2017年11月21日火曜日

2017.11.21 松岡正剛 『空海の夢〈新装増補〉』

書名 空海の夢〈新装増補〉
著者 松岡正剛
発行所 春秋社
発行年月日 1995.07.15
価格(税別) 2,000円

● 初版は1984年。著者に増補を付けさせたのは,オウム真理教のサリン事件であるらしい。

● しかし。この呆れるほどのパースペクティブの広さは何ごとであるか。一個人がここまで広い空間把握と時代把握ができるものなのか。
 そうするための要諦(の一部)は本書でも披瀝されるのであるけれども,こちらとすれば唖然とするしかない。

● 内田樹さんに対して「知の巨人」という言い方がされることがあるけれども,この称号は松岡さんにこそ相応しいのではないか。
 知といっても,無から有を生むわけではない。知を生産するとは,つまるところ,既存の知を編集することだとすれば,それは松岡さんの得意とするところかと思われる。

● 無類に面白い本であることはわかる。のだが,こちらの頭脳ではスイスイと読み進めることができない。日数をかけてしまった。こういう読み方では読んだことにならないのかもしれない。

● 以下に,多すぎる転載。
 いちばんつまらない議論もはびこっている。オウム事件は日本の社会的矛盾を反映した病理の露呈であるという、いわゆる社会病理説というものだ。この手の評論はその趣旨をどのように粉飾し,何を例証にもってこようと,つまらない。歴史上,病理のない社会などあったためしがないからだ。(pⅵ)
 そもそも仏教が,なぜ「意識の制御」(マインド・コントロール)を必要としたかということが,問題の大前提になっていなければならないだろう。密教というも空海というも,もともとはこの「意識の制御」を発端させた初期の思索や活動の様式に起源をもっているからだ。意識の制御をしたくなったということは,ほうっておけば辛くなるような意識の傾向が芽生えたということである。(中略)そこには,ヒンドゥー教や仏教が生まれた(中略)インドの気候風土が関与する。ともかく話はそこからだ。(pⅶ)
 言葉などというものは,たとえば「心を鎮めて欲を断ち」などという一フレーズの意味ですら,どんな解釈も可能であるのだから,ここに解釈の立場をめぐる論争と対立が次々におきていく。ヒンドゥー教から仏教が分かれ,その仏教が大乗と小乗に分かれていったのは,そこである。(pxⅰ)
 だいたい宗教的動向に変更が加わるときは,こうしたグローバリゼーションとローカリゼーションの正当性が正面からぶつかっている。(pxⅱ)
 そもそも宗教には二つの宿命があって,ひとつは限定した言語体系をつくってしまうこと,もうひとつは禅によくその特徴があらわれているのだが,本質的なことは言葉では言いあらわせない(不立文字)とすることだ。このふたつの宿命は大半の宗教のどこかに忍びこんでいるものだが,空海という人はこのあたりを自在に横断してみせた。(pxⅴ)
 もともと中国への文化文物の流入は,シルクロード型と南海型と北方ステップロードによる草原型の三種のコースによっていた。これをシルクロード型の一本にみてしまうのは,やがてそれが朝鮮半島を経て日本に入ってきたことに照らし合わせても,たいへんに日本文化とアジア文化の橋梁を狭いものにしかねない。(p9)
 社会にいて「我」をとりのぞくのはなかなか困難なことだった。「我」は生物界から離脱した人間が牙と毛皮のかわりにみがきあげた武器である。その武器を放棄するのは社会的生活の失敗を意味していた。(p23)
 仏教史とは,つねに生命と意識の対立をどのように解消するかという一点をめぐる世界最大の思想劇である。(p24)
 直立二足歩行がひきおこしたもうひとつの事態は,世の女性を震撼させる。子宮が陥没し出入口が狭くなったため,これによって出産が容易ならざることになったのである。出産率は低下し,種族によっては絶滅の危機にさえさらされた。のみならず,子宮陥没は胎児の時間をひきのばしてしまうことになった。俗に十月十日といわれるヒトの胎児状態は,あらゆる生物の中で一番に長い。それはメスの受胎能力の限界に近かった。わが女性たちの狩猟能力が一挙に衰えたのはこのためである。それまではメスこそが力強いハンターとして森林を疾駆していたものだった。(p29)
 大脳がほかの動物より大きくなってしまったのも,実は子宮の出入口が狭くなったためだった。生クリームをボール紙をまるめた口からしぼり出すように,われわれは“狭き門”を通過したがゆえに肥大した大脳にありついたのである。(p30)
 言語記憶の再生は大脳の皮質の上ではノン・ローカルでありながら,その再生のためにはあえてローカルな場所を設定したほうが有効だったということになる。つまり言語記憶とその再生にはつねに「場面」が必要だったのである。(p34)
 古代言語観念の世界においては,「お前は誰か」と問われて自身の名を言ってしまうことがそのまま服属を意味していた(p39)
 この国は,コトアゲ(言挙)せぬことをもって言語習俗としていたふしがある。いたずらに言葉をつかわないことがむしろ言葉の力を生かしているのだと考えられてきた。コトダマが信仰されたのはそのためである。(p41)
 空海にはそういうとことがあった。AとA',あるいはAとA''をも同定するところがあった。だからこそ,インド,中国,日本にまたがる思想の潮にも対応できた。(p49)
 それ(『大日経』)は言われるところの“事相テクスト・ブック”というよりも,むしろ魔法の羅列のような奇怪な印象だったのである。空海ならばただちに秘密の芳香を感得して,その独占のために入唐を決断しかねまいとおもわれた。(p69)
 空海の道教批判を一点にしぼれば,そこには自他救済の慈悲が説かれていないということだろう。つまり逆に言えば,それ以外の面では,空海はひそかにタオイズムに憧れていたということになる。(p72)
 空海の声は深かったと思う。ただ大きいのではなく,深く遠く響いたであろう。高くはなかったはずである。(p81)
 この少年(空海)は友人をつくる器量に欠けていた。寡黙であったせいばかりでない。周囲の者もなにかしら近づこうとはしなかった。少年の方もその壁をすこしずつでもくだこうとはしない。壁はしだいに高くなっていた。これを打破するには,よほどの飛躍を必要とするようになっていた。(p82)
 青年(空海)は,五経の奥に四書五経をあやつる一人の大指揮者の指揮棒があることを見ていた。大指揮者とは鄭玄である。(中略)それまで彼方の経学としかおもえなかった古典の世界に,鄭玄という具体的な人物がこれをあでやかに指揮するのを知って,いささか大唐という国に関心をもちはじめたのもこのころであったろう。(p83)
 ここでひとつの激突があれば,佐伯真魚は沙門空海とはならなかった。いまもなお高校や大学で日々くりかえされている自我の真空放電でおわったことだろう。それでも彼は一人の有能な官吏や卓越した文人になったかもしれない。彼はかれらとの論争に勝ってしまっただろうからだ。しかし,彼はきっと黙ってしまったのだ。そのあまりにもみずみずしい感受性が連中のニヒリズムにもペシミズムにも感応してしまったのである。宗教家の資質のある感受性とはそういうものである。いつかその内奥にたまるエネルギーが爆発することはあったとしても,ふだんはたいていの議論を呑みこむものだ。(p86)
 そうした山中では,四書五経が役に立つはずもなく,虚空蔵求聞持法のようなダラニのもつコトダマの力だけが空海を守ったにちがいない。そして,ただひとつの「求聞持法」のみに頼った空海は,修行の日々のうちにさらに強烈な呪法を渇望したにちがいない。その渇望こそが空海に密教をもたらすことになる。(p93)
 『三教指帰』を読んで驚かされるのは,その老成した主張の結構もさることながら,やはり厖大な漢籍を縦横無尽に駆使している「博学の技術」というものである。目がくらむとはこのことだ。(p97)
 空海が他の追随を許さないほどの「集めて一つに大成する綜合力」(福光光司)に長けていたことは,空海研究者の誰しもが認めている。私の言葉でいえば,これはエディトリアル・オーケストレーションの妙,すなわち編集構成力というものだ。(p99)
 エディトリアルの出発はAに見出したきらめきを別のBにも見出したいと願うことにある。そこが学問とは異なっている。Aをそのまま突っこんではしまわない。きらめきを多様の中に求めようとする。(p102)
 エディトリアルとは結集ではない。どちらかといえば結縁というものである。そこには一種の禅機がなければならず,また過剰な探求があってはならない。つねに眼を光らせていながらも,その質量の下に横たえて下敷になるようであってはならない。そういう意味では諸学に対するに遊撃性をもってあたらなければならなかった。それは思想の方位という相対性に向きあって,たえず自在な選択力をもつということでもある。(p106)
 善無畏がナーランダー寺院で学んだ師の達摩掬多から「中国を開教しなさい」と言われて,西域から天山北路を通って長安に入ったのはもう八十歳になんなんとする時だった。(p109)
 特筆すべきは新羅の恵日・悟真,ジャワの弁弘,日本の空海らの異邦僧にも好んで伝法していることである。門人一千人の中にはさらに多くの異邦僧がいたことだろう。私はこの点をいささか誇大に重視したいとおもう。そこに史料にあらわれぬ恵果の秘められたインターナショナリティを看取したいと思う。(p115)
 般若三蔵については,彼が日本に渡ろうとしていたという話もある。老齢の般若がこれを果たせなかったのはやむをえないところであろうが,その熱情がおそらくは空海を動かした。(中略)空海はぜいぜい日本語と唐語を知っていたにすぎなかったが,このカシミール出身の老僧は三ヶ国語,いやおそらくは西域諸国や南海諸国の言葉を加えた数ヶ国語に通暁していたと思われる。それが,いままた東海の波を越えて日本語にも関心を示している。空海はサンスクリットを学びつつ,この醴泉寺にたたずむ老僧の世界言語観念ともいうべきもののすさまじさに大いに共感したのではなかったか。(P124)
 空海が必ずしも時流に乗る人ではなかったことは強調してよいかもしれない。四十歳をこえてたしかにその勢いは天下に聞こえたが,それはむしろ晩成というにふさわしい。(p129)
 ちょっと意外かもしれないが,あるものの状態を構造として整えこれを維持しやすいようにしておくには多少ゆさぶっておくことが必要である。(p141)
 空海の密教構想が矛盾をもっているということは,同時代の得一や円珍も批判的に感じていたことだし,その後も今日にいたるまで指摘されつづけている。(中略)しかし,「宗教に矛盾がない」とはまたどういうことなのであろう。どの宗教に矛盾がないと言えるだろうか。宗教はもともと矛盾をエネルギー源として出発しているはずである。(p151)
 空海だけがとびぬけていた。そして,あまりにとびぬけているその構想は,平安王朝のみならず,ごく最近にいたるまでそれが日本思想に根をおろすものであるとはおもわれなかった。(p151)
 最澄がともすれば内なる憤懣を泰範や徳一などの-さすがに空海には正面切らなかったが-個人にむけて一挙に吐露せざるをえなかったのにくらべると,これはやはり空海の強靱であり,また,個人的発言ではなくつねに類的発言に徹する空海の普遍でもあった。(p165)
 よく「字面にとらわれる」と言うが,空海はその字面にこそ本意がはためいているとみえた。そういう“文字の人”だった。(p169)
 「書は散なり」とは,空海の書のみならず,その思想を知るうえでもすこぶる重要な指摘である。書を散らして書きなさいというのではない。書する心の方をあれこれ景色にあてがいなさいと言うのだ。景色とはまた気色であるが,ようするに対象に陥入してidentifyすることである。(p175)
 しばしば文字を見れば人がわかると言われる。そうだろうか。文字を見れば人がわかるとは,その人が自分にこだわっているさまがよくわかるという意味であろう。エゴイズムが見えてくるということにすぎない。空海の書は入唐後,そのエゴイズムをこそ脱しようとした。(p175)
 益田池碑銘は一字ずつ書体を変えている。単に篆隷真行草を変えているのではなく,その一字の背後に棲む景物気色に応じて,それぞれ恰好の象形を選んでいる。(中略)小野道風が空海の書は邪道だと批難するのもむりはない。これはとても道風の書美の知識ではわからない次元での天工開物である。空海はここにタオ・カリグラフィの生命力をこそもちこんでいたのであった。(p177)
 われわれはどうしても小さな写真図版でマンダラを見てしまいがちである。それでは全体の構成が先に眼に入ってきて,細部が見えにくい。ところが実物大の複製マンダラを眺めてみるとまったく印象がちがってくることを知る。(p195)
 われわれがいつかは考えなければならないもっとも怖るべき問題のひとつは,「生命は生命を食べて生きている」ということにある。この怖るべき事実から唯一のがれられるのはわずかに緑色植物の一群だけである。(p225)
 実は,そこにこそ最初にして最大の「生命の矛盾」が顕現するのであるが,藍藻の冒険は次の静物たちがこれと同じ方法で生きる可能性を奪ってしまったのである。つまり対応の紫外線エネルギーで自給自足のできる生命体をつくることは,もう次に生まれてくる生物にはできなくなっていたのであった。(p238)
 一般に発音や発語の問題-すなわちボーカリゼーションの問題は文化史では過小評価されているようだ。これはわれわれがあまりに放縦な発音世界や聴音世界にいるために,「音」と「義」と「字」をバラバラに切り離してしまっているからである。(p249)
 発話時には一分あたりの呼吸数が激減し,吸息作用はすこし増すものの呼息作用はいちじるしくゆるやかになり,全体としての呼吸は深くなる。(中略)十全な発語活動をしているときに呼吸が深くなるということは,声を出していても瞑想しうるという可能性を立証する。これがマントラやダラニの高次元性を支えるひとつの条件になる。(p256)
 むしろ全身に号令のかからない声などありえないと言ったほうが正確なほどである。したがって「声の文」とはいえ,そこには全身体的特徴が検出されるはずなのである。空海はその特徴をこそ「文の字」と言った。「六塵ことごとく文字なり」とはそういう意味だった。(p258)
 だいたいインターバルのあまりに長い呼吸はそれこそ筋肉内のATPをフルにつかうためよほど自覚的でなければできないことで,そうした強引な呼吸法と瞑想性は合致しない。(p261)
 しょせん空海には「国家」など仕掛けの多すぎる悲しき玩具であった。(p288)
 コンピュータがホロニックではなく,われわれの脳がホロニックである最大の差がここにある。たった一個の入力情報によって,その部分=全体系を組み替えることができること,それはまた生命だけがもつ神秘でもあったのである。(p334)
 それは「一個の有機体はそれが存在するためには全宇宙を必要とする」(ホワイトヘッド)という目のくらむような考え方である。われわれはたとえ一個の石塊すら全宇宙から放逐することが不可能であることをふだん忘れているものだが,そのわれわれ自身が存在するためにも全宇宙がいっさいを準備しているのだということをもっと忘れていたようにおもう。(p336)

2017年11月17日金曜日

2017.11.17 朝日新聞社編 『文士の肖像 一一〇人』

書名 文士の肖像 一一〇人
編者 朝日新聞社
発行所 朝日新聞社
発行年月日 1990.06.20
価格(税別) 4,757円

● カメラマンは木村伊兵衛,土門拳,濱谷浩,秋山庄太郎の4人。錚々たる大家。

● 最も面白いと思ったのは,土門さんが撮った土井晩翠と正宗白鳥の写真。下からアングルを取っていて,鼻毛まで写っている。

● 巻末で安岡章太郎さんによる「文士の顔」と題する本書の解説が載っている。
 四十過ぎたら,自分の顔に責任を問われるものだとしても,その顔は時代によって確かに違ってくるのである。 政治家や実業家とは明らかに異なった何かが,文士の風貌には共通してあるようだ。 それはみずからの人間としての弱さを,閉ざしも隠しもしていないということであろうか。
● とあるんだけれども,今となってはどうだろうか。いや,当時からどうだったろうか。
 職人は言うに及ばず,今なら,ホームレスの中にもこの種の風貌を見つけることができるのではないか。ホームレスと「文士」は意外に近しいのかもしれないが,職業が風貌を作るというのはあまりなくなっているように思う。

● 業界を通貫する一流の顔というのはあるのかもしれない。が,ぼくには見分けがつかない。
 ただ,おしなべていうと,異形の顔というか怪異な風貌というか,そういうものと一流は相性がいいんじゃないかと思っている。

2017.11.17 三好和義 『HOTEL楽園 オリエンタルリゾート』

書名 HOTEL楽園 オリエンタルリゾート
著者 三好和義
発行所 小学館
発行年月日 2000.11.20
価格(税別) 3,000円

● だいぶ前の刊行。なので,ここで紹介されているホテルの中で,今は消滅しているものもあるかもしれない。経営体が替わっているものは,もっとあるだろう。
 紹介されている国(地域)は次のとおり。インドネシアはそっくりアマンの紹介。
 セイシェル モルディブ タヒチ ハワイ フィジー ボルネオ インドネシア インド トルコ エジプト サハラ イスラエル シンガポール タイ ミャンマー マカオ ネパール チベット ブータン 日本

● ブータンやチベットなど山岳地域のホテルもあるけれども,多いのは海がらみだ。リゾートというときに,海が果たす役割は大きいのだろう。マリンスポーツもさることながら,風景としての海が持っている力。
 癒やしとか開放感の象徴だ。ぼくらは海に住んでいた生き物の子孫なのだ。太古の記憶がぼくらを海になびかせるのだと,安直に理解しておこう。

● 以前は,こうしたホテルの写真を見ると,行ってみたいものだと思ったものだ。が,今はあまりそそられなくなっている。惹かれなくなった。好奇心が枯渇したわけではないと思いたい。
 リゾート,行楽という言葉からぼくが連想するのは,南の島ではなくて,都市だ。自分が田舎生まれの田舎育ちだからだと思うんだけど,休日は都市で過ごすのが何より気分転換になる。アーバンリゾートというやつだ。

● 散歩や買い物もしなくはないけれど,基本的にホテルの中で過ごすことになる。で,一般論としていうと,ホテルのサービス水準はいわゆるリゾート地よりも都市の方が高い。日本ならやはり東京はすごい。
 もし,アメリカに行くんだったらカリブ海とかそっち方面じゃなくて,ニューヨークのホテルに泊まって,ホテルの窓からニューヨークの街並みを眺める快感を味わいたい。

2017年11月16日木曜日

2017.11.16 番外:GOETHE 12月号-最上の生活必需品

編者 二本柳陵介
発行所 幻冬舎
発売年月日 2017.12.01
価格(税別) 741円

● 『GOETHE 12月号』では,メルセデス日本法人の社長やソニーの社長が,「最上の生活必需品」を紹介している。「自分の彼らが最上と認めるモノ,特に生活必需品ともなると,さらに愛用するモノに色濃く人生が映りこみ,無数の物語が生まれでる」と。なるほど。
 筆記具だとモンブランの149や,フランスのデュポンの製品が紹介されている。

● では,ぼくも同じように自分の生活品を紹介できるだろうか。
 ムリだね。たとえば,最も常用しているノートとペンは,ダイスキンとプラチナの千円万年筆。洋服はユニクロがメイン。いつも持ち歩いているバッグは,レスポのトート。これらを紹介できるだろうか。
 物語は高級品からしか生まれないかといえば,そんなことはないと思うんだよね。金額の多寡にかかわらないはずだ。

● でも,ダメだ。理由は2つ。ひとつは,そういうものを紹介するのは,この雑誌の主旨にはまるでそぐわない。
 もうひとつは,持ち主に魅力がないからだ。モノは物語を生みだすとしても,その物語の帰属者が平々凡々で,耳目を惹くような業績もなく,容姿もなく,お金もないのでは,物語自体が伝達性を持たない。

2017年11月8日水曜日

2017.11.08 樺沢紫苑 『読んだら忘れない読書術』

書名 読んだら忘れない読書術
著者 樺沢紫苑
発行所 サンマーク出版
発行年月日 2015.04.20
価格(税別) 1,500円

● 「読んだら忘れない読書術」なんてない。本書にも色々説かれているけれども,それを全部実行しても忘れないなんてことはないでしょ。実行しないでこう言うのは申しわけないんだけど。
 こうして読んだ本について記録を残していても,1ヶ月前に読んだ本なんて,タイトルすら忘れている。ぼくが特に頭が悪いからじゃなくて,そんなもんだと思うんですよ。

● 忘れないでいるって,不毛なことかもしれないんだよね。読んだら忘れていいと思うんだけどね。受験勉強してるんじゃないんだから。
 ぼくらがしている読書は,消費(=娯楽)としての読書だもんね。けっこう固い内容の本を読んでいる場合でも,何かに役立てようと思って読むことは,ぼくの場合は,ほとんどないな。

● 以下にいくつか転載。
 圧倒的な量の情報を日々自分の頭に入力しているからこそ,毎日原稿用紙で10~20枚程度,多い日で約30枚ものアウトプットが可能になるのです。「圧倒的なインプット」があって,はじめて「圧倒的なアウトプット」ができるということです。そのインプットの軸になるものが「読書」です。(p4)
 「読書の習慣のない人」は,読書の本当のメリットを知らないはずです。(p22)
 ほとんどの人の仕事,生活は,無駄だらけです。無駄なことをやり,無駄なことをして疲れ,無駄なストレスを抱えて病気になる。そういう「無駄」を避け,膨大な時間を節約する方法がたった1500円の「本」に書かれています。それを知るのか,知らないのか。本を読めば,大幅な時間短縮が可能です。(p31)
 「文章力」というのは,実はインターネットの時代となった現在,極めて重要になっています。(中略)「文章力」を鍛えるほとんど唯一の方法は,(中略)「たくさん読んでたくさん書く」ことしかないのです。(p38)
 自分の経験・体験からしか判断できない人は,今,自分が走っているレールをそのまま走り続けるしかないのです。自分がいる井戸の外側の情報がまったくないのに,その井戸から出ていこう,というアイデアが浮かぶはずはありません。(p60)
 私がこれほどたくさん読書する理由は,「楽しいから」です。これがまず基本です。(中略)本を読む動機は「楽しいから」であって,「自己成長のため」であってはいけないのです。(p69)
 人間の脳は,入力された情報のほとんどを忘れるように作られています。正確にいうと「重要な情報」以外は,全て忘れるようにできているのです。脳が「重要な情報」と判断する基準は2つです。「何度も利用される情報」と「心が動いた出来事」です。(p80)
 私は電車の中でスマホを見るのは,最大の時間の無駄だと思います。なぜならば,1日10回もメールやメッセージをチェックする必要はないし,スマホでメッセージを返信するよりも,パソコンで返信したほうが,何倍も早いからです。(p86)
 私が,スキマ時間を使って1日1冊読み切ることができるのは,ちょっとしたコツがあります。それは,その日の外出前に「今日は,帰宅までにこの本を読み終える!」と決めることです。(p90)
 読書において読むスピードは,あまり意味がないのです。(中略)「読んだつもり」になっているだけ,ただの「自己満足」のための読書になっている人が多いのです。特に,「速読しています」という人ほどその傾向にある。(p93)
 私は本を読んだら,その日かその翌日に,Facebookに感想をアップするように心がけています。10行を超えるような長文の感想を投稿する場合もありますが,数行の感想でもいいと思います。たったそれだけのことですが,それをやるだけで,本の内容が,やらない場合に比べて何倍も記憶に残りやすくなるのです。(中略)SNS上に感想を書く。それは,あなたの体験を共有する,つまり「シェアする」ということです。自分しか読まない手帳やノートに書くのと,第三者に見られることを前提とした「シェア」には,大きな違いがあります。(p107)
 そうなのか。Facebookでは10行を超えるような文章は,長文の範疇に入るのか。憶えておこう。
 「Facebookの上級者向けノウハウが学べます!」と強調すると,たくさん人が集まります。しかし,そこに参加する人の7~8がFacebook初心者なのです。(中略)初心者の人に限って,基本的な使い方すら知らないのに,なぜか「上級のノウハウ」を知りたがるのです。(p153)
 ネットやスマホで情報チェックするのももちろんいいのですが,スマホ,つまりインターネットで得られるものの大部分は「情報」です。熱心なスマホユーザーのほとんどは「情報過多」で「知識不足」に陥っているはずです。(p192)

2017年11月5日日曜日

2017.11.05 関本紀美子 『手帳スケッチ』

書名 手帳スケッチ
著者 関本紀美子
発行所 ソフトバンククリエイティブ
発行年月日 2011.12.07
価格(税別) 1,300円

● スケッチの描き方,イラストの描き方の手引書。別に手帳に描くのでなくてもかまわない。

● なるほどと思ったところがあるんだけど,それだけでは畳上の水練にもならないね。実際に描いてみないとね。
 自分に絵心はないことはわかっている。一方で,ひょっとしたらあるのかもしれないぞ,とも思っている。

● それでこういう本を読んでみたりするんだけど,その結果,描き始めたということはないから,それ自体が絵心がないことの証明なんでしょうね。

2017.11.05 藍玉 『まずは,書いてみる』

書名 まずは,書いてみる
著者 藍玉
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2017.01.12
価格(税別) 1,200円

● 副題は「〔時間〕〔アイデア〕〔やりたいこと〕がどんどん湧き出すメモの習慣」。メモの勧めであるわけだ。
 メモ魔になれとはよく言われることで,そのことを知らない人はいない。けれども,メモを取る人は少ない。面倒だ。取らなくても致命的に困ったことはない。その他,いくつかの理由があるんだろうけど,とにかくメモを取る人は少ない。

● だから,メモの勧め本が途切れずに出版される。問題は,メモを取らない人はその種の本も読まないこと。こうしたものを読むのは,すでにメモを取ることが習慣になっている人だろう。
 自分がやっていることは正しいのだと背中を押してもらいたくて読む,という場合がほとんどではないだろうか。

● ただし,昔に比べれば今を生きる人は書くようになっている。インターネット(ブログ,SNS)の影響だ。Twitterをメモ代わり,ログを残す手段として使っている人は,けっこう以上に多いのではないか。
 そうと意識はしていなくても,結果的にそうなっているという場合を含めて。

● 参考になったのは「ふせんのサイズでタスクの需要度,緊急度を視覚化する方法」(p39),「誰に何を頼まれたかが明確に」わかるメモの仕方(p105)。これは特に新人には役に立つかもしれない。
 ただ,じゃあ自分もやるかといえば,たぶん(いや,確実に)やらないんだな。

● いくつか転載。
 ミスをすると少なからず落ち込んでしまいますし,そのような出来事から早く逃れたい心理になります。ですが,そこは勇気を出してミスを分析します。これもまた,ノートに書き出します。(p112)
 「やること」は小さな目標でもあります。できた喜びから「もう一つやろう!」を意欲が湧いてくるのです。(p117)
 メモをアップデートする裏技は縦のノートを横にして使うこと(p120)
 長年叶えられないものは自分にとって必要ないことだ(p134)
 最近,マンスリーのフォーマットに可能性を感じています。アイデアしだいでいろいろと面白い使い方ができるのです。(p149)

2017年11月4日土曜日

2017.11.04 茂木健一郎 『東京藝大物語』

書名 東京藝大物語
著者 茂木健一郎
発行所 講談社文庫
発行年月日 2017.03.15(単行本:2015.05)
価格(税別) 590円

● 東京藝術大学がどんなところなのか。二宮敦人『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』(新潮社)を面白く読んだ。音校(音楽学部)より美校(美術学部)の方が破天荒のようだ。
 著者はその美校で授業を持った。数年間続けたらしい。そのときのあれやこれやを小説仕立てにしている。

● ジャガー,杉ちゃん,ハト沼といった「永遠の幼児たち」が織りなすエピソードの数々は,それだけで面白い。キャラクターが魅力的だ。
 彼らにしてみれば,世の中に折り合いを付けていくのにひと苦労もふた苦労もしなければならず,厄介な才能,厄介な嗜好を持ってしまったものだと嘆くときもあるのかもしれないけれど。
 町田康さんが解説を寄せている。

● 以下にいくつか転載。
 「確かに,ぼくたちは,絵さえ描いていればいい,本なんか読まなくていい,とにかく描け,という教育を受けますからねぇ。」 (中略)難しい本を読むよりは,実技を大切にするという校風なのだと,ジャガーは言う。(p30)
 芸術は,結局,自分の手を動かして,何が描けるかだ。 「狩野派の画家たちは,一日何千本も,線を引く練習をしていたそうですね。村上隆さんのカイカイキキも,そこを目指していて。」(p31)
 何しろ,何十倍という入試をくぐり抜けて,東京藝術大学に合格した彼らではあるが,その中で,作品を売って食えるアーティストになるのは,ほんの一握り。一説には,十年に一度出れば良い,とも言う。(中略)下手をすれば,東京藝術大学に合格した時が,人生の頂点だった,ということになりかねない。イヤ,実際,大抵はそうなんだろう。(p37)
 「人生,基本,不穏」とでもいうような藝大生たちを組み伏せて,彼らに感銘を与える講義をするのは,全くもって並大抵のことではない。 その点,三木茂夫さんは,伝説的な,藝大の先生だ。「うんちを握れ!」と叫ぶなど,とてもユニークだったと今日に伝えられる三木茂夫さんの講義。 そして,藝大生の不穏な個性の持つ勢いと言えば,本当に,うんちを握りかねないほどなのだ。(p53)
 東京藝大の入試,つまり,デッサンや油絵といった実技の巧みさで受験生を選別するシステムは,結果として,アーティストとしてのすぐれた資質を見分ける機能を果たしていないのかもしれない。(p63)
 表現者が持つべき資質の第一は,飽くなき継続だろう。(中略)これでもかっ,これでもかっ! そんなエネルギーを持って継続できるということが,結局は最大の才能である。(p125)
 「浪人してまで東京藝大に入るようなやつは,その時点でもうダメだっ!」 大竹伸さんご自身は,現役の時に東京藝術大学を受けて落ち,武蔵野美術大学に入った。そして,すぐに休学して,北海道の別海町の牧場に住み込みで働き始めたのだという。そんな大竹さんから見れば,ジャガーやハト沼は,所詮ぬるま湯なのだろう。(p127)
 科学とは,実は,他人の心を思いやることに似ている。科学の正反対は,「無関心」である。(p136)
 アートというものは個の思いが結実したものであり,最大公約数を求めるものではありません。それに対して,東京や,東京藝大のようなところは,最初から中心や,最大公約数を求めすぎるんじゃないのかな。(p143)
 大衆を鼓舞し,先導し,この素晴らしい国を創るために,アートは存在するんだっ! 下手くそな画学生よ,君たちの芸術には,本当は,世の中を変える力がある。それほどアートは人を扇動する,そして洗脳する。そんな力がある。君らは,アーティストになりたいのか,それとも,作品を通して,世の中を変えたいのか。(p145)
 アーティストにとって,美術大学なんて,意味がないんだ。ましてや,こんな,東京藝術大学なんて,通ってもしょうがない学校に,お前ら,よく頼まれもしないのに来ているな! 今すぐ,この校舎,自分たちの手で爆破しちまえ!(p151)
 アーティストは,良い絵を描くためには,不道徳なことさえやりかねない。凡庸な作品をつくるいい人であることと,悪い人でも傑作を描くことのどちらかを選べと言われれば,芸術家の答えは決まっている。問題は,選ぼうとしても,心と体の自由が,案外利かないことだ。(p200)

2017年11月3日金曜日

2017.11.03 茂木健一郎 『やり抜く脳の鍛え方』

書名 やり抜く脳の鍛え方
著者 茂木健一郎
発行所 学研プラス
発行年月日 2017.05.02
価格(税別) 1,300円

● 本書の主旨は「はじめに」の次の文章に要約されている。
 そもそも「生まれ持った才能がすべてを決める」とか「天才なら何をやっても成功できる」といった考え方には“才能さえあれば,特別な努力などしなくても,何かを成し遂げられるはず”という都合のいい願望が隠れています。(p3)
 「真の才能とは,結果が出るまでやり抜く努力ができる“脳の筋力”である」 この結論を脳科学的に説明すると,脳の神経回路というのは,何かしらの活動によって負荷をかけ続けなければ,その回路は強化されないということです。(中略)結果が出るまであきらめず,創意工夫をこらしながら,やり抜くための努力ができること。それも,イヤイヤではなく,毎日を楽しみながら。(p4)
 もうひとつ,「おわりに」から。
 物事のスピードが速く,多様化したいまの時代において“やり抜く”というテーマを考えた時,ただひとつのことを黙々とやり抜くという感覚では物足りない感覚があります。むしろ「自分が変わることを楽しみ抜く!」という表現が一番しっくりくるのではないでしょうか。(p209)
● ほかに,いくつか転載。
 自分が社会に出てからほとんど使わない能力に,限られた時間とエネルギーを注ぐよりも,得意なことに集中し,それを個性として磨きをかけたほうが,人生は開けていくのではないでしょうか?(p27)
 この井戸を掘ることは,アルファベットの「I」の字のように,垂直に掘り進むだけの行為に思われるかもしれませんが,実は違います。物事を深く考え,掘り下げていく行為の裏には,思考の力だけではなく,幅広い知識や見識が求められるものです。ちょうど画びょうのように,垂直に降りていく思考という一本の針があり,そこを支える広い平面が知識見識という具合です。(p61)
 人間の脳は,「勝つ」という行為に反応してドーパミンが分泌するようにできています。(p75)
 「自分が思っているほど他人は自分のことを気にしていないのだ」ということを肝に銘じてくださ。重要なのは他人の目ではなく,必要以上に背伸びせず,ありのままの自分でいることなのです。(p90)
 多くの日本人は,いったんやめると戻ってこれません。なぜなら,「一度やると決めたらやめてはダメ」と強烈な決意を持つ人たちほど,やめてしまった後に罪悪感を持ってしまい,自信喪失のあきらめ状態に陥ってしまうのです。(p93)
 「頑張ったらこの先,どんなに素晴らしいものが手に入るか」と考えるのではなく,「いま,ここで頑張っているこの瞬間こそが,かけがえのないもの」と考えたほうが,意外なことに努力というものは続く。(p101)
 脳というのは飽きっぽい性質を持っているということです。(中略)さらに付け加えると,飽きるということを動物行動学的に分析した結果,エネルギーが有り余っている動物によく見られる状態であることがわかっています。(p119)
 スポーツにしても,現代のスポーツ科学の見地から,練習のし過ぎによる問題点を検討する時代に入っています。(p123)
 目標を公言してしまうと,その公言自体が脳の報酬となってしまうため,それ以上成長を望むことができない場合があります。(p126)
 私は常々,努力は他人に見せないほうがうまくいくと考えています。なぜなら人は努力を公表した時点で満足してしまうのです。(p136)
 プロのアスリートが小さな子どもたち向けに,自分の専門種目でコーチングイベントを開催します。(中略)これほどまでに彼ら,彼女らが情熱を持って取り組む理由として,原点回帰で自分自身にエネルギーがもらえることがあるのは間違いないと思います。(p142)
 ビジネスの世界でも,芸術の世界でも,やり抜いた人はみんな,思い込みの強い人だという感覚を私は持っています。(p162)
 ずるずると「凹みの谷」が続いている人と,そこから抜け出せる人には,ある違いがあります。(中略)それは「やるべきことを,いろいろつくってみる」ということです。実際,「凹みの谷」をすぐに抜け出せる人は,常に動き回っているという特徴があります。忙しいので落ち込んだままではいられない,というわけです。(p189)
 昨年,私がケンブリッジ大学での恩師に当たる教授の95歳の誕生パーティーに出席した時の話ですが,そこには世界各国で研究者として成功を収めている豪華なメンバーが揃っていました。そして,その場のみんなが口を揃えていっていたことが,驚くべきことに,彼らの毎日が「雑用だらけ」ということだったのです。(p197)
 本当のところをいうと,物事の成果と,向き・不向きには因果関係がないというのが私の結論です。なぜなら,自己評価とは,あまり当てにならないものだからです。(p199)
 勉強や仕事といっても,ただひとつのことだけに専念していることは,いまの時代においては非常にリスクが高いといわざるを得ません。(中略)私自身もいま,さまざまな大学から「専任教員になってください」というお話しをいただくことがあるのですが,それらはすべてお断りしています。なぜなら,大学の授業や研究だけをやる人生というのは,私にとってはリスクが高過ぎますし,何より刺激的な毎日が送れないからです。(p205)

2017年11月1日水曜日

2017.11.01 茂木健一郎 『いつもパフォーマンスが高い人の脳を自在に操る習慣』

書名 いつもパフォーマンスが高い人の脳を自在に操る習慣
著者 茂木健一郎
発行所 日本実業出版社
発行年月日 2016.09.10
価格(税別) 1,300円

● 脳を自在に操る習慣といっても,なかなかね。本書で説かれているのは,自分に無茶ぶりをしろとか,リミッターをはずせとか,行動の基準を他に求めるなとか,集中しろとか,そういうことだ。
 それをできる人とできない人がいる。できない人は縁なき衆生かなぁ。もちろん,著者は誰にでもできることだと言うわけだ。

● 以下にいくつか転載。
 私たちの脳のパフォーマンスというものは,日々の習慣によって成り立っているので,やる気という特別な感情は脳自体が必要としていないのです。(中略)やる気というのは“雨上がりに見る虹”のような幻覚でしかありません。(p13)
 日本人が陥りがちなもののひとつに,「客観性の病」というべきものがあるような気がしてなりません。(中略)自分がどう感じているか,どう判断しているかではなく,外部の基準にその根拠を求めることで,自分で判断しなくてもよくなってしまう。一種の思考停止状態です。(p16)
 このメタ認知を利用するポイントとして,「本番中はメタ認知を外して集中し,それが終わったときにメタ認知を起動する」というのが正しい方法だということを知っておいてください。(p29)
 世界のトップクラスが実践している,本物のパフォーマンスの基準を上げていく方法とは何でしょうか。それは,「真に良質なものに触れてセンスを磨く」ということに尽きます。東大卒にしても,意識高い系にしても,私が一緒に話をしていて「こいつ,なかなか感性がいいな」と思う人は99%いないと断言できます。(p43)
 芸術大学や美大などに行くと,「あ,こいつはセンスがいい」と思える学生が意外にも多いのです。(中略)なにも単純にアートなどに多く触れているから,芸術的センスが磨かれているという意味ではありません。芸術大学や美大に進んだほとんどの学生は,「アートでは食えないでしょ?」と周囲から一度は反対をされた人間です。すなわち,それでもなお自分の“基準”を貫きとおしている強い意志を持っている人たちなのです。(p43)
 センスを磨くためには,まずは一般に正しいとされているルールや基準を疑ってみるというところから始めなければなりません。(p47)
 岸見(一郎)さんいわく,『ソクラテスの弁明』をギリシャ語で読むと,いままで白黒の世界にいたのが一気にカラーの世界になる,それくらいの強烈な違いがあるとおっしゃっていたのがとても印象的です。著書が翻訳出版されている中国,タイ,ブラジルやポルトガル,そしてスペインといった国の言語をこれから勉強して,現地で講演をする際には現地の言葉で話をしたい,と仰るのです。(p49)
 「決める係」の自分をつくるときに,何かしらの根拠を求めてしまいがちですが,根拠など求めなくてもいいのです。ここで肝心なのは,決める係の自分は直感に従って物事を決めていけばいいということ。だからこそ,普段でも小さなことから決断をするという訓練をしてみてください。その繰り返しによって,自分の直感による決断がゆくゆくは根拠を生み出すようになっていきます。(p66)
 理想のワーキングメモリをつくるためのとっておきの秘訣をご紹介しましょう。それは,脳のワーキングメモリに蓄えている情報をリスト化するのではなく,まるで一枚の絵のように描いてみるということです。(p68)
 これは,私自身のやり方でもあるのですが,手帳やスマホなどで管理するToDoリストはなく,常に頭のなかでダイナミックに内容を更新できるToDoリストをつくって,優先的にやるべきことをそのつど決めて行うようにしています。(p80)
 私たち人間の脳というのは,自分の限界に挑戦した瞬間から,変わり始めているのです。(中略)仕事でも勉強でもなんでもそうですが,「自分が変わる」ということ以上に,脳が感動することはありません。(p98)
 自分にリミットを設けてしまっている人というのは,予測能力が高い人でもあります。たしかに,予測する能力というのは大事な脳の働きですが,自分勝手なリミットに関しては外した方がいいということ。そこで,「自分はこの程度だ」という脳の予測回路をオフにしてみてください。それに尽きると思います。そのためには,次のような心がまえを持ってみてはいかがでしょうか。「とりあえず,目の前のことを刹那的にがんばってみよう!」(p107)
 なぜ脳が筋肉と似ているのかといえば,確実にできることをやっているだけでは成長しないからです。(中略)「レベルが高すぎて自分にはついていくのはムリだ」といっている子というのは,私の経験上,そのあとグングン伸びていくことが多いものです。その理由は,成長が止まったのではなく,その子の脳がいままでに経験したことがないようなレベルの負荷をかんじているだけだからです。(p115)
 私たちの脳というのは,何歳になっても成長し続ける性質があります。つまり,脳はいつまで経っても完成を迎えることのない,まさに「青天井の構造」をしているといえます。他人との比較ではなく,自分自身の脳の中で少しでも進歩があれば,それは脳にとって大きな喜びになります。そして喜びを感じると,脳の回路がつなぎ変わってさらに強化されていくのです。(p116)
 「努力賞ではダメ。狙うは場外ホームラン」 私は,そんあことをいつも思いながら,自分に無茶ぶりをするようにしています。(中略)現在の事情などはいっさい無視して,自分に無茶ぶりをすることで脳が強化され,やがてはガラスの天井を突き破ることができるようになるからです。(p123)
 私たち人間の脳とうのは,さぼっていると次第に「落ちていく喜び」に目覚めてしまうものです。(p137)
 よく誤解されるのですが,脳というのは疲れないのです。脳が疲労を感じるときというのは,ずっと同じことに没入して脳が退屈しているというだけに過ぎません。(中略)裏を返せば,「文脈」を変えて違うことをやれば,脳は常に高いパフォーマンスで仕事や勉強に向き合えるということです。(p170)
 現代における創造性に関する科学的理論は一貫して,「創造性とは組み合わせの探索である」と考えられています。つまり,人はゼロから何かをつくれるわけではなく,その人のなかにある何かと,その人のまわりにいる人のなかにある何かが組み合わさったり,並べ替えが起こって,新しいものが生まれるという考え方です。(p175)
 常識が通用しない世界でこそ,脳は強化されていくということがあるからです。つまり,不確実性こそが順応性を生み出し,どんなときでも冷静沈着に高いパフォーマンスを発揮することができるようになっていくというわけです。(p189)

2017年10月30日月曜日

2017.10.30 『日本の最も美しい図書館』

書名 日本の最も美しい図書館
発行所 エクスナレッジ
発行年月日 2015.05.29
価格(税別) 1,800円

● 41の図書館が紹介されている。最も美しいのが41もあるのか。金沢の金沢海みらい図書館は注目されているようだね。もちろん,見たことはないけれど。

● 外見が目を引くような図書館っていうのは,意外に使いづらいってこともあるんだろうな。地元の図書館を貪欲に利用することを考えた方がいいよね。それしかないわけだし。
 美しい図書館は遠きにありて思うものだよ。

2017年10月29日日曜日

2017.10.29 吉野朔実 『吉野朔実劇場 お父さんは時代小説が大好き』

書名 吉野朔実劇場 お父さんは時代小説が大好き
著者 吉野朔実
発行所 本の雑誌社
発行年月日 1996.12.10
価格(税別) 1,165円

● 故吉野朔実さんのこのシリーズ,何冊か読んできたが,ひょっとするとこれで全部だろうか。いや,まだまだあるのか。

● 「この連載で私が書こうとしたのは,本に纏わる日常でした。書評なら,上手にやる人は他にプロがたくさんいるから,素人のままのスタンスで行こう,と」書いている。
 たぶん謙遜だろうけど,芸は身を助けるというのか,イラストというか漫画がこのシリーズの彩りですよね。

● 「子供の頃に読んでおけば良かった。そんなふうに思うことがある。そういう本がある」と言われると,たしかにと頷くしかない。
 そういう本ってけっこうあると思う。後で読み返すとまた違った感興を覚えると言われるけれど,子どものときの感興には及ばないことがある。

● ぼくの例でいうと,シュトルムの『みずうみ』。小学5年生(だったと思う)のときに小学館の学年雑誌に2回にわたって掲載された。いたく感動した。よし,これは大人になってから読み返してみようと思った。エリーザベットとラインハルト,登場人物の名前もバッチリ頭に入った。こういうのは忘れることがない。
 で,大学生になってから岩波文庫で読み返してみた。なんだ,これは,と思った。小学生のときに読んでおいてよかった。美しく誤解できる時期ってある。吉野さんが言っているのは,そういうことではないと思うんだけど。

2017.10.29 清水玲奈 『世界の美しい本屋さん』

書名 世界の美しい本屋さん
著者 清水玲奈
発行所 エクスナレッジ
発行年月日 2015.04.17
価格(税別) 1,600円

● 「美しい本屋さん」の写真集。眺めて楽しむもの。想像力の豊かな人ならば,その書店に入っていけるかもしれない。

● 以下にいくつか転載。
 イギリスで過ごした10代の頃は演劇に夢中で,本屋の経営には興味がなかったのですが,パリに戻ってきたときに「この店はまるで劇場だ」と気がつきました。個性的な人物が次々と登場しては消えていき,日々ドラマが展開します。(シェイクスピア・アンド・カンパニー店長 シルヴィア・ウィットマン p83)
 プロのデザイナーであるスタッフの鑑識眼にかなった本だけを絞り込んで売るのがこの店のポリシーです。ジャンルはグラフィック,広告,ファッション,インテリア,写真の5つの分野のみ。(p107)
 これはアムステルダムの「メンド」のもの。銀座の蔦屋書店を連想した。

2017年10月28日土曜日

2017.10.28 漆原 宏 『ぼくは,やっぱり図書館がすき 漆原宏写真集』

書名 ぼくは,やっぱり図書館がすき 漆原宏写真集
著者 漆原 宏
発行所 日本図書館協会
発行年月日 2017.04.30
価格(税別) 2,500円

● 被写体のほとんどは子ども。1980年代の図書館内部の風景,つまり利用者が写っている。
 1980年代といういと,ぼくの20代と重なる。その頃はパソコンもインターネットもなかったけれども,自分のライフスタイルはそれほど変わっていないので,日本や世界が大きく変わったという実感は持てないでいた。

● しかし,変わったのだね。何が違うかというと,服装が違う。ダサいんですよ。
 首都圏の図書館が多いんだけど,写っている子どもやお母さんたちが田舎びているんですよね。今とぜんぜん違う。東京や神奈川でもこうだったのか,っていうね。
 ちょうど,高度経済成長以前の日本の報道写真集を見たときに感じるものと同じもの。その頃の日本はこうだったのかぁという驚き。

2017年10月27日金曜日

2017.10.27 佐藤富雄 『90日間で細胞が元気になる』

書名 90日間で細胞が元気になる
著者 佐藤富雄
発行所 かんき出版
発行年月日 2004.06.14
価格(税別) 1,400円

● 最近,この人のものをいくつかまとめて読んでいるわけだが,さすがに同じことが書いてあると,もういいかと思う。本書は途中で読むのをやめてしまった。

● いくつか転載。
 つまりは私たちの考えることがホルモン系や,それと連動した神経系を支配し,ひいては健康状態とも密接にかかわってくるというわけです。そういうしくみがあるので,「自分は100歳まで元気に生きる」「自分は生涯現役でいるのだと強く信じていれば,行動がそれに沿ったものになるだけでなく,体自体もそれに応えようとします。信じていなければ,体は実現しようとはしません。(p48)
 不快な心の状態が続くと,人間は老化が進んでしまうようにできているのです。(p49)
 「私は悲観的に考えるタイプだから・・・・・・」という人でも,快のほうにハンドルを切り替える方法があります。それには,「良い口ぐせ」を身につけることです。(p50)
 人間の筋肉の約70%は,脚部と臀部に集中しています。よく「太モモは第2の心臓」といわれるのも,筋肉量のたいへん多い大腿筋を動かすことが血液の循環を促す強い力になるからです。(p65)
 動物実験の結果を見る限り,摂取カロリーを低く抑えることによって,60%程度の延命効果があるということが定説になっています。(p73)

2017年10月25日水曜日

2017.10.25 飯田史彦 『歩き続ける』

書名 歩き続ける
著者 飯田史彦
発行所 PHP
発行年月日 2014.08.05
価格(税別) 1,800円

● この人が書くものは眉唾だ,と思う人もいるはずだ。が,とことん落ちこんで,飲みに行くのも億劫,本を読む気にもならない,というときに,どうにか彼の本を読んでみたら救われた(気分になった)という人もいるはずだ。
 プラグマティズムというと大げさだけれど,本は自分の都合の良いように使えばいい。ぼくは飯田さんのものはだいたい読んでいると思う。

● あたりさわりのないところをいくつか転載。
 僕の長年のカウンセリング経験に基づいて分析すると,はっきりした原因が存在するかどうかに関係なく,「死にたい」と思ってしまうほどの悲観的思考の根底には,睡眠不足から来る脳の過度の疲労状態があるのです。(p106)
 あらゆる人の人生の目的は,わずか一言に要約できるからです。(中略)学ぶことです。(中略)人生で体験するすべての出来事を通じて,学び,成長するために,人間は,この物質世界に生まれてくるからです。(p195)
 僕も人間の端くれですから,面倒なことは大嫌いだし,安楽に,能天気に生きたいと,つい願ってしまいますよ。でも,それでも人間は,心の奥にある本当の自分,つまり,俗に言う「魂」の部分では「もっと学んで,どんどん成長したい」という,向上心に満ちているんです。(p196)
 大学レベルで研究者をやっていた人であれば,理屈っぽくない人なんか,いないはずですよ。研究者が理屈っぽくないのでは,仕事になりませんからね。(p207)

2017年10月21日土曜日

2017.10.21 外山滋比古 『20歳からの人生の考え方』

書名 20歳からの人生の考え方
著者 外山滋比古
発行所 海竜社
発行年月日 2013.05.29
価格(税別) 1,300円

● 外山人気は今も持続しているようだ。90歳を超えてなお,出版ペースが落ちない。それ自体が人気の理由のひとつなのだろう。

● 20歳にここまで求めるのは酷のように思う。それは20歳の自分を顧みて感じることで,普通に優秀な人は,このあたりのことには気づいているのかもしれないけれど。

● 以下にいくつか転載。っていうか,少し多すぎるかもしれない。
 本に書いてあったことを自分の考え,知識のようにふりまわすのは趣味がよくない。いわゆる知識人に反感をもつことが,年とともに多くなった。知識,教養を疑うようになった。(中略)ものまねはやめよう。自分の責任で新しいことを考え出そう。(中略)たとえ間違っていても自分の頭で考えたことは独創である。人間は独創によってのみ進化する。模倣では変化を起こすことはできても,創造はできないのではないか(p9)
 弱は能く強を制す,というが,そうではない。強は勝手に自滅するのである。(p15)
 失敗をおそれては逆上がりだってできない。失敗先行である。成功先行を望むのは人情かもしれないが,それでは何もできない。(中略)マイナスがあってプラスが続く。そのマイナスが大きいほどプラスも大きくなる。(p18)
 いけないのは三代目である。個人の問題ではない。その役まわりになったのはむしろ犠牲であった。だれがなっても三代目では勝ち目が少ない。(p24)
 思考力は困ったとき,苦しいときに働くもののようである。何不足ない状況では思考はしばしば,眠っている。(p31)
 思考を育てるにはあまりよけいな本など読まないことである。ことに,すぐれた本は敬遠するほうが賢明である。いささか困った矛盾である。(p33)
 勉強家,博学多識の人は概して模倣的になりやすいのは是非もない。(p35)
 発憤というのは,この内燃化した我慢をもとに大きなことを動かす心的活動だと考えることができると思われる。発憤には,内圧の高まった我慢の蓄積がないといけないのだが,そのストレスは多く,不幸,苦難によって生ずる。(中略)不幸(?)にして,恵まれた環境に育つものは,苦難,困窮にあうことも少なく,したがって,発憤のチャンスも少ない。恵まれた育ち方をした人間の背負っているハンディキャップである。(p42)
 ある有名な女性の作家が,「描写が大切である。比喩に逃げるのはいけない」と述べていると聞いてひどく反発を覚えた。比喩に逃げるのではなく,描写できないものは比喩を援用して表現するほかはない。新しい考えを伝えるには比喩はもっとも有効な手法である。小説家は勝手な作り話をするしか能がない。未知,抽象などを相手にしないから比喩をバカにできる。(p50)
 十九世紀までの歴史家は,歴史は過去を再現できると信じた。いまなお,そう考える歴史家がいるようだが,時というものの存在をよく考えないための錯覚である。歴史は過去のあるがままを再現することはできない。(中略)歴史は過去の現実,事実をそのものを表しているのではなく,時によって生まれたものだからである。(p64)
 事実ということから言えば,歴史はウソを含んでいるが,ウソが入らないところからは歴史は生まれない。(p65)
 富士山の近くに住む人は,そして遠望の富士を見たことのない人は,そもそも,富士が美しいなどと感ずることもない。(中略)遠くからやって来た人は,地元の人の知らなかった価値を苦もなく見つけることができる(p68)
 ヨーロッパに“名著を読んだら著者に会うな”ということわざがある。(中略)読んで感銘を受けるのは,どこにいるかわからない人の書いた本だからである。(p69)
 カネを出すほうが,受け取るほうより強いのである。供給が需要に追いつかなかった長い間,人々は,この大原則に気づかなかった。供給過剰になって初めて消費者は選択肢が自分の側にあることに気づいて自覚・自立する。(p81)
 ことわざを読み解くのはへたな小説よりはるかにソフィスティケイション(洗練)のすすんだ思考を必要とする。(中略)正しい意味というのか,文字,文章ほどにはっきりしないことが多い。言い換えると誤解に寛大である。(p83)
 本の知識から新しい発見の生まれることは少ない。創造は多く生活の中にある。(p100)
 教育は小学校から大学まで,一貫して,目の勉強を強制する。知識は増えるけれども,自ら考える力は少しも伸びない。(中略)少し落ち着いたところで,そろそろ知力の枯渇を意識するようになったところで,あわてて耳で考える修行に入る。晩学は成り難し,と昔の人も言った。考えるのはものを知り,学ぶよりはるかに厄介である。(p101)
 傷のあるリンゴは甘い。それを知らないから傷のあるリンゴは安い。少し黒い斑点のできたバナナがうまい。しかし面くい消費者から見向きもされないから捨てられる。(p119)
 選ぶ人が賢くないと,選ばれる人も賢くなれないで,有権者のご機嫌をとるポピュリズムが流行する。弱者支援などと言って,バラマキを善政のように考える。心ある有権者はデモクラシーに懐疑的になるが,それを口にすることはタブーだから,口にするものは少ない。(p123)
 台所に立つようになってから,頭の働きがよくなったような気がする。それまで,浮世ばなれたことばかり考えていたのに,炊事をするようになって,足が地についたというか,具体的,実践的な考え方が,わずかだができるようになった。(p128)
 知識があれば,万事うまくいく,と思っていると,考えることの出番がなくなり,ひどいのになると,知識さえあれば考える必要はないと誤解するまでになる。(p140)
 少しくらい悪く言われても,考えを変えるほど意気地なしではない。(p154)
 あるとき,テキストを離れて,詩作について,ちょっと,おもしろそうな顔をされて,“かるたとり”方法という話をされた。ご自身(西脇順三郎),詩を創るときに試みられるものらしい。主題について頭に浮かぶことを,小さな紙片につぎつぎ書きとめる,ひとつひとつは短いフレーズである。出そろったら,しばらく風を入れる。寝させる。放っておく。そして,今度は,先の紙片を気の向くままに拾っていく。これが“かるたとり”である。全部拾ってしまったら,はじめから見直す。つながりがおもしろくないところは,前後の入れ替えをする。そしてまた分秒ながめる。これをくり返して,これでいい,となったら糊づけするなどして,順序が狂わないようにする。それが原型になる。それに基づいて詩を書いていくのだ,と言われた。(p183)
 (T・S・エリオットは)詩人は新しい詩情を自ら生み出すのではなく,化合によって新しい詩情の結合の仲立ちをするのだというのである。(p185)
 万物流転する中にあって,あえて,流れを否定,源泉を目指すのは誤った歴史的思考ではないだろうか。作品もほかのすべてのものごとと同じように時間の流れに沿って生きていくことができる。そういうように考えて,文献学の原理を批判し,文献学が,原稿,それにもっとも近いもののみをよしとし,他をすべて,乱れたテキスト,異本ときめつけるのに強い反感をもった。(p207)
 平安朝の名作で,いま原稿に近いテキストの残っているものはひとつもない。現存する最古のテキストは鎌倉期になってからのものである。長い空白がある。文学史は,京都の大火によって古稿本がいっせいに焼失したという説明をしていたが,とても信じられない。やはり,鎌倉期に現れたすぐれて強力な異本によって,それまでのもろもろのテキストをすべて消滅させたと考えるほうがずっと自然である。(p211)

2017年10月19日木曜日

2017.10.19 永江 朗 『本の現場』

書名 本の現場
著者 永江 朗
発行所 ポット出版
発行年月日 2009.07.13
価格(税別) 1,800円

● 副題は「本はどう生まれ,だれに読まれているか」。
 本は売れなくなったのか,そうだすれば理由は何か。若者の活字離れというのは本当なのか。出版社-取次-書店という流通経路に問題はないのか,あるとすればそれは何か。
 そういったことを緻密に取材しながら,自身の考察を展開する。

● が,「本の現場」を素材にして,永江さんの世界観が述べられているものでもある。「本の現場」に興味がない人が読んでも面白いと思う。
 って,そういう人は本なんか読まないか。

● 以下にいくつか転載。
 なぜ90年代に本が売れなくなったのだろう。(中略)「若者の時代が終わったから」と佐々木(利春)さんは言う。(中略)バブルの頂点で若者が雑誌や書籍にそっぽを向き始めた。いや,若者の数そのものが減り始めたのだ。 「やっぱり本は若者のものなんです。誰だって若いときは読んだ。でも,年をとったら読まなくなる」(p12)
 中村(文隆:ジュンク堂書店)さんの実感でも,この十数年で新刊店数は倍以上,そして中村さん自身の作業量も倍以上に増えたという。(p16)
 「2匹目のドジョウとはよく言うけど,いまは平均すると4匹目,5匹目までは出る。最近の新書なんて,ほとんどが一昔前なら雑誌で16頁の特集を組めば済んじゃうようなものですよ」(p17)
 「共同出版」はお金の流れがブラックボックス化している。客(著者)は「出版社と著者が費用を折半している」と思っているが,現実には客が全額負担してさらに出版社にマージンを払っている。(p39)
 まったく無名のアマチュアが自身のWebサイトでコツコツと作品を発表しても,それが編集者に発見されてプロになる可能性はほとんどない。評論家の福田和也が(中略)「ネットの文章って,最初に編集者を『ダマす』という行為を通過してないでしょう。学生によく言うんだけど,編集者一人ダマせないのに,読者をダマせるわけがない。プロを目指すんなら,原稿料にならない文章をネットにだらだら書かないほうがいいね。ネット経由で一発当てる人もいるけど,長くやっていけるとは思えない」と発言している。私も含めて,出版界でこう考える人は多いだろう。(p49)
 ケータイ小説を読んでいると「こんな下らないもの!」と罵りたくなるが,しかしノベルス版で大量生産されるミステリーであるとか,文庫本の官能小説も似たようなものである。(p52)
 本が売れるためには,まず有名にならなければならないのだ。(p55)
 原稿料や印税率が低下する最大の理由は,出版不況が続いて出版社の経営が悪化しているからであるが,書き手の変化という要因も大きい。一言でいえば,書き手のアマチュア化である。たとえば大学の教員なり会社員なりが,自分の専門知識を生かした本を書く。本業ではないから,印税についてあまりうるさいことはいわない。(p59)
 取り換え可能なのはライターだけではない。小説家だって似たようなものだ。(中略)表現物の唯一性と代替不可能性は,作家だけが信じているにすぎない。(p66)
 「Webマガジンは選択したくなかった。志向性の強い読者しか来なくなりますから。偶然でも手にとってもらう機会がなくなるのは,雑誌にとってつらいことです(p88)
 「朝の読書」と「読書マラソン」を取材してみて,「若者の読書ばなれ」という紋切り型の言い方が,いかに表面的なものでしかないかを痛感した。(p105)
 むしろ大人の読書離れのほうが問題だと考える人が,最近は増えている。しかもそれは大人自身にとって問題であるだけでなく,子どもの読書環境としても問題である。(p106)
 世の中には何の抵抗もなく本を読んで意味をつかむことができる人と,本を読むこと自体にたいへんな労力を要するだけでなく意味をつかむのに苦労する人とがいる。(中略)読書あるいは文字文化との親和性に関連した格差は存在するのではないか。(中略)しかもその格差は親から子へと拡大再生産される。(p106)
 日常的に書店に足を運ぶ人は,世の中全体で見ると少数派なのかもしれない。もう何年も書店に行っていない,という人は意外と多い。いや,本を扱うことで生活しているはずの書店員・書店主のなかにも,ほとんど本を読まないという人がいるのだから。(p107)
 よく「電車の中で本を読む人も減りましたね」なんて言うけれども,それは思い込みにすぎない。「読書ばなれが進んでいる」と思って電車内を見るから,「本を読む人が減ったなあ」と感じるのである。これは「青少年の犯罪が増えた」というのと同じ。統計を見ると青少年の犯罪は激減しているのに,犯罪が増えているように思わされているだけだ。(P124)
 では,新書は誰が読んでいるのか。「学生か中年男性の二つですよね」と田口(久美子:ジュンク堂書店)さんは言う。学生は大学の授業で使う。(中略)「どうして女性は少ないんでしょうね。不思議よね」(p133)
 新書はどれだけロングセラーにできるかが重要だと思う。でもそれは本の力だけじゃないのよね。たとえば背にある整理番号のつけかた一つで,棚の補充のしやすさが変わるの。些細なことなんだけど,長い目で見ると,それがロングセラーになるかどうかを決めていたりするのよ。(p134)
 05年のベストセラー1位は『頭がいい人,悪い人の話し方』だった。06年の1位は『国家の品格』だった。07年の1位は『女性の品格』である。なんと3年連続で新書が首位だ。しかもこの3冊がそろいもそろってクズみないな内容である。(中略)クズ本の山に埋もれて,真っ当な本が見えなくなってしまっている。(p136)
 08年春から大学に勤務して驚いたが,いまどきの大学生はほんとうにお金を持っていない。(中略)だた,みんな身なりがこざっぱりしているので,ひどく貧乏そうに見えないだけで。(p164)
 文学賞に限らず,賞はどんな作品が選ばれるかでその後の性格が決まる。読ませ大賞も,第1回が『鏡の法則』でなければ,その後も続いていたかもしれない。(p165)
 かつて私は,リリー・フランキーを出版業界のリトマス試験紙と呼んでいた。イラストレーター,エッセイストとしては,以前から一部で人気が高かった。だがそれはあくまで「一部」だった。編集者の間でも評価は二分していた。好悪ではない。「わかる」「面白い」と言う人と,「わからない」「つまらない」と言う人のギャップが激しかった。リリー・フランキーがわからない編集者に未来はない,というのが私の考えだ。(p168)
 ベテランの書店員や編集者に聞くと,ベストセラーの「つくられかた」には変化があるようだ。誰もが指摘するのが「一極集中」である。売れるものはすごく売れるが,売れないものはぜんぜん売れない。だが,売れるものと売れないものの質的な差はそれほどでもない。(中略)消費者は売れているものに飛びつく。「売れている」という事実によって,さらに売れる,加速する。(p178)
 私の半径3メートル以内だけの印象かもしれませんが,自分も含めて最近急速にネットに対する関心が薄れてきているんですよ。この前会った雑誌の編集者はメールはチェックするけど情報の収集にネットを使うのはもうやめた,と言ってました。(中略)ネタ集めにはネットはほとんど使えないと実感したそうです。僕もよく大学での講義のとき,学生にアンケートを取るんですけど,彼らもネットに関心を持っていないですね。まあ,対象が早稲田の編集者志望の学生ばかり,という特殊性はありますが。(p218)

2017年10月16日月曜日

2017.10.16 渡辺和子 『面倒だから,しよう』

書名 面倒だから,しよう
著者 渡辺和子
発行所 幻冬舎
発行年月日 2013.12.20
価格(税別) 952円

● 置かれた場所で咲きなさいもそうだけれども,タイトルがいい。内容をひと言で言い表してもいる。
 しかし,こういう本を何度読んでも,自分は何も変わらない。凡夫の悲しさ。

● 以下にいくつか転載。
 人には皆,苦労を厭い,面倒なことを避け,自分中心に生きようとする傾向があり,私もその例外ではありません。しかし,人間らしく,よりよく生きるということは,このような自然的傾向と闘うことなのです。(p17)
 「何をおっしゃいます。一回一回が仕始めで,仕納めでございます」(p19)
 マザー・テレサに,こんな言葉があります。「私はいつも心の中に,死んでゆく人々の最期のまなざしを忘れていません。この世で役立たずのように見えた人たちが,死の瞬間に“愛された”と感じながらこの世を去ることができるためなら,何でもしたいと思っているのです」(p23)
 年齢のいかんにかかわらず,一人ひとりが忘れていけないのは,時間の使い方は,そのまま,命の使い方だということなのです。そんざいに生きていないか,不平不満が多くなっていないかを,時にチェックしてみないと,私たちの使える時間には限りがあるのです。(p26)
 「神さまの教えとは何ですか」と問われたとしたら,「あたりまえのことを,心をこめて実行すること。与えられる一つひとつのいのちも,ものも,両手でいただくこと」と答えるでしょう。(p36)
 「どうせまた同じことをするんだからいいわ」と思っても,一回一回をていねいにしなければいけないということ。人間にとって全く同じことは二度とあり得ませんから(p44)
 つまずかない人生を送ることが,人間にとって大切なのではありません。人間のこと,つまずくのはあたりまえ,ただ,その時くじけてしまわないことが大切なのです。(p49)
 時間の使い方はいのちの使い方。この世に“雑用”という用はない。用を雑にした時に,雑用が生まれるのだ(p53)
 「あなた方には,脱いだはきものを揃える自由があります」(中略)自由に生きるということは,好き勝手をすることでは決してなくて,“よく生きる”自由を行使することなのです。(p61)
 あまり人に流されないということです。(中略)相手がていねいに話をすれば,私もていねいに話しをする,相手が無愛想なら私も無愛想に,という態度ではなく,相手がどうであろうとも,私は私,人は人として生きるということです。(p69)
 何もかもぶちまけるのが親しさではありません。親しさというのは開示性の度合いではなく,相手の独自性を尊重する度合いです。(p75)
 人にいうと愚痴になることを抑えて自分の中に納めていくと,人はそれだけで美しくなります。(p77)
 マザー・テレサはびっくりするほど,厳しいお顔をしていらっしゃいました。聖人のようなお優しい表情かと思っていたら,お目も,お顔つきも厳しくて,しかもある意味で憂いを持っていらっしゃいました。(p80)
 働き盛りの五十歳の時いただいたうつ病,六十代半ばでかかった膠原病,その副作用による骨粗鬆症,三度の圧迫骨折とその痛み,そして逃れることのできない老いの重荷,その一つひとつを,両手でいただいて,これからもみことばに支えられて生きてまいりたいと存じます。(p102)
 自分の好きなものだけを愛するのであれば,それは自己愛です。(p129)
 相手の言うことに耳を傾ける,そしていうべき時にはいうけれども,いわなくていいことを相手の話を遮ってまでいわない。そこに「思いやり」があるのです。(p136)
 私は,不機嫌は,立派な環境破壊だと思うのです。(中略)許すこと,ほほえみを交わし合うことを惜しまないようにしましょう。一生の終わりに残るものは,我々が集めたものではなくて,我々が与えたものなのですから。(p144)
 看護の「看」という字は「手」と「目」と書きます。お薬などももちろん大事ですが,看護の原点は温かい手とまなざしであり,そのぬくもりにより人の心は癒され,満たされるのです。(p155)

2017年10月11日水曜日

2017.10.11 Workhack Project編 『手帳Hacks!』

書名 手帳Hacks!
編者 Workhack Project
発行所 技術評論社
発行年月日 2007.05.25
価格(税別) 1,380円

● Hacksというほどのことはないかも。手帳の使い方を説いているわけだから,内容上,古くなることはそんなにないと思うんだけど,わりと安直というか,手間暇をかけないで作っている本だと思う。

● とはいえ,以下にいくつか転載。
 手帳に書くときは,一切体裁にこだわらないというのが,手帳の達人たちに共通した意見です。(中略)こだわらないで,どんどん書き込んでいくことが,手帳を上手に使うための最低条件です。(p52)
 人間の思考回路は,何かに関連付けられた情報でなければ,記憶の糸をたどることができません。単なる言葉やキーワードからは,どんなに素晴らしいアイデアだったのかを思い出せなくなってしまうのです。(p56)
 書くスペースに余裕があると,ついつい余計なことを書いてしまいます。これはつまり,情報の取捨選択ができていない状態になっているのです。(p75)
 アイデアを生み出すためには,脳を刺激することが一番です。手を使って鉛筆やペン,筆といった筆記用具で文字や絵を書くことは,それだけで脳を刺激することになっています。(中略)パソコンの前に座ってアイデアをひねり出すよりも,鉛筆を使っていろいろ書き出したほうがアイデアは出てきます。(p94)
 最近の研究では,ワーキングメモリには短期記憶だけではなく,学習や経験で蓄積された長期の記憶を引き出す重要な機能があることがわかりました。(中略)ですから物忘れを防ぐには,手書きでメモを取ったり,自分の日記を付けたりして,短期記憶を活用し続けなくてはいけません。(p97)
 スケジュール管理の最大のポイントは,まず仕事の完成図をつくることからはじめます。どんな仕事でもそうですが,完成図から逆算して考えると,何をすべきかが明確になり,無駄な作業が省け,最小の努力で最大限の効果を望むことも夢ではありません。(p100)

2017年10月9日月曜日

2017.10.09 渡辺和子 『幸せはあなたの心が決める』

書名 幸せはあなたの心が決める
著者 渡辺和子
発行所 PHP
発行年月日 2015.09.25
価格(税別) 1,000円

● 平易な文章だけれども,その平易さに力がある。ヨソから引っぱってきたものではなく,著者が自分の生身から絞りだしたものだからだろう。

● 以下にいくつか転載。
 「この世の中に,神以外のものはすべて被造物であり,不完全なものである」(p15)
 「人を許さない人は,また,他人の支配下にある人なのです」(p18)
 私たちの誰一人として,この世に自分から望んで生まれてきた人はいません。ということは,つまり皆,生きることに自信を持っていないのです。だからこそ,つらいこと,苦しいことの多い人生を生きてゆくためには,「あなたは生きていていいのだ」という,他人からの励ましと優しさが要るのです。(p28)
 「人間の自由とうのは,諸条件からの自由ではなく,これら諸条件に対して,自分のあり方を決めていく自由である」(p44)
 世の中のすべての人から見放されたように思う時も,決して自分で自分を見捨てることがない人でいてください。(p49)
 所詮,人間が見通せることには限りがあって,長いめで見ると,案外,物事は異なる評価を持つものですから。(p61)
 人間が人間であるために一つの条件は,実は「いつも幸せではあり得ない」ということ,「その生活の中には必ず幾分かの不幸せのかげが落とされている」ということではないでしょうか。(p63)
 世の中,「かくかく,しかじかあるべきだ」という思いこみをたくさん持てば持つだけ,不自由になります。(中略)それは結局,思いこみというのは,その実現において他人に依存する部分が多いからでしょう。(p64)
 ある人が,自分に負わされた十字架の重みに耐えかねて,神に願いました。「もっと軽いのに替えてください」。大小さまざまな十字架が林立している部屋に案内された彼は,その中から,大きさも重さも気に入ったものを選び出し,神の前に出ました。「これなら一生負ってゆけそうです」。そして気づいたのです。それは最前,自分が肩から外した十字架であったということに。(p72)
 劣等感は誰しもが持つものです。しかしながら,劣等感のかたまりのような人は決して美しくありません。なぜなら,人は,「自分」のかけがえのない価値にめざめて,生き生きと自分の生活をしている時にのみ美しいからです。(p91)
 「一つひとつ,音をさせないように,静かに置いてごらんなさい。さらに,そこに座る人が幸せになるようにと,心をこめて置いてごらんなさい」(p109)
 「面倒だ」と思った瞬間,「だから,しない」のでなく,「だから,する」こと。他人様が入っていらしたら,立つ。他人様とお話しする時はマフラー,手袋を外し,コートも脱ぐ。ポケットから手を出す。(p115)
 人間関係を和やかにするのに,「の」の字の哲学というのがあります。たとえば,夫が会社から戻ってきて,「ああ今日は疲れた」と言った時に,(中略)「ああそう,疲れたの」と,相手の気持ちをそのまま受け入れてあげることがたいせつなのです。(p129)

2017.10.09 帯津良一 『まぁるく生きる』

書名 まぁるく生きる
著者 帯津良一
発行所 海竜社
発行年月日 2014.07.02
価格(税別) 1,300円

● 著者がそちこちに起稿したエッセイを集めたもの。ので,テーマが線に沿って展開していくというものではない。
 細かいことにこだわるな,歩け,早起きしろ。そういうことが元気な老後の秘訣なのだよ,と言っている。

● 以下にいくつか転載。
 自分の時間が欲しいなどと思わないのはこの忙しさのすべてが自分の時間だからなのだ。(p47)
 朝が好きだ。だから早起きの人が大好きだ。何の仕事であれプロフェッショナルは早起きである。良い仕事をするためにはかならず仕込みの時間が必要だからだ。(p48)
 足腰が衰えると,どうしても世間が狭くなって,頭脳の衰えにつながるのではないだろうか?(p69)
 卵管がんと闘いながら『がん患者学』なる力作を物にした柳原和子さんは,多くのがん患者さんたちに頼られて,交流を深めていた人だが,あるとき私に,永く生きている人の共通項は何だかわかりますかと問うたことがある。さあ? と口籠っていると,歩いている人ですよと言う。(p98)
 気功の三要は調身,調息,調心。調身は上虚下実すなわち肩の力が抜けて下半身に力が漲っている状態。調息とは息を整えることで調心とは雑念を払って一つ事に集中できる心を用意することである。反対に調息,調心。調身の三要素を備えていれば気功ということになる。(中略)いちばん手っ取り早いのは呼吸法ではないだろうか。(中略)吸うことと吐くことに少し気持ちを込めればいいのである。(p102)
 食とは大地のエネルギーが作物として結実したものを食物として体内に取り入れて,内なる生命場のエネルギーを高めることである。この場合,大地のエネルギーをふんだんに持ち合わせている作物とは,いま目の前でにょきにょきと生えて来たものであることは言うまでもない。そこで旬のもので地場のものが好いということになる。(p123)
 この世は修行である。修行には困難が付き物である。というよりは困難によってこそいのちのエネルギーは飛躍的に高まるのである。(中略)その困難の一つが病なのである。(p155)
 彼ががんになってよかったと話してくれたことがある。それは自分が宇宙人であることが確信できたことだという。広大な宇宙を構成するまぎれもない当事者であると。(p159)
 まずは日用品に愛着をおぼえない。(中略)人さまのものを借りてすませて平気の平左なのだ。(中略)大体がこれでなければいけないということがないのである。(p183)
 以前は早朝ということもあって観音像に向かうだけで声に出さずに心の中だけで読経をしていた。ところがある時,いまでも敬愛してやまない鎌田茂雄先生に一喝されたのである。腹の底から出る大声で唱えなければ駄目だと。たしかにその通りだ。すかっとした気分になる。(p190)
 生命の謎はあくまでも深く,宇宙の広大無辺さはとても手の内に入らない。だから人間,いくつになっても初々しさを失わないのが道理なのだ。(p201)
 主治医が生きているのが不思議なくらいだと言うほどの病状で,しかも感染性の病だというのに,彼らはものともせずにやって来るのだから,子規がいかに魅力的な男だったか想像がつくというものである。(p242)

2017年10月8日日曜日

2017.10.08 茂木健一郎・松岡修三 『ポジティブ会議』

書名 ポジティブ会議
著者 茂木健一郎・松岡修三
発行所 アスコム
発行年月日 2017.06.01
価格(税別) 1,000円

● 副題は「たった一度の人生をマックスに!」。

● 以下にいくつか転載。
 いま,ここに,いかに浸るか。余計な過去とか未来とか考えないでいまに全力をつくすこと。それが結局,未来につながるというのがマインドフルネスの考え方。(茂木 p19)
 自分と対話する習慣を身につけること。これを意識することなくできるようになると,ふだんから自分を客観的に把握できるようになる。(茂木 p22)
 もともと脳にはとてつもない可塑性があって,無限に変わっていくことができる。変わるための最高の方法が感動すること。(茂木 p28)
 ネガティブな記憶が求めているのはちゃんとした意味づけ。だから,その記憶を否定しようとすると戻ってくる。(茂木 p38)
 想像しているときがいちばん怖いじゃない?(茂木 p57)
 口角を上げて,目尻を下げる。笑顔になっていたら,マイナスのイメージも言葉もあまり浮かんでこないんです。(松岡 p63)
 人生の3分の1といわれる睡眠の時間を楽しめなかったらどうするんだと僕は思うんです。だから,僕はどうやって寝るのをたのしもうかといつも考えています。(松岡 p72)
 かなり現実的にイメージします。目を閉じたら,寿司屋の玄関を開けるところから始まり,カウンターで職人の技を堪能しながら1貫1貫食べていきます。もちろん,味もリアルです。そうすると5,6貫ぐらい食べたところで寝ていますね。多分,笑顔だと思います。(中略)羊を数えるというのもわかりますけど,僕はやらされている感があるんです。(松岡 p73)
 でも,脳科学が究極の突き抜けた人の見方を教えてくれた。脳は機械なんだからと。ある意味では寂しい見方だと思うけど,いちばん人間を肯定しているような気もするんだよね。(茂木 p93)
 マインドフルネスで最も根本的な考え方を教えるね。(中略)それは価値判断をしないこと。それが最もポジティブな態度なんだよね。(茂木 p95)
 成功するための要素は,自分の中では賢いことだけど,他人から見ると愚かに見えることだって。(中略)成功するには,自分の中ではハッキリとした確信があっても,世間からは「あんなことやってバカじゃないの?」といわれるくらいじゃなきゃダメだってことなんだよね。(茂木 p104)
 声を出すと力が抜けて体のキレが増すんですよ。キレがよくなるのは,呼吸法なんですけどね。スポーツはマネから入ったほうが上達は早いと思います。最初は,イメージと体の動きが一致しないでしょうけど,俺はコナーズだと勘違いすることで,コナーズのように正しくラケットを振るイメージがつくれますから。(松岡 p112)
 じつは天才なんていないんだって説があってね。天才といわれる人たちは,ただずっとやってきただけだって。(茂木 p112)
 人工知能がここまで急速に発達した理由のひとつは,手本になる人のことを徹底して学んでいることなんだよね。(中略)人間はそれをやってない気がする。まず,手本の観察をしていない。(茂木 p114)
 しかも,観察してみると,すごくシンプルで,やってみると難しいものはそんなにないんですよ。(松岡 p115)
 ある大学の授業を1学期の間,ずっと受け続けた生徒とその授業の様子を2秒だけ見せた生徒の,「この授業がどれくらい面白いか」という評価がほぼ一致するんだって。たったの2秒だよ。これは有名な研究で,人間は2秒ぐらいでものすごい量の情報を得ているということなんだよね。それなのに使ってないことが多いと思わない?(茂木 p120)
 ずーっと首尾一貫して同じことを言わなきゃいけないというのは,かえって違う気がするんだよね。(茂木 p143)
 僕には,「○○してやってる」という感覚はゼロ。応援は,自分のためにしかやってないというとらえ方でやってます。(中略)選手に気を使わせて,「応援ありがとうございます!」といわせてしまうのがいちばん嫌ですね。(松岡 p158)
 マジシャンの前田知洋さんが面白いことをいっていたね。「最高のマジシャンは,自分がマジックをしていることを忘れている人だ」と。(茂木 p164)
 スポーツ選手の厳しいトレーニングや緊迫するシーンって,脳にとっては快楽なんだよ。(茂木 p165)
 登山なら,山を降りて帰ってくると,いつもの景色が違って見える。これが大事。それを人生の中で,いくつもつくっていく。(茂木 p166)

2017年10月7日土曜日

2017.10.07 石川悟司 『手帳は2冊持ちなさい』

書名 手帳は2冊持ちなさい
著者 石川悟司
発行所 フォレスト出版
発行年月日 2010.09.14
価格(税別) 1,300円

● このタイトルじゃ読む気がしない。のに,なぜ読んだのかというと,著者がMnemosyneの開発と販売に携わった人だとの紹介があったから。

● 新人のうちは1日1ページのものに何でも書くように,中堅になったらウィークリーを,部下を持つようになったらマンスリーを使うように勧めている。
 要するに,全体を把握する,部下の予定も把握するためには,そうした方が理に叶っていると言うのだが。

● 以下にいくつか転載。
 本書では「仕事を俯瞰する能力」を身につけるための「手帳活用法」を提案していきたいと思います。(p3)
 私は普段,手帳やノート,メモなどの文房具の企画・開発をしています。その際,強く感じるのは「誰にでも,どんな場面にも使える最強のツールなどあり得ない」ということです。(中略)実際に使う人は「いったいどんな人なのか」「どんな仕事を,どんなふうにしているのか」などを必死で考え,想定しながら,それぞれの人にフィットするさまざまな商品を開発していくわけです。(p27)
 「自分にピッタリの手帳が見つからない」とあなたが感じている一番の原因は,たくさんの機能を,一つの手帳に求めすぎているからかもしれません。(p31)
 時間管理が苦手な人にはある共通点があります。それは,仕事のボリュームがわかっていないという点です。(p50)
 私は,ウィークリータイプを使って時間管理をする場合,「どこに予定が入っているか」より,「どこが空いているか」「どこを空けておくべきか」という空き時間を大切にしています。(p67)
 何日も放置されている項目なら,「これは本当にやるべきことなのか」を改めて精査すべきです。リストに挙げてはみたが別に必須ではないという業務なのかもしれません。(p102)

2017.10.07 日経デザイン編 『文具と雑貨づくりの教科書』

書名 文具と雑貨づくりの教科書
編者 日経デザイン
発行所 日経BP社
発行年月日 2016.03.23
価格(税別) 3,300円

● 日本の文具は世界に冠たるもの。車と同じ。高級感をまとわせるのはドイツやイタリアに遅れを取っているけれども,安心して使えて,ここまで考えているのかと驚かされるのは日本製の方。
 というか,日本人が勝手にドイツ製やイタリア製に「高級」を感じたがっているだけかもしれない。バカは外国製品を使っていろ,と,かなり本気で思っている。

● 本書はその日本製品について,メーカーの責任者や担当者にインタビューをしたり,製品を解析したりして,その成果をまとめたもの。

● 以下にいくつか転載。
 多くのメーカーが高い海外販売率を実現しており,日本の文具・雑貨は一目置かれる存在です。その秘密は,潜在的な不満やニーズをいち早く見つける観察力と,その観察から導かれた豊かな発想力にあります。そして絶え間ない技術開発を続ける姿勢です。(p3)
 消しゴムだってそう。きちんと消せないとそこにとらわれてしまい,考えが止まる。いわば,思考の用心棒のような存在が文具なんだと思っています。だから,最小限の機能であっても品質が良いものでないといけません。(小川晃弘:トンボ鉛筆社長 p24)
 「これは,本当に使えるのだろうか」というものはダメです。ユーザー自身も気付いていない,「こうだったらいいな」という気付きを形にして見せ,習慣さえも変えてみせるのがプロの仕事です。(中略)行動を観察することはもちろん,人間そのものをよく知ることが,文具の開発には欠かせません。(小川 p25)
 ヒット商品というと,いかにも大勢の人から支持を受けているような感じがしますよね。でも,皆が皆買っているわけではないモノがほとんどなんです。(中略)ヒット商品というのは「10人に1人」が買ってくれるモノなんだと気付いたんです。(宮本彰:キングジム社長 p68)
 「これが欲しかった」「出たら,必ず買う」という,“待ちに待った”商品でなければ売れない。裏を返せば,「まあま欲しい」という人が10人中7人いる商品ではなく,9人が「全然欲しくない」と言っても,「必ず買う」という強烈な支持者が1人いる商品の方が可能性はずっと高い。(宮本 p70)
 文房具は身近な商品だから,「自分だったら欲しいか」という観点で皆が判断しがちです。それが間違いのもの。自分の気持ちは置いておいて「『これが欲しい』と言う人がどれくらいいるか」という計算をできないといけません。(宮本 p70)
 自分として理解できる商品だと「イケるんじゃないのか」とつい思ってしまう。でも,「イケるんじゃないのか」程度の商品なんて,今は誰も買いませんよ。(宮本 p70)
 皆さんに結構ほめていただいているのに,全然売れない商品というのは多いんですよ。「欲しい」と言われても,「買うほど欲しい」とは限らない。(宮本 p71)
 「失敗したら社名に傷が付く」などと言いますけれど,全然,傷なんて付きませんよ。失敗したら売れないわけですよね。そんな商品,すぐに忘れられて商品名すら人の記憶に残らないでしょう。だから,失敗しても誰にも何にも傷なんて付きません。(宮本 p71)
 リサイクルペーパーの用途が限られているのは,紙がオフィスの中に留まっているためと分析した。つまり,上手に「運ぶ」ことができれば,リサイクルペーパーの用途が広がると考えたのだ。(p87)
 海外製品でも,評判のいいノートはいろいろあります。そういう製品はなかなか考えられているとは思いますが,いろんなことを細かく煮詰めていない製品が多い。(名児耶秀美 p121)
 日本の文具の特徴は,商品の良さをきちんと評価できる市場と,それに応えて改善や改良を重ねていくメーカーのモノづくりの姿勢が,うまく合致している点にあると言えるでしょう。(高畑正幸 p122)
 それはメーカーのインハウスのデザイナーたちの努力を抜きにしては語れません。(高畑 p125)
 デジタル機器の普及が,かえって紙とペンの持つ本質的な特性の見直しを促し,(中略)書く行為そのものを楽しむ商品が多数登場してきました。(高畑 p125)
 Y2のデザインの発想は,今ある「モノ」や「仕組み」を何も否定しないことから始まる。(中略)企画を依頼するメーカーも,依頼されるデザイナーも大抵は「何か新しいことをしなければ」と思う。しかし,今を単純に否定すれば,無理が生じ,見当違いな商品になる。(p145)
 消費者はモノを買うとき,伝統工芸品だから買うのではない。素敵だと思うから選ぶ。(p149)
 アイデアを持っているのは我々ではない。そこで,外からのアイデアをどう吸収して商品に生かせるか,ということに集中してきた。(p197)
 自分たちには,マスキングテープしかない。ならばやれることは1つ。テープ1つで世界がこんなに変わる,こんなにいろんな楽しみ方ができる,という圧倒的な体験を顧客に絶え間なく提供し続けることだ。(p200)
 人気商品が常に抱える問題として類似品が多いことも事実だ。(中略)そうした状況で,一般消費者はどのように違いを見出すのか。ゼブラに聞いたところ,意外なことに「価格だ」と言う。(p246)

2017年10月6日金曜日

2017.10.06 内田 樹・釈徹宗 『聖地巡礼 コンティニュード』

書名 聖地巡礼 コンティニュード
著者 内田 樹・釈徹宗
発行所 東京書籍
発行年月日 2017.09.01
価格(税別) 1,800円

● シリーズ,4冊目。今回は対馬。副題は「対馬へ日本の源流を求めて!」。
 本書で蒙を啓かれたところは2つある。ひとつは,日本神話は対馬発祥であるらしいこと。古き日本が対馬には残っていること。
 もうひとつは,対馬に朝鮮半島から受けた文化的影響の痕跡は皆無であること。地理的に近いから影響を受けるという単純なことではないらしい。

● 案内役の永留史彦さんが主役。情報の提供役。著者二人はそれに乗って勝手に喋っているだけ。もっとも,それが編集方針かもしれない。

● 以下にいくつか転載。
 やっぱり旅の友は司馬遼太郎ですよ。『街道をゆく』です。頁折りすぎて,一体どこが大事なんだかわかんなくなっちゃいましたけど。(内田 p13)
 「じゃあ対馬では朝鮮の文化と日本の文化が融合しながら発達していったような形跡があるのか」と,よく聞かれるんですが,そういうものはほとんどありません。(中略)言葉なんかもですね,対馬の言葉,特に対馬の南端の豆酘という所には,対馬の中でもまたちょっと独特の方言が残っていたりします。(中略)対馬に残るそういう言葉は,中世以来の日本の古い言葉だということがわかりました。(中略)古い朝鮮語の影響というのはまったくない。(永留 p16)
 対州ソバは名物ですね。源流がわからないんですが,対馬では,縄文時代の貝塚から蕎麦の実が見つかっています。だから,それがそのまま続いていたとしたら,対馬の蕎麦はもっとも古代の蕎麦に近いんじゃないかと。(永留 p68)
 植生ですね,やっぱり,風土感というのは。(内田 p77)
 近代化があれほど早く可能になったのも,幕藩体制があったからだと思います。日本中に人材がいたわけだから。中央集権一極集中だったら,あんなことできませんよ。(内田 p93)
 体制が腐るときは頭から腐っていくわけだから,一極集中で頭が腐ったら手がつけられませんよ。(内田 p93)
 永留 南のほうも対馬海流は流れてはいるけど,幅が広い分,流れは穏やか,航海しやすいです。水道にホースをつないで,口を細くすると勢いが強くなる。あれと同じです。(中略) 内田 離れているほうが渡りやすくて,近いほうが渡りにくい。ここは流れが速いんですね。 釈 距離じゃないんだ。(p106)
 対馬に阿麻氐留(あまてる)神社というのがあります。この阿麻氐留神社というのも,天照大神を祀るようになって阿麻氐留神社になったんじゃなくて,その逆じゃないかというのが神話研究者の定説なんですね。(永留 p137)
 永留 海で生活する人たちにとってはね,遭難した人は助けるというのが,これがまず原則なんですね。 内田 そうか,海民の常識なんだ。海民というのはね,砂漠のノマドと同じだという話を,前にしていましたよね。(中略)砂漠でもね,荒野の彼方から到来して旅人は必ず幕屋を上げて歓待しなければならない。(p183)
 聖地は大体この世とあの世の境界線上にあるんです。海と陸の境界は「さき」と呼ばれるんだと中沢新一さんの『アースダイバー』に書いてありました。(中略)今は海岸線が遠ざかって,海なんか見えないような町中でも,古い岬の突端だった地には今も神社仏閣,病院,大学,墓場,そしてラブホテルがあるのです。(p241)
 釈 ここに来たら,日本神話をリアルに実感できますね。 内田 本で読むとリアリティーないけど,ここに来るとリアルですね。(p243)
 対馬を巡って,あらためて「日本の宗教は神道で,仏教は外来の宗教だ」などといった捉え方がいかに見識がせまいかっていうのがよくわかりました。神道もかなり外来ですから。(釈 p252)
 政治が絡むと聖地は力を失います。でも,延喜式から延々とやっているわけだよね。千年以上前から政治は宗教に介入している。(内田 p257)
 昔,天安門の前で行進するとき毛沢東がいたり朱徳がいたりして,後ろのほうにレーニンとかマルクスとかエンゲルスの写真も一緒に行進してたじゃないですか。あれは中国共産党の境内に,ご祭神としてマルクスやレーニンを勧請しているんですよ。(中略)毛沢東神社に合祀しちゃうの。毛沢東神社の神格を高めるために,いろいろと有名で霊験あらたかなご祭神を勧請してくる。(内田 p258)
 考えてみたら,パレスチナ地方の一民族の神話が,キリスト教の展開によって世界中で共有されることになったわけです。我々が日本人の神話として共有しているのも,いくつかある部族の一つの神話だったのでしょう。(釈 p263)
 全く国境を閉ざされてしまうと,ほんとうの日本の辺境になっちゃうんですよ。(中略)国境が開かれていると,外国への窓口になるんです。閉ざされると条件が一八〇度変わります。(永留 p274)
 「貧すれば鈍す」って,ほんとうに汎用性の高い教訓ですよ。経済的余裕がなくなると,人間は思考力が衰えるんです。(中略)「金がある人」というのは「金のことを考えない人」のことです。ですから,逆も同じで,実際はどれほど貧乏でも,「金のことを考えない人」は「金のある人」なんです。暇だから。(中略)自分は「貧乏だ」と思っている人は四六時中お金のことばかり考えて,お金さえあればすべてが解決するというシンプルな思考にはまり込んでしまう。(内田 p331)
 釈 何度も聖地巡礼をやっていて,体感的にわかったことなのですけど,「ある程度歩いて到達しないとダメ」な気がします。 内田 ダメです。いきなり,「はい,聖地に着きました」というのは。(p338)
 倍音声明で面白いのは,自分は声を出さないで,ただ他人の声を聴いているだけの人には,倍音がちゃんと聴こえてこないということです。超越的な音,誰のものでもないその音を聴き取るためには,自分のパーソナルな,自分に固有の声をその場に差し出さなければならない。(内田 p357)

2017年10月2日月曜日

2017.10.02 中川 裕 『図解! 頭のいい人のメモ・ノート』

書名 図解! 頭のいい人のメモ・ノート
著者 中川 裕
発行所 ぱる出版
発行年月日 2017.01.30
価格(税別) 1,300円

● 本書で役に立つのは次の一文。これさえ憶えておいて拳々服膺すれば,あとはすべて忘れてよい。
 「めんどうだから・・・・・・」とメモを取らない人は多いと思いますが,実はメモするほうがずっと楽なのです。(p19)
● 仕事はつねに「P(計画)」→「D(実行)」→「C(評価)」→「A(改善)」という「PDCA」サイクルを意識して取り組みましょう。(p56)
 これはダメだ。やりもしないうちから,どうして計画が立てられるのか。やりもしないうちに立てた計画に何の意味があるのか。
 まず「D(実行)」がある。「D(実行)」→「C(評価)=A(改善)=P(計画)」の2サイクルだ。これ以上,細かく分けない方がよい。
 とにかく,手始めは無手勝流で「D(実行)」。やってみることだ。

2017年10月1日日曜日

2017.10.01 和田秀樹 『上流に昇れる人,下流に落ちる人』

書名 上流に昇れる人,下流に落ちる人
著者 和田秀樹
発行所 幻冬舎
発行年月日 2006.08.25
価格(税別) 1,300円

● この性癖は○(→上流),これは×(→下流)と,大括りする。たいていの人は,その両方を持っていると思う。自分はどっちが多いかと楽しみながら読めば良いのではないか。
 ちなみに,ぼくは×の方が多かった。下流に向かうタイプだ。何とはなしに納得している。

● 具体的にこれは自分が批判されているのではないかと思ったところも,何ヶ所かあった。ギクッとした。
 しかし,参考になるところも多いだろう。こういうのをバカにしてはいけないと思う。膝を打ちたくなる一文もあった。

● 茂木健一郎さんが書いているところと,かなりの部分は同じ結論になっている。生活の知恵・ノウハウとして信憑性の高いもの,と受けとめていいのじゃないか。

● 以下に,転載する。
 私のみるところ,上流力は,「自分の頭で考える力」と「人とうまくやっていく力」の掛け算になる。足し算ではなく,掛け算である。掛け算である以上,いずれかの数値が高くても,もう一方の数値が極端に低ければ,その「積」としての能力値はゼロに等しくなってしまう。(p5)
 人間は,何歳になっても変わることができる--これは,私の精神科医としての確信である。(p6)
 「オリジナリティがある」というのを最高の褒め言葉だと,いまだに信じている人。「自分らしく生きたいなどと,なんの疑問もなく思っている人-こういう人は,まず上流には昇れない。多くの場合,そういう人は「オリジナリティ」とか「自分らしさ」を,「自分だけが持っている他の人と違う美点」と解釈している。そもそも,それが間違いなのだ。(p16)
 「オリジナリティ」「自分らしさ」を見つけたければ,まず人の真似をすることだ。(中略)そっくりそのままなぞったつもりでも,まったく同じにはできないはずだ。(中略)そのちょっとした違い,それこそがあなたの“個性”なのだ。(p17)
 「見た目と中身が違う」っていう言い方するでしょ。だけども,それは嘘だと思うのね。っていうか,表面だけが本当だと思うのね。(p23)
 服装に無頓着な人は,どこかで社会とのつながりを拒否したいと考えている。(p24)
 持って生まれた気質はそう簡単に変わるものではないが,考え方にちょっとしたアクセントをつければ,よりよい方向に向けることはできるものだ。そのキーワードは「バカなことを考える」である。(p36)
 グッドアイデアというものの多くは,まだ誰も実行したことのないアイデアのこと。つまり,その時点では風変わりであって当たり前なのだ。それを「そんなもの聞いたこともない」と退けていては,いつまでたってもいいアイデアは生み出せない。(p37)
 完璧主義という言葉は真面目さの代名詞のようにも使われるが,現実のビジネスシーンでは,好結果をもたらさないことが少なくない。(p39)
 先にあいさつをするかどうかで,明るい人か暗い人か,好感を持たれるかどうかの印象は,まず分かれる。心理的に言ってあいさつは先手必勝なのである。(p46)
 自己愛型,あるいは境界型のパーソナリティの偏りを抱えている人に多いが,そういう人は,アドバイスの内容が何であれ,「ネガティブなことを言われた」ことを「否定された」「攻撃された」と受け止めるのである。(p50)
 忠告やアドバイスというのは,親しい間柄でもそうそうできるものではない。相手を怒らせたり,気まずくなるリスクを覚悟のうえで,相手はあえて指摘してくれているのだ。(p50)
 大人が子供に言って聞かせるような「みんな仲よく」という“方針”は,大人社会ではとても貫けるものではない。「嫌いな人は嫌い」,それでいいのだ。(p55)
 たとえ組織内にいたとしても,「デキる人」というのは,たぶんに一匹狼的な要素を持っているものである。それは,人づき合いが悪いとか,孤独を愛するなどという情緒的なものではなく,ひとりで考え,行動し,結果を出すことができるという意味だ。すなわち,組織の流儀ではなく,自分流の仕事の方法論を持っている人である。(p59)
 他人に甘えることを恥ずかしいと思い込むのは,かたくなすぎる生き方だ。実際問題,人に上手に甘えられる人は,他人の好意を引き出し,協力を仰ぐのが得意な人といえる。(p64)
 上手に甘えるには,相手の自尊心を思い切りくすぐることだ。具体的にいえば,「教えてください」「助けてください」という言葉を使うといい。(p65)
 大きな仕事をしようとすれば,決断を下す場面で,敵をつくる覚悟を必要とするものだ。「敵もつくれないヤツは仕事もできない」というのは,まんざら嘘ではない。(p66)
 自分自身の怠け心と戦うためにも,敵は必要なのだ。(p67)
 未処理の「to do list」をたくさん抱えるよりも,すぐに処理済みにしてしまって,さっさと次の段階に駒を進める。何事も即時処理がいちばん効率的なのだ。(p75)
 ニンジンは「手の届きそうなところ」に置くからこそ効果的で,はるか彼方にあっても馬は走ってくれない(p77)
 コピーライターの仲畑貴志氏は,キャッチコピーを書くときに,まず「早い話が○○○○」と書いてみるという。「早い話が・・・・・・」-心の中でいつもそうつぶやいていれば,必ずやコミュニケーションの達人になれるはずである。(p82)
 適度な自信を心中に抱いていれば,適度な「自己有能感」に満たされるはずである。「自分はできる」「自分ががんばれば,何事かを変えられる」という自信は,自然にやる気へとつながっていく。(p84)
 自分ひとりの力には限界があることをよく認識して,人の協力を上手に得られる人のほうが,はるかに“頭のいい人”といっていい。(p90)
 考え込んでいる間,あるいはそう装っている間は,実際に行動しなくてもすむ。その間,プレッシャーや不安,恐れから,身をかわすことができる。(中略)スポーツ選手がトレーニング方法について頭をめぐらせるばかりで,実際に体を動かして練習していないようなものだ。(p92)
 相手にいらぬ敵意を植えつければ,いつどんなしっぺ返しを食らわぬとも限らない。さらにそういう下手な勝ち方は,周りの人々の心まで冷え冷えとさせてしまう。(中略)仮に,それまでは非礼を受けた側への同情心があったとしても,怒りを爆発させる姿を見れば,たちまちその同情心は消えてしまう。(p98)
 チャーチルは,「人間から性的感情を取り除いたら,何も残らない」とまで言い切っている。口説いてみたり,わざとそ知らぬフリをしてみたり,騙し騙されの男と女の奇々怪々な関係。それを面倒くさがって避けるようでは,仕事での成功もおぼつかないといえるのだろう(p103)
 「これはおかしい」「あれもいかがなものか」と,いつまでもいまいましい気持ちを抱え込むのは,おおむね“笑い欠乏症”にかかっているときである。(中略)逆にいえば,成功を願うなら,よく笑い,よく人を笑わせる人になることだ。(p104)
 ユーモアの真骨頂は「自分自身を笑える能力」である。たとえば,失敗感に打ちのめされているときは,深刻になって,なかなか笑えないものだ。だが,それを乗り越えたあとになってみれば,「あんなバカなことをして」と笑えるようになるものだ。(p105)
 仕事でミスをしたときは,「仕事が立て込んでいて忙しかったから」-知らず知らずのうちに,自分の責任を回避し,他者や環境に理由を求めようとするのである。だが,自分を守ろうとして,人のせいにしたり,環境のせいにしても,失敗を乗り越えて成長することはできない。(p108)
 「不満」が現状打破のカギになると気づけば,たとえそれが上司や部下への小さな不満であっても,単なる酔っぱらいの愚痴で終わることはなくなるはずだ。具体的な対策がもし見つかれば,マネジメントのスペシャリストにだってなれるのだから。(p114)
 そんな無価値な禁欲生活を送るよりは,(中略)仕事(勉強)と遊びの両立を図ったほうがいい。(中略)「遊ぶ人ほど,仕事がよくできる」というのは,ビジネスをめぐる不変の法則といっていい。(p119)
 “常識”や“良識”は,社会生活を送るために必要なものだが,あまりにそれに縛られると,生産的な発想はできなくなってしまう。最初に気をつけたいのは,自分自身の言動に縛られることである。(中略)自分らしさというものは,意識しないでも自然に表れるものであり,むしろ,そのときに思ったとおりに素直に考えたほうが,「自分らしさ」は発揮されると,私は信じている。(p123)
 二兎を追うものは一兎をも得ずは,すでに昔の話。いまや,一石二鳥を狙うのが,成功への近道といえる。(p132)
 私たちは,当てにならない記憶力をどのようにカバーすればいいのか。私は,原始的ではあっても「頻繁にメモをとる」,それ以外の方法はないと思う。(p138)
 持って生まれた性格には,変わらない部分もある。たとえば「気が小さい」と言われる人は,子供のときから気が小さかった,というケースが多い。(p145)
 クエ博士は,自己暗示の効果を上げるコツとして,「マイナス言葉の省略」を挙げている。たとえば,「痛みは消える,痛みは消える,痛みは消える」と繰り返し唱えるより,「痛み」という言葉をなるべく使わずに,「痛みは消える,消える,消える・・・・・・」と唱えたほうが,効果が上がるというのだ。(p156)
 「男は黙ってサッポロビール」というコピーがあったように,かつては男は口数の少ないことが美徳とされたものだ。しかし,そんな時代でも,口数の少ない人はなにかと損をしていたものである。(p158)
 プラス情報は,相手に言うと喜ばれ,喜ぶ顔を見るとこちらもうれしいという心理が働くので,もともと伝わりやすい。(p175)
 たとえ論理的説明であっても,大勢の前で上司に赤恥をかかせるのは,情のない話である。情を欠いては,いくら論理的でも人を動かすことはできない。(p179)
 安定とマンネリは紙一重である。機械的な刺激に乏しい日常から,斬新なアイデアが生まれる確率はきわめて低い。(中略)人間というものは,だいたい保守的にできているから,ある「型」を見つけて,その方法が安全だと気づくと,そこで思考停止する傾向が強い。(中略)重要なことは,ときには「自分の型を壊す」こと(p183)
 デキるビジネスマンは,総じて読書家とみてまちがいない。(p194)
 自宅まで届けてくれる通販は便利ではあるが,“デキる”といわれている人物なら,おそらく時間をやりくりしてでも,書店へ足を運んでいるはずだ。書店は時代の空気を読むのに,最適の場所だからである。(p195)
 メニュー選びに限らず,“小さな決断”を棚上げし,人にまかせるような人には,重要場面でも決断を下せないタイプが多い。そして,その傾向は決断を避けるたびに深まっていく。(p198)
 何かの着想を得たいとき,一時間机に向かって何も浮かばないのであれば,二時間,三時間粘ったところで,結果はほぼ見えている。そんなときは,一五分でも外に出てみて,脳をリフレッシュさせたほうが,望外のアイデアに恵まれる確率はよほど高まるはずである。(p203)
 前向きになれないから落ち込んでいる人に,「前向きになれ」と言っても,それは何の解決策にもなっていない。むしろ,そんなときは“後ろ向き”というか,過去をふりかえったほうが,自信回復のきっかけになることがある。「過去の自分に自信をもらう」といってもいい。(p205)

2017年9月29日金曜日

2017.09.29 砂川しげひさ 『コテンコテン流 クラシック超入門』

書名 コテンコテン流 クラシック超入門
著者 砂川しげひさ
発行所 東京書籍
発行年月日 2000.07.19
価格(税別) 1,200円

● 砂川自在流の音楽エッセイ。読み方は自由。

● 以下にいくつか転載。
 クラシック・ファンは基本的に人が称賛する曲には異を唱える輩だと思ったほうがいい。(中略)音楽評論家の新聞評でも,ベタボメの文章なんか発表したら,クラシック・ファンから総スカンを食うのだ。(中略)世渡りのうまい評論家はどこかをホメれば,かならずどこかをケナスのを旨としている。(p12)
 ぼくは毎日のようにこの公園をウォーキングしている。ウォーキングの理由は,健康のためもあるけど,音楽を聴くためでもある。(中略)で,リスニング・ウォークに何を聴けばいいか。(中略)いちばん適しているのはバロック音楽。強弱もあまりなくまんべんなく聴こえるのがいい。(p42)
 ぼくは,なんでいまだにピアソラがこんなに持ち上げられているのかさっぱりわからないのだ。たかがアルゼンチンのダンス音楽ではないか。(p77)
 よくオーディオ雑誌などで,超高級スピーカーやアンプのある部屋を紹介したカラー写真を見るが,あれは,音楽ファンというより,オーディオ・ファンだろう。純粋の音楽ファンとは区別したほうがいい。(中略)ある有名な音楽評論家の重鎮などは,CDが出現する前まで,畳の間の片隅でモジュラー型の電蓄!で音楽を聴いていたという。ほんとうはそういうので音楽を十分に堪能できるのだ。(p82)
 フルトヴェングラーの「ドン・ジョバンニ」なんか,ずっと昔にビデオ・テープを買ったが,映像と音の悪さでうんざりしていた。それがDVD版になると,なんて鮮明な映像とクリアなサウンドになっていることか。(中略)とにかくオペラは高いチケットをはたいて行かなくても,十分タンノウできるという結論に達したのだ。(p136)
 さて,クラシック紳士淑女諸君。クラシックをずっと聴きつづけてきた君たち。こむずかしい音楽学者のご託や,ロバ耳評論家に惑わされることなく,ひたすら自己の感性にしたがって,クラシックを楽しんできたファン諸君。(p153)

2017年9月28日木曜日

2017.09.28 伊藤浩志・pha 『フルサトをつくる』

書名 フルサトをつくる
著者 伊藤浩志・pha
発行所 東京書籍
発行年月日 2014.05.07
価格(税別) 1,400円

● 「フルサト」とカタカナなのは,生まれ故郷という意味での故郷ではなく,今住んでる都会とは別の場所に人為的に住まいを作ろうよ,という提言だから。
 著者たちは東京に住んでいる。でもって,熊野の廃屋(?)を共同で購入して住めるように直して,地域共同体とも係わりながら,自分たちの「フルサト」を作っている。
 主には,その熊野での活動を例にしながら,なぜ「フルサト」なのかを諄々と説いていく。

● “地域共同体とも係わりながら”と言ったけれども,著者たちはそこに意味を見出しているようでもある。たんなる田舎暮らしの良さということではなくて。
 ある意味で,流行の先端なのかもしれない。現代社会病理学のテキストとしても読めるように思う。

● ぼく一個は,これが滔々たる流れになるとは思わないけれども,過疎に見舞われて,何とか地域振興を図る手立てはないかと悩んでいる,地方の人たちにも参考になるのじゃないかと思う。

● 以下に転載。
 変化が大きい現代社会は,常識的に安定と思われることのほうがリスクが高いことが往々にしてある。安定しているとは,世の中が動いている時期に止まっていることであるから当然である。日々チャレンジいていったほうが,変化に適応できるから長期的に見たら安定していると言える。(伊藤 p11)
 何か変化を生み出すには小さな常識を超えることが不可欠だ。不安で思考が充満すると視野狭窄になって変化を生み出せなくなる。(伊藤 p11)
 大事なものの多くは感覚的なものだ。例えば,暖かさだ。人間は,寒いと後ろ向きな気分になりやすい。(伊藤 p11)
 並列に並んだ情報を比較していくうちに決められなくなる。こういうのは,勘と人との出会いで決めてしまうのがいい。(中略)理屈を超えた衝動が起きないと変化は起こせない。(伊藤 p18)
 コミューンみたいな移住者だけで地域づくり組織とかつくっても意味がない。それは都市の企業を移植しただけである。単一の価値観でまとまった組織には寿命がある。(伊藤 p19)
 イエス・キリストも自分の生まれた土地では奇跡を起こせなかったという。自分の子供の頃のことや自分の家族を知っている人たちがたくさんいる場所では思い切ったことがなかなかできないものだ。(pha p38)
 通常,建築物というのは,計画とコンセプトを最初にがっちり決めて作り上げる。これは西洋的な手法と言ってもよいだろう。この,企業では当然の手法はそれなりの教育を受けて経験をみっちり積んでいて感覚の優れた人でないと大したものはできない。(中略)だからこそ,素人は1日といわず住みながら考えるぐらいのことをすればよいと思う。(伊藤 p92)
 生活すること自体が価値になるのが21世紀だろうと思う。そこがおろそかだと,いくら時間をかけて働いても人生の質が上がりにくい。(伊藤 p94)
 世の中には廃棄物が多い。急ぎでなければ捨てられる資材を気長に集めることができる。にもかかわらず資材を買うということは,集める手間を省くためにお金を使って時間を買うことと同じである。(伊藤 p95)
 同じ人間だけでずっと過ごしているとどうしてもいろいろ溜まったりよどんだりしてくるものがあるので,「人がある程度循環している」というのが居心地の良い場所を作るときに大事な点だ。(pha p126)
 どんな世界でも新規ユーザーに厳しいジャンルは衰退する。(pha p128)
 あまり先のことを決めすぎるのは不自然だと思うし,誰かが何十年もずっと継続しているようなことだって,結局は短期的な予定の積み重ねだったり偶然の成り行きだったり単なる惰性だったりすることが多い。(中略)人生なんて結局「ちょっと,とりあえず」の積み重ねに過ぎないんじゃないだろうか。(pha p129)
 フルサトで仕事をつくるのは都市と違ってマネーを最優先させなくても良いということである。仕事は第一には面白いからであり,さらに他者との関係をつくるためであり,そのついでに生活の糧を得るという順番である。(伊藤 p143)
 遊びになるくらいの感覚で働くほうが集中力が出て質があがるだろうし,無理して働いているよりも人の能力が発揮されると思う。なにしろ個人のやるべき仕事は工夫と細やかさが勝負なので,やっている人の精神の余裕が鍵になってくる。(伊藤 p144)
 自給活動はマネーを稼ぐための活動よりも費用対効果がよいことが多く,狙い目の分野なのでいろいろ検証してみる価値がある。(中略)自給力をあげたほうが楽だし,コントロールできる生活の範囲が広がる,というのが私の意見である。(伊藤 p148)
 現代社会が何かとお金がかかるのは,サービスの交換に中間の人が増えすぎたのが一因だが,直接交換ができればだいぶ交換コストが下がる。インターネットは基本的にこの中間をなくすように発展していくので,全体の傾向としてはこのような中間のコストは省かれていくだろう。(伊藤 p157)
 もしかしたら,交換するものは究極的には物資やサービスではなく挨拶だけでもよいのかもしれない。挨拶の交換で楽しくなれれれば,無料で気分よくなれるのだからかなりの儲けもんだ。(中略)しかし一方では,昨今の挨拶は「あいつは挨拶ができない」と減点評価するために使われている。とてもつまらない現象だ。(伊藤 p158)
 ここで考えたいのは「経済とはマネーの交換だけじゃない,とにかく何かが交換されればそれは経済が生まれたと言ってもよいのではないか」ということだ。交換が活発であれば人は他人同士がうまくやっていける状況ができている,これが大事だろうと思う。地域経済活性を「お金と交換してもらう」とか,そういう意識で捉えている人は,はっきり言ってズレている。(伊藤 p159)
 モノが飽和したこの時代においては,モノによる充足よりも自分の体を動かして普段できないことをする,ということにも価値がある。(伊藤 p169)
 徳島県上勝町の葉っぱビジネスは,発案者の横石知二氏が自ら料亭に通い詰めて,どういう葉っぱがつまものにふさわしいかを実感できるレベルまで探求した,ということから発展してきていた。(中略)使う側の生活実感をしるかが勝負どころだった。生活を探求するというのがいかに大事かというのが分かる。(伊藤 p174)
 バックパッカーが集まる都市には必ず安宿街がある。そして安宿街には,安く泊まれるゲストハウスと,気軽にごはんを食べられるレストランやカフェと,古本屋があるものなのだ。(pha p211)
 都会にはどんな文化でも同じジャンルに詳しい人がたくさんいるので,ちょっとやそっとのレベルではなかなかイベントを開いて人を集めにくかったりする。田舎だったら人が少ないので他に同じことをやっている人があまりいないから,趣味の延長として気軽に文化的なイベントを開催しやすい。(pha p215)
 ともすると経験値のある人ほど「めちゃくちゃ大変やぞ」と脅してくることがあると思う。それが正しいこともあるが,しかしどう大変なのかということを具体的に聞いてみないと,それが真実味があるのか分からない。(伊藤 p231)
 高齢化社会の問題の一部に,老害問題がある。私は,ごく一部の権力を持った高齢者が力を振り回して被害を起こすという老害は,メディアで目立ちやすい大御所の社会的影響力の増大,高齢化による思考力の減退,さらには趣味文化の低下による暇の処理不能,この三点がセットになったときに発生すると考えている。(中略)もし追求したい趣味があれば隠居のタイミングを逃さずにすむのだが,無趣味だとやることがないから仕事に逃げる。(伊藤 p236)
 そこで大事なのは,書を書くなら書くこと自体を目的にすることである。うまく書いて褒めてもらおうとか,狭い業界で評判を得たいなどと考えていると本末転倒だし,来訪客に自分の作品を無理矢理見せたりして迷惑がられるのがオチなので,せめて老年期までにはつまらん承認欲求を軽々と無視して技芸趣味に没入できる枯れた境地を目指したい。そのためには若いうちからやれることをやっておく必要がある。(伊藤 p238)
 理論をレクチャーするタイプの授業は講師によって質にバラツキのある集団講義じゃなくて動画で開いてしまえばよい。人から直接教わるのも大事なので,それは別途集中的に実習や研究を現場で行う。動画配信と合宿の組み合わせの教育を行えば,これまでの教育機関の内容を超えられる可能性は十分ある。(伊藤 p247)
 人の活力が落ちれば企業の活力も落ちる。これまで地理的な高齢化や過疎化が問題視されてきたが,今後は企業の高齢化問題が顕在化してくる。過疎化する企業が出てくるだろう。(伊藤 p254)
 世の中を見渡してみると,様々なジャンキーが存在する。延々と転職情報を集め続けて行動しない,というのは転職情報ジャンキーであるし,使わない資格を取り続けるのも資格ジャンキーである。使わないのに一気に買い物してしまうというのも消費ジャンキーだし,他人の悪口を収拾して話すのがやめられない,というのも罵詈雑言ジャンキーであろう。これらの原因は共通している。「暇」である。(伊藤 p255)
 デジタルジャンキーが生まれやすいというのは個人的にはスマートフォンなどのデバイスやツールの問題だけではなく,他に刺激的なことが無いからだと思う。多くの人にとって一見刺激的なように見えて都市の風景は視覚聴覚どちらの面でも退屈である。(中略)直線的な建物が並ぶだけなので複雑性が圧倒的に足りない。(中略)だから自然の複雑な環境からの情報を得るための感知能力を持て余してしまう。(伊藤 p256)
 空き家が急増していて,しかも人口が増えない状況を考えると,家をもっていることよりも,住むことのほうが価値を生み出すといえる段階に来ていると思う。この際,逆家賃を発生させてもよいかもしれない。つまり,住むこと自体が仕事になるような状況である。(伊藤 p262)
 社会というのはおおむね保守的なものだから,追い詰められないと変わらないものだ。逆に言うと追い詰められたときこそが変化するチャンスだ。(pha p274)
 その時自分がいる場所によって思考の内容が変わるということをよく考える。(中略)だから,ときどきいる場所を変えるといろんな視点を持ったり考え方を柔軟にしたりしやすくなるので良いと思う。(pha p302)

2017年9月24日日曜日

2017.09.24 帯津良一 『不良養生訓』

書名 不良養生訓
著者 帯津良一
発行所 青萌堂
発行年月日 2011.01.27
価格(税別) 1,300円

● 副題は「まじめな人ほど病気になる」。本書のキーワードは「攻めの養生」。ストイックになりすぎるな,ということだろうか。
 健康診断の数値にあまりとらわれるのはバカバカしい。玄米食,菜食,マクロビオテックなどに凝り固まるのは,よろしからず。健康に悪いとされることに過度にビクビクするな。体にいいものより美味しいと思える食事がいい。
 つまり,ぼくのようなズボラな人間には,はなはだ都合のいいことが説かれている。

● 以下にいくつか転載。
 「養生」は,体を休ませる「守りの養生」ではなく,「攻めの養生」でいくべきで,小さくまとまらず,時にははみ出したり,狼藉を働いたり,あるいは死んだふり(?)をして体をかわしたりということも大事なのです。(p3)
 健康のための健康を目指すのではなく,楽しく充実した人生を送るために健康を目指すことです。そうすることで,このタイプは身も心も活発で,心のときめきを感じ,それによって命のエネルギーを高めています。(p21)
 ウォーキングには大きく手を振る,いつもより速く歩く,といった方法がありますが,私はただ楽しく歩くをモットーにしています。長続きさせるには,それくらいの気楽さが必要で,目尻を釣り上げて「健康のために鍛えなくては」と意気込む必要はありません。(p34)
 たとえば,「早寝早起き」がすべての人にとって善ではなく,時間が許すのなら「遅寝遅起き」でも一向にかまいません。他人から,ぐうたらと見られようと,自分の信念を貫き通す覚悟が必要なのです。(p54)
 症状が重くない限り,お酒の量に一喜一憂しないほうがいい,というのが私の考えです。一生懸命に働いて,その疲れやストレスを癒してくれる代償と考えれば「γ・GTP」の値なんぞに神経質になり過ぎるのはナンセンスの極みなのです。(p61)
 がん細胞などを攻撃し,体をウイルスなどから守ってくれるリンパ球は,副交感神経を高めることによって増えるそうです。(中略)それには体を温めることが最も効果的なのです。(中略)お酒もまた血液の循環をよくさせ,体を温める効果があるのです。(p61)
 世間一般でいう「健康にこだわった食事」は往々にして“主義”になりがちで,菜食主義や玄米主義など,あらゆる主義が横行しているように見えます。(中略)食物によって得られる栄養価の吸収は人それぞれでまったく異なり,排出のされ方にも個人差があります。(p70)
 ニジマスはエサの多い川の真ん中に集まる習性があるそうです。一方,一部にはエサの少ない川の岸辺を泳ぐニジマスもいます。魚の世界にも異端児がいるのでしょう。この二つの習性を持つニジマスを比べると,川の真ん中にいるニジマスのほうが大きいと思いがちですが,そうとは限らないのです。その理由は川の真ん中は流れが速く,体力を消耗してしまうからです。ひろさんは,日本人は川の真ん中に行きたがる傾向が強い,と話していますが,それは人生観や仕事観に限らず,健康観にも通じるところがあります。(p77)
 人体のなかにも物理量の総体が連続してあるわけですから,当然そこには「場」が存在するはずです。(中略)人体は「気」を物理量とする「場」によって構成しており,そこに臓器と臓器が浮かんでいるのです。その場こそが「生命場」であり,この「場」のエネルギーと自然治癒力を高めるために「攻めの養生」が不可欠になってくるのです、(p90)
 私の周りの医者で食事の前にせっせと手洗いをする人はまずいないと思います。さらに,それが原因で何らかの病気になったという話も聞いたことがありません。(p97)
 医や食に関する“常識”は不変ではなく,研究などによって新たな“常識”が出現する可能性は非常に高いのです。それなのに,今“常識”とされている医学情報や健康知識にかんじがらめになっているのはナンセンスの極みです。(p127)
 いくら栄養価の高い食品でも,おいしいと思って食べなければ身にならないのは当然のことで,食と心は深くつながっていると考えられます。(p133)
 人間の本性はかなしみにあり,人間は明るく前向きにはできていないということをここで強調したいと思います。(中略)「明るく前向き」と思われていた人ほど,じつは精神的に弱い面があることがわかってきました。病状の悪化を告げると「明るく前向き」な人ほど落ち込みが激しいのです。(p148)
 藤原(新也)さんによれば,かなしみを抱いた人は自分の胸に聖火のような炎を抱いていて,その聖火には他人をいやす力があるというのです。(p151)
 閑職に身を委ね,汗もかかず,同僚ともたいしてコミュニケーションを取らずに5時頃退社するような人生が幸せでしょうか。このような生活を続けていたら,交感神経は働かず,副交感神経ばかりが働いて体調は次第に悪化してきます。(中略)ストレスをなくそうとしたり,解消しようと悩まず「ストレス,どんと来い」くらいの気概を持てば,うまくつき合えるのではないでしょうか。(p156)
 私の知る限り玄米食やマクロビオテックを実践している人たちは,顔が青白く,声が小さくて滅多に笑わないことが多いのです。(p160)
 いわゆる,難病の会のような組織がありますが,そのごく一部では健康食品やサプリメントを法外な値段で売っているところがあります。(p166)
 欧米と比べ,日本人に比較的多いがんの一つに肝臓がんがありますが,アルコール摂取量がはるかに少ない日本人に肝臓がんが多いのは,薬と関係しているという説があります。たしかに,胃薬,風邪薬,鎮痛剤などのコマーシャルがこれほど,テレビ,雑誌などのメディアに登場している国はめずらしく,薬好きの国民といえます。(p168)
 受診勧奨判定値は国内の各臨床学会が認定した基準にのっとっているのですが,保健指導判定値には何の科学的根拠もないといわれています。それなのに数値ばかりが一人歩きをして,検診の結果,一喜一憂する人が増えているのは合点がいきません。(p179)
 高血圧の原因には塩分の摂りすぎ,肥満,分銅不足,喫煙,ストレスなどが指摘されています。しかしこれも気にしすぎるとろくなことはありません。(中略)塩分やおいしいものをガマンすることがストレスになり,血圧を上げてしまうことが多いのです。(p188)

2017年9月23日土曜日

2017.09.23 樺沢紫苑 『脳を最適化すれば能力は2倍になる』

書名 脳を最適化すれば能力は2倍になる
著者 樺沢紫苑
発行所 文響社
発行年月日 2016.12.20
価格(税別) 1,480円

● こういうタイトルに惹かれてつい読んでしまうという人,いるんでしょうなぁ。って,人のことは笑えない。自分がそうだもん。
 ほどほどにしときなさいよ,自分。

● 要はこういうことが書いてある。以下にいくつか転載。
 幸福は誰かからもらうものではなく、どこかから手に入れるものではない。われわれの脳の中に,幸福を発生させる物質が存在しているのです。脳内物質である「ドーパミン」が分泌されたとき,私たちは幸せを感じます。夢のない話でありますが,「ドーパミン分泌=幸せ」なのです。(p33)
 きわめて壮大な夢を持っていたとしても,それだけではドーパミンは出ません。あまりに壮大すぎるからです。ドーパミンが出ないということは,モチベーションがなかなか続かないということです。(p59)
 やる気が出ない。何もしたくない。モチベーションが上がらない。そういう人の多くは,運動不足に陥っている可能性があります。(p79)
 「なに不自由ない生活をおくっていたのに」という言葉がありますが,脳科学的に言えば,「なに不自由ない生活」ではドーパミンが出ません。「満足した生活」を得てしまうと,それ以上の目標設定や目標達成ができなくなり,ドーパミンが分泌されなくなる。つまり幸福感が得られないのです。(p84)
 財を成した大会社の社長が,次のように言っていました。 「若い頃は貧乏だったが,将来を夢見て必死に頑張っていた。毎日が充実していて,今考えると,その頃が一番幸せだった」 10年,20年という努力の先に,幸せがあるのではありません。その努力の階段を上がり続けている「今」が,実は一番幸せなのです。(p85)
 締め切りに迫られて短時間でこなした仕事は,質が低くなるような気もするかもしれませんが,私の経験から言えばむしろ逆です。(p99)
 商品というのは,ザックリ分けると2通りしかありません。「不快・不便を解消する商品」と「快を与える商品」です。(中略)このとき,どちらが強烈かといえば,ノルアドレナリン型モチベーションの方が強烈です。「快」は今すぐ手に入れなくても,日常生活に大きな支障はありませんが,「不快」は今すぐにでも取り除きたいからです。(p109)
 「仕事大好き人間はうつ病にはならない」と思っているのかもしれませんが,ストレスに好きも嫌いもないのです。(p122)
 休日を意識しない生活は,結果として身体を壊したり,うつ病になります。日本人の自殺率が先進国最大なのも,休息より仕事を重視する価値観が,当たり前になっているからだと私は考えます。(p158)
 書いたものを声を出して読むと,自分が書いた文章でありながら,人が書いた文章のように聞こえてきます。客観的な判断ができるのです。(中略)原稿の音読は,脳を刺激し,気分転換し,さらなる執筆意欲をかき立ててくれる素晴らしい方法です。(p196)
 あまりに客観的に見てしまうと,映画はつまらなくなります。それよりも登場人物,特に主人公に感情移入して見たいものです。共感がなければ感情移入はできません。「感情移入できた=共感できた」ということです。(p203)
 パワフルに活動する人とそうでない人の一番の違いは,私は「睡眠」だと思います。(中略)私は,最も重要な仕事術を1つ選べと言われたら,「きちんと睡眠をとること」と答えます。(p224)
 早起きに最も効果があるのは,早起きです。がんばって早起きをすることで体内時計がリセットされ,「早寝早起き」のサイクルが始まるのです。(p240)
 メラトニンが睡眠や生体防御において重要な役割を発揮している基礎データはあるのですが,その効果がサプリメントで得られることを証明するデータは非常に乏しいようです。(中略)脳内物質に関する全てのサプリメントに言えることですが,外から摂取するのではなく,生体内で合成,分泌されるものが一番なのです。サプリメントとして摂取するよりも,メラトニンが出やすい生活,行動をすることが何倍も重要です。(p246)
 この側坐核の神経細胞が活動すればやる気が出ます。ただし,側坐核の神経細胞は,ある程度の「刺激」がきたときだけ活動を始めます。ずっと待ち続けていたら,いつまでも刺激が得られないのです。頑張ってでも作業を始めると,そのことが側坐核への刺激となります。(p253)
 午前中には「論理的作業」に重点をおき,午後からはアセチルコリンが活躍する「創造的作業」に重点を置いてみてください。これによって,あなたの仕事効率は飛躍的に向上するはずです。(p268)
 ひらめきというのは,「ゼロから素晴らしいアイデアが生み出される」ことではありません。単なる脳内での情報連結です。材料は,すでに頭の中にあるのです。素晴らしい発想をするためには,たくさんの情報をインプットしておく必要があります。たくさんの本を読む。多くの情報を得る。いろいろな体験をする。数々の試行錯誤をする。それによって,ひらめきが得られるのです。(p272)
 ひらめいたその瞬間に,書き留めることも重要です。ひらめきは神経細胞の発火(電気的活動)に過ぎません。(中略)脳の中の神経の発火は,瞬時に消失してしまいます。ひらめきは記憶には残らないと思ってください。(p273)
 アルツハイマー病の予防に最も効果的な生活習慣は,「運動」です。(中略)歩行などの有酸素運動によって,脳内の「コリン作動性神経」が働き,大脳皮質や海馬でアセチルコリンの放出量が増加して,血流が増えます。さらに,脳内コリン作動性神経が活性化されるため,大脳皮質の毛細血管が拡張し,閉塞して脳血管の血流の低下が軽くなって神経細胞が虚血による死滅から保護されるのです(p279)
 チクセントミハイは,フローに入りやすい人たちの例として,職人,料理人,流れ作業の職工などを挙げています。これらに共通する特徴は,仕事の段取りを完全に把握していることです。「次に何をやろうか?」「次に,すべきことは?」ということをいちいち考えない。(中略)実は,「次に何をやろう?」という疑問が,一番集中力を妨げるのです。(p315)
 なぜ「感謝の心」を持てる人が成功するのか? その理由は,人に感謝するとエンドルフィンが分泌されるからです。人に感謝するときも,人から感謝されるときも,人間は幸福感を抱くのです。(中略)失敗に感謝する。「失敗から学べてよかった」と考えられる人は,成功へと大きく加速します。エンドルフィンを出すことができるからです。(p317)
 あなたは,おそらくビジネスマンでしょうから,「仕事力をアップさせること」や「仕事の効率化」を実現して,バリバリ働きたいと思っているはずです。ですが,私は精神科医なので,そうした働き方を推奨しません。それよりも,あなたに病気にならないでいただきたい。(p327)
● つまり,早起きして運動しなさい,何事にも感謝しなさい,ということ。本書の提言はこれに尽きる。

2017年9月20日水曜日

2017.09.20 二宮敦人 『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』

書名 最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常
著者 二宮敦人
発行所 新潮社
発行年月日 2016.09.14
価格(税別) 1,400円

● ぼくも音楽はわりと聴く方なので,演奏家が幼い頃から楽器を始めていることは知っていた。また,そうじゃないとプロになるのは難しいのだということも。
 しかし,その様相の具体は当然わからない。そのあたり,本書は突っこんだ取材をしている。なるほど,そうだったのか,と思うことが何度もあった。

● 総じて,音校(音楽学部)よりも美校(美術学部)の方が破天荒だ。ぼくは美術に親しむというにはほど遠い生活をしているので,美術を生むのがどういう人たちなのかぜんぜん知らなかった。
 こういう人たちだったのかと蒙を啓いてもらった。何というのか,突き抜けているんですね。ぼくとは生きてる世界がそもそも違う。

● だけど,本書で紹介されている人たちでもって,藝大の全部を染めてしまっていいのだろうかとも思った。本にしやすいように,あるいは内容を面白くするために,極端な例だけを残したということはないんだろうか。
 しかしなぁ,「天才たちのカオスな日常」というのは,言い得て妙だと思わされた。

● 以下に,多すぎる転載。1冊全部引き写したくなるくらいなのだ。
 つまり,その場限りの一発勝負なのよ。作品がずっと残る美校とは,ちょっと意識が違うかもしれない。あと,音楽って競争なの。演奏会に出る,イコール,順位がつけられるということ。音校は順位を競うのが当たり前というか,前提になっている世界なんだよね。(p34)
 音校の中でも邦楽科は特に厳しいようだが,全体的に美校よりも時間の意識は強い。作品がおいてあればよい展覧会と違い,演奏会は奏者が欠けたら成立しないのだ。(p36)
 ピアノにしろヴァイオリンにしろ,声楽にしろ,スポットライトを浴びるのは自分だ。お客さんは演奏だけでなく,演奏者の振る舞いや指の動き,容姿や表情まで含めて楽しむ。(中略)こちら(美校)の場合はあくまで作品が主役。作品を見てもらえば,作者の外見なんてどうでもいいのだ。(p37)
 美校の妻と音校の柳澤さんとでは,同じ芸術を愛する者でも異なる部分がある。それはお金との関わり方だ。そもそも,妻はお金をあまり使わない。貧乏やケチとは少し違う。作れるものは何でも作ろうとするのである。(p37)
 私,月に仕送り五十万円もらってたなあ。音校は何かとお金がかかるのよ。学科にもよるけど。例えば演奏会のたびにドレスがいるでしょ。ちゃんとしたドレスなら数十万円はするし,レンタルでも数万。それからパーティー,これもきちんとした恰好でいかないとダメ(p41)
 私,洗い物したことないのよ。ピアニストにとって指は商売道具だもの。傷つけて演奏ができなくなったら大変,練習できないだけでも困る。一日練習しないと,三日分ヘタになるって言うくらいだからね。重いものも持たないし,スポーツもしない。それは,プロならばより意識しているはずよ。私も高校の頃は,体育は見学してた。(p43)
 そもそも,ある程度の資金力がないと藝大受験は難しいんだよ。もともと私は器楽科のピアノ専攻を目指してたから,大阪から東京まで,新幹線でピアノの塾に通ってた。月謝と交通費だけでも,相当のお金がかかるよ。(p46)
 美校の現役合格率は約二割。平均浪人年数が二.五年。(中略)音校では事情が違う。肩を壊してピアノを断念した柳澤さんによると,浪人する人は少ないそうだ。(中略)「時間の問題かな。卒業が遅くなったら,それだけ活躍する時間が限られちゃうから」(p48)
 音楽家たるもの,演奏は全て一発勝負だ。一発勝負に弱くては話にならない。(p52)
 藝大のレベルは総じて高い。音校なら演奏技術,美校ならデッサン力。そういった,いわば基礎の部分にまずは高い能力が求められる。だが,それはできて当たり前。なぜなら努力で何とかなる部分だから。藝大が求めているのは,それを踏まえたうえでの何か,才能としか表現できない何かを持った学生だ。「光るものを持っている」と審査する教授に思わせることができないと,合格点は得られないようである。(p58)
 他人の描いた日本画には,どうやって描いたのかさっぱりわからないような絵もあるんです。負けたくなくて,自分もいろいろなやり方を試すんです。(中略)一般の人に向けて描くというより,日本画をやる人に向けて描く,そういう意識があります。(p68)
 僕,没頭してしまうんです。四十時間描きつづけるとか,よくやります。それで息切れしてしまって,描けなくなります。(そんな時はどうするんですか)掃除をします。(中略)掃除して部屋を綺麗にします。いらないものを捨てたりして・・・・・・他にやることを全部なくしてしまうと,絵に向き合うしかなくなります。そして,絵の前に帰って来るんです。(p69)
 音校の,特にピアノやヴァイオリンに入る人はね,三歳くらいで人生の進路を決めてしまうことになるのよ。(中略)小さい頃から音楽漬けで,ようやく藝大に入ることができる。卒業してからもずっとその道を歩くわけでしょう。自分の意思で決めたのならいいけど,三歳とかだとどうしても親にやらされて,になっちゃうから・・・・・・(p72)
 藝大生はみんな,僕には天才に見える。しかし,そんな藝大生をして「あいつは天才だ」と言わしめる藝大生も存在する。音楽環境創造科の青柳呂武さんも,その一人だ。「僕は,口笛をクラシック音楽に取り入れたいんです」(p79)
 二人とも独特の緩さがある。絡繰り人形で世界に打って出るとか,口笛の魅力を世界に知らしめるとか,これ一本で食べていくとか・・・・・・そういった勇ましい,積極的な言葉を彼らは使わない。考えもしていないようだ。こんなに凄い人たちなのに,どうしてそうなんだろう? 佐野さんが何気なく口にした。「僕,ものを作っている時間が,好きなんです」(中略) 誰かに認められるとか,誰かに勝つとか,そういう考えと離れたところに二人はいるようだ。あくまで自然に,楽しんで最前線を走っていく。天才とは,そういうものなのかもしれない。(p97)
 座学の必修単位は二十単位そこそこしかないそうだ。(中略)取ってしまえば,残りの卒業要件は実習だけ。(中略) 「サボっちゃう奴もいるんじゃ・・・・・・」 「でも自発的に作らないと,あまり意味ないから」(p100)
 妻のお母さんが,腕組みしながら苦笑した。「ルーヴル美術館でね。本当に,全然動かなくなっちゃって」(中略)なんと,妻はえんえん五時間以上も「サモトラケのニケ」だけを見つめ続けたという。(p112)
 曲を弾くだけで,作曲家(ショスタコーヴィチ)の憤りがありありと伝わってくるそうなのだ。(p116)
 とにかく練習ですね。授業のない日なら,だいたい九時間くらいは自主練します。休憩を挟んで,三時間を三セットという感じで。(p119)
 コンクールは何回やっても緊張します。緊張で八割の力しか出せないなら,実力を二割増しにできるよう練習しなければいけません。本番で実力以上の力が出ることはないですから。(p120)
 例えば同じドでも柔らかいド,情熱的なドなど,上手い人ほど全然違う音を使い分けられるんです。私,衝撃を受けた出来事があって。小学校の頃にですね,父が流していた『くるみ割り人形』のCDを聴いてたんですが,それがまるでオーケストラみたいに聞こえたんです。ピアノの演奏だったのに,ですよ。凄くいろんな音の広がりがあって。(p122)
 ピアノやヴァイオリンを小さい頃から始めたほうがいいというのは,体の理由もあるのよ。(中略)体が作られる時期に練習をすることで,楽器に適した体に成長するの。その時期を逃して後から始めると,もうそれだけで差がついちゃう・・・・・・(p123)
 音楽の世界って厳しいです。みんなライバルですし,人間関係もどろどろした部分があって。人に嘘をつかれたり,そういうこともあります・・・・・・。でも,ピアノは絶対私を裏切らないんです。(p126)
 本番を迎えることができた時点で(指揮者の)仕事の半分は終わったようなものですよ。(p127)
 あと,大事なのは呼吸ですね。(中略)全部の楽器に呼吸がある。その呼吸を僕たちは伝え合い,共有して,一体になるんです。音楽の流れに合った呼吸をして,音楽の表情を作っていくんですよ。(中略)そうやって,うまく噛みあって,響きあった時・・・・・・いや,そんな言葉ではとっても足りないんですけど・・・・・・とにかく本番で心が一つになって演奏ができた時,物凄く幸せなんです。これをやるために生きているんだって,思います。(p127)
 こだわり抜いた音は,やはり人を感動させるんです!(中略)先生の演奏を聴いていると,本当に,涙が出てくるほど感動するんですよ。打楽器だけの演奏で,ですよ? どこまで音を突き詰めるか,どこで妥協してしまうのか・・・・・・自分との戦いで,人生に通じるところがあります。(p161)
 バカ真面目って言うんですかね,真面目にバカをやろうと思ったんですよ。(中略)私,小さい頃,不細工だと言われ続けてたんですよ。でも,それで思ったんです。ブスは人を不愉快にするんです。みんなに悪いことをしているわけです。だから私,綺麗になろうって決めました。常に他人への意識を切らさない,他人を不愉快にさせない,他人に無償の愛を与えられるひとになろうと決めたんです。(p173)
 絵画科油絵専攻の大きな特徴の一つとして,油絵を描かなくてもいいという点がある。嘘みたいだが本当だ。(中略)「でも自由とはいえ,みんな深掘りはしますね。自分のテーマに沿って,徹底的に追求します」(p182)
 僕ら(声楽科),知らない人に声をかけるのとか苦じゃないですよ。基本,人が好きですし。(中略)ほんと,対人能力が高い人は多いですよ。それを活かして居酒屋やキャバクラでバイトしてる子もいます。(p185)
 僕らは体が楽器ですから。人にもよりますが,自主練は二時間くらいで限界なんです。喉を消耗してしまうんですよ。(中略) (残りの時間は)遊びに使ったり。他には体を鍛えています。ジムに行ったり。体幹を鍛えないといい音が出ないんです。肉体は大事ですね。(中略)あとはやっぱり勉強ですね。学ぶのは主に語学です。言葉を知らないと,歌えませんから。(中略)イタリア語,フランス語,ドイツ語,ロシア語,英語,このあたりは必須ですね。(p187)
 声楽科の将来は,音校の中でも特に厳しいと聞いていた。(中略)やりたい役があっても,生まれ持った声質がそれに合っていなければ採用されることはない。舞台に立つ以上,容姿も厳しく比較される。アジア系というだけで,ずいぶんハンデがあるという。努力でカバーできる部分が他の科に比べて少ないそうだ。(中略)「まあでも,声楽科ってみんな楽観的なんですよ」(中略)「僕らやっぱり,声が楽器ということを誇りに思ってるんです。人間の体って素晴らしい,人生って素晴らしいと根っから信じてるんですよね」(p188)
 人って意味とか文脈とか抜きに,「何かいいぞ」ってシンパシーを感じることがあるじゃないですか。それを作りだした時に,やったぞって思うんです。一度その達成感を味わってしまったら,もうやめられないんですよねえ。(p200)
 アートってそのう・・・・・・何でしょうね(中略)知覚できる幅を拡げること・・・・・・かなあ。(p206)
 でも,いかに無駄なものを作るかって側面もありますから。(中略)ちゃんと役に立つものを作るのは,アートとは違ってきちゃいます。この世にまだないもの,それはだいたい無駄なものなんですけど,それを作るのがアートなんで。(p208)
 オルガンに同じものは二つとない,と言えるほどだそうだ。「そうした様々なオルガンのための楽曲を,目の前にある一台のオルガンで再現しなくてはならないんです。ここが難しいところです」 当時のオルガンと目の前にあるオルガンは,構造も音の響き方も全く異なる。つまり別の楽器のようなもので,楽譜があってもその通りに弾くことすら困難なのだ。(p219)
 古楽の楽譜には,一番舌の音符しか書かれていないんです。でも実際には,奏者はこれを和音にして演奏するんです。(中略)一応,楽譜には和音の簡単なヒントが書かれていたりはしますけれど,アドリブで作っていくことには変わりないです。それから,旋律の装飾もします。例えば楽譜にド,レ,ミと書かれていても,その通り吹かないんです。(中略)奏者がアレンジしていくんです。(p224)
 数学や科学が宇宙の深淵に迫れるのなら,音楽にだってそれができるのだ。「『私たちは音楽の末端でしかない。けれど,その末端は本当に美しくなければならない』って,先生に言われました。本当にそうだと思っていて。私は,音楽の一部になりたいんです。(p229)
 「アーティストとしてやっていけるのは,ほんの一握り,いや一つまみだよね」 楽理科卒業生の柳澤佐和子さんが,あっさりと言った。 「他の人は卒業後,何をしているの?」 「半分くらいは行方不明よ」(p231)
 「何年かに一人,天才が出ればいい。他の人はその天才の礎。ここはそういう大学なんです」 入学時,柳澤さんは学長にそう言われたという。(p233)
 そもそも藝大では進路指導や,就活支援のようなことをほとんどやりません。いえ,教授にもできないんですよ。もちろん相談には乗ってくれるでしょうけどね,あまり意味がありません。一般企業に就職するような人だったら,藝大で教授なんてしていないでしょうからね。(p234)
 『芸術は教えられるものじゃない』と入学してすぐに言われました。技術は習うことができますが,それを使って何をするかは,自分で見つけるしかないんです。(中略)そもそも売れる方法は,教授にだってわからないんですよ。藝大で評価されなかった人が,大成功することもありますからね。(p237)
 山口さんは東大の工学部で建築を学んだ後,社会人経験を経て藝大の作曲科に入った異色の経歴の持ち主だ。もともと音楽に興味はあったが,中高一貫校にいたこともあり,流されるまま勉強しているうちに東大に入っていたという。 「最初は,社会の役に立たなければいけないということに捉われていました。でも東大で,建築の先生が言っていたんですね。『全ての建築は個人的な欲求からスタートする』と。依頼主のためとか,社会のためじゃなくて,個人的にやりたいことがあってこそ,だそうです。他者のニーズとは後からすり合わせていけばいいと。なるほど,と思いまして。やりたいことをやっていたほうが,周りの人も見ていて楽しいじゃないですか。それこそが結局は,社会のためになるのかなと」(p240)
 実際に取材するなかでも感じるのだが,どうやって生活していくか,あまり考えていない人が見受けられるのだ。そんなことより今は絵に全力投球。良くも悪くも集中している。(p241)
 デザインって,お客さんありきなんですよ。いかに相手の要望に沿ったものを作るかですから。逆にいうと独創性とか,個性が重要ではないんです。そのせいか,他の人の作品と競うとか,そいういう意識が薄いと思います。(p247)
 伝統的な手法は,やはり教授に学ぶのが一番だと思うんです。逆に新しい手法は,自分の肌で直接触れながら学んでいこうと。現代の世相に一番敏感でいられるのは,自分たちだと思うんですよ。(p274)