2015年11月30日月曜日

2015.11.30 指南役 『情報は集めるな!』

書名 情報は集めるな!
著者 指南役
発行所 マガジンハウス
発行年月日 2010.03.25
価格(税別) 1,300円

● この情報過多の時代に情報を集めようなんて,やってることが真逆だよ。そんなこと,やめちゃいなよ。インターネットもいいけど,それほど使えるものじゃないからね。
 というような内容。

● 何より,体験だよ。面白い体験をたくさんして,それに引っかかってくるものを拾っていけばいいんだよ。あと,メモって大事だからね。
 そういうことが書かれている。 

● 以下にいくつか転載。
 一昔前の情報整理術なんて役に立たない。やれハーバード式だ,やれ超整理法だと言っても,それらのノウハウは,情報の総数がかろうじて把握できた時代の話。それが天文学的数字にまで膨らんでしまった現代にあっては,その種の作業は時間だけがやたらにかかり,終わりが見えない。(p3)
 アイデアを生み出すために一番確実な方法は,面白い演劇を見たり,話題のレストランに行ったり,新進気鋭の研究者の話を聞いたり,とにかく多種多様な経験を積むこと。そうやって知識の量が増えれば増えるほど,アイデアが降臨する機会も増える。断言していいけど,何も見聞しないでアイデアが閃くことは絶対にない。(p17)
 この世にアイデアマンなんていない。そう思われている人がいたら,気の遠くなるような努力を積み重ねている人である。 0から1は生まれない。「面白い」と思える体験をどれだけ積み重ねているか。それがアイデアマンと凡人との境界線になる。(中略)逆に言えば,記憶のストックがなければ,ある分野において有用な情報を探そうとしても,それは雲を掴むような作業になる。(p18)
 恐らく僕はそれまでに何度も同じ種類の情報に出会っている。でも,その時は必要に迫られていなかったので,見過ごしていた。必要になって初めて,その情報が目に見えたのである。(p24)
 あなたが欲する情報はこの世に氾濫し,常にあの手この手であなたにアプローチしている。情報を入手するのに,わざわざ外国に出かけたり,学者先生に話を聞く必要はない。興味さえ持てば,あなたが欲しい情報は,あなたの手の届くところにある。(p27)
 人間というのは基本,出し惜しみが苦手である。200ページのビジネス書を書くとしたら,筆者は自分の知識を早く披露したがるので,大抵,最初の章に書いてしまうことが多い。(p58)
 僕はあんな風に気軽に質問できない。何か壁にぶつかったら,つい自分で解決しようと思ってしまう。でも,人に聞いたほうが手っ取り早いし,そのほうが解決に結びつくケースも多い。個人の力など,たかが知れているからだ。(p83)
 ネットというのは膨大な情報があるようで,その実,コピー&ペーストが大半。(p84)
 「サロンから文化は生まれない」という言葉がある。同好の士が集まったところで,そこから斬新な何かが生み出せることはほとんどないという意味。なぜなら,独創的な情報や才能を持っている人物など,ほんの一握りしかいないからである。(p110)
 現場の空気は,毎日オンラインで本部に上がってくる売上げのデータからは見えてこない。お客さんの顔やスタッフとのやりとり,お店の特徴などは,頻繁に現場に足を運ばないと見えてこない。それができるのは,時々,店に顔を出す本社の役員ではなく,四六時中店に貼り付いている店長である。(p116)
 東京の情報は地方の人間に聞くに限る。東京に目が向いている地方の人間は,出張などの際,限られた時間を有効に使おうと,常に最新のデータが上書きされている。ダラダラと東京で生きている人間よりも,遙かに東京に精通している。(p125)
 歴史を紐解くと,アメリカの米西戦争やナチスの政権獲得なども,民意の強力な後押しで成されている。権力者が暴走したわけじゃない。民主主義において,国民は常に正しい選択をするとは限らない。(p126)
 あなたのことを一番よく知るのは,多分,あなたじゃない。あなたの友人であり,恋人であり,家族である。(p131)
 書けない日もある。書きたくない日もある。そういう時はどうしたらいいか? チャンドラーはこう言っている。「たとえ一行も書けなくても,とにかくそのデスクの前に座りなさい。デスクの前で2時間じっとしていなさい」 ペンを持って書く努力をしなくてもいいが,その代わり,他のことをしてはいけない。(p140)
 「聖書,ギリシャ神話,ウィリアム・シェークスピアの戯曲の中で,人類の本質的な物語は全て語られている」「それにもかかわらず,それらの根本的なプロットには数千のヴァリエーションがあり,我々は様々な形式や登場人物を使って偉大なストーリーが何度も何度も語られるのを聞くことに,けっして飽きることはないようである」(p145)
 何か新しいことを始めたい時,何も前を向いて最新の情報に目を光らすことはない。後ろを向いて,先人たちの優れた古典を紐解けばいい。(中略)どだい人間の想像力など,たかが知れている。あなたがオリジナルのアイデアと自画自賛していても,大抵,先人も同じことを考えている。(p148)
 どうやって,それらの情報を集めているかって? これが,何もしないのだ。(中略)日々,いつも通りの生活を送るだけ。しかし,それだけで,自然とネタが天から降ってくるのだ。ウソじゃない,本当だ。あとは,それをメモればいい。(p157)
 エジソンやアインシュタインなど,天才と言われた人たちの多くはメモ魔だった。(p157)
 「ちょっとトイレ。あとでメモるから」「お茶を一杯。メモはそのあと」-などと悠長なことを考えていると,間違いなく忘れる。たとえ午前3時であっても1秒後にメモらないと,間違いなくあなたはその他の場面でも同じような過ちを繰り返す。(p162)
 メモはできる限り,詳しく書いたほうがいい。単語の羅列は,その時は理解できても,後で読み返すと理解できない。(p162)

2015.11.29 伊藤まさこ 『東京てくてくすたこら散歩』

書名 東京てくてくすたこら散歩
著者 伊藤まさこ
発行所 文藝春秋
発行年月日 2007.05.10
価格(税別) 1,143円

● 京都編に続いて,東京編を。こちらの方が先に刊行されているんだけど。
 東京は日本最大の観光地でもあって,見どころにはことかかない。その中から,吉祥寺,根津・谷中,二子玉川,田園調布・等々力,浅草,西荻窪,青山,本郷,築地,代々木上原,神楽坂が紹介されている。
 銀座や新宿,渋谷は出てこない。こうして並べてみると,東京の中でもしっとりしたところが選ばれていることがわかる。伊藤さんの好みなのか,版元の意向なのか。

● ぼくの好みはというと,名所旧跡や歴史的建造物よりも,近過去(?)の残存物-当時の人たちの生活の残り香が感じられるようなところ-か,思いっきり現代的な建物や施設に惹かれる。
 といって,具体的にここに行きたいというのはないのが困る。

● 京葉線の新木場で降りて,錦糸町まで歩いてみたいとか,上野を起点に谷根千あたりまでやはり歩いてみたいと思ったりはするんだけど。
 してみると,下町に惹かれているのかねぇ。

2015.11.28 番外:ラーメンWalker 栃木 2016

編者 長瀬正明
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2015.10.29
価格(税別) 800円

● 午前中,トヨタのディーラーに行く用事があって。そこの応接室というか待合室に置いてあったので,頼んだ作業が終わるまでの間,この雑誌を見て過ごした。

● 自分が行ったことのある店は載っていない。ちなみに,ぼくが行くラーメン店は氏家の「みやこ家」と「登竜」,宇都宮のベルモールに入っている「風神社中」だけなんだけど。

● 行ってみようかなと思ったのは黒磯の「丸信」。というのは,「丸信」って昔は矢板にもあって,そこには何度か行ったことがあるからだ。あのラーメンはまた食べてみたい。
 逆にいうと,まったく行ったことのない店は,こういう雑誌に出ていても,あまりそそられないものだね。

2015年11月29日日曜日

2015.11.27 番外:GOETHE 2016.1月号-秘書こそ,仕事の羅針盤

編者 二本柳陵介
発行所 幻冬舎
発売年月日 2016.01.01
価格(税別) 741円

● 『GOETHE』恒例の秘書特集。その号はだいたい買う。なぜかというと,登場する秘書たちのビジュアルに惹かれて。メルヘンの世界にひたれるからね。
 この特集からイメージするところとリアルは,相当違うはずだけどねぇ。ビジュアルの影響力ってやっぱり大きいなぁと思いますね。

● 表紙は山本彩。こんな人に,秘書といわず,職場にいられたら,ぼくなら仕事にならないね。胸元をチラチラ見てしまうだろうな。この点に関しては盤石の自信があるね。

● 一部上場企業の秘書室にいわゆる“いい女”が集中しているのだろうな。ビジュアルもそうだけれども,礼儀作法とか言葉遣いとか,いわゆる教養とか。
 そうした若い(若くないかもしれないけれど)女性たちを企業が奥の院に囲い込むのは,社会の損失じゃないかと思ったりもする。ところが,外に出すと,彼女たちのそういう部分が薄まってしまうってことがあるかもしれない。

● 「人に嫌われない能力」という言葉が出てくる。秘書ってボスのスケジュール調整だけやってればいいというのは古典的な時代の話であって,今は,ボスに代わって折衝したりってこともあるんだろうから,これは大事な能力になるんだろう。
 が,この「人に嫌われない能力」っていうのが努力で身につくものなのかどうか。明るいこと,笑顔が多いこと。突き詰めてしまえばそれだけかもしれないんだけれども,それだけのことができない人にはなかなかできないもんね。

2015.11.27 番外:モバイル超仕事術 flick!特別編集

書名 モバイル超仕事術
編者 村上琢太
発行所 枻出版社
発行年月日 2015.12.10
価格(税別) 722円

● 買ってしまうんだなぁ,こういうの。自分がモバイラーになるなんて,ありっこないとわかっているくせに。
 さらにいうと,現実にモバイル的なことをしている人はかなりいると思われるんだけど,それってやらなくてもすむことなんじゃないのと感じることが多い。

● 「達人に聞く,モバイルワークの極意」と題して次の4人にインタビュー。これが本書の核をなすもの。
 四角大輔さん。日本とニュージーランドに住み処を持つデュアルライフの人。都心をニュージーランドで釣りに行くかのような格好で歩いている写真が載っている。本人の意思か取材側の要望によるものかはわからないけれど,格好いい。

● コクヨでCamiAppを推進する山崎篤さん。加ト吉にいた末広栄二さん。広告業に携わりながら大学院に通う中村光代さん。ライブ・アースの庄司真史さん。
 山崎さんはいろんな機材を使い分けるタイプだが,末広さんはiPhoneのみ,ほかの3人はスマホ(全員がiPhone)のほかにはパソコンがメイン。

● 末広さんの発言から2つ引用。
 今はみんな,何でも保管したがります。でも残したデータは,実際には使わないことの方が多い。メモしても忘れることは忘れるし,重要なことは忘れない。忘れてしまうのは,その程度の情報だからです。
 モバイルでExcelデータって見づらいじゃないですか。作る手間もかかるでしょう。それなら,目の前にある売上報告書の紙を写真に撮って送れ,と。
● もしぼくがモバイラーになるとして,そこでやることは何かといえば,テキスト入力だ。とすれば,持ち歩くのはパソコンになる。今どきのパソコンは1㎏を切るのがあるし,起動も速い。
 が,iPad ProにSmart Keyboardを合わせて使うのも魅力的だ。重量はこちらのほうがパソコンより重くなるんだけど。

● でも,まぁ,タブレットはぼくには無用の長物で,持ち歩くとすればパソコンでしょうね。

2015.11.26 外山滋比古 『ライフワークの思想』

書名 ライフワークの思想
著者 外山滋比古
発行所 ちくま文庫
発行年月日 2009.07.10(単行本:1978)
価格(税別) 560円

● 知識の脆弱性と,ことばの,良きにつけ悪しきにつけ,強力な作用。このふたつが説かれている。

● イギリスのパブリックスクールを素材に島国の特徴を考える。イギリスについて言えることは日本にもあてはまるかもしれない。

● 以下にいくつか転載。
 日本人はこれまで,ヨーロッパに咲いた文明の“花”を切り取ってきて,身近に飾ることを勉強だと思い,それを模倣することをもって社会の進歩と考えてきた。(中略)これでは,いかにして花を咲かすかを考える暇は,もちろんない。(p10)
 もし人生が百メートル競走なら,スタートにおける五メートルの遅れは,決定的なつまずきになろう。だが,人生をマラソンと考えるならば,出足の遅速など問題にならない。マラソンのスタートでトップに立ったからといって,誰がその人の優勝を予想するだろうか。(p18)
 まず,何もしないでボーッとする時間をもつことだ。充実した無為の時間をつくることである。これがやってみると意外に難しい。たいていの人は,空白な時間を怖れる。よほど強い個性でないと,ぼんやりしていることはできないのである。本を読むのも結構だが,読まないのもまた,きわめて大切な勉強である。(p19)
 日本の文化はだいたいにおいて若年文化だ。若い時には華々しくても,少し齢をとるとまたたく間にダメになってしまう。日本の音楽家は十代のときには国際コンクールで優勝したりするほど水準が高いのだが,二十代ではだいぶあやしくなり,三十代になるとすっかり元気がなくなる。(p21)
 経験を思いつきとを一緒にし,これに時間を加える。この時間なしには酒はできない。(中略)頭のなかにねかせておいてもよいが,この二つのことを何かに書きとめておくのが便利である。そして,時々これを取り出して,のぞいてみる。のぞいてみて,何も匂ってこなければ,まだ発酵していない。(p27)
 エリートが齢をとるとだんだんつまらない人になってくるのは,彼らが一筋の道を折り返しなしに走っているからだろう。 前半の四十五歳くらいまでは,なるべく個性的に,批判的に,そして自分の力で生きていくのが,その人間を伸ばす力になるが,折り返し点をまわった人間は,もう小さな自分は捨て,いかにして大きな常識をとり込んでゆくかを考える。(p30)
 ことばで考えるのは技術的である。根本のところは体で考えるのでなくてはならない。体を動かさずに頭だけ働かすことができるというのは迷信であろう。(p39)
 横のものを縦にすることさえ億劫がるような人間が,ダイナミック(動的)な思考などと言う。空虚なことばの乱舞。(p39)
 近代において,比喩は,ほかに描写の方法がないとき,やむを得ず援用されるもので,できれば避けたいものと考えられている。(中略)こういう常識は発見の心理にいちじるしく不都合であるといわなくてはならない。(p61)
 ものが存在すると,そのものはそのかげにあるものをかくす。ものと同じように,知識もそのかげにあるものを隠蔽する。それで知識が多くなると,それだけものが見えにくくなる。(p66)
 発見するには,成心があってはならない。何とか発見してやろうというような緊張があってはならない。かたくなな心ではだけである。心を半ば空しくしている必要がある。(p72)
 自分のプライベートな利益のために,パブリックなものを利用しようとする考えは,いついかなるときも,卑劣である。(p175)
 役に立つ教育といったケチな目標でなされることが,子供の魂に火をつけるわけがない。(p176)
 デパートで正札千五百円の下着があまり売れないから,二千五百円に正札をつけ替えたら売れるようになった。品物を買っているのではなく,値段を買っている。(中略)高級品のイメージを買いたいのである。(p181)
 われわれは似たりよったりということを好まない。すこしでもほかの人たちと違ったことがしたい。賢くなりたい,美しくありたい,ひとより多くの収入がほしいと思う。これがまさしく“常民”である証拠だ。常民はだいたいにおいてどんぐりの背比べである。似たりよったりである。だからこそ,すこしでも違うところを見せたがる。逆にそれだけ一般的価値観につよく支配されていることになるのだ。(p195)
 どんなに巧妙なCMでも,リピートが不足していたのでは効果は上がらない。なぜか。繰り返しによって,表現が固有名詞に近い性格のものになるからである。(p218)
 人を傷つけると言う。実際の危害を加えなくても,ことばひとつで相手に当分立ち上がれないくらいの打撃を与えることができる。(中略)ことばの力はこんなにもつよいものである。(p223)
 わたしたちにとって本当の幸福とは,いったい何か。(中略) 心の楽しみがなくてはいけない。つまり,人からほめてもらうことだ。人をほめること,これがいまの世の中でいちばん欠けている。(p229)
 若さを保つにはどうしたらいいか。いちばん簡単なのは,新しいことばを毎日すこしずつ英語でもフランス語でも,あるいは朝鮮語でもマレー語でも結構。(p231)

2015年11月28日土曜日

2015.11.24 小山龍介・土橋 正 『STATIONERY HACKS!』

書名 STATIONERY HACKS!
著者 小山龍介
    土橋 正
発行所 マガジンハウス
発行年月日 2009.10.01
価格(税別) 1,500円

● HACKSというよりは,こんな文房具があるんですよという文房具紹介。
 とはいえ,なるほどこれは便利かもというのがいくつもあった。次のような文具だ。

● LEDブックライト(IDEA LABEL)
 超小型のブックライトで取り回しが楽そうだ。実際にそれほど使うことはあるまいと思われるけどね。

● ブックスタンダー(カール事務機)
 ぼくのこのブログは,読んだ本からの転載が多い。そういうときにこれがあると便利だ。価格も手頃。ぼくは丸形の事務用文鎮をふたつ使ってページを開いた状態で固定しているんだけど,新書なんかではこの方法ではうまくいかないことがある。

● ナレッジストックシリーズ メモパッド(コクヨ)
 名刺サイズのメモパッド。ミシン目から切り離すと名刺サイズになる。が,メモパッドは名刺サイズにこだわることもないか。A7のロディア等で間に合うことがほとんどだろう。

● マルチエイト(ぺんてる)
 色鉛筆のシャープペン。8色が一本に収まる。マインドマップを書くのに便利ということなんだけど,ほかにもいろいろと使い道がありそうだ。
 ちょっと食指が動く。といって,今まで色鉛筆を使ったことがない。

● AmiVoice es 2008(アドバンスト・メディア)
 音声をテキストに変換してくれるソフト。このソフトのことは以前から知ってはいたけど,精度が上がっているらしい。が,音声で入力すること自体,ぼくの場合はなさそうだ。
 たとえば,大学の先生が授業をもとに講義録を作るなんて場合には威力を発揮するのではないか。

● ノックスブレインのジョッター
 首から提げて携帯できるネックストラップ付きのジョッター。「鞄からカードを取り出す手間を省いて,サッとメモが取れるのでおすすめ」ということなんだけど,ぼくも似たようなのを持っている。伊東屋のネームカードホルダーだ(ブランド名はROMEO)。裏側がジョッターになっている。
 ただ,ジョッターとしては一度も使ったことがないのが問題だ。

● リージャスの「ワールド メンバーシップ ゴールドカード」
 「年会費34,650円のゴールドカードに入会すれば,リージャスの(国内17カ所など)ビジネスラウンジで落ち着いて仕事ができる」(p121)んだそうだ。
 34,650円で1年間,外部に書斎というか隠れ家を確保できるということか。毎日でも使えたりするのか。とすれば,ネットカフェより安くなるね。こりゃすごいわ。
 栃木にはそのビジネスラウンジは存在しないのではあるけどね。

● 他にいくつか転載。
 メンター(師)と仰ぐ人からある日,こんなアドバイスをいただきました。「自分のランクを上げたいと思ったとき,まず持ち物を変えてみなさい」。プロとして仕事の質にこだわるのなら,その質に合わせた道具を使うべきだというのです。道具を変えることで,その人の持つ人格すら変えていく力がある。そういうアドバイスでした。(p4)
 これはよく言われることだね。本当なのかね。弘法筆を選ばず,ともいうけどね。
 整理ボックスに何を入れるかなんてことは考えず,とにかく引き出しを区画整理していくと,いろんな小物が次々と収まっていくはずです。(中略)綿密な計画もいいのですが,まずは直感的に整理ボックスを入れてみてから考える。そうした思考錯誤が,整理の近道です。(p9)
 自信を持って堂々とプレゼンテーションをすればいいわけですが,その際のポイントしてビジネススクールで学んだのが,間をしっかりと取ること。(p92)
 メーカーが他社を買収したあと,最初にすることが4Sの徹底だといわれます。この4Sとは,「整理」「整頓」「清潔」「清掃」のこと。業績の悪化している企業は,ほぼ例外なく散らかっていたり,汚れていたりするそうで,まずそうした環境を改善するところから,企業の立て直しが始まります。これは企業に限った話ではありません。(p108)

2015.11.22 吉野朔実 『吉野朔実劇場 本を読む兄,読まぬ兄』

書名 吉野朔実劇場 本を読む兄,読まぬ兄
著者 吉野朔実
発行所 本の雑誌社
発行年月日 2007.06.20
価格(税別) 1,300円

● 著者と平山夢明さんの対談。残酷について。ここから平山さんの発言を2つ転載。
 世の中絶対値の残酷っていうものが存在するじゃないですか。なんでこんなことがってほどに人智を超えた残酷が,たまに起きるでしょう。僕はそういうのが好きなんです。(p41)
 山田洋次の笑いって,日本人的な笑いというよりも,残酷の保証があって成り立っている笑いなんですよ。(p42)
● 1万円札に載せる肖像は誰がいいかという話題。手塚治虫がいい,と。これも,ぼくには出ない発想。

2015年11月27日金曜日

2015.11.22 吉野朔実 『吉野朔実劇場 犬は本よりも電信柱が好き』

書名 吉野朔実劇場 犬は本よりも電信柱が好き
著者 吉野朔実
発行所 本の雑誌社
発行年月日 2004.09.25
価格(税別) 1,300円

● お勧め本の紹介。ぼくが読んだことがあるものは1冊も出てこない。ミステリが多いように思うけど,それに限られるわけではない。外国の小説が多いからで,そこはぼくが読まない分野だから。

● でも,この本はこの本として面白い。たとえば,「50歳とか70歳とかになってから一日,二日,一週間と,好きな時に23歳の自分を返してもらえる」としたら,という話。
 「歳って少しずつ一日ずつ取ってくから無自覚でいられるんでしょ? 耐えられるんですよ」という。

● ぼくはべつな理由で若い頃に戻りたいとは思わないんだけど,上の指摘もかなり説得力があるね。

2015.11.20 外山滋比古 『「読み」の整理学』

書名 「読み」の整理学
著者 外山滋比古
発行所 ちくま文庫
発行年月日 2007.10.10(単行本:1981.11)
価格(税別) 560円

● 「未知」を読むことの重要性を説く。著者は,わかっていることをスラスラと読むアルファー読みに対して,そういう読書をベーター読みと名づけ,ベーター読みこそが読書だという。
 
● 何度も読まなければならないから自ずと時間がかかるし,時間をかければ了解に至るとも限らない。しかし,それを試みなければならない。禅の公案を何年も考えるがごとくに。

● 以下にいくつか転載。
 つまり,わかることは読めるが,わからないことは読めない,ということである。(p17)
 文学作品や評論のようなものを読んで,文章が読める,というのは,いわば,錯覚である。科学,技術などの文章はほとんど読んだことがないから,詩を読むようなつもりで,マニュアルを読むという誤りをおかして平気でいられる。(p21)
 知らないことを文章で知るのは,マニュアルに限らず,つねに困難である。(p22)
 文章やことばを,あるがままに読んだり解したりする,というけれども,客観的な理解ということは,頭では考えられても,実際には存在しない。頭に入ってきたものは,かならず,受け手の先行経験や知識によって「加工」される。(p52)
 人間には,批評本能ともいうべきものがあるらしい。真の批評を理解するだけの素養はないという読者も,その批評本能を満たしたいとは考える。そのための文章が人物評である。(p89)
 これまでの日本人は翻訳という名のもとに破壊された日本語を読まされて,どれほど頭を悪くしてきたか知れない。 (中略)ところが,ごく最近になって,そういう悪文の標本みたいな翻訳も,案外われわれの文化に貢献してきたのではないかと考えるようになった。これは決してたんなる皮肉ではない。(中略) 難解至極な訳文と悪銭苦闘することが,とりもなおさず,読者にとって,知的活力の源泉になったのではないか。(p92)
 既知にみちびかれて読む読み方はやさしく,ときにたのしい。それでいて,ものを読んでいるという満足感を与えてくれる。しかし,知っていることをいくら読んでも新しいことがわかるようにならない。(p104)
 素読を可能にするには,古典的価値の高い少数の原典を選定することである。それを学習者,そのまわりの人々が絶対的なものであると信じ込む必要がある。信頼していないものでは反復読みに耐えられるはずがない。(p151)
 くりかえし読んだ本のない人は,たとえ,万巻の書を読破していても,真に本を読んだとは言われないのである。(p158)
 昔のことは古い。だからと言って古くさいとは限らない。新しいことはおもしろそうだが,時の試練をくぐり抜けていない。新しいものごとは古くなるが,古いものはもう古くならない。(p160)
 本当に読むに価いするものは,多くの場合,一度読んだくらいではよくわからない。あるいはまったく,わからない。それでくりかえし百遍の読書をするのである。時間がかかる。いつになったら了解できるという保証はない。(中略) わからぬからと言って,他人に教えてもらうべきではない。みずからの力によって悟らなくてはならない。(p187)
 正しい解釈,解決を得るのに,「時間」が大きな働きをするのが,こういう場合で見のがしてはならないところであろう。即座の理解では。時の働く余地がない。(中略)時間によって,未知である対象も,わかろうとする人間も,ともにすこしずつ変化して,やがて,通じ合うところまで近づくようになるのかもしれない。(p190)
 古典化は作者の意図した意味からの逸脱である。いかなる作品も,作者の考えた通りのものが,そのままで古典になることはできない。誰が改変するのか。読者である。(中略)読者は,作者とは別の意味において,創造的である。(p202)
 いかに細かく書いた文章でも,第三者からすれば,不明なところ,不可解なところが随所にひそんでいる。そのわからないところがすなわち読者の未知である。これは読者みずからによって解明するほかはない。解明はしばしば発見になる。(中略)創造的であり創作的な読みは,その不明部分を補充して,その読者に固有の意味をつくり上げる。(p220)

2015.11.18 宮田珠己 『旅するように読んだ本』

書名 旅するように読んだ本
著者 宮田珠己
発行所 ちくま文庫
発行年月日 2015.06.10(単行本:2012.05)
価格(税別) 740円

● 著者の書評集。あるいは,著者の楽屋を公開した本と言ってもいいのかも。宮田さんはこういう本を読んでいたのか,っていう。

● 本書に登場する本の中で,ぼくが読んだことがあるのは,アラン・ド・ボトン『旅する哲学』のみだった。
 読んでみたいと思ったのは,五来重『四国遍路の寺』(角川ソフィア文庫)と河本英夫『飽きる力』(NHK新書)。

● 以下にいくつか転載。
 孤立した文化というのは,ユニークになりがちだ。世界の国々を見ても鎖国していた国ほど独特な社会になる。(p89)
 死んだ後に,ストレスのない楽ちんな天国(極楽)と,苦痛に満ちたしんどい地獄があるという発想は,洋の東西を問わず共通しているが,ただ個々の地獄描写には,書き手がどんな苦痛を思いつけたかによってそれなりの違いが生まれてくる。そうした書き手の創意工夫が,地獄案内本の読みどころと言えよう。(p124)
 鈴木理生には,もう一冊ちくま学芸文庫になっている著作があって『江戸の町は骨だらけ』というのらしい。まだ読んでいないが,読まないうちから,強力おすすめである。(p166)
 中野美代子という人は,周囲がどう評価しようとまるで気にせず,自分の興味関心に向かって突っ走る人なのだ。他人のことなど知ったこっちゃないスタンスが徹底しているから,読む側も小気味いい。(p170)
 歩けなかった患者が歩けるようになったとき,よっしゃ,ってんで,いっぱい歩いてしまうとそれ以上よくならない。意識的な身体運動は,一生懸命になるほど歪んでいく。(p214)
 素晴らしい著作だけれど,内容が専門的だったので真面目に読み込んでしまってネタに昇華させられず。残念。(p246)

2015.11.16 外山滋比古 『思考力』

書名 思考力
著者 外山滋比古
発行所 さくら舎
発行年月日 2013.08.06
価格(税別) 1,400円

● 本書で説かれていることは,すでに読んだ著者の中でも言われている。学歴有害論というか,知識有害論である。
 と書くと,著者は,いやそこまでは言っていないと仰るだろうけど。

● 自分が習う知識はすべて借りものである。借りもので頭の中をいっぱいにすると,自分で考える思考力は落ちざるを得ない。
 だから,憶えたら忘れることが大事で,忘れることによって頭の中に空きを作ららなけれならない。そういうことが説かれている。

● 以下にいくつか転載。
 知識を教えるのは簡単だが,思考力というものは,知識のようにうまく教えられない。だから,趨勢としては,依然としてベーコンの「知識は力なり」という考えがいまもつづいている。(p9)
 知識とは,いろいろとある雑多なものから抽出した究極の形だから,不純物を含まない。○か×,白か黒しかない。しかし,人間の実際の経験では,白と黒のどちらかわからない,灰色の中から,白ができたり,黒ができたりしているのに,いまの人は経験が乏しいから,はじめからこれは安全,これは危険,これはいい,これはいけない,と善悪を決めてしまう。(p10)
 実行力がある人は,教養をあまり重んじない。昔から「インテリは使いものにならない」といわれるのは,経験に乏しいから知恵がない,応用がきかない,という意味である。こういう人が,一人でなにかをしようとすると,たいてい失敗する。(p20)
 自分で論文を書くには,まがりなりにも頭で考えなければならない。ところが,とくに学校の成績がいい学生ほど,途方にくれる。(p25)
 我流というものは,しぶとくてなかなか滅びない。 一方,借りてきたものは,すぐに賞味期限が切れてしまう。その代わりを自分でつくれないから,また借りてくる。(p33)
 人間としての存在価値は,「忘れる」ことでしか発揮できない。記憶と忘却が共存し,記憶したものの中で不要なものを忘れ,忘れたあとに新しいものを記憶し,忘れてさらにその先を考える・・・・・・忘却は睡眠中だけではなく,覚醒時に意識的にできるところまでいけば,コンピュータにも負けない。(p36)
 思考力低下の最大の原因は,知識偏重の風潮である。他人の論文などは,必要以外ほとんど読まなくてもいい。(中略)知れば,それにとらわれて,そこから抜け出せなくなる。(中略)自由な発想のためには,すぐれたものをごく少数だけ読んで,あとはよけいなことは知らないでおいたほうがいい。(p42)
 日本で,学問のあるバカの存在を最初に指摘したのは,おそらく菊池寛だろう。「学術的根拠をもっているバカほど始末が悪いものはない」というようなことを述べている。(p46)
 ものを吸収したい,勉強したいという気持ちをおこすには,頭は空腹の状態でなければならない。満腹状態でいくら勉強しても,それ以上は入りきらない。(p55)
 女性にくらべ,男性は指をめったに使わないが,パソコンのキーボードを打つのは有効な運動になるかもしれない。(p62)
 手の散歩のほかに,口の散歩も有益である。 散歩で足を使うのと,口でしゃべるのとでは,使うエネルギー量は後者のほうが多いという学者もいる。人によってもちがうが,発声にはおどろくほどのエネルギーが必要だ。(p62)
 坊さんが概して長生きなのは,年をとってからも読経という運動をしているからかもしれない。後継者ができて,自分ではあまりお経をあげなくなると,すぐに老けこんでしまうことが多い。(p65)
 小学校で,体育の次に軽視されているのが,理科である。その理由は,女性教師の割合が圧倒的に多くなったことだ。(p68)
 知識というのはすべて借りものである。自分で考えた知識を,われわれはほとんどもっていない。(中略)そもそも,「学ぶ」の語源は「まねぶ」,つまり,まねることである。 したがって,勉強を長くしていると模倣性が強くなり,それにつれて,自分のオリジナルなものを考え出す力が低下していく。日本で高等教育を受けると,能力の低い専門家が増えてしまう。(p73)
 ぼんやりとしか目標にしていなかったものに失敗すると,とたんに自分の目標がはっきりとすることがある。落ちれば,たいていの人はそこでいやでも考える。考えて,新しい発見をすることもある。これは貴重な機会である。(中略) いま日本人がもっとも嫌っているのは,「落ちる」ということだ。入学試験に落ちる,就職試験に落ちる・・・・・・。とにかく,多くの人は落ちることを頭からおそれ,極端に嫌っている。これが日本人を弱くしているということに気づくべきである。(p85)
 いまの家庭は,いいことばかりをやろうとしている。それが,子どもにとって理想的な環境だと思っている。しかし,いいことばかりやっていると,悪いことに弱くなる。ある種の危険は,次の安全に向かっての大事な訓練である。(p87)
 たとえば,本田宗一郎とか松下幸之助といった人は,学歴といえるものがない。この人たちがもし大学を出ていたら,あれだけの仕事はできなかったのではないだろうか。(中略) 学校を出ていない人は,知識が不足しているので,ことを為すのに苦労をする。けれども,天賦の能力がつぶされないまま残っているところが多いから,いったん動き出すと,目ざましく伸張する。(p106)
 いまの少子化の最大の問題は,マイホーム主義だ。こどもを自分の家の中に囲いこんで,大人が一生懸命に世話をすれが,いい子が育つ,というまちがった考え方からは,できるだけ早く脱却しなければならない。(p110)
 人がやることは,あらいざらい,やらなかった。人がやらないことばかりを,やってきた。意識的に人のやらないことだけをやろうと考えていたわけではないけれど,あまり常識的な生き方ではつまらない,とは思っていた。(p154)
 当時のサラリーマン,先輩教師などを見ていると,定年になると,口では悠々自適などと言うものの,とたんに元気がなくなってしまう。その原因は,どうもお金の問題らしい。(p155)

2015年11月26日木曜日

2015.11.15 番外:Good Sense “服・モノ・暮らし”センスを学ぶ

編者 袖木昌久
発行所 宝島社
発行年月日 2015.04.23
価格(税別) 920円

● “クリエイター”にセンスについてインタビュー。それをまとめたもの。そんなのを読んでセンスが良くなりますか。読む時点でダメでしょ。
 といいながら,読んでしまう自分が悲しい。

● っていうか,正直,センスなんてぼくにはないし,必要を感じたこともあまりないんだけどね。
 でも,完全にそうなら,戯れにでもこういうものを読む気にはならないだろうから,横目でチラチラと気にしているんだろうね。

● 次にいくつか転載。
 オレが思うのは,自分の思う基準に対して真剣に取り組めてるっていうのが,センスのいい人間。「センスはあるのに」って,それは詰め切れていないってことで(高橋盾 p8)
 ものを選ぶときに,ひっぱりこむ力というのもあって。普通とは違うものを選んで着ても,自分のものにできる。それはたぶんもとがしっかりしてるんですよ。(菊池武夫 p15)
 基本的には自分の好きなものを着るべきで,好きなものが似合わないことはないと思っています。(中略)それが好きなら,着たことのない洋服でもどんどん挑戦すべきです。(鈴木大器 p17)
 社会でもファッションでもアートでも,真正面ではなく斜めから見てみる。真に受けず,疑問を持ってみる。(中略)すべてを真正面から受け止めていたらやっていけないんですよ。(加賀美健 p24)
 私の周りのセンスがいい人に共通するのが,10代はアウトローだったってこと。そういう過去があると,20代になって自分の選択で生きられるようになったときにまた磨かれるというか。(福田春美 p33)
 音楽でも言葉でも洋服でも,それに対して無我夢中になって,きちんと自分のものにできるかどうかにかかっていて。とにかく突き進めばいい。そうしたら,センスなんて後からついてくると思うよ。(島津由行 p41)
 技術だけで上に行くのは難しく,そこに気持ちや感性が必要になってくる。自分というものを信じて,思ったこと,感じたことを突き詰めていく決意。それがセンスにつながっていくんじゃないでしょうか。(小林英幸 p51)
 そうやって深く物事に通じていても,染まりきらないというのは大事かもしれませんね。(KIKI p66)

2015年11月20日金曜日

2015.11.15 番外:Bicycle Navi 2015〔Autumn〕

編者 河西啓介
発行所 ボイス・パブリケーション
発行年月日 2015.11.20
価格(税別) 1,111円

● 書店で見かけてパラパラと立ち読み。速攻で購入。合い言葉(?)は「Bicycle is Life」。
 購入の動機になったもののひとつは,自転車乗りのモデルさんが載っていたこと。ひとりは日向涼子さん。もうひとりは,塚本奈々美さん。塚本さんはレーシングドライバーでもある。
 日向さんは清楚系で塚本さんはワイルド系。だけれども,お互いに逆もやれるだろうね。

● 石田ゆうすけさんも登場している。
 力を抜く事。この言葉は常に自分に言い聞かせるくらい大事なものですね。例えば自転車を漕いでいても常に力を抜いていれば疲れ方が全然違います。(p39)
 そうか。拳々服膺しよう。

● 82歳のアイアンマン,稲田弘さん。写真も載っているんだけど,下半身の筋肉と肌の張りは若々しいとしか言いようがない。
 彼は超人なのか,誰でもやり方次第では彼のようになれるのか。

● ほかに2つほど転載。
 人はもしかすると,移動によってのみ,新しい発想を生み出せるのかもしれない。(森 稔 p75)
 より広がる方向でのツーリズムっていうのと,マナーをすごく重視しながら,お金もかかるし,でもジェントルな人達がやっている高級スポーツというのはハッキリ分かれるような気がしますね。(菊地武洋 p131)
● 自転車のムックはいくつも見ているけど,これは隅から隅まで目を通した。初めてのことだ。

2015年11月19日木曜日

2015.11.15 番外:Associe 2015年11月号-1年が劇的に変わる!手帳術 2015年 完全版

編者 泉 恵理子
発行所 日経BP社
発売年月日 2015.10.10
価格(税別) 694円

● 日経Associeの11月号は例年,手帳の特集。結局,今年も買ってしまった。

● 内容は5部構成で,第1部が「私が“紙の手帳”を使い続ける理由」。リコー,アサヒ,モンテールの社長の手帳が紹介される。
 アサヒの社長は能率手帳ゴールド,モンテール社長はNOLTYリスティ2を使っている。リコー社長は自社手帳を使っているが,中身は能率手帳のようだ。能率協会が制作を請け負っているのかもしれない。社長には能率手帳が強いようだ。

● 第2部は「のぞいてみたい プロフェッショナルの手帳」。社長ではないけれども,5人の手帳をご紹介。その中のひとり,ソムリエの中本聡文さん。「お客様の来店履歴や好みなどはメモに残さない」という。「記録が役に立つこともありますが,お客様が飲みたいものは季節や体調で変わります。それを察してサービスすることが,お客様の満足につながるのです」(p48)との考えから。
 高級ホテルではパソコンで顧客名簿を作り,前回までのリクエストやオーダーも記録していると聞いたことがある。で,言われる前に部屋のセッティングも好みに合わせて整えておく。
 しかし,それだけでは限界があるということかなぁ。

● 第3部は「目的別“強化手帳”の作り方」。問題解決,目標達成,アイデア発想,貯蓄,婚活を取りあげて,それぞれの目的のために手帳をどう使ったらいいかを解説するもの(だと思う)。が,ここは完全スルー。
 第4部は「まだまだある!手帳の使い方」。ここもスルー。

● 第5部は「ニーズ別最新手帳カタログ」。ここはサラッと見ておいた。サラッと。

● この号には例年付録が付いてくる。一昨年と昨年はペンケースだった。一昨年のペンケースは便利に使わせてもらっている。
 今年は万年筆が付いてきた。これは残念ながらぼくには使えないもので,職場の同僚にもらってもらった

2015年11月18日水曜日

2015.11.15 番外:The Life Wear Book

● ユニクロのPR誌。A4変形版で本文116ページという堂々たるもの。充実した取材に質の高い写真。ファッション雑誌としても充分に通用するものだろう。

● はるかな昔,サントリーが『洋酒天国』を発行していた。こちらの現物は残念ながら見たことがないのだけれども,『洋酒天国』の連載からいくつもの単行本が生まれている。
 ことがらの性質上,それと比較するのは妥当ではないと思われるものの,ユニクロはファッションという文化に資する(あるいは,資したいと考えている)企業だと訴えたい,との意図は達成されていると思う。

● ユニクロはファッションをこう考えるというのも伝わってくる。冒頭に登場する「服に個性があるのではなく,着る人に個性がある」という文章に集約される。
 このことは,フリースがブレイクした頃にすでに柳井社長が言われていたことで,ここにブレはないように思われる。言葉だけではなく,商品にも。

● 企業哲学のようなものも示される。ユニクロの基本姿勢のようなもの。
 ユニクロの革新には限界も例外もない。すべてのアウターウェアは,常に改良の余地があり,ディテールにこだわり続ける価値があり,生地の研究開発が実現しうる希望がある。(p81)
● たぶん世の中のお洒落さんには常識になっていることかもしれないけど,ジーンズについて蒙を啓かれた。次のようなところだ。
 デニムジーンズの発祥の地はアメリカだが,日本で独自の発展を遂げた。特にここ数十年間においては,日本のデニムジーンズは,一つの文化としてその地位を築くこととなった。世界中のほとんどのデニムジーンズ工場が大量生産に応じた織機へ以降する中,日本の工場はその耐久性と高い品質にこだわり,シャトル織機を使い続けた。そのこだわりこそが今日,日本のデニムが世界でも一目置かれる存在となった理由である。(p32)
 ぼくはジーンズはおろか,デニム地のものは生まれてこの方,一度も身にまとったことがないんだけれども,そういうことなら一度は着てみようじゃないかと思った。

● ユニクロといえばヒートテック。その仕組みを簡単に説明してある。
 レーヨンが,身体から発散される水分を吸着。水の分子には気体になると空気中を動き回る性質があり,繊維にキャッチされても動こうとする水分子の運動エネルギーが,熱エネルギーに変換されて発熱する。その発熱で温められた空気が,マイクロアクリルの持つ断熱性の高い空気層によって糸の内部にとどめられ,保温性が確保される(p45)
 糸の断面図が添えられているので,それを参照しながら読むと,わかったような気になる。本当にわかったかどうかは別だけれど。

● このコマーシャルブックは,顧客よりもむしろ社員に向けて発刊されたのではないか。
 店頭で無料で顧客に配っているのはいうならオマケであって,まず社員に向けて,あなたが勤める企業は何をどうしたいと考えていて,今までどうしてきたのか,これからどうしたいと考えているのか,それをこの本で理解してほしい。会社の実績もわかりやすく載せているから,できうれば,誇りと愛着を抱いて欲しい。
 そういうことなのではないかと思えた。

2015年11月16日月曜日

2015.11.12 伊藤まさこ 『京都てくてくはんなり散歩』

書名 京都てくてくはんなり散歩
著者 伊藤まさこ
発行所 文藝春秋
発行年月日 2008.10.30
価格(税別) 1,238円

● 伊藤さんは著者というよりモデルの立ち位置。それが可能になるルックスの持ち主だということ。ルックス以外の要素も多々ありそうに思えるんだけど。

● 京都の甘味処や喫茶店,布地や小物を扱うお店を紹介。もちろん,名所旧跡のいくつかも。

● 前回,京都に出かけたのは何年前になるだろう。15年前か。いや,もっと前か。行くんだったら海外だと思っていた時期もあったし,ディズニーランドの時期もあった。
 で,今はどこにも出かけないようになった。せいぜいが東京に出る程度。あとは自転車に乗って近場をサイクリングするだけになっている。

● どこに行こうが,行った先でいつもと同じことをすることになるわけで,これじゃ出かけなくてもいいかなぁと思っている。
 あともうひとつ。ルーティンから外れると,元に戻すのが大変になったというか,受ける打撃が大きくなった。元に戻すのにかかる諸々の面倒を考えると,出かけなくてもいいかと思ってしまう。これを加齢現象というのだということもわかってるんだけどね。

● それよりも何よりも。鈍行列車で2時間もかからないで行けるところに東京がある。東京の存在というのは,ぼく的には圧倒的なものがあって,せっかく東京があるのに,なんでそこを通過して京都まで行かなければならないのか。
 沖縄でも北海道でも同じなんだけど,そこまで交通費をかけて行くんだったら,その交通費分も東京で使いたいと思う。そのほうがよほど楽しいじゃないか。

● というわけで,京都に行きたいという思いは,今のところ,ぼくの中にはない。その分,こうした本を読んで,空想旅行をすればいいかな,と。

2015.11.11 前島勝義 『日曜日は自転車に乗って』

書名 日曜日は自転車に乗って
著者 前島勝義
発行所 平原社
発行年月日 2009.12.14
価格(税別) 1,200円

● 著者は東京都北区の在。休日に地元の仲間たちと50~70㎞のサイクリングに出かける。大宮,葛飾,浅草,銀座など。
 その先々や道中で,その街や史跡の蘊蓄がうるさくない程度に披瀝される。あるいは,子ども時代が回顧される。

● 一篇一篇が後味の良い読みものに仕上がっている。登場人物のそれぞれがキャラが立っていて面白い。碩学が子どもを前にしてかみ砕いて易しく話しているような趣がある。

● 以下にいくつか転載。
 いい年をしたおやじたちがする会話ではない。小中学生のじゃれあいだ。二時間弱とはいえ,自転車を走らせると,大の大人が子どもに還ってしまう。 ボクは,これがサイクリングの効用のひとつだと思っている。(p38)
 ボクの小学校時代なんて,戦後の混乱期で文部省の指導力が弱かったから楽しかった。(中略)だが,日本が復興するとともに官僚制度が復旧して,窮屈な社会になってきた。(p92)
 自転車はひとりでも楽しいが,仲間がいるともっと楽しい。彼らは友だちづくりがへたな子たちなのかなあ(p135)
 ボクらはまもなく,ガソリン・スタンドの前で自転車をとめた。若い女の子が「いらっしゃい」といいかけて,途中で言葉を飲み込んだ。 「おねえさん,満タン」と,黒ちゃんがいった。女の子は自転車を見て,目を白黒させている。 「どこに入れるんですか?」 「ちがうよ。おれの膀胱が満タンなの。トイレ貸してくれない?」 女の子は笑いながら,トイレのほうを指さした。(p219)
● 「彼らは友だちづくりがへたな子たちなのかなあ」とは,ひとりで走っている自転車少年や自転車乙女を見ての著者の感想だけれども,ぼくも初老ながら「友だちづくりがへた」で,ひとりで走っている。
 著者の仲間とのサイクリングは楽しそうで羨ましいのではあるけれど,自分で同じことをやってみたいとは思わない。ひとりで走っていたい。

2015.11.09 佐々木かをり 『自分を予約する手帳術』

書名 自分を予約する手帳術
著者 佐々木かをり
発行所 ダイヤモンド社
発行年月日 2011.11.04
価格(税別) 1,200円

● 『ミリオネーゼの手帳術』,『佐々木かをりの手帳術』に続く著者の手帳術3冊目。週間バーチカルを普及させた推進力のひとつになった。

● 著者のアクションプランナーは,しかし,かなりとんがった手帳のように思われる。超整理手帳と双璧をなすのではないか。
 著者の手帳術の肝は次のようなもの。
 計画とは,課された仕事や他人との約束だけでなく,自分のやりたいことも含まれる。すべてを同じ一本のタイムラインの上に書くことで,遊びまでも計画できると言っているのだ。やらなければならないことだけを書くのではなく,自分のやりたいことも書く。自分がどんなふうに時間を過ごしたいのかを,まるごと,見えるようにしていく,ということだ。(p65)
● メモもTodoリストもない。すべてを時間軸の上に置いていく。これは,怠け者にはできない芸当だ。
 はっきりしない予定,いつかできたらいいいなという願望のようなもの,そうしたものはたくさんあるだろう。それらをも時間軸に置くためのノウハウは開陳されているんだけど,なかなか大変だと思った。
 むしろ,時間軸を一切無視して,Todoリストだけで仕事や家事を処理していくのもありなのではないかと思う。

● 以下にいくつか転載。
 自らが貢献することから,すべてが始まることを理解しておいてほしい。(中略) 自分が幸せだと,自分を機能させることができる。自分が機能すれば,周囲に役立つということであり,存在意義が実感できる。さらに幸せ体験が増える。(中略)だから,いつも自分自身が一番機能する状態にしておくのが,一人ひとりの責任なのである。(p41)
 誰とも約束をしていない,空いているように見える時間こそが,自分の財産で,幸福度を上げる源だ。(p67)
 この手帳の中に,書ける限り,私は多様なことに取り組むことができる。さまざまな挑戦をすることができる。この手帳に書き入れる隙間がないときは,どんなに頑張っても時間が取れないということ。(p77)
 会社内で,皆が共有しているスケジューラーはどうだろう。私は,このソフトこそが,社員の生産性を落としている原因だと信じている。人間は会議室ではない。(中略)人が「work」する(機能する・役立つ)ためには,心と頭が意欲的でなければならないはずだ。 自分の意志とは関係なく,スケジューラー上で時間が空いているからと,会議を入れられてしまう。これでは,その会議に対してのモチベーションは上がりづらいだろう。(p171)
 私は「バタバタ」という言葉は使わない。「時間に追われる」とも言わない。意味がないうえに,自らが無計画で慌てているように聞こえる単語を発すると,自分が本当にそんな人になってしまうからだ。(p173)

2015.11.09 夢枕 獏 『秘伝「書く」技術』

書名 秘伝「書く」技術
著者 夢枕 獏
発行所 集英社インターナショナル
発行年月日 2015.01.31
価格(税別) 1,100円

● タイトルに惹かれて読んでみた。こういうものは真似しようとしてできるものではない。
 が,実績ある人が書いたものは,一般知がそこここに落ちていて,それはそれで参考になる。参考になるという言い方は不遜かもしれないけれど。参考にできるかどうかはこちら側の力量にもよる。

● しかも,優れた人が書いたものは,読みものとしても面白い。本書はまさにそれ。一夕の歓を尽くすことができる。ああ面白かったという上質の消費としての読書ができる。
 読書なんて消費でいいと思っている。というより,自分を高めるだの知識を得るだのっていうのは,下賤な感じがする。

● 以下にいくつか転載。
 小説のアイディアを思いつくと,ぼくはカードに書いています。(中略)一つのカードに書くのは,一つのアイディアと決めています。時と場合によりますが,基本的に思いついたままに,脈絡とか使えるとかを気にせずに,とにかくメモしていくんです。 ぼくは小説を書く前に必ず取材に出かけるのですが,取材のときもカードを使います。(p5)
 書かない日というのは基本的にありません。サラリーマンの土日のような日はない。好きなことをやっているわけですから,休みたいとは思わないんです。(p14)
 「書くぞ」と気合を入れて机に向かうことは,若い頃はありましたけれど,この頃は少なくなりました。やる気をつくってから書くのは,時間がかかってしまうんですね。そうではなくて,机に向かって書くという行為によって,やる気が湧いてくる。「やる気」があるから「やる」のではなく,「やる」から「やる気」が出てくるんですね。これは書くことに限らず,何かを長く続けていくには必要な姿勢ではないかと思います。(p14)
 小説に関連する資料を読む上でいちばん重要なのは,「何がわかっていないか」を知ることです。当然ながら,本に書いてあるのはわかっていることで,わかっていないことは書いてない。文献資料などを読み込んでいくうちに,どこまでがわかっているのかがわかるようになる。容易なことではありませんが,わかっていることと,わかっていないことの間に線を引くことがとても重要です。(p29)
 ぼくの場合,大きなアイディアはわりと出てくるのですが,細部にいくほどアイディアを出すのがしんどい。そんなときどうするか。 まず「死ぬほど」考えるんです。(中略)考えるべきことだけに集中して必死に考えます。家にソファがあるので,そこにごろんと寝転がって,一時間でも二時間でも考えます。(中略)考えに考えて,そのときのぼくの感覚を言葉にするならば,「脳が鼻から垂れるまで」考える。 こうやって考え抜くことで,「神を生む力」が得られるんです。言い換えれば,小説のアイディアを生み出す力ですね。(p38)
 脳が鼻から垂れるまで考えても,うまくいかないときがあります。(中略)そんなときはどうするかといえば「とにかく書く」。これが最終兵器です。 とにかく書く,というのは素晴らしいんです。何が素晴らしいって,一行書くと,次の一行が出てくるんですね。(p40)
 書くことによって自分を物語世界のなかに入れていくんです。そうすることで,外側から物語を構築しようとしていたときには思いもよらなかったこと,あるいは見えなかったことが,浮かび上がってくることがあるのです。(p42)
 小説の書き方次第で,複数のラストを書くことができるはずだと,ぼくはいま考えているんですね。 何のためにこんなことをするかと問われれば,答えはしごく単純,「面白そうだから」。面白いことを書きたい,これはもう,作家の生理的な欲望です。もう一つ言えば,新しいものができるかもしれないから。特定の人だけのために書くやり方も,ネットで読者の注文を取り入れていく方法も,他者の声を物語に反映させていくという面があります。これによって,ぼくという一人の作家の殻を破れるかもしれないという期待があるのです。(p61)
 小説に限らず,ものを生み出そうとする人には,誰もやったことのないことをやってやろうという野心があってしかるべきで,逆に言えば,そういった野心なしに,面白いものは生まれ得ないとぼくは思っています。(p81)
 将棋では,この手を指したら確実に負けるという手を「悪手」といいます。対局をしていると,どんな手を指しても「悪手」になりそうだという局面が訪れることがあるんです。これが勝負をしてはいけない局面ですね。そんなときに打つのは「紛れの手」です。これは言わば,何も指さないで相手に「どうぞ」とパスをするような手。(中略) 小説でも「紛れの手」を打たなければいけない局面はときにやってきます。そんなときは勇気を持ってストーリーを前に進めないようにしています。(p103)
 長い作家生活のなかでぼくが必要だと感じているのは,一つ一つの作品を完結させていくこと。年月をかけてでも終わらせる作業をしていかないと,ステージが上がっていかないんですね。(p105)
 ぼくをさまざまなジャンルに向かわせたのは,同じことをしていては書けなくなるという恐怖感です。(中略)いくつもの引き出しを持つことで,こっちがダメなときはこっちが助けてくれる,というリスク分散が可能になりました。(p117)
 考えたアイディアは決して無駄にならない,むしろ,あるとき無駄だと思われたアイディアが,ひょんなところで我が身を助ける,ということを学んだわけです。だからアイディアは,使えるかどうかは二の次で,まずはどんどん練って,どんどん出していくのが良いとぼくは思っています。(p121)
 描写は訓練すればするほどうまくなります。一つの場面をどれだけでも長く描写できるようにもなるし,もちろん長い描写が良いわけではなく,細部に目が届くようになると,おのずと無駄な描写がなくなります。(p125)
 表現力を付けるためには,才能プラス,面白がる心と訓練,いわば真似です。小説に限らずさまざまな表現に接して,面白がる心が自然に育つというのがいいと思います。(p128)

2015年11月11日水曜日

2015.11.09 中川右介 『すっきりわかる! 超訳「芸術用語」事典』

書名 すっきりわかる! 超訳「芸術用語」事典
著者 中川右介
発行所 PHP文庫
発行年月日 2014.11.19
価格(税別) 800円

● 美術,音楽,演劇,映画の4分野で用いられる用語を解説。こういうことができる人は,著者のほかに何人いるんだろう。

● ガチガチの専門家的解説ではなく,ときに茶化したり,斜めから見たり,闊達自在な説明で,したがって腑に落ちることが多い。
 厳密にやるとそこから抜け落ちるものが多くなって,かえって不正確になるってことがあるんじゃないだろうか。

● その分野の専門家が読んでも頭の整理ができるんじゃないかと思う。ま,ぼくは専門家じゃないので,このあたりは想像で言うんだけど。

● 以下に転載。
 音楽も美術も,文字だけで説明できないものを描くために存在するものなので,それを文字だけで説明するのはかなり無理があります。(p4)
 バロック音楽の依頼主は,教会や宮廷でした。曲のイメージとしては,優雅,典雅,儀礼的なもので,人間の内面を表現し始めたバロック絵画とは異なり,表層的です。「天から聴こえてくる」ようなものが多いので,一時期ヒーリング・ミュージックとしても流行しました。中身がないと言えば,ない。(p37)
 美術における写実主義=リアリズムは,自然や人間の顔などをありのままに,つまり写真のように描くことではなく,「社会のありのままの現実」を描くことです。(中略)芸術家の社会参加であり,ジャーナリズムと芸術の融合でもあります。そういう絵ですから,美しいものばかりではありません。美術が美しくなくなる,その始まりとも言えます。(p61)
 二十世紀初頭に,ロシアの作曲家ストラヴィンスキーの作風が,プリミティヴィズムと呼ばれています。《春の祭典》などがそれで,強烈なリズムの音楽で,たしかに野蛮というか原始的です。それが新しく,革命的でした。それまでの西洋音楽は周期的なリズム構造だったのが,不規則になり,次に何が出てくるのか予測がつかない。そんな音楽でした。音楽においては,原始主義が現代音楽へと直結します。(p77)
 オペラは,歌で表現するので,演劇ではありますが,あまり複雑な会話はできません。話の筋は極めて単純なものが多く,あらすじだけ読んだのでは,何が面白いのか分からない作品も多いわけです。その陳腐なストーリーを,いかに大げさに盛り上げて感動させるかが,上演する側の腕の見せどころとなります。(p95)
 批判するのは簡単ですが,ウェルメイド・プレイを作るのには,ストーリーの卓越した構成力,セリフの面白さが必要とされるので,才能が必要です。「分かる人にだけ分かればいい」という,高尚な芸術志向の演劇とは違い,「誰にでも楽しめる演劇」のほうこそ,難しい仕事です。(p167)
 日常会話と同じように発声したのでは,客席まで声が届かないし,聞き取れません。いかに「日常と同じ」ように見せるかという演技術が必要となります。そのため,日本では独特の「新劇みたいな話し方」という発声と抑揚が生まれ,俳優たちがリアルに演じれば演じるほど,嘘っぽく見えるという皮肉な事態となりました。(p174)
 お金持ちは劇場の一階の両側にある桟敷席や,前のほうの一等席で見るわけですが,そういう人たちは社交として来ていることが多く,本当に芝居の好きな人は,安い大向う(劇場の舞台から見て正面の,最上階)で何度も見ます。だから,ここにいる芝居好きの人たちが感心するような名演技を,「大向うを唸らせる」といいます。(p210)
 二十一世紀初頭になると,「膨大な過去」を目の前にして,芸術家たちは,もはやオリジナリティなどありえないと考えるようになり,シミュレーショニズムに到達します。(p266)
 彼(セザンヌ)は一枚の絵が複数の視点を持つ技法を編み出しましたが,ピカソはそれを推し進め,視点の移動という「時間」も,取り入れました。あるモノを最初は正面から見て,次に右にまわって,それからうしろにまわって見て,さらに上からも下からも見る--それぞれの場所で見えたものを,一枚の絵に描き込んでみたのが,ピカソの絵だったのです。(中略) キュビズムは衝撃を与えましたが,驚かれるのは最初だけなので,いつまでもやっていても仕方がない。ピカソが偉大だったのは、キュビズムを生み出しながらも,世間が驚いているうちに,あっさりやめてしまい,次の段階へ行ったことです。(p269)

2015.11.08 吉行淳之介 『やわらかい話 2』

書名 やわらかい話 2
著者 吉行淳之介
編者 丸谷才一
発行所 講談社文芸文庫
発行年月日 2008.03.10
価格(税別) 1,400円

● 若い頃に吉行淳之介さんの作品は(たぶん)すべて読んだ。小説,エッセイ,対談などすべて。当時から対談の名手と言われていて,『軽薄対談』とか『恐怖対談』など読みふけったものだ。
 その数多い対談から丸谷才一さんが編集して,講談社文芸文庫から2冊出版されている。本書はそのうちの1冊。

● 対談の相手も各界(ただし,政界を除く)の第一人者から,女優やタレントまで種々。話題も文芸論から女性論,世相の片隅をつついて話にするものまで,様々。

● 以下に,いくつか転載。
 結局,男って婦人のためにものを食ってるんですからね。ぼくは食べるたんびにそう思う(藤原義江 p93)
 藤原 一人くらい,こいついやなやつだなという女性がいてくれたら,こんなに苦労しなくてもすんだと思いますね。とにかく,一人として悪い女に会わなかった。 吉行 ぼくもそうです。しかし,おそらくそのなかの何人かはすごく悪い女ですよ。 藤原 やっぱりね。 吉行 あなたに会うと,いい女になっちゃうんですよ。(p99)
 色好みの女性ほど,いくらなじんで,長いことつき合っていても,床へ入る瞬間にフッとはじらいを示すというんです。相手を意識しての演技じゃなくて,自分自身に対するはじらいですね。(p147)
 これは,さるブルー・フィルムの制作者に聞いたんだが,自分以外の人格にならないと立たないというんだよ。わざとつけ鼻をしたり,メガネをかけたりして。あれはヤクザが顔を見られたくないから顔をかくすんじゃなくて,別人格になるためにやるんだそうだ。(p151)
 『資本論』を読んだって,階級性の実感なんて,ピンともスンともこない。テクニカルタームではしゃべりますよ。だけれども,『マイ・シークレット・ライフ』を読むとね,いわゆるゼントルマン階級と下の階級とのあいだに,いかにいろんなもののちがいがあったかということがね,一世紀へだてた極東の島国のわたしですけど,おぼろげながらのみこめる。(開高健 p156)
 凝っては思案にあたわずというでしょう。かえってそれがいじくり回したために演出効果の失われる方向にいっちゃう。素人の手品は,これでもか,これでもかというやり方をするわな。(アダチ龍光 p270)
 一つの単語だけぷつっとやると,かなりのことまで通じる。ブロークン・イングリッシュというのがあって,これはぽきぽき折れるわけだけど,ぼくは一つだけぷつっとやるスポット・イングリッシュ,スポット・フレンチ。(p288)
● 渡辺淳一さんと丸谷才一さんの「解説対談」が巻末に。吉行さんがどれだけモテたかという話。
 このお二人もすでに鬼籍に入られたわけだが。
 銀座のバーのいいところは,何といってもお客が絡まないこと。(中略)吉行さんも,銀座のいいところは客種なんだみたいなことを言ってましたね。(丸谷 p311)
 吉行さんの亡くなったあと,何人かの女性が吉行さんのことを書いたじゃないですか。僕はああいう女性は,嫌いというか,心外なんだけど・・・・・・。(中略) 吉行さんと付き合っていた虚名というか,それを自慢しているだけで。本当の意味で深くない女性じゃないのか,ということを言いたいわけで。(渡辺 p314)
 丸谷 吉行さんはね,宮城(まり子)さんのあのすごい生命力,あれに惚れたわけでしょ。たぶんそうだと思うよ。ところが,生命力に惚れるくらいだから,そういうヴァイタリティーは吉行淳之介にないんだね。 渡辺 いや,吉行さんにじゃなくて,男にないんですよ。(中略)男という性には,そもそもないんですよ。 丸谷 そうだね。女はすごいんだな,そこが。(p316)
 渡辺 しかし吉行さんはほんとに,どの写真見てもいい男ですね。 丸谷 いい男だったし,人柄が立派だったね。いい男で人柄が立派だと,小説はへたなもんだけど,小説もうまかったよ。三拍子揃うっていうのは,かなり珍しいんじゃないのかなぁ。(p317)
 やっぱり,歴史や時代ものは楽なんですよ。すでに生きた人を書くんですから。要するにモディファイで,それに比べると現代の恋愛小説を書くのはしんどいんですけど,一般的に評価は低い。(渡辺 p317)
 丸谷 吉行さんと対談をなされて,彼のホストぶりっていうのか,話術っていうのか,どんなふうにお感じになりました? 渡辺 僕は,話術なんて全然感じなかったですね。術が感じないぐらい自然だったですよ。 丸谷 そうそう,そういう人ですよね。 渡辺 そこがうまさというか。なんとなくしゃべらせられた感じで。(p323)
 吉行さんに会って,ああ,そうかと思ったことがいくつかあって。一つは「僕は女の人称で小説を書かないの,女がわからないんだよ」って。「だからあくまで,自分の目に映った女しか書かないの」って言われたんですよ。(渡辺 p324)
 瀬戸内寂聴さんから聞いた話だけども,瀬戸内さんが宇野さんの色ざんげをいろいろ聞いたんですって。それで,具体的に名前がいっぱい出てくる。ついに出てこない名前があったんで,瀬戸内さんが「小林秀雄とはどうだったんですか」って聞いたんだって。そしたら宇野さんが,恥じらって「わからない」と言う。(中略) 「わからないってどういうこと?」,瀬戸内さんが重ねて聞いたら,「何しろ雑魚寝だったから」って言ったんだって。そういうことをやってるわけですよ(笑)。だから,論理も非論理もあったもんじゃないんだな,そうなると。(丸谷 p326)
 吉行さんて人は,「わからない」ということをよく言う人でしたよね。僕が「どうして主人公は小説家ばかりなの」と聞いたことがあるの。そうしたら,「それ以外の職業はおれにはわからない」。(丸谷 p328)
 丸谷 吉行淳之介さんって人は,感性はものすごく鋭かった。それはもちろんそう。しかし,ずいぶん頭のいい男だったと思いますよ。 渡辺 それは,ベーシックにあった上でのことでしょうね。 丸谷 そうですね。その両方があったから,あんなにうまく対談もできたんだという気がするんです。 渡辺 あれだけソフトで,人をそらさないやさしさっていうのは,よほど頭がよくないとできないですよ。(p329)

2015.11.07 番外:月刊BSA 2015.11→12

編者 大岩 隆
発行所 ファンタスティックモーション

● フリーペーパー。「宇都宮を中心に県内200ヶ所以上の若者が集まる人気の店舗で配布されています」とある。ぼくはベルモールのBE-ONE(ケータイショップ)にあったのをもらってきた。若者じゃないけどね。

● 「CLUB BASQ」という大規模カラオケハウスというか,パーティー会場提供業者が作成しているものらしい。平日ならフリードリンク,料理,会場代こみで,3時間で2,500円から。
 若者をターゲットにした営業をしている。安いわけだから,自ずと若者が集まる。

● 中身もその「CLUB BASQ」に集まった若者たちの写真がメイン。これが最も営業力のあるツールになるのかもしれない。
 肖像権とか,巷では写真を撮られることにもうるさくなっているが,人は自分の写真が広まるのを喜ぶもののようだ。屈託なくはじけている若者たち(たまに中年オヤジ)の写真を見ると,そう思える。

● 若者の表側の世界っていうのは,青少年健全育成だとか,飲酒・喫煙禁止だとか,みだらな交際はいけないとか,禁止だらけだけれども,そんな世界にずっと置かれたら,ほとんどの人はこの人生を生き抜いていく力を失ってしまうだろう。
 そもそもが,誰かが作った基準によって自分の行動をすべて決めることになるわけだから,自分で判断することができなくなるはずだ。つまり,バカになる。

● バカになったのではたまらない。だからこういうアングラというか,息抜きができるというか,素でふるまえるというか(実際にはこういうところでも素にはなれないだろうけど),はじけることのできる場がどうしたって必要だ。
 そんなことは大人もわかっているはずだから(自分が来た道だものな),たいていのことは大目に見る。が,その大目の水準がだんだん下がってきているように思われる。

● 元凶のひとつはアメリカだろうね。やることが極端なんだよな。禁酒法を作ってしまった国だしな。煙草がいけないとなると,極端まで振れる。
 でもね,たぶん,アメリカのダメはほんとにダメで,日本のヤンキーなんて可愛いものなのだと思う。だからアメリカが極端に行くのはわからんでもない。同じことを,なぜ日本がやろうとするかね。

● タウン誌的な記事もチラホラある。が,基本は広告誌だ。フリーペーパーなんだから,ひとつでも読める記事があるなら,それで良しとすべし。

2015.11.06 須藤元気 『自分が変われば世界が変わる』

書名 自分が変われば世界が変わる
著者 須藤元気
発行所 講談社
発行年月日 2012.04.12
価格(税別) 1,400円

● アメリカ東海岸に住む呪術師(?)に秘技「龍の涙」を教わる話。「龍の涙」は秘技なんだから公開はされていない。が,太極拳のようなものらしい。

● これを会得するとどういう御利益があるのかもよくわからない。ただ,幸せになれるとかお金持ちになれるとかって言われると,かえって嘘っぽく感じてしまうだろうから,よくわからなくていいのかもしれない。

2015年11月10日火曜日

2015.11.03 田中眞紀子・外山滋比古 『頭脳の散歩 デジタル教科書はいらない』

書名 頭脳の散歩 デジタル教科書はいらない
著者 田中眞紀子・外山滋比古
発行所 ポプラ社
発行年月日 2010.10.09
価格(税別) 1,400円

● 「デジタル教科書はいらない」といっても,それがメインテーマになっているわけではない。ここは出版社が入れたものだと思う。
 外山さんの発言だけを読んでいった。

● 以下にいくつか転載。
 回りの情報が豊かになってきますと,満腹になってしまって,やっかいなものにいちいち興味を持たなくなります。 ですから,ちょっと難しい本を読むと,これはだめだと思ってしまう。(p24)
 昔の植民地の時代,宗主国はだいたい自分の国の言葉を植民地に強制したわけです。その植民地はだいたいバイリンガルになります。そうするとですね,ものを考える力とか創造する力というのが衰える傾向があります。(p34)
 私たちはわかりきったことは馬鹿にするようにできています。わかりきったものを作っていく努力は,技術面においては大きな価値があると思いますけど,文化として考えると,わからないものの方がわかりきったものよりはるかに面白いのです。(p49)
 本当は,言葉は物事をあまり正確には伝えていないのです。不正確な表現から元の感情とか経験とか物事に到達するには,読む側に大きな精神力や知力とかが必要となります。それが面倒ですから,読むのをだんだんやめる人も出てきます。(中略) 書いた文字は一種の暗号だと思うんです。それを解読するには訓練が必要で,いつの時代でも,ものを読むのが限られたエリートにならざるを得なかった理由もそこにあると思います。(p54)
 戦後にアメリカやイギリスと自由に交流ができるようになってからよりも,ほとんど情報なしに,古い辞書が1冊か2冊ぐらいで読んでいた戦争中の方が面白かったような気がします。 飢餓状態の頭は,なんとかして意味を取ろうと必死です。誰も教えてくれる人はいない。この経験はよかったと思います。(p69)
 デジタルは情報の伝達の効率から言えば優れています。でも,だいたい,得やすい情報というのは失いやすくて価値が低いのが一般です。本当に価値のある情報は暗号みたいで難しい。どうでもいい情報はただでいくらでも得られる。(p73)
 国会図書館はおそらく,日本で一番勉強に適している。大学なんか比じゃないですよ。(中略) 新聞でコラムを書いている人は非常にいい引用をします。あれは新聞社に,しっかりした資料室があるからですよ。あれは新聞社の特権だと思っていますが,おそらく国会図書館の機能をうまく利用すればずっとすごい論文ができて,大変な仕事ができるんじゃないかと思います。(p78)
 無用の用みないな頭の働きをするには,読書というのは人がありがたりすぎてよくない。どうしても読書過多になる。普通はあんまりならないですけど,1日に2冊読んだりする人は年取ってから不活発になりがちです。(p81)
 政治家が年を取ってだんだん賢くなっていくという傾向はね,たとえば学校の教師と比べると著しい。 それはつまり,選挙とか有権者とか,そういうものを絶えず意識して,常に頭を働かせているからだと思うのです。選挙といったら大変な問題でしょう,一生懸命。(中略) 教師をしていると,「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」と言われるようになりがちです。知っていることをただ口に出しているだけで,本当に頭を働かせて,自分で考えたことを言っているということが少ない。(p92)
 読書に関して言えばね,読み切れない本が必要なんです。読めなかった,途中でやめてしまう,そういう本が何冊もないと,本を読めるようにならないんです。(p97)
 上にも下にもきょうだいがいないというのは孤児の状態です。子どもにとって非常にまずいと思います。なんとかして早い段階で,同年齢の子どもを一緒にしてやる。一日少なくとも何時間,数人の子どもと遊ぶというのを経験させてやらないといけないように思います。(p104)
 合理的でいい方法でどんどん教えていきますと,子どもはかえって学習的意欲をなくしがちです。(p127)
 自主的な学習努力は禁じられたところから生まれるもので,奨励されると積極性を失いがちです。(p128)
 知識はいわば無機質で,そこから新しいものが生まれにくい。知恵は有機質で,新しいものを生み出す。知識は無機質ですから,混合しても化合しない。化合したものでないと,人間を動かしていくことにならないでしょう。(p140)
 自然の知恵みたいなものがわれわれの周りにいくらでもある。それは本を読んでものを考えるのとは違って,実際的です。(p146)
 国立の学校というのは,やっぱり広い意味においてお役所的です。(中略)ところが私立には一種の理想みたいなものがあるわけです。志ですかね。少なくとも創立者にはあります。(中略)国立の学校は,優れた教師がいても,理念に結晶されることが少ない。(中略)そういう意味では,私は私立の学校というのが非常に大事だと思うんです。(p150)
 今のところ,家庭は聖域ですから,批判できなくなっているんです。たとえばマスコミでも家庭を批判すれば,相当強い反論があるでしょ。新聞なんかも,恐くて書きません。不買運動を起こされかねません。家庭の教育が大事だということは言っても,今はこれが欠けているなんてことを言ったら,それこそ大変です。 これは家庭にとってもたいへん危険なことです。批判を受けないものは堕落するのですから。(p158)

2015.11.03 茂木健一郎 『天才論 ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣』

書名 天才論 ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣
著者 茂木健一郎
発行所 朝日選書
発行年月日 2007.03.25
価格(税別) 1,000円

● 再読。だいぶ前に出版されたもの。“ダ・ヴィンチ・コード”で騒がれた余韻がまだ残っていた時期だったか。

● どうすれば天才になれるのか。そんなことは本書にも書かれていない。神のいたずらが天才を作るのだと考えるしかないと,ぼくは思っている。
 凡人は凡人の幸せを追求すればいいのだし,またそうするしかないのだと思う。

● 以下にいくつか転載。
 凡人の仕事はたいてい,「こういう理由があって,こういうものをつくった。こういう考え方にたどりついた」という原因と結果,つまり,起源と生産物の関係がはっきりしています。一方,天才のつくりだすものは,なぜこのような発想が生まれるのだろうかと首をひねってしまうくらい,意外性のあるものが多いのです。(p8)
 この世のなかに不連続なものはひとつもありません。(中略)たとえ天才の仕事であっても,そこに至る脳のなかの過程をつぶさにたどることができれば,作品であろうがアイデアであろうが,忽然と出現したものではないことがわかるはずです。 ところが,われわれの認識は,その一連の過程のすべてをとらえることができるわけではないので,あたかもひじょうに大きな飛躍があるかのように,あるいは,起源がほどんど隠蔽され,消されてしまっているかのように感じられる。(p12)
 生命原理の特徴のひとつは,起源がよくわからないと思えるくらいの変貌を遂げることにあります。 たとえば,美しい花を咲かせる植物は,土のなかに落ちた一粒の種から成長したものです。 (中略)天才が生み出すものも,同じような性質をもっています。つまり,何が起源なのかわからないと感じさせるくらい,「起源となった何ものか」からの大きな変貌を,天才の作品は示しているのです。(p16)
 レオナルドは,正式に結婚していない両親から生まれた婚外子であるということも含めて,自分のアイデンティティに深い懐疑を抱いていた印象があります。それが,彼の芸術的創造性の根幹にあるのではないかと思います。(p47)
 天才には,かならず型破りなところがあります。(中略)もちろん,型破りであればかならず天才であるというわけではありませんが,「何かが欠落している」という感覚が,創造性のきっかけになることは多いでしょう。「天才に内在する欠落」という視点から天才について考え直してみると,世の人に勇気を与える視点が見つかるのではないでしょうか(p48)
 レオナルドは,機器のデッサンと人体のデッサンを,あまり区別していなかったのではないか。「自分もまたひとつの機械である」というような感覚を,ごく自然に受け入れていたのではないでしょうか。 ただ,人間という「機械」をパーツに分解して理解しようとしたとき,最後にどうしても解明されない何かが残る。レオナルドはこのことも,十分に理解していた。そしてそうした生命の不思議さを,絵画作品のなかに描いていたような気がします。(p60)
 小説家と話していると,こう言ってはなんですが,彼らがいかに茫洋なる目で世界を見ているか,とてもよくわかります。(p64)
 われわれはついうっかり,世界をありのままに見れば,隠されるものの何もない状態があらわれる,「ちゃんと」見れば世界の謎は消える,と考えてしまうことがあります。 しかしレオナルドは,「ちゃんと」見れば見るほどあらわれてくる謎があることを,知っていました。 (中略)結局,人間の知性の歴史は,知れば知るほど謎が増えるという歴史だったような気がします。そうしたあり方を,レオナルドは史上はじめて,絵画表現に定着させることに成功した,と言ってよいと思います。(p79)
 そもそも天才というものは,潜在的には万能なのだろうと思っています。 それはどういうことかというと,たとえば,数学や音楽のような,専門性が高いと言われる領域においても,天才的な業績,独創的な業績を残すためには,じつは「総合的な知性」が不可欠だと考えるからです。(p81)
 脳は,そもそも空間的制約の高い臓器で,限られた空間のなかに多くの機能を詰め込まなければならないので,さまざまな領域が異なる文脈のなかで使い回しされているというのが実情なのです。 そのような脳のあり方を考えれば,ある特定の分野において鍛えられた回路が,思わぬかたちでほかの分野の役に立つことがあるのは,当然のことでしょう。(p86)
 おそらく天才はだれでも,世界について人並みはずれた理解力をそなえているのでしょう。それがある特定の専門的な分野に大変なエネルギーをもって注ぎ込まれたときに,人々の心を動かし,歴史に残るような業績に結実するのではないでしょうか。(p91)
 脳における視覚の成り立ちにはふたつの方向があって,外から入る刺激が徐々に処理されていく「ボトムアップ」と,部屋のようすを目を閉じて想像するというような「トップダウン」があります。 天才と言われる人たちは,どちらかというとトップダウンの働きが強く,頭のなかに具体的な何かを,ありありと思い浮かべてしまうようです。(p103)
 創造したいと方向づける意図がなければ,脳のなかに蓄積された記憶の断片を組み換えて,新しいものが生まれてくることもあり得ません。(中略) 意欲のない天才,無気力な天才というのは,あり得ないのです。(p110)
 現代に生きるわれわれは,身体と精神は別だという直感をもってしまいがちですが,脳と身体は不可分であるというのが,最近の科学の見解です。 あるいは身体という具体的な存在と,数のような抽象的な概念は,まったく別のものだと思い込んでいますが,そうではないということもわかってきています。(p114)
 私はインターネットは,史上はじめてあらわれた,学びのための巨大な図書館,学校だと認識しています。現代における「最高学府」は,インターネット上にあるのです。(中略) ある程度の基礎学力があって,かつ独学のできる人であれば,大学になんて行っている場合ではない,という時代がすぐそこまで来ています。(p127)

2015.11.03 外山滋比古 『忘却の整理学』

書名 忘却の整理学
著者 外山滋比古
発行所 筑摩書房
発行年月日 2009.12.10
価格(税別) 1,200円

● これまで読んだ外山さんの著書にも,知識と思考は相性がよろしくない,思考のためにはいったん入れた知識を忘れることが必要だ,と力説されていた。
 その忘却の効用をまとめて説いているのが本書。

● 本書にひんぱんに登場するフレーズは「休み,休み」。休みを取らないで,読み続けるのは害あって益なし。

● 以下に転載。
 大学で卒業論文を書く学生はだれしも苦労するが,日ごろよく勉強して知識も豊富な,優秀だと見られている人が意外に混乱し,テーマが決められない一方,普段はあまり勤勉でなく,本なども読み方の足りない学生が,もちろんすべてではないが,しばしば,驚くようなおもしろいテーマをつかむのである。(p6)
 どうして知識が独自の思考に結びつかないのか。両者の間に,忘却を考えないと,説明がつかない。知識をいったんかなりの部分,忘れたあとで,もとの知識から離れてオリジナルな思考の生まれる余地が生じる。忘却がないと,知識は途方にくれる。(p7)
 まず吐いて,残っているよくない空気を全部出してしまってから,きれいな空気を存分に吸い込む。これが深呼吸である。吸い込むのを先行させれば,肺臓によごれた空気が残ってしまう。充分な換気にならない。 それと同じで,忘却が先行する。そうあるべきである。(p16)
 完全な記憶は没個性的である。だれもが同じように記憶できる。試験で百点満点の答案は,何人あっても同じ答えをしている。ところが,忘却作用がはたらいて,欠損部分がある答案は,十人十色,それぞれのところで間違っている。(中略) 没個性的な知識を習得することを通じて個性が生まれるのは,つまり忘却の作用によるのである。(p17)
 頭を使いっぱなしにして,休ませてやらないと,あとから新しいことを吸収することができなくなってしまう。頭へ入れたことを適当に整理する時間,うまく忘れる時間がないと進歩するのは困難である。(中略)勉強も休み,休み,するのが賢明である。(p81)
 本ばかり読んでいると,考えることのできない人間になりやすい。教育が普及した現代,知識過多な読書人が昔に比べて,多くなっている。それに社会も個人も気がつかない。 本を読むのはほかの人の考えたことの跡をたどり,追うことである。いくら行っても本を書いた人の先に出ることは叶わない。(p84)
 思考のとりえはとにかく疾いこと。一瞬,千里を走ることができる。三分の黙考が,本にしたら十ページ,二十ページになることも不可能ではない。それこそ休み,休み,忘れ,忘れて継続的に思考を積み重ねる。いくら忙しい人でも,二分や三分の思考の時間がとれないということはあるまい。(p85)
 実際,歩きはじめて三十分くらいの間は,考えごとはうまくできない。頭が濁っているからである。(中略)散歩の効用は思考そのものをおこすのではなく,思考のための準備をととのえるところにある。忘却するには歩くことがよいようで,その上,忘却はたいてい爽快感をともなっている。思考はその中から生まれるというわけである。(p103)
 原稿は風を入れて,ひととき寝かせてやらないと,うまい推敲にならない(p118)
 夢中,時を忘れ,われを忘れていれば,いつまでも年をとらない。 そういう忘我,夢中の状態にしてくれるものが,そんなにころがっているわけがない。人為によって,見るものに,われを忘れ,時のたつのも気づかないようにさせるものが考え出された。ドラマ,演劇である。(p123)
 悲劇を見ると,人は内にかかえている鬱積した情緒を解放し,それによって,精神を浄化するというのがカタルシスである。(中略)カタルシスには,下剤によって腸内のものを排出する意味もあるが,心に付着したものをはがし,処理するのは,忘却の一種である。(p125)
 いくら古い時代でも人間のいるところにはかならず,祭りがある。人々はそれによって,めいめいカタルシスをおこし,精神を浄化,活力を増進させられることを,為政者たちはいち早く発見していたのである。祭りはいくらかの反社会性をはらんでいるけれども,それは社会の安定を高めるために有用である。毒をもって毒を制する知恵としてよい。(p126)
 カタルシス効果においては,美談,あるいはサクセス・ストーリーのようなものは,凶悪,悲惨なニュースに及ばない。同類だからこそ毒を毒で制するようにしたときカタルシス効果が大きい。マスコミはひどいニュースばかりをとりあげようとしているかに見えるが,カタルシスを求める読者が無意識のうちに,ネガティヴなものを欲していて,それに対応しているにすぎない。(p127)
 自然に,必然的,本人が望むと望まないとを問わず,勝手にどんどん忘れるようになっている。ということは,記憶より忘却の方が人間にとって重大なものだということになる。(p130)
 集中講義ですばらしい授業があったら例外的だし,大きな知的刺激を受ける学生もほとんどないはずである。 大学の授業は週一回と決ったものである。よほど熱心な学生でも,先週の授業のかなりの部分は忘れている。ひどいのになると,まるきり忘れてしまっていることもある。それを非能率だと考えるのは,勉学というものを知らない人で,喜んで集中講義をするだろう。(p141)
 良心的,というか,気の小さい人は,ほかのことにかかずらうのは不純といわんばかりに,一心不乱でその問題だけを考えつめるかもしれない。しかし,これは誤っている。そういう熟慮の結果は,しばしば即答とあまり変わるところがない。(p146)
 この読み方を昔の人は,「読書百遍,意おのずから通ず」と言った。ふつう,百回,つまり何度も読むという点が注目されるけれども,一回一回の間に,空白の時間のあることは注意されない。その空白は頭の整理をする忘却のためにあるのだ。立て続けに何回も読んだのでは,「意おのずから通ず」とはならない。(p151)
 メモをとった話は結局,聴いたことにならないのだ,ということに気づかないのは問題である。忠実にメモしたつもりでも,話半分も書きとれないし,文字を書くのに気を取られているから,話は頭を素通り。あとには何も残らない。メモしたから,後で読めばと本人は考えるが,お生憎さま,メモはまず後で読むことはない。(中略) だいたい,聴いた話をすべて,わがものにしようというのがよろしくない。半分わかれば上等,五分の一覚えていれば上々,としなくてはいけない。(p174)
 やはり,聞き流し,読み流すのが,自然で,またもっとも有効な情報の取得方法になる。記憶と記録と忘却と理解は,一般に考えられているよりずっと複雑な関係にある。(p179)
 時間はただ流れるのではなく,不要なもの,不快なもの,腐敗する部分を洗い落とし,流れ落とすはたらきをもっていることがわかる。はっきり言えば,時は忘却なり,である。古いものは,時の忘却を経ているから,なつかしく,美しく,心ひかれるのである。(中略)思い出はもとのものごとをそのまま再現することではなく,時の忘却作用によって加工,変化した過去である。歴史家はこのことを頭に置かないといけないように思われる。(p182)
 時は距離でもある。そうだとすれば,空間的距離も時の忘却作用に似た作用をおびている。距離も美化の機能をもつ。 すぐ近くで見れば,岩と雑木のかたまりのような山も,遠山となれば,青く霞んで美しい。(p183)
 詩は強い感情の自然の発露だけれども,ナマの感情ではなく,心静まり,時を経て思い出された情緒に根をもっていなくてはならない(p185)
 毎日毎日,病める人とばかり接している医師の仕事は精神衛生上,きわめて厳しい仕事である。息抜きが必要で,好きなことにひと時われを忘れるのは,医師の力を高めることになるはずである。(中略)モンテーニュが,「よく笑う医者はよく治す」という意味のことを言っている。仕事ひと筋の医者は笑うゆとりがなく,したがって,良医ではないとも言える。(p188)
 ひと筋につながっていては忘却するヒマがないが,何足も履物をはいていれば,労せずして,どんどん忘れることが出来る。(中略) ひとつでは多すぎる。いくつかを同時実行すれば,どうしても,休み休み,になる。それが,頭の好むところでもあって,忘却は,忙しいほど進む。忙しい人ほど頭がよく働くことになる。(p190)

2015年11月6日金曜日

2015.11.01 村上宣寛 『野宿完全マニュアル』

書名 野宿完全マニュアル
著者 村上宣寛
発行所 三一新書
発行年月日 1996.08.31
価格(税別) 777円

● 副題は「究極のアウトドア案内」。11章で構成されており,第5章からが各論。寝室,衣類,器具,食料計画,宿泊地の選定などが解説されている。

● このうち,器具についてはスマホ以前と以後とではガラッと様相が変わっているだろう。約20年前に書かれたこの本がそのまま今も役に立つというわけではなくなっていると思う。
 が,構えは同じだ。何をするのか,そのためにはどんな道具が必要なのか。道具の選定が変わってくるだけだ。

● 同じように,衣類についてもユニクロ(のヒートテック)以前と以後とでは,何を着ればいいかが変わっていると思う。
 この部分についてのユニクロの影響は絶大だ。

● 宿泊地についても,本書では神社,無人駅,公園(あまりお勧めではないとのこと)などたくさん挙げられているが,今ではだいぶ難しくなっていると聞く。少なくとも,学校の校庭にテントを張るのは不可だろう。無人駅なども管理が厳しくなっているようだ。
 事実上の選択肢として市町村が用意しているキャンプ場しかなくなっている? 田舎に行くとこのあたりも多少はラフになるんだろうけど。

● 以下にいくつか転載。
 今,はやりのキャンプといえばオート・キャンプである。自動車はピカピカの4WD,アウトドア・ファッションに身を固め,目的地に直行してロッジ型の巨大なテントを張る。(中略)整備されたキャンプ場には水洗トイレがある。電気も使える。食堂が併設されていることすらある。一泊一万円前後,宿に泊まるより安いという。 お金を払っているから「快適な」キャンプができる。(中略)すべては予想通りに整えられており,意外な出来事はなにもない。そして意外性のない所には感動も生まれない。(p12)
 水洗トイレがあり,水道も電気も完備されている清潔なキャンプ場は限られている。だからオート・キャンパーの行動の自由は乏しい。(中略)トイレも水もなくてよいという場合,行動の自由は高まる。ほとんど行けないところはない。野宿をする人間にはキャンプ場でしか夜をすごせない人が哀れに見える。野宿は自由なのだ。(p14)
 普通の人は一日コースを一日で歩く。だから,観光ポイントの通過時刻がほぼ一定になる。しかし,一日コースだから一日で歩くという必要性はなにもない。せっかく来たのだからと,あちこち見るのもやめよう。どれだけたくさん見たかは重要ではない。どれだけ感動したか,どれだけ満足したか,という自分の価値観を重視したい。(p15)
 われわれは成金の時間貧乏人ではない。たまたま手元にたくさん現金を持っていないだけで,本当は大金持ちなのだ。たっぷりと時間をかけて,自分の身体を動かし,自然と一体化することによって,はじめて感動は生まれる。金で感動を買おうなんて,貧乏人の考えることだ。(p16)
 あまり効率的に走ると旅がつまらなくなる。時々走るのをやめてぼけっとしたり,寄り道するほうがおもしろい。自転車の場合は一日に一〇〇キロ程度移動できるが,なるべく走りすぎないように努力すること。(p17)
 「××まで」とか「××一周」などというコース設定はしないこと。行動目標を設定すると,どうしても目的意識が先に立ち,先を急ぎがちになる。寄り道したり,景色をじっくり楽しむゆとりがなくなってしまう。男の悲しいさがか。この点,女は寄り道の天才だ。少しだけ見習ったほうがよい。(p18)
 一人用テントと二人用テントの重量の差は〇.五~一キロ程度のことが多い。この重量増が我慢できるなら,ソロの場合は二人用,二人の場合は三人用がよい。(p68)
 バックパッキングやサイクリング用としては三季用を選んだ方がよい。疲労した時は血糖値が下がり,普段より寒さを感じる。山の中では明け方冷え込むし,夏でも温かめのシュラーフがよい。温かすぎて困ることはない。(p82)
 サイクリングでは夏の服装の上に重ね着をしていく。鳥肌が立つような季節になると長袖の上着をきる。初雪が見られる季節になってようやくタイツをはく。ベストを追加すると厳冬期の服装となる。これ以上着ると行動中に汗をかいてしまう。(p92)
 野外ではいつも疲れている。むぞうさに丸めて詰め込めるのはありがたい。こういうアメリカのレインウェアをみると,つくづく日本のアウトドア・スポーツは偽物だと感じてしまう。(p101)
 激しい雨の時には,完全防水の手袋がほしくなる。超安価,完全防水の理想的手袋は,作業用ゴム手である。ホーム・センターで三〇〇円程度で手に入る。(中略)特大サイズを買っておけばオーバーグローブとして利用できる。(p106)
 野宿しまくっている野郎なんて料理などしない。野外では徹底的な手抜き料理が主流だ。おいしい物は家庭で作って味わうものである。(p153)
 私が愛用しているのは,東鳩の「オールレーズン」というクッキーである。レーズンパンを押しつぶして乾燥させたような食べ物で,甘くなく朝食にぴったりである。(p160)
 キャンプの古いガイドブックでは排水溝を掘ると書いてあるが,そんな必要はない。(中略)みんなが溝を掘ればたちまち自然が破壊される。けっして排水溝は掘ってはいけない。(p178)
 私の場合は,水場とトイレからもっとも遠い,不便な場所にテントを張る。あるいは,荷物を担ぎ上げるのが嫌な高台にテントを張る。みんなが嫌な所,不便な所は静かで寝心地がよい。(p183)
● ぼくは野宿というものをやってみたことはない。が,これからしてみたいと思っている。自転車で日本一周をやってみたいから。1日3千円であげたいんだよねぇ。となると,野宿しかないわけで。
 が,テントを張れるのがキャンプ場しかないとなると(キャンプ場を利用するとお金がかかるんだろうから),ちょっとキツくなるか。