のどん底に突き落とされたか。ピカソの芸術は女性たちの犠牲の上に成り立ったといっても良い。(宇野 p49)
 人間の不幸が芸術というものを生み出したのであり,悲劇性こそが芸術の母なのだ。楽天性からは絶対にすばらしい作品は生まれないと思う。(宇野 p49)
 先生(クナッパーツブッシュ)はまさに巨人ヘラクレス-この世の人とは思えない大指揮者でした。演奏しているあいだ,私は立っているのがやっとの思いであったことを,はっきり憶えています。(諏訪根自子の述懐 p56)
 ミュンシュの練習嫌いは有名だった。だがヨーロッパ一流オーケストラの旧知のオケマンの多くは,「あまり熱心にリハーサルをやると手の内を読まれて,本番で気が抜ける。オケに緊張感を持たせるためには,『何をやられるかわからない』という不安感を,適度に抱かせておいた方がいい」という。カラヤンは徹底したリハーサルで楽員一人ひとりに曲全体を把握させ,本番では具体的な指示を最小限度にして,状況に応じ,オーケストラに自発的な演奏をさせたが,両者それぞれが巨匠の名人芸-指揮者と楽団の強い信頼関係が前提になるから成り立つ話である。並みの指揮者ではとても真似できまい。(p65)
 オーケストラというものは,音程や音色がそろいすぎると室内楽的には透明にはなるが,良い意味での雑味不足となり,ハーモニーがやせ,ひびきも豊かさを欠いてしまう。(宇野 p72)
 ことによると,マタチッチの凄さをいちばん理解していたのは日本人かもしれない。人種偏見が強いヨーロッパでは,ユーゴスラヴィア人ということで一段下に思われていたし,事実ミュンヘンではオペラを指揮している最中「マタチッチ,帰れ!」という野次がとんだという。彼自身の世渡り下手のせいも多分にあったのだろうが,本場の評価ほど当てにならないものはないという好例がここにある。(宇野 p80)
 クリュイタンスはまた,協奏曲の名伴奏者であった。カラヤンのように,ソリストを麻薬でチルドレン化しない。共演相手の全能力を,自分の音楽をキチンと語りながら引き出す。(p93)
 練習風景を見聞できたティーレマンは伝説の名コンビ=マエストロ・カラヤン&ベルリン・フィルの仕上がり具合に驚嘆し,「オーケストラとは,かくも見事な音と響きを奏でるものか」と胸中で呟いたらしい。ところが次の瞬間,ティーレマンはカラヤン指揮台上の一言を耳にして愕然とする。「完璧に弾けるようになりましたね。では次に,曲に魂を入れましょう」 「私にとっての終着点が,たの人達にとっては新しい出発点だったんです。人生観が一変するほどの衝撃的な体験でした」とティーレマン。(p98)
 スター性という資質は生来のものであって,われら凡人はただ自らの不運を嘆き,偶像を仰ぎ見る以外仕方がないのであるが,カラヤンはかかる資質の錬磨に常人の百倍の努力を惜しまず,また並外れた忍耐力の持ち主でもあった。(p99)
 絶対に忘れてはならないのは,世評とは異なり,彼が「レコード人間ではなかった」という関係者の証言である。カラヤンはしばしばリハーサル代わりに録音現場を利用し,そこでオーケストラを徹底的に仕上げてから実演のステージに臨んだ。(p100)
 (ザンデルリングを聴いて)驚くのは,オーケストラの違い,録音したレコード会社の違いを超えて,スピーカーから「これがドイツの音だ。しかも,プロイセンと呼ばれた北東部ドイツの音だ」という,同じ音色と響きが聞こえてくることである。ベートーヴェンもブラームスも,「こういう声色でドイツ語を話していたんだよ」と教えられているみたい。(p118)
 人心収攬術としてではなく,天性の人恋しさからと明るさから出た仕草であったために,バーンスタインは楽員の多くからも慕われたが,その分だけ演奏に陰影が乏しくなった。芸術とは難しいものである。愛好家はときに,「無いものねだり」をするから。(p128)
 (バーンスタインの)カラヤンとの大きな差は,メンゲルベルク,ワルターの衣鉢を継いで,普及に全力を傾注し,マーラーの音楽をオーケストラのメイン・レパートリーとして世の中に定着させた偉業。カラヤンはクラシック音楽の大衆化には多大の成果を挙げたが,作曲界への貢献は限りなくゼロに近かった。(p129)
 「我が身と引き換えにしなければ,マーラーの音楽は三小節だって演奏できません」と語れたバーンスタインは,最高に幸せな人であった。演奏家が「わが心の歌」を探し当てたとき,彼は初めて自らの名を歴史に刻むことを許されるからである。(p129)
 アーノンクールは七〇年代の半ば,古楽器を使って鮮烈な,というより極めて刺戟的な音楽造りを披露し,楽界の話題を攫ったが,いまにして思えば彼は古い楽器を武器に新しい音楽=現代の演奏の開拓を試みていたのである。(p155)
 オーケストラの音と響きは,そこをフランチャイズとしているコンサートホールの産物である(p157)
 往年の巨匠エーリヒ・クライバーは,息子のカルロスが「指揮者になりたい」と言い出したとき徹底的に反対した。しかしカルロスは父親の忠告に叛旗を翻し,初志を貫徹する。私達愛好家にとってはまことに幸せなことであった彼の人生選択が,カルロス本人にとってはどうであったのか-真相は「闇」というに近い。(p160)
 「逆風を順風に変えて」などという月並みな言葉ではとても表現し切れない,彼(小澤征爾)の強靱無類な反撥力の源泉を私は知りたい。この国の若者教育にとって,これほど輝かしい規範は,各界を通じ他に求め得ないのではないか。(p176)
 小澤が必ず早朝五時に起床,九時まで独り机に向かって譜読みを続けるという習慣は,二十代から齢七十歳を超える現在まで続いている。カラヤン,朝比奈も死の床に就くまで学びの姿勢を崩さず,好き嫌いは別として,楽員は束になってかかっても学識と見識の点でマエストロに太刀打ちできなかった。(p177)
 カラヤン,朝比奈とも,その辞書には「男の花道」とか「引け際の美学」などという,経営評論家などが唱える小賢しい言葉は無かった。小澤にもそんな気持ちは,毛頭無いと思う。(p177)
 デュトワは美人演奏家殺しである。アルゲリッチ,チョン・キョンファをものにし,噂では諏訪内晶子にも子を産ませ,それが彼女のDVの原因になったとか。いやはや羨ましい話だ。(宇野 p180)
 真の文化とは,そのようなきわどい二律背反の上に成り立つものであって,ただひたすらドイツ的であるだけなら,それは独りよがりの田舎芝居に過ぎない(p192)
 振り返ってみると,一九八八年イタリア人のリッカルド・シャイーが,歴代オランダ人の指揮者が就任していたコンセルトヘボウ管の音楽監督に指名され,一年後,同じくイタリア人のクラウディオ・アバドが,ベルリン・フィルの音楽監督という楽界頂点の座を射止めたのは,その(グローバル化の)象徴的出来事であった。そしてウィーン・フィルと並ぶこの西欧の二大オーケストラは,この二人のシェフの在任中,ウィーン古典派の名盤を,遂に一枚も録音できなかったのである。(p210)
 かつて彼のもとで首席オーボエ奏者を務めていた渡辺克也は,「憎らしい奴,という気持ちも持つが,結局,まあ頑張ってやるか! ということになってしまう男なんですよ」とティーレマンの人物像を描写し,苦笑していた。(p219)
 ソナタ「三二番」など,ナイの打鍵があまりに力強いものだから楽器が崩壊せんばかり。ナイの有り余る表現意欲と情熱が楽器の能力を超えてしまっているわけだが,私はこれでこそベートーヴェンだと共感した。楽聖の荒ぶる魂が当時の楽器に納まっていたとは到底思えないからである。(福島 p237)
 超大物プロデューサーとして全欧のクラシック界に君臨したウォルター・レッグに,「最も印象に残る仕事は?」という質問を試みたことがある。(中略)言下に「リパッティ!」と答え,カラヤンの名も,マリア・カラスの名も,最愛の妻シュヴァルツコップの名も遂に口にすることがなかった。(p276)
 (内田光子は)作曲家に対して,実に謙虚な人である。「演奏家は泡みたいなもの」と,自らを称して憚るところがない。(p306)
 ケンプ=ルプー=シフ(もちろんブレンデルも忘れてはいけない)といった定評あるシューベルト弾きの系譜とは,確実に一線を劃する新しい世界を内田光子は創造した。シューベルトの遺した楽譜から,いままで誰も気付かなかった作曲者のメッセージを発見したという言い方の方が正しいかもしれない。そして,そのメッセージを欠くるところなく聴き手の耳と心に届け得るだけのテクニック=表現の技術を彼女は身に着けている。(p307)
 ヴァイオリンではハイフェックが,ピアノではミケランジェリが,指揮界ではトスカニーニとセルが,「完璧とはこういうことだ」という標本を作り上げてしまった。おまけに人たちの音楽,音の一つひとつに意味があり,個性強烈で説得力抜群だったからさあ大変! 後に続く奏者や指揮者達は,「何か変わったことをしなければ」自己の存在意味をアピールできなくなった。(p320)
 腕達者な若者が若さの魅力を武器にステージを闊歩するのは二十代の後半までで,魅力が加齢で剥げてしまえば,代りに精神内容で客席に何かを訴えようにも,今度は三十代という若さが未熟の代名詞になりかねない。ソリストとして輝かしい未来を期待されていた“逸材”の多くがいつの間にか姿を消す理由の多くは,この“年齢の壁現象”による。(p320)
 一九八五年のショパン・コンクール-かのブーニンが審査員の投票でダントツ一位を獲得したが,レコード会社や音楽マネジメントの企画・制作者の評価はほぼ一致して第五位入賞の「ルイサダ!」。「ブーニン・ブーム」が吹き荒れたのは極東の日本だけである。そして二十年後の現在,あちらでは「ブーニン・WHO?」という結果に相成った。プロの眼の厳しさ・・・・・・。(p324)
 クラウスがどんなにすばらしくても,彼女の才能の水準までモーツァルトは下がる。しかし,才能が同じくらいだと,モーツァルトの音楽は人間世界を突き抜けてしまう。(宇野 p330)
 アルゲリッチもポリーニも,ピアノ演奏の歴史を変えたピアニストである。(中略)そんな衝撃的な想い出がブレハッチのウィーン古典派三人を並べたCDを聴いたとき蘇った。強靱でありながら,少しも耳ざわりではない打鍵。指先が鍵盤の芯を,常に理想的な強度でとらえているのであろう。それも技巧や美音を誇示するためでなく,譜面に刻印されたハイドン,ベートーヴェン,モーツァルトの音楽的なメッセージを正確に,しかも演奏者自身の言葉で語り尽くすために。(p339)
 彼(クライスラー)は「本当の演奏家の才能は生来のもので,練習によって得られるものではありません」とも語り,「舞台に立つまえに,熱いお湯に数秒間指先をつけておきさえすれば充分です」と,名演の秘訣を明かす。われら凡人は,「ああ,そうですか,天才とはそういうものですか」と,ただただ感嘆するだけである。(p342)
 カザルスという音楽家が,“チェロ”という,音楽の低音域を受け持つ大型楽器・近代奏法の開拓者であることは余り知られていない。(中略)右腕全体を柔らかく,大きく使う現代運弓法の創始者の一人はカザルスである。(p346)
 バッハは「チェンバロでなくては」などと言われるようなヤワな音楽は書いていない。(p347)
 すでに技術の衰えたシゲティがステレオ録音したベートーヴェンやブラームスのコンチェルトを耳にして,再び彼に傾倒する自分を発見した。普通,あれだけ音がかすれたり,ゆれたりすれば,音楽の体を成さない筈なのに,シゲティは若い頃よりもさらに深い感動をあたえてくれたのである。(中略)西洋クラシック音楽の行き着く最後の境地といえるのではないだろうか。(宇野 p358)
 録音から窺う限り,ハイフェッツの演奏スタイルは生涯変わらなかった。(中略)解釈と内容も変わっていない。進歩していないのではない。二十歳未満にして,彼の芸術は完成されていたのである。(中略)こういう演奏を聴くと,他のヴァイオリニストが同じ曲を録音する勇気に感心してしまう。(p361)
 コンクール至上主義の世の中で,技術の完璧さ,即ち合理的でミスを犯す危険性の少ない運指法を追求すれば,選択の余地が減り,演奏が画一化するのは理の当然である。巨匠クレッパースは,ディレイ門下の俊秀(?)ギル・シャハムのブラームスに接して,「奴は誰に向かって,何のためにヴァイオリンを弾いているんだ」と激怒していた。ステージから聴き手への語りかけの大切さなど,彼は考えたこともなかったのではないか。(中略)困った時代になった。(p367)
 楽器とか声の美しさの秘密について,その全てを解き明かすことは不可能である。(中略)しかし最後の決め手は,演奏者や歌い手の感性である。自らの〈音〉をどう造りたいのか,演奏する彼や彼女が「何を以て理想の美と見倣すか」によって,われわれの許に届く音の質は決まる(p370)
 フランチェスカッティの音は,ヴァイオリンが理想のソプラノを模した楽器であることを,一聴理解させてくれる凄みを持つ。(p371)
 ホールの響きにどれほどの欠陥があろうと,フルニエのチェロは美しかった。〈音〉自体がこれだけの気高さを持ち,気品に満ちた雰囲気を創ることがあり得るという事実を,私はそのとき教えられた。(p374)
 小林秀雄は同じ対談でエリカ・モリーニも褒めているが,モリーニやイダ・ヘンデルとデ・ヴィートでは比較の対象にもならない。音楽史に遺る女流では,この人とジネット・ヌヴーが双璧だと思う。(p383)
 ロストロポーヴィチの音楽にはそんな大名人を人間性の上で凌駕する“何か”があって,印象はより深く,濃厚で,かつ沁みじみとしたものがあった。(中略)それをロシア的体臭という一語で片付けてしまっていいものかどうか,ロストロポーヴィチという一個人の人格に帰して然るべきものでるか-自信がない。(p394)
 典型がカザルスとチェロ,セゴビアとギターの関係である。(中略)この二人-単なる名人・上手ではなく,人間としても隔絶して偉大であった。そしてその演奏が作曲家達の霊感を刺戟し,愛奏する楽器の表現力拡大に貢献したという,音楽史上画期的な事実は特筆大書されていいと思う。ヴィオラという楽器で同様の偉業を成し遂げたのはイギリス人,(中略)ライオネル・ターティスである。(p400)
 彼女(ジャクリーヌ・デュ・プレ)が死の床で聴き続けたというシューマンの「協奏曲」は比類なき“神の声”である。出来ることなら,彼女の弾いた協奏曲を揃えたアルバムを揃えることをお奨めしたいが,単発ならシューマンとドヴォルザークの二枚。(p406)
 ユダヤ民族は二〇〇〇年の永きにわたり,故郷なき民,少数民族として苛烈な迫害を甘受して来たが,その心理が逆作用として働き,他の少数派に対して寛容という心の扉を閉ざす行為がしばしば見受けられる。(中略)チョン・キョンファがデビュー当時,スターンを盟主とするそんなユダヤ・シンジケートの妨害を受け,障害を撥ね除けるためにどれだけの苦労を已むなくされたか(p414)
 二一世紀初頭という時点で,(中略)“超一流の音楽家”として無条件で世界に通用している日本生まれの国際的音楽家は四人,小澤征爾(指揮),内田光子(ピアノ),今井信子(ヴィオラ),そして五嶋みどり(ヴァイオリン)だと私は思う。(p419)
 協奏曲伴奏ピカイチのカラヤンをバックにして,(ムターは)実に初々しい音楽を奏でている。特に「第三番」の緩徐楽章など絶品。(中略)モーツァルトを聴くなら二十歳前と六十歳過ぎ-というのが我が持論である。(p426)
 あの天才チョン・キョンファでさえ,出産のあとはガタ落ちした。諏訪内にも同じ現象が起きたのだ。しかも,もともと個性的な表現で聴かせるタイプではないだけに,チョン以上にダメージは大きい筈で当分,諏訪内の舞台には接したくない。(宇野 p432)
 フジ子と天満,共通点の最大なるものはその美しい音=無限の感情を湛えた,この二人だけが持っているかけがえのない音色と“心の歌声”である。そして彼女らは,その情感をステージから客席に惜しみなく伝達できる強靱な演奏技巧の持ち主でもある。勘違いしてはいけない。指が速く,間違いなく鍵盤や指板の上を動くだけがテクニックではないのである。世に出る前,フジ子にも天満にも,凡百の奏者に倍する,内容の充実した研鑽の歳月があったと思う。(p437)
 西欧クラシック音楽の精髄であり,極北に位置づけられる弦楽四重奏曲は,何にも増して上質で,鑑賞眼の高い聴き手を要求する。(中略)愛好家や理解者が乏しい時代や国ぐにに,名曲や良き演奏団体が生まれる可能性はまずない。(p438)