2016年12月23日金曜日

2016.12.23 山口由美 『一度は泊まりたい 粋な宿,雅な宿』

書名 一度は泊まりたい 粋な宿,雅な宿
著者 山口由美
発行所 潮出版社
発行年月日 2015.07.20
価格(税別) 1,400円

● 本書で紹介されている宿は次のとおり。その前に「まえがき」で「庭のホテル 東京」が紹介されているけど。
 佐久間(川越市)
 ホテリ・アアルト(福島県北塩原村)
 大沢館(南魚沼市)
 オーベルジュ土佐山(高知市)

 旅館あづまや(田辺市)
 皆美館(松江市)
 島宿真里(小豆島町)
 上高地帝国ホテル(松本市)

 箱根ハイランドホテル(箱根町)
 加賀屋(七尾市)
 日光金谷ホテル(日光市)
 庵町家ステイ(京都市)

 あかん鶴雅別荘 鄙の座(釧路市)
 石山離宮 五足のくつ(天草市)
 星野リゾート 青森屋(三沢市)
 十八楼(岐阜市)
 奈良ホテル(奈良市)

● 以上の宿について,その宿が持っている物語を物語ろうとしている。宿の経営者や女将に取材はもちろんしているけれども,それによって直接に宿の魅力を語ろうとはしていない。
 故事来歴をさぐり,それらがいかにして今あるような形になったかを語っている。たとえば,「星野リゾート 青森屋」では以前の経営者の話は詳細に語られるが,星野リゾートは無視される。

● 以下にいくつか転載。
 棚田の合間の傾斜地を歩きながら,ふと振り返った先にオーベルジュ土佐山が見えた。ウブドでウォーキングツアーに出かけた折,アユン川という川の対岸から棚田の先に見たアマンダリの景観に本当によく似ていた。もし椰子の木がそこに生えていたなら,瓜二つの風景といってもよかった。(p61)
 もうひとつ,箱根ハイランドホテルが先駆的だったものがある。それは提供する食事の内容を写真付きのパンフレットで見せる宿泊プランの考案だった。(中略)かつて旅館では,提供される料理の内容が事前に細かく知らされることはなかったという。(p116)
 世界各地を旅していて,いつも不思議に思うのは,世界の風光明媚といわれる風景は,なぜかことごとく箱根に似ていることだった。(p117)
 女将の小田真弓さんは,「主役は接客係。いかにその舞台作りをして舞ってもらうかです」と言う。加賀屋の加賀屋たるゆえんは,客室係の一人一人の能力の高さもさることながら,彼女たちを生かすことに徹した宿の姿勢にこそあるのかもしれない。(P124)
 私が感じたのは,ディズニーランドや豪華客船の旅にも通じる,独特の高揚感と多幸感だった。それを創り出しているのは,客室係のサービスだけではない。旅館のハードそのものであり,さまざまな演出や仕掛けであり,そして,そこで満足げに楽しい時間を過ごしている宿泊客の笑顔だった。そのどれが欠けても,加賀屋は加賀屋ではない。(p128)
 成人式に振り袖を着る習慣が生まれたのも,成人の日が祝日に制定された戦後のこと。日本人の誰もが華やかな振り袖を着るようになったのは,人々が豊かになった高度経済成長以後のことだろ,以前,呉服商の人から話を聞いたことがある。(p148)
 「自然はカムイ(神)が創ったもの。それを想定してはいけない」 東日本大震災後,しばしば人々が口にした「想定外」という表現に対して,アイヌのエカシ(長老)が語った言葉だという。(p156)
 ねぶたは,祭りが終わったら処分することを前提に作られる。ほんの一時の祭りのために長い時間をかけて制作される,それがねぶたの美学なのかもしれない。(p182)
 私は長年,旅をしてものを書く仕事をしてきた勘から,どこであろうと,現場に行くと,その場でなければ入手できない,その土地ならではの情報があることを経験として知っていた。インターネットの普及した現代においても,その事実は変わらない。(p216)

2016年12月17日土曜日

2016.12.17 犬丸一郎 『軽井沢伝説』

書名 軽井沢伝説
著者 犬丸一郎
発行所 講談社
発行年月日 2011.07.01
価格(税別) 1,600円

● 昔のセレブが集うハイソな軽井沢の様子を,著者自身の体験,友人・知人の証言,当時の地元のミニコミ誌からまとめたもの。
 セレブやハイソはいつだってごく少数しかいないはずだ。そういうところにぼくのような者が迷いこんでも居場所はないだろう。この場合の「ぼく」は多数派の代表でありますよ。つまり,皆様方も「ぼく」の同類でありますよ。

● 今の軽井沢は大衆化してしまっているのだろうけれど,どこかにかつての軽井沢と同じ機能を果たしている場所や空間があるのかもしれない。たぶん違うだろうけど,慶應や学習院の同窓会とか。
 ただ,今でも理屈は同じであって,そういうところに貴方やぼくが紛れ込んでも,いいことは何もないとしたものですよ。

● 本書にも別荘暮らしの大変さが登場する。いくらお金があっても持ってはいけないものが3つある,と言われる。ひとつは愛人,ふたつめは秘書,そして最後が別荘だ。
 愛人と秘書についてはここでの検討事項ではないが,別荘を持つのはなぜいけないか。理由は明確だ。持ってしまえば別荘に縛られるからだ。

● 軽井沢に別荘を持てば,毎年,夏は軽井沢で過ごさなければならない。ひと夏住まないでいれば,別荘とその敷地はかなり荒れる。近隣に迷惑をかける(近隣のことなど知らないという奴は,豚に喰われよ)。
 それでいいのか。今年も来年も再来年もその先も,夏は軽井沢で過ごすのか。ハワイに行きたくなったりはしないのか。北海道はどうだ。夏の沖縄もいいぞ。

● 行きたいところに行ける。自分の欲望に忠実でいることができる。そのためには別荘など持たないに限る。
 滞在はホテルがいい。もし軽井沢で過ごしたくなったら,万平ホテルに泊まればいいではないか。ハワイならコンドミニアムを借りるのがいい。所有は自由を縛るのだ。

● 本書で描かれている時代のハイソでは,今の大衆は満足しないだろう。それはキチンと取ったダシでは満足できず,化学調味料をどっさり使ったゆえのエッジの立った旨さを求めるようなものではあるんだろうけど,とにかく,かつてのハイソでは今の大衆は満足すまい。
 つまり,本書は懐古趣味で終わることになる。IKKOだの,たかの友梨だの,ビル・ゲイツだのが,豪邸を建てるようになっているのだから,軽井沢はもはやどうにもなるまい。

● 以下にいくつか転載。
 軽井沢が避暑地として今日に至るまで,花柳の巷を設けず,あくまで純潔の風習を保つに腐心していることは,他に対する第一の誇りである。(p31)
 かつての軽井沢の土地取引は,不動産業者が土地を取得し,リゾート地として分譲するような形はほとんどなかった。知り合い同士の「あの土地を譲っていただけませんか」「では,お譲りしましょう」という話し合いによって譲渡されるのが常であった。こうした売り手と買い手の親密な関係が,軽井沢ソサエティの強い絆を保ってきたともいえるのである。(p43)
 僕の感じでは昭和四七(一九七二)年にプリンスホテル系の「軽井沢72ゴルフ」がオープンしたあたりから,軽井沢の客層がはっきり変わってきたように思う。「72ゴルフ」は会員権がいらなくて,コースもたくさんあったから,随分,いろんな人が来るわけです。そうした人たちが帰りに食事するための店が自然に増えて,街並みも急激に変わっていった。(p82)
 マナーの悪い人間は,相手が誰だろうと絶対に容赦しなかった。総理大臣になる前の田中角栄さんも,白洲さんに怒鳴られたことがある。(p108)
 世間的に,軽井沢ゴルフ倶楽部は名門クラブ,といわれているせいか,なにか,ものすごい豪華なイメージがあるみたいだけれども,別にそんなことは全然ないよね。(p110)
 軽井沢ゴルフ倶楽部は,理事長の独断で次の理事長を決めて,各代の理事長が少しずつ自分なりに倶楽部を改善するという方針ですよね。理事長選挙とか,そういう面倒なことはしない。(p113)
 白洲さんも最晩年はもっぱら,ゴルフ場の雑草取りに精を出していた(p115)
 別荘に住まうのも結構,大変なんです。私の場合,実家(小林節太郎家)が鹿島ノ森に別荘を持っていましたが,母は毎年それはそれは苦労していました。(p182)
 軽井沢の場合,ファミリーで,というのはないんですよ。子供の世界と大人の世界はきちんと分かれている。だから,どこかの方とお会いする場合にも,夫婦単位であってね。(p189)
 いまでは塀の上に防犯カメラが備え付けられたり,中には二四時間,ガードマンが警備しているような物件まで見受けられ,ここは世田谷か?と見まごうような光景があちこちに出現している。 もうひとつ不思議なことがある。豪華な“別邸”にやってくる彼ら新住民は,まったくと言っていいほど,自分の敷地内から姿を現さないのだ。(中略) 私には,彼らが財産を持った引きこもりにしか見えない。(p198)
● 最後の“新住民”の代表としては,人材派遣会社大手「グッドウィル」の折口雅博さんが思い浮かぶ。軽井沢に個人の別荘なのか会社の保養所(あるいは支社)なのかわからない建物を建てた。それが絶頂期。
 本人としては力一杯生きて満足だと仰ると思うけれど,もう少し目立たない工夫が必要だったのではないか。儲けてもいいからつまらない目立ち方をしないという工夫。

2016年12月16日金曜日

2016.12.16 中川淳一郎・漆原直行・山本一郎 『読書で賢く生きる。』

書名 読書で賢く生きる。
著者 中川淳一郎・漆原直行・山本一郎
発行所 ベスト新書
発行年月日 2015.04.20
価格(税別) 815円

● ビジネス書,自己啓発書の告発本的な色彩が濃厚。っていうか,そんなの読んでる奴って馬鹿なんじゃね,というのが基本のトーン。
 ではないんだけれども,そう受け取った方が面白い。

● 言挙げされる出版社はサンマーク出版,ディスカヴァー・トゥエンティワンなど。著者の代表は・・・・・・と書きかけたけれども,それはやめておく。本書を読んでもらえばいい。

● 以下に多すぎるかもしれない転載。
 書籍化されているものというのは,自費出版を除き,何らかの権威性を有している。(中略)だからこそ,書籍というのは「自分の責任を回避するために利用できる」「論理を補強してくれる」という側面があるのだ。それだけでも価値はある。(p16)
 これから会う人・商談の話題に関する事前知識を得るのに,書籍は有用である。理由は,ネットでちゃちゃっと検索したものは,おそらく相手も把握しているからである。(p17)
 本を読むべき理由というのは,本があまり売れないからである。(中略)知識の差別化をするにあたっては,逆説的ではあるものの,あまり多くの人が接しない情報に接することが有益である。(p19)
 もう一つネットの特徴を。「普段から自分がフォローしている人は皆同じものを知っている」の法則がある。それは,SNS時代となり,相互にフォローしているような状態であれば顕著だ。(p20)
 私がサラリーマンだった1990年代後半から2000年代前半,サラリーマンにとって日経新聞は「共通言語」だった。(中略)共通言語が重要なのは,会話がラクになるからである。(p23)
 『経営心得帖』も『社員心得帖』も『人生心得帖』もすべて読んだが,徹底して松下氏は常識人であり続けている。「経営の神様」とはいわれるものの,「ただ,常識人たれ」という主張をしていると私は読み解いた。(p36)
 私は元々書籍はそれなりに多く読んでいたが,基礎となったのはなんといっても学研の「ひみつシリーズ」である。(中略)子供向けだからとバカにするなかれ。これは本心から言うのだが,私自身,現在の基礎的な知識はこの「ひみつシリーズ」から学んだとしか思えないのである。(p45)
 私としては最良のビジネス書とは,ロールモデルとして崇める人の著書にあると考えている。椎名(誠)氏,東海林(さだお)氏,吉田(豪)氏のようになりたいと考える自分がいる。だったら「師匠」である彼らの人生を,著書を通じて学ぶことこそもっとも役立つのである。(p53)
 焦って関連書籍を求め続ける必要はない。そこにあるだけの情報でなんとかなるのだ。(p59)
 本も一応,商材みたいなもんだから,もちろん売るためのテクニックやマーケティングの仕掛けなどはあって当然なんです。だた,ビジネス書で金儲けしようとしている人たちは,真摯じゃないというか。お客さんをカモにしようとしているんですよ。(p71)
 自己啓発本なんて,原典,古典と評されている数冊程度を押さえておけば,他は読む必要なんてないんです。(p73)
 コツ的なことを言えば,「目次には何度も目を通すべき」。まず読み始める前にザッと目次に目を通す。そして,1章を読み終えたら,また目次を確認。これを2章,3章と繰り返していくんです。(p87)
 ビジネス書は小説とは違って,実務経験が言説の土台になるケースが多いから,実務から離れて講演とか著述業にドップリになってしまうと劣化は避けられない。ということで,よく知らない著者の本で,何を買っていいか迷ったら,まず初期作品を読んでみてください。(p89)
 仕事って(中略)上を目指すのであれば,結局のところ目の前の仕事を粛々とこなして,実績を積み上げていくしかないと思っているんです。(中略)ビジネス書の中では,意識の高い著者が,ミッション・ステートメントやキャリアパスを明確に描きましょう,みたいなことを言うでしょう。でも,そんなことをしている暇があったら,目の前の仕事をしろよと。それはどんな仕事でもそうだと思うんです。(p100)
 うちも海外あわせて2240人くらいのスタッフがいたけど,本当の業務の根幹を担っている人材は30人ほどですよ。言い方は悪いけど,他の人たちはいなくなっても何とか取替えは利く。そんなもんです。(p107)
 人間生きていくうえでは必ず敵がいて,それって生きるうえでエネルギーになるんだよね。(p111)
 (成毛眞さんの本は)目を通しておくだけで,ああ,なるほどなってものは得られる。ただ,成毛さん自身はものすごく嫌われている人でもあり,癖のある人ならではの視点がすごく興味深いんです。(p113)
 まずは,これですよ,これ。「セルフブランディング」という言葉。(中略)死ねって感じですよ。(p181)
 続いてのキーワードはこれ。「ライフハック」。これをブログで書いた奴はバカですね。(p182)
 次も大人気のキーワードでしたね。「Win-Win」です。(中略)この言葉を聞くと,その人が突然胡散臭く感じますよね。実際,そんな関係ってありえないでしょう。(p183)
 速読なんてのは横スクロールのシューティングゲームをやっていたら,自然と身につくものなんです。(p186)
 キャラで売っていくのって燃え尽きるのが早いんです。勝間さんあたりはずいぶん長く,自分をブランド化する取り組みを続けていますけど,これは特殊というか,もはや才能の領域だと思う。(p195)
 彼らはダマされるべくしてダマされているわけじゃないですか。役に立たない資格を取り,ふらふらと自分探しをする。私としては,「自分は何者なのか」,人間の根っこの部分と向き合おうとしない人が,本から読み取れるものなんてないと思ってるんですよ。目先の金儲けを追いかけて,橘玲の本ばかり読んでるような人に届く言葉を私はもっていないな,と。(p246)
 電車内で文庫本を読んでいるとそれだけで「いい女補正」がかかる。逆に「同じことをしている姿」は誰が見てもバカにしか見えないんですよ。行列に並ぶとか。(p266)
 本に書かれていても,ネットにないコンテンツはたくさんある。本当に価値のある話でネットにしか載っていない話はあまりないのも事実で。(p268)
 だいたい人の後ろについていって,いいことなんてあるわけがない!(p275)
 自己啓発という「秘伝のタレ」の調味に使う“厳選素材”は限られる。大ヒットしたスティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』にしたってエッセンスはモルモン教じゃん。(p289)
 でもさ,まず「バカは抜け出せない」じゃん。強いきっかけがあったり,誰かに強制され続けない限り,ダメな人はたぶんずっとダメだと思います。(p298)

2016年12月11日日曜日

2016.12.11 斉藤道子編 『首都圏大学図書館ガイド オトナの知的空間案内』

書名 首都圏大学図書館ガイド オトナの知的空間案内
編著者 斉藤道子
発行所 メイツ出版
発行年月日 2015.06.30
価格(税別) 1,600円

● 首都圏(東京,神奈川,埼玉,千葉,筑波)の大学図書館59館を写真入りで紹介。

● 最近,大学図書館がその大学の学生じゃなくても使えるようになりつつあるというのは知っていた。地域住民に開放する流れがあるようだ。
 ぼくの地元でも宇都宮大学附属図書館は学外者の利用を認めている。ぼくは利用したことはないけれども。

● 大学図書館=知の殿堂=近寄りがたいところ,といったイメージがある。それがどういうところなのか覗いてみたいと思って,本書のページを繰ってみたというわけだ。
 写真がメインになっているので,ほほぅこんなところなのかと思える。

● 蔵書数が数十万冊とか百万冊超の図書館が首都圏にはたくさんあるということもわかった。
 ホントにこんなにたくさんの本が必要なのかとも思ったりした。いや,必要なのだろうね。多くの学生はここにある本を1冊も読まないで卒業するんだけどね。

● 誰もいない本棚や建物だけの写真もあれば,明らかにサクラとわかる学生の利用者を配した写真もある。大学によって対応がはっきり違ったようだ。

2016.12.11 下川裕治・阿部稔哉 『週末ちょっとディープな台湾旅』

書名 週末ちょっとディープな台湾旅
著者 下川裕治
   阿部稔哉(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2016.08.310
価格(税別) 700円

● 今日,八重洲ブックセンター本店を覗いた。ピンポイントで買いたい本があったので,それを買うため。
 そしたら,この下川さんの新刊が目に入ってきた。8月に出ていたのだな。今まで気がつかなかったとは。本屋には何度も行っているのに。

● 紀行文学という言葉が現在も生きているのかどうか知らない。紀行文をたくさん読んでいるわけではないけれど,文学の香りがするというか,文章で読ませるのは,現在では下川さんを第一人者としていいのではあるまいか。
 けっこう,“社会派”が入っているのではあるが。で,その“社会派”が下川さんの真骨頂ではあるのだが。

● 読み終えた本は処分するようになった。残さない。
 が,何人か手元に残す著者がいて,下川さんはそのひとりだ。

● 今回は,最後の章で,沖縄がアジアより東京に近くなってしまったことを淋しそうに記しているのが印象的。もっとも,アジアじたい,猛烈な勢いで変化を続けていて,どんどん東京化しているようだ。古き良きアジアを旅するのなら,今しかないのかもしれない。
 けれどもね,こういうのっていつの時代でも言われていたことかもしれないのでね。アジアほどではないにしても,東京も変わっている。この変化に棹さしてはいけないのだと多う。棹さす術などないわけだけど。

● 以下にいくつか転載。
 世界の料理は,保存技術のなかで育まれてきた面がある。現代のように冷蔵や冷凍といった手法がなかった時代,食品を腐らせない技術は,人が生き延びていくための重要な要素だった。(p36)
 アジアの飲食店は酒で儲けるという発想が薄いから,多くがしっかりした料理を出す。(p57)
 台湾を歩くと,そのあまりにあっさりとした酒への思いに足を掬われてしまうことがある。酒というものへも思い入れが少ないのだ。(p59)
 「彼ら,外省人だね」 李さんは日本語でいった。周りの人は日本語がわからないから堂々と話すことができる。「あだれけ酒を飲んだら,明日の午前中は仕事にならないよ。(中略)まあ彼らは,午前中,休んでも大丈夫な仕事に就いてるってことだよ。本省人はそうはいかない。朝からしっかり働かないと,金が稼げないからね。(中略)」 李さんの言葉に険があった。(p74)
 海外に出向くと,買うものもないというのにコンビニに入る日本人は多い。言葉がわからなくても,安心できるスペースがコンビニである。日本で慣れ親しんだ世界でひと息つく・・・・・・そんな感覚だろうか。(p81)
 蒋介石への憎しみを抱いても不思議はないのだが,行き場のなくなった蒋介石像を前に悩んでしまったのだろう。彼らのなかには,像を破壊する感性はなかった。それが台湾人なのかもしれない。いや,アジア人というべきだろうか。記憶を引き出しにしまうことがうまい人々である。(p112)
 一般の人々がアップする情報が,ネット系ガイドを真似ていることが鼻につく。(中略)文章などへたでもいいから,本音で語ってほしいのだ。店選びにも主張がない。(p124)
 北回帰線の南にあるこの街(台南)には,ともすれば硬直化しがちな東アジアとは別の文脈が流れている気もする。(p160)
 台南の街に流れる空気はどこか違う。その奥にあるものは,香港やマカオ,シンガポールといった植民地になった都市に共通した処世術なのかもしれない。これらの街にはさまざまな人が住みついていく。流入する人々と渡りあっていく術をこの街はもっている気がする。(p165)
 台湾の人って,カラオケ大好きだからね。彼らって,カラオケと酒がつながっていない。素面でがんがん歌うからね。(p224)
 台北より静かな台南の街からやってきたのだが,こうして那覇の街に立つと,その静けさに足を掬われそうになってしまうのだった。(p243)
 アジアの都市は,ここ二十年でずいぶん変わった。(中略)生活が豊かになり,中間層が急増したが,彼らは金の動きに敏感になり,権利を守ろうとする保守化の道を歩きはじめている。金はないというのに,将来のことも考えない底が抜けるようなエネルギーは,影を潜めつつある。日本とアジアの温度差は年を追ってなくなってきている。(p252)
 十年という年月は,沖縄を変えていた。空気のなかから,アジアらしさが消えてしまったように映る。(p254)

2016年12月10日土曜日

2016.12.10 中川右介 『購書術 本には買い方があった!』

書名 購書術 本には買い方があった!
著者 中川右介
発行所 小学館新書
発行年月日 2015.02.07
価格(税別) 720円

● 著者は自分で本も書くし,小さな出版社を経営していたこともある。タイトルは「購書術」となっているけれど,出版界の知られざる裏側(?)的なところが面白かった。
 なるほどそうだったのか,と腑に落ちるところが多くあった。

● そういうところを,以下に転載。
 本当に,「本は本屋で売っている」ことを知らないのだ。冗談を言っているのではない。クラシック音楽のコンサートに来る人は,教養度は平均よりは高い。カメラ・マニアの人たちは,教養度はともかく,所得は高い。そういう,いわば日本社会のなかでは,教養もお金もあるほうの人たちですら,こういう反応を示す。(p4)
 それ以上に私は「本を買う人」なのだ。もはや正確な数は分からないが,雑誌を含めて五十年間に四万冊は買ったと思われる。過去二十年は年に百万円は本代として使ってきた。都立高校の学校図書館の予算と同じくらいだ。(p7)
 ぼくも年に百万円を本代に使っていた時期がある。20年はなかった。その半分くらいか。だいぶ無駄というか,読みもしない本を買ってしまった。
 大手版元は最低でも五千部を発行しないと採算がとれないので,そういう部数になる。(中略)零細版元は所帯が小さいので,二千部の本でも採算がとれる。(p30)
 出版社の規模が小さく専門性が高ければ高いほど,大型書店への依存度が高くなる。小さな書店とはほとんど付き合いがなくなる。(p32)
 出版界は「売る」側である「書店」,それも規模の小さなところから疲弊し,撤退を余儀なくされた。これは「作る」側である「出版社」の,零細版元の明日の姿でもあるように思う。さらには書く側においても,一部のベストセラー作家を除く,多くの書き手たちの明日の姿でもあるように思えてならない。(p33)
 発売直後の「新刊」である間は版元のブランド力よりも,一冊一冊の本そのものの力で売れ行きが決まるが,新刊でなくなってからは老舗版元のほうが強い。まさに老舗の力だ。(p46)
 図書館は,(中略)マニアックな少部数の本の版元にとっては,優良顧客でもある。(中略)公共図書館が合計して五百部近く買ってくれることで,専門書の出版は成り立っていた。(中略) それがいま,図書館は税金で運営しているのだから住民サービスしろとの声が大きくなり,リクエストカードに基づいてベストセラーの本を何十冊(同じ本を,である)と購入し,貸出率の高さを競っている。(p56)
 図書館が無料の貸本屋になりさがったという批判は前からある。今のところ改善される気配はないようだ。
 特に,市町村立の図書館だと,税金を使っているのだから云々から自由になるのは難しいのかもしれない。
 けれど,本なんか読む人はいつだって少数派なのだから,税金云々を言うのなら,そもそも図書館を税金で運営するのなんかやめてしまえ,とならなければおかしいのではないか。
 誤解している人が多いが,本の著者は自分が書いた本でも,できたときに版元からもらうのは十冊が一般的で,それ以上に欲しい場合は二割引で購入する。(中略)知り合いが本を書いて,「読んでください」と送られてきたら,それは著者が出版社から買って送ったものだと理解してほしい。(p64)
 アマゾンもアメリカで創業された当初は「本を買いやすくしたい」という動機だったと聞く。だから本が好きな人が始めたのだろう。(中略)しかし,それなのに,本を作っている出版社への敵意を感じる。(p67)
 検索機能については,日本国内で出版された全ての本の書誌データがあるはずの国立国会図書館よりも,アマゾンのほうがはるかに優れている。(p68)
 私はこの「個性的な店」というもの,何店か行ってみたが,まったく本を買おうという気にならなかった。(中略)そういう店は,店内のインテリアというのか書棚のデザインも凝っていて,また配列も独特のものになっている。本を関連づけて並べるという,かつてリブロ池袋店で話題になったものを起源としているようだが,これがひとりよがりで,探しにくい。(p76)
 中学生の学年誌はつまらなかったので一年生でやめてしまったが,その代わりに(というのもおかしいが),中学二年生の年から早川書房の「ミステリ・マガジン」と「S・Fマガジン」を毎月取るようになった。(p106)
 ぼくは学年誌を6年間(中学と高校)取り続けた。このあたりがいかにも凡人という気がして,恥ずかしくなる。
 実際,紛れもない凡人だったわけだけど。
 所有することの利点のひとつが,読書ノートが不要になることだ。(中略)本が手もとにあれば,それがどんな本であったかは,まさにその本を見れば分かる。現物にまさるものはないのだ。(p121)
 読んだ本ほど,あとで必要になるものなのだ。だから,まず,読んでいない本から処分する。(p131)
 いま小説はほとんど値がつかない。これはブックオフによって古書に価格破壊が起きたからだ。あと,いわゆる実用書もほどんど値がつかない。古書で値がつくのは専門書だ。値がつくといっても,買った時の定価よりも高く売れるようなことはまずありえない。(p137)
 合理的に考えれば,電子書籍はますます売れるだろう。ただ,その人間というものは,合理性の追求だけでは生きていけない。不合理で不条理で不思議な生き物なのだ。(p164)
 小さな版元には大宣伝は不可能だ。数は少ないかもしれないが,全国の書店という場に陳列されるからこそ,本の存在を知ってもらえる。書店店頭こそが最大の,そして最適の広告・宣伝の場なのだ。(p167)
 本であれ雑誌であれ,基本的に書き手に価格決定権はない。それは,書き手というものが,常に「書きたい人」であるからだ。(中略)多くの書き手は,本を書く動機として「お金」ではなく,「多くの人に読んでほしい」を優先させている。だから,書き手は版元の提示する額でその仕事を引き受ける。(p175)
 最近は本の寿命が短く,二年もたてば出た当時は話題になった本も,店頭に置いても動かなくなる。そのまま重版するよりも,形を変えて「新刊」として出し直したほうがいいのだ。(p180)
 本はタダでは作られない。その過程では多くのコストがかかっている。それが回収できないと,出版社は本が作れない。書店も店頭で売れないと店が維持できない。著者も次の作品が書けない。 そんなの自分には関係ない。タダで読めるんだから,タダで読むよ,と考える人には,何を言っても無駄だろう。(p203)

2016年12月8日木曜日

2016.12.06 小林惠子 『空海と唐と三人の天皇』

書名 空海と唐と三人の天皇
著者 小林惠子
発行所 祥伝社
発行年月日 2011.06.20
価格(税別) 1,400円

● 「あとがき」に著者が次のように書いている。
 私の著書はあまりに日本史の常識とかけ離れているので,特に日本古代史の専門家からは一顧もされていない。(p196)
 本書によると,桓武天皇とその跡を継いだ平城天皇は,新羅の国王にもなっている。日本列島,朝鮮半島,中国大陸を股にかけて,闘いを繰り広げ,政略をめぐらせている。
 じつにコスモポリタンであって,当時の日本は島国ではなく海洋国家というに相応しい。

● 別の著書(『聖徳太子の正体』)では,聖徳太子は突厥から海を渡ってやってきたのだということになっている。法隆寺の夢殿はモンゴルのパオと似ているというのだ。
 なかなか一般の賛同は得られないだろう。

● 著者のその「日本史の常識とかけ離れ」た見方を作ってきた元にあるものは,次のような信念(?)である。
 中国の周辺に位置する日本が,古代に遡るほど,民族の移住と共に中国や東南アジアからの影響をものに受けないはずはないのである。(p194)
 私は日本古代史を知るには,まず周辺先進国の中国史を知らなければならないと大学では東洋史を専攻した。しかし中国史の部分的な講義を受けても日本古代史とはまったく関連づけられないし,関連づける意思のない研究ばかりだった。東洋史=中国史で,周辺への広がりを持たない史観なのである。(p194)
● 日本と周辺国の関連,あるいは中国と周辺国の関連を追及した学者としては,江上波夫氏や宮崎市定氏がいるけれど(宮崎市定『アジア史概説』はダイナミックな概説書だと思う),著者の説くところは著者一人説であって,今のところ追随者は出ていないように思われる。

● 空想力を無尽に展開。史書を独自に解釈。その結果,悪くいえば荒唐無稽,よくいえば極めて斬新な日本古代史が組み立てられる。
 著者の作品群は,学術書としてではなく文芸書として読まれるべきだろう。文芸書としてはかなり面白いのだ。ひょっとすると,史実も著者のいうとおりなのかもしれないと思わせるほどに面白い。
 この点で,だいぶ昔に流行った,古事記や万葉集を古朝鮮語で読むというような,正真正銘の荒唐無稽とは一線を画している。