2017年2月11日土曜日

2017.02.11 中川右介 『国家と音楽家』

書名 国家と音楽家
著者 中川右介
発行所 七つ森書館
発行年月日 2013.10.26
価格(税別) 2,800円

● かつて国家(あるいは政府)のくびきに絡めとられて,苦悩した音楽家がいた。今の日本ではあり得ないことだ。音楽家に限らないが,ノホホンとしていられる。
 本書はその苦悩した音楽家を取りあげて,時代背景との相関を外部的な視点から俯瞰する。

● 第Ⅰ章 独裁者に愛された音楽
 ナチスドイツとそれに翻弄された音楽家を取りあげる。その代表は,フルトヴェングラーとカラヤンということになるが,この二人については著者の視線は穏やかだ。が,クナッパーツブッシュに対しては容赦ない言辞を浴びせる。
 ヒトラーはワーグナーに心酔していた。そのワーグナーの聖地,バイロイト音楽祭はワーグナーの子孫が主催する。この時期にその当主にあったのは,ヴィニフレート・ワーグナーだった。
 史上最も藝術に理解があり,藝術を保護し支援した政治家は,おそらく,アドルフ・ヒトラーである。彼の政権ほど,クラシック音楽とオペラを優遇した政権はない。(p15)
 ドイツに留まり,ドイツ音楽の伝統を守り,ドイツで暮らすドイツ人のために音楽を奏で続けた人々もいた。ナチが合法的に成立した政権である以上,彼らの選択は決して責められるものではなかったはずだ。(p21)
 代役とはいえ,栄えある総統誕生日に指揮できた。ヒトラーの愛人エーファ・ブラウンが,その外見に惹かれ,彼を起用するように言ったからだった。
 こうしてクナッパーツブッシュは,四三年と最後の誕生日祝賀会となる四四年も,ベルリン・フィルハーモニーを指揮した。
 これだけ,ヒトラー政権に擦り寄りながらも,彼は戦後,「自分は反ナチだった」と言い張るのである。(p33)
 ナチの恩恵を受けた多くの者が,戦後はヒトラーを否定したり,自分がいかにヒトラーと関係が薄かったかを強調したりした。
 しかし,ヴィニフレート・ワーグナーは戦後も「ヒトラーとは友情で結ばれていました。もし今,彼が扉を開けて入って来たら,心から嬉しい」と公言した。彼女だけが筋を通したのである。(p52)
● 第Ⅱ章 ファシズムと闘った指揮者
 ここでの主役はトスカニーニ。
 とくにオペラやオーケストラ音楽のように,何十人,ときには何百人もの共同作業で作っていく藝術の場合,統率者が必要だ。指揮者,演出家は独裁者であることを求められる。(p57)
 トスカニーニはすでに世界的名声を得ている大指揮者だ。それに比べると,フルトヴェングラーはこの時点ではまだ新進気鋭,中堅といったクラスである。にもかかわらず,フルトヴェングラーがバイロイト音楽祭に求めたのは,音楽総監督というポストだった。トスカニーニが無償で引き受けたのと比べると,その権力欲には驚くばかりである。ヴィニフレートはこの条件を呑んだ。(p75)
● 第Ⅲ章 沈黙したチェロ奏者
 スペイン出身のチェロ奏者カザルスを取りあげている。フランコ政権下でカザルスはどう動いたか。ここで描かれているカザルスは誠実で清廉だ。

● 第Ⅳ章 占領下の音楽家たち
 アメリカでも喝采を浴びたが,コルトーがこの国で音楽的に刺激を受けることはなかった。音楽の伝統のない国であるアメリカはビジネスとして行く場でしかないのだ。コルトーが何よりも憧れていたのが,ドイツの音楽と文学だった。彼にとって,ドイツ人は「悪」とは思えなかった。これを甘いと批判するのは簡単だが,この時点ではナチの残虐非道な蛮行の全貌はまだ明らかになってはいないのだ。(p158)
 彼はフランスを出ることもできたが,占領当局から,戻らないのならドイツの指揮者にパリ音楽院管弦楽団のコンサートを指揮させると脅されたのだ。この時,名前が挙がったのがヘルベルト・フォン・カラヤンだった。ドイツ人の手に渡すくらいなら,自分が振ろう-ミュンシュはそう決断し,占領下のパリへ戻った。(p160)
 シャルル・ミュンシュは占領下にあってパリに留まりつつ,抵抗を続けるという困難な立場に身を置いた。ミュンシュはレジスタンスに協力し,その収入のほとんどを寄付するようになる。(p163)
 ベルリンは連日連夜,連合国軍による空爆を受け,瓦礫の山だったが,フィルハーモニー楽堂は被害がなく,どうにか演奏会を開くことができた。音楽を求める人々で,ホールは満員となり,入りきれない数百人も,立ち見で無料で聴くことになった。
 コルトーがステージに出てきただけで,大喝采となった。この日演奏されたのはショパンの曲ばかりだった。(中略)
 その夜のベルリンの聴衆にとっては戦時下での最高の贈り物だったであろう。この危険な状況下にベルリンへ客演したことで,コルトーは多額の出演料を得た。しかし,彼はそれと引き換えに「対独協力者」という汚名をきせられることになる。(p164)
● 第Ⅴ章 大粛清をくぐり抜けた作曲家
 当然,ショスタコーヴィチがこの章の主役となる。スターリンのような人物がどうして生存を許されてしまったのか。時代の綾の重なり具合によっては,こういうことにもなるのだと,思考停止をするしかないようだ。
 ドイツで生まれ,ヨーロッパ各地に広がり,ロシアで終演を迎えたものに,交響曲とマルクス主義とがある。(p179)
 このようにショスタコーヴィチについては謎が多い。それだけソ連という国は闇の世界なのだ。検閲と密告の社会だったので,親しい友人あるいは家族にすら本心を打ち明けられない。手紙はもちろん,日記ですら信用できない。もちろん,当局の公文書も粉飾と虚偽が入り混じる。(p184)
 ショスタコーヴィチは脅えながら暮らしていた。夜中,ふと足音が近づいてくるのを耳にすると,その恐怖は頂点に達したと,彼は後に語っている。もしその足音が彼の住む部屋の前で止まったら,それは逮捕を意味し,その逮捕は,よくて収容所,悪ければ死刑を意味していた。そういう時代だった。(p195)
 ショスタコーヴィチがトゥハチェフスキー事件に連座せずにすんだのは,彼を取り調べた係官がその次の日には逮捕されていたからだ。粛清のトップであるエジョフの末路を思えば,ソ連社会全体のなかで同じようなことが数限りなくあったと推測できる。(p200)
● 第Ⅵ章 亡命ピアニストの系譜
 ポーランドの亡命ピアニストを3人取りあげる。 ショパン,パデレフスキ,ルービンシュタイン。
 ドイツやフランスからは,ユダヤ系を中心に大量の亡命者がアメリカにやって来た。そのなかには音楽家や演劇・映画関係者も多く,戦中から戦後のアメリカの娯楽産業は彼ら亡命者が支えたと言って過言ではない。藝術の伝統のない国アメリカは,ヒトラーとスターリンのおかげで音楽や演劇・映画の伝統をタダで輸入できたのだ。(p228)
● 第Ⅶ章 プラハの春
 その結果,各国で,その民族固有の音楽の確立を目指した藝術運動が勃興した。実は,この「民族固有の音楽」という考えそのものも,ドイツで生まれたものだった。
 十九世紀半ばからロマン主義運動が盛んとなり,ドイツ音楽こそが最高の音楽であるとドイツ人たちは思い込み,そう主張するわけだが,その過程で,ワーグナーに代表されるようにあまりにもドイツ色を出しすぎたため,普遍的なものとして発展していたクラシック音楽が,そいつのローカル色の強いものになってしまった。(p240)
 反ハプスブルクで一致したチェコとスロヴァキアの人々は共闘して独立を求めたので,その流れでひとつの国となったが,この時,ひとつの国にならず,別々の国家となっていれば,その後の世界史はだいぶ変わっていたはずだ。(p248)
● 第Ⅷ章 アメリカ大統領が最も恐れた男
 バーンスタインがこの章の主役。「アメリカ大統領が最も恐れた男」というのは少々以上に言い過ぎではあるけれども,大統領を恐れなかった男ではあったようだ。
 もともとケネディ家の思想信条は共和党に近い。だが,ボストンを支配していたイギリス系の人々が共和党を支持していたので,アイルランド系の人々はそれへの反発で,敵の敵は味方ということで民主党を支持していたのだ。(p288)
 バーンスタインは誰とでも親しくなる人で,頼まれると自分の名を使うことを気軽に許した。そのため左翼系の団体や人々の嘆願書の多くにバーンスタインの名があった。といって,彼が熱心な活動家だったわけではない。単に気前が良かっただけだ。(p290)
 バーンスタインとニューヨーク・フィルハーモニックのツァーと同時期に,副大統領のニクソンも南米各国を歴訪していたのだが,彼は激しい野次と怒号で出迎えられ,実に不愉快な思いをしていたのだ。しかし,バーンスタインは歓迎された。(中略)南米に人々はアメリカという国家の外交政策には不満があったが,アメリカが嫌いなわけではないことを示したのだ。(p297)
 広島での記者会見でバーンスタインは,日本の反核運動が分裂していることを批判し,関係者をあわてさせた。相手が大統領であろうが反核団体であろうが,バーンスタインは遠慮しない。(p323)
 バーンスタインがここまで強い態度に出られるのは,政界的名声と巨万の富があるからだった。そしてその名声と富とは,彼が政府に頼らずに自分の力で手に入れたものだった。だから彼は権力から自由だった。しかし同じように世界的名声と富を持ちながらも,メダルを集めることに夢中になり,時の政権に媚びへつらう藝術家もいるのだから,やはり,バーンスタインは特別な人だったと言えるだろう。(p324)
● エピローグ 禁じられた音楽
 同楽団(パレスチナ交響楽団,現在のイスラエル・フィル)の最初のコンサートは一九三六年十二月で,指揮したのはユダヤ人ではないトスカニーニ,曲はブラームスやシューベルトというドイツ音楽だった。二年後の三八年に,この楽団はトスカニーニの指揮でワーグナーの《ローエングリン》の前奏曲も演奏している。
 ワーグナーがタブーとなったのは戦後,イスラエルという国家が建国されてからなのだ。イスラエル国家は,かつてユダヤ人を弾圧したナチ政権のように,音楽を弾圧している。(p340)
● あとがき
 藝術と権力の関係については映画『第三の男』の冒頭の有名なセリフがある。
 「ボルジア家三十年の圧政はルネサンスを生んだが,スイス五百年の平和と同胞愛は何を生んだか。鳩時計だけだ」
 これを真似すれば,スターリン政権の圧政がショスタコーヴィチを生み,戦後日本六十年の平和は美空ひばりを生んだのだ。(p346)

0 件のコメント:

コメントを投稿