2017年6月13日火曜日

2017.06.13 茂木健一郎 『ヤセないのは脳のせい』

書名 ヤセないのは脳のせい
著者 茂木健一郎
発行所 新潮新書
発行年月日 2017.04.20
価格(税別) 780円

● ダイエットしろとか,ダイエットなんかしなくていいとか,ダイエットの是非が論じられているわけではない。
 この本で茂木さんが何を言いたかったのかは判然としない。巷間はびこっているダイエット法に悪態をつきたかったのか。脳は保守的だからダイエットは難しいんだよ,ってことか。

● ただ,部分々々が面白くて,ほぼ一気通貫で読了した。

● 以下に多すぎるかもしれない転載。
 この頃,精神的にもちょっとやさぐれていた時期でもあります。人間関係や日本社会をめぐるいろいろな状況に絶望的な気分になっていて・・・・・・。人や社会は絶望的でも「おいしい」は俺を裏切らない---そんなことを考えていたのです。(p33)
 いかにメンタルのコンディションがダイエットの成功を左右するか(p33)
 体重変化で大切なのは,そのような「ゆらぎ」を超えた長期傾向です。ところが,その変化がゆっくりなので,なかなかその意味に気づきにくいというわけです。人間の脳は,ゆっくりとした変化を認識するのが苦手です。(p35)
 マシン・トレーニングは、その動き自体が,ためにするトレーニングというか不自然に思えてしまう。(p44)
 ぼくも同意。正しいか間違っているかの話ではなくて,共感を覚える。体を動かすことを目的にしている時点で,そもそもおかしい。体を動かすのは何か目的があって,そのための手段であるはず。
 散歩だって,散歩のための散歩ならおかしい。気持ちがいいから,というならわかる。ジムに通うのも,楽しいからというなら,それはわかる。
 勉強のための勉強,運動のための運動。いずれもあって悪いとは思わないんだけど,形として美しくないというか。
 生きる指針があり,それを遂行した結果,必然的に身体も鍛えられるというのが理想です。(p81)
 二十歳くらいの女性と話していた時,彼女が「夜にお腹を空かせたまま寝るのが快感だ」と言っていたのが印象的でした。ダイエット落伍者は,酒を飲んでさらにラーメンを食べてお腹いっぱいになって寝る。むしろ,それが快感。しかし,これは年を取って前頭葉の抑制作用が緩んで,どんどん我慢ができなくなってきている証拠かもしれません。(p62)
 猫も杓子もダイエットに勤しみ,アンチエイジングをはかろうという社会は,若さを無条件に称揚して,老化を全力で否定しているようにも見えるのです。(中略)若さのモノカルチャーが支配する社会は,全体として幼いと言えるのかもしれません(p69)
 ダイエットして若さを取り戻したいと言いつつ,その方法論があまりにも小賢しくてちまちましている。それ自体が若さとはほど遠い。そもそも子供や若者は好きなだけ食べるものですから。(p70)
 ある種のダイエットというのは,結局,今生きている自分という存在自体を手段として扱ってしまっている。一年後にヤセている自分を実現するために,糖質制限をして炭水化物を食べないというのは,(中略)「未来のあるべき自分」という目的のために,「今ここにいる自分」を道具にしてしまっているわけです。(p71)
 小学生の頃から私は,勉強法は自分で見つけなければ意味がないと思っていました。それはダイエットでも同じことです。(p76)
 一生をかけて挑むような目標を決め,それに向かって精進するためには,自分で自分をスパルタ教育する必要があると思っています。他人に与えられた課題を解いていくだけでは,東大ぐらいは入れるかもしれませんが,それ以上のことができるかどうか。(中略)大事なのは,「大学までの人」になるのか,「大学からの人」になるのかということです。(p85)
 楽して英語が上達する方法なんてありません。CDだけを聴き流して英語が身につくはずがないのです。これは勉強でもスポーツでも同じことです。(p99)
 人生って,本来は臨機応変なものだと思うのです。何かひとつの方法だけを正しいと思い込んで,他を排除して攻撃する--というのは,どのジャンルにも言えることですが,不毛なことだと思います。(p103)
 他人や社会に「認めてもらいたい」という承認欲求が強いということは,裏を返せば,現時点での自己評価が低いということなのです。(中略)そのように生きることは,いわば自分という存在の価値を他人の評価に委ねる,「永遠の悪循環」に陥ることを意味します。(p112)
 体重を毎日計測するといういわば数字に裏付けられた「メタ認知」があったからこそ,このような取り組みも可能になったわけです。ヤセたような気がする,太ったような感じがする,といった「印象批評」では,強化学習の基礎となるデータが得られません。やはり,厳しいようでも自分の客観的な数値を把握することが大切なのです。(p125)
 マインドというのは身体と密接につながっていて,それは行動や習慣を通して変化していくものです。つまり,何か行動する前にマインドだけが変わるということはなかなかあり得ません。(p141)
 「行動するためのやる気を起こすにはどうしたらいいか?」ということを,みなさん知りたいのだと思います。それに対する私の答えをズバリ申し上げましょう。やる気は必要ない。以上です。(中略)「やる気というのは,それがあるから行動できるものではなくて,むしろ行動しないことの言い訳として使われがちです。(中略)一時の「熱意」や「やる気」ではなく,「習慣」こそが必要なのです。やる気はある意味で「贅沢品」なのです。(p147)
 仕事でもエクササイズでも,必要なことは自分と「やるべき事」の間に壁をつくらないことです。「やる気」は,自分が「やるべき事」をするために背中を押してくれるというよりは,むしろ自分と「やるべき事」の間に壁を作ってしまうのです。(p151)
 人間の脳というのはふしぎなもので,何か行動を起こしたとの理由というのは,すべて後付けだということが,これまでも研究でもわかっています。一見,合理的に思える理由でも,それは行動した後に付与されたものなのです。(p165)
 いくら「自分を変えよう,変えたい」と心に決めたとしても,本当に変わるのは難しいものです。脳というのは基本的に保守的な傾向があり,ホメオスタシスを重視するのが基本でもあります。(p166)
 創造性を発揮するためには,思い切って新しいことにチャレンジしなくてはいけません。(中略)そのために邪魔になるものがあります。その最たるものが間違ったプライドです。(p167)
 創造は変化からしか生まれません。(p169)
 文脈を過剰に意識したものは,文脈自体を越えていく力がない(中略)時代を越えて普遍性を持つものというのは大体においてシンプルです。その時代,その場所の文脈に過剰に適応させてしまったものは,一時的なブームは起きるかもしれないけど,文脈を飛び越えていくことがなかなかありません。(p179)
 英語学習の近道は,とにかく原書を読むに限ると思うのですが,そう言うと「どの本を読めばいいですか?」と聞いてくる人が必ずいます。(中略)「Just do it!」,それだけです。(中略)「形から入る」タイプは,わざわざ文脈を太く,そして蜘蛛の巣のごとく細かく張り巡らせて,本来の目標からどんどん遠ざかってしまいがちです。むしろ,文脈それ自体を消費することに快楽を感じているのかもしれません。(p186)
 自由意思とうものが幻想だとしたら,「私」という存在が曖昧なものだとしたら・・・・・・。そもそも誰が「自分」を支配しているのでしょうか?(中略)それは“外”からやってくるのです。“外”というのは,つまり“社会”のことです。(p208)

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