2017年6月25日日曜日

2017.06.25 外山滋比古 『ワイド版 思考の整理学』

書名 ワイド版 思考の整理学
著者 外山滋比古
発行所 筑摩書房
発行年月日 2017.01.25:元版 1983
価格(税別) 1,000円

● 有名なロングセラー。探せば文庫もあるんだけど,こちらで読んだ。理由は文庫を探すのが面倒だから。

● その文庫を買ったのは,もう30年近く前のこと(もっと前かもしれない)。結局,読まないままできてしまった。そういう本(積ん読っていうんでしょうか)がぼくの書庫の8割を占めている。
 そのほとんどは,ぼくが死ぬまで読まれることはないだろう。

● 以下に多すぎる転載。
 勉強したい,と思う。すると,まず,学校へ行くことを考える。学校の生徒のことではない。いい年をした大人が,である。(p10)
 今はこの傾向はずっと顕著になっている。社会人大学,社会人大学院が猖獗を極めている。まぁ,ひと頃の熱狂は過ぎたのかもしれないけれど。
 勉強好きと大学側の経営的視点が合致しての結果だろうけど,たぶん,大学院に行けばどうにかなるというのは幻想だよね。
 かつてのMBAブームも同じだったのではないか。大金を使ってアメリカの経営大学院でMBAを取った人たちには申しわけないけれども,元は取れたかい? と聞いてみたい。流行に乗せられただけだったのではないか。その流行の仕掛人って,それで儲かる人で,それにウマウマと乗ってしまった人たちは,しょせんは鴨にされるタイプ。
 学校の生徒は,先生と教科書にひっぱられて勉強する。自学自習ということばこそあるけれども,独力で知識を得るのではない。いわばグライダーのようなものだ。自力では飛び上がることはできない。(p11)
 一般に,学校教育を受けた期間が長ければ長いほど,自力飛翔の能力は低下する。グライダーでうまく飛べるのに,危ない飛行機になりたくないのは当り前であろう。(p12)
 寝て疲れをとったあと,腹になにも入っていない,朝のうちが最高の時間であることは容易に理解される。いかにして,朝飯前の時間を長くするか。(p27)
 文学研究ならば,まず,作品を読む。評論や批評から入って行くと,他人の先入主にとらわれてものを見るようになる。(p31)
 外国に,“見つめるナベは煮えない”ということわざがある。早く煮えないか,早く煮えないか,とたえずナベのフタをとっていては,いつまでたっても煮えない。あまり注意しすぎては,かえって,結果がよろしくない。しばらくは放っておく時間が必要だということを教えたものである。(p38)
 同じ問題について,AからDまでの説があるとする。自分が新しくX説を得たとして,これだけを尊しとして,他をすべてなで切りにしてしまっては,蛮勇に堕しやすい。(p46)
 ことばでも,流れと動きを感じるのは,ある速度で読んでいるときに限る。難解な文章,あるいは,辞書首っぴきの外国語などでは,部分がバラバラになって,意味がとりにくい。残像が消滅してしまい,切れ目が埋められないからである。そういうわかりにくところを,思い切って速く読んでみると,かえって,案外,よくわかったりする。(p63)
 何かを調べようと思っている人は,どうも欲張りになるようだ。大は小を兼ねるとばかり,なんでも自分のものにしようとする傾向がある。これでは集まった知識の利用価値を減じてしまう。対象範囲をはっきりさせて,やたらなものに目をくれないことである。これがはじめのうちなかなか実行できにくい。(p86)
 ものを考える頭を育てようとするならば,忘れることも勉強のうちだ。忘れるには,異質なことを接近してするのが有効である。学校の時間割はそれをやっている。(p119)
 二十年,三十年とひとつのことに打ち込んでいる人が,そのわりには目ざましい成果をあげないことがあるのは,収穫逓減を示している証拠である。(中略)知識ははじめのうちこそ,多々益々弁ず,であるけれども,飽和状態に達したら,逆の原理,削り落し,精選の原理を発動させなくてはならない。(中略)はじめはプラスに作用した原理が,ある点から逆効果になる。そういうことがいろいろなところでおこるが,これに気付かぬ人は,それだけで失敗する。(p129)
 頭の中で,あれこれ考えていても,いっこうに筋道が立たない。混沌としたままである。ことによく調べて,材料がありあまるほどあるというときほど,混乱がいちじるしい。いくらなんでもこのままで書き始めるわけには行かないから,もうすこし構想をしっかりしてというのが論文を書こうとする多くの人に共通の気持である。それがまずい。 気軽に書いてみればいい。あまり大論文を書こうと気負わないことである。(p135)
 書き進めば進むほど,頭がすっきりしてくる。先が見えてくる。もっとおもしろいのは,あらかじめ考えてもいなかったことが,書いているうちにふと頭に浮かんでくることである。そういうことが何度も起れば,それは自分にとってできのよい論文になると見当をつけてもよかろう。(p137)
 これはよく言われること。って,最初に言ったのは外山さんかもしれないけれど。書くという行為自体が,頭を刺激することがたしかにある。
 書き出したら,あまり,立ち止まらないで,どんどん先を急ぐ。こまかい表現上のことなどでいちいちこだわり,書き損じを出したりしていると,勢いが失われてしまう。(p137)
 森博嗣さんも同じことを言っていたな。小説家になりたければ,まず書いてみること。一作を仕上げることだ,と。
 考えごとをしていて,おもしろい方向へ向かい出したと思っていると,電話のベルがなる。その瞬間に,思考の糸がぷっつりと切れて,もう手がかりもなくなってしまうという経験もする。(中略)それくらい姿をかくしやすいのが考えごとである。(p147)
 お互いに自分の過去をふりかえって,とにかくここまでやってこられたのはだれのおかげかと考えてみると,たいていは,ほめてくれた人が頭に浮かぶのである。ある老俳人は,ほめられたからこそ,ここまで進歩したとしみじみ述懐している。ほめてくれた批評によって伸びた。けなされたことからはほどんど裨益されなかったというのである。(p148)
 調子に乗ってしゃべっていると,自分でもびっくりするようなことが口をついて出てくる。やはり声は考える力をもっている。われわれは頭だけで考えるのではなく,しゃべって,しゃべりながら,声にも考えさせるようにしなくてはならない。(p159)
 同じ専門の人間同士では話が批判的になっておもしろくない。めいめい違ったことをしているものが思ったことを何でも話し合うのがいい(p163)
 生物学的にインブリーディングがよろしくないとすれば,知的な分野でもよかろうはずがない。企業などが,同族で占められていると,弱体化しやすい。(中略)それなのに,近代の専門分化,知的分業は,似たもの同士を同じところに集めた。(p167)
 ブレイン・ストーミングはこうして,いろいろな考えを引き出すのだが,はじめのうちに出てくるものは,多く常識的で,さほどおもしろいものではない。もうあらかた出つくしたというところで,さらに頭をしぼっていて生まれるのが,本当に新しい,これまでは夢にも考えられなかったようなアイデアである。 よく,考える,という。すこし考えて,うまくいかないと,あきらめてしまう。これでは本当にいい考えは浮かんでこない。(p169)
 夜,床に入ってから眠りにつくまでよりも,朝,目をさまして起き上がるまでの時間の方がより効果的らしい。(p173)
 本に書いていない知識というものがある。ただ,すこし教育を受けた人間は,そのことを忘れて何でも本に書いてあると思いがちだ。(p178)
 よくしゃべる人の方が老化しにくいと,老人ホームの職員たちはいう。しゃべるには頭を使うからであろうか。それについて思い出されるのは,スウェーデンだったかの老人ホームの試みである。老人たちに,趣味のグループをつくらせた。その中に外国語学習グループを設けた。はじめは人気がなかったのに,やがて,もっとも人気のあるグループになった。メンバーがみんな元気で,なかなか死なないからであった。(p182)
 社会人も,ものを考えようとすると,たちまち,行動の世界から逃避して本の中へもぐり込む。読書をしないと,ものを考えるのが困難なのは事実だが,忙しい仕事をしている人間が,読書三昧になれる学生などのまねをしてみても本当の思索は生まれにくい。(p195)
 考えるのは面倒なことと思っている人が多いが,見方によってはこれほど,ぜいたくな楽しみはないのかもしれない。何かのために考える実利実用の思考のほかに,ただ考えることがおもしろくて考える純粋思考のあることを発見してよい時期になっているのではあるまいか。(p217)

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