2017年3月21日火曜日

2017.03.20 湯浅邦弘 『貞観政要』

書名 貞観政要
著者 湯浅邦弘
発行所 角川ソフィア文庫
発行年月日 2017.01.25
価格(税別) 800円

● 「ビギナーズクラシック 中国の古典」の1冊。貞観の治として,高校の世界史の教科書にも出てくる唐の名君,太宗の言行録。
 ただし,本当に太宗がそう言ったのか,後世の人がいうなら捏造したものなのか,そのあたりはじつは分明としないのではないかと思う。

● 『貞観政要』じたいに,過去の皇帝や宰相のエピソードが引用されている。範を過去に求めている。十年一日ならぬ千年一日であれば,それでいいだろう。
 経済成長も技術革新もなく,たんに王朝が変転を重ねるだけの静的な時代であれば,それでいい。

● とっくにそんな時代ではなくなっているわけで,昔の話が現在においてどれほどの有効性を持つのかはかなり疑問だ。
 『貞観政要』は政治家に宛てたものだろうと思われるんだけど,ここで想定されている政治家というのはいわゆる文人政治家だ。
 今は文人であることは政治家の資質を損ねるかもしれない。最近でいうと,宮澤喜一さんが文人政治家ぽかったけれども,彼の内閣は,自民党内閣の中でワースト3に入るのではなかろうか。文人政治家では政治はできない時代だ。
 要するに,“文”の価値が摩耗しきっているのが今という時代だ。

● 『貞観政要』は儒学のプロパガンダではないかとも思ってしまう。何らかの意図があって編まれた本。儒学者の益に資するわけだから,彼らが企んで編んだに違いない。
 後漢以降,三国六朝から隋の混乱期には,この儒学が衰退していきます。唐王朝が目指したのは,儒教国家の復活です。(p144)
 しかし,儒教国家で巧くいった例などあるのかい。

● 混乱の後に太平の世が来て,太平の後は必ず乱れる。太平の世は,混乱期に溜めたエネルギーを消費しているときのかもしれない。
 となれば,太平の世に大切なのは儒教などではない。儒教などなくても混乱期のエネルギーを食べればいいのだ。他に何が要るのか。

● 今でも,大学の文学部で中国文学を囓った人たちが,こういう本を出して,今の政治や政治家はなっとらんとオダをあげているのかもなぁ。
 この本にも何度かそうした論調の文章が出てくるんだけど,床屋政談の域を出ていないわけでねぇ。っていうか,床屋政談の方がまだまともかもしれない。
 この本をビジネス書として読もうとする向きもあるかと思うのだけど,ビジネスをまったく解さない学者が編んだ本だ。そういう読み方はしない方がいいと思う。

● さて,大いに称揚されている太宗だけれど,「こうした太宗の教育も,皇太子の承乾には効果がありませんでした」(p128)ということらしい。世の多くの父親族にとって,これはホッとするエピソードではないか。
 教師の子どもがマトモじゃないってのもよく聞く。そんなものなのだよねぇ。

● この本で唯一同意できるのは「自薦を認めれば,分をわきまえない者どもが,自画自賛で殺到するでしょう」(p143)という一文だ。
 国や自治体の審議会とかで,公募委員というのが最近は増えている。公募委員にはロクなのがいないという印象がある。自薦はダメだ。

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