2016年11月13日日曜日

2016.11.12 角幡唯介 『探検家,40歳の事情』

書名 探検家,40歳の事情
著者 角幡唯介
発行所 文藝春秋
発行年月日 2016.10.20
価格(税別) 1,250円

● 『探検家,36歳の憂鬱』に続く,角幡さんの2冊目のエッセイ集。文章の才というのは,持って生まれたものなのかねぇ。平明達意の文章だ。
 角幡さんに言わせれば,バカ言うなよ,どんだけ苦労してると思ってんだよ,ってことでもあると思うんだけど,苦吟すれば誰でも書けるかというと,そういうものではないんだと思うんだよね。

● 歳をとったら,若い頃に読んで記憶に残っている小説やエッセイや対談集を再読して,余生を過ごそうと思ってたんだけど,これはできそうにない。
 次々に新しい作家が登場して,面白い作品を発表するからだ。それを読んでいくだけで手一杯で,昔読んだものを読み返すだけの時間は遺されていないように思えてきた。

● それとやはり時代の勢いというものがあって,30年前に読んで感激した作品を今読んでみても,ピンと来ないってところもあるのじゃないかと思う。思うっていうか,そういう経験をすでにしている。
 本は一回勝負。一度読んだら二度目はないというつもりで,時代の今に対峙(というと大げだだけど)すべきなのかなと思うようになった。

● 以下にいくつか転載。
 後悔する人生とは決断できなかった人生であり,後悔しない人生とは決断できた人生のことだ。重要なのは決断できたかどうか,自分の葛藤に主体的に決着をつけられたかどうかであり,どのような結果がおとずれるかはさして本質的ではないとさえいえる。だとすると決断すべきだ。(p9)
 極地の長期旅行において,一日五千キロカロリーという数字はかならずしも人体を健康的に保つには十分な熱量ではない。(p32)
 どこの親も自分は誰よりも育児に手を焼かされたと思いこんでいるので,親にとっての子供の思い出話というのは大体,わが子がいかに手に負えない腕白小僧だったかを語る傾向がある。(p46)
 登山や探検の場合は軽量化をはかるため,極端なことを言えば,これがないと死んでしまうという重要な装備しか持っていかない。だから途中での忘れ物は命にかかわる事態を招きかねない。(p51)
 失くした瞬間こそ死んだほうがいいんじゃないかと思うぐらい焦ったが,探しながら,まあ,どうにかかるか・・・・・・と気をとりなおしていた。立ち直りが早いのは私の唯一の取柄である。キャップがなくなったのなら代用品を作ればいい。(p57)
 七カ月もイヌイット村で生活していると,さすがに郷にいれば郷に従えじゃないが,否応なく彼らの食生活に同化していく。そもそも地元の人と同じ食事をしたほうが経済的に安上がりだ。(p75)
 肉を日々,生食していると身体にビタミンが補給されていることがじつによくわかる。(中略)それになんといっても肉は旨い。(p76)
 コウモリの煮込みはメチャクチャ旨い(味の素が存分に投入されていたので余計,旨かった)。(中略)あのコウモリの見たまんまの姿が味覚に転換されたらコレになるというしかない味で,じつに深みのある味だった。(中略)コウモリで一番旨いのは脳ミソだという。(中略)私も真似してお玉でコツコツ開頭してズルズルズルーっとすすったが,その旨いこと。ドロっと濃厚で,少し苦味のきいたコウモリ独特の味が生きている。(p95)
 一度,彼にトランプの神経衰弱のやり方を教えたことがあったが,彼らはつねに深い密林のなかで鳥やコウモリを追いかけているので,瞬間的な光景を空間的に把握する能力が発達しているのだろう,彼が一度,神経衰弱のルールを覚えると,それからはまったく歯が立たなかったことをよくおぼえている。(p133)
 なんのニオイもせず,清潔で,爽やかな笑顔をかわすこの人たちは,樹木や泥や土や雪や氷や濁流や炎といった万物の根源を形成する自然から切りはなされた世界に住んでいるのだ。そして自然から切りはなされているということは,すなわち自然がもたらす汚いもの,臭いもの,ドロドロしたもの,汚穢なもの,要するに生と死そのものからも切りはなされているのだ。世界の根源から去勢された,上辺だけの,浅薄な世界で,何も知らないまま生きている現代の都市生活者だち。(p140)
 原始人こそすべてを知る者だった。野生のなかで生き抜くために知恵をしぼり,創意工夫をこらし,大胆に,そして細心に行動し,命を連綿とつないだ彼等こそ,この世界の真実を知る者だった。(中略)彼らには自らの判断や行動によって自らの生と死すら決定するという究極の自由が存在していた。(p141)
 人間の生活から遠くへだたった世界。人間の痕跡が感じられない場所。そこにあるのは氷と風と太陽と太陽がつくる影だけだ。私は一匹のイヌとともにそこにいる。私が死んだらイヌは死ぬ。イヌが死んだら私も死ぬ。そのとき私とイヌとのあいだに引かれていたあらゆる区分や差異は消滅し,二つの生物種を規定する異なる概念に意味はなくなるだろう。そこにあるのは私とイヌがある種の契りをむすんでいること,ただそれだけだ。(p171)

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