2017年7月5日水曜日

2017.07.05 フジコ・ヘミング 『たどりつく力』

書名 たどりつく力
著者 フジコ・ヘミング
発行所 幻冬舎
発行年月日 2016.05.30
価格(税別) 1,100円

● 「たどりつく力」というのは,出版社側がつけたタイトルだろう。自伝でもあり,音楽観の吐露でもある。すでに刊行されているフジコさんの著作と重複するところが多い。
 才能に恵まれながら,肝心なときに聴力を失うという不運に見舞われ,不遇と貧困を余儀なくされる。そして,終盤に逆転。
 NHKがドキュメンタリー番組で取りあげたのがキッカケだけど,それを呼びこんだ力が彼女にはあったのだろう。

● 以下にいくつか転載。
 私は子どものころから空想の世界で遊ぶことが好きでした。母のピアノのレッスンがあまりにもきびしかったため、そこから逃げ出すには,どこか別の世界へと逃避することが必要だったのです。(p25)
 私が夢の世界へと気持ちを向けたのは,絵を描くことと連動していました。絵のなかでは,何でも可能になります。私はきれいな洋服を着て,美しい広い庭付きの家に住み,そこでは木々が生い茂り花々が咲きほこっています。(p26)
 私は自分が好きな作品を好きなように弾くのが楽しいのです。ピアノを弾く喜びは,自分が楽しんで弾くことに尽きます。(p41)
 私の留学時代は困難の連続でした。音楽家はすぐに他人の才能がわかってしまい,嫉妬やいじめや陰口が横行します。(p46)
 カラヤンの指揮はこの世の人とは思えないほど別次元のすばらしさで,私はじっと彼の指揮姿を見つめ,恍惚となってしまったのです。(p54)
 演奏する時は,作曲家が残した音符のひとつひとつに自分の思いをたっぷりと盛り込んでいきます。多少のミスタッチなど気にしません。音を少しくらいはずそうが,指がすべろうが,たいした問題ではないからです。むしろ音楽全体を大きくとらえ,音で絵を描くように表情豊かなピアノを紡いでいくことを心がけます。(p90)
 日本では,私の「ラ・カンパネラ」を無茶苦茶にけなした音楽評論家がいます。でも,私はそう書かれるたびに思いました。ぶっ壊れそうな「鐘」があったっていいじゃない,私の「鐘」だもの。この響きを聴いて涙を流してくれる人だっているんだからと。(p92)
 私はショパンやリストを弾く時,ひとつ心がけていることがあります。それは,十九世紀のヨーロッパのピアニストたちをほうふつさせる演奏をしたいということ。(中略)ショパンやリストが生きていた時代,馬車が行き交う速度を思わせるテンポ。断じて現代のクルマ社会の速度ではない。(p96)
 人はそれぞれ得意分野があります。人のまねをしたり,人をうらやんだり,自分が不得意だと思っていることを無理に行うと,必ずしっぺ返しがきます。(p97)
 私は人をうらやんだり,まねをすることだけは避けてきました。人のまねをしたら,自分を偽ることになってしまうからです。私という人間はこの世にひとり。ただひたすら,自分らしく生きたいと願ってきました。(p186)
 よく,人は歳を重ねると都会を離れて郊外に住む方がいいといいますが,私は逆です。(中略)年齢を重ねたら,ひとりで家に閉じこもらず外に出ていろんな人に会う方がいいと思います。外で人に会うと,自然におしゃれをしたり,髪形を気にしたり,身ぎれいにする気持ちが生まれるでしょ。それが大事なのです。(p134)
 女性のピアニストで一番好きなのは(中略)マルタ・アルゲリッチ。(p138)
 私は「音楽家は生涯勉強すべきだ」と思っていますし,練習を怠ることは,作曲家に対して失礼だと考えています。(中略)でも,年々,歳はとっていきます。これは止めようがありません。そのなかで,いま自分にできる最高のことをする。それが私のモットーです。(p183)

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