2017年2月12日日曜日

2017.02.12 中川右介 『グレン・グールド 孤高のコンサート・ピアニスト』

書名 グレン・グールド 孤高のコンサート・ピアニスト
著者 中川右介
発行所 朝日新書
発行年月日 2012.10.30
価格(税別) 820円

● はるかな昔,勢いがあった頃のフジテレビの月9ドラマ「ロングバケーション」で,木村拓哉君演じる若きピアニスト,瀬名君が,グレン・グールドのようなピアニストになりたいと言うシーンがあったとか。ぼくは気づかなかったというか,憶えていないんだけど。

● 本書はそのグレン・グールドの評伝といっていいもの。同時代に生きたエルヴィス・プレスリーやジェームズ・ディーンと対比しつつ,描いていく。
 ただし,途中までだ。生きたフィールドが違うんだから,徹底的な対比はできないだろうし,したところで意味がない。

● グールド伝説になっている,演奏するときのスタンダードとされている型からの逸脱が具体的に描写されるので,なるほど彼はこうして演奏していたのかとわかる。
 映像が残っているらしいんだけど,ぼくは見たことがない。

● レパートリーが少なかったこと。それについては,当然,確信犯というか,グールドの好みや考えがあったこと。
 バーンスタインとの親和と行き違い。カラヤンと相性が良かったこと。そうしたエピソードをつないでいくことによって,グールドの主義主張,哲学が浮かびあがってくるという構成(それだけではないけれど)。

● 以下にいくつか転載。
 グールドは三十一歳でコンサートから引退したものの,中年になってからの映像も数多く遺っているので,けっして若い頃のイメージだけが知られているわけではない。しかし,「グールド=青年」のイメージが強い。彼がいまだに人気があるのは,この青年のイメージをどうにか保持できたからではないだろうか。少なくとも彼には「老いて醜い姿」などありえない。(p4)
 エルヴィスは他の多くのポピュラー・ミュージックのミュージシャン同様に,楽譜は読めない。彼は耳で憶え,その記憶をもとに,自分の感覚で演奏し歌った。そこにオリジナリティが生じるのだ。(p22)
 ポップス系のミュージシャンは青少年期に,「僕はミュージシャンになるんだ」と自分で決めてからでも,才能と運があれば,プロの音楽家になれるが,クラシックの,中でもピアノと弦楽器の演奏家になるには幼少期から習っていないと難しい。楽譜と音の関係の把握,その音と指の動きの関連など,理屈で理解するのではなく,身体能力として身に付けるには,幼少期からの訓練が必要なのだ。(p23)
 「神童」ビジネスは,モーツァルトに始まる。以後,何人もの神童が現れ、そのうちの何人かは大音楽家へと成長したが,多くは,「五歳で神童,十歳で天才,二十歳過ぎればただの人」という運命を辿った。神童としてもてはやされ,演奏活動を強いられ,あったはずの才能が摩耗してしまうのだ。 しかし,グールドの両親はこの天才少年で神童ビジネスを展開しようとはしなかった。(中略)才能は温存された。(p24)
 ハイスクールでは音楽の教師から,「あなたは歌えない」と怒られた。それに対しエルヴィスは,「いいえ,ちゃんと歌えます。先生は僕のような歌い方を,よいとしていないだけなんです」と反論した。クラシック音楽の教育システムの中で生きている音楽教師には,エルヴィスの歌は認められなかったのだ。(p27)
 グールドの発言や書いたものには,「嘘ではないが本当でもない」事柄がある。これはグールドに限ったことではなく,自伝や回想録というものは疑ってかからなければならない。故意に虚偽を書くこともあれば,記憶違いや勘違いもあるし,憶えているが,あえて書かないこともあるからだ。(p30)
 有名になってからのグールドは,ホロヴィッツの悪口ばかりを言う。それは逆に,自分がホロヴィッツの影響を受けたことを隠すためではないか。(p31)
 グールド世代のほとんどが,コンクールがきっかけで音楽シーンにデビューしている。コンクールに出ずに有名になった点でグールドは特異だ。グールドも,出ようと思えばいくらでも出られたはずだが,彼は競争が嫌いなので,コンクールに出る気はまったくなかった。(p80)
 グレン・グールドは「コンサートからのドロップアウト」と,「レコードに専念」の面が強調されるが,「テレビとラジオに最も深く関わった音楽家」でもある。(p84)
 ロックンロールはラジオやテレビで視聴者の共感さえ得られれば大ヒットするが,クラシックは権威が必要だった。日本でグレン・グールドがすぐには人気が出なかったのは,権威ある批評家からの絶賛がなかなか得られなかったからだ。(p100)
 ソ連は市民生活において口コミが発達していた。政府や共産党の発表が嘘ばかりであることを国民は知っていたので,その対抗手段として,口コミネットワークを発達させていたのだ。(中略)グールドについての情報も,「新しい音楽」に飢えていた人々の間に,数十分のうちに伝わったのだ。知人から,とんでもないピアニストが演奏していると聞いた人々は音楽院大ホールへ駆けつけた。前半は空席が目立ったが,後半は嘘のように満席となった。(p116)
 よく似ている音楽家など,いるはずがないのだ。巨匠クラスになると,天才であるがゆえに個性的な人々ばかりなので,似ているほうがおかしい。(p139)
 グールドはホールに残り,演奏会後半のシベリウスの交響曲第五番を録音ブースで聴いていた。そこからはガラス一枚を隔てて,ちょうどカラヤンの顔が見えた。 「彼の陶酔的な表情の変化と,その結果として出てくる音との関係を導き出すことができました」とグールドは後に振り返る。そして,カラヤンの指揮について,「目を閉じて指揮し,タクトの動きにきわめて説得力のある舞踊のような輪郭を与える傾向がありますよね。率直に言って,この効果こそが僕の生涯で本当に忘れられない音楽的かつ劇的体験のひとつになっているのです」とも語る。 グールドも別にカラヤンにお世辞を言わなければならない立場にはないので,本当に感動したのであろう。(p141)
 経済的に成功した音楽家は,常にこう批判されるのだ。(中略)当時の音楽院生の間で尊敬されていたのはトスカニーニだったと,グールドは書く。彼には「トスカニーニの指揮ぶりは確信よりもむしろ恐怖心から生まれたもので,締まりがなかった」ように思えたのだが,「機運はトスカニーニにあった」と。(p148)
 グールド自身がチャイコフスキーを演奏するわけがない。ソロのリサイタルでもショパンやリストは弾く気がない。そうなると,グールドとしてはバッハやベートーヴェンをいつも演奏しなければならない。同じ都市で何度も演奏するわけではないので,聴衆はその時々に初めて聴くからいいが,グールドは飽きてくる。(p160)
 ジャズにリズムの興奮を感じるかとの質問には,「バッハ以上にスウィングする音楽はない」と断言する。つまり,グールドは「スウィング」という言葉を正しく理解している。(p164)
 ソ連共産党の目論見は,たったひとりの青年の音楽の力によって大きく狂っていく。強引にソ連代表の誰かを優勝させることも可能だったのかもしれない。しかし,それでは世論が納得しない。ソ連の国民も,クライバーンの優勝を望んでいるようなのだ。(p171)
 ピアニストは普通,よほど光熱でも出ない限り,気管支炎ではキャンセルはしない。だが,グールドは喉を痛めたくらいで弾けなくなってしまう。(p175)
 グールドは保険の外交員にはならなかったが,株の取引ではかなり有能だった。(中略)ピーター・F・オストウォルドは,グールドが演奏会から引退できた背景には,出演料収入に依存していなかったからだと指摘している。(p186)
 彼(グールド)はその前の世代であるホロヴィッツが若い頃にやっていたような,オーケストラと対決し,叩きのめすような演奏は好まない。ピアノがオーケストラに溶け込むようなかたちの共演を求めるのだ。グールドとカラヤンの相性がよかったのも,そこにある。(p192)
 カラヤンの映画は,コンサートをそのまま撮影するのではなかった。先にオーケストラを指揮して音楽を録音し,カット割りを決めた上で,それに合わせて指揮する自分とオーケストラを撮影し,編集していくという方法で制作された。(中略)カラヤンはコンサートを録画するのではなく,スコアを視覚的に表現しようとしたのだが,なかなか理解されなかった。しかし,グールドはこれを理解し,評価した。彼のレコード作りと考え方が同じだからだ。 グールドはカラヤンのEMIでのレコードについて,「コンサートホールの音響を真似る無意味さを悟ったレコーディング哲学」があると評している。カラヤンとグールドに共通するのは,コンサートとレコードは別だという割り切りだ。レコードはコンサートの再現ではないのだ。レコードならではの演奏をするというのが,カラヤンとグールドの共通認識だった。(p247)
 帝王と呼ばれ自分が望んだことであれば何でも実現させる「私の辞書に不可能はない」タイプのイメージのカラヤンと,孤高の人で自分のやりたいこと以外はやろうとしないイメージのグールドが,ともに共演を望んだのに実現しなかったという事実は,音楽ビジネスの複雑さを示してもいる。二人は金などどうでもよかったかもしれないが,二人の周囲には,二人の音楽によって生活している人があまりにも多かった。(p250)
 コンサートについて「前列左手ではご婦人がブレスレットをじゃらつかせ,右手では誰かがスコアを追いつつ(ただしページが間違っている),プログラムで拍子を取っている(ただし狂っている)。後ろの席では,誰かが駐車場が確保できなかったらしく,そのことを隣の客にぶつぶつとこぼしている」と,その不愉快さを語っているのは,グールドではなくカラヤンである。カラヤンもまた,コンサートが演奏者にとっていかに不愉快なものか,よく知っていた。(p257)
 グールドが「二度とコンサートはやりませんよ」と断言すると,「君は本当に,聴衆が発する,あのきわめて特殊な気といったものを,ほんの一瞬でも感じたことがなかったのかい」と質問した。 グールドはきっぱりと言った。「本当になかったのです。実際,聴衆がいるせいでいつも演奏がよくなかったんです」(p258)
 グールドはそれぞれの曲や作曲家についての既成概念を打ち破り,「これまでにない演奏」をしなければ録音する意味がないと考え,批判されるのを覚悟して確信犯的に独創的なレコードを作ってきた。(p261)

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