2016年2月21日日曜日

2016.02.17 福岡伸一 『芸術と科学のあいだ』

書名 芸術と科学のあいだ
著者 福岡伸一
発行所 木楽舎
発行年月日 2015.11.30
価格(税別) 1,500円

● 本書に登場する芸術とは,フェルメールの絵画から建築に及ぶ。芸術を超えて,蝶の羽の美しさであるとか,自然美まで。
 まずその広さに驚く。理系の人ってすごいな。

● こういうのって,気づきの能力だよね。自分の身近にあるものの美に気づく能力。それと,自分からはるか遠くにあるものを追いかけていくしつこさも。
 その前提にあるものが,美へのセンス,感応能力でしょうね。これがないとどうにもならない。

● ない場合はどうすればいい? たぶん,諦めるしかないだろうなぁ。ぼくは8割は諦めていて,でも2割の未練があって,ときどき(ほんとにときどき)美術館に行ったり,画集を見たりするんだけど,これは無意味な抵抗なんだろうな。

● 以下にいくつか転載。
 詩は言葉の中にあるのではなく,自然の中にある。アートはキャンバスの中から生まれるのではなく,キャンバスに差し込む光の中にあらかじめ含まれている。(p127)
 流れ,つまり,物質とエネルギーと情報の動きは,ひとつの生命体の中で何度か周回したあと,生命から生命へと常に受け渡されているのだ。 このような世界の成り立ちに関するイメージは,科学がミクロのレベルでその実相を明らかにするよりずっと以前から,芸術的な喚起力によって感得されてきたことがわかる。(p135)
 急速に拡大した種は,その急速さゆえにどこかで破綻を来し,急速に滅びに向かう。何億年か先,人類は示準化石となる可能性が高い。(p145)
 変わらないために,変わる。これが生命の本質である。もう少し丁寧に言うならば,大きく損なわれてしまわないように,常に少しずつ更新する。(p189)
 私たちは自分自身の存在を,外側から隔離された,しっかりした固体だと認識しているが,すこし時間軸を長くとれば,不断の流入と流出の中にある液体のようなものでしかなく,もっと長い目で見れば分子と原子が穏やかに淀んでいる-いわば蚊柱のような-不定形の気体であって,その外側にある大気とのあいだにはたえず交換が行われるゆえ,明確な区別や界面はない。(p212)
 生命を構成する要素は単独で存在しているのではない。それを取り囲む要素との関係性の中で初めて存在しうる。状況が存在を規定する。自分の中に自分はいない。自分の外で自分が決まる。相補性である。(p217)
 生物学的には全く不正確なこのサイの絵は,しかしヨーロッパ中で熱狂を持って受け入れられた。なぜか。彼はサイを写生したのではなく,サイのイメージをデザインしたからである。(中略)デザインとはメッセージである。(p280)
 世界を眺めるとき,こう見ると面白いでしょ,ここに着目すると素敵なんです,という提案こそがデザインの本質である。(p306)

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