2017年7月7日金曜日

2017.07.07 中川右介 『怖いクラシック』

書名 怖いクラシック
著者 中川右介
発行所 NHK出版新書
発行年月日 2016.02.10
価格(税別) 820円

● 著者も言っているとおり,コンパクトな音楽史になっている。
 取りあげられる作曲家は,モーツァルト,ベートーヴェン,ベルリオーズ、ショパン,ヴェルディ,ラフマニノフ,マーラー,ホルスト,ヴォーン=ウィリアムズ,ブリテン。他にも短く登場する作曲家はいるけれど。

● 以上の作曲家を「怖い」という言葉で一括りにするのは,少し乱暴のように思われる。が,著者にしてみれば,そんなことは百も承知で,大きく括って,非「怖い」系と対峙させたかったのだろう。
 「クラシックは難しくありません」「クラシックは癒されます」などと宣伝するのは,ステーキハウスが「当店はデザートが自慢です」と言うようなもので,どこか違うのではないか。ステーキハウスなら肉の美味しさを自慢すべきだ。(p9)
 クラシック音楽のメインストリームは,この世のダークサイドを感じさせる「怖い音楽」なのだ。少なくとも,私の好みは「怖い系」にある。そこにこそ美はあるのだ。(p10)
 著者の該博な知識を,コンパクトにしてもらって,短時間で読めるのはありがたいことである。

● 他にいくつか転載。
 (モーツァルトの時代に)「有料音楽会」というものは始まっていたが,それは音楽を楽しむために存在しており,人々はわざわざ「哀しむ」ために出向くことなどしない。オペラも娯楽なので喜劇がほとんどだった。(p21)
 彼は「発表のあてもないのに,曲を作る」ということをしたことがない。これはモーツァルトに限らない。藝術家が自らの激情にかられて作品を生み出すのは,この後のロマン主義の時代からだ。(p25)
 フランス革命前後まで,音楽は貴族の宮廷やサロンで演奏されていた。その宮廷の持ち主である貴族が,知人を招いて聴かせていたのである。それは社交であった。だから,楽しく,美しく,心地よくないものは必要ない。(p53)
 暇つぶしでも社交でもなく,藝術を鑑賞いに行くという意識を持って演奏会に足を運ぶからには,軽佻浮薄な音楽よりも,重厚長大なほうがいいではないか--そんな風潮が,ごく一部の市民の間に生まれる。これが「難しいクラシック音楽」の始まりである。(p53)
 (田園交響曲の)第四楽章では,雷や風の音を,楽器で真似しているように聞こえる。たしかに,そうなのだ。だが,やはり音楽なのである。そこが,ベートーヴェンの偉大なところだ。そしてこれはベートーヴェンの他の作曲家への挑戦でもあった。(中略)ベートーヴェンは,自然描写音楽はくだらないと考えていた。しかし,それが人々の間では受けている。その状況への怒りがある。そこでくだらない作品を蹴散らすために自分で書いてみたら,やはりベートーヴェンのほうが傑作となった。(p60)
 《田園交響曲》の評判は,少なくとも,よくはなかった。斬新なものはいつの時代も発表時には理解されない。しばらく経ってから評価される。(p66)
 ベートーヴェン以前の音楽は,こんにちの概念での「藝術」ではなく,「技能」に近い。音楽家は藝術家というよりも職人だった。社会的身分も高くなく,それゆえにわざわざ音楽家になろうという者もいなかったので,音楽家の子が幼少期から鍛えられて,音楽家になっていた。 しかし,ベートーヴェンによって音楽が藝術になると,事情は変わってくる。(p73)
 自分の内側にある狂気を意識したベルリオーズは,それを音楽にしてみたのだ。そうしないと,本当に発狂してしまったかもしれない。それくらい,彼は激しい男だった。(p84)
 チャイコフスキーの音楽はロシア人以外には「これぞロシア」と聞こえるが,ロシア人は「こんなのはロシア音楽ではない」という感覚になるらしい。(p173)
 マーラーやラフマニノフが結局のところ,何を表現したのかは,本人にしか,あるいは本人にすら分からない。二人がともに故郷喪失者なので,「孤独」「郷愁」「絶望」「怒り」「哀しみ」がその音楽にあると解釈するのは簡単だが,そう単純なものではないだろう。 二人とも実生活において最も幸福な時期に,暗く深刻な音楽を書いているのも,謎と言えば謎だ。幸福な家庭を持ったが,いつか壊れることを予感していたという解釈も成り立つが,これもまた,もっともらしいが故に、真実ではないだろう。(p204)
 この曲は,こんにちではベートーヴェンのファンや信奉者ですら苦笑いする,「ベートーヴェンの最大の駄作」として名高いが,ベートーヴェンの存命中は最も人気があった最大のヒット曲でもある。音楽に限らず藝術作品の評価というのは難しいというか,いい加減なのである。百年後にはまた評価が逆転して,「《ウェリントンの勝利》こそ,ベートーヴェンの最高傑作となっているかもしれない。(p209)
 ホルストが《惑星》を着想したのは,天文学ではなく占星術から(p221)
 (ショスタコーヴィチの)十番が何の隠喩なのかは,本人にしかわからない。言葉では表現できないものを音楽にしたのだとしたら,言葉で解説するのは無意味というものだ。(p269)

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