2017年5月24日水曜日

2017.05.24 夢枕 獏 『幻想神空海』

書名 幻想神空海
著者 夢枕 獏
発行所 マガジンハウス
発行年月日 2014.05.29
価格(税別) 1,500円

● 面白かった。一気通貫で読了。
 夢枕獏さんの着眼のユニークさ,発想の奇抜さを堪能できる。空海はそのための素材にすぎない。

● とはいえ,その素材が凡百の人物であれば,着眼も発想もインスパイアされないだろう。空海ならば,相手にとって不足はないというところか。

● 以下に少し多すぎる転載。
 司馬さんが書いてきたものの絵解きをすると,キーワードは戦なんだよね。司馬さんはね,戦争で大陸に行っている。太平洋戦争の時,一発でも弾丸が入ってきたら,跳弾で中にいる人間がズタズタになっちゃうような戦車に乗っていたんだよね。日本人って,なんでこんなバカな戦争したんだろう,という大きな疑問を,司馬さんは,戦争体験で背負っちゃったんだろうね。(p12)
 宗教として現役感のあるお寺というのは少ないんだよね。みんながお寺にもとめているのは,庭であったり,紅葉だったり,そういう侘び寂びや歴史的な由来だったりする。(中略)でも,高野山は凄いことに信仰がまだ生きているんだね。(p19)
 空海はね,古代の神と仲良くするのが上手だった。もともとは高野の地に住んでいた丹生都比売とか,狩場明神とかね。で,その古代の神は何かというと,ぼくは「縄文の神」なんじゃないかと思ってる。(p20)
 最澄は,頭の良さというところは,空海と同じくらいの知識人だったと思うんだけど,ただ,空海と何が違っていたかというと,真面目さだと思うんだよね。すごく真面目な人だったと思う。人間の持っている弱さを許せない,もしくは許す時に何かのロジックが必要な人だったと思うね。(中略)でも,空海が許す時は「人間とはそういうものだ」という,短い一言で許したと思えるね。(p38)
 ぼくは日本が世界に誇れる三大偉人に,空海,宮沢賢治,アントニオ猪木と,言ってた時期があったんだけど,外国人と渡り合った日本人というのは,わりといるんだよね。平安前後だと,空海と阿部仲麻呂。阿部仲麻呂は唐で出世しちゃって。明治くらいになるとまた出てきて,講道館柔道の前田光世,博物学者の南方熊楠,作家の森鴎外。ポイントは,外国で外国の言葉でケンカをして,相手をやっつけることができた,というところ。(p48)
 空海はやっぱり言葉のマジックを信じていた人だったから,言葉とか文字をめちゃくちゃ大事にしてるよね。(p54)
 ぼくの感覚では,漢字は一文字ずつが物語であり,神話なんですよ。一文字の中に,エジプトの象形文字と比べても,遜色のない,深いドラマ性がある。それを空海は知っていた。空海は呪力としての漢字を知っていたと思う。だから彼は言霊の魔術師なのだ。『三教指帰』の時にはもうその片鱗はあって,自分のものにしていたと思うね。(p89)
 空海は若い頃『虚空蔵求聞持法』を唱えて,記憶力を高めたと言われているけれど,この虚空蔵というのは,アガスティアの葉のことであり,アカシックレコードのことだと思う。空海がやっていた『虚空蔵求聞持法』というのは,まさにサイババであったり,そういったすてきで面白くて,いかがわしい人たちのやっていたことに,つながっているわけで。(中略)まかり間違えれば,空海なんかは,そういう人たちの一人だったかもしれない。違うのは,空海は私腹を肥やそうとしていない,ってところだね(p74)
 李白の持っている白髪三千丈の要素と,俺ならば何でもできるさ,という要素が,もうこの『三教指帰』の中にある気がするんだよ。(p79)
 当時の南都六宗にも,まったく納得してなかった。でも,否定もしなかった。これも空海のすごいところ。否定したのは,むしろ最澄。(中略)でも,空海は逆に東大寺を抱え込んでしまう。最澄が捨てたものを,空海は拾った。(p83)
 ぼくが伝奇を書きたいと思ったきっかけも,宇宙論の話なのだと思うんだ。根本的なものを要素としてはらんでいないと,なかなか書ききれない。書くモチベーションが途切れてしまうんだよ(p90)
 今,ぼくらが知っている,いろいろな神様や妖怪のものは,縄文時代にあると思ってるんだ。あるいは縄文的な発想で,妖怪って生まれていると思うんだよね。八百万の神,すべてのものに神が宿る,という。まさしくこれは縄文の信仰だと思う。(p91)
 闇が怖いな,と思って人間が見ていると,闇は怖いものに変質して,ある特徴を持っていく。だから,ある石を人間が先年拝んでいるとして,それを神として拝んでいれば,石は神になる(p93)
 例えば曼荼羅もそう。大日如来という根本原理があれば,あらゆるもの,つまり縄文の神々だって,絵として描かれていてもまったく問題ないわけ。神仏混淆というのは,空海以降の考え方だと思う。(p96)
 空海は破壊を伴わずに革命を起こした,珍しい人。血を流してないでしょ? 空海は多分。あれだけの革命をしたのに。(中略)だから『理趣教』的なところから言うと,やっぱりみんな肯定しなきゃいけないんだよ。人間の心の問題だけじゃなくて,村同士,民族同士の関係でも,お前も正しい,けれど俺も正しい,なぜならば,もとを正せば同じ大日如来だから,というロジックが空海にはあった。(p97)
 阿弥陀如来だろうが,禅だろうが,それって格闘技の流派と同じなんですよ。(宮崎信也 p106)
 真理はおのおのすべてにあるという金剛界的理解と,根本の真理は一つだ,という胎蔵部的な理解。一つの生命からすべては広がっていって,収束していくという話と,おのおのに真理というのは拡散して存在している,とう両方に真理の形があるという。(宮崎 p110)
 空海以前はなんて言うんだろう,一人の人間が修行して仏に近づこう,っていうような発想ってあんまりなかったよね。(p114)
 奈良時代の仏教って,学問として中国のそういうものがあるからって翻訳してやってますけど,南部六宗の法相宗にしてもそうですし,華厳宗にしみてもそれは言葉の上であって,それを自分の中で体現しようとはしていない。奈良の大仏なんてめちゃめちゃ大きいけれど,あれ単に天照大神ですよね,たぶん。(宮崎 p117)
 あんなにたくさん一人の人間が書いたものが残ったっていうのは,空海が最初じゃない? 今だって,こんな分厚い空海全集がまるごと残っていて。あと思い浮かばないよね。空海以前はないよね。その後もあんまりないよね。あんなに膨大な量を書いた人。(p118)
 音楽も,レコードが生まれる前は一次産業だったんですよ。音楽は自然と人を直接に結ぶものだった。(宮崎 p121)
 「方便をもって究竟と為す」って言葉あるじゃないですか。何かをしていくための方法論を「方便」って言いますけど,それが絶えず現実的な意味を持って,ダイナミックに動いてないと,それは意味がないんじゃないか,と。闘っていないチャンピオンはチャンピオンじゃないってことです。(宮崎 p128)
 空海は,綜藝種智院という日本で最初の私立大学を作るわけですけれども,『三教指帰』などで仏教の優位性を主張したのは,俺の若気の至りだ,間違っていた,って言ってるんですよ。(宮崎 p141)
 空海は中国に行くまでは,自分のことしか考えていないんですよ。(宮崎 p142)
 (宮沢賢治は)知識が中途半端だったらしいんですよ。頭でっかちで,農民学校で,専門学校で勉強したことをすぐ農村で応用しようとしたら,どういう土地であるとか,そういうことを宮沢賢治は理解せずに,上から頭でっかちでやったもんで,農民から馬鹿にされるわけですよ。(宮崎 p155)
 農民は自然と一緒に大きなサイクルの中で生きようとしているのに,宮沢賢治はもっとちゃんと土地改良に励めとか,石灰をまかなくちゃいけないとか,窒素肥料がないとか言って,糾弾するわけですよ。(宮崎 p156)
 宮沢賢治のすごいのは,そこにある阿褥達池っていうマナサロワール湖のことをね,詩に書いてるんだよ。実際に行くとね,ホントに「すごい! なんでわかるの?」っていうくらい似てる感じなんだよね。すごいよ賢治は。そういうところは。(p158)
 空海はね,どこに生まれても,空海になっていたと思うんだよね。(中略)宮沢賢治もね,どこに生まれても宮沢賢治になった人なんだよ。二人とも,どこに生まれても,その場所から銀河系を見ていたんだから。地球上のどこに生まれても,銀河系や宇宙との距離は同じなんだよ。(p160)
 空海は一つの真理だけじゃ,絶対に人は幸せにならないと思っていたのは確かなんですよ。だから金剛界で示される真理は,根本的なものではあるけれども,世の中がこうなってしまったからには,この世界を否定して新しいものを作ってもだめで,今生きている人たちに恩を返すような方法として考えなくちゃいけない,と。この世界が間違っているなんて,思わなかったみたいなんですね。(宮崎 p166)
 基本的には「犀の角の如く独り歩め」っていうくらい,集団で教団を作るのって良くないと,お釈迦様は思ってたみたいで。集団で活動して,例えば三人でひとつの村に托鉢に行くと,村はみんな迷惑しちゃう。(宮崎 p175)
 戒律っていうものがもともとできたのは,仏教教団というものが世間から悪く見られたら困る,という常識を気にしてるんですよ。(宮崎 p180)
 いやぁ,学ばないよ人は。歴史に学んでないし。理不尽なことだらけだよね,歴史見てると。(中略)人間って反省しないんだよね。もう理不尽なことだらけでできてるんだよ,社会って。だから,もう自分さえよければいいや,ってところへ行っちゃうよね,突き詰めると。みんなのためにやっても無駄だっていう証明じゃない。いろんなことがあっても結局みんな死んでいくしさ。(p207)
 官僚というから僕らは誤解してしまうのであって,あれは貴族ですよ。(宮崎 p210)
 例えば「私というものは存在しない」っていうところまで,脳科学ってきてるじゃない。(中略)運動準備電位っていうのがあって,それは,それを持とうと思う前に,それを持つための電位がもう,脳の中に発生してるんだって。だから,私がいて何かの行為をしているのではなくて,行為を脳で発動した時に,その途中で私というものができてくる。だから,私というのは,脳が便宜上作った架空のまやかしの存在じゃないか,というのが,脳科学の最先端の話なんだよ。(p217)
 臓器移植やiPS細胞やクローンもそうだけど,やっぱり今は哲学や宗教が圧倒的に遅れている。十八世紀くらいからそうでしょうけどね。文系が理系に追いついていない。(宮崎 p230)
 大衆はね,ある意味最強でしょう。結局,どんな天才も,最後には大衆に消費されてく運命を持ってるからねぇ。(p233)
 空海は,良きもの悪しきもの,そのどれも全て人の心の生態系として,受けとめる。それを肯と空海が高らかに歌っている。そこに,迷いがないように思える。(p238)

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