2017年3月13日月曜日

2017.03.10 伊集院 静 『不運と思うな。 大人の流儀6』

書名 不運と思うな。 大人の流儀6
著者 伊集院 静
発行所 講談社
発行年月日 2016.07.04
価格(税別) 926円

● タイトルの由縁は次のようなもの。
 天上へ行った人々。海の底に,土の下に眠る人々。哀しみだけを想うのをやめなくてはならない。どんなに短い一生でも,そこには四季があったはずだという言葉がある。笑っていた日を想うことが,人間の死への尊厳ではないか。(まえがき)
● 今年も3.11が巡ってきた。6年目になる。ぼく個人も昨年6月に19歳のひとり息子を亡くした。
 この時期にこの本を読んだのは偶々である。偶々ではあるが,染みてくるものがあった。そうしたことを書く資格のある人が書いているからだと思う。

● 以下に転載。
 奇妙なもので,近しい人を亡くすと,世の中に,これほどの数の同じ思いをした人がいたことを知ることになる。家族の誰かしらに不幸があるのが世の中の常なのである。(p18)
 人は泣いてばかりで生きられない。泣いて,笑って,正確には,笑って泣いて笑う,が人の生きる姿である。(p19)
 他人事なのである。(中略)それは彼等の言葉,表情を見聞していればすぐにわかる。(中略)キャスターという仕事(彼等にとっては商売でもいいが)はつくづくおそろしいものだ。彼等は身が危険な間は決して現場に行かない。戦争をはじめた政治家が決して戦場にいないのと同じである。(p43)
 先に着き,座敷で待っていると,店の者の声で談志さんがあらわれたのがわかった。普段は無愛想な鮨屋の主人が,やや高い声で,師匠よくお見えに,と声が届く。一分,二分の男ではこうならない。千両が顔を出すと,場が華やぐのが世間である。(p48)
 娘さんを探している父親にお願いがある。 あなたが明るい顔で笑えるものを探しなさい。それが生き残った者の使命です。 「いやです。自分一人がしあわせなんて」 それはわかるが,自分一人が笑う方が辛いことなら辛いことを選ぶのも大人の男の選択ではないかと思う。(p53)
 ヤンキースにいた松井秀喜君もそうだ。時々,彼等の何でもない話を聞いていると,自分は六十年以上何をしていたんだろうと思うことがある。 小泉進次郎君に初めて逢った時も驚いた。さわやかだと評判だが,そんなものではなかった。立っているだけで風が立つ,という感じがある。全盛の長嶋茂雄がそうである。(p58)
 苦しい,切ない時間だけが,人を成長させる。(p59)
 やはり昔から言うように,“学者と役者と坊主にはまともな者がいない”とは本当である。(p87)
 私は犬にむかっても,普通に人に接触するように応対する。相手が理解できていまいがかまわない。少年の時から生き物にはそうして来た。(p90)
 君たち(犬)が去った後,哀しみの淵に長く佇むことが起きれば,何のための出逢いだったのかわからなくなる。(p94)
 私たちは勿論いなくなるが,やがてこの宇宙も亡くなる,ということである。 私たちが感動したもの,学んだものも私たちと失せるが,シェークスピアがいたことも,モーツァルトの曲があったこともすべて消え失せるというのだ。それが今の宇宙物理学では正当であるらしい。(p98)
 不幸の最中にはいかなる声を掛けても,その哀しみを救える適切な言葉はない。言葉とはそういうものなのである。(p121)
 「はい。ゆっくり丁寧に書くことです。それしかありません」(中略) 「ゆっくり丁寧なら大丈夫なんですか」 「大丈夫です。姿勢を正して書けば,それで十分です」(P124)
 若者はあらゆることを覚える折に,急ぐ傾向がある。それが若いということだが,若い時に何かひとつでいいから,基本を,ゆっくり丁寧にくり返す時間があった方がいい。(p126)
 新しい年を迎えると,大半の人は,今年こそはと,数日思うそうだ。この数日というのがよろしい。 その証拠に市販されている日記帳の大半は櫻が咲く頃には,どこに置いたかわからなくなってるらしい。 私はそれでいいと思う。あまり決意,覚悟,必死になると周囲に迷惑をかける。(p148)
 女性たちが立ち上がると,戦争は本物の戦いになり,しかも悲劇を迎える,と昔から言われている。(p165)

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