2017年5月21日日曜日

2017.05.21 茂木健一郎 『幸せとは,気づくことである』

書名 幸せとは,気づくことである
著者 茂木健一郎
発行所 プレジデント社
発行年月日 2015.09.16
価格(税別) 1,300円

● お得な生き方を説く人生論。矢継ぎ早にこの種の本を出しているねぇ。これについて著者自身がどこかで語っているのを読んだ記憶があるんだけど,その趣旨は忘れてしまった。
 しかし,多くの読者に受け入れられているようだ。読むと元気が出る。もちろん,一時的なカンフル効果以上にはなかなかならないんだけど,本とはそういうものだろう。

● 著名な脳科学者が書いていることだからという安心感もあるでしょうね。現在の脳科学の知見が,将来においては,全面的に書き換えられる可能性もあるんだろうけど。

● 以下にいくつか転載。
 自分の個性は、他人という鏡に映って,初めて知ることができる。(p4)
 世界は複雑であり,自分自身もまた奥深い。しばしば,脳の一〇%も使われていないという説を聞く。実際には,脳の潜在能力全体から見れば,一%どころか,もっと少ししか,私たちは使っていない。(p5)
 脳は,何が起こるかわからない「サプライズ」こそを,栄養として成長する。(p6)
 ストレスを感じないで働くための秘訣は何か。何よりも大きいのは,自分でコントロールできることと,できないことの区別をすることである。そのうえで,前者については全力を尽くす。後者については,うまくいかなくても諦める。(p15)
 幸せとは「気づく」ことであると,さまざまな研究結果が示している。自分の人生の中の,ごくあたりまえの恵みに目覚めることが,汲めども尽きぬ幸せの泉となるのだ。(p19)
 幸せの青い鳥は,最初から家にいたのかもしれない。しかし,家に閉じこもったままでは,その意味に気づくことはできなかっただろう。(中略)他者との出会いがあって初めて,身近にある幸せの泉に気づくことができるのだ。(p21)
 人間の脳は,もともと,楽観的にできている。楽観的なくらいがちょうどよく,そのような状態で初めて脳が十全に機能するのである。(p26)
 自信を持つのに,根拠などいらない。できると最初からわかっているのならば,あえてチャレンジする意味もない。(p28)
 感情や気分を生み出す脳の古い部位は,理性を司る脳の新しい部位よりも,むしろ先をいく。まずは感情が生まれて,それを理性が整理し,追随するのだ。(中略)分析が先に立ってはいけない。まずは,感情のインフラがなくてはならない。だからこそ,脳は楽観的であるのがいい。(p28)
 最近,学生たちとしゃべっていると,「ポエム化現象」に気づく。「夢」だとか,「一生懸命」といった,キラキラした言葉で,自分の人生を語ろうとする傾向が強い。(p36)
 談笑さんによると,子どもは,大人たちにとってのタブーについての話こそ,大声で笑うのだという。(p37)
 本当は,そんなに働かなくても,自由はもともと手にしているのかもしれない。必死になって成功して,やっと余裕ができる。それは,ある見方をすれが,一周して「振り出し」に戻ったということなのかもしれない。(p39)
 集中して時を忘れる「フロー」の状態では,頑張っていることが実はうれしいこと,楽なことである。頑張るとうことは,決して無理をするということではない。(p41)
 学歴がないと幸せになれないとか,結婚しないと幸せになれないとか,あるいは正規雇用に就けば幸せになれるとか,そのような特定のポイントに,自分が幸福になれるかどうかの分岐点があると信じてしまう。これが,「フォーカス・イリュージョン」である。(中略)特定のポイントが満たされなければ幸せになれないと信じ込んでしまうと,幸せに至る多用な道筋が見えなくなる。(p44)
 「仕事」と「遊び」は別だと考える人が多い。特に,日本人はマジメ。「仕事」に「遊び」を持ち込むなんて,とんでもないという意見が目立つ。しかし,脳科学的に言えば,最も創造的で,効率のいい仕事ができるのは,まるで遊んでいるかのように仕事に取り組むときである。(p65)
 日本でいえば,高度経済成長時代の「モーレツ社員」こそが,一番遊んでいたのかもしれない。(p67)
 創造することは,思い出すことに似ている。何かを想起する際には,側頭連合野の記憶が,そのまま前頭葉に引き出される。一方,創造するということはすなわち,記憶が編集され,結びつきを変えて活用されるということである。(p73)
 側頭連合野に記憶が蓄積されるということは,創造するための素材になってくれると同時に,固定観念にとらわれてしまうリスクともなる。(p74)
 文脈を超えて,より広く伝える。そんな「プレゼン」の奥義は,「愛のあるサプライズ」にあると,私は考えている。(中略)ここに,「愛」とは何か。何よりも,相手のことを考えることである。(p89)
 ある人が「嫌い」だということは,つまり,それだけ関心があるということである。非難したくて仕方がない。つい,さまざまな人を相手に,その人の悪口を言ってしまう。気づいてみれば,かなりの心的エネルギーを,嫌いなはずの人に対して費やしている。(中略)それは,ほとんど,「好き」に近い。(p94)
 現代におけるイノベーションは,旧来のシステムに対して破壊的作用をどこかで持つから,抵抗を受けるのは当然である。新しい技術や,サービスを提案する者は,必ずある程度の誹謗中傷を受ける。世間から褒められるだけの優等生には,破壊的イノベーションはなかなかできない。(p101)
 私たち人間には,失敗すると,他人が実際よりも厳しい目で見るのではないかと勘違いする傾向がある。このような認知バイアスがあるため,人間は,何かに挑戦しようとする際に不必要な不安を抱いてしまうらしい。(p103)
 世の中には,邪魔なもの,ムダなものだと思われているが,実際には役に立つもの,大切なものがある。「雑談」はその一つの例であろう。(中略)雑談は,真面目に考えてみると,大変奥深い。何しろ,事前に準備することができない。どんな内容が話題になるか,予想することができない。(p106)
 猿たちは,自由な時間のかなりの部分をお互いの毛繕いに費やしているという。猿に比べれば,さらに複雑に発達した社会構造を持つ人間。多くの時間を人間にとっての毛繕い=会話に費やすことは,当然の行動と言える。友人関係を保つことは,時に面倒臭い。だからこそ,脳を使う意味がある。(p121)
 自分の利益を一時的にせよ忘れて,相手の利益を想像してみることが,結局は自分の利益になるのだ。(p128)
 アメリカでは,異なる立場,考えの人にいかに自分の意見を伝えるか,説得するかという技術を徹底的に鍛えられる。(中略)その結果,何が起こるか。説得のかたちを工夫しているうちに,研究の内容という「実質」が鍛えられるのだという。(中略)従来,日本人は,コミュニケーションが苦手でも,「実質」さえしっかりしていれば大丈夫だと考えてきたところがあるのではないか。しかし,本当にそうか。(p142)
 私は,たまたま堀江(貴文)さんを親しく知る機会があって,真っ先に思うのは,堀江さんは努力家だということである。人の一〇倍,いやひょっとしたら一〇〇倍の努力をしている。(中略)実像は努力家なのに,なぜ,世間ではそのイメージが伝わっていないのか? 先日,堀江さんとお話していて,本人が意図的にそうしているのだということを知った。(中略)堀江さんは,例の,少し斜に構えたような言い方で答えた。「だって,頭のいい人がものすごく努力しないと成功しない,と思われたら,やってみよう,という人が少なくなってしまうじゃないですか」(p152)
 しかし,ここからが肝心なのだが,成功するためには,頭がいいことも,ものすごく努力することも必要ない。(中略)とにかくやってしまうことが大切である。(中略)世間を見ると,学校の成績がよかったとか,知識があるとかそういう人間に限って,実際に試す前に見切った気になってしまって,行動しないことが多い。それでは,成功は覚束ないだろう。(p154)
 日本人が英会話を上達させる方法。それは,ずばり,「なんとなくこう」というフィーリングを鍛えること。「正しい」「正しくない」の文法知識よりも,「気持ちがいい」「語感がいい」というフィーリングこそを身につけよう。(p163)
 この世は完全な予測などできないということは,科学的に「証明」されている。生命現象,社会現象,気象現象をはじめ,さまざまな分野で「1+1=2」にならない,「非線形性」がある。現在の傾向を敷衍して,未来はこうなるだろう,と予測したくなるのは人間の常だが,たいていの場合そうはならないのである。(p171)
 人間の脳は,未来を予測するよりも,予測できないことが起こったときに対応するほうが得意である。(p172)
 数字は,自分自身の「ありのままの姿」を映し出す鏡でもある。私は去年の八月から,一〇㎏の減量に成功したが,すべては毎朝体重計に乗ることから始まった。「太っている」という事実に,数字を通して向き合うことから,何かが始まる。(p177)
 脳の「アンチエイジング」において最も大切なのは,「新分野」に挑戦することである。自分ができるかどうかわからないことに取り組んで成功すると,脳の報酬系のドーパミンが前頭葉を中心とする回路に放出される。(p179)
 私の周辺でも,「あいつは欠かせないな」という人物が何人かいる。そのような人物は,ある特定の問題の専門家であるというよりは,「場」をつくることができる人物だというケースが多い。(中略)逆に言えば,今の時代,専門家は代替可能である。(p188)
 グローバル化の時代には,ローカルな文化の価値が上がるのは,むしろ当然のことかもしれない。世界中どこに行っても同じでは,交流する意味もあまりないからである。(p208)

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