2017年7月5日水曜日

2017.07.05 渡辺和子 『どんな時でも人は笑顔になれる』

書名 どんな時でも人は笑顔になれる
著者 渡辺和子
発行所 PHP
発行年月日 2017.03.29
価格(税別) 1,000円

● 著者の最後の著作。

● 同じことを別の人が書いても,これほどの説得力は持たないのではないか。著者が言うから,そうなのかと納得する。
 問題は,納得したところで終わってしまうってことなんだけどね。

● 以下にいくつか転載。
 「神も仏もあるものか」と言いたくなるのは,こういう時です。ところが,実は,「求めること,捜すこと,戸を叩くこと」もたいせつですが,それに応えて与えられるものを謙虚に“いただく心”のほうがよりたいせつなのです。(p3)
 祈ることはたいせつなことです。しかしながら「願う前に,その必要とするものを知っておられる」天の父は,人間が願ったことをそのまま叶えることをもって,ご自分の,その人に対する愛の証しとはなさらないようなのです。なぜならば,私たちはいつも“欲しいもの”を願っているからであり,神様が私たちに叶えてくださるものは,“必要なもの”だからだと思います。(p71)
 他人にすぐれようと思うな 他人とちがった人間になれ(p20)
 苦しみについて評論家めいたことが言えたり,苦しみの正体をあれこれ詮索したりしているうちは,まだ自分に余裕がある証拠であって,苦しみのさなかに入ってしまうと,ただもう生きることで精一杯になってしまい,気がついた時には,苦しみはいつの間にか自分の後ろにあったように思います。(p33)
 履歴書を書かされる時,必ずといってよくほど学歴と職歴が要求されます。しかしながら,もっともたいせつなのは,書くに書けない「苦歴」とでもいったものではないでしょうか。(中略)苦歴は,その人だけのものであり,したがって,その人を語るもっとも雄弁なものではないかと思うのです。(p34)
 お金にならない時間,得にならない時間,その意味では無駄と思える時間の中にしか愛情は育たないということです。(p56)
 他人から受ける不当な扱い,誤解,不親切,意地悪等から全く自由になりたい,なれるはずだと思うことは,すでに人間としての「分際」を忘れた所業である(p59)
 人間はどんなに多くの言葉を費やして語り明かしたとしても,寝食を共にしたとしても,なお理解し合えず,理解し尽くせないものを持つのです。(中略)私たち一人ひとりには不可交信性という部分があって,また,それがあるゆえに「知り尽くしていない」相手に対しての尊敬が生まれ,「知り尽くされていない」自分についての淋しさと同時に誇りが残るのです。(p131)

2017年7月4日火曜日

2017.07.04 砂川しげひさ 『コテン氏のラストコンサート』

書名 コテン氏のラストコンサート
著者 砂川しげひさ
発行所 朝日新聞社
発行年月日 1990.11.30
価格(税別) 1,126円

● 砂川さんの音楽エッセイをもう1冊。

● 以下にいくつか転載。
 この間,念願のDATを買った。これがうわさどおりのいい音で,いまこれで昔録ったオープンテープからのコピーを楽しんでいる。また,BSからのPCM録音はすばらしく,またエアチェック病が再発する気配だ。(p2)
 また懐かしい用語が出てきた。DAT,マニアのものだったと思う。DATとはそもそも何か? Wikipediaの説明がわかりやすい。「音声をA/D変換してデジタルで記録,D/A変換して再生するテープレコーダーまたはそのテープ,また特にその標準化された規格のこと」。パンピーには関係ないものでしたね。
 パンピーはレンタルショップでCDを借りて,CDラジカセでカセットテープにダビングして,それだけで満足するものだった。それだって便利になったなぁと思っていたものだ。
 古代ギリシャ人は人間の裸像をたくさん彫った。人間の肉体こそ神がつくりたもうた最高の美,と彼らは考えた。(中略)この肉体賛美こそが,現代のバレエにも基本的なところで,つながっているのではないだろうか。(p28)
 やっぱり,消え去ったようなオペラを掘り出すなんて,油田を掘り出すのと同じくらいむつかしそう。時間は正しい審判をする。(p98)
 大編成の管弦楽を聴いて脳天をピカピカさせているクラシック・ファンがいるとすれば,そいつはガキである。(中略)ピアノの独奏会で花束をかかえて舞台の最前列ですわっているのは,雀の卵。弦楽四重奏曲にじっと耳を傾けながら,眉間に深いシワをよせて,否! などとほざいているのは,田舎イモ。(中略)やっぱりクラシックのいきつくところは室内楽ではないでしょうか。(p154)
 目の前の名人たちは,「おれたちは好きでやってんだ。君たちが聴こうが聴くまいがそんなことおいら知んないよ」といった純粋楽団なのだ。(p156)

2017年7月3日月曜日

2017.07.03 砂川しげひさ 『コテン氏の面白オペラ』

書名 コテン氏の面白オペラ
著者 砂川しげひさ
発行所 朝日新聞社
発行年月日 1989.01.10
価格(税別) 1,000円

● 約30年前のもの。砂川さん,本職は漫画家。本書の装丁も手がけているし,カットも描いている。
 一方で,クラシックマニア。

● アカデミックなところで勉強しちゃった人の評論は,ぼくのような素人には歯が立たないうえに,読んでてあまり面白くない。
 砂川さんのものは,面白い。向上心があって読んでいるわけではないから,面白ければいいし,面白くないものは読んでも仕方がない。
 ぼくがしているのは,消費としての読書だから。何かに役立てようと思って読んでいるわけではないから。

● 以下にいくつか転載。
 これは素人考えかもしれないが,オペラは出だしが勝負という気がする。序幕で「アッ」と思わせれば,その舞台は九九パーセント成功だ。(p30)
 ぼくは前々から,この譜めくり人にもっと脚光を当ててしかるべきと考えていた。(中略)われわれはこの任につく大半が女性である事実を忘れている。しかも美女が多い。(p44)
 ある有名なピアニストの演奏会で,突然,赤ん坊が泣き出した。あんまり泣くので,会場の係が外にでるように忠告した。すると若い母親は「子供にいい音楽を聴かせてなにが悪い」と逆に食ってかかった。そのとき偶然に隣の客席に居合わせた保母さんが赤ん坊を抱いて外に出た。そして演奏の間じゅう,そのコをあやし続けた。演奏が終わると,母親は赤ん坊を受け取って,彼女に礼もいわずに立ち去ったという。(p60)
 これ,本当に実話なんだろうか。
 今どきの小学校では運動会の徒競走で順位をつけない,ゴール前であとから来る人を待って,みんなで手をつないでゴールするのだ,という話がかつて流行った。
 しかし,その光景を実際に見たという人は一人もいない。自分が勤務している小学校ではそうしていたという教師もいなければ,自分が通っている小学校ではそうしていたという児童もいなければ,うちの子どもが通っている小学校の運動会ではそうしていたという保護者もいない。
 都市伝説的なものだろう。いかにもありそうだと誰かが作った話が燎原の火のごとく広まった。
 上の母親の話もそれと同じなのじゃないかと思うんだがね。いかにもいそうだという前提で,誰かが作った話が広まったのではないのかねぇ。
 安い,安い。こんな調子で十枚借りた。これらを,わが家の,PCMプロセッサーとビデオ・デッキを駆使して完全コピーをする。(p110)
 PCMプロセッサーかぁ。あったねぇ,そういうの。CDをビデオテープにコピーするやつ。当時は,とんでもなく高度な技術を駆使した器械なのだろうと思っていた。ぼくには高嶺の花でもあった。
 今は,パソコンに吸いあげることができる。装備も時間も格段に短縮された。しかも,コストが安くなった。うたた感慨にたえない。いい時代に生きていると思う。

2017年7月2日日曜日

2017.07.02 岡田光永 『20歳の「日本一周」』

書名 20歳の「日本一周」
著者 岡田光永
発行所 廣済堂出版
発行年月日 2011.02.10
価格(税別) 1,500円

● 副題は「元不登校児が走った列島縦断1万1667キロの旅」。

● 20歳でこれだけの文章を書けることに,まず驚いた。20歳でしか書けない文章だろう。若さが躍動している。
 キーワードは「絆」。「みんなの気持ちがひとつになった」「仲間と力を合わせれば,できないことはなにもない」という表現がわりと頻繁に出てくる。
 自身が中学生のとき不登校だった。その反動というわけではないのだろうが。

● しかし,いつまでも「絆」に頼っているわけにはいかないだろう。なぜなら,死ぬときは仲間と一緒にというわけにはいかないから。一人で死ななくてはならない。
 ただ,「個」に傾く人と,「絆」に行く人と,二項対立的には考えない方がいいのだろう。個がなくては仲間の一員にもなれないはずだからだ。

● 以下にいくつか転載。
 出発1日目の今日はものすごく疲れた。旅というのは,出発のときが一番疲れるのかもしれない。(p58)
 一歩は積み重ねなければいけないものではなくて,後になって振り返ってみたときに積み上がっているものなのだ。先に進もうとあせって進んだその道に,どんな意味が残るのか。(p65)
 旅ではふとしたことから,人と出会う。出会いは,ガソリンみたいなものだ。出会った人に力をもらうから旅を続けることができる。出会いがなきゃ,僕は走り続けることはできない。(p97)
 東京で過ごしていたときは持て余していた,僕のエネルギー。しかしそれを全力で注ぎ込むことでこんな感動を味わえるのかと思うと,東京でいかに自分を持て余していたのか,今さらながら実感する。(p102)
 荷物を取り外した自転車にまたがり,稚内の市内を猛スピードで駆け抜ける。今まで,自分がいかに重い荷物を積んで,旅をしていたかがわかった。まるで羽が生えたかのように自転車が軽い。どんどん前に進んでいく。(p105)
 人は,本当の優しさを受けたとき,心から誰かに優しくできるんじゃないかと思う。(p154)
 悪いことが立て続けい起きてモチベーションが下がりかけているときに,キャリアの全壊が重なるなんて,つらすぎる。(中略)今まで幾度となく苦しい思いや逆境を経験してきたが,ここまで心が折れそうになったことはなかった。手も足も出ない。(p160)
 自分って,こんなに強かったっけ?と思う。どうやら困難とは,乗り越えることができれば,成長に変わるものらしい。(p162)
 危うく泣きかけたが,どうにか耐える。昔から涙もろい僕は,明日確実に号泣することがわかっていたからだ。(p198)
 そうなのだよ。冷静でどんなときにも表情を変えないヤツより,涙もろかったり,感情家の方が,何事かを為す人なんだよ。
 選べないような選択を迫られたときは,楽しいほうを選択する。これは,昔から決めている自分の信条だった。(p261)
 日本は美しく,優しく,楽しい国だ。そして,世界は広く,まだまだ知らないことが溢れている。それを知らずに死ぬのは,いくらなんでももったいなさすぎる。(中略)どうして世界は,こうも広いのだろう。どうして人生は,こうも短いのだろう。好奇心が,爆発する。(p274)
● 同じ出版社から同じ著者の『15歳の「お遍路」』も出ている。図書館で探してみよう。

2017年7月1日土曜日

2017.07.01 pha 『ニートの歩き方』

書名 ニートの歩き方
著者 pha
発行所 技術評論社
発行年月日 2012.09.01
価格(税別) 1,580円

● 副題は「お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法」となっているが,インターネットの話は少ししか出てこない。
 主な話題は,なぜ会社を辞めてニートを選んだのかということ。多数の人たちのように,毎日電車に乗り,職場で同僚たちと世間話をすることに,極度の疲労と嫌悪を感じるということになれば,自分を守るために辞めるしかない。やむにやまれぬ大和魂ということだ。

● 辞めたあと,当面は貯金を取り崩すとしても,どうやって食いつなぐか。けど,どうにかなるものなんだね。
 生活は食うことだけでできているわけではない。それ以外のところでインターネットが著者を大いに助けてくれる。ネットがなかったら,ニートになる決心ができたかどうかわからないと言う。

● 現在の自分の暮らしぶりへの目線,自分の暮らしをめぐる社会との折り合いのつけ方,その社会をどう捉えるかという社会観。
 それらも存分に語られる。本書は学術書ではもちろんないんだけれども,現代社会論のテキストとして読んでもかまわない。

● 著者には賢者の趣がある。損得計算をすれば明らかに損なのだけれども,自分を守るためにニートになった。その損得を超える部分についてのアレやコレを読んでいると,賢という言葉が浮かんでくるわけだ。
 断行の人でもある。断行というと重すぎるか。足腰が軽い人なんだと思える。与えられた人間関係での付き合いには耐え難いストレスを感じるけれども,一ヶ所にじっと佇んでいる人ではないようだ。大事なところだろう。

● 本を出すくらいだから,読書家でもある。自分を納得させるための読書もあったろう。
 本書では以下のものが引用または紹介されている。
 坂口恭平『TOKYO 0円ハウス 0円生活』
 中島らも『バンド・オブ・ザ・ナイト』
 保坂和志『プレーンソング』
 『よつばと!』(電撃コミックス)
 よしながふみ『きのう何食べた?』
 うえやまとち『クッキングパパ』
 真鍋昌平『闇金ウシジマ君』
 西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』
 工藤 啓『「ニート」支援マニュアル』
 中島義道『働くことがイヤな人のための本』
 橋本 治『青空人生相談所』
 山田風太郎『人間臨終図巻』
 高村友也『Bライフ 10万円で家を建てて生活する』
 松本 哉『貧乏人の逆襲 増補版』
 津田大介『情報の呼吸法』
 見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』
 池上 彰『そうだったのか! 日本現代史』
 稲葉振一郎『増補 経済学という教養』
 長谷川英祐『働かないアリに意義がある』
 真木悠介『自我の起源』
 エリック・レイモンド『伽藍とバザール』

● 以下に多すぎるかもしれない転載。
 学校に行くのも会社に行くのもだるいし,人と会ったり話したりするのは面倒臭いし,毎日満員電車になんか乗りたくない。人生ってそんなどうしようもないクソゲーなんだろうか。(p3)
 人生は有限だから全てを選ぶことはできない。自分に本当に大切なこと以外は諦めるのが大事だ。いろんなことを諦めると人生はわりと楽になる。(p6)
 じゃあなぜ,日本に生きる若者がこんなに生きづらさや閉塞感を感じているんだろう。それは多分,日本の経済がまだ成長している頃に作られたルールや価値観が生き残っていて,それがみんなを縛っているせいなんじゃないかと思う。(p8)
 ちゃんと働かなきゃいけない,真っ当に生きなきゃいけない,他人に迷惑をかけてはいけない,といった強迫観念がみんなを縛り付けているせいで,日本の自殺者は年間三万人もいるんじゃないだろうか。(p10)
 世間体なんでいう誰の評価か分からないものを気にするのはやめて,(中略)ゆるく生きていけばいい。お金とか地位とか名誉とかやりがいとかそんな大層なものがなくても,そりあえずの食べる物と,寝る場所と,暇を潰す手段と,あと友達さえいれば,人生なんてそれで十分だ。(p11)
 あんまり先のことを考えすぎても仕方ない。(中略)人間いつ何が起こって死ぬか分からないし,いつかは絶対に死ぬ。人生なんて死ぬまでの間をなんとかやり過ごせればそれでいい。(p11)
 「仕事をせずにいるとすぐに自分から働きたくなる」という俗説は嘘だと思う。それは多分,本当は働きたくないのに嫌々働いている人が自分を納得させるための言い訳なんだろう。(p24)
 僕がニートでありながらいろんな人とつながったり,なんとか楽しく生活を送れているのは9割くらいインターネットのおかげだ。(中略)この現代で会社やお金にできるだけ頼らず生きていくにはインターネットは必修科目だ。(p31)
 京大に入ったまでは傍目にはエリートコースに見えるかもしれないけれど,机の上の勉強ができるだけでレールの上を進んで来られるのは大学入学までだ。(中略)社交性もないし労働意欲もないし技術もない僕には,大学を出たあとに行くあてはなかった。(p35)
 計画どおりにその職場はかなり暇だった。一日二時間か三時間もあれば仕事は終わるし,あとはパソコンに向かって仕事をするふりをしながらインターネットでもしていればいい。いわゆる社内ニートというやつだ。嘘みたいに恵まれた職場だったと思うんだけど,それでも僕には苦痛だった。(p37)
 それ(ツイッター)はブログ時代にはないコミュニケーションだった。ブログを書くとなるとある程度の長文を書かないといけないけど,ツイッターではブログよりももっと日常の生活に近い何気ない会話ができたし,知らない面白そうな人に声をかけて仲良くなるのも気軽にできた。(p43)
 ツイッターが登場したときに思ったのは「これはオンラインとオフラインの区別がなくなる」ということだった。それくらいツイッターは他人の生の日常をそのまま伝えてくれる。(p63)
 都会で無料で時間を潰せる場所の代表格は公園と図書館とブックオフだと思う。(p70)
 もっと適当に,お金なんてなくても全ての人間は安楽に幸せに生きられるべきなんじゃないのか。それが文明ってもんなないのだろうか。(中略)だから,労働以外のよく分からない理由でもっとお金が適当に動けばいい。(p86)
 インターネットは現実ではなかなか口に出しにくいような人間の濃い部分が出ていることが多いから面白いのだ。(p102)
 選択肢が多いほどそこから漏れてしまう人間は減る。選択肢が多いということは絶対的な善だし,この世の不幸の大部分は選べる選択肢が少ないせいだと僕は思っている。学校でのいじめなんかは選択肢が少ないから起こる不幸の典型的なものだ。(p104)
 僕は特定の個人の能力や熱意によって実現されるものよりも,凡庸な人間でもやる気のない人間でも,その中に入ればそこそこ面白く楽しくなれるような仕組みに興味がある。(中略)中心となる人物の存在に依存するのではなく,中心人物が急に死んでも組み上げられたシステムは変わらず回り続けるようなのがいい。(p120)
 人間のすることなんて所詮やってもやらなくてもいいようなことばっかりだ。ほとんどのことは自分がやらなくても他の誰かがやるし、ほとんどのしたことは数ヵ月か数年も経てば消えてしまう。(p142)
 「努力教」を,向いていない人間にまで強いようとするのが日本の悪いところだと思う。 そもそも,頑張ったり我慢したりしないと良い仕事ができないという考えが間違っていると思う。(中略)世の中にある本当に良いものっていうのは,努力とか頑張りとかそういうゴリゴリした感じでつくられたのではなく,もっと軽やかに自然な形で作られたものじゃないだろうか。(p144)
 僕なんかひたすらウィキペディアを読んでいるだけで何時間も過ぎていることがよくある。(p158)
 何かちょっと物を作ったりすることを楽しみにできる人は貧乏に強い。創作は消費ほどお金がかからないし,作ったものがお金に変わることもときどきあったりする。(p159)
 故・中島らもは「『教養』とは学歴のことではなく,『一人で時間を潰せる技術』のことである」と言っていた。(p160)
 時間や体力の余裕があれば安く済むところを,仕事をしていると余裕がないので余分にお金を出して解決してしまうことも多かった。(中略)それは,会社に自分の時間を売ってお金を得たけれど,その得たお金でまた時間を買い戻しているだけのような気がした。(p161)
 ニートにはできるだけ本を読むことを勧めたい。本を読むのって大事だ。一つは,それはいろんなことを考える力を付ける基礎になるから。本の中にはいろんな人間のいろんな思考が渦巻いていて,しかもインターネットよりも密度が濃い。(中略)あと,暇潰しとしても本は最適だ。(p202)
 自己責任論を言う人たちは,そもそもある程度恵まれた環境で育って,たまたま予想外のアクシデントにも合わずにこれまでの人生を送ってこられたせいで,そうじゃない人生のことが想像できていないんじゃないだろうか。(p210)
 頑張るとか能力があるとかそんなこと以前に,頑張れなくても能力がなくても人間は生きていていいと思うんだよね。人間ってそれくらい幅の広いものだし,そうでないとたくさんの人間がいる意味がない。(p217)
 個人の行動の結果をその人が全て負わなければいけないのなら,社会や国家などの共同体がある意味はないだろうと思う。(p220)
 人間なんてみんないろんな要素をランダムに並べた順列組み合わせにすぎなくて,自分の意志で変えられることなんてあんまりないし,自分でなければならないことなんてないような気がしてくる。(p222)
 人間は自分が若かった頃の常識を当たり前と考えて,そのまま生きていくものだというだけだ。(中略)若い人間は抱えている過去が少ないから自由に動けるというだけにすぎない。ただ大事なのは,上の世代が抱えている固定観念に若い人間が縛られる必要は全くないということだ。(p225)
 お金持ちの人ほど「一生懸命働くこととお金を得られるかどうかの関係はそんなにない」「ニートでもいいんじゃないの」って思っていて,そんなにお金がないから嫌々仕事をやっている人ほど「働かざる者食うべからず」「ニート死ね」って批判していたりする。(p232)
 労働なんてもっと適当でいいし,日本人は店に過剰なサービスを求めすぎだ。それは自分の首を絞めるだけなのに。(p235)
 世の中が実用的なものばっかりだと息が詰まるし,無駄に見えるようなものがたくさんあるからこそ,社会に余裕ができたり,世界の多様性が保たれたり,混沌の中から今までにないような新しいものが生まれたりするのだ。ふらふらしてわけ分かんないことをしている人間がたくさんいれば,世界はもっと豊かになるはずだ。(p241)
 ニートが全くいない世界は,人間に労働を強制する圧力がキツくて社会から逃げ場がなくて,自殺者が今よりもっと多いディストピアだと思う。(p246)
 ニートもサラリーマンも,警察官も犯罪者も,起業家も自殺者も,右翼も左翼も,同性愛者も異性愛者も,農家も漁師も,ホームレスもサッカー選手も,みんな現在の社会のある一面を引き受けている。それは全体として一つのものであって,そのうち一部分だけを切り捨てることなんてできない。社会の一部を切り捨てようとすることは,一つの個体が自分を手足を切り落とそうとするのと同じだと思う。(p256)

2017.07.01 番外:PRESIDENT 2017.7.17号-「スマホ&ネット」すごい活用術

編者 鈴木勝彦
発行所 プレジデント社
発行年月日 2017.06.26
価格(税別) 639円

● 特集記事は読んでも仕方がない。切り口は,“PRESIDENTのひとつ覚え”の“高年収vs低年収”。
 「低年収層はLINE,高年収層はFacebookとTwitterを愛用」なんぞとある。「40代以上の低年収層では4割に届かない。20~30代はさらに下がり,17%だ」とある。

● これ,年収の多寡とは関係ないやね。作る方もそんなことは百も承知で作っているんだろうけどね。
 若者はFacebookを見限っている。20~30代より中高年が収入は多いんだろうから,当然,高年収層にFacebook利用者が多いことになる。

● この雑誌で読む価値があるのは,成毛眞さんのインタビュー記事のみ。そこからいくつか転載しておく。
 伝達手段を電話に頼っている人は,相手の都合を考えない,仕事の“デキナイ人”といえる。
 次にダメな人は「ライン」や「メール」で連絡を取ろうとする人たちだ。ホワイトカラーの大半は日常業務でパソコンを用いている。しかし,ラインはパソコンからアクセスができない。
 ん? できるんじゃなかったっけ? あんまりやっている人はいないだろうけど。
 フェイスブックに関していうと,友達の数が多ければ多いほどいいと考え,なかには5000人を超える人と友達になっていることを自慢げに話す人もいる。しかし,データが重くなるだけで,メリットよりもデメリットのほうが大きくなるだけではないか。
 「今日はこの店でこんな料理を食した」「家族でここへ出かけた」などと,個人的な日記のような情報を流している人がよくいる。でも,他人の日記ほど退屈なものはないし,そうした人は「半径50センチメートルにしか興味を持たない人」と私は考えており,もしもフェイスブックで友達になっていたら,アンフレンドしてフォロワーに回っていただいている。
 堀江貴文氏のような真のクリエーターが発信するコンテンツは本当に面白い。しかし,それはもともとの才能の部分が大きく,テクニックでどうにかなるものではないと思う。
 20代,30代の世代は,50代,60代の感性を「古くさい」「お仕着せ」といって受け入れない。一方,潜在意識の中で「いつまでも若くありたい」と願う50代,60代は,若者の感性を喜んで受け入れるものである。つまり,マーケットの中心軸は若い世代の感性によって形成されているわけで,それを掴めるようになると,有望な市場を獲得できる可能性も自ずと高まってくる。そのためには,とりあえず若い世代の近くに身を置くことが大切なのだ。

2017年6月29日木曜日

2017.06.29 『フジ子・ヘミングⅠ 奇蹟のカンパネラ』

書名 フジ子・ヘミングⅠ 奇蹟のカンパネラ
発行所 ショパン
発行年月日 1999.10.15
価格(税別) 1,000円

● フジ子さんが世に知られる契機になった,NHKのドキュメント番組「ETV特集:フジコ あるピアニストの軌跡」が放送されたのは1999年2月11日。
 その後まもなく出版されたのが本書。

● ということもあってか,内容はフジ子礼賛で埋まっている。たとえば,次のごとくだ。
 ぼくの好きなバレリーナ,イヴリン・ハートは,「私は音と音の透き間の音を聴きながら踊るの」と語った。ぼくもまた詩を書くとき,紙に記す言葉より,言葉と言葉の透き間の行間の方を大切にする。まして,偉大な作曲家たちこそ,「鳴ってない音」の方を大切にしていたのではないかと疑う。不思議なことにフジ子さんのピアノを聴くと,その音と音の透き間の音が聴こえるのだ。(松本隆 p14)
 一般的に,リスト演奏では華麗な超絶技巧を前面に押し出したスタイルが多い中,彼女の演奏は虹のような多彩な音色で,極めて表情豊かにしかも格調高く,全ての音に因果関係を感じさせる。(中略)このようなマエストロだけが到達できる境地の演奏の中では技術的なミスは全く気にならない。(藤井身理 p20)
● 今でも同じ感想を持ちますかと訊ねてみたいという,意地悪な感想もきざすんだけど,錚々たる人たちが,フジ子さんのピアノを絶賛している。
 以後,18年間。現在まで彼女の人気は衰えない。つまり,聴衆を惹きつけ続けている。
 ぼくも二度ほど彼女のピアノを生で聴いている。正直なところ,ぼくの耳は馬の耳,では測りかねる。

● フジ子さんの発言からひとつだけ転載。
 私は,私のことをやりたい。本も読みたいし,掃除もしたい。座ってものを考えるのも好き。もちろん演奏会ではいつも最高のものを弾かなきゃいけないから,乗り切るのは大変ですよ。でもいろいろなことをやったほうが,ピアノもうまくなるんじゃない?(p42)

2017年6月28日水曜日

2017.06.28 齋藤敦子 『コクヨ式机まわりの「整え方」』

書名 コクヨ式机まわりの「整え方」
著者 齋藤敦子
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2014.05.30
価格(税別) 1,300円

● 机まわりを整頓しろ,片づけろ,というのではない。要は,楽しさオーラが出るような机にしろ,ということ。会社のデスクだけじゃなくて,個人の書斎についてもあてはまることだろう。
 発想術の指南書でもある。

● この本を読んだ人はたくさんいると思うんだけど,著者が説くようにやった人は,限りなくゼロに近いのではないか。
 まぁ,それはそういうもので,であればこそ,このジャンルの本が次から次へと登場できる。メシの種が残るわけだ。

● が,実際に役に立てるという視点を外して,読み物として読んでもこの本は面白い。著者自身の仕事は半ば研究職で,管理業務の煩わしさを別にすれば(それが8割を占めるのかもしれないけど),面白い仕事をしているように思える。
 それが文章に出ているような気がする。

● 次に少なくない転載。
 「片づけない」のも「片づけすぎる」のも良くないようです。どちらも仕事場として最適ではないし,何よりもワクワク感が生まれません。すると,会社に来てもワクワクしないし,つまらなく感じてしまうのです。(中略) これは,とても重要なポイントですが,いい仕事をしたいなら,「仕事場は楽しくなくてはならない」のです。(p14)
 人間はオフィスにいて座っているだけではありません。歩いたり移動したりすることで,人との交流が生まれるのです。(p23)
 考えてみてください。あなたが楽しそうにしていることは,会社にとってマイナスでしょうか? あなたが楽しそうなら周囲も楽しい気分になります。楽しければ,笑顔がこぼれるでしょう。これは結構重要なことですが,良い会社,成長する会社の共通点は,そこで働く社員の笑顔が素敵なことです。(p33)
 仕事におけるアイデアや,イノベーションは,“非連続”の状態から生まれるものです。日常の“延長線上”にはなかなか生まれません。(p37)
 あなたは,自分の机を通して,いろいろなことを周囲の人々に伝えることができます。逆に言えば,周囲の人々は,あなたの机を通して,あなたが想像している以上のものを読み取っています。(p48)
 自分の机まわりが乱れていたら,それは単に「片づけていない」とか「散らかっている」という問題だけではないのだと考えましょう。それは,その机に向かっている人の,心の乱れ,モチベーションの乱れなのかもしれません。日々の仕事に忙殺され,どうしたらいいのかわからないという,潜在意識からの重要なメッセージかもしれません。(p87)
 私たち人間は退屈に耐えられない生き物です。ワクワクすることや何か楽しいことに直面したとき,もともと持っている創造性が呼び覚まされるのです。(p90)
 私たちの遠い祖先が,創意工夫してさまざまな道具を発明していったのは,日々,命を脅かす危険と戦わなければならなかったから。(中略)「仕事も同じ」です。野性が必要とされない,安定しすぎた状態では,発展的なアイデアは浮かばない(p97)
 古くから哲学者の多くが「歩きながら考える」という手法をとっているのも,座りっぱなしではいいひらめきが得られないということを体験的に知っていたからでしょう。(p99)
 以前,コクヨが大学と共同研究したとき,ずっと同じ光の下にいるよりも,光の種類が変化するほうが効率性(スピードと正確さ)が向上することがわかりました。(中略)その色なら仕事の効率や創造性が高まる,という差はなく,浴びる光の種類を「変える」ことには意味があったのです。(p106)
 私たち人間の仕事には,適度なノイズが必要なのです。(中略)企画を練り上げるような創造的な仕事は,会社の自席でパソコンに向かう,という限定された環境では難しいのです。パソコンのモニターに見入っていると,その画面の中だけで解決しようとしてしまう。(p143)
 アイデア出しをするときは,ストップウォッチやアラームを使って,短く時間を区切って行うと効果的です。慣れないとつらいかもしれませんが,スピードとリズムが必要なのです。(中略)発散段階でたくさんのものを出せなければ,贅沢な「編集」もできません。時間に制約をつけて自分を追い詰め,本数を出していきましょう。(p146)
 書くことが決まっていれば,限られたフレームの中に収めることは容易なのですが,発散や練り上げのときは自由に描けるスペースが必要です。(p149)
 時間は規制をかけたほうがいいけれど,空間に関してはできるだけ自由に使える環境をつくる。これは,ひらめきを生む「整え方」の中でも重要なポイントです。(p150)
 何かを根本的に改善したり,方向転換をしたいときは,まず課題発見・探求が重要です。このとき,よい「問い」さえ見つかれば,「答え」は出たも同然とも言えるでしょう。これは,新しい商品やサービスをつくりだすときも同じです。(p163)
 アイデアを発散し,収束するには,他人の頭をうまく使うのです。(中略)他人を通して自分たちが陥っている狭い考え方に気づき,新しい切り口を見つけ出すことで,個人の生産性はまったく変わってきます。(p165)
 ブレストなどグループワークでありがちな失敗が,「このメンバーでなにかいいものを『1つ』まとめようじゃないか」と合意形成を図ることです。(中略)そうではなくて,あくまで1人ひとりが他の4人の頭を上手に利用して,自分のアイデアを醸成することができたら,もしかして面白いものが5つ生まれるかもしれません。(p166)
 ひらめきを逃さないために気を付けたいことは,「思いついたことをその場で書く」という習慣と,そのためのツールを持ち歩くことです。「アイデアの“急襲”に備えて」準備をしておくのです。(p169)
 この場合のツールには何が適しているか。ぼくはダイスキンを持ち歩いているんだけど,ダイスキンでは,たぶん,とっさのときに遅れを取るだろう。ロディアのようなメモブロックとノック式のボールペンを持っておくのがいいと思う。
 そのようにしたこともあったんだけど,結局,あまり役に立たなかった。ツールが悪いのではなくて,こちらが“ひらめき”を必要とするような生活をしていないからだ。
 ノンベンダラリとやっていてもすんでしまう人には,“ひらめき”など来るわけもないから,それに備える必要もないということ。
 オフィスがなぜ単調で無機質に見えてしまうのか。大勢の人たちが働いているのに,なぜ活気がないのか。それは,圧倒的に「直線」に支配されているからです。(p189)
 プロジェクトの遅延や,小さなトラブルの原因は,「コミュニケーション不足」が50%以上を占めます。(中略)とはいっても,コミュニケーションを密にしようと思っても,仕事環境がそういう雰囲気でなければ,なかなかうまくいかないものです。(p209)
 せめて,「同じ姿勢で仕事をし続ける」ということがないようにしましょう。それは,「アイデアが出ない姿勢」です。(p211)
 今はモノからコトの時代,といわれていますが,私たちの実体がなくなるわけではありません。頭の中=コンピューター上で考えるよりも,身体をつかって,モノを触りながら,何か新しいモノをつくりだしたいという欲求は変わりません。(p213)

2017年6月25日日曜日

2017.06.25 外山滋比古 『ワイド版 思考の整理学』

書名 ワイド版 思考の整理学
著者 外山滋比古
発行所 筑摩書房
発行年月日 2017.01.25:元版 1983
価格(税別) 1,000円

● 有名なロングセラー。探せば文庫もあるんだけど,こちらで読んだ。理由は文庫を探すのが面倒だから。

● その文庫を買ったのは,もう30年近く前のこと(もっと前かもしれない)。結局,読まないままできてしまった。そういう本(積ん読っていうんでしょうか)がぼくの書庫の8割を占めている。
 そのほとんどは,ぼくが死ぬまで読まれることはないだろう。

● 以下に多すぎる転載。
 勉強したい,と思う。すると,まず,学校へ行くことを考える。学校の生徒のことではない。いい年をした大人が,である。(p10)
 今はこの傾向はずっと顕著になっている。社会人大学,社会人大学院が猖獗を極めている。まぁ,ひと頃の熱狂は過ぎたのかもしれないけれど。
 勉強好きと大学側の経営的視点が合致しての結果だろうけど,たぶん,大学院に行けばどうにかなるというのは幻想だよね。
 かつてのMBAブームも同じだったのではないか。大金を使ってアメリカの経営大学院でMBAを取った人たちには申しわけないけれども,元は取れたかい? と聞いてみたい。流行に乗せられただけだったのではないか。その流行の仕掛人って,それで儲かる人で,それにウマウマと乗ってしまった人たちは,しょせんは鴨にされるタイプ。
 学校の生徒は,先生と教科書にひっぱられて勉強する。自学自習ということばこそあるけれども,独力で知識を得るのではない。いわばグライダーのようなものだ。自力では飛び上がることはできない。(p11)
 一般に,学校教育を受けた期間が長ければ長いほど,自力飛翔の能力は低下する。グライダーでうまく飛べるのに,危ない飛行機になりたくないのは当り前であろう。(p12)
 寝て疲れをとったあと,腹になにも入っていない,朝のうちが最高の時間であることは容易に理解される。いかにして,朝飯前の時間を長くするか。(p27)
 文学研究ならば,まず,作品を読む。評論や批評から入って行くと,他人の先入主にとらわれてものを見るようになる。(p31)
 外国に,“見つめるナベは煮えない”ということわざがある。早く煮えないか,早く煮えないか,とたえずナベのフタをとっていては,いつまでたっても煮えない。あまり注意しすぎては,かえって,結果がよろしくない。しばらくは放っておく時間が必要だということを教えたものである。(p38)
 同じ問題について,AからDまでの説があるとする。自分が新しくX説を得たとして,これだけを尊しとして,他をすべてなで切りにしてしまっては,蛮勇に堕しやすい。(p46)
 ことばでも,流れと動きを感じるのは,ある速度で読んでいるときに限る。難解な文章,あるいは,辞書首っぴきの外国語などでは,部分がバラバラになって,意味がとりにくい。残像が消滅してしまい,切れ目が埋められないからである。そういうわかりにくところを,思い切って速く読んでみると,かえって,案外,よくわかったりする。(p63)
 何かを調べようと思っている人は,どうも欲張りになるようだ。大は小を兼ねるとばかり,なんでも自分のものにしようとする傾向がある。これでは集まった知識の利用価値を減じてしまう。対象範囲をはっきりさせて,やたらなものに目をくれないことである。これがはじめのうちなかなか実行できにくい。(p86)
 ものを考える頭を育てようとするならば,忘れることも勉強のうちだ。忘れるには,異質なことを接近してするのが有効である。学校の時間割はそれをやっている。(p119)
 二十年,三十年とひとつのことに打ち込んでいる人が,そのわりには目ざましい成果をあげないことがあるのは,収穫逓減を示している証拠である。(中略)知識ははじめのうちこそ,多々益々弁ず,であるけれども,飽和状態に達したら,逆の原理,削り落し,精選の原理を発動させなくてはならない。(中略)はじめはプラスに作用した原理が,ある点から逆効果になる。そういうことがいろいろなところでおこるが,これに気付かぬ人は,それだけで失敗する。(p129)
 頭の中で,あれこれ考えていても,いっこうに筋道が立たない。混沌としたままである。ことによく調べて,材料がありあまるほどあるというときほど,混乱がいちじるしい。いくらなんでもこのままで書き始めるわけには行かないから,もうすこし構想をしっかりしてというのが論文を書こうとする多くの人に共通の気持である。それがまずい。 気軽に書いてみればいい。あまり大論文を書こうと気負わないことである。(p135)
 書き進めば進むほど,頭がすっきりしてくる。先が見えてくる。もっとおもしろいのは,あらかじめ考えてもいなかったことが,書いているうちにふと頭に浮かんでくることである。そういうことが何度も起れば,それは自分にとってできのよい論文になると見当をつけてもよかろう。(p137)
 これはよく言われること。って,最初に言ったのは外山さんかもしれないけれど。書くという行為自体が,頭を刺激することがたしかにある。
 書き出したら,あまり,立ち止まらないで,どんどん先を急ぐ。こまかい表現上のことなどでいちいちこだわり,書き損じを出したりしていると,勢いが失われてしまう。(p137)
 森博嗣さんも同じことを言っていたな。小説家になりたければ,まず書いてみること。一作を仕上げることだ,と。
 考えごとをしていて,おもしろい方向へ向かい出したと思っていると,電話のベルがなる。その瞬間に,思考の糸がぷっつりと切れて,もう手がかりもなくなってしまうという経験もする。(中略)それくらい姿をかくしやすいのが考えごとである。(p147)
 お互いに自分の過去をふりかえって,とにかくここまでやってこられたのはだれのおかげかと考えてみると,たいていは,ほめてくれた人が頭に浮かぶのである。ある老俳人は,ほめられたからこそ,ここまで進歩したとしみじみ述懐している。ほめてくれた批評によって伸びた。けなされたことからはほどんど裨益されなかったというのである。(p148)
 調子に乗ってしゃべっていると,自分でもびっくりするようなことが口をついて出てくる。やはり声は考える力をもっている。われわれは頭だけで考えるのではなく,しゃべって,しゃべりながら,声にも考えさせるようにしなくてはならない。(p159)
 同じ専門の人間同士では話が批判的になっておもしろくない。めいめい違ったことをしているものが思ったことを何でも話し合うのがいい(p163)
 生物学的にインブリーディングがよろしくないとすれば,知的な分野でもよかろうはずがない。企業などが,同族で占められていると,弱体化しやすい。(中略)それなのに,近代の専門分化,知的分業は,似たもの同士を同じところに集めた。(p167)
 ブレイン・ストーミングはこうして,いろいろな考えを引き出すのだが,はじめのうちに出てくるものは,多く常識的で,さほどおもしろいものではない。もうあらかた出つくしたというところで,さらに頭をしぼっていて生まれるのが,本当に新しい,これまでは夢にも考えられなかったようなアイデアである。 よく,考える,という。すこし考えて,うまくいかないと,あきらめてしまう。これでは本当にいい考えは浮かんでこない。(p169)
 夜,床に入ってから眠りにつくまでよりも,朝,目をさまして起き上がるまでの時間の方がより効果的らしい。(p173)
 本に書いていない知識というものがある。ただ,すこし教育を受けた人間は,そのことを忘れて何でも本に書いてあると思いがちだ。(p178)
 よくしゃべる人の方が老化しにくいと,老人ホームの職員たちはいう。しゃべるには頭を使うからであろうか。それについて思い出されるのは,スウェーデンだったかの老人ホームの試みである。老人たちに,趣味のグループをつくらせた。その中に外国語学習グループを設けた。はじめは人気がなかったのに,やがて,もっとも人気のあるグループになった。メンバーがみんな元気で,なかなか死なないからであった。(p182)
 社会人も,ものを考えようとすると,たちまち,行動の世界から逃避して本の中へもぐり込む。読書をしないと,ものを考えるのが困難なのは事実だが,忙しい仕事をしている人間が,読書三昧になれる学生などのまねをしてみても本当の思索は生まれにくい。(p195)
 考えるのは面倒なことと思っている人が多いが,見方によってはこれほど,ぜいたくな楽しみはないのかもしれない。何かのために考える実利実用の思考のほかに,ただ考えることがおもしろくて考える純粋思考のあることを発見してよい時期になっているのではあるまいか。(p217)

2017年6月24日土曜日

2017.06.24 帯津良一 『ピンピン,コロリ。』

書名 ピンピン,コロリ。
著者 帯津良一
発行所 青志社
発行年月日 2010.02.24
価格(税別) 1,300円

● 副題は「気持ちよく生き 愉しい死に方を するために」。ぼくも「死に方」が気になるお年頃。

● いわゆるアンチエイジングに対する警鐘(ほとんど非難)など,説得力のある内容。死ぬにもタイミングがあって,そのタイミングを逃すな,という言い方にも共感を覚えた。長く生きればいいというものではない,と。

● 以下に,いくつか転載。
 覚悟のできた人たちの言葉は,いつも祈りに満ちていて,周囲の万物を動かす力があります。(p5)
 私の追い求めているホリスティック医学では,人は誰でも生きているかぎり,日々「いのち」のエネルギーを高め続けていると考えます。(中略)なんのために「いのち」のエネルギーを高め続けるかというと,(中略)死後の世界へうまく飛び込んでいくためです。(p18)
 途中までどんなに感動的な映画でも,ラストがよくないとすべて台無しになってしまいます。人生も同じだと思うのです。長寿にしがみついて,死に方を間違えると人生がすべて台無しになってしまいます。(p22)
 なぜ亡くなるときに患者さんの顔が“いい顔”になるのかとても不思議でした。やがて何度も経験するうちに,これはふるさとへ帰る顔だと,ふと思いました。患者さんたちのおだやかな表情を見て,文部省唱歌の『故郷』という歌の三番の歌詞が頭に浮かんだのです。 志を果たして いつの日にか帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷 今,患者さんはこの世での務めを果たしてほっとして,これからふるさとへ帰っていくに違いない。だから,誰もがおだやかでやすらぎに満ちた顔で旅立っていくのだろう,と思ったのです。(p26)
 本当の美しさは,意外と年相応の自然さの中にあると思うのです。(p34)
 自分たちの“老い”を恥じ,アンチエイジングと称して必死で若さにしがみつこうとしたり,若者文化にすり寄ったりしている姿は,決して美しいものではありません。とうてい尊敬の対象にはならないでしょう。(p41)
 自然の流れに逆らうとろくなことはありません。あるがままに身をまかせて,その中で少し配慮するくらいがちょうどいいのです。(p44)
 「いのち」のエネルギーは,日常生活の中でも高めることができます。決して難しいことではなく,こころときめく生活を心がければいいのです。(中略) ときめく対象はなんでもいいのです。私の場合でいいますと,大好きなカツ丼を食べると,そのたびに大いにときめきます。(中略)ときめかない食品を渋々食べるよりは,たとえからだには好ましくなくても,大いにときめきながらカツ丼を食べたほうがはるかにいいと,私は思うのです。(p63)
 長野県の伊那谷に居を構えている翻訳家で詩人の加島祥造さんは,御年八六歳。伊那谷の老子と呼ばれている人ですが,数年前に「加島さんはどんなときにときめきますか」と尋ねたとき,「そりゃ,女だよ」と,さらりとおっしゃっていました。その迷いのない即答は「あっぱれ」という感じでした。(p66)
 がん治療の現場で経験を重ねるうちに,人間はもともと明るく前向きにできていないことに気づきました。病気の最中に,明るさや前向きさを無理に求めると,患者さんにとって大きなストレスになります。(p67)
 生きることの本質は哀しみであり,表面的な明るさ,前向きさはもろく崩れやすいものなのです。反対に,哀しみの大地は盤石です。これ以上崩れ落ちることはないからです。(p68)
 好きなものをおなかいっぱい食べるのはよくないが,好きなものを少し食べていると養生になる,というわけです。これは真理だと思います。(p110)
 無関心がもっともよくありません。若い人でよく,食べること自体がめんどうくさくて,とりあえず“あるもの”を食べるという人がいます。こうした食生活を続けていると,必ずあとでツケが回ってきます。(p113)
 人間はもともと,自分のからだに必要なものはわかっていて,食べすぎないかぎりは結構うまく食べているものなのです。(p122)
 医者がスピリチュアルになれないいちばんの理由は,エリート意識です。(中略)それがすべての元凶だと私は思っています。(p170)
 ホリスティック医学のいちばんの肝は治療法ではなく,その治療法がどういう「場」で行われるか,その「場」づくりが大切なのですね。(p178)
 西洋医学しかやらない病院では,患者さんが代替療法を行うのを嫌がる医者が結構います。これはとてももったいないことです。患者さんの「やってみたい」「試してみたい」という気持ちは,がんを治すうえで欠かせないものだからです。(p224)
 医学はサイエンスでいいとしても,医療は生身の人間が営む「場」の働きです。医療者が科学ばかり重視して「こころ」の問題をないがしろにしていると,いい医療にはなりません。(p227)
 毎朝五時前に病院に入って,夕方六時まで目のまわるような忙しい日々ですが,それでも,診察や回診で患者さんとお話ししていると,私が患者さんに癒されている部分も多いのです。(p239)

2017年6月22日木曜日

2017.06.22 千田琢哉 『お金の9割は意欲とセンスだ』

書名 お金の9割は意欲とセンスだ
著者 千田琢哉
発行所 アイバス出版
発行年月日 2014.09.03
価格(税別) 1,200円

● 次のようなことが書かれている。
 これまで私は1万人以上のビジネスパーソンと対話してきた。その中で気づかされた衝撃的な事実を公開したい。 高所得者は,苦労から逃げていた。低所得者は,苦労に逃げていた。 シンプルだけど,それだけの違いだった。(p2)
 学校では苦労して磨き上げたことが才能だと思い込まされてきた。ところが,本当は,たいして苦労を感じなかったのに自然にできるようになったことが才能なのだ。苦労を感じていないから,自分で自分の才能には気づきにくい。(p16)
 人はどうでもいい相手と魅力的な仕事をするよりは,大好きな相手とまあまあの仕事をしたいのだ。(p86)
 口論に簡単に勝てるコツがある。それは口論が始まったら,どうやって負けてあげようかを考えることだ。これだけであなたは圧倒的に有利になる。口論における究極の勝利とは,口論にならずに終止符を打つことだ。(p91)
 弱者であることを認めている弱者を,強者は決してバカにしない。否,分をわきまえた弱者を,強者は心から応援したくなる。反対に弱者であることから目を背けた弱者を,強者は毛嫌いする。(p94)
 社会人になって,功成り名を遂げた人たちと仕事をさせてもらって驚いたことがある。成功者たちは揃いも揃って飽き性だったということだ。だが矛盾することに,彼ら彼女らの継続力は半端ではなかった。 これはどういうことか。成功者たちは忍耐強く無理に物事を続けていたのではなく,自分が自然に続くことだけをやっていたのだ。(p113)
 人というのは年収が上がると人間性も上がるよ。サラリーマンでも年収800万超えておかしなこと言う人は滅多にいないから。おかしなこと言うのは年収の低い人ばっかりだな。テレビでやっている犯罪は,例外中の例外をかき集めているからね。そうしないと視聴率取れないから(p174)

2017年6月21日水曜日

2017.06.21 こやまけいこ 『くるくる自転車ライフ』

書名 くるくる自転車ライフ
著者 こやまけいこ
発行所 イースト・プレス
発行年月日 2012.08.22
価格(税別) 1,048円

● 著者夫婦の自転車生活を漫画で。コミックエッセイというんですか。

● ともに,BD-1が1台目の自転車。折りたたみ式の小径車。この自転車で世界一周中の猛者もいたんじゃなかったかな。
 有名な製品だけれども,ぼくには高嶺の花。

● 夫の方はそれに飽き足らず,すぐにロードバイクを買う。妻はずっとBD-1で通している。ハードに関しては夫の方が突っ込みがきつく,妻(著者)は監視役という役回り。

● しかし,夫婦で輪行するとか,まぁ楽しそうにやっている。そういうところだけを素材にしているのかもしれないけどね。
 うちでは相方はまったく自転車に興味なし。っていうか,亭主がやっていることには興味がないらしい。
 じつはその方がありがたい。自転車でどこかに出かけようというとき,私も一緒に行くと言われては叶わないもの。ぼくは単独行でなければダメ。

● とはいえ,今年になってからはほとんど自転車に乗らなくなっている。特に4月以降はまったく乗っていない。

2017.06.21 ドロンジョーヌ恩田 『嗚呼 愛しき自転車乗り』

書名 嗚呼 愛しき自転車乗り
著者 ドロンジョーヌ恩田
発行所 枻出版社
発行年月日 2009.08.10
価格(税別) 1,500円

● 自転車と自転車乗り,それらを載せる場。それを素材にしたエッセイ。ユーモアエッセイという範疇に入るんだろうか。視点もユニークだし,文章も旨い。
 ちなみに,イラストも著者が書いている。

● けれども,最近,自転車雑誌でも見かけることは少なくなったような気がするんだが。どうしたんだろ。ネタ枯れ? それはなさそうなんだが。新しい女性書き手が登場しているんだろうか。
 あるいは,ぼくが知らないだけで,現在も活躍中なのかな。それとも,自転車ブームが一服している状況なんだろうか。

2017年6月18日日曜日

2017.06.18 牧 壮 『iPadで65歳からの毎日を10倍愉しくする私の方法』

書名 iPadで65歳からの毎日を10倍愉しくする私の方法
著者 牧 壮
発行所 明日香出版社
発行年月日 2014.11.23
価格(税別) 1,500円

● まず,2つほど転載。
 フルタイムジョブからリタイアした直後は,新しい自由時間とたくさんの友人もいて愉しい毎日を過ごすことができます。体力・気力とも充実しており,経済的にもゆとりがあるため,永年やりたくてもできなかったことをやれる感動に浸れます。しかし,これも歳とともに大きく変化していきます。(p72)
 103歳の日野原重明先生はフェイスブックの効用を「シニアにとってのコミュニケーション革命」「脳を活性化する新しい刺激」「日々の張り合いが人生の時間を伸ばす」と仰っており,自らフェイスブックを始められたのです。(p91)
● 内容は,iPadがどうこうというより,Facebookの勧め。EverNoteの使い方も解説されている。
 ただし,どちらも高齢者向けにわかりやすくという配慮は感じない。パソコン雑誌にあるようなごく普通の解説だ。
 難しいのかもしれないけどね。正確さとわかりやすさはなかなか両立しないから。

● 申しわけないけれども,ここに書かれていることは絵空事ではないかと思う。
 今までFacebookやEverNoteと無縁ですんでいたのなら,無理に始めることもあるまい。特に,Facebookはすでに旬を過ぎているかもしれない。

● この年代の人たちがFacebookについて抱いている漠然としたイメージには,2つの誤解があると思う。
 ひとつは,Facebookをやっているなんてすごい,時代の先端を走っている,自分にはとても無理だ,というもの。
 違う。こういうものははしりの時期には,若者の世界になる。まず,飛びつくのは彼らだ。中高年は様子見を決めこむ。
 が,今や,そういう時期はとっくに過ぎて,若者はFacebookから去っている。メインユーザーは中高年だ。メジャーになっている人たちが先端のはずがない。
 それに,実際にやってみればわかることだけれども,Facebookを始めるのに,難しいことは何もない。そうでなければ,中高年がメインユーザーになるわけがないのだ。

● Facebookをやらないと情報社会に取り残されるのではないか,という不安。
 ぜんぜん当たっていない。Facebookでやりとりされていることの大半(95%以上)は,およそどうでもいいことなのだ。
 晩飯に○○を食べた。今,誰それさんとスタバでお茶している。話題になっている○○というレストランに来てみた,評判どおりでとても美味しかった,感動。という具合だ。
 言葉を選ばすに言ってしまえば,バカ丸出しの投稿ばかりだ。もちろん,自分もそうなのだが。

● では,Facebookなんてやっても仕方がないか。さよう,然り。やっても仕方がないと思う。
 ただし,リアルのコミュニケーションもまた,どうでもいいことのやりとりでできている。どうでもよくないことをやりとりしなければならない局面は,多少なりとも緊張を強いられるものとなる。場合によっては胃が痛くなることもあるだろう。
 どうでもいいことのやりとりだから,コミュニケーションはコミュニケーションたり得ているのだ。

● 歳を取るということは,自分より年下の人たちが増えるということだ。若い人は年寄りと話などしたがらない。自分が若かった頃を思いだしてみればいい。
 若い人にしてみれば,年寄りと話してて楽しいことなどひとつもない。最初から対等の立場に立てることがない。対立すれば内容にかかわらず年寄りの意見が通ってしまう。
 年寄りの話は説教じみている。自慢話が多い。自分は正しいと信じて疑わない。どうにもタチが悪い。
 しかも,年寄りは言うだけですむが,若い人たちは現場で走り回らなければならない。汗を流すのは若い人たちだ。

● ゆえに,若い人たちと話をしたいのであれば,以上の諸点について,年寄りは自分の構えを変えなければいけない。が,それができる年寄りはまずもっていないだろう。
 ということは,歳を取るにつれて,どうでもいいことがらをやりとりする機会が減ることになる。そのことによって,フラストレーションを溜めることがあるかもしれない。

● それを解消する手段としてFacebookを使うのはありだと思う。もの言わぬは腹ふくるるわざ。ふくれた腹を元に戻すのにFacebookを利用する。これは賢いやり方であろうと思う。
 逆にいえば,腹がふくれていないのであれば,わざわざFacebookを始める理由に乏しい。

2017年6月17日土曜日

2017.06.17 舘神龍彦 『手帳の選び方・使い方』

書名 手帳の選び方・使い方
著者 舘神龍彦
発行所 枻出版社
発行年月日 2016.12.30
価格(税別) 1,500円

● タイトルのとおりの内容。手帳=ビジネス用,というのは思いこみだと思う。けれども,手帳術の本のほとんどは,その図式で内容を作っている。スケジュールの組み方(移動時間も入れろとか),メモのとり方,手帳を使ってのアイディアの出し方,付箋との併用。
 ぼくはすでに一線を退いているので,そういうのはもう半ばどうでもいい。いや,退く前もどうでもいいと思っていたかな。

● でも,この種の本が出ると,つい手に取ってしまう。おそらく,手帳をビジネスの道具というより,文具のひとつと捉えているんだと思う。あるいは,大人への梯子になるものだと考えていたのが尾を引いていたか。
 初めての手帳を買って使いだしたときのことは,正直,記憶にない。大学生のときは小さいスケジュール帳を持ち歩いていたと思うけど,それが初めてだったか。

● ともあれ。手に取って読んでみましたよ,と。が,参考になりそうなものがないかと思って読むということはなくなっている。
 と言いながら,以下にいくつか転載。
 手帳は“自己開発ブームと文具ブームに挟まれた肥沃な三角州”なのです。(p20)
 不確定な予定であっても,いったん記入することで,その予定をどこに入れるかを意識し,決められるようになります。(p68)
 ふせんを使うことでこなせるタスクは増えたように思います。予定を入れるのは前後の事情からすぐには決められないこともありますが,不確定な事柄としてふせんに書くのは,心理的な負担も少なくなったから,こなせることが増えたのではないかと思っています。(p84)

2017.06.17 伊藤まさこ 『京都てくてくちょっと大人のはんなり散歩』

書名 京都てくてくちょっと大人のはんなり散歩
著者 伊藤まさこ
発行所 文藝春秋
発行年月日 2013.11.15
価格(税別) 1,300円

● 『京都てくてくはんなり散歩』(文藝春秋 2008.10)の続編。つまりはガイドブックといっていいんだと思うんだけど,そこに伊藤さんの味付けがしてある。
 誰もが行くとか人気があるとか,そういう普通のガイドブックではないわけだ。

● Tipsをいくつか転載。
 きなこ,こし,つぶ,色の薄いものから,どうぞ(今西軒の今西正蔵さん p25)
 手をかけ皮をこすから「こしあん」(p27)
 庖丁は使う人が研ぐもん。心得て手入れすると道具は活きてくる(有次の寺久保進一朗さん p63)
 おいしいコーヒーってなんだろう。(中略)よくコツを聞かれるんですけどね,もちろん言い出せばキリないけど,「たっぷりの粉でちょっぴりのコーヒーを淹れること」って答えるようにしてるんです(p74)
 面倒な時は,コーヒーとお湯を入れたマグカップをガーッと混ぜて3分おいといて,あとでフィルターで漉したら味がととのいますよ。(p75)
 山にあるものは無理矢理育てられたわけではない。だから嘘がないんです(美山荘の中東久人さん p133)

2017年6月15日木曜日

2017.06.15 野口悠紀雄 『知の進化論 百科全書・グーグル・人口知能』

書名 知の進化論 百科全書・グーグル・人口知能
著者 野口悠紀雄
発行所 朝日新書
発行年月日 2016.11.30
価格(税別) 780円

● グーテンベルクが活版印刷を確立したことは,中学か高校の歴史で習った。しかし,それが社会を揺らすほどの画期的なものだったことを知ったのは,もっとずっと後だった。
 グーテンベルク以前,知識は少数者の独占物であり,支配の資源になっていた。そういうことを本書であらためて認識した。

● 今は,書店にも図書館にも書籍が溢れていて,誰でも安価または無料で読むことができる。読み書きは義務教育で教えてくれる。
 ありがたいことです。それがなかったら,ぼくのような者は間違いなく社会の落ちこぼれになっていたはずだもの。

● 本書では百科全書の革新性,Googleの検索エンジンの画期性も説かれる。百科全書が採用したアルファベット順。もし,Googleの検索エンジンがなかったら,インターネットは行き詰まっていたかもしれない。

● 以下にいくつか転載。
 大学もまた,1つのギルドであると見なすことができます。(p27)
 16世紀の宗教改革に続いて,17世紀のピューリタン革命,18世紀末のフランス革命などが起こりました。これらは,活版印刷が生み出す活字媒体なしには起こりえなかったことです。(p36)
 知識の拡散について,印刷術の発明や俗語で書くことは重要な変化だったが,百科事典というのはそれほど大きなことではないように思われるかもしれません。しかし重要なイノベーションがあったのです。それは事項をアルファベット順に並べることです。(中略)各項目の配列を,編集者の価値観に秩序づけられる概念の関係によるのではなく,機械的で一律なアルファベット順に並べたことです(p56)
 「学問は,基礎から順に学ばなければならない」 いまでも学者や専門家の間には,こうした考えが強く残っています。例えば大学ゼミにおける研究発表で,「何を参考資料に使ったか?」と教授に問われたとしましょう。そのとき「経済学事典で調べました」と(正直に)白状する学生がいます。この答を聞いて黙っている教授はいません。(中略)教授がこのように反応する理由は,既得権益を侵されるからです。百科事典を用いれば,素人が簡単に専門知識を入手できます。そのため,専門家の役割が低下し,専門家は専門家としての優位性を主張できなくなってしまうのです。(p68)
 知識が必要だと考える第1の理由は,新しいアイディアを発想するためには,知識が不可欠だからです。既存の知識と問題意識のぶつかり合いでアイディアが生まれるのです。(中略)その場合,知識が内部メモリ,つまり自分の頭の中に引き出せていない限り,それを発想に有効に使うことはできません。(p104)
 知識が必要だと私が考える第2の理由は,質問をする能力を知識が高めるからです。何かを知りたいと思うのは,知識があるからです。知識が乏しい人は,疑問を抱くこともなく,したがって,探求をすることもなく,昔からの状態に留まるでしょう。(p104)
 あるIT関連事業者は,「グーグルは全能で,インターネットのすべてを支配している。それが,IT企業の繁栄や破滅を決めてしまう」と言っていますが,そのとおりです。「検索ランキングの下位では生き延びられない」のが事実なのです。(p129)
 検索機能の重要性は,情報に対する態度が受動的か能動的かで,大きく異なります。日本では,「プッシュ」された情報を受けるだけの人が多くいます。それは,テレビの視聴時間が長いことに現れています。(p136)
 情報技術の進歩によって情報や知識の価値が低下していますが,それは複製が容易にできるからです。これに対して,リアルな公演そのものは,複製することができません。したがって,インターネット時代になってから,その相対的価値が著しく上昇したということができます。(p160)
 豊かになるにつれて,「それまでは資本財であったものが消費財になる」ということがしばしば起こります。何かのための手段ではなく,それ自体が目的になることが多くなるのです。同じことが,知識についても言えます。というより,知識は,最も価値が高い消費財になりうると思います。(p241)
 知識が増えれば増えるほど,体験の意味と価値は増します。それによって,生活は豊かなものになるのです。(p242)
 シュテファン・ツヴァイクは,『マゼラン』の中で,次のように言っています。 「歴史上,実用性が或る業績の倫理的価値を決定するようなことは決してない。人類の自分自身に関する知識をふやし,その創造的意識を高揚する者のみが,人類を永続的に富ませる」(p244)

2017年6月13日火曜日

2017.06.13 茂木健一郎 『ヤセないのは脳のせい』

書名 ヤセないのは脳のせい
著者 茂木健一郎
発行所 新潮新書
発行年月日 2017.04.20
価格(税別) 780円

● ダイエットしろとか,ダイエットなんかしなくていいとか,ダイエットの是非が論じられているわけではない。
 この本で茂木さんが何を言いたかったのかは判然としない。巷間はびこっているダイエット法に悪態をつきたかったのか。脳は保守的だからダイエットは難しいんだよ,ってことか。

● ただ,部分々々が面白くて,ほぼ一気通貫で読了した。

● 以下に多すぎるかもしれない転載。
 この頃,精神的にもちょっとやさぐれていた時期でもあります。人間関係や日本社会をめぐるいろいろな状況に絶望的な気分になっていて・・・・・・。人や社会は絶望的でも「おいしい」は俺を裏切らない---そんなことを考えていたのです。(p33)
 いかにメンタルのコンディションがダイエットの成功を左右するか(p33)
 体重変化で大切なのは,そのような「ゆらぎ」を超えた長期傾向です。ところが,その変化がゆっくりなので,なかなかその意味に気づきにくいというわけです。人間の脳は,ゆっくりとした変化を認識するのが苦手です。(p35)
 マシン・トレーニングは、その動き自体が,ためにするトレーニングというか不自然に思えてしまう。(p44)
 ぼくも同意。正しいか間違っているかの話ではなくて,共感を覚える。体を動かすことを目的にしている時点で,そもそもおかしい。体を動かすのは何か目的があって,そのための手段であるはず。
 散歩だって,散歩のための散歩ならおかしい。気持ちがいいから,というならわかる。ジムに通うのも,楽しいからというなら,それはわかる。
 勉強のための勉強,運動のための運動。いずれもあって悪いとは思わないんだけど,形として美しくないというか。
 生きる指針があり,それを遂行した結果,必然的に身体も鍛えられるというのが理想です。(p81)
 二十歳くらいの女性と話していた時,彼女が「夜にお腹を空かせたまま寝るのが快感だ」と言っていたのが印象的でした。ダイエット落伍者は,酒を飲んでさらにラーメンを食べてお腹いっぱいになって寝る。むしろ,それが快感。しかし,これは年を取って前頭葉の抑制作用が緩んで,どんどん我慢ができなくなってきている証拠かもしれません。(p62)
 猫も杓子もダイエットに勤しみ,アンチエイジングをはかろうという社会は,若さを無条件に称揚して,老化を全力で否定しているようにも見えるのです。(中略)若さのモノカルチャーが支配する社会は,全体として幼いと言えるのかもしれません(p69)
 ダイエットして若さを取り戻したいと言いつつ,その方法論があまりにも小賢しくてちまちましている。それ自体が若さとはほど遠い。そもそも子供や若者は好きなだけ食べるものですから。(p70)
 ある種のダイエットというのは,結局,今生きている自分という存在自体を手段として扱ってしまっている。一年後にヤセている自分を実現するために,糖質制限をして炭水化物を食べないというのは,(中略)「未来のあるべき自分」という目的のために,「今ここにいる自分」を道具にしてしまっているわけです。(p71)
 小学生の頃から私は,勉強法は自分で見つけなければ意味がないと思っていました。それはダイエットでも同じことです。(p76)
 一生をかけて挑むような目標を決め,それに向かって精進するためには,自分で自分をスパルタ教育する必要があると思っています。他人に与えられた課題を解いていくだけでは,東大ぐらいは入れるかもしれませんが,それ以上のことができるかどうか。(中略)大事なのは,「大学までの人」になるのか,「大学からの人」になるのかということです。(p85)
 楽して英語が上達する方法なんてありません。CDだけを聴き流して英語が身につくはずがないのです。これは勉強でもスポーツでも同じことです。(p99)
 人生って,本来は臨機応変なものだと思うのです。何かひとつの方法だけを正しいと思い込んで,他を排除して攻撃する--というのは,どのジャンルにも言えることですが,不毛なことだと思います。(p103)
 他人や社会に「認めてもらいたい」という承認欲求が強いということは,裏を返せば,現時点での自己評価が低いということなのです。(中略)そのように生きることは,いわば自分という存在の価値を他人の評価に委ねる,「永遠の悪循環」に陥ることを意味します。(p112)
 体重を毎日計測するといういわば数字に裏付けられた「メタ認知」があったからこそ,このような取り組みも可能になったわけです。ヤセたような気がする,太ったような感じがする,といった「印象批評」では,強化学習の基礎となるデータが得られません。やはり,厳しいようでも自分の客観的な数値を把握することが大切なのです。(p125)
 マインドというのは身体と密接につながっていて,それは行動や習慣を通して変化していくものです。つまり,何か行動する前にマインドだけが変わるということはなかなかあり得ません。(p141)
 「行動するためのやる気を起こすにはどうしたらいいか?」ということを,みなさん知りたいのだと思います。それに対する私の答えをズバリ申し上げましょう。やる気は必要ない。以上です。(中略)「やる気というのは,それがあるから行動できるものではなくて,むしろ行動しないことの言い訳として使われがちです。(中略)一時の「熱意」や「やる気」ではなく,「習慣」こそが必要なのです。やる気はある意味で「贅沢品」なのです。(p147)
 仕事でもエクササイズでも,必要なことは自分と「やるべき事」の間に壁をつくらないことです。「やる気」は,自分が「やるべき事」をするために背中を押してくれるというよりは,むしろ自分と「やるべき事」の間に壁を作ってしまうのです。(p151)
 人間の脳というのはふしぎなもので,何か行動を起こしたとの理由というのは,すべて後付けだということが,これまでも研究でもわかっています。一見,合理的に思える理由でも,それは行動した後に付与されたものなのです。(p165)
 いくら「自分を変えよう,変えたい」と心に決めたとしても,本当に変わるのは難しいものです。脳というのは基本的に保守的な傾向があり,ホメオスタシスを重視するのが基本でもあります。(p166)
 創造性を発揮するためには,思い切って新しいことにチャレンジしなくてはいけません。(中略)そのために邪魔になるものがあります。その最たるものが間違ったプライドです。(p167)
 創造は変化からしか生まれません。(p169)
 文脈を過剰に意識したものは,文脈自体を越えていく力がない(中略)時代を越えて普遍性を持つものというのは大体においてシンプルです。その時代,その場所の文脈に過剰に適応させてしまったものは,一時的なブームは起きるかもしれないけど,文脈を飛び越えていくことがなかなかありません。(p179)
 英語学習の近道は,とにかく原書を読むに限ると思うのですが,そう言うと「どの本を読めばいいですか?」と聞いてくる人が必ずいます。(中略)「Just do it!」,それだけです。(中略)「形から入る」タイプは,わざわざ文脈を太く,そして蜘蛛の巣のごとく細かく張り巡らせて,本来の目標からどんどん遠ざかってしまいがちです。むしろ,文脈それ自体を消費することに快楽を感じているのかもしれません。(p186)
 自由意思とうものが幻想だとしたら,「私」という存在が曖昧なものだとしたら・・・・・・。そもそも誰が「自分」を支配しているのでしょうか?(中略)それは“外”からやってくるのです。“外”というのは,つまり“社会”のことです。(p208)

2017年6月12日月曜日

2017.06.12 佐藤ねじ 『超ノート術 成果を10倍にするメモの書き方』

書名 超ノート術 成果を10倍にするメモの書き方
著者 佐藤ねじ
発行所 日経BP社
発行年月日 2016.10.18
価格(税別) 1,400円

● ノート術というよりは発想術の本。ノート術に関しては,著者が言いたいことは次の一点に尽きていると思う。
 選りすぐりのメモだけを特別なノート(1軍ノート)に書き写す(p22)
 これは,嶋浩一郎さんに学んだことだという。古くは,外山滋比古さんも説いていた。

● 以下にいくつか転載。
 打ち合わせがいいのは,それがライブだからだと思います。自分の発言から相手が何かを発想し,また相手の発言から自分も何かを考えるという繰り返しのなかで,意外な発見が生まれます。(p50)
 紙のノートが持つ最大のメリットは,やはり「モノとしての存在感」だと思います。(中略)デジタルで作成したメモとうのは,あとから何度も読みかえそうとはなかなか思わないものです。(p82)
 「○○はこういうもの」という思い込みが覆されると,人は驚き,感心します。そして,ほかの人にそれを伝えたくなるのです。(p85)
 直感的な言い方をすると,1軍ノートに入れるかどうかは「自分がときめくかどうか」です。(p91)
 自分が何をアウトプットしたいのか,そしてどうすれば何度も見返したくなるノートになるか,という2つのポイントから,1軍ノートの形式がおのずと決まってきます。重要なのは,必ず「同じフォーマット」の繰り返しにするということです。(p93)
 アウトプットの回数を増やすことの重要性は,いくら強調してもしすぎることはないと思っています。なぜなら,人間は失敗から学ぶ生き物だからです。(p105)
 「もっとアウトプットしよう。打席に立つ回数を増やそう」というアドバイスに素直に従える人というのは,意外と少ないかもしれません。能動的に動ける人,自分から行動を起こせる人というのは,そんなに多くないからです。(p130)
 要素の組み合わせが意外だと驚きが生まれるのではなく,組み合わせの接着点にひねりがあることで,アイデアとしてぐんと面白さが増すのです。(p149)
 アナログとデジタルとでどのように使い分けるのがよいのかは,人によって変わってきます。ポイントは,アウトプットのためにどんなプロセスがキモとなるのかでしょう。僕の場合,メモをそのまま使うことがなく,アイデアとして「転がす」ことで面白い企画に成長させていきます。そのプロセスは紙のノートでしかできないので,紙が中心となるような運用になります。(p174)
 デジタルのメモだけでは,72dpiの荒い情報解像度でしか保存できません。きれいなフォントで,ある程度整理された情報にまとまってしまいます。でも,紙のノートにはたくさんの余分な情報が残ります。その余分な情報こそ,あとで見返すと最高に面白いのです。(p196)

2017年6月9日金曜日

2017.06.09 pha 『しないことリスト』

書名 しないことリスト
著者 pha
発行所 大和書房
発行年月日 2016.01.01
価格(税別) 1,200円

● やりたいことだけやって,寝たいだけ寝て,食べたいときに食べて,やりたくないことはやらないですます,という生活をやっていこうと,会社を辞めた。
 その会社というのは某国立大学法人だそうだから,仕事がきつくて,残業につぐ残業,家に帰ったら寝るだけ,というはずがない。仕事だけでいえば,楽勝の職場だったはず。
 電通にいた故高橋まつりさんと同じ状況だったわけではない。っていうか,対照的な職場だったと思う。

● それでも毎日決まった時間に出勤するのがイヤ,混んでいる電車に乗るのがイヤ,職場の人と顔を合わせるのがイヤ,話をするのがイヤ。
 とにかく,わがままなのだ。そこまで言うか,というくらいの。しかし,著者に言わせれば,そういうことが苦にならない,あるいは苦にはなっても忍耐の範囲内,という人はそのまま仕事を続ければいいが,自分はそれができない少数派だったのだ,と。

● 結婚とか家庭を持つとか,そういうことにも向かないと悟っていたようだ。そういうことは諦める。自分ひとりを何とかすればいい。
 たとえ自分ひとりの問題ですむとしても,若い身空で会社を辞めて無職になることに対しては,経済的なことを含めて,不安がなかったはずはない。
 しかし,断行したのだ。というくらいだから,本書から感じたのは痛快さだ。こういう生き方もあって,実際にやっている人がいるのだという新鮮な発見も。

● 著者は京都大学を出ているのだ。世間的な見方をすれば,もったいないってことになるだろう。
 が,著者に言わせればそうではないのだ。そんなことはどうでもいいのだ。

● 以下に多すぎるかもしれない転載。
 でね,こうして転載してみると,著者はやはり頭のいい人なんだなと思うんですよね。ここまでの文章が書けるんだもんね。ニートの代表にするわけにはいかない人ですよね。ニートという多様性の真ん中にいる人ではない。
 今の世の中には無数の,「しなきゃいけないこと」があふれている。テレビを見ても,ネットを見ても,本屋に入っても,そこらじゅう,「これをしないとヤバい」というメッセージだらけだ。なぜ,こんなにも「しなきゃいけないこと」に追われるのだろうか。 その理由の一つは「情報が多すぎるから」だ。(中略)そして,もう一つの理由は,「そのほうが儲かるから」だ。(p1)
 「モノをたくさん持っているのが豊かだ」という考えは,もうだいぶ古くなってきているんじゃないかと思う。モノというのは,持っていると管理コストがかかるものだ。(中略)持っているものは少ないほうが,身軽に生きられる。(p16)
 世の中は広いから,大抵のものはどこかで余っていて捨てられようとしているものだ。だからうまく捨てたい人を見つけられれば,結構タダでもらえる。自転車や家電など,捨てるのにお金がかかるものは特にもらいやすい。(p18)
 昔,インドで物乞いをやっていたという知人がこんなことを言っていた。「乞食のコツは,『何かください』という曖昧な要求じゃなくて『5ルピーください』とか『食べ物をください』みたいに要求をはっきりさせることだ」(p19)
 「注意資源」という概念がある。これは人間が何かに注意を払うエネルギーのことなんだけど,大事なのは「人間の注意資源は有限」ということだ。たくさんのモノを持つほど,一つ一つの扱いはおろそかになってしまう。(中略)知人や友人の数や記憶や体験の数でも同じことが言える。たくさん持てば持つほど,一つ一つに対する思い入れや感動は少なくなっていく。(p21)
 他の人からどう見られるかとう問題についても,自分が気にするほど他人はこっちを見ていない,と思うようになってからは気にならなくなった。(p23)
 お金を稼ぐために働いて,そのことでストレスを溜めて,そのストレスを解消するためにお金を使ってしまう,ということがないだろうか。(中略)それだったら,あまり働かずに毎日時間に余裕のある生活をしたほうが,お金がなくても健康で幸せになるんじゃないだろうか。(p26)
 知識というのはモノよりも共有しやすいもので,ネットは低コストで知識をシェアするのにすごく向いている空間だ。(p37)
 何かを知っているだけということにあまり意味はない。その知っていることをいかに自分の血肉にして,生きた情報として活用できるかが大事だ。そして,単なる情報を血肉にするには,他人の目を意識して文章をアウトプットしてみるのが有効な手段だ。(p49)
 紙の本のほうが記憶に定着しやすいのは,それが「本を持つ」とか「ページをめくる」とか「ページの手触り」といったような,非言語的な刺激を伴うからでもあるだろう。(p50)
 文章を書くときは最終的にはパソコンで書くのだけど,最初のアイデア出しや大まかなイメージをまとめる段階では紙とペンを使う。最初はとりあえず断片的に思いついたことをひたすら大きな紙に書き出すところから始めていく。(p53)
 「がんばるのは無条件でいいことだ」という精神論をまず捨てよう。がんばることもいいけど,それよりも一番いいのは「がんばらないでなんとかする」ということだ。(p67)
 他人から期待されないほうが自分の好きなように行動がしやすい。(p78)
 人に下に見られることを恐れる必要はない。僕は他人に下に見られることは,まあ当たり前のことなんじゃないかと思っている。例えば,Aさんから見ると世界の中心はAさんなんだから,僕の存在なんて取るに足らないものだ。誰にとってもその人自身が世界の中心だし,自分自身の価値観が絶対的な基準であるのは当然のことだ。(p81)
 睡眠というのはすごくよくできた娯楽だと思う。(p85)
 最も大事な点は,人は結構何かを頼まれたがっている,という点だ。大体みんな,よっぽど余裕がないとき以外は,誰かに声をかけてもらいたかったり,頼りにされたがっていたりするものだ。人は本質的に孤独だからなんだろう。(p87)
 決断が早い人よりも決断が遅い人のほうが,優しさがある気がする。優柔不断でためらいがちな性格というのは,「自分は間違っているかもしれない」という謙虚さにも繋がっているからだ。そうした柔らかさがあったほうが,人間関係がスムーズにいくことは多い。(p93)
 仕事で成功を収めている人というのは,大体の場合,自分の適性を見つけて自分に向いていることをひたすらやり続けた人だ。「イヤなことでも歯を食いしばってやれ」という人もそうで,それは彼が「イヤなことでもがんばる」というのに向いていたというだけだ。(p94)
 どんな場所でも長期的に生き残るのは,「自分のイヤじゃないことを自分に無理のないペースでやっている人」だ。(p96)
 「人間は環境に左右される」という視点を持つと,何かに失敗した人,もしくは何かに成功した人が,すべてその人自身の責任でそうなっている,というのを単純に信じられなくなってくる。個人の努力ではどうしようもないことが人生には多い。(p109)
 人の発言はすべてポジショントークに過ぎないんじゃないか,ということをよく考える。(p112)
 世の中にはいろんな人がいて,それぞれのポジションにいないと見えないものがたくさんある。だから,いろんなポジションのいろんな考え方の人が存在してそれぞれが意見を交換できるように,人間はこんなにたくさんいるのだ,と考えよう。(p113)
 ジョン・ロールズという哲学者は,「『努力できる』という能力も恵まれた環境の産物だ」と言う。(p117)
 世の中には,毎日ハードに働きながら平日の夜や週末も精力的に趣味の活動をこなすような人もいるけれど,そういう「体力オバケ」みたいな人は例外だと思う。人それぞれ持っているエネルギーの量は違うので,自分に合ったやり方を探すしかない。(p120)
 僕が実家にいた頃や会社員をしていた頃,すごく孤独で閉塞感を持っていた理由は,まわりに自分と同じようなダメ人間を見つけられなかったからだ。(中略)結局,僕がダメ人間の知り合いを作れるようになったのは,インターネットと都会のおかげだった。(P124)
 人間が持っている人間関係の処理能力には限界があるから,SNSで何千人とつながったとしても,一人一人とちゃんと有益な付き合いができるわけがないのだ。(p127)
 予定というのは守らないほうが楽しい。(p130)
 そうした「あいつらとは違う」という意識の「俺たち」の中だって,一枚岩ではなくて,その中を細かく見てみると「隣の県の奴らはなんか違う」とか「隣の町の奴らはなんか違う」とかバラバラだらけの集団だ。(p136)
 弱音や愚痴は,人に直接聞いてもらうのもいいけど,相手にも負担をかける。その点,ネットなら気軽にグチれる。(p147)
 リアルの会話とネットのコミュニケーションとの一番の違いは,「複数のやりとりを同時進行できるかどうか」という点だ。会話だと,一つのやりとりに100%集中しないといけない。(p160)
 閉じた人間関係はおかしくなりやすい。閉じた空間というのはコミュニケーションのチャンネルが一通りしかなくて,そこで一番力のある人が主導権を握ることになる。そして,閉じた空間で外部の人の目がないと,「暴力を振るう」とか「誰かの悪口をみんなで言い続ける」とか,外の人から見ると明らかにおかしい行為がその中で普通に行われるようになったりする。(p161)
 何かをするときは,「それが何の役に立つか」を考えるよりも,そのこと自体を楽しむのが健全だ。(中略)そもそも人の人生は,何か大きな意義のために生きるというものではなく,その「生そのもの」を充実させるためにあるのだ。(p165)
 世界には一生が何百回あっても経験し尽くせないくらいの面白いものがある。(p175)
 他人というのは,自分の都合で好き勝手なことを言うものだ。人の話を真に受けて自分が失敗したとしても,その人が責任を取ってくれるわけじゃない。(p178)
 否定の言葉ばかりをぶつけられるとへこむかもしれないけど,大抵の場合,反論しても大して得るものはない。(p179)
 議論が得意は人は優れているというよりも,単に議論というスポーツに勝つことが好きなだけだ(p181)
 新幹線や飛行機で速く移動するよりも,移動時間が長いほうが僕にとっては贅沢な旅だ。(p185)
 「自分はもっと早く死んでいてもおかしくなかった。今の人生は余生とうかオマケみたいなものだ」と思えば,どんな厄介な出来事が起こっても「人生はいろいろあるなあ」と思って楽しむ余裕が出てくる。そんな感じで生きていくのがいいんじゃないだろうか。(p191)
 生きるにあたって何か思想や信念を持つのはいいのだけど,あまりにもその思想や信念を完璧に実行しようとすると大体破綻する。どんな素晴らしい思想でも,原理主義は行き詰まりやすい。(p193)

2017年6月8日木曜日

2017.06.08 和田秀樹 『なぜか「安心して話せる人」の共通点』

書名 なぜか「安心して話せる人」の共通点
著者 和田秀樹
発行所 新講社
発行年月日 2013.06.25
価格(税別) 1,300円

● 取っつきやすい人とそうでない人,話かけやすい人とそうでない人。たしかにいるんだけど,いついかなる場合でも取っつきにくいという人はいないのじゃないかと思う。普段は取っつきにくい人でも,ある場面,ある状況では,話しかけやすい人になったりする。
 自分を顧みて,そういうものだと思う。ぼくは職場では取っつきにくい人だと思われていると思う。が,いつでも誰にとってもそうなのではない(たぶん)。

● 取っつきにくいとか話しかけづらいと思われるのは,基本的に損だ。それはわかっている。ではそこを直そうとすれば直せるものなのか。
 すべてを性格の問題に還元するのは間違いのようだ。そこのところを本書で教えてもらった気がする。

● 以下にいくつか転載。
 人間関係はかんたんに考えたほうがいいのです。それは自分が気安く話しかけられる人になるということです。(p3)
 参加者の多い競争ほど,負けてしまったことへの劣等感を持つ人も多いのです。(p32)
 これはとても基本的なことですが,人と話すのは元気になるためです。(中略)「この人と話しても落ち込むだけだ」と思ったら,会話どころか会うのも避けてしまうはずです。(p44)
 あなたが安心して話せる人を思い浮かべてください。その人にどんなことでも話せるのは,否定されないからですね。(p49)
 わたしたちが安心して話せる人は,自分が話すことより,まず相手の表情や気持ちに関心を持ってくれる人なのです。(p57)
 夫婦のやり取りだって,口にしたあとで「いまのはまずい!」と思うことがいくらでもあります。それを「冗談だよ」と笑ってごまかせるかというと,むずかしいのです。失言にはしばしば,というよりほとんどのケースで本音が含まれているからです。(p80)
 失言したときに「これくらいで怒るなんて」と考えて,フォローすら試みないというのはちょっと傲慢すぎます。(p83)
 相手が学生だろうが年下だろうが,あるいは年若い編集者であっても取材記者であっても,とにかくどういう人間にも低姿勢で向き合うと決めてしまえば楽です。相手によって態度を変えたり,そのときの状況によって態度を変えることのほうがはるかに面倒です。(p95)
 わたしの経験では,こちらがどんなに低姿勢に出ても無理難題を押しつけられたり,いいなりになってしまうことはありません。なぜなら,ほんとうに大切な人や,長くつき合いたいと思うような人は,わたし以上に低姿勢だからです。(p95)
 こちらから質問すると,「そんなことない!」と否定される場合があります。「先生まで疑っているんですか?」と硬い表情をされると,「いまのは失言だったかな」と後悔することだってあります。聞くことに専念するほうが,時間はかかるようでも精神科医としては患者に受け入れてもらえるというメリットがあります。対人関係も同じではないでしょうか。(p100)
 太鼓持ちで何が悪いのですか? 軽く見られて何が困るのですか? (中略)そこに,なめられたくないとか,自分の優位性だけは示したいという気持ちがあると,相手に合わせたら「負け」という感覚を持ってしまいます。周囲の人間関係に,いつもそういう「勝ち負け」の感覚を持ってしまったら,何より本人がつらいはずです。(中略)相手に対しても息苦しさを与えてしまいます。(p113)
 アドバイスの上手な人は平凡な答えでも相手を納得させる力をもっています。(中略)じつはアドバイスというのは平凡な言い方になることがほとんどなのです。(p142)
 お世辞とわかっても嬉しい気持ちにさせる人は,ふだんから「温かみ」が感じられるということです。(中略)それを感じさせるのが小さな約束をきちんと実行している人なのです。(p157)
 相手に尽くす気持ちというのはとても大事だと思っています。小さな約束を守ることだって,自分には何の得もなく,「軽々しく引き受けるんじゃなかった」と後悔するときがあります。(中略)では,なぜ約束したのでしょうか? 「喜んでもらいたい」という気持ちがあったからですね。(中略)「わたしに任せて」と約束したあたなは,とてもすてきでした!(p160)
 相手を安心させる話し方ができる人は、他人にひどいことをいわれない人でしょうか? そんなことはありませんね。職場にもいろいろな人がいるのですから,あなたをいつも安心させる人だって,上司に傷つけられたり,取引先に落ち込むようなことをいわれます。でも,ケロリとしています。すぐに気を取り直して,「やれやれ,今日はついてない」と自分に言い聞かせます。(p179)

2017年6月4日日曜日

2017.06.04 和田秀樹 『人をほめると「いいことが起こる」心理学』

書名 人をほめると「いいことが起こる」心理学
著者 和田秀樹
発行所 新講社
発行年月日 2010.05.06
価格(税別) 1,300円

● その人の幸不幸を決めるもの。それは学歴でもなければ,職業や収入の多寡でもない。いつにかかって人間関係による。
 これで人は苦労する。したがって,人生論とはつまるところ人間関係論だといっても過言ではない。

● ぼくなんぞは,何はともあれ人と直接係わるのは避けたい方だ。そのかわり,3日間誰とも口をきかなくてもぜんぜん平気だ。こういうのを「人間失格」という。
 そうした人間失格者でも,生きていれば人と係わらないわけにはいかない。

● どうやれば上手くいくか。多くの人が多くのことを述べているが,その中の代表的なものが,人をほめるということだろう。
 本書もそのひとつ。

● 以下にいくつか転載。
 「ほめブーム」をご存じですか。西日本の職場を中心に起こっている現象です。ほめることで社員て店員にいままで以上の「やる気」が起こり,結果として会社なりお店なりの業績が目に見えて向上していくのです。(p3)
 大阪商人は,小さいころから人をほめることを徹底的にたたきこまれるので,ちょっとしたお世辞をいって人を喜ばせるのに抵抗感がありません。関西の人間がおもしろいというのは,話がおもしろいということだけでなく,人に調子のいいことをいうのがうまいし,慣れているという要素もあるのでしょう。(p4)
 「ほめる」のが苦手な人の気持ちが何となくわかってきませんか? ひと言でいうと,堅苦しく考えているのです。あるいは狭い意味でしか考えていないのです。他人をほめるとは,その人を評価することだというコチコチの頭があります。(p24)
 ありのままの自分をほめてもらったときほど人間は嬉しいのです。結果を出したときに大げさにほめてもらうより,いまの自分や,自分の行動の中に「ほめてもらいたいな」と思うことがたくさんあるからです。(p28)
 わたしたちには,他人に認めてもらいたいとか,受け入れてもらいたいというごく自然な欲求があります。その自然な欲求が満たされない状態というのは 心にとってはつらいことなのです。結果を出さないかぎり認めてもらえない人間関係は,ホッとする時間がありません。(p29)
 人をほめるには,その人をちゃんと見ていることが前提になります。自分は見てもらってたと思えば,仕事にも意欲が湧いてきます。(p38)
 人をほめることを特別なご褒美と考える人は,それだけでほめるチャンスが少なくなります。(中略)年に一度の大賛辞よりも小さなほめ言葉を毎日,かけてもらったほうがわたしたちは嬉しいのです。(p53)
 人をほめるのが苦手というのは,ただのケチかもしれません。(p56)
 うまくいったかどうかではなく,一歩踏み出した人をほめてあげる気持ちがあれば,ほめる場面はどんどん増えます。変化をほめることも,その一つです。(p78)
 一人の社員が「こうしてみたい」とか「やればおもしろそうだ」と考えるときは,仕事に対して意欲的になっています。(中略)結果はどうなるかわかりませんが,とにかく挑戦してみようという気持ちなのですから,リーダーや周囲の人間が「やってみなさい」と後押しするだけでいいのです。それになんといっても,試してみることは楽しいです。(p81)
 迷わず「やってみよう!」でいいはずです。なぜならすべて,失敗してもどうってことないからです。「やっぱり壁は厚かったなぁ」でおしまいです。けれどもわずかな可能性はあります。(p84)
 小さな思いつきでも,まずほめてもらうとそこからアイデアがふくらんでいきます。(p86)
 従業員に活気があるかどうかで料理やサービスに対する満足度はまったく違ってきます。不思議なことに,「ここ,いいな」と思う店はすべて,味も雰囲気も満足できます。味はいいけど雰囲気が悪いとか,雰囲気はいいけど味が悪いという店はまずありません。(p88)
 ここは大きな気持ちになって考えてください。祝福してくれる人,喜んでくれる人がいたら,どんなときでも「みなさんのおかげです」とはっきり口に出してみてください。決して白々しい気持ちにはなりません。そこからしか,チームの一体感は生まれてこないからです。(p93)
 ほめることはもともと,「人を立てる」ことです。それでいいはずです。ほめてもらえばお世辞とわかっていても嬉しくなるのがわたしたちです。(中略)そして,嬉しくなればこんどはほめ返したくなります。(p105)
 どんな職場でもチームワークのしっかりしているところには,かならずこの「ありがとう」の言葉があります。(中略)逆にいえば,こんなかんたんなほめ言葉すら口にできない職場は,チームワークの保ちようがないということなのです。(p108)
 若々しい職場とうのは,社員の年齢が若いのではなく,どんな人でも自分の考えや意見を自由に発表できる雰囲気があります。キャリアの浅い社員が萎縮している職場はそういう意味では古めかしいのです。(p120)
 上司にとって好感の持てる部下でなければいけません。嫌われたら欠点探しをされるだけです。(p132)
 上司に媚びなくても上司から注目される記述を身につけましょう。ポイントは,アドバイスを求めることです。(p133)
 会社の中には,能力もあり努力も怠らないのに,なぜか上司に認められないタイプというのがいるものです。その人たちに共通する真理として,「他人に頼るのは甘え」という考え方があります。そこを,少しだけ見直してもらえば,ずいぶん違ってくるはずです。(p134)
 教えることを仕事としている人間でも「教えてください」といわれると嬉しいのです。自分が初めて,教える人間として認めてもらったような気がするからです。これは,実感の問題です。(p136)
 自分より目上の人に「教えて」といわれるのも嬉しいものです。(中略)と同時に,その上司の態度を尊敬する気持ちになります。「立場にこだわらない人なんだな」と思うからです。(p137)
 その人に自分から近寄って声をかけてあげるのは,とても大事なことになってきます。(p166)
 どんなに厳しくても,何か起こったときには部下や相手を案じてくれるような人なら,わたちたちは信頼感を失うことはありません。(p170)
 人をほめることは「みんなでよくなろう」という気持ちがあれば実行できます。「自分だけよくなろう」と思うと,なかなか実行できません。人をほめも自分の得にならないと考えるからです。(188)
 ほめ言葉はかならず「こだま」になって返ってきます。(p189)

2017年6月1日木曜日

2017.06.01 石原壮一郎 『大人のホメ力』

書名 大人のホメ力
著者 石原壮一郎
発行所 世界文化社
発行年月日 2005.11.01
価格(税別) 1,200円

● 洒落た大人の読みもの。一休さんじゃないけれど,捻りが利いているというか。ホロッと思わせるところがあるし,時に反省のよすがになったりもする。
 が,この本を読んで反省するのはよろしくないだろう。主には,アハハ,わかる,わかる,と読み捨てればいいものだ。著者としてもそうしてもらうのが本望だろう。

● 明石家さんまのトークよろしく,その場で笑わせてあとに何も残さないというのは,かなり高度な芸だ。
 著者は頭のいい人なのだろう。それといわゆる人間通。けっこう,ストレスを溜めるタイプの人なのかもしれない。

● 「人をホメるとは,自分を慰めることでもある」(p195)というような,教訓めいたフレーズも登場する。実用書として使おうと思えば使えないこともない。
 ただし,そうした読み方はかなり野暮な読み方になるんでしょうね。

2017年5月31日水曜日

2017.05.31 伊集院 静 『無頼のススメ』

書名 無頼のススメ
著者 伊集院 静
発行所 新潮新書
発行年月日 2015.02.01
価格(税別) 700円

● 若い人に向けた人生案内。といって,年寄りが読んで悪いわけではない。
 巻頭に本書の肝が記されている。
 無頼とは読んで字のごとく,「頼るものなし」という覚悟のことです。何かの主義やイズムにせよ,他人の意見にせよ,自分の頭と身体を使って考えるのではなく,いつも何かに寄りかかって生きようとする人には,狭量さと不自由がついて回ります。(p3)
 自分はどうしようもない人間で,ひどい怠け者なんだ,と自分自身の弱さをとことん知っておくことが無頼の大前提です。(p6)
● 何を語るかではなく,誰が語っているか,どう語っているかが説得力を決める。本書は著者自身がペンをとって書いたのではなくて,たぶん口述筆記。ではあっても,著者の語りは損なわれていない。
 あらゆる分野の権威に屈しないという著者の面目は,本書でも存分に発揮されている。権威に屈しないというのは,真贋を判別する目が確かだということでもある。

● 以下に転載。
 正義について語るのは,「ありもしない話」をすることと同じだろうと思います。(p20)
 情報をかき集めるだけでは能がないし,もともとその種の「情報」というのは,流したい側と読みたい側が一致したところで得られる,全体としてみれば小さな枝葉にすぎないのです。(p26)
 ネットの中には気配がない,風が吹いていない,匂いもしない。幽霊だって気配ぐらいはあるというのに幽霊でさえない。無機質なデータと色があるばかりです。(p33)
 生涯ほとんど本を読まなくても,まっとうな仕事をして,素晴らしい人生を送るという人はいくらでもいる。(p35)
 「世の中で金をたくさん儲けたやつの八割は悪党だと思っておけ」 それが私の理論で,昔も今も世の中では悪党のところに金は行く。(p40)
 戦場で生きるか死ぬかの瀬戸際に立ったら,たかが黄色人種一人が死のうが生きようが,この世界にとっては何でもないんだな,と身にしみてわかるにちがいありません。それこそが「世界」を知るということで,どれだけネットで情報を集めても,決して世界のありようなど分からないのだと私は思います。(p44)
 辛酸と苦節続きでどうしようもなく苦しくて,とてもそうは(苦労は買ってでもしろ,とは)思えないときこそ,本当の「個」をつくるために必要な時期で実は恵まれているのだ。そう考えてもらいたいのです。(p49)
 いじめの根そのものを誰もが持っている以上,世の中に出てもなくなりはしない。だから,要は怒れるかどうか。怒れれば,乗り切れるはずです。(p55)
 人前での土下座,まして号泣するなんて話にもならない。言い換えれば,「目立つことはするな」ということです。自分は輪の中心にはいたくない,という発想ができるようになったら「個」として生きていける。(p65)
 平和主義がよくて軍国主義はダメだとか,そういう議論がしたいのではなく,自分の家族や仲間が蔑まれたり,殺されたりするなら,まず「怒る」ということが大前提だと言いたいのです。戦争は,泣き寝入りしていればいずれ嵐は過ぎ去る,という考え方では解決できるものではない。(p81)
 他人に自慢話をしたがる人は驕り者と考えた方がいいし,自慢話のほとんどは自分に都合のいいそらごとです。いくらか事実が含まれていたとしても,自慢したところで何の役にも立たない。単にその人が,他人の評価を気にしすぎているという証拠にすぎないのです。(p88)
 「セックスとは,果てるたびに小さな死と出会うこと」 ジョルジュ=バタイユのこの言葉は,それだけで人類史に残るものではないかな。(p94)
 人間というのは何をするか分からない生き物なんだ,ということを忘れてはならない。「えっ? なんでこんなことするの?」という場面に置かれたり,「こんなのアリ?」という状況に置かれたときに,「いや,人間なんだから,これぐらいやるだろうよ」と思えるかどうか。それは,世の中を生きていく上でとても重要なことです。(p106)
 私に言わせれば,そもそも人間というのは,自分の中にどうしようもない連中が何人も集まってできているようなもの。(中略)個人だといっても実は個ではない。いいものも悪いものもたくさん抱えながら,何とかかんとか生きていく。(p119)
 最近は大学入試を面接で決めるという話も聞きますが,(中略)たかだか十分程度の面接をする教師の器でしか生徒をはかれない。タカが知れている器で比較するための,別の条件をつくりだすだけではないのか。(p121)
 私は作詞の仕事でジャニーズ事務所に縁があって,あるとき事務所の車に乗せてもらったところ,運転手さんがいいました。「最近,立て続けに三回も追突されたもので,近いうちに川崎大師に厄落としに行こうと思ってるんですよ」 (すると)隣にいたメリー喜多川さんが身を乗りだしてこう言ったのです。「あなた,それは見当違いよ。今,向こうから運がパッと来てる。そう考えなさい」 なるほど,こういう考え方をするから巨万の富を得たんだろうな,と分かる気がしました。確かにメリーさんは,運がないというのか,何かを「持っていない」人を近寄らせないようなところがある。(p136)
 メリー喜多川さんは八割の悪党の中には入らないようだね。
 世間では,小説は才能が生み出すものと考える人は多いようです。けれど,わが身になぞらえて言うなら,ほとんどは気力と体力で,かつて吉行淳之介さんに言われたように,そこに宿る何ものかにすがって最後の一行まで書き上げることを繰り返してきたにすぎません。(p146)
 世間からエリートと呼ばれているような人には,自分はもともと「持っている」という大きな錯覚があって,東大なんか出ていると,社会に出ても自分は他人より優れているんだ,と頭から信じて疑わないところがあります。裏を返せば,どこまで行っても他人の評価が基準になっていて,自分の基準で「個」として考えることができない。(p151)
 「差し伸べている手の上にしかブドウは落ちてこない」ということです。(中略)無心で何かを見つけようとしている目,手を差し伸べて何かをつかもうとする姿勢が常になければ運は向いてこないのです。(p155)
 運や流れを引き寄せるのに必要な心構えを挙げてみよう。 うつむかない。 後退しない。前のほうへ行く。 それからウロウロする。(中略) そしてなるべく人のいるところへ行く。(p155)
 才能があり,素晴らしい作品をいくつもこしらえているのに,時代に合わず埋もれていった人はいくらでもいる。彼らには運がなかったのだ。そして歴史に名を残した芸術家は,みな時代とめぐりあっているのです。映画の世界でも,チャップリンがヒトラーと同時代を生きていなかったら,あれほどの名優として活躍していただろうか。(p161)
 いくら時代にマッチしたとしても,その作品に「核」となる何かがなければたちまち忘れ去られ,後世に残ることはありません。(中略)先が見えた「上手」より,先の見えない「下手」のほうがスケールが大きい(p162)
 スイスやオランダのように陸続きで国境があって,長いこと戦争や覇権主義にさらされてきた国のチームというのはどこもしぶとく,なかなか負けない。(中略)それに比べると残念ながら,日本の選手たちは弱々しく見えてしまった。(中略)私が感じたのは,顔つきが象徴する「球際」につきる,ということです。ここで取れるか取れないか。どちらがやるかやられるか。そういう場面で相手チームの選手とは顔つきが違う。すると一歩競り負ける。違いを突き詰めていくと,根源的な闘争心の有無かな,と思います。(p166)
 そうした偉大な科学的真実というのも,実はたったひと握りの天才のためにあるのではないか,ということです。(中略)何百年かに一度現れる人間とは思えないような天才がいて,世の中をパッと変えてしまう。(中略)中には何十年もかかって勉強と研究と発見を重ねる人もいるけれど,彼らには宇宙の成り立ちのような大きな発見は最終的にはできない。大発見の前段階までの基礎工事をする人たちです。(p171)
 技術とは,人間が信じるほどのものではなくて,実は曖昧で無責任なものではないか。(p174)
 年がら年中,飛行機に乗っていてつくづく感じたのは,「人間というのはカニみたいなもんだな」ということでした。陸地にへばりついてあっちに行ったりこっちに行ったり,時々,縄張りを争って戦争する。(中略)空の上からみた個人なんて,画面の中の砂粒みたいなもので,財産がいくらあるとか,名家の血筋だとか,非の打ちどころのないキャリアだとか言ってみても,人類全体として考えたら,どうでもいい,取るに足らないような差でしかありません。(p175)
 胃がんは,わりあい神経質で嘆き体質の人がなりやすいという。手術して切りとっても,「再発するんじゃないですか?」と医者に聞き続けるような患者ほど再発するという。わかる気がします。(p184)
 牧師さんや坊さんと話をするのも好きだし,ああ話をできてよかったなと思うことだってある。でもそれは案外少ないようです。何だか詐欺師みたいだと思うことも多い。前に,千日回峰行を成し遂げて大阿闍梨になられた方に会ったことがありますが,悟りを得た上人様というより,どこか常人にはないエネルギーを感じたものです。(中略)どこかアブナイ(p189)

2017年5月29日月曜日

2017.06.29 吉田友和 『思い立ったが絶景』

書名 思い立ったが絶景
著者 吉田友和
発行所 朝日新書
発行年月日 2016.03.30
価格(税別) 880円

● 絶景本を集めて人気スポットの集計表を作り,自身の体験からこれは絶景だと思ったものにランキングを付けて紹介し,最後は実際の絶景を見に行く。
 行ったのは中国の九寨溝。で,やはり実際に行って書いた部分が一番面白い。

● 平明な文章だからササッと読める。書く方はササッとは書いていないんだろうけどね。

● 以下にいくつか転載。
 バーベキューの火起こしをするのに,アメリカ人は着火剤のようなセコイものは使わない。ドバドバとオイルをかけて点火すると,漫画のようにボワッと大きな火が生まれた。アメリカ人のあの大胆さは,超絶スケールの自然に囲まれる中で育まれたものなのだろうと,僕は身をもって知らしめられたのだった。(p55)
 辺境の地になればなるほど,交通手段のオンリーワン現象が起きやすくなる。(中略)需要が供給を上回っており,なかなか思うように座席が取れない。結果,料金も高くなってしまう。(p130)
 僕にとって機内での時間は,漫画喫茶にいるような感覚に近い。本を読んだり,映画を観たり,ゲームをしたり。思う存分,自分の趣味の世界に浸れる。(p153)
 今回は行き先が行き先であるだけにある程度はネットで情報を集めてある。ガイドブックは情報ツールというよりは,旅気分を盛り上げる読み物としての役割が大きい。(p153)
 僕は意を決して人波の中に突入した。周囲の動きに倣い,近くに空きスペースができたら果敢に詰めていく。郷に入っては郷に従え,である。横入りなんて当たり前という価値観の人たちなのだ。のほほんと構えていたら,永遠に自分の番はやってこないだろう。(p161)
 冒険者と呼ばれるような人たちは,電気が通っておらず,水道もないような場所へ,ときには単独で足を踏み入れる。そういう話を聞くたびに,すごいなあと感心させられる。けれど,感心させられるだけだ。自分も真似してみたいとはまったく思わない。(p179)
 絶景とはパノラマである(中略)仮に同じレベルの美しさだとしても,こぢんまりとまとまった景色よりも,ガツンとした迫力のある景色の方が見る者の心に強く訴えかける。(p186)
 すさまじいまでの絶景を前にすると,一人で独占したい欲よりも,一緒に見る仲間を欲する気持ちが勝る(p188)
 アジアの旅はなんとかなる。多少の紆余曲折があったとしても,どういうわけか最終的には結果オーライとなるパターンが多いのだ。(p192)
 絶景とは,テーマパークの一種と言えるのかもしれない。(中略)世界に広く知られ,観光地化されているようなところでは,これはもはや避けられない運命なのだろう。(p206)
 被写体は美麗な九寨溝の湖-ではなく,それをバックに笑顔でポーズを決める自分自身だ。(中略)彼らのお目当ては,あくまでも自分入りの記念写真なのである。この点,我々とは意識がいささか異なるような気がしてならない。(中略)同じ絶景を前にしたときに,中国人にとっては主役は自分自身であるのに対し,日本人にとってはその絶景が主役なのだ。(p218)
 そもそも,(中国人は)他人に対する関心がなさそうな人たちだし。(p222)

2017年5月28日日曜日

2017.05.28 堀江貴文 『儲け方入門』

書名 儲け方入門
著者 堀江貴文
発行所 PHP
発行年月日 2005.03.25
価格(税別) 1,200円

● だいぶ前に出た本。このとき堀江さんは33歳か。もちろん,ライブドアの社長を務めていた頃。当時,彼は時の人で,毀誉褒貶相半ばしていたか(マスコミ報道に限れば,毀>誉,褒<貶,だったろう)。
 その後,裁判で有罪になり,投獄生活を味わうことになるのだが,それで自らの主張を変えることはなく,出所後は以前にも増して世の中に受け入れられている。

● 最近ではますます執筆活動(?)が盛んだけど,堀江さんの考えは基本的にブレていないとすれば,本書のような昔の本を読んでおけばいいのではないかと思ったり。

● 以下に転載。
 本というのは情報ソースとして効率が悪い。同じ紙メディアでも新聞や雑誌と比べると,圧縮率が低すぎるのだ。自分で文章を書くとよくわかるが,多くの枚数を要求されると,どうしても升目を埋めるために余計なことまで書いてしまう。(p1)
 稼げるビジネスマンはいつだって,時間の密度を極限まで高めようとしている。そうしないと世の中を流通している,膨大な情報を処理しきれないからだ。一方,時間の密度が薄い人は,明らかに情報量で差がつくから,これからどんどん置き去りにされるだろう。(p2)
 大学なんて時間の無駄ですよ。(中略)のんびり四年も大学なんか行っていたらものすごく損しますよ。僕も中退ですけど,もっと早く辞めておくべきだったと,いまもそれだけは後悔しています。(p12)
 学校では「読み・書き・そろばん」程度の基礎的なことだけおしえてくれればいいのに,なにか余計なことをやりすぎているような気がします。(p14)
 小学生のうちから論理的思考を養うべきだなんて意見には,ひとこと「アホ」って言えばいいんですよ。(中略)論理的思考ができる人なんて,実社会でもほとんどいませんよ。でもみんなそれなりに生きているじゃないですか。(p15)
 「いや,そうじゃなくて,雑巾がけは心を磨くんだ」なんてことを言う人もいますよね。はっきり言ってくだらないですよ。(中略)だいたい下積みの苦労が人間を鍛えるなんて,あんなの嘘に決まっています。(p16)
 僕も支払を踏み倒されたことがあります。そのときは頭にきましたよ,だけどいまはもう,怒りの感情ないですもん。人間は忘れる能力があるから素晴らしいんですよ。(p18)
 飛行機や船を選ぶとき,どれが危険かなんて情報はまず出てきません。ところが車なら,自分が運転を気をつければある程度事故は防げる。つまりリスクコントロールできるんです。僕は大きくても人の運転する乗り物より,自分の車のほうが安心できると思いますけどね。(p19)
 いまくらいですよ,乗り越える壁すら存在しないなんていう楽な時代は。行動を起こすのにたいした勇気もいらないし,チャンスはごろごろ転がっている。(p20)
 カネを稼ぐなんて自転車と同じで,やってみればたいしたことはないんです。壁を壊せばそこはフロンティアだらけなんだけどな。(p21)
 僕は昔から,半年以上先のことは考えたことありません。「ものごとは常ならず」って言葉,あるでしょ。明日なにが起こるかすら人間にはわからないのに,それより先のことを考えたってしょうがないじゃないですか。(p22)
 僕にとって大事なのは,日々楽しく生きることです。予定を立ててそのとおりになっても,きっと楽しくないと思いますよ。あしたのジョーみたいに,「明日のために」今日を犠牲にする生き方なんて,僕には考えられないですね。(p22)
 自分で起業すれば,普通は儲かるはずなんです。それなのにうまくいかないというのは,まず間違いなく基本的な原則を無視して商売を始めているからに違いありません。それでは原則とはなにか。元手がかからず利益率がたかい,これだけです。(p24)
 わざわざ外国に行ってMBAなんか取るより,マッサージ師の免許を取ったほうが,簡単に儲けられると思いますよ。(p25)
 嫌われていたと思いますよ,友だちからも,先生からも。でも世間の常識というひとつの価値観に染められるくらいなら,嫌われてもいいやって,小学生のことからほとんど開き直っていました。「正しいのは僕のほうだ」って。実際僕のほうでしたけどね。(p28)
 よく「すごい大発明だと思っても,世の中で三人は同じことを思いついている」という言い方をしますが,実際は三人どころじゃなくて,何百人,何千人も同じことを考えているんです。あなたのアイデアなんてそんなものだと思ってまず間違いないでしょう。(p32)
 アイデアだけでは付加価値にはなりません。それではこの時代に付加価値を生み出すものはなにかといえば,それは情報と時間のアビトラージ(サヤ取り)です。ほかの人よりも情報量が多く情報処理の速度が速いほとお金が儲かる,それがいまという時代なのです。(p33)
 アイデアだって,その源泉は情報じゃないですか。つまり情報をたくさん持っていれば,アイデアなんてそれこそ山のように浮かぶわけで,なにも思いつかないというのは,手持ちの情報量が少ないからなんです。(p33)
 情報をストックして整理や分類することはまったく意味がないので,そんなことは即刻やめたほうがいいでしょう。(中略)そんなのんびりしたことをしているようでは,とてもじゃないですが現在世の中を流れる情報量についていけません。いまや情報は取り込んだらその場で即処理するものなのです。(p34)
 どういう言い方をしても,結局辞めるまでの期間が変わるだけで,辞めたい人は辞めるんです。しかも辞める時期が一,二年伸びたところでその間のパフォーマンスは確実に下がる。ということは無理に引き止めてもしかたがない。(p36)
 だいたい会社ってネズミ講でしょ。下部組織は必死で働いて,いい思いができるのはピラミッドの頂点に近い人たちだけ。しかもそこまで行けるのはほんのひとにぎりしかいないし。(p38)
 結局「庭付き一戸建て」とか「一国一城の主」のようなマーケティングの言葉に,みんな騙されてきたんですよ。もっともそういう言葉をつくって,こういうシステムをプロデュースした人はすごいと思いますけどね。(p39)
 採用に関して本音を言えば,向こうから「入れてください」と来る人間には,あまり期待はしていません。優秀な人が来たらラッキーかなって感じです。(p41)
 面倒くさいことはやめたほうがいいですよ。よけいなことばかりやっているから,時間がなくなるんです。サラリーマンってなぜかみなさん忙しいって言いますよね。たいして稼いでもいないくせに。(p44)
 最大の無駄は年寄りの説教ですね。僕は旧世代の人と話をして役に立ったことはひとつもありません。あの人たちは長く生きているだけで,たいして情報持っていないんですよ。(p45)
 人脈というのは力ずくでつくるものではなくて,やっぱり流れのなかで自然にできあがっていくものなのではないでしょうか。それにそういうものでなければ,本当に自分の役には立たないような気がします。(p48)
 いい人脈というのは,人の流れのことなんです。いい人の周りにはやっぱりいい人が,自然と集まってくる。(中略)逆にあまり好ましくない人のルートに入ってしまうと,その種の人たちがワッと寄ってきますから,それは気をつけたほうがいいですよ。(p49)
 よく給料の三分の一は貯金しろなんてことを言う人がいますけど,たいして給料をもらっていないのに,そんなセコセコしたことをやってもしょうがないですよ。僕自身がそうでしたから。とにかくあるだけ使う。(中略)本当に食べたいものがあったら,お金を借りででも食べるくらいでなきゃ,人生を楽しめないじゃないですか。(p52)
 入ってきたお金は,投資でも消費でもいいから,とにかく自分のところで止めず循環させてやる。お金というのは使った分だけ,ちゃんと戻ってくるようにできているんです。(p54)
 現在日本でいちばんお金を持っているシニア世代は,若いころにお金を使う訓練をしてこなかったから,思い切った消費もできなければ,投資感覚もありません。そういう人たちにお金を握らしておいても,はっきり言ってあまり意味がないのです。(p56)
 「ここは年寄りにもいい顔をしておこう」などとよけいなことを考え始めると,ものごとは複雑になるだけで少しもいいことはありません。(p59)
 これ以上ボトムアップしようと,能力の低い人にさらに一生懸命投資をしても,効率が悪いだけです。じゃぁどうすればいいかといえば,義務教育では必要最低限のことだけ教えて,あとは有能な人に集中的に投資する,そういうことが可能なように教育制度を変えていくことです。(p74)
 だってできる奴とそうじゃない人って,平気で千倍くらい生産性で差がつくんですよ。(p75)
 できる人間に資本を集中的に投資すると言うと,すぐそれを社会や経済の二極化に結び付けて,ヒステリックに反論する人が必ずいます。いいじゃないですか,二極化で。それは止めようと思っても止められない。歴史の必然だと僕は思っています。むしろ妙な悪平等意識が社会の隅々にまで浸透して,子どもたちまでみんなと同じでなければいけないという圧力にさらされている。そのほうがよっぽど問題ですよ。(p78)
 吉本興業がつくっている吉本総合芸能学院(NSC)という学校があって,「見る人だけじゃなく演じるほうからもお金を取る」という画期的なビジネスモデルになっています。(p89)
 (お金の)使い方を間違えている人って,けっこういると思いますよ。お金が足りないと言いながら,無駄遣いを平気でしていたりね。(p94)
 僕のようにお金を稼いで,それを事業に再投資してというようなことに興味のない人が,何十億,何百億と資産を持っても,意味なんかないんですよ。ブランド物のバッグを買うとか,たまに家族で食事をするとか,そういうもので満足感を得られるのなら,それが可能なだけのお金があればいいわけでしょ。(p95)
 企業の経営だったら,無駄は極力省いていかなければなりませんが,普段暮らしていてなにが無駄かなんて,そう簡単にはわかりませんよ。(中略)目くじら立てて世の中から無駄を排除しようなどど考えないほうがいいと僕は思います。(p101)
 食事というのはからだの健康だけではなく,その人の心のあり方にも深く結びついているんです。食生活が貧しいと,心にまで栄養が行き渡らないから,そういう人は話の中身まで痩せている感じがするし,逆に食生活が充実している人と一緒にいると,こっちまでとても豊かな気分になれる。そういう経験ってありませんか。みなさん,もっと「食」にお金をかけてください。みんなエンゲル係数が低すぎるからしあわせになれないんですよ。(p103)
 わけのわからないものでも,なにかひとつ決めゼリフがあれば,そこで収拾がつくもんなんですよ。(水道橋博士 p118)
 中谷彰宏さんはいいですよ。いや,ビジネスモデルとしてですけど。つまり固定ファンをつくるというやり方。出せば必ず買う人がいる。そういう層をつくっておくことは大事です。そうすれば,あとは新しく起こったことを解説するだけで本が出せるわけで,新しいことは,どんどん起こるんですからね。(p136)
 タレントの資質としては反省はしないほうがテレビはいいんですよ。(水道橋博士 p142)
 渡邉恒雄元オーナーみたいな人は,いじりようがないんです。もう悪者にするしかないわけ。(水道橋博士 p146)
 さとう珠緒と一緒にベッドに入ってくれなんて言われても,普通みんな嫌がるんですよ。一般人ってテレが強いからね。でも堀江社長は珠緒ちゃんとベッドで「なかなかいい気持ちです」なんてやってくれる。あれを見て俺,マジで感心しましたもん。(水道橋博士 p147)
 お笑いというのは差別というか,差異があって初めて成立するってところがありますから(水道橋博士 p152)

2017年5月27日土曜日

2017.05.27 外山滋比古 『新聞大学』

書名 新聞大学
著者 外山滋比古
発行所 扶桑社
発行年月日 2016.11.01
価格(税別) 1,000円

● 自己学習や頭の体操をするための素材として,新聞は恰好のもの。その具体的な活用法を説く。
 しかし,それだけではなく,新聞批判や教育論にも及ぶ。

● かつては新聞を取ってないと奇異の目で見られたものだ。おたく,そこまで貧乏してるの,みたいな。新聞は取るのがあたりまえでしたね。
 今は,新聞を取らない家庭が増えているのではないだろうか。ニュースはネットで知ることができるせいでもあるだろうけど,そもそもニュースって知らなくても別に困らないんだよね。

● 新聞を取らなくなって,一番助かるのは,古紙が大幅に減ったことだ。古紙回収は月に1回だから,ひと月分の新聞を家の中に置いておかないといけない。実際にはそこに折り込みチラシが加わる。ひと月分だとけっこうな量になる。
 それをビニール紐で結わえて,ゴミステーションに持って行く手間がなくなった。これは大きいですよ。

● 新聞に載ってるのはニュースだけではない。書評や人生相談や読者投稿や識者の随筆や,その時々のトピックの特集記事もある。
 が,それらを含めて,知らないからといって,何か困るかといえば,さぁて,さほどには困らないのではないか。

● というような者が本書のような本を読むのもおかしなものだけど,外山さんが新聞について何を語っているのか,そこを知りたいと思った。

● 以下にいくつか転載。
 “自ら助くる”というのはヘルプ・ゼンセルブズ(help themselves)の訳であるが,“助ける”という日本語にしてしまうと,この言葉の趣旨が大きく失われる。“ヘルプ・ゼンセルブズ”は“自らを助ける”という意味ではなく,自分のことは自分でする,人の世話にならない,という意味である。(p2)
 われわれの社会では,いまだに知的散文は確立していない。そのことをはっきり認める知識人も少ないから,言論がおしなべて,情緒的に流れやすい。ウェットな文章が喜ばれ,ドライな文章には人気がない。(p60)
 もっともいけないのが,単行本である。薄くても二百ページを割ることは少ない。小さなテーマで,十万字の論文,原稿を書ける人は,そんなに,いるわけがない。どうしてもおもしろくない長文を読まされることになる。(p65)
 ことばは声が基本である。文字はそれを写した記号であって,声を失っている。文字だけを読んでいると,どこかおかしくなるおそれがあるが,いまの人たちは,そのことを考えない。そして文章のほうが話より高級であると決めこんでいるようであるが,近代の誤解のひとつである。(p68)
 署名のあるなしなど,ノンキな人は問題にしないようだが,大違いである。匿名のほうがいい書評ができる。身分を明かした原稿には,いろいろのシガラミがまつわりやすい。(p78)
 日本人は金銭への関心が高い。小金を貯めるのを生き甲斐にする人が多い。その割には,経済ということに関心が低いのである。(p84)
 日本人の経済的関心はゴシップの色彩が濃い。本当のところを突き留めるのではなくて人事に関心を持つ。企業の社長交代がいいニュースになる。(p87)
 外国から日本人は働きすぎると批判され,企業などが週休二日制を始めた。あれほど楽しみであった休みが,それを境に輝きを失いはじめる。(p98)
 その森(銑三)さんが,かつて,こっそり私に教えてくれたことがある。読んでおもしろいと思う新聞記事があったら,切り抜く。切り抜けないものなら,書写する。それを分類して袋に入れておく。だんだん,袋がふくれていく。ある程度,ふくらんだら,袋から取り出して整理する。うまく整理がついたら,それをもとにして,本を書く。そうすると,しっかり本が書ける,と森さんは教えてくれた。(p109)
 古き良き時代の話だろうね。今でも新聞の切り抜きだけで本を書く(書ける)人はいるんだろうか。
 人間にとって,おもしろいのは,動くものである。ニュースは一回きりだから,動きを感じさせない。株価は,毎日,動いているから,ニュースとしても,犯罪などと違って,知的興味を与えることができる。(p117)
 昔から,月曜日はいやな日である。学校へ行きたくない。しかし,火・水・木・金と学校へ行っていると,それなりの調子,リズムができ,それほど,いやでなくなるようである。調子の出たところで,週末,二日もぶっつづけて休めば調子の狂わないほうがおかしい。(p143)
 どうやら,教育はノロマを育てるらしい。俊敏でないのが多いのである。高等教育が普及して,ノロマ人間が増えたのではないかと思われる。(p151)
 モノマネするには,余計なことを考えたりしてはいけない。本に書いてあることを鵜呑みにして知識を増やせば進歩しているように錯覚した。幼い学習者がそう考えたのではなく,指導的な人たちが,知識は力なりという考えに支配された。(p159)
 文化における西高東低の傾向は,いまなお完全に消えてはいないようである。政治と文化の相性はあまりよくないのだろうか。少なくとも,歴史がないと,文化と相性は生じないことを暗示している。(p169)
 普通の大学は,専門によって小さく分かれている。(中略)日本史の学生でも西洋史の教養をもつことは例外的である。大学という文字が泣くようなのが一般大学である。 新聞大学は違う。政治も経済も,文化も社会もみな目が届く。八宗兼学である。(p175)
 学校教育の泣きどころは,知識が古いことである。教室で教える知識は常識的なものである。昔からのことをこと新しく伝える。(p176)
 講演会の記事には,たいてい“聴衆はせっせとメモを取っていた”などという文句があった。メモを取りながら講演を聴くのは熱心な聴き手であるという誤った観念にとらわれているわけで,すこし恥ずかしいことである。(p182)
 本は,読者の求めるものを与えなかった。古くさい知識をわけもなくありがたがって,博学多識を学問と取り違えている本があまりにも多い。若い燃えるような志をもった読者は,やがて,本から距離を置くようになった。書物文化は,それほど大したものではないと感じた読者はただの怠けものではなかった。(p183)
 小中高の教育がまがりなりにもうまく行っているのは,しっかりした,時間割に基づいて行われているからである。(中略)どういうわけか,大人は,宵っぱりの朝寝坊が好きである。ことに,早起きが苦手,朝食をそこそこにして出勤する。(中略)近代の泣きどころである。(p186)
 同世代人口の九十パーセント超が大学生になった。一般はそれを社会の進歩として歓迎した。学校教育は過ぎると人間を劣化させることがある,ということに気づく人は少なくて,高学歴化を喜んだ。(p201)
 日本だけのことではないが,近代文化の泣きどころは,知るを知って,考えることを知らないことである。いくらたくさん本を読んでも,博学多識にはなっても,みずから考える力はまるでない,ということが主知主義の泣きどころである。(p212)
 学校教育が努力の割りに成果が乏しいのは疑問を起こさせないからである。ことに日本の教育は丸呑み,丸暗記で,問題に答えることしか考えない。(p212)
 いまの人は,昔もそうだったが,読むということを誤解している。つまらぬことは読める。よく知っていることを書いた文章ならわかる。しかし,少し難しい内容の文章はわからない。おもしろくない,と言って放り出す。本当に,ものが読めていないのである。(p216)

2017.05.27 森 博嗣 『夢の叶え方を知っていますか?』

書名 夢の叶え方を知っていますか?
著者 森 博嗣
発行所 朝日新書
発行年月日 2017.01.30
価格(税別) 760円

● 夢の叶え方というよりは,目標管理の方法論といった方が,本書の内容を表す標題になるかもしれない。
 強く念じよ,すべは叶う,という内容ではもちろんない。夢が実現したシーンをありありと細部にわたるまで,できれば色つきでイメージできれば,それが潜在意識に到達するから,あとは潜在意識に任せておけばいい,と説くものではない。

● 本書で著者が口を酸っぱくして説くのは,自分の夢を見ろ,ということ。他人に見せるための夢ではなく。
 人に認められたいとか,周囲の評価を得たいという,そのための夢になりがちだということ。そんなものは無価値ではないか,と。

● 以下に,多すぎるかもしれない転載。
 特に助手の頃は,研究が面白いため没頭してしまう。趣味が不要なのだ。ここは,危ないといえば危ない。ついついのめり込んで,躰を壊す人間が周囲の同僚にも多かった。(p7)
 僕は大勢の人たちと一緒に遊びたいのではない。一人で遊びたいのだ。クラブに入るという選択はありえない。(p9)
 大事なことは二つある。(中略)一つは,自分の夢を知っていること。自分が何をしたいのか,明確なビジョンを持っていることである。(中略)そして,二つめには,それをなるべく早く実行することである。この実行が伴わないと,夢を思い描くことがライフワークになってしまう。(p16)
 「特になりたいものはない」「べつに決めていない」「そのときになってみなければわからない」という答は,どこか投げやりで,そんな台詞を吐く冷めた若者は,きっと社会から歓迎されない。年寄り受けしないからである。(p33)
 僕は「有名」になりたくない。有名が嫌いだ。人に注目されることを生理的に嫌っている。したがって,有名なものに価値を見出さない。必然的に,大勢が認めるものに,僕は見向きもしない。価値の判断に,不特定多数の意見をほとんど取り入れない。(p34)
 僕が言いたいのは,その「職業」に執着していない,という意味である。研究者の活動は面白い。作家も創作する時間はわりと楽しい。それは,職業でなくてもできるし,続けることが可能なのだ。ようするに,それで人に認められなくても良い,と僕は考えているのである。(p35)
 老人というのは,若者に「回り道」をさせたがる傾向にある。安易に目的を実現するのではなく,充分に修行して,時を待て,という教えだ。(p36)
 自分の夢の中に他者が介入している場合が多いことが理解できるだろう。(中略)他者に認められて初めて実現する夢を思い描く人が実に多い。(中略)つまり,自分の夢なのに実は他者との関係が入り込み,むしろそちらが主になっているのだ。(p41)
 おそらくは,子供の頃から,大人たちに「凄いね」「楽しいね」という満足を「もらって」成長してきたのだろう。満足を自分から発することができない。自分で満足するなんて,「自己満足」という醜いものなのだ,と信じているのである。(p44)
 「大自然の中で子供を自由に育てたい」という夢は,子供にとってはいい迷惑かもしれない。ペットではないのだ。小さいうちはまだ良いとしても,少し成長すれば,都会に憧れるだろう。あなたの夢が若者を縛ることになる。その想像をしているだろうか?(p50)
 「家族の理解」という言葉を使っているだけで既に道を誤っているようにも観測できる。何故,あなたの夢に家族の理解が必要なのか,と問いたくなる。(p51)
 もし,身近な大人が楽しさを作ることができる人だったら,子供はそれを見て,自分にもそれができる,いつかできるようになりたい,と考えるだろう。ところが,大人はただ働いて,その金で子供に楽しさを買い与えているだけなのだ。そのことが子供にもよくわかる。このような環境で育てば,自分も金を稼ぎ,その金で楽しさを買おうとする。(p54)
 どんな楽しいことでも,熱中したあとには厭きてしまうものだ,と思っている人は多いと思う。しかし,厭きる原因は,本当の楽しさではなかったから,ということに気づいているだろうか? 厭きてしまうということ自体が,まだ楽しさの本質を知らない証拠なのである。(中略)それを本当に楽しんでいる人は,けっして厭きることがない。楽しめば楽しむほど,もっと楽しいことが現れる。毎日が発見の連続で,つぎからつぎへと新しい楽しさが生まれてくるのだ(p55)
 他者(外部)から与えられる快楽というのは,慢性化していく。「厭きる」というのは,つまり慢性化のことなのである。(p57)
 最近は,「感動をもらう」「元気をもらった」などと言う人が増えた。明かな危険信号といえる。(p59)
 楽しさの本質は,個人の中から生まれる発想にある。自分が思いつき,自分で育て上げた結果初めて得られるものだ。(p59)
 大事なことは,「元気」「やる気」のような気持ちではない。この本を読んで,森博嗣の言葉に反応して出たやる気なんて大したものではない。その元気ややる気が今日一日で何を成したのか,ということが重要なのだ。元気もやる気もなくても何を成せるか,を考えた方がずっと良い。(p68)
 僕の印象として,想像力がなく,自分の楽しみを持っていない人ほど,夢として「旅行」を選びがちかな,と観察されるのだが,気のせいだろうか。(p84)
 その「諦め」の回答をした人も,まだ四十代か五十代が多い。僕は六十代でも,そんな境地に達するのにまだ早いのではないかと感じる。(中略)まだまだ一花も二花も咲かせられるのではないだろうか。(p97)
 多くの人が見ている夢は,ある一時のシーンを想定しているものが非常に多い,ということ。たとえば,「結婚」などが好例だ。これを夢見ている人は,結婚式や新婚生活が見えているだけか,せいぜい結婚後数年間の想像しかしていない。(p97)
 たとえば,「楽しいことをしたい」という「夢」があったとしよう。茫洋としていると感じられるだろう。まさに夢のようだ。しかし,まずはこのような「本質」をしっかりと掴むこと,意識することは馬鹿にならない。むしろ具体的なものを思い描くよりも大切なのではないか,と僕は感じている。(p102)
 拘るのは素晴らしいことだと思っている人が多いだろう。けれど,この言葉はそもそもその意味ではない。つまらないことに執着してしまい,大きな目標を見逃す,という意味に使う表現なのだ。(p103)
 何故か,「目標は高い方が良い」などと教える指導者も多い。僕はそうは思わない。目標なんて,「実現できてなんぼのもん」なのである。たとえ,高い目標を掲げたとしても,そこへ向かう道筋の一段一段は低く設定しておこう。(p105)
 人間は,古来自分の躰よりもずっと大きなものを作った。時間をかけて,想像を絶するような規模のものを構築し,後世に伝えてきた。(中略)また,工芸や美術の分野でも,技を極め,数々の手法を試し,またそれらを受け継いで,より高いものを目指してきた。そういったものを見て,これは特別な人たちだ,と思うか,それとも,自分もやってみたい,と思うか,そこに「夢の強さ」の差が生じるのではないだろうか。(p119)
 人間はつまり,夢を見るように作られている。進化論に従えば,夢を見て,それを実現するkとに楽しみを見出した種族が生き残ったのだ。(p126)
 いつか出口がある,と思って進めば,トンネルだって面白いものだ。子供はトンネルが好きだ。出口があることを知っているから,楽しめる。(p132)
 「自由」とは,自分が思ったとおりに行動することである。これは,「自在」とも表現される。ごろごろと寝転がってばかりで,怠けている状態は,「自由」ではない。(p137)
 スピードが半分ならば,倍の時間をかければ良いだけのことだ。この程度のことをハンディだと思ってはいけない。(p146)
 毎日駒を進めるために,僕が採用している一つの手法は,キリが悪いところで終わる,というものである。(中略)これは,翌日の自分のために,手掛かりを残しておくというのか,アイデアを譲るというのか,そんなサービスだといえる。(p150)
 日頃から,こつこつとコンスタントに進めることが,夢への道の歩き方だ。休み休みでも良い。メリハリをつけず,調子が良いときも,調子が悪いときも,同じように進めるのが,結局は合理的である。自分をできるかぎり忙しくしない,ということ。(p155)
 小説を書きたいと考えているような人は,もう小説をたくさん読んでいるはずだから,小説がどんなものかは知っている。それさえ知っていれば,ほかに知識は必要ない。とにかく書き始める。(中略)作品を仕上げてみて初めてわかることもある。とにかく,一作を最後まで書いてみること,これが小説を書くことに最も重要な経験となる。(p157)
 ちょっと書いたところで,自分の作品を読み直す人が多いようだが,これもおすすめしない。直したければ,全部書き上げてからの方が良い。それから,その書き始めたものをネットなどで公開しないこと。他者に見せるのは,まったく感心しない。必ず完成したものを発表すること。作品というのは,完成して初めて一作になるのである。(p159)
 僕は,とにかく悲観的に予定を立てることにしている。最低限これくらいはできるだろう,という数字を(パソコン上の)カレンダーに書き込む。(中略)自分に対してけっして楽観しない,というのは基本的な姿勢だ。(160)
 一つのことが続けられない。もっと面白いものがあれば,そちらを優先してしまう。いわゆる「浮気性」というやつである。これを克服するために,僕が採用した手法は,複数のことを同時に進める,というものである。(中略)別の作業をしている間,まえの作業のことは頭から消えている。考えたりしない。しかし,ぐるりと巡って,また小説の執筆に戻ると,すぐに頭が切り替わって,いきなり書き始めることができる。リフレッシュしているというか,この方が高効率なのである。(p162)
 道具も大事である。できるかぎり良い道具を使うことに心掛ける。安物を買わない。その方が長持ちするし,なによりも,それを使う自分の士気が高まる。(p163)
 夢を実現したい,という気持ちが基本にあって,そこへ近づいていく自分を意識している。そして,そのために,自分にノルマを課し,騙し騙しで進めているのである。それができるのは,「好きだから」ではなく,「やればやっただけの見返りが必ずある」ということを知っているからだ。(p165)
 一番知っているのは自分なのであり,その自分に褒めてもらいたい,と思う。評価はあくまでも自己評価が基本だ。(p166)
 多くの人たちは,(中略)不特定多数から褒められたい,できるだけ沢山の人に見てもらいたい,といった欲求を何故か持っていて,(中略)ちょっとした思いつき程度でもネットにアップし,みんなから「いいね!」がもらいたくなる。(中略)「小粒な自分」になっているのだ。この小粒さはあらゆるものに波及し,夢も人生も,きっと小粒になるだろう。(p167)
 その意味では,夢を追う過程において,周囲からの「支配」をいかに断ち切るのか,ということが重要になってくる。(中略)支配とは,一見面白そうなもの,周囲との関係をつなぎ止めるもの,そして少しずつ搾取をされるものだ。(p168)
 「大きな成功への最大の障害は,小さな成功である」という言葉がある。これは,僕が考えたものだ。(p174)
 ちょっとした失敗を気にして,消極的になってしまう人は多い。(中略)このような人は,「恙なく」勤めることを望み,「健康でありさえすれば良い」という謙虚さを語るかもしれない。(中略)それが本音だとしたら,「生きていれば良い」と同義であって,非常に本能的というか動物的な生き方になる。人間性を放棄しているように,僕には感じられる。(p174)
 スポーツ選手も芸能人も,「ファンに喜んでもらえることが一番」と口にする。(中略)それを真に受けてはいけない。ここを見誤っている人は,なれても二流止まりだろう。一流のスターは「人を喜ばす」程度の動機でなれるものではないのである。 では,何が目的なのか。それは,自分の価値を高めることである。(p181)
 こういった「摩擦」あるいは「抵抗」は,どこにでもある。自分の周囲から嫌なものをすべて排除すると,これまでそうでもなかったものが嫌なものになる。(中略)それを実現するには,自分の評価眼,価値観をコントロールするしかない。ようは見方の問題なのである。(p206)
 先生について教わる必要はない。むしろ,自分一人で楽しんだ方が良い。(p212)
 自分が作ったものを商品化したい,と考えている人が多い。(中略)このような夢を実現するために必要な要素が,やはりオリジナリティなのだ。案外,多くの人がそこに気づいていない。つまり,「上手であること」「完成度の高さ」といったものを求めがちなのだ。(中略) いくら技術的にプロ級でも,既にあるものに似ていると商品化の妨げになる。(中略)新しいものに挑戦すると,多少見栄えが悪くなったり,辻褄があわなくなったりする。それを見た人は,驚くかもしれないし,なんとなく敬遠するだろう。しかし,それが正しい。敬遠されるくらいの力がなければ,オリジナリティではない(p217)
 とにかく,普通の人がしているようなことに,ほとんど金を使わない。(中略)やりたいことがある,自分の楽しさを持っている,つまり目指す「夢」があるから,このようなことができる。(中略)だから,「夢」を持っていることは,非常に経済的だといえる。(p226)