2017年2月16日木曜日

2017.02.16 佐々木典士 『ぼくたちに,もうモノは必要ない。』

書名 ぼくたちに,もうモノは必要ない。
著者 佐々木典士
発行所 ワニブックス
発行年月日 2015.06.30
価格(税別) 1,000円

● 面白かった。いちいち腑に落ちる。
 著者はおそらくケチな人なんじゃないかと思う。関心が向くことに対しては,お金を突っこんで行くが(著者の場合は書籍とカメラ),それ以外のものに対しては非常に淡々とした人なのじゃないか。
 その下地があったから,関心の範疇にある多くのモノも捨てることができたのじゃないかなぁ。

● 元気が出る本でもある。著者が言うように,モノを少なくすれば家事や買い物に費やす時間が減り,家事そのものも楽になり,したがって汚れたままに放置することもしなくなり,自分を好きになることができ,時間をムダにしなくなり,行動力がつき・・・・・・という具合になるのかどうか,それはわからない。
 が,モノを捨てるというのは,難しい数学の問題を解くとか,顔も見たくないヤツと会わなければならないとか,そういうことに比べれば自分ひとりでできるし,作業自体は単純なものだ。

● それをやれば,その先には幸せが待っているかもしれないのだ。だったら,単純にやったらいいと思う。
 つまり,モノを減らすというのは,それ自体がいいことだと思っているので。たとえ著者の言うようにはならなかったとしても,少なくとも損はしないわけだから。

● しかし,モノを捨てることはできたとしても,その先,モノを買うという楽しみまで捨てられるかどうか。
 このあたりがじつは成否を分けそうだ。モノが極限まで少ないことの快感を味わってしまえば,よほどのことがない限り,新たに買う気にはならないものだよ,ってことですか。

● 以下にいくつか転載。
 出版業界は斜陽産業だから,存続のためにはとにかくまず売れる本が必要だ。売れる本を作らないと,価値のある本を出したくても,そもそも本を出すということ自体ができなくなってしまう。(p25)
 ぼくたちの社会で長期政権についているのは,自民党ではない。その後ろにある「お金党」と「モノ党」と「経済党」の連立政権だ。(p26)
 自分の価値は自分が持っているモノの合計ではない。モノは自分をほんのわずかの間しか幸せにしてくれない。必要以上のモノはエネルギーも時間も,すべてを自分から奪っていく。(p34)
 お酒は幸福ではなく,不幸の一時停止。そんな言葉を聞いたことがある。(p37)
 神経ネットワークは刺激の量ではなく,刺激が変わるという「差」に注目する仕組みだ。(中略)かつてはどうしても手に入れたいと願い,手に入れたモノ。そのモノに満足し続けられないのは,この「差」がないと神経が判断してしまうからだ。(p68)
 優勝の祝賀会の後,帰宅した彼は自分の部屋で,長年の夢が叶った幸せがすでに消え去っていることに気づいた。その喜びは3時間しか続かなかったという。(p72)
 残念な事実がある。1万円の指輪と,5万円の指輪,30万円の指輪を手に入れたとき,それぞれの段階で感じる喜びは大体同じだということだ。(中略)どこまでお金持ちになろうが,モノを持とうが,そこで感じられる喜びは,たった今あなたが感じられる喜びとほぼ同じで,大して変わらない。(p72)
 未来を予測できる動物は人間だけだが,予測できる未来の射程距離は実はとても短い。お腹が空いた状態で,スーパーに行き,必要以上に買いこんでしまったことはないだろうか?(中略)人は何度となく経験してわかっていることでも,「現在」を元に「未来」を予測してしまうのだ。(p75)
 これはほんとに思いあたるところ大。「予測できる未来の射程距離はとても短い」と言われると,まったくそうだなぁと思わないわけにはいかない。
 東日本大震災の犠牲者が約2万人。1千年に一度と言われる大きな災害の犠牲者以上の人が,毎年自分で命を絶ってしまっているのは,どういうわけだろう?(p85)
 「自分には価値がある」と思わずには,人は生きていけない。(中略)「自分には価値がある」と確かめるためには,誰かに認められることが必要だ。社会的な動物である人は,他の人から認められることでしか,自分の価値を確認できない。(中略)他人という鏡を通してでなければ,自分の姿すら人は見えない。(p86)
 だから,おまえに価値なんかないんだと言ったり,そうした態度を見せてはいけないのだ。絶対にいけない。
 しかし,ぼくは一番身近にいて,最も保護しなければならなかった自分の子どもに対して,そういう態度を取ってしまったことが何度かあったことを認めないわけにはいかない。
 ぼくの生涯で最大の痛恨事がこれだ。自分以外の人間から自己重要感を奪ってはいけない。絶対に,だ。どんな理由があっても,だ。
 誰かの価値を下げることで安心し,自分の価値を少しでも確かめようとするのが「批判」の本質だ。(p88)
 読んだ本を血肉にして使いこなしていなかったのに,本を増やし続けていた。ぼくは自分の価値を,置いてある本の量で示そうとしていた。(p95)
 これも,百パーセント自分にもあてはまる。書庫まで作って本を二重に並べて悦に入っていたというか。読んだ本はその中の3分の1にも満たなかった。まとめて処分したことが何度かある。
 が,まだカオスの状態だ。東日本大震災ですべて崩れ落ちてそのままになっているんで。
 これから捨てようとするモノは確かに気になる。それは目に見えるからだ。捨てることで得られるものは目に見えない。だから意識しづらい。だが捨てることによって得られる見えないものは,失いモノよりよほど大きい。(p102)
 「収納という巣」があれば,モノを減らしたつもりでも,いつの間にかモノはそこに住み始め増えていく。だからまずは,「巣」である収納を叩くのだ。(p117)
 これはねぇ,じつに相方に言って聞かせてやりたいよなぁ。収納スペースを作ろうとするんだよねぇ。真逆だよなぁ。
 物置小屋が必要だなんても言いだしてる。うちは農家じゃないんだし,ぼくは日曜大工もしないんだから,農機具や工具を入れておくスペースは要らないはずだよ。物置を作ってどうしようというのだ。
 満員電車がとても息苦しいように,あらゆるテクニックを用いて押し込まれたモノたちは見ていてとても息苦しい。何より最初と同じように収納するのは思った以上に手間がかかる。(p118)
 特に東日本大震災以降,モノがあるというのが嫌で嫌で仕方がない。とにかくモノはない方がいい。
 相方もそれまであった木製の(けっこう高価)な食器棚やタンスは全部処分した。だけど,軽いプラスチック製の何というのか知らないけれど,タンスのようなものを大量に買って部屋という部屋に並べてくれた。要らないよぉ,これ。
 学生時代に必要だった教科書,子どもの頃に自分を成長させてくれた本,ずっと前に自分を輝かせてくれた服。一時期ハマった趣味の用品,恋人がくれた思い出のプレゼント。 過去に執着していると,新しいことは入ってこなくなる。過去に必要だったモノとすっぱり縁をきらないと,一番大事な「今」はいつまでも無視されてしまう。(p120)
 誰でも一定の努力をすれば集められるようなコレクションは集めている本人にも,負担になるだけ。(中略)家は「博物館」ではない。貴重なモノは本当の博物館に見にいこう。(p138)
 ぼくの家の家賃は6万7千円で20㎡だから,1㎡あたり月に大体3千円払っている計算だ。さきほど買った2千円のモノがもし1㎡のものだったとしたら? あっという間に相殺されてしまった。安から買う,はこんなに危険だ。(p149)
 家にいてもテレビを見ていても,家から1歩外へ出ても,メディアや広告,本当にありとあらゆるものを通じて,脅迫的なメッセージがぼくたちに送られてくる。(中略)ミニマリズムを意識していると,あらゆるメディアや広告に惑わされる時間が減る。「自分は必要なモノをすべて持っている」という自覚ができるからだ。すべて持っていると思えればほとんどのメッセージは,スルーできる。(p174)
 ミニマリストはそもそもモノをあまり買わないので,買い物の時間が減る。(p176)
 いや,案外減らないんじゃないか。ぼくはそうだ。買わなくても店に行くんだよ。行ってかなりの時間を過ごす。
 ぼくが行くのは,書店,文具店,家電量販店,百円ショップが多いんだけど,ほぼ買わないんだよね。買わないんだけど,しばしば出かけていって,あれこれ物色する。店側には一番嫌な客だと思うんだけど,これがやめられない。これだけ行ってるんだから,たまには何か買えよ,じゃないと店に悪いだろ,と自分に突っ込みを入れている。
 モノに限らず,選択肢を絞るのは決断を早くし,ムダな時間を削るために欠かせない。(p178)
 家事にかかる時間は,本当に圧倒的に減る。(中略)部屋にモノを置かず,ミニマルにしていると,掃除にかかる時間は激減する。服を少なくすると洗濯の手間も減るし,今日何を着るか,迷う時間も減る。(p178)
 モノが少ないと,毎日やらなければならないことが少ない。目の前の雑用を次々片付けるので,溜まらない。すると何事においてもキビキビ動けるようになる。(p180)
 心理学者のティム・キャサーは「時間の豊かさ」が幸せに直結し,「物質の豊かさ」はそうではないと主張した。(中略)時間はお金持ちも貧しい人にも平等で1日24時間だ。だから時間をゆったり使うことは「究極の贅沢」でもある。(p181)
 部屋に溜まっているのは,ホコリや汚れではない。ホコリや汚れを放置した「過去の自分」が溜まっているのだ。「やるべきときにやらなかった自分」が堆積しているのだ。ホコリや汚れは嫌なものだが,何より嫌なのはそれを放置した「過去の自分」と向き合うことになるからだ。これは辛い。(p192)
 一瞬で不幸になれる方法がある。それは自分を誰かと比べてみることだ。(中略)人と比べるのが問題なのは,どこまでいっても自分より優れている人がいるということだ。どれだけお金持ちだろうが,イケメンだろうが美女だろうが上には上がいる。(p206)
 「経験」はどちらが優れているか比べづらく「モノ」はすぐに比べられる。比べられる「モノ」の方が「自分の価値」も確かめられやすい。 だけど実際には,幸せの「持続時間」が長いのは経験の方だ。だから誰かと比べるためにモノを買うより,行動力を上げて経験を積み重ねた方が,はるかに豊かに感じられるようになる。(p209)
 何かをやって失敗した後悔「やった後悔」よりも,行動できず「やらなかった後悔」の方が強く印象に残る。(中略)とすれば答えはひとつ。成功しようが失敗しようが,とにかく「やったもん勝ち」だ。(p221)
 ミニマムライフコスト,自分が生きていくために最低限必要な額を知れば,ものごとはもっとシンプルになる。(中略)ミニマリストに失う「モノ」はマジでない。だから楽観的に行動できるのだ。(p222)
 今はとにかく行動してみる。もはや効率なんてもうどうでもいい。(中略)早く目的地に行きたいと思えば,見切り発車が一番だったのだ。(p224)
 どんなモノでも大切に扱ってもらいたがっている。あなたがちゃんと相手にしてくれ,メッセージを受け入れてくれるのを,列をなして順番を待っているのだ。モノを増やせば増やすほど,それ列はどんどん長くなる。(p227)
 「めんどくさい」とは,ぼくはやるべきTODOリストが多すぎる状態,またはやるべき大事なことがあるのに雑事に阻まれてそれに辿りつけない状態だとぼくは考えている。(p227)
 大事なものに集中するためには,大事でないものを減らすしかない。(p229)
 ジョブズは,最小限に絞った最高の人材だけですべてを決めたがった。(中略)承認するハンコの数が増えれば増えるほど,アイデアはつまらなくなり,実現されるスピードも遅くなっていくとジョブズは考えていたのだ。(p230)
 モノを最小限にまで減らすには,本当に「必要」なモノだけを残すことが肝になる。単に「欲しい」だけのモノは持たない。モノを最小限にすると,自分の「欲望」の認識力が高まる。どこまでが「必要」なモノで,どこからが「欲しい」モノなのかはっきり判別できるようになる。これはモノだけでなく「食欲」も同様で,必要な食事の量がはっきり意識できるから,必要以上に食べないのだ。(p246)
 日本に住み続けるなら,地震対策としてモノを減らしておくことこそが,何よりの防災になるのではないだろうか。(p249)
 小さな家は犯罪を防ぐと言われている。(中略)モノを捨てれば,そんなメリットのある小さな家に住める。ありがたいことに,小さな家の方が今は安い。(p255)
 自分をただの「人」だと思うことで他の人への目線も変わった。「お金」「モノ」「才能」,それをたくさん持っている人に対して持っていた妬み,わずかしか持っていない人に対する微かな蔑み。かつてはあってそういう目線がなくなってきた。たくさん持っている人,輝くような才能のある人と会っても,自分を卑下することもなく「普通」に接することができるようになった。(p258)
 人には人に共感し,人に親切にすることで幸せを感じるアプリがそもそもインストールされている。(中略)こういう事実からすると,「善」「偽善」という区別は何の意味もなさなくなる。(p265)
 「いつか」必要になるかもしれないモノは必要になったそのときに手にすればいい。一度手放してみて,どうしても不都合があったり,必要なモノだったことがわかれば,改めてそのときに手に入れればいい。(p268)
 人に備わっている「慣れ」→「飽きる」というどうしようもない仕組みに対抗できるのは,唯一感謝だけだ。感謝だけが,今持っているモノをいつもと同じ「当たり前」でつまらないものと見なすことを防いでくれる。(p276)
 モノを減らすことによって,ついに悟りの境地に至るのだ。感謝こそ幸せなのだという境地に。
 ぼくはグルメの追求をもう卒業してしまった。(中略)食事に対する感謝の気持ちさえ忘れなければ,どんな食事が出てきても,食事に集中しつつ,ありがたくいただくことができる。(p278)
 心理学の実験では感謝する回数を多くする人ほど,幸福であることが知られているが,もはや当たり前だった。感謝自体が幸せだったのだから。(p280)

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