2017年4月17日月曜日

2017.04.17 森 博嗣 『正直に語る100の講義』

書名 正直に語る100の講義
著者 森 博嗣
発行所 大和書房
発行年月日 2016.08.15
価格(税別) 1,300円

● 頭のすこぶる強い人が書いた文章を読む幸せ。

● 以下に,多すぎるかもしれない転載。
 成功者に学ぶ,成功例を参考にする,というのは間違いではない。ただ,一つ気づいてほしいことがある。売れているものが既にあるなら,同じものはもう売れない,ということだ。(p14)
 多くの人は,自分がどう考えるかよりも,みんながどう思っているのかを想像する方を優先する。(中略)ようするに,自分の考えを持たないように努力している。(p16)
 人間の思考というものは,もう少し高等であって,論理を組み立て,未来を予測し,自分が進むべき道を選択することができる。現在見ている範囲の状況だけで判断する動物とは,ここが違う。(p17)
 才能を褒め称えられる側の成功者も勝者も,自分に才能があったなんて感じているだろうか? おそらく,感じているとしたら,「努力をする才能」程度では? 「運」も同じである。「運がなかった」と諦めるためにある言葉のように感じる。(p19)
 「意欲」を測ろうということが,そもそも雲を掴むような話で,口で言うのは簡単だが,実現は本当に難しい。(中略)幻想のようなものを見ようとするから,見せる方は幻想を演じることになる。ようするに演技力の勝負になってしまう。たぶん,社会においても,この演技力がものを言うわけだから,まんざら間違った評価でもない。でも,本質ではないのは明らかである。(p24)
 「褒めて育てよう」という子育て法が広まったのも,褒めることが親にとって簡単であり,できそうな手法だったからだろう。(p27)
 一部の人は,自分の「将来」というものを他者が作ると認識している。たとえば,「政府になんとかしてもらわないと困る」と本気で考えている。これは,既に,動物園の檻の中にいるような状態だといえる。(p33)
 「気がする」というのは,ツイッタなでも非常に多い表現で,大勢の人が毎日,いろいろなことで呟いている。(中略)僕に言わせると,そういう呟きばかりする人は,既に負けな気がする。(p35)
 作ることは苦労を伴う。消費にはそれがない。この対比は絶対的だろう。多くの人は長時間働くことで,僅かな楽しみの時間を得ている。(中略)この絶対的比率があるかぎり,快楽の何倍もの苦労を伴うのが人生ということになってしまう。(p42)
 時間をかけることに本当の価値,楽しさがあるものは多い。お金を出して買えば,一瞬で楽しさが得られるけれど,コストパフォーマンス的には低い,ということである。(p43)
 自分を観測するには,周囲が自分をどう扱うのか,自分がなしたもの,自分が作ったものを他者がどう評価するのか,という視点をもたなければならないだろう。(中略)この他者の評価を自分の視点で再評価することが大事で,そうしないと,ただ周囲に流され,人を気にしてばかりの人間になってしまう。(p47)
 「もうこの歳になったら,新しいものはわからない」と諦めて,ただ毎日TVを見て新聞を読んで出てきたものを食べる。関心は自分の子供や孫にしかない。せいぜい,たまに旅行をして,名所,自然を愛でて,昔を懐かしむ程度。まるで死の待合室で大人しく座っているような存在ではないか。(p49)
 どうせ自分には無理だから,時間がないから,面倒だし,あまり興味が湧かないし,と新しさを拒絶する。エネルギィを使いたがらない。「生きる」ためには少なからず「障害」がある。しかし,それらに抵抗し続けることが,「生きる」「生き続ける」という意味なのである(p49)
 自分の好きなこと,興味のあることで小説を書くという発想が,僕にはありえないものだ。(中略)自分の経験から出すものは安物だと思ってもらっても良い。(p53)
 難しいことを少しでも易しくしよう,という工夫が準備なのだ。もし,その準備が難しいと思うのなら,準備の準備をすれば良い。「意欲」を持つよりは,実現確率は高い,と思われる。(p57)
 小説を書くときなら,タイトルを決めて,プロローグを書いたくらいで,もう厭きてしまう。その作品についてはあまり考えたくなくなって,しかたなくあとは労働者のように執筆するだけになる。(中略)とにかく,自分を騙し騙し書いている感じだ。 逆に言えば,厭き厭きしているから,さっさと終わらせようという気持ちが強く働いて,執筆は短期間で終了する。(p58)
 アナウンサなどは,所定の時間でぴったり収めてしゃべるそうだ。訓練というほどのものは必要なく,人間は,それくらいのことは自然に覚える,というだけのことだろう。(p61)
 良いなと感じた作品には近づかない方が良い,と考えている。何故なら,その良さはすでに世に出ているからだ。違う方向のものを書かないと,作品の価値が出ない。(p65)
 本質は,むしろ端っこに隠れている場合の方が多い。(p82)
 「自分の目で見ないと信じられない」という人ほど,見て騙される。(p84)
 僕は,本を読むことの価値の八十パーセントくらいは,どの本を手に取るか,ということにかかっていると感じている。つまり,自分が何を読みたいのか,ということに自分で答えることが,読書をする価値のほとんどだと思うのだ。したがって,それがわからないなら,読んでも大半の価値を得られない,無駄が多すぎる,ということ。(p86)
 なにかをするときの価値の大半は,目標を捉える初動の判断にある。どこに目を向けるのか,という「着眼」だ。ここに,人の思考,発想,能力といったものの大半がある。これを人に委ねる行為は,人間性を半分失っているのに等しい。(p87)
 良い子は,悪い子が先生に叱られるのを見て,もっと良い子になろうとする。だから,悪い子を叱ることは,実は良い子のためでもある。(p93)
 細かく分類する意味は既になくなっている。(中略)むしろ,分類することで固定化される概念に気をつけた方が良い。(p95)
 現代において,ノーベル賞候補となるような科学的研究上の大発見は,才能だけでなく,努力だけでもなく,まして内助の功でもなく,大部分は研究に費やされた金額によっている。(中略)発展途上国では受賞者が出にくい理由がここにある。(p99)
 平和の作り方というのは,「平和を!」「戦争反対!」と絶叫し大勢で行進するのではうまくいかないように思う。むしろ,こういった風景はファシズムに近い雰囲気に感じられる。 そうではない。平和がいかに楽しいものかを,大勢の個人が示すことだ。(p122)
 反体制派あるいは野党などは,いろいろ国の方針にケチをつけるのが仕事である。しかし,他国を相手にして非難するこては少ない。おそらく,能力的にできないのではないか。なにしろ,感情的な言葉で濁った主張しか日頃していない。「冷静さ」に欠ける発言の限界だ。(p125)
 もし相手がなにかを知らずに言っているのなら,それを知らせてあげて,知ったうえで再びどういう意見を主張してくるのかを待つのが筋である。議論というものは,そういうスタンスで行うのが正しい。(p128)
 仕事ができる人,理性的な人になるほど,指摘を喜ぶようになる。まったく無関係な人からの批判的なものでさえ,聞いただけで嬉しくなるだろう。それが役に立つ方向性を持っていたり,ヒントになることが少なくないと知っているから,自分の利益になると直感できる。相手がどんな感情を持って言ったのかは,どうだって良い,と感じているだろう。(p131)
 日本人はブログが大好きだ。世界でもこんなにブログを書く民族はいない。世界的に見て,けっしておしゃべりではないのに,この形式の自己発信にはなってしまったわけである。まるで,なにかの国民的・国家的鬱憤があったかのようにも見えてしまう。(p155)
 傷ついたり,悲しみを経験したりすると,むしろ人は優しくなるものだ。周囲に対しても,傷ついたことや悲しみに関することを見せないほうに気を遣う。それが自分の責任だという使命感を持つ。こうして,人は立ち直るのだ。(p165)
 「優しさ」というのは,結局のところ,自分の時間をどれだけ相手に差し出せるか,ということ。測り方はさまざまあるけれど,結局はここに表れる。金や一時の労力などは誤魔化せるけれど,時間は誤魔化しにくいので,最も測りやすい指標となる。(p167)
 子供を観察しているとよくわかる。なんでも真似をしたがるし,運転手さんとか正義の味方とかに自分を擦り寄らせる。この子供の素直さが,人をどれだけ成長させるかわからない。(p168)
 貧乏人は金と言い,金持ちはお金と言う。つまりは,この差なのか。(p178)
 社会で役に立たないことは教えるな」という主張が正しいかどうかである。(中略)そもそも,「役に立つ」というのは何なのかも定かではない。(中略)その人自身,本当に社会の役に立っているのだろうか。その人がいなくても代わりになる人はいるのではないか。だったら,その人はいらないということにならないか。(p182)

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