2016年12月10日土曜日

2016.12.10 中川右介 『購書術 本には買い方があった!』

書名 購書術 本には買い方があった!
著者 中川右介
発行所 小学館新書
発行年月日 2015.02.07
価格(税別) 720円

● 著者は自分で本も書くし,小さな出版社を経営していたこともある。タイトルは「購書術」となっているけれど,出版界の知られざる裏側(?)的なところが面白かった。
 なるほどそうだったのか,と腑に落ちるところが多くあった。

● そういうところを,以下に転載。
 本当に,「本は本屋で売っている」ことを知らないのだ。冗談を言っているのではない。クラシック音楽のコンサートに来る人は,教養度は平均よりは高い。カメラ・マニアの人たちは,教養度はともかく,所得は高い。そういう,いわば日本社会のなかでは,教養もお金もあるほうの人たちですら,こういう反応を示す。(p4)
 それ以上に私は「本を買う人」なのだ。もはや正確な数は分からないが,雑誌を含めて五十年間に四万冊は買ったと思われる。過去二十年は年に百万円は本代として使ってきた。都立高校の学校図書館の予算と同じくらいだ。(p7)
 ぼくも年に百万円を本代に使っていた時期がある。20年はなかった。その半分くらいか。だいぶ無駄というか,読みもしない本を買ってしまった。
 大手版元は最低でも五千部を発行しないと採算がとれないので,そういう部数になる。(中略)零細版元は所帯が小さいので,二千部の本でも採算がとれる。(p30)
 出版社の規模が小さく専門性が高ければ高いほど,大型書店への依存度が高くなる。小さな書店とはほとんど付き合いがなくなる。(p32)
 出版界は「売る」側である「書店」,それも規模の小さなところから疲弊し,撤退を余儀なくされた。これは「作る」側である「出版社」の,零細版元の明日の姿でもあるように思う。さらには書く側においても,一部のベストセラー作家を除く,多くの書き手たちの明日の姿でもあるように思えてならない。(p33)
 発売直後の「新刊」である間は版元のブランド力よりも,一冊一冊の本そのものの力で売れ行きが決まるが,新刊でなくなってからは老舗版元のほうが強い。まさに老舗の力だ。(p46)
 図書館は,(中略)マニアックな少部数の本の版元にとっては,優良顧客でもある。(中略)公共図書館が合計して五百部近く買ってくれることで,専門書の出版は成り立っていた。(中略) それがいま,図書館は税金で運営しているのだから住民サービスしろとの声が大きくなり,リクエストカードに基づいてベストセラーの本を何十冊(同じ本を,である)と購入し,貸出率の高さを競っている。(p56)
 図書館が無料の貸本屋になりさがったという批判は前からある。今のところ改善される気配はないようだ。
 特に,市町村立の図書館だと,税金を使っているのだから云々から自由になるのは難しいのかもしれない。
 けれど,本なんか読む人はいつだって少数派なのだから,税金云々を言うのなら,そもそも図書館を税金で運営するのなんかやめてしまえ,とならなければおかしいのではないか。
 誤解している人が多いが,本の著者は自分が書いた本でも,できたときに版元からもらうのは十冊が一般的で,それ以上に欲しい場合は二割引で購入する。(中略)知り合いが本を書いて,「読んでください」と送られてきたら,それは著者が出版社から買って送ったものだと理解してほしい。(p64)
 アマゾンもアメリカで創業された当初は「本を買いやすくしたい」という動機だったと聞く。だから本が好きな人が始めたのだろう。(中略)しかし,それなのに,本を作っている出版社への敵意を感じる。(p67)
 検索機能については,日本国内で出版された全ての本の書誌データがあるはずの国立国会図書館よりも,アマゾンのほうがはるかに優れている。(p68)
 私はこの「個性的な店」というもの,何店か行ってみたが,まったく本を買おうという気にならなかった。(中略)そういう店は,店内のインテリアというのか書棚のデザインも凝っていて,また配列も独特のものになっている。本を関連づけて並べるという,かつてリブロ池袋店で話題になったものを起源としているようだが,これがひとりよがりで,探しにくい。(p76)
 中学生の学年誌はつまらなかったので一年生でやめてしまったが,その代わりに(というのもおかしいが),中学二年生の年から早川書房の「ミステリ・マガジン」と「S・Fマガジン」を毎月取るようになった。(p106)
 ぼくは学年誌を6年間(中学と高校)取り続けた。このあたりがいかにも凡人という気がして,恥ずかしくなる。
 実際,紛れもない凡人だったわけだけど。
 所有することの利点のひとつが,読書ノートが不要になることだ。(中略)本が手もとにあれば,それがどんな本であったかは,まさにその本を見れば分かる。現物にまさるものはないのだ。(p121)
 読んだ本ほど,あとで必要になるものなのだ。だから,まず,読んでいない本から処分する。(p131)
 いま小説はほとんど値がつかない。これはブックオフによって古書に価格破壊が起きたからだ。あと,いわゆる実用書もほどんど値がつかない。古書で値がつくのは専門書だ。値がつくといっても,買った時の定価よりも高く売れるようなことはまずありえない。(p137)
 合理的に考えれば,電子書籍はますます売れるだろう。ただ,その人間というものは,合理性の追求だけでは生きていけない。不合理で不条理で不思議な生き物なのだ。(p164)
 小さな版元には大宣伝は不可能だ。数は少ないかもしれないが,全国の書店という場に陳列されるからこそ,本の存在を知ってもらえる。書店店頭こそが最大の,そして最適の広告・宣伝の場なのだ。(p167)
 本であれ雑誌であれ,基本的に書き手に価格決定権はない。それは,書き手というものが,常に「書きたい人」であるからだ。(中略)多くの書き手は,本を書く動機として「お金」ではなく,「多くの人に読んでほしい」を優先させている。だから,書き手は版元の提示する額でその仕事を引き受ける。(p175)
 最近は本の寿命が短く,二年もたてば出た当時は話題になった本も,店頭に置いても動かなくなる。そのまま重版するよりも,形を変えて「新刊」として出し直したほうがいいのだ。(p180)
 本はタダでは作られない。その過程では多くのコストがかかっている。それが回収できないと,出版社は本が作れない。書店も店頭で売れないと店が維持できない。著者も次の作品が書けない。 そんなの自分には関係ない。タダで読めるんだから,タダで読むよ,と考える人には,何を言っても無駄だろう。(p203)

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