2017年1月23日月曜日

2017.01.17 中川右介 『巨匠たちのラストコンサート』

書名 巨匠たちのラストコンサート
著者 中川右介
発行所 文春新書
発行年月日 2008.05.20
価格(税別) 820円

● 本書が取りあげるのは,次の9人の「巨匠たち」の最後のコンサートの様子ということになる。
   トスカニーニ
   バーンスタイン
   グレン・グールド
   フルトヴェングラー
   リパッティ
   カラヤン
   マリア・カラス
   カルロス・クライバー
   ロストロポーヴィチ

● が,最後のコンサートだけを描くのではなくて,そこに至るまでの経過も語られる。ということはつまり,上の9人についての小さな評伝になっている。
 たとえば,マリア・カラスはぼくにとっては伝説のソプラノ歌手であって,ギリシアの海運王との恋愛で世間を騒がせたけれど,失意のうちに世を去ったという,それ以上の具体的な知識はなかったのだけれども,カラスの全盛期はごく短かったことなど,決して華やか一辺倒ではなかった彼女の人生を知ることができた。

● 以下にいくつか転載。
 天才音楽家の多くが神童でもある。三歳から五歳のあいだに音楽的才能を示し周囲を驚かせるところから,その人物の物語は始まる。(中略)だが,バーンスタインの場合は違った。彼が初めてピアノを習うのは,十歳のときなのだ。(p45)
 なぜ,バーンスタインは指揮の仕事を断らなかったのだろう。もう稼げるだけ稼いでいたので,収入が欲しかったのではない。苦労して作曲しても高い評価は得られないが,指揮をすれば,必ず万雷の拍手を得られる。結局,バーンスタインは喝采を求めたのだ。それを拒否したグレン・グールドとは本質的に異なっていた。(p53)
 コンサートとレコードとで演奏が違うのは,何もバーンスタインに限ったことではない。だから,彼の場合,その落差が大きすぎるのではないか。(中略)コンサートの録画が,レーザーディスクで出るようになった。これは,退屈しなかった。どれも感動してしまった。音楽は生き生きと躍動し,バーンスタインの表情を見ているだけで,感情の迸りを受け取ることができた。バーンスタインは,視覚で聴かせる人だったのだ。(p56)
 興味深いのは,この「最後のコンサート」で,途中からバーンスタインが立っているだけなのに音楽は途切れなかったというエピソードだ。これこそが,バーンスタインの指揮の本質を語ってはいないだろうか。彼は存在するだけでよかったのだ。いるだけで「気」(オーラといってもいい)を発し,オーケストラをコントロールし,客席を圧倒できたのだ。たとえ,死の病にあっても。(p64)
 グールドは一回性ゆえの価値を認めなかった。やり直しが可能で,編集できるレコードで,完璧な演奏を遺すことのほうが,彼には重要だと思えたのだ。(p76)
 聴衆からの喝采の快感を忘れることのできる音楽家などいないのだ。だが,グールドは違った。彼は,そもそも喝采に快感を抱いたことがないのだ。(p86)
 世評名高い「深い精神性」や「情念に満ちた」演奏は,単なる「演出過剰」にしか聴こえなかった。世俗的で権力的で「帝王」とされているカラヤンよりも,「神」に近い存在となっているフルトヴェングラーのほうに「権威」の塊を感じた。権威は倒さなければならない。(中略)かくして,私にとって,フルトヴェングラーは敵となった。(p91)
 自分を永遠に刻むには作曲するしかない-フルトヴェングラーはそう考えていた。だから,作曲家として,認められたかった。(中略)フルトヴェングラーにとってのライバルはシュトラウスであったろう。(中略)だが,作曲家としては圧倒的にシュトラウスのほうが勝っているのは,疑いようがない。この事実は,フルトヴェングラーにとっては深刻だったに違いない。(p97)
 この時代から,ピアノなどのコンクールが盛んに行われるようになるのだが,その後現在に至るまで,コンクールで優勝しなかった人のほうが活躍するという例は多い。(p114)
 音楽家たちは,自分が最高の音楽を奏でることよりも,それを多くの人に聴いてもらうことのほうに喜びを感じるものなのだ。その「聴いてもらう機会」を奪ってはいけない。「聴いてもらう機会」を失うことそのものが,彼らにとっては「死」とイコールなのだ。(p126)
 カラヤンは,ある時期から,先に録音し,後からコンサートに臨んでいた。カラヤンにとっては,そのほうが効率がよかったのだ。コンサートのリハーサルを長々とやることを,オーケストラは嫌う。だが,録音セッションとなると,手当ても出るので喜んで付き合ってくれる。録音セッションのためにオーケストラを拘束する場合,その経費(人件費)はレコード会社が払うこととなる。(中略)こうして思い通りの演奏が完成してから,カラヤンはコンサートでその曲を演奏していたのである。(p149)
 実は,カラヤンもまた,レコードとコンサートとでは,まったく異なる人なのだ。そう多くないコンサートのライヴ映像や,コンサートの放送音源のライヴ録音を聴けば,熱い演奏をしているのに驚く。(中略)カラヤンにとってレコードはリハーサルの一部でしかない。あくまで,コンサートやオペラの本番こそが,真の演奏である。(p152)
 では,なぜカラヤンはライヴ録音が残るのを拒絶したのだろうか。(中略)ようするに,面倒だったのだろう。「カラヤンのレコード」として出る以上は,自分で聴き直し,納得した上でなければならない。ミスがあれば直したくなる。しかし,そんなことはもうできない。そんな暇があったら,次の仕事をやりたい-それが本音だったのだろう。(p153)
 いい音楽,いい演奏を聴くと,すべてがどうでもよくなるものだ。生きていることにも意味がないようにすら思えてしまう。仕事なんて,もっとどうでもよくなり,数日にわたり,心ここにあらずといった状態になる。(p162)
 カラスに限ったことではないが,どの大歌手も,ある程度の地位と人気を築くと,準備に時間がかかり,喉も体力も消耗するオペラへの出演を減らし,手っ取り早く稼げるコンサートが増えてくる。興行主もオペラは莫大な費用がかかるが,コンサートであれば,極端に言えば伴奏ピアニストがひとりいればいいので,利益率が高い。ファンにしても,その歌手の歌が聴きたい,あるいはその歌手を見たいのであるから,チケットが高くなるオペラである必要はない。(p173)
 ヴィスコンティ,そしてゼッフィレッリという,オペラの演出家でもあり映画監督でもある二人がそばにいながら,カラスの舞台を映画として記録したものは,《トスカ》の第二幕しかないのは,不思議である。(中略)それだけ,カラスの声の衰えが早かったということでもある。(p180)
 《トスカ》の第二幕を収録した映画は,ぼくも見たことがある。渋谷のシネマライズで。この頃は彼女の全盛期だったということか。古い映画だけれど,オーラ出まくりの感があったが。
 戦後の日本のクラシック音楽の世界には,山師的な人物が跋扈していた。有吉佐和子と結婚したことでも有名な神彰もそのひとりだが,ほかにも何人もの怪しげな人物が,はったりだけで超大物音楽家を海外から呼んできては,博打に近い興行を打ち,大儲けしたり,大損して夜逃げしたりしていた。一九七〇年代も,まだそんな時代だった。(p185)
 欧米のクラシック音楽の演奏家には,親も演奏家だったという人は多い。才能の遺伝という要素もさることながら,子どもの頃から音楽と楽器に親しんでいないと,プロになるくらいの腕前になるのが困難という理由もある。その点は日本の歌舞伎をはじめとする古典芸能と同じであろう。(p195)
 しかし,(中略)親子ともに世界的名演奏家になった例はそう多くはない。(中略)そのなかにあって,クライバーは父子ともに歴史に残る指揮者になった。奇跡に近いと言っていい。(p196)
 カルロスは,いったんは,スイスのチューリヒの工科大学に入学し,化学を学ぶことにするが,結局,音楽の道を選ぶ。しかし彼は,音楽院に進むのではなく,いきなり現場に向かった。ミュンヘン・ゲルトナープラッツ劇場の無給練習指揮者になったのだ。(p199)
 ベートーヴェンの交響曲第四番など,それまで「ベートーヴェンのなかではたいした曲ではない」と思っていたものが,「こんなにすごい曲だったのか」と,認識を新たにさせられた。 あるいは,まだレーザーディスクの時代,クライバーのコンサートの映像を見たが,同性愛の趣味は無いけれど,男が見てもうっとりする姿だった。全身で音楽を表現しているなどという次元ではなく,音楽そのものなのだ。(p206)
 カルロス・クライバーの才能を認めていたカラヤンが,「困った奴だ,あいつは冷蔵庫が空になるまで仕事をしないんだ」と言ったのも有名な話である。(p213)
 こういう追悼特集は,編集者側にある種の狂気が必要である。冷静に考えたら,家族でも友人でも仕事での直接の関係者でもないのに,「追悼する」行為そのものが,失礼である。やるべきではない。だから,そんなことをグダグダと考える暇もないくらい,「なんてことだ,あの人が死んだなんて」との慟哭の思いを沸騰させ,前後の見境をなくさなければ,「いい追悼特集」などできないのだ。それが,私には欠けていた。(p216)
 後のロストロポーヴィチもそうだが,ソルジェニーツィンもあくまでこの不自由な国に留まり,そのなかで自らの作品を発表することにこだわった。それが,彼らの愛国心だった。彼らは,おそらくソヴィエトという体制をまだ信じていた。だから,国内で活動することに固執した。その意味では楽天的だった。(p239)
 「さよなら公演」が盛り上がり,感動の嵐に包まれたとしても,聴衆は「これが最後」だと思うから,そこに至るまでの過去の名演のすべてに対して,絶大な拍手を贈ったに過ぎない。別に,その日のコンサートの演奏に対して,賞讃したわけではないのだ。それを「まだまだ自分はやれる」と勘違いしてもらっては困る。(p267)
 知る限りにおいて,その後カムバックしないということも含めた上での完璧なファイナルコンサートは,二つしかない。(中略)一九七八年四月四日の後楽園球場でのキャンディーズと,一九八〇年十月五日の日本武道館での山口百恵である。老人と違って,若い女性たちは潔いのだ。未練がない。(p269)

0 件のコメント:

コメントを投稿