2016年10月28日金曜日

2016.10.28 角川書店編 『おくのほそ道(全)』

書名 おくのほそ道(全)
編者 角川書店
発行所 角川ソフィア文庫
発行年月日 2001.07.25
価格(税別) 680円

● 角川ソフィア文庫の「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」シリーズの1冊。『おくのほそ道』の冒頭,月日は百代の過客にして,行きかふ年もまた旅人なり,に初めて接したのは中学校の教科書だったか高校の教科書だったか。
 教科書に出てくるような古典を,ともかく全部読んだのは今回が初めてのことだ。

● この「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」シリーズ,かなり読みやすい。初心者向けの編集というか。
 このあとも,いくつか読んでいこうと思う。短いのがいいから,『方丈記』と『枕草子』あたりかな。

● 『おくのほそ道』は見たまんまを書いているのではなくて,芭蕉があえてフィクションを付与しているのだね。紀行文には違いないのだろうけど,それだけにはとどまらないようだ。
 驚くべき簡潔さ。ほんとに短い作品だ。何度も書き直しているんだろうか。いきなりこれができたわけではないのだろうな。

● 感情表現が大げさっていう印象も受ける。たとえばやたらに泣く。昔の男はこんなに涙もろかったのか。
 感激屋であることが,どの道においても大成するための第一条件であるのかもしれない,とも思うんだけどね。
 千住といふ所にて船を上がれば,前途三千里の思い胸にふさがりて,幻の巷に離別の涙をそそぐ。
 麓に大手の跡など,人の教ふるにまかせて涙を落とし,
 行脚の一徳,存命の喜び,羈旅の労を忘れて,涙も落つるばかりなり。
 「国破れて山河あり,城春にして草青みたり」と,笠うち敷きて,時の移るまで涙を落としはべりぬ。
● あるいは次のような表現。
 耳に触れていまだ目に見ぬ境,もし生きて帰らばと,定めなき頼みの末をかけ,その日やうやう草加という宿にたどり着きにけり。
 たかだか国内を歩くだけだろうがよ,とか思ってしまうんだけどね。この時代のこれだけの旅というのは,命を落とすことも普通にあり得たんだろうか。
 そのわりには,曾良という世話係を連れているし,先々に芭蕉を崇拝する人がいて,手厚いもてなしを受けている。それって,出発前に想定してたことだよね。
 お伊勢参りが流行して,庶民も大旅行をするようになるのはまだ先のことだけれども,芭蕉のこの陸奥行きも,そんなに悲壮な覚悟を要するものだったとは思いにくいんだけどね。

● 「かれは富める者なれども,志卑しからず」という表現もある。この時代から,富める者は志が卑しいものだという通念があったのかね。

● 「書に埋もれて推敲する詩人ではない芭蕉は,時間=旅人→旅=人生という真実を追究するために,書斎を捨てた。だから,その結果として生まれた『おくのほそ道』は,まさに行動の書にほかならない」と解説されている。
 たしかに,芭蕉はモノを持たない。一個所に定住しない。出家者のようでもある。が,案外グルメで,物見遊山が好きで,俗を愛していたのではないかと思える節もあるような。

2016年10月25日火曜日

2016.10.24 小山薫堂 『幸せの仕事術』

書名 幸せの仕事術
著者 小山薫堂
発行所 NHK出版
発行年月日 2012.08.30
価格(税別) 1,200円

● 副題は「つまらない日常を特別な記念日に変える発想法」。読了したあと,何がなし元気になっている。それだけで読む価値があるといえるだろう。

● 小山さんによれば,企画とはサービスであり思いやりである。
 突き詰めていくと,企画とは「サービス」だと思うんです。どれだけ人を楽しませてあげられるか,幸せにしてあげられるか。(p21)
 同じ商品であっても,その背景にどういうストーリーがあるか,どういう思いでその商品が生まれているのかを知ることによって人の心は大きく変わる(p27)
 その例として,イチローの母親が作ったカレーをあげる。大学の授業にイチローの母親に来てもらって,カレーを作ってもらう。午後の講義で学生に「このカレーを食べたい人」と訊いても,昼食を食べたばかりなので,ほとんど手があがらない。
 しかるのちに,種明かしをして,再度「このカレーを食べたい人」と訊くと,ほぼ全員の手があがる。そこにあるカレーは変わらないのに,背景がわかると,評価が一変する。
 僕のベースには,「誰かを喜ばせたい」という気持ちがあります。ユアハピネス・イズ・マイハピネス=「あなたの幸せが,私の幸せ」。これは僕が企画を発想する時の原点です。いつも,どうやって人を喜ばせようかと考えているんです。(p36)
 ものの価値というのは,そこにいかに感情移入できるか,どれだけ好きになれるかで決まるんですね。(p149)
 「究極の企画とは何か?」と訊かれたら,僕はこう答えます。「それは,自分の人生を楽しくすること」「それは,自分が幸せな気分で生きること」(中略)別の言い方をすると,究極の企画とは「自分の中の不安を軽くすること」でもあるでしょう。自分の思いひとつで人生が変わるわけですから,企画とは,実は信仰に近いのかもしれません。(p162)
● その他,いくつか転載。
 本来希望していた現場ではないこともあって仕事がおもしろくないらしいのです。ただ,そこで彼はどうしたかというと,その部署にいる,普段まったく笑わないおばちゃんを笑わせる,ということをひとつの目標として自分に課したそうです。その人がちょっとでもニヤッとした時に「よし,勝った」と思う。これも立派な企画ですよね。(p30)
 僕は「芸術家」ではないので,自分の中からわき出してくる何かを表現したいとか,自分の魂を外に発散したいといった欲求はまったくないんですよ。(p58)
 アイデアのタネは,植物のタネのように,いつか発芽して何かの役に立つかもしれない,というもの。それは単なる「情報」ではなく,自分の体験や見聞からつかんだ内容や考え方です。目の前の仕事にすぐに活かすことはできないかもしれないけれども,そうしたタネをいかにたくさん集めておけるかが重要なわけです。(p67)
 僕は,仕事だけのために人脈をつくろうと思うこと自体,浅ましいと思ってしまう。(中略)いかに利害関係のないところで人と出会い,つながっておけるかが大切なのだと思います。(p78)
 そもそも,人は環境に慣れてしまうと,なかなか目の前にある価値に気づかないものなんですよね。けれども,やはりアイデアのタネは日常の中に落ちているものなのです。(p85)
 僕の場合,日常でアンテナに引っかかったものを逐一メモすることはせず,あえて心の中にしまっておくんです。メモを取ると,その時点で安心してしまうんですよ。それよりも,心の中で思い続けていれば,ある時,具体的なアイデアとなって発芽するものなのだと思います。(p99)
 必要なものにしか目を向けないということは,不要なことはしなくなる,ということ。それでは,可能性は広がらないと思うのです。(p105)
 一見無駄だと思うものの中にこそ,実は人生を豊かにするヒントが隠されているような気がするんですよね。(中略)お肉でも脂身が多い肉って,うまいじゃないですか。なくてもいいけれど,脂身があるから味わい深くなる。(p107)
 僕は最近,観光客誘致というものにやや懐疑的なんですよ。あらゆる地域が,とにかく外から人を呼べば幸せになるだろうと「うちはいいところだから,おいでおいで」と言っている。その割に,地元の人たちは,その「いいもの」をさほど満喫していないような印象を受けます。(p129)
 何をするにも,デザインというのは大事だと思いますね。中途半端というのが一番ダメで,徹底的にやらないと人の共感はなかなか得られません。(p157)
 「こうしなければいけない」という規則なんて,本当はもとからないんですよ。自分の人生は自分で決めるものなのです。ですから,八方塞がりになった時にも,それくらいのことでつぶされるのだから,その道はその程度だったんだと思えばいい。同時に,それよりも別のところに,自分にとってもっと確かなものがあるはずだと考えれば,意外に楽になると思うんです。(p172)

2016.10.24 番外:本屋はおもしろい!!

編者 渡邉秀樹
発行所 洋泉社
発行年月日 2014.11.28
価格(税別) 1,200円

● 表紙と巻頭のインタビューは壇蜜。この種のムックを飾る女優として欠けるところがない。知的な雰囲気を漂わす。実際に読書家でもあるらしい。
 一方で,独特の色香を発散してやむところがない。その分野でも独特の立ち位置を確保している。

● 知性と色香を統合した女優って,かつてなかったのではないか。いや,そういう女優さんはいたはずだけれども,その双方が表に出て,自然に統合されている女優っていうのは,彼女が初めてかもしれないと思う。
 去年はNHKのEテレで中国語講座のナビゲーターを務めた。見事な反射神経で,番組終了時にはかなり話せる程度に上達していたはずだ。

● オリオンパピルスという本屋。立川市にある。
 立川は駅前を歩いたことがあるくらいなんだけど,荒っぽい気風というのか,建て前を排して本音で生きてる人たちの街という印象を持っていた。
 本? んなものがナンボのもんじゃい,という街かなぁ,と。駅ビルには本屋はないようだったしね。そういう街なんだなと思っていた。
 しかし。ちょっと見で決めつけてはいけなかった。オリオン書店が何店舗も立川市内に展開しているのだった。

● 以下にいくつか転載。
 本屋さんに通っていると,書店員という仕事をされている人を尊敬します。本屋に来るお客さんってあまり表情を見せないじゃないですか。だけど,探している本が見つからないと不機嫌になりますよね。当たられることもあるでしょうしね。人のゼロかマイナスの感情に,自我を殺して向き合う仕事なので凄いなと思います。(壇蜜 p5)
 アマゾンよりもリアル書店がいいのは,そのジャンルの全貌が見えることですね。(高野秀行 p7)
 日本のように本屋が大衆的な国のほうが珍しい。(高野秀行 p7)
 日本の本屋に行くとすごくアジアを感じます。アジアから帰ってきたのに,日本の本屋のほうがずっとアジア。(高野秀行 p7)
 (本を読むのは)最近の議員なら,与謝野馨さん,森山眞弓さん,鈴木宗男さんとかかな。でもまぁ,今のセンセイたちは・・・・・・,六法全書を持ってない人もいるくらいだからねぇ(p43)
 日本人の料理人も本を読んで自分で勉強する人は伸びるよね。小僧の頃から先輩につれられてウチに来て,有名になった子も何人もいる。今じゃあミシュランの星獲って,とても高くて行けないけどさ(p53)
 最近は本が売れなくなり,雑貨も並べる本屋が増えてきた。(中略)ところが「混在」させる勇気のある本屋は少ない。「混在」にこそ意味があるのに。(永江朗 p64)
 菊地敬一はヴィレヴァンでいくつか画期的なことをやったが,そのひとつが「新刊やベストセラーを追いかけない」だ。中小の書店が「話題の新刊」やベストセラーを仕入れようとすると膨大なエネルギーが必要になる。それよりも,入手しやすい既刊を掘り下げたほうがずっとおもしろい品揃えができる。(永江朗 p65)
 「人が何か大変なものに襲われる小説」というフェアをツイッターで告知したときは,1200回ぐらいリツイートされましたが,売上げにはあまり影響しませんでしたね。(中略)ネットよりも半径30メートルにどう届けるかですね。(p110)
 ひとつ気掛かりなのは,本屋は本屋同士で仲良くするのに,隣近所の他業態とあまりつながろうとしないことです。(p111)

2016.10.24 番外:本屋さんへ行こう 書店はみんなのパラダイス

編者 杉村貴行
発行所 枻出版社
発行年月日 2011.03.20
価格(税別) 743円

● 特色のある本屋がたくさんあるのだということがわかる。京都の恵文社一乗寺店のほかにもたくさんある。
 ぼくもかつてはそうした特色のある本屋をひとつだけ守備範囲に含めていた。韓国書籍の専門店「三中堂」。
 もともと日本橋の裏路地にひっそりとあったが,阿佐ヶ谷に引っ越した。阿佐ヶ谷に移ってからは一度しか行っていない。

● つまり,ソウルオリンピックを挟んだ時期によく行っていたんですね。空前の韓国ブームが日本を襲っていた時期。
 日本国内で出版された韓国ものは,ここに行けばまずないことはない。韓国で出版された書籍も輸入販売していた。地図や仏像の写真集なんかを買った記憶がある。
 今もあるんだろうか。

● 巻頭にある3人の読書人のインタビューが,この本の最大の読みどころ。その3人とは,映画監督の周防正行さん,スタイリストの高橋靖子さん,モデル・DJのniuさん。
 周防さんのインタビューからひとつだけ転載。
 僕らが小学生のときから教えてもらうのは『もしもこの主人公が自分だったら・・・・・・』みたいな読み方。そうやって自分に引きつけることが,何かを読んだり,観たりすることだと思ってるんです。でも,そんなふうにテキストを引き寄せるのではなく,自分からテキストの向こう側に行って,書かれた世界を生きてみる。そうすることで,その作品をより豊かに感じることができるんです(周防正行 p6)

2016年10月24日月曜日

2016.10.20 かとうちあき 『野宿もん』

書名 野宿もん
著者 かとうちあき
発行所 徳間書店
発行年月日 2012.02.29
価格(税別) 1,500円

● 野宿をする。寝袋にくるまって外で寝る。何のために,と言われても困る。そうしたいからそうしている。
 そうしていると何か面白いことがあるのかといえば,別にそんなことはない。

● でも,野宿をする。あってもなくてもいいものを軽妙なエッセイに仕立てて,1冊を編む。その結果,誕生したのが本書。
 それをやっているのが女性だというのも,本書の特徴のひとつに挙げていいと思う。
 ゆるゆると読む。何が起きるわけではないけれども,面白くてページを繰るのをやめることができない。

● 何でもないことを面白く書くというのは,ひとつの芸だ。文章の芸。
 ただし,読ませようという作為があざといとイヤになる。しかし,読ませるためには,ある程度のあさとさが必要だ。そのあたりが難しいのだろう。

● 以下にいくつか転載。
 「隣の駅で友人が寝ている」 そう思うと,ほくほくした気持ちになる。「一人じゃない」って思えてくる。(p82)
 「野宿の天敵」とはなんだろう。雨,お巡りさん,口うるさいおじさんおばさん,などなど,いろいろ思いつくけれど,「天敵」というなら,それは「ヤンキー」なのではないか,とわたしは思う。(p89)
 「ヤンキーはとても元気だ」「ヤンキーはなんとなく明るいところへと集まってくる」 これが野宿をすることで,わたしが新たに獲得した知識なんだった。(p91)
 シシャモ,のろい。まだ焼けてない。そこで,「木をくべても木をくべても我がシシャモ・・・・・・」などと言い言い,じっと見る。なぜって,暇だからです。だってわたしが今夜ここでやることといったら,お腹をいっぱいにして,眠りたくなったら寝る,それだけなのだ。(p209)

2016.10.17 永江 朗 『51歳からの読書術』

書名 51歳からの読書術
著者 永江 朗
発行所 六耀社
発行年月日 2016.02.25
価格(税別) 1,500円

● 著者が自身の読書スタイルの変遷を語ったもの。読書スタイルの変遷を語ることはつまり,世相の移り変わりを語ることでもある。

● 副題は「ほんとうの読書は中年を過ぎてから」。それが納得できる内容だ。
 が,“ほんとうの読書”ができるためには,若いときから“ほんとうじゃない読書”を重ねていないといけない。そうじゃないと,“ほんとう”かどうかもわからない。

● 以下に転載。
 和歌というのは,どれだけ過去の作品を知っているかが,創作の上でも鑑賞の上でも鍵になる。引用に次ぐ引用で,イメージを借用したり,エピソードを借用したりして,自分の和歌をつくっていく。現代の著作権についての考え方からすると,ほとんどパクリじゃん,といわれかねない。しかしそういうものなのだ。価値観が逆なのだ。パクって引用してイメージを広げるのがすぐれた和歌なのだ。 素晴らしい! ひとりでゼロから生み出せるものなんてほとんどない。クリエイターだ,アーティストだと威張っていても,その創作のほとんどは先人の仕事の上にある。教育というものそれ自体がパクリの練習みたいなものだ。(p23)
 オトナには時間がないのだ。終わりは刻々と迫っている。無駄な本は読みたくない。つい最近まで「無駄こそ人生」なんていっていたくせに。(p34)
 「こんな本はダメだ」という書評があってもいいとは思うけれども,けなすくらいなら無視したほうがいい。(p35)
 『日本の歴史』と『世界の歴史』を読んでみて思ったのは,日本の歴史,人類の歴史というのは愚行の繰り返しだということ。人間はちっとも進歩していない。いつも下らないことで争い,つまらないことで人を殺す。(中略)歴史の本を読んでいると絶望的な気持ちになる。どうして歴史家たちはシニシズムに陥らないのか不思議でならない。(p43)
 『平家物語』を読むと,日本人の性格が一千年前から変わっていないのに呆れた。日本人は人を持ち上げて落とすのが得意なのだ。(p44)
 読んでもわからない文章は,読み手ではなく,書き手のほうに問題があるのだ,という人もいる。そういうこともあるだろうが,すべてにあてはまるとは思えない。(p66)
 本は一冊だけで存在するのではなく,一冊の本の後ろには何百という本があり,それら後ろにある本を読む機会が増えたので,一冊の本がよりわかりやすくなったのだ。(p70)
 古本屋では文学全集がびっくりするほど安い。二束三文ならぬ,一セット三千円状態だ。(中略)ハードカバーの立派な函入りが,新刊の文庫版よりも安い。文学全集や百科事典の古書価格が暴落したのは,整理術や片づけ術の本がベストセラーの常連になるのと相前後してのことだと思う。(p79)
 一九六〇年代後半から一九七〇年代前半に起きた文学全集ブーム,百科事典ブームは,ほんとうに「読むため」ではなく,たんに「見栄のため」に購入する人が支えていたのだろうと推測できる。出版関係者は「本が売れなくなった」と嘆くけれども,「読むため」に購入する読者はあまり変わらないのではないか。(p80)
 ベストセラーはブームが終わってからブックオフで買って読むのがちょうどいい。ほんとうに価値ある内容であれば,一冊百円でも十分に得るところがあるだろう。つまらない本なら,なぜあのときみんなこれに熱狂したのか考える楽しみがある。(p106)
 毎日新聞社が戦後まもなく開始して,いまも継続している「読書世論調査」のデータを見ると,ふだん本を読むと回答する人の比率は,一九六〇年代からほとんど変化していないことがわかる。つまり,よくいわれる「読書ばなれ」は起きていないのだ。それと同時に,中高年が意外と本を読んでいないということもわかる。(中略)しかし,自分が老眼・飛蚊症・白内障になってみると,「こりゃあ,老人の読書ばなれが起きるのも当然だよなあ」と感じることが増えた。(P124)
 普通車の自由席で立ち続けて失われる時間よりも,グリーン車で快適に本を読む時間を買う。自由席で立ち続けたことによる疲労は,その日だけでなく翌日や翌々日にも影響する。(中略)時間を気にせず貧乏旅行ができるのは若者の特権だったのだ,といまにして思う。(p131)
 蔵書は少ないほうがいい。たくさんあると,どの本がどこにあるのかわからなくなる。本棚を見まわして,把握できる本だけを所有するのがいい。(p136)
 ある大学図書館では,亡くなった教授の遺族から寄贈された本が,未整理のまま段ボールに詰められ大量に積まれているそうだ。遺族としては「○○文庫」なんて名前のついた棚が図書館にできるのを夢見ているのだろうけれども,そうした価値のある本をたくさん持っている人は学者でもまれだ。(p139)
 図書館がこんなににぎやかになったのは,いつごろからだろうか。(中略)変わり始めたのは十年ぐらい前からだと思う。利用者が増えた理由はいくつかある。まず図書館の使い勝手がよくなった。開館時間が延び,なかには夜遅くまで開いているところもある。コンピューターとインターネットによる検索システムの充実ぶりも大きい。(中略)利用者の側も変わった。(中略)かつて図書館といえば勉強する学生の姿が多かったが,いまは老人ばかりだ。それも圧倒的に男性が多い。(p168)

2016.10.16 中谷彰宏 『なぜランチタイムに本を読む人は,成功するのか』

書名 なぜランチタイムに本を読む人は,成功するのか
著者 中谷彰宏
発行所 PHP
発行年月日 2016.01.05
価格(税別) 1,300円

● こういうタイトルの付け方は以前からある。“ランチタイムに本を読む人”が成功しているのかどうか。
 成功がお金とか出世とイコールであるなら,ランチタイムに本を読む人は,あまり成功しないんじゃないかと思うが。少なくとも,読まない人との有意差はないのじゃないかと思う。

● 副題は「人生が変わる「超!読書」のすすめ」。「超!読書」というのが何なのか,よくわからない。もっとも,わかる必要のないものではあると思う。

● 以下にいくつか転載。
 家賃の高いところに行けば行くほど,電車の中で本を読む人が増えてきます。家賃の低いところに行けば行くほど,スマホ率が上がります。(p3)
 本当かね。収入と読書率は比例する?
 まとまった時間を読書のために使うのはもったいないです。本は,1分あれば読めるものです。その感覚を持つことです。それが読書の習慣につながるのです。(p23)
 「読書より実践だ」と言う人は,それほど実践していません。本当に実践している人は,モーレツに本を読んでいます。(p38)
 知性のないセクシーは,ただの下品です。(p44)
 お金持ちは,必ずその日に感想を送ります。(中略)感想は,全部読んでから送らなければならないということはありません。まじめな人は,全部読んでから感想を送ろうとします。(p53)
 本を読む人は,最後まで読むことにはこだわりません。途中でやめてもいい権利をちゃんと行使するのです。(p56)
 学歴とは,「社会では持っていても関係ないな」とわかるために持つものなのです。(p60)
 学校は,試験で選抜します。ところが,社会は推薦で選抜されます。試験は,まんべんなく網羅されているとこに対して知識を問われます。推薦は,「こいつ,面白いよ」と言われることです。(p62)
 失敗した人のほとんどは,失敗したところでとまっています。(p72)
 徹夜を1日すると,1週間を棒に振ります。コンスタントに書き続けなければ,職業作家にはなれないのです。(p75)
 本を読んだ瞬間に,一瞬で現実を切り離すことができます。本を読まない人は,常に現実を切り離せません。(p88)
 ネットは情報を仕入れるのが得意で,本は価値観を仕入れるのが得意です。(中略)情報がたくさん入ると,なんとなく自分が賢くなったような錯覚に陥りがちです。本来,賢くなるということは,価値観がひっくり返ることなのです。(p91)
 読んだ本を家に残す必要は,まったくありません。蔵書は,本がなかった時代の本とのつき合い方です。(中略)「読んだ本はブックオフに出す」という覚悟でいると,真剣に読めます。(p110)
 「本が無料だったら読む」と言う人は,結局,無料で手に入るものしか手に入れることができなくなります。本を書く人は,その人の全人生,全財産をかけて,その体験をし,学び,打ち込んでいます。(p114)
 今は「自炊」が流行っています。自炊してる間に読むことをおすすめします。(P124)
 ネットの中に出てくるのは,答えだけです。いかにしてその答えにたどり着いたかがわからないまま答えを受け取るのは,受け身です。受け身とは,イニシアチブを放棄することです。(p146)
 覚えようとしないのが一番正しい読み方です。(中略)結果として頭の中に残っているということが大切なのです。メモを取りながらでは,読書のスピードが落ちます。本は速く読んだほうが面白いです。(p196)

2016年10月16日日曜日

2016.10.14 疋田 智 『電動アシスト自転車を使いつくす本』

書名 電動アシスト自転車を使いつくす本
著者 疋田 智
発行所 東京書籍
発行年月日 2016.08.18
価格(税別) 1,500円

● 電動アシスト自転車は,今や原付バイクよりはるかに売れているらしい。疋田さんが仰るように原付よりずっとエコなんだろうけど,電動アシストといえども自転車なんだから,たぶん歩道を走るよなぁ。
 こんなのが歩道を走って危なくないのかと,まずは思ったんだけど。

● そこも含めて電動アシスト自転車のメリットや可能性を,いろんな方面から分析していく。ぼくは田舎に住んでいるものだから,特に地方の高齢者にとって福音であると説くところに惹かれた。

● 以下にいくつか転載。
 ふと気づくと,周囲の自転車(主にママチャリ)が少しずつ電動アシストに入れ替わっていることに気づかないだろうか。静かだが,しかし,何か力強いものが,そこには息づいている。大げさにいうと,交通社会が変わりつつある。(p2)
 現在,高齢ドライバーがさまざまなところでシリアスな事故を起こし,問題になっている。しかし彼らからクルマを取り上げることなどできない。日本の地方においてそれは完全なライフラインだからだ。だが,もしも電動アシスト自転車が,クルマ需要の大部分を肩代わりできるなら。 事故のシリアスさが減じるだけではない。自転車はそれ自体,ボケ防止になるし,クルマに比べるとはるかに健康との親和性が高い。そして電動アシストならば,高齢者といえど,無理なく走れるのだ。(p6)
 日々,会社まで自転車通勤する私にとって,目の前の東京という街は,一気にフラットな街となった。ほんの少しの「電動アシスト」という力を得ただけなのだ。(p8)
 デザイン全般に言えることだと思うけど,若い女性は「いかにも女性用」「これってフェミニンな感じでいいでしょ?」なんてものにはノラないと今さらながら思う。(中略)本気で考えた上で決まったデザイン「こういう必然からこうなった」「これが本格派なのだ」というものにこそ反応する。このことは,あらゆるマーケティングのヒントになるものと,私は考えている。(p23)
 ルールを守れば安全は後からついてくる。これもひとつの事実だ。もしそれが「自分だけが守る」という状態であっても,効用は変わらない。(p69)

2016年10月11日火曜日

2016.10.11 バリー・C・ターナー 『シューベルト』

書名 シューベルト
著者 バリー・C・ターナー
訳者 橘高弓枝
発行所 偕成社
発行年月日 1998.04.01
価格(税別) 2,000円

● 天才の特徴はいくつかあるのだろうが,ひとつは多作であること。多作であるためには生産過程が迅速であること。シューベルトもそうであったらしい。
 作曲するとき,シューベルトはめったにピアノを使わなかった。机につくと,ペンをかみ,指で拍子をとりながら作曲するのが,いつものやりかただった。(p54)
 シューベルトの作品の多くは,信じられないくらい短い時間に-つまり,ペンを使って曲を五線紙に書きいれるのに必要な時間だけで完成した。しかも,それを決して修正しなかった。(p145)
 シューベルトは,歌曲を日におよそ六曲のペースで書き続け,一年間に一四五曲もの新曲を完成させた。そのなかには,有名な『野ばら』もふくまれている。このように,一八一五年は,新曲が次から次へと泉のごとくわきだした,実りゆたかな一年だった。(p67)
● 無口で人付き合いが得意ではなかった。作曲以外のことは基本的にどうでもよかったらしい。
 もともと無口なシューベルトは,ことばよりも音楽で自分の心のうちを表現するほうが得意だった。(p60)
 シューベルトは,自分の作品を几帳面に保管するタイプの作曲家ではなかった。楽譜をほしがる者がいれば気軽にあたえ,友だちに貸した楽譜がそのままになったり,仲間から仲間へとまわって最後になくなったりしても,さほど気にしなかった。 心配したのは,本人よりも友人のアルベルト・シュタードラーのほうだった。(中略)作曲家自身がずぼらだったために,日の目を見なかったかもしれない傑作の数々を救ったのだ。(p65)
● しかし,何人かの親身になってくれる友人たちがいた。彼らがシューベルトのために動いてくれた。つまり,それだけの何か(その核は音楽の才能だったのだろうが)をシューベルトは持っていたのだろう。
 シューベルトをとりまくこの人びとの輪は,やがて《シューベルティアーデ(シューベルトの仲間)》とよばれるようになった。(p90)
● 他に,ひとつ転載。
 シューベルトの歌曲を比類ない芸術にまで高めている最大の秘密は,ピアノ伴奏にあった。ピアノが単なる伴奏に終わらず,微妙な心理描写の役割までになっているのだ。この手法こそ,シューベルトが,新しく創造した表現方法だった。(p61)

2016.10.10 内田 樹 『内田樹の生存戦略』

書名 内田樹の生存戦略
著者 内田 樹
発行所 自由国民社
発行年月日 2016.06.10
価格(税別) 1,500円

● 世の中には頭のいい人がいるものだと驚かされることがある。リアルの世界でもたまにあるけれど,本を通じてそれを知らされることの方がずっと多い。
 内田樹さんもそのひとり。

● この人の特徴は,何ものかに対する反骨を底に抱え持っていること。その何ものかとは,自民党であったり,経済界であったり,世間の良識であったり,マスコミの体質であったりするようなのだが,それそのものというより,それらに顕現しているところの大元になっているものに対してのように思われる。
 しかし,その大元は何かと言われても,ぼくにはわからない。

● ただし,政治状況や国際情勢についての内田さんの分析は,面白いのだけれども,同時につまらない。
 なぜつまらないのかというと,豹変しないからだ。主張が一貫している。ぶれないのはけっこうなことじゃないかと言われるか。
 ぶれないのは現実から出発していないからだ。現実は始終,大きくぶれているものではないか。

● 自分の中の価値観から演繹して結論を出しているようなのだ。価値観というより,思考の型のようなものか。それゆえぶれないのだが,ここは“君子は豹変す”であるべきではないか。
 故井上ひさし氏を思いだした。大変な読書家で博覧強記,あれだけの業績を残した作家なのに,政治的提言はかなりお粗末だったような。非自民,親社会(党)的な。この落差はどこから来るのかと思ったものだったが。

● とはいえ。本書はとても面白かった。以下に多すぎる転載。
 あらゆる欠点はその人の個性の根幹の部分とつながっています。そこからしか際立った長所も出てこない。欠点と長所は完全に裏腹です。欠点だけ補正して、長所だけ伸ばすということはできません。そこが「クッションの結び目」なんですから。だから,そこをピンポイントで,「いいね」とほめる。そこから能力が開花してくる。(p9)
 読んでいる人の生きる力を賦活するような。そういう力のあるものを本来は「批評的」と呼ぶべきだと僕は思いますが,どこからかとにかく毒舌辛口嫌味のことと混同されてきた。(中略)そこから何か生産的な,知的な対話が立ち上がるということがまったくなくなってしまった。(p12)
 世の中には「受ける才能」ってあるでしょう。山下洋輔タイプの。誰がどんな話をしても,その中の最高におかしいところをピンポイントして大笑いしてくれる才能。(中略)そういう人がみごとに地をはらってしまった。受信感度のいい知性がなくなって,「オレが,オレが」の発信型知性ばかりになった。(p14)
 正義がたいせつなのは,社会的なフェアネスが担保されている方が,そうじゃない社会よりも,みんな陽気になれて,わいわい騒げるからですよ。正義の執行のせいで,みんなが気鬱になって,新しいことを始める気概も失せて・・・・・・ということになるなら,正義なんかない方がましです。(p16)
 「どうすればいいんですか?」という問いはイノベーターが口にする言葉ではありません。「どうすればいいんですか?」という問いは「標準的なふるまいはどうなんですか?」ということです。(中略)「みんなができること」を私もできるようになりたいというような仕方で自分の能力開発を構想している人は(中略),たぶんたいした仕事はできないと思います。(p19)
 基本的に他人が大事にしているものについてはそれなりの敬意を示すとうのは「礼儀」の基本です。(p29)
 国家だって一種の「ヴィークル」なんだと僕は思っています。ヴィークルである以上,どういうふうに手当てしたら,そのパフォーマンスが最大化するかを考える。(中略)車に敬礼しないヤツ,車を讃える歌を歌わないヤツを処罰すれば車の性能が上がると思っている人間がいたら,そいつはかなり知性に問題があると僕は思いますよ。(p36)
 ものを学ぶときは,学び始める前にあまり予備知識を持たない方がよい。これは僕の経験的確信です。というのは,「その有用性や価値をわかっていること」を習得しようとすると,人間は費用対効果のよい方法を探すからです。(中略)どんなことでもそうですけれど,「最小の努力」が何か豊かなものをもたらすということはありません。絶対。(p41)
 これまでのご相談では「効率ばかり考えるのはよろしくない」という回答を続けておりますけれど,それは「効率ばかり考えていると効率が悪い」からです。(中略)僕が言いたいのは,世の「合理主義者」や「効率主義者」はとてもじゃないけど,そのような呼称にふさわしい人たちじゃないということです(あと「現実主義者」もね)。(p49)
 勘違いしている人が多いけれど,「優勝劣敗・弱肉強食」というのは「豊かな」社会に特有の現象なんです。ゲームに負けても死にはしない,金をなくすだけだと思っているから人は競争に夢中になれる。「ゲームに負けた人間は死ぬ」というようなシビアなルールなら,そんなに気楽に「勝ち組負け組」とか言ってられません。(p78)
 自分の決意によってものごとが動かせる範囲を「世の中」,その外側は「世の外」だと考えましょう。そして,「世の中」をだんだん広げていく手立てを考える。(中略)「自分ひとりではどうにもできないこと」を「どうしたらいいんだ」と悩んでも,まるで時間の無駄ですよ。(p97)
 処罰で脅すというのは,はっきりした到達目標とタイムリミットがある場合に限られます。(p108)
 スポーツ指導者が暴力の行使を正当化するときの理由づけはだいたい同じです。それは「これほどの資質に恵まれていながら,努力を怠ることが許せない。もともと才能がないなら,叱りはしない」というものです。この主張の前提にあるのは,身体能力は人によって生得的な差があるが,努力する能力には個人差がないという信憑です。(中略)でも,実際にはその前提が間違っている。自分の限界を突破したいという「努力するモチベーション」が起動する仕方は,人によってまったく違うからです。(p109)
 少年野球で連投して、そのとき肩を壊してそのあと野球ができなくなった人とか,柔道の部活で膝を傷めて,それから足を引きずっている人とか,ときどき見かけます。彼らは一生丁寧に使い延ばして使わなければならない身体資源を「先食い」してしまったわけです。(p111)
 人の善良さを引き出すか,邪悪さを引き出すかは,多分にこちらの態度で決まるんです。(p116)
 邪悪な人間だってのべつ邪悪なわけじゃないんです。邪悪になれる相手を選んでいる。(中略)邪悪な人間が狙うのは,閉じている人間です。(中略)パブリックなネットワークに参加していない人,親身になってくれる友人がいない人。そういう人の弱さにつけ込むんです。(p117)
 借りた相手だってわかっているわけだから。「こいつ,金がないくせに,かっこだけつけるヤツだから」って。向こうに見切られているわけですよ。そんなのにお金貸しちゃったわけですから。返るわけないじゃないですか。(P124)
 結婚の基本目標は「生き延びるチャンスを高めること」です。だから,配偶者を探すときの基準は,「夢中になるほど好きになる」とかではないんです。(p128)
 どんな相手と結婚しても「そこそこ」幸福になれる能力というのは人間の成熟度を考量するたいせつな指標です。(p129)
 賭場では玄人が勝つに決まっているんです。バブルのときに素人が丸裸に剥かれたのをみんな忘れちゃったんですか? 最初のうちは「電話1本で月給分稼いじゃったよ」と高笑いしていた人が,バブルが終わったときは稼いだ分も元金もきれいになくして呆然としていたじゃないですか。(p139)
 これに対しては異議あり。株式市場のことを言っていると思われるんだけど,株の玄人って何だ? そんな人がいるのか。証券会社が抱えているトレーダーのことか。あいつらはすべて玄人なのか。
 バブルが終焉したときに,声をあげたのは(したがって,マスコミが取りあげたのは)損した連中ばかりだった。が,高笑いのまま終えた人もたくさんいたと思うぞ。そういう人は黙っていただけだ。だから表には出てこなかっただけのこと。
 今以上に活動的になれというようなアドバイスは鬱患者に対してありえません。とにかく休ませてあげること。(p147)
 恒常的に嘘をついていると創造性が損なわれる。創造性って,自分の中にふっと湧き上がる微細なシグナルにかたちを与えることですけれど,不倫をしている人って,(中略)特に楽しいことなんかありませんという演技をしていないといけない。だから,自分の中の感情の動きに対して抑制的になる。(p151)
 結婚に必要なのは,勇気じゃなくて,心の弱りです。(p158)
 会社を大きくする人って,基本的に非人情なんですよ。人間同士の細かな軋轢とか,すれ違いとかが気にならないんです。(p169)
 未然に災厄を防いで「歌われざる英雄」になるよりは,災厄が起こるまで待って,衆人環視の下で問題をてきぱきと処理して,拍手喝采される方が得じゃないかと,ほとんどの人が考えている。成果主義とか,評価とかいうのはそういうことですよ。(中略)そのせいで,社会の安全のためのコストがどんどん高騰していて,みんな損をしているのに,それには気づかない。トラブルを未然に防ぐ方が社会的コストは圧倒的に安い。(p213)
 だいたい独立志向の強い人は,身の振り方について他人に訊いたりしません。組織にいると,息が詰まって死にそうだ,という人たちがせっぱつまって独立するわけであって,このままいようか,独立しようか「迷う」ことができるというのは,そもそも独立向きじゃないんです。(p215)
 近代戦では,損耗率30%で「組織的戦闘不能」とみなされます。(中略)損耗率100%まで戦い続けるどころか死んで幽霊になっても戦い続けるというようなことを言って日本は戦争をしたので,歴史上類を見ない負け方をした。(p223)
 世の中には,呼吸をするように嘘をつく人がいます。でも,不思議なもので病的な嘘つきは大きな被害が出るような嘘はつかないものです。(p232)
 僕は移民の拡大には反対です。移民対策で成功した国は一つもないからです。あえて成功と言えば,アメリカだけです。(中略)でも,あの国の場合は,移民が先住民を殺して「移民が主人」の国にしたことで成功したわけですから,アメリカの先例に倣うつもりなら,移民を入れて代わりに日本人が列島から出ていくしかない。それなら成功するかもしれない。(p252)
 移民の社会的統合とは,彼らを「日本人みたいに」改造することではありません。日本社会の方を改造して,彼らが「ここは自分のホームグラウンドだ」と実感できるようにすることです。その覚悟が日本人にあるのか。僕はないと思います。(p253)
 文化交流は「相互の敬意」がベースですが,経済的な移民受け入れは移民たちをただの「金」としか見ていない。そのような敬意のない関係の上に始まる関係は必ず不幸な帰結をもたらします。(p256)
 貴族というのは,乱暴な定義をしてしまえば,中央から指示がなくても,自己判断で戦争ができるようなメンタリティのことです。(中略)何が国益であるかを教えてもらわなくてもわかる。そこまで深く「公」を内面化できている。(p273)
 究極の医療は不老不死です。(中略)生きながらえるためになら超富裕層はいくらでも金を出す。だから,世界中の優秀な医療人が再生医療に集まってくるのは当たり前のことなんです。(中略)長生きできるのは一握りの人たちだけでいい。あとはさくさく死んでもらわないと食料も水もエネルギーも年金システムも保険制度も実はもたない。だから市場に委ねておけば,これからは超富裕層に医療資源が集中すると僕は思っています。(p282)
 ヨーロッパの場合,税率の高い国はだいたい高福祉高負担の仕組みになっていますが,それが可能なのは国のサイズが小さいからなんですよ。(中略)自分たちの払った税金がどこでどう使われているか自分の目で点検できる。(p287)
 中国人にとって過去100年をさかのぼっても国民統合の成功体験は抗日戦しかありません。だから,国民を統合する求心力の強い「物語」が必要になると,彼らはそのつど日本軍国主義に対する中国人民の勝利の物語を呼び出すことになる。(p305)
 人間というのは「あとどれくらいで死ぬか」という消失点を基準にして次の行動を選択するわけですから。昔の45歳は「死ぬまで5年」のつもりで生きていたけど,今の45歳は「死ぬまで35年」のつもりで生きている。これからまだまだいくらでも迷ったり,バカやったりしても,人生のやり直しがきくと思っているわけですから,老成の仕方が違う。(p312)
 グローバル経済というのはそういう仕組みなんです。犠牲を負担するのは国民国家だけれど,利益を得るのはクロスボーダーで無国籍の富裕層。(p330)
 敗戦国は敗戦の経験の総括にみんな失敗します。同じように,一度でも植民地であったことのある国は植民地支配の歴史の総括に失敗する。正確に記述しようと思ったら,植民地支配に協力した同胞をひとり残らず洗い出して,断罪しなければならない。でも,そんなことはできるはずがない。「その話はなかったこと」にするしかない。(p339)
 市場にすべてを委ねていれば,所得の不均衡が生じるのは当たり前です。市場ではポジティブ・フィードバックがかかりますから,勝つものが勝ち続け,負けるものは負け続ける。(p342)
 なぜかある種の「ダメな政府事業」(たとえば,高速増殖炉もんじゅ)については市場原理を適用して淘汰に委ねないで,温情を以て存命させている。政府が温存しているその種の「勝てないセクター」に税金がブラックホールのように吸い込まれている。そのせいで,貧困層への分配の原資が失われている。(p344)
 人間というのは弱くて,脆くて,壊れやすくて,傷つきやすい生き物だから公的な機関はそれを守ることが最優先の仕事なのだという覚悟がぜんぜん感じられない。むしろ社会を強者を標準にして設計しようとしている。(中略)そういうふうに「強者に手厚く,弱者に冷たい」社会をつくれば,みんな競って努力して,自分の能力を高めて,社会全体が活性化すると彼らはたぶん本気で信じているんでしょう。(p348)

2016年10月3日月曜日

2016.10.03 養老孟司・隈 研吾 『日本人はどう死ぬべきか?』

書名 日本人はどう死ぬべきか?
著者 養老孟司
   隈 研吾
発行所 日経BP社
発行年月日 2014.12.15
価格(税別) 1,300円

● 日経BP社の養老さんと隈さんの対談集は『日本人はどう住まうべきか?』に続いて,本書が2冊目。
 この二人の対談が面白くないはずがない。読み始めれば,グイグイ読んでいくことができる。

● タイトルは「どう死ぬべきか?」となっているけれども,こういうふうに死ぬべきだという提言はない。
 「はじめに」で養老さんが次のように語っている。
 僕は,自分が死ぬことに関してあれこれ考えるのは「意味がない」と決めてしまっています。もし,それが問題ならば「生き残ったやつが考えればいいだろう,俺の知ったことじゃないよ」というのが,基本にして不動のスタンスです。(養老 p8)
● ふたりの話は四方八方に飛ぶ。だから面白いのだが。論より証拠で,以下に多すぎる転載。
 若い人たちが今,移るところは,ただの田舎じゃないんです。(中略)年寄りのいない田舎なんです。若い人にとって,年寄りって邪魔なんですよ。だって既得権を持っているでしょう。(中略)年寄りって,いるだけで邪魔という面があるんです。今,そういうことをはっきり言わなくなっちゃったけど,とりわけ若い人にとっては,うっとうしいに決まっていますよ。(養老 p21)
 一神教の世界では,神様と自分が向かい合わせにあるということで,社会秩序を押さえていますが,日本の場合は,世間で押さえているんですよ。(中略)それが,状況で押さえているということです。だから,状況が変わると,社会秩序のバランスが崩れるんです。(養老 p63)
 養老 建築家は,そもそも共同体の外に存在しているところがありますよね。 隈 共同体の外にいる,さみしい孤独の人という印象があるからこそ,共同体からモニュメントを発注されるんです。共同体に属しているイメージが強すぎる人には,仕事を頼みたくないですよね。(p71)
 隈 男と女で生命力が違うとか。 養老 それはもう分かりきっていることで,女性の方が強いに決まっているんですよ。哺乳類は女性の方が平均寿命が長い。哺乳類の染色体は女性がXXで男性がXY。メスの染色体が基本で,そこから作られるのがオスなんです。そうやって無理して作られているからね,オスは弱いんです。(p78)
 自然の世界ってそこが面白い。理屈で考えられることは,たいてい起こっていて,考えられないことまで起こっているんです。(養老 p79)
 日本の世間って結構うっとうしくて,そこに丸々付き合ったらたまったものじゃないですよね。でも,丸々付き合ってしまって,にっちもさっちもいかなくなるんでしょう。(養老 p81)
 やっぱり仕事にあんまり本気でなかったんだろうね。そう言うとけしからんと怒られるんだけど,実はそのくらいの態度が大事なんじゃないかと思っています。(中略)人って,あんまり働くと周りに迷惑が掛かるよ。仕事というものに対しては,適度な距離がなきゃいけない。一番いい仕事をする人って,本来は仕事に関心がない人なんです。(中略)しょせん仕事なんて,誰かが代われるものなんです。そういうことに真剣になりすぎるって,逆にいえば使い物にならないということですからね。(養老 p84)
 人間の気持ちって,材料でものすごく変わります。それを知ってから,すごくこだわるようになりました。(隈 p98)
 隈 その「武士は食わねど高楊枝」が本当に太平洋戦争ぐらいまで受け継がれちゃったんですね。 養老 まさしくその通りなんですよ。一番ひどかったのは日本陸軍でしょうね。戦死者の七割が餓死と言いますから。(中略)日本は厳密な意味で戦争をしてないんですよ。他人の土地とか熱帯とかに行って,勝手に餓死している。すごく無駄なことをやっているんです。 隈 日本企業っぽいな。(p111)
 ちょっと疑っているのは,危険ドラッグを使うやつって,たばこを吸っていないんじゃないかということなんです。(養老 p113)
 ヒトラーとムッソリーニは,たばこを吸わなかったんですよ。反対に,ルーズベルトもチャーチルも,ご存知のようにぷかぷか吸っていたよね。人を捕まえて,「俺の言う通りにしろ」というのがたばこを吸わない人。(養老 p113)
 「乱世」という言葉自体は,平和な時代の人が見て,言っているだけのことだから,乱世に暮らしている人はそれが乱世だとは思っていない。(養老 p114)
 日本人は「ともあろうものが」という言葉をよく使うんですよ。(中略)これは世間のある種の期待というか,暗黙の前提でね。世間がそうやって押し付けてくる標準に人は無意識に従っている。それに対して個人が「そうじゃない」って訂正しようとすると,世間を訂正することになるから,すごく負担なんです。(養老 p117)
 デザインの中に哲学が宿るみたいに思っているところが日本人にはあります。僕の実感からすると,それは世界の中で案外と少数派です。日本人は「建築ドリーマー」が多い。(隈 p121)
 日本語って視覚中心の言語ですからね。だから教育もやけに書き方中心で整っているでしょう。対してヨーロッパの民族は,二千年前のプラトンのころから,金を取って弁論術を教えてきたわけですからね。(養老 p122)
 武道館を作れと言ったのは誰だっけ? あ,板垣退助だ。外国人に日本のものを見せるんだ,と。それで,そこで相撲を取ったから相撲が国技になったんですよ。その前までは,相撲は別に日本の国技だったわけじゃない。(養老 p150)
 それには,やはり建築のスケールが影響するんです。人間という生物は自分の体に比べてすごく巨大なものが存在すると,そこにある威圧感や永続性のイメージに圧倒されて,背後にどんでもないものを感じてしまう。人間に限らず生物ってそういう弱さ,流されやすさを持っていると思います。(隈 p150)
 日本人に馴染みのある「歌舞伎座」という型ができあがっていき,多少ずれていても頭の中で補正して見るようになった。だからその型の範囲でぼくが多少いじったとしても,みんな気がつかない。型という日本文化が持つ力を感じます。(隈 p159)
 建築って人間にいろんなことを錯覚させるんですよ。例えば破風屋風の下には特別なものがあるという錯覚。その錯覚は不思議なことに,時間がたつと錯覚じゃなくて本質になったりもするんです。(養老 p161)
 丹下健三さんとか黒川記章さんとか,巨匠と言われていた建築家は「都市計画」の概念を日本に持ってきた人たちです。でも,彼らの語る都市計画というものは壮大な大風呂敷なわけですよ。(隈 p183)
 女性は「何のために」という質問をよくしたがるんだよ。それを問うから,世間がつまらなくなる。面白いから行くのであって,だから当然,自己責任だよね。(養老 p210)
 人は生きる舞台があって,その舞台の継続性がちゃんと保証されていれば,それほど死を怖れることはなくなるんじゃないでしょうか。世界史の中で見ても,都市というものは,そのような舞台であったし,個人の死を超える生き方を探るために,王様や皇帝は街を作ってきたのです。(隈 p231)