2017年7月31日月曜日

2017.07.31 茂木健一郎・羽生善治 『「ほら,あれだよ,あれ」がなくなる本』

書名 「ほら,あれだよ,あれ」がなくなる本
著者 茂木健一郎・羽生善治
発行所 徳間書店
発行年月日 2015.12.31
価格(税別) 1,000円

● 「物忘れしない脳の作り方」というのが副題。その副題も含めて,本書の名は体を表していない。
 茂木的脳科学概論という趣の本。茂木さんと羽生さんの共同講演会をそのまま本にしたものらしい。読みやすい。

● 以下に転載。
 私の専門の脳科学の世界では,いろいろな人が研究してみたところ,脳は1秒でも長く生きたいものだということがわかっています。(p12)
 どうして,日野原先生が100歳を過ぎてもお元気かというと,脳を若々しく保つ方法を実践しているからです。それは好奇心を持つということです。(p13)
 最近の研究では,運動を定期的にしている人は,認知症になりにくいことがわかりました。つまり,運動したほうが肉体だけでなく,脳も若々しくいられるということです。(p14)
 脳はその人がチャレンジできるギリギリのものに挑戦している時が,楽しいのです。もともと「生きる」ということは,そういうことだと思います。楽して生きるというのは,実は生き物にとってそんなに嬉しいことではないのです。(p16)
 ドーパミンをいかに前頭葉に与えるか,というのが脳の老化を予防するために,いちばん大事なことなのです。(中略)どういう時にドーパミンが出るかというと,「サプライズ」の時に出ることがわかっています。(p23)
 近頃,1年の経つのが速いと感じている人は,はっきり申し上げて,ドーパミンが出ていません。どういうことかというと,脳は初めてのこと,サプライズのことを経験している時には,その時間を長く感じるという実験結果があります。つまり,それだけ起きていることを細かく見ているからです。(p26)
 特に男性で,人差し指と薬指を比べて薬指が長い人は,リスクテイク,つまり,危険を承知で行動することができる人,いろいろなことに挑戦できる人だということが,科学的な研究でわかっています。
 これはウソだろ。ほとんどの人は薬指が長いのじゃないか。こう言って励ましてくれてるんでしょうね。
 子どもの心を忘れてはいけないのです。誰もが自信のない根拠があったのですから。(中略)子どもの脳が素晴らしいのです。大人の脳は不完全な子どもの脳で,大人は不完全な子どもだとされています。(p38)
 ドーパミンを出す上でのいちばんの敵は「らしさ」です。(中略)「私らしさ」というのはドーパミンからいうと敵なのです。(p40)
 これからの世の中を生きていくうえで,いちばん大切な能力は学力ではないと思います。社会の中で仕事ができる人とは,毛づくろいができる人です。(中略)人との絆を深めるためにいちばんいいのは,雑談です。どうでもいいような,雑談が大事なのです。(p61)
 人間は苦労して追い詰められるとUFOに乗ります。銀色の宇宙人が飛び回ります。脳は感情がものすごくつらくなると,幻を生み出すことでバランスをとろうとすることが,科学的にわかっているのです。(p74)
 そういう人が自分の身近にいた。それほどに追い詰められていたとは思いが及ばなかった。それが幻視であることを悟らせようとしてしまった。
 その人の傍に寄り添うことをしなかった。自分を鞭打ちたくなるほどの痛恨の思いでだ。 
 苦労した人ほど明るくなれるというのは本当です。(p75)
 だいたい自分の欠点とかダメなところを隠している人というのは,他人の欠点とかダメなところを攻撃します。それで自分を守ろうとするのです。(p88)
 挑戦を邪魔するものがあるのです。それは劣等感です。(中略)人は往々にして自分の欠点とか短所を劣等感にしてしまい,それが深いところに隠れたりしています。脳科学的に言うと,個性というのは長所と短所が一体となったものなので,それを受け入れるしかないのです。(p96)
 最近,脳科学では脳の個性と適性が研究されています。そして,「勉強ができる」というのは,企業の経営者としては欠点なのかもしれないという説が出てきています。(p103)
 人々は結婚だとか,子どもだとか,お金だとか,なにか幸せの条件があるかと思ってしまいがちです。ところが調べてみると,そんなものはないのだということがわかります。人それぞれの幸福があるのです。もっと言えば,皆さんは今のままで完全に幸福なのです。それに気づくかどうかが大事なのです。(p113)
 棋士の場合もパソコンに入っているデータベースで,1試合を1分間くらいで見ることができるようになっています。(中略)実はこのようにして簡単に見たものは,簡単に忘れてしまうのです。(羽生 p128)
 そういう緊張とか,プレッシャーがかかっている状態というのは,けこういいところまで来ているということが多い(中略)プレッシャーのかかる状態に挑戦していくとか,緊張している状態に身を置くことによって,初めてその人が持っている能力とか才能とかセンスとかが,開花するということもある(羽生 p142)
 私自身が感じるのは,少し疲れている時のほうが,感覚的には冴えてくるというところがあります。(羽生 p149)
 大山十五世名人との対局が,強く印象に残っています。(中略)非常に印象的だったのが,大山名人はほとんど考えていないということでした。(中略)本当に考えていないのです。(中略)そういう大山先生の最後の状態というのは,もう運もなにも関係なかったという感じがするのです。(羽生 p164)
 忘却力っていうか,忘れるって(ストレスマネジメントとして)けっこう大事ですよね。(羽生 p175)
 私,方向音痴なんですけど,迷ってその場所に辿り着くの,好きなんですよね。(羽生 p181)
 人間の伸びしろって,まだ誰も行けていない領域があるという実感をそれくらい速く持つかっていうのが,大事なカギのような気がしていて。(p189)
 将棋の世界の制度って,現状維持を目指そうとすると,必ず落ちてしまうようになっているんですよ。(羽生 p199)
 だいたい天才って,親は普通の人なの。(p202)
 “三手の読み”というのはまず自分がこう指して,それに対して相手がこう来る,そして次に自分はこう指すという,読みの基本のプロセスでもあります。とても単純な事に聞こえますが,これがとても大切で,誤ってしまうと何百手,何千手読めたとしても無意味になってしまうのです。鍵となるのは二手目の相手が何を指してくるかという点です。(中略)この時にずれやすのが相手の立場に立って自分の価値観で判断してしまうことなのです。(羽生 p214)
 どこかに正解があると思っている人生は,堅苦しい。ましてや,正解が一つだと思っていたら,息苦しい。そのような狭い世界にいては,脳が,いきいきと伸びる,その余地が失われてしまう。(p219)
 羽生善治さんは,もちろん,特別な人である。しかし,それを言うならば,あなたも特別な人である。羽生さんだけが特別で,他の人は特別ではないと考えることは,結局,正解が一つしかないと考えているのに等しい。(p219)

2017年7月30日日曜日

2017.07.30 増田宗昭 『増田のブログ』

書名 増田のブログ
著者 増田宗昭
発行所 CCCメディアハウス
発行年月日 2017.04.11
価格(税別) 2,500円

● 副題は「CCCの社長が,社員だけに語った言葉」。

● たんに活字を組んだだけの本ではない。二つ,工夫が施されている。
 ひとつは綴じ方。折丁を細かくしているんだろうか。パタンと開く。真ん中だけじゃなくて,最初の方や終わりの方を開いても,パタンと開いたままになってくれる。
 もうひとつは,豊富な写真の挿入。CCCの事務室(?)の写真,蔦屋書店の写真,風景の写真。増田さんが写っているものも多数。

● この写真がヘタウマっぽいんですよ。自分にも撮れるんじゃないかと思わせるんだけど,実際は・・・・・・っていう。
 しかも,気持ちを落ち着かせてくれる写真が多い。写真集としてパラパラと眺めてもいいだろう。あるいは,その中の1枚をジーッと見て,湧きでてくる妄想に遊んでみるのもいいだろう。

● 以下にいくつか転載。
 相互に矛盾する文章があるようにも思うんだけど,企画というのは数えきれないほどの多面で構成されているもので,そもそも矛盾を内包するものなのだろうと考えておく。
 お客さんが,「それ欲しい」と思うことを提案すれば,成約出来る。答がわかれば,企画は百発百中当たるのに,みんな「答え」を探そうとしない。答を探すことをしないで,鉄砲の玉を打つことばかり考えている。商売で,その「答え」を見つける方法は簡単。お客さんの立場で考えればいい。あるいは,お客さんの気分で考えればいい。(p21)
 できないことにチャレンジした人は時間が経つとできるようになって成長するけど,できることばかりをやっている人は年を重ねても,できる範囲が広がらない。(p26)
 活躍している経営者には,ある共通点があることに気づいた。彼らの多くは,他者(お客さんも含め)がどう思うかではなく,自分が欲しいと思ったり,自分が正しいと思ったことを実践している。周りをキョロキョロ見ないで,ひたすら,自分が感動することを探している。(p32)
 執念なきものは,問題点を指摘し,執念あるものは,可能性を議論する(p44)
 役割分担が進むと,情報が分断され,全体的な情報が共有されなくなる(p87)
 情報は,血液と一緒で,滞ると体にとって良くない。(p137)
 人数が増えると,仕事の分担が進み,誰に何を伝え,誰に何を相談したらいいかが見えにくくなる。だから,少人数にするか,単純な組織にする必要がある。(p137)
 企画力の源泉はできないことを引き受ける勇気かもしれない。(p164)
 一生懸命考えたり,報告までの時間を長く確保しても,結局アウトプットは変わらない。だからとりあえず,「すぐに」,アウトプットしろと要求。(p167)
 企画の質は,いかにみんなから情報をもらうことを知っているかに比例する。自分のデータや,自分のプログラムなんてたかがしれている(p167)
 先日,Tカードの営業で会った人から質問された。「生活提案,って一言でいうと,どういうことですか? いろんな人に聞いているけれど,わからないので,教えて欲しい」と。増田は即座に「元気のでる生活イメージを見せることです」と答えた。(p169)
 コンセプトをカタチにするのに,一番必要なのは「執念」。執念の強さが企画をカタチにする。執念のない人が,お金を持とうが,部下を持とうが,経験を持とうが,いい企画は,決して生まれない。(p216)
 生活提案というのは,これがいいとか悪いとか,頭で考えることではなく,自分がいいと思って,あるいは体験したことを他の人に「これいいでしょ」と提案することに他ならないと思う。(p225)
 人間は,風景の中に,無意識に意味を探している。その人にとって意味のある風景があれば,記憶に残るし,意味がなければ,記憶に残らない。(p229)
 来ないと損をするくらいの企画を,1センチ単位で積み上げないと,わざわざ来てもらえる空間にはならない。(p241)
 1500兆円と言われる日本の個人資産は,その7割を60才以上の人が持っていること。働いている人の7割弱(おおよそ3600万人)が年収400万円以下であること。(中略)だから,企画会社,あるいは企画マンとしては,昔のようにお客さんを一括りにしてはいけないと思う。(p244)
 年収が400万円以下である7割弱の人たちに申しあげたい。
 臆することはない。生活を楽しむのにお金は必須ではない。最近は特にその色合いが濃くなってきたと思う。
 だいたい,お金を使って得られる楽しみなんて,すぐに飽きてしまうものだ(たぶん)。

 本は蔦屋書店で買うことはない。たいていのものは図書館にある。借りて読めばよいのだ。今どき,所有にこだわるのはド真ん中のバカだろう。
 文字を書くのに10万円の万年筆は必要ない。千円ので充分すぎる。ぼくは愚かにも,若い頃に前者を使ってしまったことがあるのだが,かえって千円の万年筆の方が使い勝手が良かったりする。
 ノートは百円ショップにいいものがある。

 何と言っても,インターネットという無料で使える膨大な情報バンクがあるのだ。音楽の音源もたいていのものはネットに落ちている。落語を聴くのも,語学の勉強をするのも,ネットでタダでできるのだ(やろうと思えば)。コミュニケーションもタダだ。SNSは暇つぶしにも絶好の手段だ。
 そのためにも(スマホだけではなく)パソコンは買った方がよいと思う。中古で充分。2万円も出せば立派なのが手に入る。
 ちなみに,スマホも3大キャリアで使うのは,お金をドブに捨てるようなものだ。MVNOに限ることは言うまでもない。

  運動するのにお金を払ってジムに行くバカがどこにいる? 自転車を買えばいい。初期投資は10万円を超えるけれども,あとの維持費はタダ同然。
 できれば通勤も自転車にすれば,運動しながら実用になって,電車賃やガソリン代も浮かすことができるのだ。運動するのにお金は要らんのだよ。

  グルメはB級に限る。高級レストランに通って食味評論を語っていたやつが,じつは肉と形成肉の区別もつかないほどお粗末だったというのが,数年前の阪急ホテル事件で明らかになったではないか。
 そういう輩が,普段からいいものに接していないと一流はわかりませんよ,なんぞと言うのは笑止千万である。
 無農薬だの有機農法の米や野菜にこだわるのも,知性の欠如(あるいは,エビデンスの確認を怠る横着さ)に由来する。
 旨いものを安く食わせてくれる大衆食堂があなたの街にもあるはずだ。隣町まで視野に入れれば,必ずあると断言する。そういうところで食べればよいのだ。グルメにもお金はさほど要らないのだ。

 あとは見栄と横並び発想を捨てることだね。本人が望みもしないのに,子供をお稽古ごとや学習塾に行かせるなんてのは,自分の見栄から発するものだから,そういうことをやめること。もともと,何の効果もないんだから,そんなものに。
 自分のお金をドブに捨てるならまだしも,子供の時間をドブに捨てさせるのは,親といえども犯罪行為に近いのではないか。

 というわけで,年収は400万円もあれば充分だ。楽しい人生を謳歌できるはずだ。年収を増やすことよりも,方法論の改善が先ではないかと思うがいかがか。
 そして,最後に言う。年に400万円しかもらっていないのだから,仕事に身を捧げるのはほどほどにしておくこと。
 ぼくはそうしてきた(そうしてきてしまった)。
 人間には向上心がある。努力することも日本人は好き。だけど,戦略的に,自分の成長を仕掛ける工夫に欠ける。(p285)
 オフィスの整理は,アルバイトや,一般社員にはなかなか出来ない。大事かどうかの判断ができないから。(p293)
 もらった情報を自分なりに咀嚼したり,理解できるまで自分の手元に置きたがる社員がいたら,その間,周りの人は考える時間を奪われる。(p305)
 結果は原因によって生まれる。結果を求めても,結果は生まれない。(p306)
 今日も,たくさんの会議に出ていると,儲かるとか,会社のイメージをあげるとか,人が育つ,とか,何かを計算して決めていることが多いけれど,本当の決断というのは,答がないし,計算もない。えいや,の世界。(p312)
 新入社員の面接とは,会社に入りたい,と思う人を,偉い人が選ぶ,と思いがちだけれど,実は逆。新入社員は,いろんな会社を訪問し,自分の人生を賭ける会社を選んでいる。だから,会社が選んでいるようだけれど,実は選ばれている。(p314)
 結局、希望っていうやつは,そういう絶望の淵に立った人にだけ,見えるものかもしれない。恵まれた生活や,能力以上のことにチャレンジしていない人にとって,希望っていうのはあるんだろうか?(p368)
 親切にしなさい。あなたが会う人,全ては,厳しい戦いを戦っているのだから(p371)
 新しいことには,常に違和感を覚える。逆に,違和感を覚えないような生活や仕事は,進歩がない,ということかもしれない。(p375)
 企画するということは,違和感を受け入れることかもしれない。一生懸命,理解しようとすればするほど時間がかかり,いいものはできない。(p376)
 人や会社という主体は,存在そのものがメディアであり,メッセージを内包する時代になっていると思う。(p379)
 この鬱陶しさや,この行き場のない閉塞感こそが,新しい光の源泉だ(p383)
 音楽を楽しんでいるひとはうつ病になりにくいらしい。(中略)しかし,大人になって,自分で問題を解決できるようになると,音楽の価値は相対的に低くなるらしい。(p386)
 人は,自分のことがわからないことが多い。人を傷つけている人も,自分が人を傷つけている,とは思わない。(p399)
 「悲観は気分に属するが,楽観は,意思である」という言葉。(p408)

2017年7月29日土曜日

2017.07.29 小山薫堂 『人生食堂100軒』

書名 人生食堂100軒
著者 小山薫堂
発行所 プレジデント社
発行年月日 2009.11.16
価格(税別) 1,429円

● 小山さんが当代のグルメの一人であることには,どなたにも異論がないと思う。しかも,高見に昇って食を語るという感じではない。
 本書にもセブンイレブンや吉野家の話が出てくるけれども,旨さや食の快楽を幅広く拾える人っていう印象。

● 調理人に対する目線にも優しさが満ちている。もっとも,優しさを籠められないようなところは取りあげないだろうけどね。
 食もまた,自身との関わりを通して語るしかない。したがって,食を語ることは自分を語ることになる。その面でも,本書は面白い。つまり,小山さんは魅力的な人であると思える。

● 以下に転載。
 味覚を磨いてうまいものに辿り着く人生も幸せですが,それ以上に,何を食べてもうまいと思える人生のほうがもっと幸せだと思います。(p3)
 ソースはフランス料理の命と言ってもいいが,ソースが主役になることはない。しかし,日本のカレーライスの主役はソース。これほど素晴らしいソース料理はない。(ポール・ボキューズ p16)
 メニューを開発している時点でたとえ「100点満点の味」ができたとしても,それを実際の営業でそのまま再現することがこんなに難しいとは思わなかった。(中略)毎日同じ味をつくり上げる・・・・・・この最も単純で,最も大切なことが難しい。(p17)
 食事と人生にユーモアは欠かせない。(p19)
 吉野家は一人でふらりと入ってかき込むように食べるのが正しく,楽しい。さらに最近は牛丼以外のメニューもどんどんおいしくなっている。うますぎてずるいと思うくらいだ。(p20)
 青春の食欲に吉野家の牛丼は欠かせない。大人になり,人間として余裕ができたときに吉野家をどう楽しめるか,あるいはどう遊べるか。人生の幅は案外こんなところで広がるのかもしれない。(p21)
 レストランはおいしいだけでは感動はない。人をもてなすこともできない。心から楽しくなれるような空気感が大切なのだ。(p33)
 そこそこうまくて,毎日通っても疲れない,居心地のいいワイン居酒屋。うますぎて疲れるレストランが増えている今,こういう店は貴重だ。(p44)
 いつの間にか僕たちは(セブンイレブンの)店内で宴会を始めていた。飲み物とつまみは無限にある。ビールを買って飲み,レジの横でおでんを買ってつまむ。最後にはカップラーメンを食べた。こうしておよそ2時間,店員さんの身の上話なども聞きつつ,僕たちは店内で最高に楽しい時間を過ごしたのである。(p50)
 帰り際,客に「あぁ,おいしかった」と言わせる店は名店だと思う。「あぁ,楽しかった」と言わせる店は完璧なる名店だと思う。(p51)
 食べ手も楽しく食べるために努力しなければいけないのである。(p69)
 すっかり童心にかえった僕たちに徳岡さんが出してくれたのは,究極の卵かけご飯。吉兆が特別に取り寄せている卵,特別な醤油,削りたての鰹節,そして海苔をかけて食べる。世の中にこんなご馳走があったのかと驚くほど,それは贅沢で深かった。(p78)
 生きるとは,別の命を犠牲にすることであり,食べるとは,命のバトンタッチなのである。(p119)
 普通,旅館の食事はいかに見栄えをよくするか,足し算の論理が働く。しかし,井雪の朝食はまさに引き算の美。余計なものがない,不足がない,野心がない。簡潔にしてキレがある。(p164)

2017年7月28日金曜日

2017.07.28 茂木健一郎 『「超」東大脳』

書名 「超」東大脳
著者 茂木健一郎
発行所 PHP
発行年月日 2014.03.12
価格(税別) 1,300円

● このタイトルを付けたのは版元でしょうね。このタイトルの方が売れると踏んで。
 本書の内容は教育論。ひとつは大学入試をペーパーテストだけで決めることの愚かさを説く。もうひとつは,英語の必要性。英語で読み書きができないと,インターネット社会では大きく遅れを取るぞ,と。三番目が独学のすすめ。

● 以下に転載。
 問題は,グローバル化,IT化の進展によって,ほとんどすべての情報がリアルタイムで共有され,すごいスピードで進化しているということだ。(中略)そんな時代には,時間をかけて翻訳をする時間はない。学術情報の「リングァ・フランカ(共通言語)」である英語で思考し,新しい知の付加価値を生み出していかなくてはならない。それでこそ,世界に発信できる学問が可能になる。(p36)
 制度改革よりも大切なことがある。それは,ペーパーテストの点数の高い順番に合格させることが公正だと考える悪しき伝統から脱することだ。(p41)
 偏差値偏重は,別の問題も引き起こした。尾木さんはそれを,「農学部から文学部まで,全部の学部がフラットになってしまった」と表現している。「自分は何をしたいのか」「この学部はどんなカリキュラムか」「教授陣はどうか」といった基準よりも,偏差値の高低で学部が選ばれるようになったのである。(p47)
 個性は,点数化も偏差値化もできない。だから多様性,可能性があり,重要であるのだ。(p55)
 ピーター・F・ドラッカーは,「歴史の本には,学校の成績は優秀だが,人生では何もできなかった人たちのことは出てこない」と言っている。(p56)
 たまたまペーパーテストの点数がよくて,「偏差値の壁」に隔てられた「高偏差値側」に行った人間は,自分は優秀だという思い込みの上にあぐらをかいて努力を怠りがちになり,壁のない自由な国の人間に負けてしまう。たまたま「低偏差値側」に行った人間は,自分はダメだという劣等感から才能を伸び伸びと開花できず,こちらも自由な国の人間に負けてしまう。お互いに大きな損ではないだろうか。(p58)
 コンピュータの理論的原型をつくったイギリスの天才数学者アラン・チューリングは若き日,教室で何かの説明を受けている時,ほかの学生たちが納得した顔をしている中で,1人だけ当惑した顔をしていたという。私はこのなにげない話に,チューリングの天才性が感じられて仕方がない。(p64)
 新しいものが出る時は,多くの人から「そんなのムリだ」と言われるものだ。その声にとらわれずに前に進む人が創造性を発揮することになる。(p68)
 「これが正解だ」と教えられて,それを鵜呑みにするのは二流の知性にすぎない。本物の知性は,前提とされていることを疑う。(中略)こうした苛烈とも見える知性と態度こそが,イノベーションには不可欠である。(p69)
 学問の区分にこだわる愚かさは,スティーブ・ジョブズがはっきりと教えている。ビル・ゲイツとの対談の中で,「なぜアップルは成功しているのか?」と質問され,ジョブズは,こう答えている。「われわれは科学技術とリベラルアーツ,常にその交差点にあろうとしたからだ」(p81)
 ジョブズは,コンピュータやインターネットといった最先端技術の現場にあって,人間に寄り添う芸術的な完璧さを追求した。とかくデータ処理の道具になりがちなIT機器を,使いやすくデザインされた美しい作品に仕上げた。(中略)ジョブズにとってパソコンは「安くて,いい道具」以上のものだった。(p81)
 (ジョブズは)のちに「創造性とは?」と聞かれ,「ものごとを結びつけることにすぎない」と答えている。そして,創造的な人間はたくさんのことを経験して,つなぎ合わせる点をたくさん持っているが,こうした点をあまり持たない人には創造的な仕事は難しいと断じている。(p83)
 日本人がたくましい知性をみにつけるために,ぜひとも必要な要素が,偏差値からの脱出や英語の習得とは別に,もう1つある。それは,自分たちは世界に影響を与えるアイデアや思想の発信者になれると信じることである。少なくとも、その可能性を疑わないことだ。(p84)
 アインシュタインはただひたすらに物理だけをやっていたのかというと,そうではない。時間の多くを研究に割いていた一方で,ロシアの文豪ドストエフスキーの小説や,イギリスの代表的作家シェークスピアの悲劇と喜劇,ドイツの詩人ハイネの詩集,カントの哲学書といった古典に親しんでいた。(中略)また,自らバイオリンを演奏するほど音楽への造詣も深かった。(p86)
 先進的な富裕層は,もう日本の教育を相手にしていないのだ。日本の学校へ行かせることなど,ハナから考えていない。とうに日本離れが始まっている。そこまで教育の惨状は進んでいるのである。結局,今でも子どもを進学校へ行かせ,できれば東大に進ませたいと願うのは,いわゆる一般的な市民層に限定されつつあるのだ。(p90)
 2011年に日本人で初めてMITメディアラボの所長になった伊藤穣一さんに,「ハーバードはどう?」と聞いたことがある。返ってきたのは「ハーバードなんて終わりだよ。あんな大学,何もつくらないし,しゃべっているだけだから」という答えだった。伊藤さんは「ユニーク,インパクト,マジック(驚異)」を標榜するクリエイティブな人間だ。その彼から見れば,ハーバードでさえ評価はこうなる。(p96)
 合計点では合格にわずかに届かないが,英語だけ,数学だけの点数が合格者よりずっと高いとか,ある科目だけは満点に近い点数を取っているといった学生を,合格点だけで振るい落とすのは愚かなことだ。(p101)
 今では,ネット上で,論文や古典的文献など,多くの学術情報が簡単に手に入る。しかも,多くの場合は無料だ。いわば,独学者の時代となったのだ。もはや大学の唯一の役割は,「もったいぶること」だと冗談を言いたくもなる。(p109)
 独学者に注意すべきことがあるとすれば,独善的になったり,変な癖がつかないようにすることだ。各分野における標準的な体系は何なのかという知識は身につけておいたほうがよい。その点で大学のカリキュラムは参考になる。(p111)
 グローバル化時代は,世界中からの才能の獲得競争時代でもある。すぐれた才能をいかに発掘し,迎え入れるか。そこで大学や企業の優位性が決まってくる。だから,各大学はこうしたネットの無償講座に力を入れている。その意味では,オープンコースウェアは過酷な世界でもある。 中にはハーバード大学のマイケル・サンデルの授業のようなよくできているものもあるが,つまらない授業だってたくさんある。ネットで比較するのは,商品の価格ばかりではない。知の世界においても,いいものと,そうでないものを簡単に比べることができる。(p120)
 アメリカのアイビーリーグの学生は,卒業するまでに本を平均して500~600冊くらい読むという。私自身も,大学ではそのくらいの冊数を読まないと学問には追いつけないという感覚を持っている。だが,残念ながら日本の学生はそういう体力を持ち合わせていない。私は早稲田大学の国際教養学部で教えているが,ある時,すごく厚い専門書を「読むといいよ」と紹介したところ,次の週までに読んできたのは日本人の女の子1人だけだった。(中略)その子はスイスの寄宿舎学校の出身だった。(p128)
 西欧の概念をみごとに日本語化した和製漢語の豊穣さは,翻訳文化の優秀さを示してあまりある。それは私たちの誇りでもある。しかし一方で,翻訳文化の優越は,日本人が英語で世界のクリエイティブ・クラスと直接やりとりすることを妨げてもきた。(p137)
 人は忙しすぎると新しい何かを考える余裕をなくす。また,しばしば仕事と無関係のことに熱中している時にひらめきは訪れる。創造性をはぐくむ上でも,受験勉強はほどほどにして,大好きな何かに没頭する時間を持つといい。(p177)
 採用ひとつとっても,世界を相手にビジネスを展開する企業が欲しいのは「才能」であって,必ずしも「日本人」である必要は何もない。(p187)
 スティーブ・ジョブズがいつも心がけていたのは,Aクラスの人間だけでチームをつくることだった。そのためには国籍なんかどうでもいいというのがグローバル企業の考え方だ。(p188)

2017年7月27日木曜日

2017.07.27 茂木健一郎 『もっと結果を出せる人になる! 「ポジティブ脳」のつかいかた』

書名 もっと結果を出せる人になる! 「ポジティブ脳」のつかいかた
著者 茂木健一郎
発行所 学研プラス
発行年月日 2016.05.03
価格(税別) 1,300円

● 茂木さんの一般書というか啓発書というか,だいぶ読んできた。どんどん出すから読んでも読んでもきりがない。
 茂木さんは言いたいことが次から次へと出てくるんだろうし,読者(ぼくもその一人であるわけだが)もそれを求めている。ので,出れば買ってしまう。

● このやり方っていうのは,中谷彰宏さんと同じですか。茂木さんの場合は,中谷さんほど意識的ではないと思うんだけど。
 まず,固定読者を作って,あとはその固定読者に向けて,次々に本を出す。出せば一定の販売数が見込めるから,出版社も安心だ。
 世相の移り変わりとともに,話材はいくらでも出てくるから,ネタが枯れることはない。

● けど,ぼくが言っちゃいけないんだけど,読者のレベルはあまり高くないと思われる。読んでもぜんぜん変われない人たち。変われないから次々に同じ本を読む。
 結局,出版に限らず,本であれ装飾品であれ文具であれ洋服であれ,愚かな大衆が市場を支えているんでしょうね。
 重ねて言うけど,こういうことを愚かな大衆のひとりであるぼくが言っちゃいけないんだよ。

● 以下にいくつか転載。
 なぜ,こうした“前向きな考え方”がニセモノ・ポジティブなのかをご説明しましょう。 なぜなら“前向きな考え方”とは,脳のエネルギーを消費して,行動するためのエネルギーを消耗させてしまいがちな存在だからです。(中略)脳活動のエネルギーには限りがあります。無理やりに前向きな考え方や,非現実的ともいえるほど壮大な空想で脳を高揚させてばかりいると,脳が本来やるべきことにつかうエネルギーがどんどんなくなっていくのです。(p4)
 行動に結びつくポジティブのキーワードは「身体性」です。(中略)「ポジティブでいよう」などと頭で考えなくても,仕事や勉強でまず先に体を動かす習慣を持っている人は,その時点で「ポジティブ脳」が発揮できているといえます。(p28)
 「私,考えすぎてしまって,動けないんです・・・・・・」 こんな悩みを持つ人も多いようですが,(中略)そういった人は「動かないで済ます」という目的のために,無理やりに考えてばかりいる,ということなのです。(p31)
 まずは動く。そうすると,あとからそこに気持ちがついてくる・・・・・・。どうか軽い気持ちでやってみてください。(p32)
 目の前のことを「良い」とも「悪い」ともとらえずに,ただ淡々と「今,ここ」に集中する。そしてそれを,毎日わずかでもいいから続ける。これって「あの人たちだからできたこと」でしょうか? 違いますよね。(p42)
 ネガティブな性格でさえも,「良い」「悪い」ではなく,“フラット”に考えるのが「ポジティブ脳」のつかい方です。(p43)
 退屈とはネガティブな感情だと思いますよね。けれどもこの退屈は,新しいものを欲している「好奇心に満ちた状態」ともとらえることができるわけです。(中略)人間は,ネガティブな感情が強いほど,ポジティブな感情も強くなる。それさえわかっていれば,この二つの反発をうまく利用することで,簡単に,大きな変化を起こすことができます。(p45)
 たとえ世間からは評価されなくても,「とにかく私はなぜかこれが気になる」,あるいは「なぜか好きで仕方がない」というものを見つけてください。それを掘り下げていけば,一生分楽しいことがある。そういう視点を見つけることが重要だといえます。(p63)
 現状でストレスを感じているという人は,ある意味では自分の中に基準が持てていない人ともいいかえることができるのです。特に,真面目で優等生の人ほど「自分の外」に基準がある場合が多いでしょう。(p69)
 ひとつの組織の中で出世しようと頑張ることは,脳のエネルギーの振り分け方が,一極集中となりすぎるのです。(p69)
 もともと,脳は「まったく別のこと」をすることでリラックスします。違う世界の人と知り合いになり,自分の環境を相対化することで,ちょっとした発想の転換が生まれやすくなります。(p77)
 一八〇度違う“逆方向”に向かうことは,結局は同じ軌道上ということになり,脳の気分転換にはあまり適していません。それよりも,九〇度,つまり直角に曲がって「別方向」へと向かったほうが,いい気分転換になるのです。(p79)
 意外なことに人間は,気分転換のために休憩を取ることが苦手です。(p79)
 コスプレとはもともと,アニメファンのみなさんが始めた活動で,マンガやアニメの登場人物にそっくりなコスチュームやメイクで「なりきり」を楽しむこと。(中略)それほどまでに「なりきり」は,人間の脳に快感を引き起こすアクションだということもできるでしょう。じつをいうと,これは「ごっこ遊び」,英語では「pretend play」と呼ばれ,脳の前頭葉の働きからいっても非常に高度な作業なのです。これを,プロとして仕事でやっているのが役者さんです。(p84)
 自分のキャラクターを「ひとつの人格でなければいけない」と考えてしまうからこそ,余計なストレスが発生してくるのです。(p87)
 あまり好きではないルーティンワークと,大好きなクリエイティブワークがあったとします。あなたなら,どちらを先に片付けますか? 私なら,雑用を中心としたルーティンワークをなるべう前倒しでやってから,大好きなクリエイティブワークにかかります。なぜなら,大好きなクリエイティブワークをやっているときに,好きではないルーティンワークのことが気になると,楽しくないからです。(p92)
 人々の印象に強烈に残っている人とはどんな人かと考えてみると,弱点と長所がとても素直に,あからさまに出ている人ではないでしょうか。(p96)
 今では世界中のほとんどすべての地域がインターネットでつながっていて,どんな情報でもあっという間に伝わってしまうような時代です。そこでは玉石混淆の情報が入り乱れていますが,単なる「普通の情報」は見向きもされません。企業でも個人でも,人にプラスの関心を与えるためには,オリジナリティ,つまり,どこがほかと違うのか,どこがほかより強いのかという情報でアピールする必要があります。(p101)
 オリジナリティとは,不要なものを捨て去ったあとに残る「自分の核」と考えてよいと思います。(中略)つまり,最も捨てなければいけないものとは「優等生になろうとしている自分」なのです。(p104)
 「自分らしさ」という個性を受け入れられるかどうかが,「ポジティブ脳」を手に入れるための大きなカギになってくるでしょう。(p121)
 ビジネスパーソンの方々を見ていると,どうも上司や他人の目を,必要以上に気にしながら仕事をしている人が多いように感じます。(中略) 組織や世間と自分がズレていて,自分が少数派だと感じたときは,それが「自分の個性を磨くチャンス」なのだ(p126)
 子どもはごく自然に,友だちの「すごいこと」に感動します。批判したり,ねたんだりすることはほとんどありません。(中略)ほめるという行為は,相手ばかりではなく自分の自尊心さえも高めてくれるのです。(p134)
 何かに対して,自分自身が真剣に努力しているときに,人の評価を気にするのはナンセンスであり,もったいないことではないでしょうか。なぜならそれは,その時点ですでに,自分が目の前のことに集中していない証拠だからです。(p138)
 自分が今どう思っているのか,そして本当はどのように行動すべきなのか。その冷静な見極めができるようになると,自分のやるべきことがどんどん明確化されていくはずです。そこに,「やる気」などはまったく必要ありません。やる気が必要だと感じてしまうのは,自分との対話をせずに,感情ばかりが空回りしている状態。つまり,自分の動きが止まっているときに発せられるネガティブな心理状態に過ぎないのです。(p169)
 いわゆる秀才と呼ばれる人たちは,頭がいい,賢い,お金持ちである,容姿がいいといった基準を捨てられず,結果としてそこから外れてしまったとき,とても苦しんでしまうのです。私たちは,そうした「正解」を捨てて,心の自由を持っておきたいものですね。そうすれば,どんな苦境におちいっても落ち込むことがありません。(p177)
 結果を求めないほうが,かえって「大きな結果」がついてくる。この事実を,必要以上に難しく考えることはないのです。ただリラックスして平然と「今,ここ」に集中する。それが「ポジティブ脳」のつかい方の基本なのです。(p183)
 その方が話す英語は,なまりが強すぎて英語が母国語の人でもわからないほどのものでした。けれどもその方は,そんなことはまったく気にせず,堂々と自分の夢や将来の計画を語り,それは堂々とスピーチをしていたのです。 彼はどうして,そんなふうに堂々とふるまうことができたのでしょうか。もちろん国民性もあったと思いますが,私はそれ以上に「彼にはどうしても伝えたいことがあった」からだと思うのです。ところが,日本人にはそのような「伝えたいことに対する情熱」が少しばかり欠けているような気がしています。(p195)

2017.07.27 松浦弥太郎 『ほんとうの味方のつくりかた』

書名 ほんとうの味方のつくりかた
著者 松浦弥太郎
発行所 筑摩書房
発行年月日 2014.03.25
価格(税別) 1,300円

● 引き続き,松浦さんの“人生読本”。

● 以下にいくつか転載。名言集を作っているようなものだな。
 今,僕がいちばん怖いと考えているのは,収入の格差などではなくて,知識や情報,意識の格差です。たとえば,じつは自分の時間やお金や人生が,何らかの見えない形で,この社会に搾取されているかもしれないのに,「そんなこと私には関係ない」「わからない」「今のままでいいのです」と言っている人が意外に多いことを、もっとみんな考えてもよいのではないかと思います。(p19)
 ノートに貯まっていくのは,感動したことと嫌だったことのどちらかである,ということがわかりました。要するに,うれしかったこととうれしくなかったことしか覚えていないということです。(p38)
 自分が好きでもないのに,相手に自分を好きになってくれというのはおかしな話です。(中略)何でも好きになろうという姿勢がないかぎり,関係性というものは生まれません。(p49)
 素直になるために僕が気をつけているのは,まず人の話を聞くときは,相手のすべてを信じることです。ですから多くの人が口ぐせにしている,「何で?」とは聞きません。(p50)
 世の中の人はみな忙しいですから,「あそこにおいしい店ができたよ」と言っても,「ああ,そうなんだ」でおしまいです。たいていの人は,確かめません。でも成功している人は違うのです。できるだけすぐにきちんと自分で確かめるのです。(p51)
 ダメなところを直す方法ではなくて,人にはダメなところをカバーするための得意な能力というのが,絶対に存在するのです。いわゆる人の長所というのは,じつはそれなのだと思います。(中略)短所は直りません。死ぬほどの思いをしたなどとトラウマになるようなことがあれば直ることもあるかもしれませんが,短所は直らないものです。と言うよりも,直す必要がないのです。それがあっての長所だからです。(p55)
 人は第一印象をとても大事にするもので,たいていの場合,目の前に見えているものを信じて判断します。(中略)つまり残念ながら,真面目や一生懸命さがあっても,服装という見た目がだらしなくては,なかなかそれが伝わらないのです。(p64)
 あるとき尊敬している年上の女性が,「女の人をきれいにする秘訣は何ですか?」という質問に応えて,こうおっしゃっていました。「どんなに体型が悪くても,顔の造りが悪くても,女の人は髪型です。髪型と髪の手入れをして,きれいな髪できちんとしていたら,みんなきれいに見えますよ」。(p66)
 僕は礼儀作法とマナーというのは,自分を助ける奇跡を起こす魔法の一つだと考えています。そのくらい大切なことだと思うのです。(p69)
 相手の心に届くお礼をするためには,筆まめであることです。筆まめというのは福を呼びます。何かをいただいたら,必ず,その日のうちにお礼状をかく(中略)お礼状というのは一日過ぎてしまったら,もう送るチャンスはないのと同じです。(p71)
 チャンスというのは改まった場ではなくて,日常のなかに現れるものなのです。(p74)
 時間について僕がとても大切にしているのは,なによりメリハリをつけるということです。(中略)一日中,全力で走るわけにはいかないのが現実です。(p77)
 いちばんいけない時間の使い方は「なりゆきまかせ」です。なりゆきまかせにしていると,結果として「やらされている」という犠牲者精神が生まれると思います。(p78)
 時間という友達をきちんと管理しておくために,僕は食事の時間をしっかり決めています。(中略)食事なんて,空いている時間にさっと食べればよいと考えている人に限って,仕事のしかたもだらしなくなりがちに思えます。(p79)
 自分の時給を算出してみて,僕は少なくともその三倍は会社の数字に貢献したいけれど,そのためにはどうしたらよいか,と考えます。働くならば,そのくらい会社に貢献したいと思って仕事をしなければ,仕事の面白みがないとも言えるでしょう。(p81)
 あなた自身がお金を好きにならないと,お金もあなたを好きになってくれません。お金を好きになるというのは,お金を深く学ぶということで,これは人を好きになるのと同じです。(p86)
 浪費というのは人間にとって必要なものだと僕は思っているからです。(中略)人間はストイックになりすぎると,人としてのやわらかい部分を失っていくものです。(p87)
 知識とは,自分で経験したり,考えたり,発見して得るものであって,本来,少人数のためのものであるはずなのに,その知識がはなから多数派に向かって放たれているというのは,考えたり,発見するという人間としての生きる喜びを一つ手放すようなことではないだろうか,と思います。(p94)
 道具とは自分の行為の機能を助けるためのものですから,えんぴつ一本にしても,自分で選んで,日々手入れをします。ですから僕の場合,道具はむやみには増やしませんし,日々生かされないものは自分の道具として選びません。(p95)
 現代は情報化社会ですから,電車に乗っても,街を歩いても,どこにでも憶測という名の情報が溢れています。(中略)でもそれを正しくて真実だと思っていると,とんでもないことになります。何でも知っている人になってしまうと,一見,知的で豊かに見えますが,その人の人生は先細りしてしまうような気がします。(p97)
 自分自身で考えることなしでは,本や人が教えてくれることは自分の身にはつきません。(p102)
 人は楽しそうにしている人のところに集まるものです。楽しんでいる人のことが気になるものです。なぜなら,自分もそれに影響されたいからです。(中略)人が集まるということは情報も集まります。(p103)
 かわいげや愛嬌というものは,弱さやかっこ悪さや愚かさなど,そういうことを受け入れ,愛することから始まるのだと思います。強くなければいけないとか,賢くなければいけない--そのような考え方は,逆に自分をとても不自由にします。(p104)
 かわいげや愛嬌というのは,いろんなものと関係を持つための接着剤のようなものかもしれません。からからに乾いた人になってしまうと,なかなか人とくっつくことができないものです。(p104)
 面白さというのは何なのでしょう。僕は「ヘン」ということではないかと思っています。ヘンなことは面白いのです。ヘンだから面白い。(中略)なぜなら人はヘンなものしか好きになりませんから。あたかも正しいことを心から好きになったりすることはないのです。(p105)
 家庭料理とは,外でお金を出しても食べられないものです。(中略)家庭料理に技術はいりません。必要なのは知恵と愛情です(p118)
 自分を嫌いな人たちや自分を批判している人たちに対して,僕がこうしようと決めていることは,とにかく「認める」ということです。無視をしないことです。なかなかできそうでできないことですが,それが大事なのです。敵だった人が何かの拍子に「味方」になる体験はみなさんにもあると思います。(中略)そのためには、まず僕自身が心を閉じないということです。(p138)
 どんな方法で何をしようとしても,自分が一途であるというのは,大きな力になり得るという気がします。(p140)
 楽しさは人が与えてくれるものではありません。自分の工夫によって生まれるものです。(p145)
 完成一歩手前でも一からやり直すことができる勇気と柔軟性と気力を持っているかどうかということなのだとも思います。仕事において,もしもあなたが一歩でも前に出たいのであれば,それしかないというのが僕の実感です。(p145)
 底力とはいったい何でしょうか。僕は,日々の仕事における当事者意識なのだと思っています。自分のことだと感じられるか感じられないかということです。当事者意識を持って仕事をしないかぎり,よい仕事はできないでしょうし,よい仕事につきものの高いリスクも背負えないものです。(p146)
 運を味方にするために,僕には勝手に決めている条件というのがあります。まずは自分が「健康で元気であること」,「笑顔を絶やさないこと」,それから,「何事からも逃げないこと」です。とくに最後の,「逃げないこと」は大切で,物事から逃げると運は確実になくなります。逃げるよりも,むしろもがくことをすすめたいです。(p152)
 もう一つ,運を味方にする条件があるとするなら,それは,「人のせいにしない」ということです。よいことも悪いことも,すべて自分が原因だと考えることです。(p154)

2017年7月25日火曜日

2017.07.25 松浦弥太郎 『ベリーベリーグッド』

書名 ベリーベリーグッド
著者 松浦弥太郎
発行所 小学館
発行年月日 2015.12.06
価格(税別) 1,300円

● 仕事に対する構え,暮らしに対する構え。これを話材にして,松浦さんはかなりの数の著書を出している。当然,内容は重複するはずだけれども,そのことをあまり感じさせないのは不思議だ。
 ひょっとすると,重複はないのか。って,そんなことはないだろう。読む側の忘却効果もあるんだろうけど。

● 本書も新鮮な気分で読めた。以下にいくつか転載。
 手紙の目的とは,相手に喜んでもらうこと。嬉しくなってもらうこと。(p10)
 「料理で覚えるべきことは,技や知識ではなく,愛情の表現です」と教えてくれたのは,料理家のウー・ウェンさんだ。(p23)
 ロンドンにいれば素晴らしいアイデアが生まれるのか,ニューヨークにいれば斬新なアイデアが生まれるのか,それは迷信のようなことで,どこで何をしていようとも,アイデアとは,過去の記憶から発掘するようなもの。(中略)すなわち,アイデアとは思い出すものである。となると,人生において,どれだけ多くの実体験と経験を記憶しているのかが大切と言えよう。(p38)
 僕は彼女にこう言った。二年間も暮らしていれば,あなたしか知らない真実や物語が,きっとたくさんあるはず。なぜそれを書かないのかと。一線を超えて,あなたが心を開かない限り、何を書いても僕は信用できないとも。そう,文章を書くという行為はつらいこと。つらいけれど,書きたいことがあるというのが物書きなのだ。(p41)
 旅をしているのに,一人きりの時間をいつもと同じように過ごしているだけ。こういう旅が僕は好き。(p51)
 僕にとって旅先の朝食くらい楽しみなことはない。(p53)
 その朝食屋には毎日通う。浮気はしない。これが大事。(中略)毎朝,通える朝食屋が見つかると,旅に暮らしが加わる。旅に暮らしが加わると友だちができる。(p54)
 コミュニケーションにおいて,人は皆,常に自分との同意見を他人に求めている(p80)
 料理は,味や見た目よりも,食べやすさがもっと大切なんです(p83)
 何かを変えたければ,まずは先に自分を変えること。賢者の言葉だ。(p113)
 自分のからだが,不摂生のためにだらしなく太っていたりしていたら,勝負服も生かされないと思うのです。(中略)すてきな服というのは,すてきなからだでなければ,すてきに感じられないからです。(p119)
 見た目の勝負というのは,いざという時,裸になって立ち姿で勝てるかというのがほんとうのような気がする。(p120)
 ぱっと見では見えない,かくれているきらきらした輝きを,いかによく見て発見するかである。すてきなことや美しいことはそうやって見つけるものだと思っている。(p125)
 幸運とは,いつも誰かという人が運んできてくれるもので,自分一人で手にできるものではないということだ。幸運とは,拾うものではなく,必ず誰かが手渡してくれるもの。(p131)
 時たま練習するのは足し算にしかならないが,ちょっとでもいいから毎日続けていると成長は掛け算になるという言葉を僕は信じ続けた。(p141)
 「私には人より優れているところなんて何もありませんよ」と言う人であっても,少し一緒にいれば,すぐに「ここですよ」と見つけることができる自信が,僕にはある。(p148)
 本来,どんなことにも,それなりに要する「ちょうどいい時間」があり,「ちょうどいい時間」から生まれる,喜びや楽しさ,美しさ,クオリティというものを,忙しさを理由に手離してしまってはいけないと僕は思うんだ。絶対に。(p153)
 人は人を愛することによって,ほんとうの意味で自分を愛することができる。そんな仕事であってもその先には必ず人がいる。その人が,人に愛される人になるために,自分に何ができるのか。(p159)
 落ち込んだ時は,行けるところまで,とことん落ち込めばいい。そこに次のステップへの扉の発見があるのだから。我慢した中途半端な落ち込みよりも,どこかをつかんでいる手をぱっと離して,とことん落ち込んでみる。(p174)

2017年7月23日日曜日

2017.07.23 pha 『持たない幸福論』

書名 持たない幸福論
著者 pha
発行所 幻冬舎
発行年月日 2015.05.25
価格(税別) 1,200円

● 副題は「働きたくない,家族を作らない,お金に縛られない」。
 この本の特徴は,見切りの小気味良さに尽きる。仕事とは,人生とは,人間とは,社会とは,こんなものだという見切り。

● 理屈をいくらつないでも見切りに至る道は整わないわけだから,断層をエイヤッと飛び越える跳躍がある。決断と言い換えても同じこと。要は,その小気味良さ。
 すべてを見切った哲人の趣がある。

● phaさんと堀江貴文さんって,真逆の生き方を行っているようだけれど,背骨のあり方はとても似ているような気がする。
 この二人,会えばウマが合うんじゃないだろうか。

● 以下にいくつか転載。
 周りにいる人たちとの生活だけでそれほど違和感を覚えないのならわざわざ本を読む必要はないけれど,自分の考えていることを分かってくれる人が周りにいないようなとき,遠くにいる顔も知らない誰かが書いた文字列が自分を支えてくれることがある。(p18)
 眠りたいときに十分に眠れない生活は,なんか生き物としてちょっと間違っている気がする。(p24)
 みんな何もせずぼーっとしているのが苦手だから,何か意味のありそうなことを見つけてやって時間を潰しているだけ,ということが世の中には多い気がするのだ。(p27)
 人は体力が余っているとなんか体がウズウズしてそれを発散したくなって,何かをやらなきゃいけないような気になってしまう。結局なんでもいいから動き回って体力を消耗させて,ちょっと何かをやった気分になれればそれで満足するものだ。年をとるとだんだん体力がなくなってくるから,そんなに行動しなくてもすぐに疲れて「もういいや」って気分になる。僕は人より体力がないので,そういうのに気づくのが人より早かったというだけなんだと思う。(p29)
 人間が人生で成し遂げられることなんて,頑張っても頑張らなくてもあまり大差はない。(p32)
 「本当にやらなければいけないこと」というのは存在しなくて,ただの幻想にすぎない。人間は何かをやっていないと気が狂う生き物だから,そういうのがあると思いたいだけだ。(p35)
 物はできるだけ持たないようにしている。持っている物が多ければ多いほど,いろいろと身動きがしづらくなったり思考が狭められたりして,人生の面白さが減るような気がするからだ。(p36)
 「人間に自由意思はあるのか?」「全ての問題は決定されているのか?」というトピックが昔から激しく議論されてきたという事実から分かることが一つだけある。それは,「人間は自分に自由意思がないということに耐えられない」ということだ。(p46)
 「宇宙から見ればどうでもいい」という言葉を僕はよく思い出すようにしている。(p68)
 全てに意味がないということは,全てに意味があるのと同じことだ。意味のない全ての中から自分の好きなものに意味を持たせればいい。世界の全てはそういう主観でしかない。(p69)
 結婚とか家族とかいう仕組みは,若干今の時代に合っていないというか,少し効力が切れてきているんじゃないかということも思う。(中略)「結婚」や「家族」というパッケージはすごく多機能で包括的だ。(中略)そんなに多くの機能を「結婚」と「家族」という一つの仕組みだけで全部満たしていこうとするのは無理があるのだと思う。(p74)
 「介護保険なんかを導入すると日本の家族はお互い支え合う心を持たなくなって崩壊する」という批判も当時はあったらしい。だけど二〇〇〇年に介護保険制度が施行されたことによって家族が崩壊したかというとそんなことはなくて,むしろ「それが家族の崩壊を救った」と上野(千鶴子)さんは言っている。(p102)
 会社の仕事よりも日常生活のほうが面白い(中略)日常生活の中でやりたいことや面白いことはたくさんあるし,どっちかというとお金よりも時間のほうがやりたいことを全部やるにはたりない,だから仕事とかしている暇はない,というのが僕の実感だ。(p110)
 お金をかけずに生活を楽しむコツというのは一度身に付ければ一生残る資産だ。(中略)個人的には読書と料理が特にお勧めです。(p119)
 他人と自分を比べるということはあまり意味がないと思うのだ。僕は,自分と自分以外の人間とは,イヌとかネコとかヤギみたいに違う生き物だと思っている。(p120)
 お金をかけないことのメリットは,お金に追われないということだ。お金をたくさんかけるとどうしても資本主義のスピードに巻き込まれてしまって,お金や時間に追われてしまうようになる。(p132)
 ドワンゴという会社を創業した川上量生さんが「経営者は善人だと務まらないから,起業すると性格が悪くなる。だから起業は勧めない」とよく言っている。(p136)
 合わない人同士が近くにいてもお互いにイライラするだけで不毛だから,無理に近くにいる必要はない。最近はインターネットの世界でも,「いかに人と繋がるか」よりも「いかに苦手な人と繋がらないか」という機能が重視されつつある。(p156)
 人を集めるのに特別なスキルは必要ないし,お金をかけなくてもできる。人はみんな集まりたがっているものだから,何か集まるための口実を適当に設けてやればそれでいい。(p163)
● 読書と料理をわがものにしていれば,お金をかけないで楽しく時間を過ごせると言ってるわけだが,本書に紹介されているのは,以下のとおり。たしかに,本格的な読書家という趣あり。

 本田由紀『社会を結びなおす』(岩波ブックレット)
 カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫)
 見田宗介『宮沢賢治』(岩波現代文庫)
 岩明均『寄生獣』(講談社)
 グレッグ・イーガン『しあわせの理由』(ハヤカワ文庫)

 信田さよ子『母が重くてたまらない』(春秋社)
 上野千鶴子・信田さよ子『結婚帝国』(河出文庫)
 上野千鶴子・古市憲寿『上野先生,勝手に死なれちゃ困ります』(光文社新書)
 近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』(サンマーク出版)
 養老孟司『養老孟司の旅する脳』(小学館)

 宮本常一『生きていく民俗』(河出文庫)
 ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(草思社文庫)
 湯浅誠『反貧困』(岩波新書)

2017年7月21日金曜日

2017.07.21 松浦弥太郎 『僕の好きな男のタイプ』

書名 僕の好きな男のタイプ
著者 松浦弥太郎
発行所 講談社
発行年月日 2014.11.27
価格(税別) 1,300円

● 引き続き,松浦さんのエッセイを読んでいく。何とかマネをしたいというのではなく,一服の清涼剤を服用するという感じ。

● 読書はそれでいいと思っている。1冊の本との出会いが自分を変えた的なことは,少年期を含めてもそうそうはないだろう。滅多にないことだから,あるとそれ自体が本になったりするのだ。
 ましてや,大人が本で変われるなんて,ぼくには信じることができない。

● 以下にいくつか転載。
 人間というのは言葉でいくらでも酔える動物です。それなりのスキンシップや,それなりの言葉や,態度による愛情表現はなくてはならないと思います。(p17)
 一人で生きていけない人が,人と一緒に何かできるはずがありません。一人でいられない人が,二人でいられるはずもないのです。(p22)
 ルールなんていらない。ルールだからやるのではなく,自ら気づいてやりたい。(p33)
 偶然は,目的をもたない人に訪れない。(p52)
 旅というと,「自由で何でもあり!」という雰囲気を感じてしまう人もいるかもしれませんが,その刹那が楽しいだけで,何も残らなかったりします。(中略)観光というのは飽きるもの。遊園地のアトラクションを順番にこなすように,つくられたお楽しみをクリアしていくだけ。(p53)
 避けるべきは働くのが嫌いな男。働くのが嫌いな人は,他人に興味がありません。なぜなら働くというのは,社会のため,人のためになること。仕事とは,その先にいる人を喜ばせるために,自分を役立てることです。(p62)
 友人の女性に「どういう男性がタイプですか?」と(中略)聞くと,「才能のある男性が好き」と即答しました。「何かひとつでいいから,私が絶対かなわないと思う才能のある人がいいな。私はそういう人を尊敬する」と話を続けました。(p68)
 「この人にはかなわない」と痛烈に感じる瞬間。それは「相手は本気だ」と感じたときです。どんなことがあろうと,どんな場面であろうと,本気の人が勝ちます。(p74)
 世の中は,二つのタイプに分かれます。量を欲しがる人と,質を求める人。人間関係ですらこれは同じです。(中略)人間関係において質を求めるなら,大切なのは個であることです。孤独というのは,人が生きていく絶対条件だと僕は考えています。(p76)
 人にいばるすてきな大人を,僕は見たことがありません。(p82)
 何でも知っているけれど,知らないふりをする。これぞ,ダンディズムに通じる男のあり方だと思います。(中略)自分が知っているつもりでも,実はたいして知らない。知っていても,さらに深いところがある。(p84)
 個人的で小さなことにとらわれていると,大きなことはできない。自分のプライドなんて後まわし,最優先することじゃない。(p89)
 家族からも仕事からも切り離された一人の人間として,やりたいことがある。これはなんとも素晴らしいことだし,野心がある人は個を保っているので,生活感がにじみ出てこないのではないでしょうか。(p99)
 真面目なだけの男はつまらないものですが,真面目に欲が加わった男は人をひきつける魅力をもちます。なぜなら,欲というのは,命に直接つながった部分。おいしいもの,美しいもの,どきどきするものに欲を抱くのが人間です。(p102)
 世の中のすべては,人を助け,人の役に立つことで成り立っています。(p108)
 客である自分のほうから挨拶するのです。スーパーマーケットでもコンビニエンスストアでも,お店の人が言う前に「ありがとうございます」と頭を下げる。そうすると相手は和らぎ,自分は豊かになっていきます。(p118)
 僕は一生懸命聞き,心から感動してしまいました。もともと僕は質問魔なのでどんどん質問し,面白ければ「面白い,面白い!」と手を叩いて笑うほど。やがてその紳士は,こうおっしゃいました。「君は聞き上手だから,嬉しくてどんどん話してしまうよ。みんな,仕事の指示は真剣に聞くけれど,普通の話をこんなに聞いてくれる人はいないからね」(p121)
 人は,押されれば押されるほど押し返したくなります。「わかってほしい!」と勢いで詰め寄られると,逆に受け入れられなくなる心理があります。(p126)
 女性にもてる男を観察すると,たいてい無口な人です。(p131)
 背もたれがないスツールに座っていても背筋はぴしっと伸びており,カウンターに寄りかかってもいない。リラックスしているのに,行儀のいい子どものように,小さくちょこんと座っています。(p140)
 自意識過剰でもなく,ナルシストでもなく,ごく普通のたしなみとして,男はもっと鏡を見るべきだと思っています。(中略)できれば見たくないものも,鏡は遠慮なく本当を映し出します。(p142)
 仕事で失敗が多くても,絶対に休まない人は,それだけで信用されます。(p144)
 上等な店での支払いの際,僕はカードを使いません。極上の食材は現金で仕入れるので,カードという“ツケ払い”は客ぶりとして不親切なのです。(p147)
 普段の生活の中でも,耐えなければいけないことはたくさんありますが,我慢すればするほど,すてきな男に近づけるのではないでしょうか。(p150)
 教養とは,日々を生き延びるための解決能力である。(p155)
 一人でできる自分磨きなど,たかが知れていると僕は思います。(p156)
 「外見はおしゃれをしているけれど中身は別にどうでもいい」というのは空疎な人ですし,「いろいろなことを学んで内面を磨いているから服装はどうでもいい」というのは無作法な人です。(p181)
 人を愛するとは,どういうことでしょうか? 人を愛するとは,その人を生かすということです。(p195)

2017年7月17日月曜日

2017.07.17 松浦弥太郎 『いつもの毎日。』

書名 いつもの毎日。 衣食住と仕事
著者 松浦弥太郎
発行所 KKベストセラーズ
発行年月日 2010.07.29
価格(税別) 1,300円

● 途中まで読んだところで気がついた。この本,前に読んだことがある。集英社文庫で読んだのだった。途中で気がつくくらいだから,現時点では読んでいないも同然だ。
 ので,そのまま最後まで読んだ。

● せっかくだから,以下にいくつか転載。
 履き慣れて心地よい靴を,ちょっとのことで手放さなければならないというのは,なんとも残念だと僕は思います。その点ハンドメイドの靴は,何があっても修理ができます。(p31)
 それにしてもつくづく思うのは,よいものがいかに地味かということ。(p38)
 寝心地というのは人それぞれ。Tシャツや下着のままで寝ても平気だという人もいるでしょう。(中略)上質のパジャマを着て,寝心地のよさを味わうことは,そう悪くない,小さな贅沢だと感じます。(p41)
 オーソドックスで上質なものについて知りたいなら,皇室の人たちに注目すると新しい発見があります。(中略)バッグと靴に関して言えば,本当にスタンダードで,よいものを身につけています(p45)
 あくまでニットは「素材を着るもの」であり,飾りもデザインもいりません。(p47)
 四角くて白いただのハンカチが五〇〇〇円だったら,「なんでこんなハンカチが,こんなに高いんだろう?」と思うのが普通です。(中略)これは自分の傾向だなと思うのは,「なんでこんなに高いんだろう?」と思ったとき,「同じようなハンカチで,もっと安いものがいくらでもある」と,そっぽを向かないこと。(p58)
 ファストファッションがもてはやされ,次々と生み出される安い品を賢く使うという潮流ですが,僕はもったいないと思います。安いものから安いものへと飛びついていると,いいものを知らずに時だけが過ぎてしまうでしょう。(p61)
 世界には,たくさんのものがあふれています。うっかりすると,調和を乱すようなものも侵入してきます。吟味し,暮らしの中に余分なものが増えないよう,よくよく気をつけていないとあぶないのです。(p79)
 自分の子どもの頃を思い出すと,「当時は気がつかなかったけれど,ずいぶん安物で生活してきたな」と感じます。普段使うものは量販店の安物でも,よそいきのものにお金をかける,それが少し前までの日本人の価値観でした。昔,植え付けられた価値観のままでいる人が,今でも多いのではないでしょうか。(p84)
 家具,食器や生活雑貨,タオルとリネン。この三つについて,「この店」というのを決めておくといい気がします。(p101)
 人に謝るときも先手を打ちましょう。トラブルが起きて,相手が「抗議しようか,このまま我慢してなかったことにしようか」と考えているあいだに,先手を打って相手のところに駆けつけてしまいます。(p120)
 大切なのは,手帳やスケジュール帳を見なくても,自分の予定がわかるようにしておくこと。(p129)
 仕事に追われないためには,来るそばからどんどん,手放していくこと。つまり,すぐできる仕事から,締め切りが二週間先だろうと一ヵ月先だろうと,その場でやってしまうくらいフットワークを軽くするのです。「頼まれた瞬間に片付けてしまう」というのは,慣れてしまえば本当に楽です。いつまでにやるかを,スケジュール帳に書く必要すらありません。(p130)
 僕はなるべく人に会い,顔を合わせて話をするようにしています。だけれど「この件」そのものについては,電話でも用が足りると思っています。人と会うのは,余分な話をするためです。(p140)
 ものすごくおいしいものを,ほんの少し。おみやげを買うとき,僕はいつも心の中でつぶやきます。(p142)

2017年7月16日日曜日

2017.07.16 松浦弥太郎・伊藤まさこ 『男と女の上質図鑑』

書名 男と女の上質図鑑
著者 松浦弥太郎・伊藤まさこ
発行所 PHP
発行年月日 2014.09.05
価格(税別) 1,700円

● 松浦さんにはまだ「暮しの手帖」編集長というイメージが付いている(ように思う)。“今日もていねいに”という。
 たとえば上野駅構内のANGERSは,「上質な暮らし,美しいデザイン」をテーマに,ステーショナリーや書籍などを並べている「雑貨屋」であるらしい(文具店だと思っていた)。その書籍の中に松浦さんの本や暮しの手帖社の本が,かなりの比率を占める形で並んでいる。

● 上質という言葉が似合う人だ。それを自ら発信してもいる。その松浦さんに対して,上質の女性代表が伊藤さん。これにも異を唱える人はあまりいないだろう。

● その二人が交互に具体的なブツを披露し合うのが本書の内容。以下にいくつか転載。
 エルメスのハンカチは,アイロンをかけると気持ちよくシワが伸び,惚れ惚れするくらいに仕上がる。同時に心までぴしっと整えられる。この感覚が自分の日々をどんなに支えてくれているのだろうかと思う。(松浦 p20)
 男を見分けたければ,指先と手がいつもきれいに手入れされているか,そして,どんな肌着を身につけているかを知れば一目瞭然だろう。いい男は,いちばん目に付くところと,いちばん見えないところの気遣いがきちんとしている。(松浦 p44)
 その彼女の食事の風景に目が釘付けになった。スープとパン,グラスには多分,水。食後はひとかけらのチーズ・・・・・・そんな約しい光景だったのだが,きちんとテーブルクロスを敷き,美しく盛りつけ、まるで一流レストランにいるかのような身のこなしで食事をしていたのだ。「ひとりのときこそ,きちんとする」その姿は,気高くて美しかった。(伊藤 p47)
 傘をさすのは嫌いだが,日傘をさすのは好きである。(伊藤 p55)
 ものというのは人でもある。たとえば,そこにあれば,こちらを向いて,いつもにこにこと微笑んでくれる友だちのような存在とでもいおうか。(松浦 p100)
 気に入るものが見つかるまでは,とりあえずこれでいいと間に合わせの買い物は決してしない。間に合わせで買ったものは,あくまでも間に合わせなので愛着も湧かないし,いつか気に入ったものが見つかったときはいらなくなるからお金の無駄遣いになる。(松浦 p120)
 一枚の写真をあたかも小さな掌編を読むように見つめてみる。そうすると,いろいろなものやいろいろなことが見えてくる。そしてまた,自分の心の底にあるような記憶までもが浮かび上がってくる。(松浦 p160)
 安いものばかり食べていると安い男になるぞ,と若い頃,大人におどかされた。含蓄のある言葉である。(松浦 p168)
 「人は自分が見たいものしか見ない」という言葉を,風呂に浸かり,ぼんやりしながら独り言つ。(松浦 p208)
 今の若い人は,経済状況が悪いなかで育ってきたから,お金を使うのを怖がるみたいだけど,お金は使わないと増えないものなんですよ。(松浦 p222)
● こういうのを読むと,当然にして自分を反省することになる。食べられればいいや,着られればいいや,住めればいいや,っていう感じで長年生きてきて,この歳になってしまった。
 若い頃は(20代の頃だけど)ここまでは墜ちていなかったと思う。30歳からは楽な方がいいという方向に簡単に流れてしまった。
 お洒落はやせ我慢だということは,頭ではわかっている。が,その我慢をしてみようとは思わない。それがすっかり定着してしまった。

● 休日には,半分ホームレスのような恰好で街をふらついている。今の時期なら,サンダル,短パン,Tシャツだ。しかも,いたって安いやつだ。見る人が見ればすぐにわかるのだろう。ぼくには区別がつかないが。
 相方が差配するので,まだ救われている部分があるかもしれない。自分ひとりになったら,ほんとに生活というものにかまわなくなりそうだ。

2017年7月14日金曜日

2017.07.14 養老孟司・近藤 誠 『ねこバカ いぬバカ』

書名 ねこバカ いぬバカ
著者 養老孟司・近藤 誠
発行所 小学館
発行年月日 2015.04.21
価格(税別) 1,100円

● 養老さんは猫を,近藤さんは犬を飼っている。それを媒介にした対談なんだけども,二人とも医者だ。しかも,かなりとんがった主張をしている。養老さんは,喫煙とガンは無関係だというし,近藤さんはガンになっても治療なんか受けるなという。

● そういったことの真偽を判断できる情報は,ぼくにあるはずもない。が,そういう二人の対談なのだから,面白くないわけがない。

● 以下にいくつか転載しておく。
 僕は,わが子にも「アドバイス」ってしたことないの。あれこれ口を出すと,その子が持ち合わせていないものを,外側からつけ加えることになるから。余計なことをしなくたって,子どもも動物も,自分の能力の範囲でちゃんと生きていきますよ。(養老 p29)
 近藤 「ペットに言葉がいらない」っていうのは,本当にありがたい。 養老 こりゃラクです。現代社会で疲れることのひとつは「常に人の言葉に反応しなきゃいけない。人の言い分をいちいち聞いて,こちらもくだくだしく,言葉で説明しなきゃいけない」ことでしょ。(p59)
 生きものの体は,原因と結果の関係が,「ああすればこうなる」みたいな単純なものじゃないからね。体は理論どおりに動かないから。(養老 p62)
 結婚なんて考えてするものじゃなくて,はずみだし,だれと結婚しても変わらないんだから。(養老 p78)
 人生の目的はオーバーに言えば,世のため人のためでね,ひとりでいても,おもしろくもおかしくもない。(養老 p79)
 犬たちの体温や心拍なんかを測ったことも,一度もありません。そもそも僕は,人に対しても,犬猫に対しても,医療行為の価値をあまり認めていないから。元気かどうかは見ればわかるし,ふだんの測定値はそれぞれ違うから,急場に測っても意味がない。ふだん測定しているヒマがあるなら,抱っこして撫でてあげた方がずっといいと思っています。(近藤 p98)
 口もきけなくて,自分で口をあけてるかどうかもわからなくなってる人に食べさせるのは,本人の尊厳を傷つける。本人のことを考えたら,そんなことできないはずなんです。(近藤 p103)
 自然に任せておけば,治るものは治るし,治らないのは運命で,穏やかに死ぬるんですよね。(中略)人間は治療するから,のたうち回って死ななきゃいけない。(近藤 p107)
 最近はペットの医療もサギ的になっていて,人間の医療と同じで,「愛するこの子のために,できることはなんでもしてやりたい」という,飼い主の気持ちにつけこんでいます。抗がん剤とか免疫療法とか,なんの効果もないのに,100万円ぐらいすぐ飛んじゃう。無意味な代替療法やサプリがはびこっているのも,人間と全く同じです。(近藤 p112)
 最近は医者が内視鏡を持って,施設にわざわざ胃がんの検診に出向いたりする。寝たきり老人に内視鏡を突っこむと,おもしろいようにがんが見つかって「即治療」という話になります。そして胃を切除されたりすると,手術に耐える体力がないから,バタバタと亡くなっていく。(近藤 p116)
 ボケや寝たきりのかなりの部分は薬害と,僕はみています。病院通いが日課になっているお年寄りは,薬を山ほど飲まされて,その副作用で無気力や食欲不振になったり,ふらついて倒れて寝たきりになったりしています。特に,80才,90才を超えてからうっかり医者にかかると,たいていなにか病気を見つけられて,治療されて,早く死んじゃう。(近藤 p116)
 多くの人が,安楽死させる側のことを考えないんですよ。死刑もそうで,死刑を執行する人には非常に病む人が多いの。(養老 p120)
 僕は昔っから健診には行ってません。医者たちは,あんなもの役に立たないって,わかってるんだよね。だって,僕が現役だったころは,東大の医者たちだって受診率4割だったもの。(養老 p126)
 人間60才を過ぎたら,手術も薬も寿命を縮めるだけなんですけどね。(近藤 p126)
 もう60年近く,日本では狂犬病はまったく発生していないんですよ。イギリスやニュージーランドなどでは予防接種をやってなくて,日本でも必要ないのに,獣医と製薬会社のためにやってるような感じです。(近藤 p131)
 近藤 いくら早期発見・早期治療しても,がんで死ぬ人は減らない。5年生存率が向上したというけど,無害なものを見つけ出して治療をして「治った治った」って言ってるだけですから。 養老 まともに考えたら,すぐわかるよね。がんか,がんじゃないかってイエスかノーかの話になってるけど,生きものって「中間」があるんですよ。(p140)
 結核研究の権威が「日本の結核患者の激減はストレプトマイシンでも予防接種でもない。栄養の改善だ」と語っています。やっぱり「大気,安静,栄養」がいちばん大事です。(養老 p143)
 昔の親は「ひとの一生ってなんだろう」って,今よりずっと真剣に考えていたと思います。「あんなに元気だったあの子が,あっけなく死んでしまった。この子だってあしたはわからないから,いまこの時を存分に生きさせてやろう。遊ばせてやろう」って。そうしないと,急に死んでしまった時,悔いが残ってしょうがない。だから「子どもは子どもらしく」ということが尊ばれたんです。(養老 p146)
 いろんな場面で,「どうやればいいんですか?」っていう質問を受けますよ。そのたびに「バカ!」って言ってやるんだけど。やりかたなんて,自分で見つけるものですよ。(養老 p150)
 たまにカゴから逃げ出すヤツがいて,研究室の中に1週間いると,野性に返って,ものすごく敏捷な「つかまらないネズミ」になってるんです。だから僕も,人間のこと心配してないの。人間もおそらく同じだろうと思うから。脊椎ができてから何億年も生きているんだからね。頭で考えてヘンにしてるだけですから。(養老 p151)

2017年7月13日木曜日

2017.07.13 森 博嗣 『STAR EGG 星の玉子さま』

書名 STAR EGG 星の玉子さま
著者 森 博嗣
発行所 文藝春秋
発行年月日 2004.11.05
価格(税別) 1,000円

● 王子さまではなくて玉子さま。絵本。その絵も著者が描いている。これについて,著者自身が「ようやくなんとか,人に薦められる本を,絵という(僕だけが認める)奥の手を使って作ることができた」と語っている(→『STAR EGG 星の玉子さま』発刊にあたって)。

● 著者としてはいくつかの仕掛けを施したわけだろうか。あとがきにも,絵をいろんな方向から見てほしいということが書かれているんだけど。

● ぼくはスッスと見ていってしまった。想像力のなさを証明しているかもしれない。

2017年7月12日水曜日

2017.07.12 岸見一郎・古賀史健 『嫌われる勇気』

書名 嫌われる勇気
著者 岸見一郎・古賀史健
発行所 ダイヤモンド社
発行年月日 2013.12.12
価格(税別) 1,500円

● 今でも本屋に行くと平積みになっていたりする。ベストセラーになったものだ(と思う)が,まだまだ売れているようだ。

● アドラー心理学のわかりやすい解説書という理解でいいんだろうか。アドラーの説くところの肝は,因果論ではなくて目的論であるところにあると割り切っていいだろうか。
 さらに,アドラーが言っていることをひと言でまとめてしまえば,「人は人,自分は自分」ということになるんだろうか。

● 以下にいくつか(というには多すぎるけど)転載。
 われわれは「どう見ているか」という主観がすべてであり,自分の主観から逃れることはできません。いま,あなたの目には世界が複雑怪奇な混沌として映っている。しかし,あなた自身が変われば,世界はシンプルな姿を取り戻します。問題は世界がどうであるかではなく,あなたがどうであるか,なのです。(p6)
 ご友人は「不安だから,外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから,不安という感情をつくり出している」と考えるのです。(p27)
 彼(アドラー)は言います。「大切なのはなにが与えられているかではなく,与えられたものをどう使うかである」と。あなたがYさんなり,他の誰かになりたがっているのは,ひとえに「何が与えられているか」にばかり注目しているからです。そうではなく,「与えられたものをどう使うか」に注目するのです。(p44)
 あなたが変われないでいるのは,自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです。(p51)
 われわれは孤独を感じるのにも,他者を必要とします。すなわち人は,社会的な文脈においてのみ,「個人」になるのです。(p70)
 個人だけで完結する悩み,いわゆる内面の悩みなどというものは存在しません。どんな種類の悩みであれ,そこにはかならず他者の影が介在しています。(p72)
 自らの不幸を「特別」であるための武器として使っているかぎり,その人は永遠に不幸を必要とすることになります。(p90)
 覚えておいてください。対人関係の軸に「競争」があると,人は対人関係の悩みから逃れられず,不幸から逃れることはできません。競争の先には,勝者と敗者がいるからです。(中略)いつの間にか,他者全般のことを,ひいては世界のことを「敵」だと見なすようになるのです。(p95)
 怒りっぽい人は,気が短いのではなく,怒り以外の有用なコミュニケーションツールがあることを知らないのです。(p106)
 いくら自分が正しいと思えた場合であっても,それを理由に相手を非難しないようにしましょう。(中略)人は,対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間,すでに権力争いに足を踏み入れているのです。(中略)そもそも主張の正しさは,勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うのなら,他の人がどんな意見であれ,そこで完結するべき話です。(p107)
 人はその気になれば,相手の欠点や短所などいくらでも見つけ出すことができる,きわめて身勝手な生き物なのです。(p120)
 他者から承認される必要などありません。むしろ,承認を求めてはいけない。(中略)われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。(中略)他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。(p132)
 われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から,自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。(中略)他者の課題には踏み込まない。(p140)
 他者の期待を満たすように生きることは,楽なものでしょう。自分の人生を,他人任せにしているのですから。(p157)
 不幸の源泉は対人関係にある。逆にいうとそれは,幸福の源泉もまた対人関係にある,という話でもあります。(p181)
 あなたは他者によく思われたいからかそ,他者の視線を気にしている。それは他者への関心ではなく,自己への執着に他なりません。(p183)
 「わたし」は,世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら,あくまでも共同体の一員であり,全体の一部なのです。(p185)
 もしもあなたが異を唱えることによって崩れてしまう程度の関係なら,そんな関係など最初から結ぶ必要などない。(中略)目の前の小さな共同体に固執することはありません。もっとほかの「わたしとあなた」,もっとほかの「みんな」,もっと大きな共同体は,かならず存在します。(p194)
 対人関係を縦でとらえ,相手を自分より低く見ているからこそ,介入してしまう。(p200)
 いちばん大切なのは,他者を「評価」しない,ということです。評価の言葉とは,縦の関係から出てくる言葉です。(p204)
 他者から「よい」と評価されるのではなく,自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。そこではじめて,われわれは自らの価値を実感することができるのです。(p206)
 人間は自らのライフスタイルを臨機応変に使い分けられるほど器用な存在ではありません。(中略)もしもあなたが誰かひとりとでも縦の関係を築いているとしたら,あなたは自分でも気づかないうちに,あらゆる対人関係を「縦」でとらえているのです。(p214)
 他者のことを敵だと思っている人は,自己受容もできていないし,他者信頼も不十分なのです。(p237)
 他者貢献とは,「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく,むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ,なされるものなのです。(p238)
 人生の調和を欠いた人は,嫌いな1人だけを見て「世界」を判断してしまいます。(p246)
 普通を拒絶するあなたは,おそらく「普通であること」を「無能であること」と同義でとらえているのでしょう。普通であることは,無能なのではありません。わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです。(p261)
 線としてとらえるのではなく,人生は点の連続なのだと考えてください。(中略)人生とは連続する刹那なのです。(中略)われわれは「いま,ここ」にしか生きることがきない。われわれの生とは,刹那のなかにしか存在しないのです。(中略)計画的な人生など,それが必要か不必要かという以前に,不可能なのです。(p264)
 たとえばあなたがエジプトに旅をする。このときあなたは,なるべく効率的に,なるべく早くクフ王のピラミッドに到着し,そのまま最短距離で帰ってこようとしますか? そんなものは旅とは呼べません。家から一歩出た瞬間、それはすでに「旅」であり,目的地に向かう道中もすべての瞬間が「旅」であるはずです。もちろん,なんらかの事情でピラミッドにたどり着けなかったとしても,「旅」をしなかったことにはならない。(p268)
 われわれはもっと「いま,ここ」だけを真剣に生きるべきなのです。過去が見えるような気がしたり,未来が予測できるような気がしてしまうのは,あなたが「いま,ここ」を真剣に生きておらず,うすらぼんやりした光のなかに生きている証です。(中略)過去にどんなことがあったかなど,あなたの「いま,ここ」にはなんの関係もないし,未来がどうであるかなど「いま,ここ」で考える問題ではない。(p271)
 深刻になってはいけません。真剣であることと,深刻であることを取り違えないでください。(p274)
 人生はつねに完結しているのです。(中略)20歳で終わった生も,90歳で終えた生も,いずれも完結した生であり,幸福なる生なのです。(p275)
 それは「ひとりの力は大きい」,いや「わたしの力は計り知れないほどに大きい」ということです。つまり,「わたし」が変われば「世界」が変わってしまう。世界とは,他の誰かが変えてくれるものではなく,ただ「わたし」によってしか変わりえない,ということです。(p281)

2017年7月9日日曜日

2017.07.09 土屋賢二 『われ悩む,ゆえにわれあり』

書名 われ悩む,ゆえにわれあり
著者 土屋賢二
発行所 PHP
発行年月日 2012.11.19
価格(税別) 952円

● 著者の名前は,森博嗣さんの本を読んで知った。森さんはかなり土屋さんの学識をリスペクトしているようだ。
 森さんがそこまで言う人なら,読んでみなきゃと思っていたんだけど,なかなか手がのびなかった。やっと読んだわけだけど,こういう軽い(?)ものから入ることになった。

● それでも,何となく,土屋さんの人柄や好き嫌いが彷彿してくるところがある。たぶん,それで判断すると間違うんだろうけど。

● 以下にいくつか転載。
 ときどき「わたしは他人の人生ではなく,自分の人生を生きているんだ。もっと自分を通そう」と決意するが,同じことをまわりの連中は,わたしより強く決意している。(p5)
 とくに男は「これだけはゆずれない」と思うものを持っています。多くの男は,洋式便器でも立って小便することだけはゆずれないと考えています。ゆずってみれば分かりますが,こだわるほどのことではありません。(p16)
 学校生活で一番楽しいのは入学するときです。一番向学心に燃えるのは新しい教科書を配られたときです。英会話を習って一番充実感に満たされるのは,授業の申し込みをするときです。結婚生活で一番幸福なのは,結婚相手が決まっていないときです。(p39)
 昔の子どもが外で遊んだのは家の中には遊ぶものがなく,コワい親がいたからではないでしょうか。もし家の中でだれにも叱られることなくメンコやビー玉などでのびのびと遊べていたら,わざわざ外に出ようとはしなかったはずです。(p49)
 人間が夢を持てるのは軽薄だからです。(中略)苦労しないと夢はかなわないと分かっても,自分はどんな苦労にも耐えられると夢見ているのです。人間はどこまでも自分に都合よく考えてしまうのです。(p51)
 ふつうの人にとって,不要なものが一切ないという状態は耐えられるものではありません。(中略)乱雑きわまる状態にもスッキリしすぎた状態にも耐えられないのです。(p56)
 そもそも「がんばれ」と励まさなくてはならないようなことは長続きしません。(中略)がんばらなくてはならないのは苦痛なことだからです。(中略)がんばっている人の顔を見てください。例外なく苦しそうに見えるのはこのためです。(p68)
 初めからうまくいく人はいません。もしうまくいくなら,その仕事はたいした仕事ではなく,挑戦し甲斐がないものです。数年でできる仕事なら,ほとんどの人が簡単にモノにするでしょう。(p72)
 中年男にできることは,清潔にしていることだけです。できることなら姿を消すのが最善です。(p85)
 実生活の本番では,だれもが負けを味わいます。たとえすべての人に勝っても地震や病気には負けるのです。(p102)
 自分の意見を発表したり,主体性を発揮することにそれほど価値があるのでしょうか。(p109)
 中高年のわたしでさえ,中高年の男は汚らしい気がして,できるだけ遠ざかるようにしています。(p113)
 中高年になると容姿が劣化するだけでなく,内面的にも嫌われるような人間になるものです。男も女も,年をとると若いとき以上に強欲で利己的で傲慢で強情になります。上品さも風格も出てくることはありません。(p113)
 社会に出れば,学校時代に成績がよかっただけの人よりも,愛嬌のある人物のほうが愛され,大事にされるものです。(p118)
 哲学や文章に自分が向いているかどうかは,いまだに分かりません。でも向いていなくてもかまわないと思っています。趣味のジャズピアノに至っては,はっきり自分に向いていないと思っています。しかし,自分に向いていないからといって,それが何でしょうか。わたしのかけがえのない楽しみになっているのですから,それで十分だと思っています。(p125)
 かりに「男らしい」「会社員らしい」「夫らしい」「酒飲みらしい」「定収入の男らしい」など,すべての「らしい」を満たすような人がいたら,そいういう人こそ,型にはなりすぎていて「人間らしくない」というべきです。人間らしく自由に生きることを放棄しているのですから。(p133)
 どんなに価値があっても,好みでなければフラれます。それに実際,ほとんどの男にはたいした価値はないのです。(p156)
 自分を正直に出せるのは,人を人と思わないような人間だけです。(p172)
 そもそも伝統の味を維持することがそれほど必要なことでしょうか。もしそうなら,現代の日本人は縄文時代かそれ以前の食生活を送っているべきだということになるのではないでしょうか。(p180)

2017.07.09 ayaco 『ayacoの手帖のつくりかた』

書名 ayacoの手帖のつくりかた
著者 ayaco
発行所 ワニブックス
発行年月日 2014.04.30
価格(税別) 1,350円

● イチから手帳を手作りするというよりは,既存の手帳に細工を加えて,自分だけの手帳を作るという内容。
 その実例と作り方の解説。

● 基本的にこれは女性の世界だと思う。自分は刺繍とかできないし。
 ただ,最近はこの世界でも男女差というのは縮まっていると思える節もある。男性でもこういうことをやっている人がいるかもしれないね。
 自分はダメだ。手帳に限らず,文具はデフォルトで使うものになっている。

● けっこう,ディープな世界だなと思う。一方で,実際にやっている人が少ないから,希少性があって,この手の本が読者を獲得できるのだろうな,とも思う。

2017年7月8日土曜日

2017.07.08 小林正観 『ありがとうのすごい秘密』

書名 ありがとうのすごい秘密
著者 小林正観
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2014.09.26
価格(税別) 1,300円

● 多くの人は自分は生き方が下手だと思っているのではないか。長く生きた人でも,生き方って上達しないものだ,経験知は役に立たない,と思っているだろう。
 かく申す自分もそうだから。もっと気軽に喋れれば,笑顔を作れれば,軽くいなすことができれば・・・・・・。そうして安心立命できれば。

● そこで,その方法を外部に求めて,たとえば本書を読んでみるのだ。しかし,何かを知ったところで,原則,何も変わらないなと思い知るのだ。ここをどうにかするのは,ダイエットよりも難しいだろう。
 ぼくは人生の先が見えてきたこともあって,半ば以上はその努力を放棄しているけれど,放棄しきれないところに煩悩の源がある。

● いくつか転載。
 子どもとは向き合わないことです。なぜなら子どもは親の背中を見て育つからです。向き合うことはあら探しをしながら子どもを育てることになります。(p23)
 自分の思いや希望で動くのではなく,頼まれたことを「はい,わかりました」と言って淡々とやる。そういう人を神様は後押しするのではないでしょうか。(p32)
 「自我+おまかせ=100」であるということ。そしておまかせ100状態になるとものすごく面白い。なぜならば,神様が応援・支援を始めるからです。(p50)
 例えば,1000人のうち900人が「大変ですね,つらいでしょうね」と言うような出来事や現象が起きたとします。このことについて愚痴や泣き言を言わないというだけで,その人は900ポイントを獲得することができたと言えるのではないでしょうか。(中略)ということは,目の前に,つらい・悲しいと一般的に言われるようなことが展開している人は,神様からものすごく見込まれているということではないでしょうか。(p40)
 運が強い・弱いとは宇宙には存在してなくて,運が悪いと思えることも,自分は運が強いと思うことによって,運が強い方向に変換される(p42)
 そのことがいい・悪いと決めているのは全部自分。現象は常にゼロでニュートラル。そしてそこのとについてどういう感情をもつかというのは別問題なのです。(中略)現象は自分にはつくりかえられない。しかし感情は自分の問題だから,自分が心地いいようにとらえ直せばいい。(p46)
 甘えられる人は人にも甘えさせることができます。甘えない人は人を甘えさせられません。自分に厳しい人は人にも厳しい。(p58)
 実は幸せに満ちているのに,人間というのは生まれ変わりの回数が少ないと,自分のやりたいことができないから否定的な言葉ばかりが出てくるのです。(p85)
 これは本当かどうかは別にして,そう考えると,自分がかなり楽になれる。じつは本書の収穫の第一は,この文章に出会ったことだと思っている。
 人生は修行ではありません。自分がどれほど恵まれているかに感謝をすることが,魂の進化が究極に目指しているところです。ありとあらゆることが全部感謝なのです。(p89)
 動物の掟で言うと,結婚についてはメスのほうが選択権をもっていて,メスが好きになった場合に,オスは選択権を行使できないようです。(p97)
 人間だけが,親が子どもからお礼を言われるともっとしてあげたいという心になるようです。なぜかというと,神様は,神と人間の関係を親と子の関係に映し込んだからです。(中略)それがわかったら,本当は心の底から思っているわけではなくても損得勘定でもいいから「ありがとう」とお礼を言ったほうがいい。(p111)
 悲しさやつらさを拾い集めて愚痴を言うのではなく,ラッキーでついているということを,自ら探し出せるようなくせをつける。それが,運を味方につけることにつながるわけです。(p129)
 (天の岩戸の話は)実は大切なことを教えてくれています。神が嘆きを聞くことはありません。(中略)お願いだからなんとかしてください,つらくて悲しいのですという言葉を聞くこともありません。楽しくて幸せそうな心,楽しくて幸せそうな人々にだけ関心を寄せるのです。(p130)
 本当の幸せというのは,何かを想定して,それが手に入ったら幸せなのではありません。幸せとは,すでに幸せに囲まれていることに気がつくということなのです。(p141)
 私たちの魂は,生まれながらにして水晶玉,きれいなクリスタルなのです。ところが,学校教育の中で,競うこと,比べること,争うことを教え込まれ,そういう価値観を水晶玉に泥のようにぬりつけていくのです。人と争って自分が上に上がらない限り幸せにはなれない,と教え込まれるから,今自分は不幸なのだと思うわけです。(p148)

2017.07.08 松浦弥太郎 『くいしんぼう』

書名 くいしんぼう
著者 松浦弥太郎
発行所 マガジンハウス
発行年月日 2015.06.25
価格(税別) 1,111円

● 旨いものめぐり。甘いものも含めて,いろんな食べものが登場する。
 しかし,食べものについて語るのは,松浦さんにしても決して容易なことではないようだ。難しい作業なのだろう。

● 食べものに限らず,何かについて語ることは,つまり自分を語ることになる。
 だから,同じことを自分もやろうとしても,粗末なものしかできないでしょうね。

● 2つだけ転載。
 和菓子にはその季節ならではの一品があり,その日に食べるものは,その日に買いに行くものだということも祖母から教わったことだ。(p5)
 『マルイチベーグル』に何があるのか。それは「いっしょうけんめい」である。何よりも先に「いっしょうけんめい」がある店なのだ。(p72)

2017.07.08 山崎真由子 『ときめく文房具図鑑』

書名 ときめく文房具図鑑
著者 山崎真由子
   今野 光(写真)
発行所 山と渓谷社
発行年月日 2017.02.05
価格(税別) 1,500円

● いくつか転載。
 まさに文房具の世界は日進月歩! スゴイぞ,文房具! でもね・・・・・・それよりなにより,自分が愛着を持って,長~く付き合える“相棒”と出会ってみたいと思いませんか。(p15)
 私は人がやらないことに挑戦するのが好きなんです。真似されたらほかのことを考えます。酒も煙草もギャンブルもしません。散歩も嫌い。通院する時間ももったいない。(管清風 p36)
 文房具好きは本好き,逆もまたしかり。そしてまた書店員さんの担当者は,文房具への思い入れが深いのでは? とも思っています。(p94)
● 文房具に「ときめく」という感覚が,ぼくにも子どもの頃にはあった。円を描くためのコンパスや三角定規にもドキドキした。
 それが消えてしまったのはいつの頃だったか。高校生の頃にはだいぶ薄くなっていたと思うんだが。

● 子どもの頃,文房具のどこに魅せられていたのか。大人の世界に近づけたような気持ちになれたこともあったと思う。
 それと,これを使えば自分ができることが大きく増えるような気がしたこと。あるいは,すでにできていることがもっと完璧にできそうな気がしたこと。

● 大人になると大人の世界は世界じゃなくなるし,それを使うのがあたりまえで,誰でもそうしているとなると,自己能力が拡大するのじゃないかというワクワク感も泡のように消えていく。
 そして,今は,文房具はあくまで道具,実用品であって,ときめきをもらたしてくれるものではなくなった。

● それでも文房具は好きだ。だからこういう本も手に取ってみるのだ。

2017年7月7日金曜日

2017.07.07 中川右介 『怖いクラシック』

書名 怖いクラシック
著者 中川右介
発行所 NHK出版新書
発行年月日 2016.02.10
価格(税別) 820円

● 著者も言っているとおり,コンパクトな音楽史になっている。
 取りあげられる作曲家は,モーツァルト,ベートーヴェン,ベルリオーズ、ショパン,ヴェルディ,ラフマニノフ,マーラー,ホルスト,ヴォーン=ウィリアムズ,ブリテン。他にも短く登場する作曲家はいるけれど。

● 以上の作曲家を「怖い」という言葉で一括りにするのは,少し乱暴のように思われる。が,著者にしてみれば,そんなことは百も承知で,大きく括って,非「怖い」系と対峙させたかったのだろう。
 「クラシックは難しくありません」「クラシックは癒されます」などと宣伝するのは,ステーキハウスが「当店はデザートが自慢です」と言うようなもので,どこか違うのではないか。ステーキハウスなら肉の美味しさを自慢すべきだ。(p9)
 クラシック音楽のメインストリームは,この世のダークサイドを感じさせる「怖い音楽」なのだ。少なくとも,私の好みは「怖い系」にある。そこにこそ美はあるのだ。(p10)
 著者の該博な知識を,コンパクトにしてもらって,短時間で読めるのはありがたいことである。

● 他にいくつか転載。
 (モーツァルトの時代に)「有料音楽会」というものは始まっていたが,それは音楽を楽しむために存在しており,人々はわざわざ「哀しむ」ために出向くことなどしない。オペラも娯楽なので喜劇がほとんどだった。(p21)
 彼は「発表のあてもないのに,曲を作る」ということをしたことがない。これはモーツァルトに限らない。藝術家が自らの激情にかられて作品を生み出すのは,この後のロマン主義の時代からだ。(p25)
 フランス革命前後まで,音楽は貴族の宮廷やサロンで演奏されていた。その宮廷の持ち主である貴族が,知人を招いて聴かせていたのである。それは社交であった。だから,楽しく,美しく,心地よくないものは必要ない。(p53)
 暇つぶしでも社交でもなく,藝術を鑑賞いに行くという意識を持って演奏会に足を運ぶからには,軽佻浮薄な音楽よりも,重厚長大なほうがいいではないか--そんな風潮が,ごく一部の市民の間に生まれる。これが「難しいクラシック音楽」の始まりである。(p53)
 (田園交響曲の)第四楽章では,雷や風の音を,楽器で真似しているように聞こえる。たしかに,そうなのだ。だが,やはり音楽なのである。そこが,ベートーヴェンの偉大なところだ。そしてこれはベートーヴェンの他の作曲家への挑戦でもあった。(中略)ベートーヴェンは,自然描写音楽はくだらないと考えていた。しかし,それが人々の間では受けている。その状況への怒りがある。そこでくだらない作品を蹴散らすために自分で書いてみたら,やはりベートーヴェンのほうが傑作となった。(p60)
 《田園交響曲》の評判は,少なくとも,よくはなかった。斬新なものはいつの時代も発表時には理解されない。しばらく経ってから評価される。(p66)
 ベートーヴェン以前の音楽は,こんにちの概念での「藝術」ではなく,「技能」に近い。音楽家は藝術家というよりも職人だった。社会的身分も高くなく,それゆえにわざわざ音楽家になろうという者もいなかったので,音楽家の子が幼少期から鍛えられて,音楽家になっていた。 しかし,ベートーヴェンによって音楽が藝術になると,事情は変わってくる。(p73)
 自分の内側にある狂気を意識したベルリオーズは,それを音楽にしてみたのだ。そうしないと,本当に発狂してしまったかもしれない。それくらい,彼は激しい男だった。(p84)
 チャイコフスキーの音楽はロシア人以外には「これぞロシア」と聞こえるが,ロシア人は「こんなのはロシア音楽ではない」という感覚になるらしい。(p173)
 マーラーやラフマニノフが結局のところ,何を表現したのかは,本人にしか,あるいは本人にすら分からない。二人がともに故郷喪失者なので,「孤独」「郷愁」「絶望」「怒り」「哀しみ」がその音楽にあると解釈するのは簡単だが,そう単純なものではないだろう。 二人とも実生活において最も幸福な時期に,暗く深刻な音楽を書いているのも,謎と言えば謎だ。幸福な家庭を持ったが,いつか壊れることを予感していたという解釈も成り立つが,これもまた,もっともらしいが故に、真実ではないだろう。(p204)
 この曲は,こんにちではベートーヴェンのファンや信奉者ですら苦笑いする,「ベートーヴェンの最大の駄作」として名高いが,ベートーヴェンの存命中は最も人気があった最大のヒット曲でもある。音楽に限らず藝術作品の評価というのは難しいというか,いい加減なのである。百年後にはまた評価が逆転して,「《ウェリントンの勝利》こそ,ベートーヴェンの最高傑作となっているかもしれない。(p209)
 ホルストが《惑星》を着想したのは,天文学ではなく占星術から(p221)
 (ショスタコーヴィチの)十番が何の隠喩なのかは,本人にしかわからない。言葉では表現できないものを音楽にしたのだとしたら,言葉で解説するのは無意味というものだ。(p269)

2017年7月5日水曜日

2017.07.05 フジコ・ヘミング 『たどりつく力』

書名 たどりつく力
著者 フジコ・ヘミング
発行所 幻冬舎
発行年月日 2016.05.30
価格(税別) 1,100円

● 「たどりつく力」というのは,出版社側がつけたタイトルだろう。自伝でもあり,音楽観の吐露でもある。すでに刊行されているフジコさんの著作と重複するところが多い。
 才能に恵まれながら,肝心なときに聴力を失うという不運に見舞われ,不遇と貧困を余儀なくされる。そして,終盤に逆転。
 NHKがドキュメンタリー番組で取りあげたのがキッカケだけど,それを呼びこんだ力が彼女にはあったのだろう。

● 以下にいくつか転載。
 私は子どものころから空想の世界で遊ぶことが好きでした。母のピアノのレッスンがあまりにもきびしかったため、そこから逃げ出すには,どこか別の世界へと逃避することが必要だったのです。(p25)
 私が夢の世界へと気持ちを向けたのは,絵を描くことと連動していました。絵のなかでは,何でも可能になります。私はきれいな洋服を着て,美しい広い庭付きの家に住み,そこでは木々が生い茂り花々が咲きほこっています。(p26)
 私は自分が好きな作品を好きなように弾くのが楽しいのです。ピアノを弾く喜びは,自分が楽しんで弾くことに尽きます。(p41)
 私の留学時代は困難の連続でした。音楽家はすぐに他人の才能がわかってしまい,嫉妬やいじめや陰口が横行します。(p46)
 カラヤンの指揮はこの世の人とは思えないほど別次元のすばらしさで,私はじっと彼の指揮姿を見つめ,恍惚となってしまったのです。(p54)
 演奏する時は,作曲家が残した音符のひとつひとつに自分の思いをたっぷりと盛り込んでいきます。多少のミスタッチなど気にしません。音を少しくらいはずそうが,指がすべろうが,たいした問題ではないからです。むしろ音楽全体を大きくとらえ,音で絵を描くように表情豊かなピアノを紡いでいくことを心がけます。(p90)
 日本では,私の「ラ・カンパネラ」を無茶苦茶にけなした音楽評論家がいます。でも,私はそう書かれるたびに思いました。ぶっ壊れそうな「鐘」があったっていいじゃない,私の「鐘」だもの。この響きを聴いて涙を流してくれる人だっているんだからと。(p92)
 私はショパンやリストを弾く時,ひとつ心がけていることがあります。それは,十九世紀のヨーロッパのピアニストたちをほうふつさせる演奏をしたいということ。(中略)ショパンやリストが生きていた時代,馬車が行き交う速度を思わせるテンポ。断じて現代のクルマ社会の速度ではない。(p96)
 人はそれぞれ得意分野があります。人のまねをしたり,人をうらやんだり,自分が不得意だと思っていることを無理に行うと,必ずしっぺ返しがきます。(p97)
 私は人をうらやんだり,まねをすることだけは避けてきました。人のまねをしたら,自分を偽ることになってしまうからです。私という人間はこの世にひとり。ただひたすら,自分らしく生きたいと願ってきました。(p186)
 よく,人は歳を重ねると都会を離れて郊外に住む方がいいといいますが,私は逆です。(中略)年齢を重ねたら,ひとりで家に閉じこもらず外に出ていろんな人に会う方がいいと思います。外で人に会うと,自然におしゃれをしたり,髪形を気にしたり,身ぎれいにする気持ちが生まれるでしょ。それが大事なのです。(p134)
 女性のピアニストで一番好きなのは(中略)マルタ・アルゲリッチ。(p138)
 私は「音楽家は生涯勉強すべきだ」と思っていますし,練習を怠ることは,作曲家に対して失礼だと考えています。(中略)でも,年々,歳はとっていきます。これは止めようがありません。そのなかで,いま自分にできる最高のことをする。それが私のモットーです。(p183)

2017.07.05 渡辺和子 『どんな時でも人は笑顔になれる』

書名 どんな時でも人は笑顔になれる
著者 渡辺和子
発行所 PHP
発行年月日 2017.03.29
価格(税別) 1,000円

● 著者の最後の著作。

● 同じことを別の人が書いても,これほどの説得力は持たないのではないか。著者が言うから,そうなのかと納得する。
 問題は,納得したところで終わってしまうってことなんだけどね。

● 以下にいくつか転載。
 「神も仏もあるものか」と言いたくなるのは,こういう時です。ところが,実は,「求めること,捜すこと,戸を叩くこと」もたいせつですが,それに応えて与えられるものを謙虚に“いただく心”のほうがよりたいせつなのです。(p3)
 祈ることはたいせつなことです。しかしながら「願う前に,その必要とするものを知っておられる」天の父は,人間が願ったことをそのまま叶えることをもって,ご自分の,その人に対する愛の証しとはなさらないようなのです。なぜならば,私たちはいつも“欲しいもの”を願っているからであり,神様が私たちに叶えてくださるものは,“必要なもの”だからだと思います。(p71)
 他人にすぐれようと思うな 他人とちがった人間になれ(p20)
 苦しみについて評論家めいたことが言えたり,苦しみの正体をあれこれ詮索したりしているうちは,まだ自分に余裕がある証拠であって,苦しみのさなかに入ってしまうと,ただもう生きることで精一杯になってしまい,気がついた時には,苦しみはいつの間にか自分の後ろにあったように思います。(p33)
 履歴書を書かされる時,必ずといってよくほど学歴と職歴が要求されます。しかしながら,もっともたいせつなのは,書くに書けない「苦歴」とでもいったものではないでしょうか。(中略)苦歴は,その人だけのものであり,したがって,その人を語るもっとも雄弁なものではないかと思うのです。(p34)
 お金にならない時間,得にならない時間,その意味では無駄と思える時間の中にしか愛情は育たないということです。(p56)
 他人から受ける不当な扱い,誤解,不親切,意地悪等から全く自由になりたい,なれるはずだと思うことは,すでに人間としての「分際」を忘れた所業である(p59)
 人間はどんなに多くの言葉を費やして語り明かしたとしても,寝食を共にしたとしても,なお理解し合えず,理解し尽くせないものを持つのです。(中略)私たち一人ひとりには不可交信性という部分があって,また,それがあるゆえに「知り尽くしていない」相手に対しての尊敬が生まれ,「知り尽くされていない」自分についての淋しさと同時に誇りが残るのです。(p131)

2017年7月4日火曜日

2017.07.04 砂川しげひさ 『コテン氏のラストコンサート』

書名 コテン氏のラストコンサート
著者 砂川しげひさ
発行所 朝日新聞社
発行年月日 1990.11.30
価格(税別) 1,126円

● 砂川さんの音楽エッセイをもう1冊。

● 以下にいくつか転載。
 この間,念願のDATを買った。これがうわさどおりのいい音で,いまこれで昔録ったオープンテープからのコピーを楽しんでいる。また,BSからのPCM録音はすばらしく,またエアチェック病が再発する気配だ。(p2)
 また懐かしい用語が出てきた。DAT,マニアのものだったと思う。DATとはそもそも何か? Wikipediaの説明がわかりやすい。「音声をA/D変換してデジタルで記録,D/A変換して再生するテープレコーダーまたはそのテープ,また特にその標準化された規格のこと」。パンピーには関係ないものでしたね。
 パンピーはレンタルショップでCDを借りて,CDラジカセでカセットテープにダビングして,それだけで満足するものだった。それだって便利になったなぁと思っていたものだ。
 古代ギリシャ人は人間の裸像をたくさん彫った。人間の肉体こそ神がつくりたもうた最高の美,と彼らは考えた。(中略)この肉体賛美こそが,現代のバレエにも基本的なところで,つながっているのではないだろうか。(p28)
 やっぱり,消え去ったようなオペラを掘り出すなんて,油田を掘り出すのと同じくらいむつかしそう。時間は正しい審判をする。(p98)
 大編成の管弦楽を聴いて脳天をピカピカさせているクラシック・ファンがいるとすれば,そいつはガキである。(中略)ピアノの独奏会で花束をかかえて舞台の最前列ですわっているのは,雀の卵。弦楽四重奏曲にじっと耳を傾けながら,眉間に深いシワをよせて,否! などとほざいているのは,田舎イモ。(中略)やっぱりクラシックのいきつくところは室内楽ではないでしょうか。(p154)
 目の前の名人たちは,「おれたちは好きでやってんだ。君たちが聴こうが聴くまいがそんなことおいら知んないよ」といった純粋楽団なのだ。(p156)

2017年7月3日月曜日

2017.07.03 砂川しげひさ 『コテン氏の面白オペラ』

書名 コテン氏の面白オペラ
著者 砂川しげひさ
発行所 朝日新聞社
発行年月日 1989.01.10
価格(税別) 1,000円

● 約30年前のもの。砂川さん,本職は漫画家。本書の装丁も手がけているし,カットも描いている。
 一方で,クラシックマニア。

● アカデミックなところで勉強しちゃった人の評論は,ぼくのような素人には歯が立たないうえに,読んでてあまり面白くない。
 砂川さんのものは,面白い。向上心があって読んでいるわけではないから,面白ければいいし,面白くないものは読んでも仕方がない。
 ぼくがしているのは,消費としての読書だから。何かに役立てようと思って読んでいるわけではないから。

● 以下にいくつか転載。
 これは素人考えかもしれないが,オペラは出だしが勝負という気がする。序幕で「アッ」と思わせれば,その舞台は九九パーセント成功だ。(p30)
 ぼくは前々から,この譜めくり人にもっと脚光を当ててしかるべきと考えていた。(中略)われわれはこの任につく大半が女性である事実を忘れている。しかも美女が多い。(p44)
 ある有名なピアニストの演奏会で,突然,赤ん坊が泣き出した。あんまり泣くので,会場の係が外にでるように忠告した。すると若い母親は「子供にいい音楽を聴かせてなにが悪い」と逆に食ってかかった。そのとき偶然に隣の客席に居合わせた保母さんが赤ん坊を抱いて外に出た。そして演奏の間じゅう,そのコをあやし続けた。演奏が終わると,母親は赤ん坊を受け取って,彼女に礼もいわずに立ち去ったという。(p60)
 これ,本当に実話なんだろうか。
 今どきの小学校では運動会の徒競走で順位をつけない,ゴール前であとから来る人を待って,みんなで手をつないでゴールするのだ,という話がかつて流行った。
 しかし,その光景を実際に見たという人は一人もいない。自分が勤務している小学校ではそうしていたという教師もいなければ,自分が通っている小学校ではそうしていたという児童もいなければ,うちの子どもが通っている小学校の運動会ではそうしていたという保護者もいない。
 都市伝説的なものだろう。いかにもありそうだと誰かが作った話が燎原の火のごとく広まった。
 上の母親の話もそれと同じなのじゃないかと思うんだがね。いかにもいそうだという前提で,誰かが作った話が広まったのではないのかねぇ。
 安い,安い。こんな調子で十枚借りた。これらを,わが家の,PCMプロセッサーとビデオ・デッキを駆使して完全コピーをする。(p110)
 PCMプロセッサーかぁ。あったねぇ,そういうの。CDをビデオテープにコピーするやつ。当時は,とんでもなく高度な技術を駆使した器械なのだろうと思っていた。ぼくには高嶺の花でもあった。
 今は,パソコンに吸いあげることができる。装備も時間も格段に短縮された。しかも,コストが安くなった。うたた感慨にたえない。いい時代に生きていると思う。

2017年7月2日日曜日

2017.07.02 岡田光永 『20歳の「日本一周」』

書名 20歳の「日本一周」
著者 岡田光永
発行所 廣済堂出版
発行年月日 2011.02.10
価格(税別) 1,500円

● 副題は「元不登校児が走った列島縦断1万1667キロの旅」。

● 20歳でこれだけの文章を書けることに,まず驚いた。20歳でしか書けない文章だろう。若さが躍動している。
 キーワードは「絆」。「みんなの気持ちがひとつになった」「仲間と力を合わせれば,できないことはなにもない」という表現がわりと頻繁に出てくる。
 自身が中学生のとき不登校だった。その反動というわけではないのだろうが。

● しかし,いつまでも「絆」に頼っているわけにはいかないだろう。なぜなら,死ぬときは仲間と一緒にというわけにはいかないから。一人で死ななくてはならない。
 ただ,「個」に傾く人と,「絆」に行く人と,二項対立的には考えない方がいいのだろう。個がなくては仲間の一員にもなれないはずだからだ。

● 以下にいくつか転載。
 出発1日目の今日はものすごく疲れた。旅というのは,出発のときが一番疲れるのかもしれない。(p58)
 一歩は積み重ねなければいけないものではなくて,後になって振り返ってみたときに積み上がっているものなのだ。先に進もうとあせって進んだその道に,どんな意味が残るのか。(p65)
 旅ではふとしたことから,人と出会う。出会いは,ガソリンみたいなものだ。出会った人に力をもらうから旅を続けることができる。出会いがなきゃ,僕は走り続けることはできない。(p97)
 東京で過ごしていたときは持て余していた,僕のエネルギー。しかしそれを全力で注ぎ込むことでこんな感動を味わえるのかと思うと,東京でいかに自分を持て余していたのか,今さらながら実感する。(p102)
 荷物を取り外した自転車にまたがり,稚内の市内を猛スピードで駆け抜ける。今まで,自分がいかに重い荷物を積んで,旅をしていたかがわかった。まるで羽が生えたかのように自転車が軽い。どんどん前に進んでいく。(p105)
 人は,本当の優しさを受けたとき,心から誰かに優しくできるんじゃないかと思う。(p154)
 悪いことが立て続けい起きてモチベーションが下がりかけているときに,キャリアの全壊が重なるなんて,つらすぎる。(中略)今まで幾度となく苦しい思いや逆境を経験してきたが,ここまで心が折れそうになったことはなかった。手も足も出ない。(p160)
 自分って,こんなに強かったっけ?と思う。どうやら困難とは,乗り越えることができれば,成長に変わるものらしい。(p162)
 危うく泣きかけたが,どうにか耐える。昔から涙もろい僕は,明日確実に号泣することがわかっていたからだ。(p198)
 そうなのだよ。冷静でどんなときにも表情を変えないヤツより,涙もろかったり,感情家の方が,何事かを為す人なんだよ。
 選べないような選択を迫られたときは,楽しいほうを選択する。これは,昔から決めている自分の信条だった。(p261)
 日本は美しく,優しく,楽しい国だ。そして,世界は広く,まだまだ知らないことが溢れている。それを知らずに死ぬのは,いくらなんでももったいなさすぎる。(中略)どうして世界は,こうも広いのだろう。どうして人生は,こうも短いのだろう。好奇心が,爆発する。(p274)
● 同じ出版社から同じ著者の『15歳の「お遍路」』も出ている。図書館で探してみよう。

2017年7月1日土曜日

2017.07.01 pha 『ニートの歩き方』

書名 ニートの歩き方
著者 pha
発行所 技術評論社
発行年月日 2012.09.01
価格(税別) 1,580円

● 副題は「お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法」となっているが,インターネットの話は少ししか出てこない。
 主な話題は,なぜ会社を辞めてニートを選んだのかということ。多数の人たちのように,毎日電車に乗り,職場で同僚たちと世間話をすることに,極度の疲労と嫌悪を感じるということになれば,自分を守るために辞めるしかない。やむにやまれぬ大和魂ということだ。

● 辞めたあと,当面は貯金を取り崩すとしても,どうやって食いつなぐか。けど,どうにかなるものなんだね。
 生活は食うことだけでできているわけではない。それ以外のところでインターネットが著者を大いに助けてくれる。ネットがなかったら,ニートになる決心ができたかどうかわからないと言う。

● 現在の自分の暮らしぶりへの目線,自分の暮らしをめぐる社会との折り合いのつけ方,その社会をどう捉えるかという社会観。
 それらも存分に語られる。本書は学術書ではもちろんないんだけれども,現代社会論のテキストとして読んでもかまわない。

● 著者には賢者の趣がある。損得計算をすれば明らかに損なのだけれども,自分を守るためにニートになった。その損得を超える部分についてのアレやコレを読んでいると,賢という言葉が浮かんでくるわけだ。
 断行の人でもある。断行というと重すぎるか。足腰が軽い人なんだと思える。与えられた人間関係での付き合いには耐え難いストレスを感じるけれども,一ヶ所にじっと佇んでいる人ではないようだ。大事なところだろう。

● 本を出すくらいだから,読書家でもある。自分を納得させるための読書もあったろう。
 本書では以下のものが引用または紹介されている。
 坂口恭平『TOKYO 0円ハウス 0円生活』
 中島らも『バンド・オブ・ザ・ナイト』
 保坂和志『プレーンソング』
 『よつばと!』(電撃コミックス)
 よしながふみ『きのう何食べた?』
 うえやまとち『クッキングパパ』
 真鍋昌平『闇金ウシジマ君』
 西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』
 工藤 啓『「ニート」支援マニュアル』
 中島義道『働くことがイヤな人のための本』
 橋本 治『青空人生相談所』
 山田風太郎『人間臨終図巻』
 高村友也『Bライフ 10万円で家を建てて生活する』
 松本 哉『貧乏人の逆襲 増補版』
 津田大介『情報の呼吸法』
 見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』
 池上 彰『そうだったのか! 日本現代史』
 稲葉振一郎『増補 経済学という教養』
 長谷川英祐『働かないアリに意義がある』
 真木悠介『自我の起源』
 エリック・レイモンド『伽藍とバザール』

● 以下に多すぎるかもしれない転載。
 学校に行くのも会社に行くのもだるいし,人と会ったり話したりするのは面倒臭いし,毎日満員電車になんか乗りたくない。人生ってそんなどうしようもないクソゲーなんだろうか。(p3)
 人生は有限だから全てを選ぶことはできない。自分に本当に大切なこと以外は諦めるのが大事だ。いろんなことを諦めると人生はわりと楽になる。(p6)
 じゃあなぜ,日本に生きる若者がこんなに生きづらさや閉塞感を感じているんだろう。それは多分,日本の経済がまだ成長している頃に作られたルールや価値観が生き残っていて,それがみんなを縛っているせいなんじゃないかと思う。(p8)
 ちゃんと働かなきゃいけない,真っ当に生きなきゃいけない,他人に迷惑をかけてはいけない,といった強迫観念がみんなを縛り付けているせいで,日本の自殺者は年間三万人もいるんじゃないだろうか。(p10)
 世間体なんでいう誰の評価か分からないものを気にするのはやめて,(中略)ゆるく生きていけばいい。お金とか地位とか名誉とかやりがいとかそんな大層なものがなくても,そりあえずの食べる物と,寝る場所と,暇を潰す手段と,あと友達さえいれば,人生なんてそれで十分だ。(p11)
 あんまり先のことを考えすぎても仕方ない。(中略)人間いつ何が起こって死ぬか分からないし,いつかは絶対に死ぬ。人生なんて死ぬまでの間をなんとかやり過ごせればそれでいい。(p11)
 「仕事をせずにいるとすぐに自分から働きたくなる」という俗説は嘘だと思う。それは多分,本当は働きたくないのに嫌々働いている人が自分を納得させるための言い訳なんだろう。(p24)
 僕がニートでありながらいろんな人とつながったり,なんとか楽しく生活を送れているのは9割くらいインターネットのおかげだ。(中略)この現代で会社やお金にできるだけ頼らず生きていくにはインターネットは必修科目だ。(p31)
 京大に入ったまでは傍目にはエリートコースに見えるかもしれないけれど,机の上の勉強ができるだけでレールの上を進んで来られるのは大学入学までだ。(中略)社交性もないし労働意欲もないし技術もない僕には,大学を出たあとに行くあてはなかった。(p35)
 計画どおりにその職場はかなり暇だった。一日二時間か三時間もあれば仕事は終わるし,あとはパソコンに向かって仕事をするふりをしながらインターネットでもしていればいい。いわゆる社内ニートというやつだ。嘘みたいに恵まれた職場だったと思うんだけど,それでも僕には苦痛だった。(p37)
 それ(ツイッター)はブログ時代にはないコミュニケーションだった。ブログを書くとなるとある程度の長文を書かないといけないけど,ツイッターではブログよりももっと日常の生活に近い何気ない会話ができたし,知らない面白そうな人に声をかけて仲良くなるのも気軽にできた。(p43)
 ツイッターが登場したときに思ったのは「これはオンラインとオフラインの区別がなくなる」ということだった。それくらいツイッターは他人の生の日常をそのまま伝えてくれる。(p63)
 都会で無料で時間を潰せる場所の代表格は公園と図書館とブックオフだと思う。(p70)
 もっと適当に,お金なんてなくても全ての人間は安楽に幸せに生きられるべきなんじゃないのか。それが文明ってもんなないのだろうか。(中略)だから,労働以外のよく分からない理由でもっとお金が適当に動けばいい。(p86)
 インターネットは現実ではなかなか口に出しにくいような人間の濃い部分が出ていることが多いから面白いのだ。(p102)
 選択肢が多いほどそこから漏れてしまう人間は減る。選択肢が多いということは絶対的な善だし,この世の不幸の大部分は選べる選択肢が少ないせいだと僕は思っている。学校でのいじめなんかは選択肢が少ないから起こる不幸の典型的なものだ。(p104)
 僕は特定の個人の能力や熱意によって実現されるものよりも,凡庸な人間でもやる気のない人間でも,その中に入ればそこそこ面白く楽しくなれるような仕組みに興味がある。(中略)中心となる人物の存在に依存するのではなく,中心人物が急に死んでも組み上げられたシステムは変わらず回り続けるようなのがいい。(p120)
 人間のすることなんて所詮やってもやらなくてもいいようなことばっかりだ。ほとんどのことは自分がやらなくても他の誰かがやるし、ほとんどのしたことは数ヵ月か数年も経てば消えてしまう。(p142)
 「努力教」を,向いていない人間にまで強いようとするのが日本の悪いところだと思う。 そもそも,頑張ったり我慢したりしないと良い仕事ができないという考えが間違っていると思う。(中略)世の中にある本当に良いものっていうのは,努力とか頑張りとかそういうゴリゴリした感じでつくられたのではなく,もっと軽やかに自然な形で作られたものじゃないだろうか。(p144)
 僕なんかひたすらウィキペディアを読んでいるだけで何時間も過ぎていることがよくある。(p158)
 何かちょっと物を作ったりすることを楽しみにできる人は貧乏に強い。創作は消費ほどお金がかからないし,作ったものがお金に変わることもときどきあったりする。(p159)
 故・中島らもは「『教養』とは学歴のことではなく,『一人で時間を潰せる技術』のことである」と言っていた。(p160)
 時間や体力の余裕があれば安く済むところを,仕事をしていると余裕がないので余分にお金を出して解決してしまうことも多かった。(中略)それは,会社に自分の時間を売ってお金を得たけれど,その得たお金でまた時間を買い戻しているだけのような気がした。(p161)
 ニートにはできるだけ本を読むことを勧めたい。本を読むのって大事だ。一つは,それはいろんなことを考える力を付ける基礎になるから。本の中にはいろんな人間のいろんな思考が渦巻いていて,しかもインターネットよりも密度が濃い。(中略)あと,暇潰しとしても本は最適だ。(p202)
 自己責任論を言う人たちは,そもそもある程度恵まれた環境で育って,たまたま予想外のアクシデントにも合わずにこれまでの人生を送ってこられたせいで,そうじゃない人生のことが想像できていないんじゃないだろうか。(p210)
 頑張るとか能力があるとかそんなこと以前に,頑張れなくても能力がなくても人間は生きていていいと思うんだよね。人間ってそれくらい幅の広いものだし,そうでないとたくさんの人間がいる意味がない。(p217)
 個人の行動の結果をその人が全て負わなければいけないのなら,社会や国家などの共同体がある意味はないだろうと思う。(p220)
 人間なんてみんないろんな要素をランダムに並べた順列組み合わせにすぎなくて,自分の意志で変えられることなんてあんまりないし,自分でなければならないことなんてないような気がしてくる。(p222)
 人間は自分が若かった頃の常識を当たり前と考えて,そのまま生きていくものだというだけだ。(中略)若い人間は抱えている過去が少ないから自由に動けるというだけにすぎない。ただ大事なのは,上の世代が抱えている固定観念に若い人間が縛られる必要は全くないということだ。(p225)
 お金持ちの人ほど「一生懸命働くこととお金を得られるかどうかの関係はそんなにない」「ニートでもいいんじゃないの」って思っていて,そんなにお金がないから嫌々仕事をやっている人ほど「働かざる者食うべからず」「ニート死ね」って批判していたりする。(p232)
 労働なんてもっと適当でいいし,日本人は店に過剰なサービスを求めすぎだ。それは自分の首を絞めるだけなのに。(p235)
 世の中が実用的なものばっかりだと息が詰まるし,無駄に見えるようなものがたくさんあるからこそ,社会に余裕ができたり,世界の多様性が保たれたり,混沌の中から今までにないような新しいものが生まれたりするのだ。ふらふらしてわけ分かんないことをしている人間がたくさんいれば,世界はもっと豊かになるはずだ。(p241)
 ニートが全くいない世界は,人間に労働を強制する圧力がキツくて社会から逃げ場がなくて,自殺者が今よりもっと多いディストピアだと思う。(p246)
 ニートもサラリーマンも,警察官も犯罪者も,起業家も自殺者も,右翼も左翼も,同性愛者も異性愛者も,農家も漁師も,ホームレスもサッカー選手も,みんな現在の社会のある一面を引き受けている。それは全体として一つのものであって,そのうち一部分だけを切り捨てることなんてできない。社会の一部を切り捨てようとすることは,一つの個体が自分を手足を切り落とそうとするのと同じだと思う。(p256)

2017.07.01 番外:PRESIDENT 2017.7.17号-「スマホ&ネット」すごい活用術

編者 鈴木勝彦
発行所 プレジデント社
発行年月日 2017.06.26
価格(税別) 639円

● 特集記事は読んでも仕方がない。切り口は,“PRESIDENTのひとつ覚え”の“高年収vs低年収”。
 「低年収層はLINE,高年収層はFacebookとTwitterを愛用」なんぞとある。「40代以上の低年収層では4割に届かない。20~30代はさらに下がり,17%だ」とある。

● これ,年収の多寡とは関係ないやね。作る方もそんなことは百も承知で作っているんだろうけどね。
 若者はFacebookを見限っている。20~30代より中高年が収入は多いんだろうから,当然,高年収層にFacebook利用者が多いことになる。

● この雑誌で読む価値があるのは,成毛眞さんのインタビュー記事のみ。そこからいくつか転載しておく。
 伝達手段を電話に頼っている人は,相手の都合を考えない,仕事の“デキナイ人”といえる。
 次にダメな人は「ライン」や「メール」で連絡を取ろうとする人たちだ。ホワイトカラーの大半は日常業務でパソコンを用いている。しかし,ラインはパソコンからアクセスができない。
 ん? できるんじゃなかったっけ? あんまりやっている人はいないだろうけど。
 フェイスブックに関していうと,友達の数が多ければ多いほどいいと考え,なかには5000人を超える人と友達になっていることを自慢げに話す人もいる。しかし,データが重くなるだけで,メリットよりもデメリットのほうが大きくなるだけではないか。
 「今日はこの店でこんな料理を食した」「家族でここへ出かけた」などと,個人的な日記のような情報を流している人がよくいる。でも,他人の日記ほど退屈なものはないし,そうした人は「半径50センチメートルにしか興味を持たない人」と私は考えており,もしもフェイスブックで友達になっていたら,アンフレンドしてフォロワーに回っていただいている。
 堀江貴文氏のような真のクリエーターが発信するコンテンツは本当に面白い。しかし,それはもともとの才能の部分が大きく,テクニックでどうにかなるものではないと思う。
 20代,30代の世代は,50代,60代の感性を「古くさい」「お仕着せ」といって受け入れない。一方,潜在意識の中で「いつまでも若くありたい」と願う50代,60代は,若者の感性を喜んで受け入れるものである。つまり,マーケットの中心軸は若い世代の感性によって形成されているわけで,それを掴めるようになると,有望な市場を獲得できる可能性も自ずと高まってくる。そのためには,とりあえず若い世代の近くに身を置くことが大切なのだ。