2015年10月31日土曜日

2015.10.31 外山滋比古 『「マイナス」のプラス』

書名 「マイナス」のプラス
著者 外山滋比古
発行所 講談社
発行年月日 2010.01.28
価格(税別) 1,143円

● 副題は「反常識の人生論」。本書は著者の箴言集のような趣がある。

● 「まえがき」にある次の文章が本書の要諦。
 幸福をプラス,不幸,災いをマイナスとすれば,プラス,マイナスは縄のように交錯してあらわれる。その場合,マイナス先行がよく,プラス先行ではうまくない。禍福と言って,福禍と言わないのがおもしろい。(p4)
● ほかにも以下に転載。
 相手が調子に乗ってなんでもいろいろしゃべるのを,いやな顔もしないできいている,というのは,案外,難しいことである。(中略)きき上手はひとつの徳である。きき手の沈黙は話し手の雄弁にまさることがすくなくない。(p16)
 自分を売り込もうとしている人間はおもしろくない。(p16)
 人間はいずれ死ぬ。どうせ死ぬのだから,よく生きる努力など空しいではないかと考えるのは,先を見透しているようで,実は,考えが足りない。人生に,美しく生きる人生に,“どうせ”はない。さかしらに,よく考えもせず,タカをくくってなすべきことをしないのは怠慢である。(p25)
 若いときの考えなど考えにならないのである。なにも考えないのがかえってよい結果につながることがある。(p31)
 よそからの差し出口はすべて無益有害である。(p32)
 われわれは,ことに若いときは,努力すればなんでもできる,いや,できるはずだ,という途方もない思い上がりにとりつかれている。(p34)
 努力,人事の限界を知れば,人生は気が楽である。すべてを自分の責任とするのは,いかにも,りっぱなようであるが,その実,うぬぼれであり,不遜である。(p35)
 三分の人事といっても,三分の一だけ努力すればいいというわけではない。十をすべてやるのである。しかし,成果を収めるのは三分である,という覚悟がほしい。(p35)
 敵は味方よりも人間を成長させてくれるものだ,ということがわかるようになるには,いくつもの強敵をねじふせておおしく生きてきた経験が必要である。そういう苦労人には敵に味方以上に熱い気持ちをいだくことができる。(p38)
 昔の人は口が悪い。「惣領の甚六,末っ子は三文安い」と言ったものだ。(中略)ひとりっ子は惣領と末っ子をかねているようなものだから,(中略)よほど危険,苦労,失敗などを経験しないと,もっている可能性も発揮できなくなってしまう。(p38)
 親がえらいうちの子が,親を越えることもないではないが,多くは,及ばない。父の苦労の方が子よりも大きいのが理由のひとつである。(中略)子の育ち方が親より恵まれていることによるのであって,二世の努力不足ではないということを考えるべきである。(p41)
 張り合っていた相手が急にいなくなると,目標が消えたようなものである。努力は目標を失って空を切り不発に終わる。それが,相手と実際に張り合っているよりはるかに大きな消耗になる。スランプに陥る。 (中略)ここでいちばん賢明なのは,新しい敵を見つけて,それと張り合って,自分をのばしていくことである。なかなか,そこに思いつかないだろうが,これができるかできないかは,大問題である。(p44)
 知識は力なりと,ノンキなことを言った哲学者がいるけれども,知識によりけり。悪性知識,有毒知識は命とりになる。ものを知らなくても死にはしないけれども,なまじおそろしい知識を吹き込まれると命をおとす。(p47)
 病気だと知ると病気になる。知らないでいれば病気ではない。そんなバカげたことがあってたまるか,と人は言うかもしれないが,人間は弱いもので病気ということばで病気になり,病気だ病気だと気に病んでいると,ひょっとして,死んでしまうかもしれない。知らぬが仏,である。知るは災い,知らぬは力であるというのが,案外,道理に近いのかもしれない。(p49)
 早期発見・早期治療というが,早々と病人にされるのはありがたくない。知らぬうちに治ってしまうかもしれないのを,ほじくり出し,ひっかきまわして,本ものの病気にする医学が絶対にないとは言えないような気がする。(p53)
 このごろの医学は,アメリカにかぶれて,告知ということを当然のことのように考える。(中略)われわれ人間はみんな生まれながらにして死ぬ運命にあるが,いつ執行されるかわからないから,笑って生きていられる。神だって死期の告知を遠慮しているのに,医学があえてそれをするのは,天を怖れざる業ではないのか。(p53)
 人間,敏感であるのは考えものである。つまらぬことにいちいち反応し,いつまでもそれにこだわって悩み苦しむのは人間として賢明だとはいえないだろう。それに引きかえ,鈍根はよろしい。(中略)どんな大きな不幸でも,病苦でも,反応しなければ,かなり毒が消えるのである。(p54)
 いわゆる恵まれない境遇にある人はとかく自分たちを不幸と思うけれども,それは当たらない。真の不幸は,我慢すべきものがない,すくないことである。(p60)
 コンプレックスは弱きものの友である。コンプレックスのない人はひとりで人生の難関に立ち向かわなくてはならない。(p73)
 人間を教えるのは人間ではない。苦労,貧困,病苦などおそろしい体験によってのみ,人間は人間らしくなる。(p93)
 企業で働くようになっても,別に,馬車馬のようにただ働くばかりが能ではありません。人からきいた,おもしろい話,さしさわりのある話,秘密は,胸にしまって,ほかの人に話さないようにすると,五年もすればまわりの信望が集まり,出世できます。とくに大きな仕事をしなくても,評価されることうけ合いです(p96)
 ことばづかいが乱れていると戦後ずっと言われてきたが,つまり,もともと相手本位,相手を立てることを基本にしていた日本語を,アメリカ流コミュニケーションのスタイルへ変えようとし,変えたところに混乱の原因がある。(p108)
 ホテルの喫茶室は,中年女性に人気がある。ことに数人でコーヒーとケーキ,それにおしゃべり,が最高のレジャーになるらしい。ボソボソやっているテーブルはない。みんな大声の競争のようで,仲間の言うことさえきこえない。だからますます大声になる。ひとりでお茶をのんでいる客は五分とはいたたまれない。声が大きいという自覚がないから,注意でもしようものなら,どんなトラブルがおこるかわからない。(中略) こういう自分勝手,はた迷惑を,それと自覚しない人間は洗練されることが難しい。(p120)
 年をとるにつれて欲は深くなるのが普通で,老人には欲のかたまりのようなのが珍しくない。欲は欲でも,物欲などは,あからさまにあらわれることがなくてすむだけに,とくにはた迷惑ということもないが,見ぐるしいのは自慢の欲望である。(p140)
 かげでほめるのはきわめて効果的である。ただし,なかなかできない。(p148)
 よく試行錯誤という。新しいものごとをするとき,やってみて,失敗してもまたやってみる。それを繰り返してすこしずつ上手になるのをそう言うのである。いちばん大切なのは,失敗をくり返す点である。いっぺんでうまくいく,というようなことはこの世の中に,そんなにあるはずがない。(p166)
 試行錯誤のおもしろいところは,失敗は忘れる,成功したことは記憶する,という点にある。つまり,成功体験は蓄積するが,失敗体験はその都度,消滅して加重しない。それでやがてうまくいくようになる。(p168)
 日記はいわば日々の決算のようなものだが,それより大切かもしれない予算というものを考えない。日記だけつけて得意になっているのは,予算を立てずに決算を行っているみたいなもので,おかしくはないか,そう思った。 (中略)さっそく予定を立てることにした。朝,前日の日記をつけたあと,その日にしなくてはならない予定の仕事を紙片に書き出す。(p186)
 多少の我慢をしないと,カネはたまらないようにできている。精神の自立を保証する第一はカネであるというのは決して俗物のたわごとではない。(p200)
 どういうものが,自由思考か,純粋思考であるかというと,いまないもの,わからないものを考えることである。 算数の応用問題の答えを求めて考えるのは,(中略)前段思考,具体思考である。それに対して算数の応用問題を“つくる”のは自由思考である。どういう問題をつくるかは自由である。一般に問題に答えるのより問題をつくる方がはるかに難しい。そのためもあって,問題を解く思考のみ力を入れる教育が行われている。(p211)
 朝,目をさましたら,すぐ起きないで,ぼんやりする。なるべく過ぎ去ったことは頭に入れない。浮き世ばなれしたことが頭に浮かんだら,それを喜び,忘れてこまるようなことだったら,メモする。毎朝,十分か二十分,こういう時間をもてば,誰でも思考家になれる。考える人間になれる。夜,考えごとをするのは賢明でない。思考は朝に限る。(p214)

2015.10.30 吉江 勝 『出版で夢をつかむ方法』

書名 出版で夢をつかむ方法
著者 吉江 勝
発行所 中経出版
発行年月日 2010.06.18
価格(税別) 1,400円

● 副題は「人生を変えるブック・ブランド・マーケティング」。
 自分の仕事の分野で本を出すことによって,箔がつく。箔がつくと顧客との間の信頼関係も作りやすくなる。つまり,仕事がしやすくなる。だから本を出しなさい。どうもそういう内容。自分のビジネスに絡まないところで本を出しても仕方がないと言っている。
 一方で,我欲だけではダメだともある。が,出発点が我欲に立脚しているわけだからな。

● 本書は,いわゆる“精神世界”の分野に属するものかもしれない。神田昌典,本田健の流れに属するものでもあるようだ。
 ぼくは神田昌典さんの著書はまったく読んだことがないんだけれども。

● 以下に転載。
 現時点で図抜けた実績がなくても出版できる現象はどうやら読者側の意識の変化によるところが大きいようです。 これは出版社の方からうかがったのですが,最近は「何でもできる優秀な人」の書く本は総じてあまり売れなくなってきているのだとのこと。(p32)
 誰からも認められない日常を長く過ごすデメリットは,その状況に自分自身が慣れてしまう点にあります。(p48)
 たとえ今のあなたの能力が劣っていても,セルフイメージを高めることさえできれば十分に挽回することが可能になります。出版は,この人間の究極的な成功要因であるセルフイメージを最もたやすく体現する最適な手段なのです。(p49)
 売れる営業マンは口下手でも相手がよくなることを願って真摯に対応できる人(p66)
 あなたが書きたい本のテーマがどんなに崇高で意義深くても「売れなければただの資源ゴミ」 それが本に限らずすべての商業製品の宿命ともいえるのではないでしょうか。(p98)
 あなたがやることは,今この瞬間からポジティブに生きる決意をする,そしてそれに即した行動をとる,この2つだけです。 あなたの積極的なバイブレーションが周囲にまで浸透したとき,今までならば考えただけで「到底,不可能だ」と思っていた困難な事象も現実社会で「えっ,こんなにたやすくできるものだったの?」というレベルに落ちてくるのです。(p106)
 本は「タイトル,テーマ,タイミング」です。その中でも特にタイトルが重要だと考えています。私はいつも中身を書くのと同等のエネルギーをタイトルにかけているのですよ。(山田真哉 p156)
 ベストセラーをつくるうえでは,書店に行かない普通の人になりきって「どんな本ならば読みたくなるかな?」と考察してみることが役立ちます。(中略)普段本を読まない人の心理を考えるには,周囲の変化や情勢を観察することです。(山田真哉 p158)
 ある程度の方向性は位置づけて後はその場の流れに乗って楽しくやる方が良い成果が得られることが多いみたいです。(和田裕美 p160)
 人間には必ずこの世に生まれてきた役割があります。100人人間がいれば100通りの役割があるのです。それをすることによって自分がワクワクして周囲も元気づく,結果的に皆が幸せになる,そんな役割を知れば,出版はもちろん,仕事だって人生だって思いどおりです。(道幸武久 p164)
 自分の書きたいテーマが漠然とあったとして,そこにピッタリなタイトルが決まれば後の作業がとてもスムーズになります。ですから私は本を書くとき最初にタイトルを100個くらい絞り出します。100でいいタイトルがなければ200個,それでダメなら300個。そこでピンとこなければまだそのテーマで本を出すタイミングじゃないのです。(p167)
 人生を一生懸命生きてこられた方ならば書くべきテーマが必ずあります。それは自分のビジネスノウハウと生き方です。あなたが真面目に真っ直ぐにこれまでやり遂げてきたことをテーマに自分の思いがしっかりつまった原稿を責任感を持って書くようにしてください。(臼井由妃 p170)
 読者はお金を出して本を買って読むのですから,真剣です。本の行間からは,著者の人間性,生き様,考え方が丸見えになるんです。大してコンテンツもないのに本を書いてしまうと,自分の浅はかさを世間に露出するようなものですから,恥ずかしくない生き方をし,しっかりとした実績を上げることを優先順位のいちばんにしなければいけないと思います。(吉野真由美 p179)
 これから出版する人に向けてアドバイスするとしたら,「まず自分の過去をみとめてください」ということです。これは苦しかった,こんなことは絶対に話したくないというものの中にこそ,あなたのダイヤモンドがあるからです。それを認めて公開するとそこからあなた独自のストーリーが出来上がります。(木戸一敏 p187)

2015.10.28 堀江貴文 『ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた』

書名 ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた
著者 堀江貴文
発行所 角川書店
発行年月日 2013.08.30
価格(税別) 1,300円

● 堀江さんが逮捕されたとき,彼はこれで終わったと多くの人が思ったと思う。ぼくもそうだった。ところが,彼はほぼ完全復活を果たした。
 むしろ,メディアに追いかけ回されることが減った分,今の方がやりたいことをやれているのかもしれない。

● 理系(科学)が社会を引っぱるエンジンで,文系はそのあとにプカプカとできてくるもの。まぁ,どうでもいいもの。だから,科学を勉強しないとね。
 これが本書の縦糸になっているものだと思う。

● 成毛眞さんと堀江さんの対談も収録されており,じつは,これが一番面白かった。

● 以下にいくつか転載。
 いかに素晴らしいアイデアを思いついても,世界中で同じ事を考えている奴なんでいっぱいいて,そのことがインターネットで瞬時に共有される。そうなると,アイデアそのものの価値は,限りなくゼロに等しくなっていく。 この状況で成功できるかどうかは,いかに速く,あるいはタイミングよく実装できるかどうかにかかっていると言えるだろう。(p27)
 真摯で丁寧だと尊敬され,信頼される反面,真面目な人というのは扱いやすく,騙されやすい側面も持っている。ことビジネスにおいて,“真面目さ”は真の美徳になり得るのだろうか。(p28)
 昔から「こうなればいいな」と思っていたようなこと-たとえば“浮いて走る車”とか-を実現したい。そんなノリでいい。 それが楽しいからやっている。(p52)
 有事の時には,その人の「情報感度」がよくわかる。普段からマスコミに踊らされている人は,有事の時は恰好のカモだ。そんな人たちが,ネット上で騒いだもんだから,本当にめちゃくちゃになってしまっていた。これこそが,福島原発に端を発した究極の“人災”だったとすら思う。(p60)
 福島第一原子力発電所の事故によって引き起こされた災害は,放射性物質によるものよりも,無知なままメディアの情報を鵜呑みにした人たちがギャーギャー言って混乱をきたした現象のほうが深刻で,これはけっこうな災害だったといえるだろう。 そしてその人災の一番の被害者は,福島の人たちだ。日本中のバカによってケガレた場所だとされて,産業が大打撃を受けたことは周知のとおりだ。(p66)
 最高水準の科学の世界は,キレイゴトが通用しない,ギャンブルの世界と変わらないのだった。(p94)
 当時,声をかけることすらできなかった自分に教えてやりたい。恋愛なんて大学受験と同じで,テクニックだけでしかないということを。東大に受かるテクニックを持っているのならば,お前はもう,やりたい放題であったと・・・・・・。(p127)
 科学者や理系オタクは,どんな時代にいても,その時代の環境の中で,最先端の科学を希求するというマインドが同じだ。だから,たとえ舞台が江戸時代でも,その感動は古びたものにはならない。 そしてそれは,一人の人生の中でも同じだ。(中略)理系オタクというのは,永遠の青春を約束された人々なのだ。(p135)
 歴史というものは,常に変わり続ける「今」から解釈されるものだ。だから,今「正解」とされているものが未来に変わることもあるし,過去に「間違い」だとされていたものが今になって「正解」になることだってある。(p144)
 過去に間違いだと思われていたもの,悪だと思われていたものが,実は新しすぎただけだったり,そもそも周囲の状況が悪質な状態なだけだったりする。(p149)
 科学を知ることで,次のビジネスチャンスがどこにあるか,さらには次の時代の転換点まであとどれくらいかが具体的に見える。科学の知識は,まさに世の中を見通す千里眼になるのである。(p172)
 堀江 僕は手持ちの「ネタ」としてストックしておきたいから,結局読むんですよね。読んでおかないと,文句言いたいときに言えないから。Androidも同じで,文句を言うために使っているみたいなもので。 成毛 僕は興味ないものは読まないですね。(中略)Androidは使えないので僕は捨てました。 堀江 ほんと,こんな最悪なマシンはねえだろ,みたいな。2年経ったけど,結局何の進化もしてませんね。ほんと,どうなんですかねAndroid。(p187)
 今,間違いなく必要なのは理系,つまりサイエンスだよね。というより,今だけじゃなくて,何百年も人間はサイエンスがあって初めて文明を前進させて,それが経済を作ったことで結果的に余剰を生み,余剰があって生まれたので文化なわけで。文系による文学は,いちばん最後に出てくる,言ってみれば余剰物ですよね。(成毛 p189)
 堀江 やっぱり完全にスマホシフトですよね。今。 成毛 スマホ以外考えても何の意味もない。 堀江 ほんと,PCはおまけですよね。 成毛 全然。8インチタブレットも全然おまけ。スマホだけだと思う。(p195)

2015.10.27 宮田珠己 『52%調子のいい旅』

書名 52%調子のいい旅
著者 宮田珠己
発行所 旅行人
発行年月日 2003.06.24
価格(税別) 1,300円

● 宮田さんの比較的初期のエッセイ集。知的,技巧的,といった言葉が本書の形容としては相応しいだろうか。
 知的だったり,技巧が見えてしまったりすると,意外に飽きられるのも早いのではないかという危惧もあり。

● 以下に転載。
 最近知ったのだが栃木県の宇都宮はギョウザの町らしい。たまたま訪れる機会があり,宇都宮駅の売店のおばさんに,このへんでは一番と教えられた駅近くの店へ行ってみると,ギョウザの研究を一五年続けてきたという店で,ウナギギョウザとかワサビギョウザとか何でもかんでもギョウザ化していた。面白そうであり,さっそくあれこれ食ったら特にうまくなかった。 気を取り直して今度は逆に,焼きギョウザと水ギョウザしかないこだわりの有名チェーン店に行ってみると,行列になって期待したのに,食べるとまたもやうまくなかった。まずいとは言わないが,こんなギョウザならどこでも食えると思ったのである。(p28)
 栃木に住む者としては聞き捨てならない。とは思わない。しょせんは餃子,という言い方ははなはだ穏当ではないけれど,画期的に旨い餃子は食べたことがない。
 が,「王将」よりは「みんみん」や「正嗣」の方が旨くないかい?
 グルメはもともと食べるのが好きだから,食べてるだけでうれしいのであり,どうしたって食べ物に甘い。その点私は,食いたくないのに食っているので,まずいもの食うぐらいなら何も食わないという分別があり,舌が客観的である。(p29)
 私はいつも何となく食っているだけなので,極端にうまいか極端にまずいものしか判別できない。したがって,その私がうまいと言うものは,本当にうまいのであって,さぬきうどんは,宇都宮のギョウザと全然違って真にうまい。(p29)
 ぼくも四国に住んでいたことがあるから,讃岐うどんの旨さは知っているつもり。初めて讃岐うどん を食べたのは,今は昔,宇高連絡船の立ち食いスタンドでだった。
 立ち食いスタンドでも讃岐うどんは旨かった。“名物に旨いものなし”に例外があることを初めて知った経験だった。
 が,讃岐うどんが例外なんだと思う。宇都宮の餃子に限らず,言っちゃなんけども,喜多方ラーメンも“まずいとは言わないが,こんなラーメンならどこでも食える”というものだったし,札幌ラーメンもそうじゃないか。長崎チャンポンもしかり。讃岐うどんが例外なのだ。
 趣味ができないのは面白かったら腰を上げて突っ込もうと思っているからで,趣味なんか最初は面白くないに決まっており,少しずつ始めていたら面白いところまでちっとも到達しない。だからやるときは,ためらうことなくどーんと一気に駒を進めなければならない。(p32)
 世界一周はもったいないというのが私の持論だ。(中略)いろいろな国や地域,そしてそれぞれの大陸の個性をじっくり味わって旅をするのが面白いわけだから,簡単に一周するのは雑だと私は思っているのである。(p81)

2015年10月28日水曜日

2015.10.27 番外:激突! 北関東3県「だっぺ」の本気バトル

編者 岡島慎二
発行所 マイクロマガジン社
発行年月日 2013.09.04
価格(税別) 943円

● この日,某病院で人間ドッグを受診。そこにこの雑誌があったので,合間にパラパラと読んでみた。

● 群馬,栃木,茨城をからかって遊びましょ,という趣向。でも,これを読むのはこの3県に住む人たちが大半を占めるのだろうな。
 早い話,それ以外の都府県に住んでいる人にとっては,どうでもいいことだもんね。

● ヤンキーの多さ(と深度),温泉,風俗,工業生産額,名門校比較,などトピックは多岐にわたる。よくこれだけ思いつくものだ。

● ぼくも栃木県人なので,栃木県って影が薄いとか知名度が低いっていう話はよく聞く。実際,そうなのだろうとも思う。
 日光を知らない人はいないけれども,日光が栃木県にあるっていうのは知られていないっていうのは,何度か痛感したことがあるしねぇ。

● でも,いいんじゃないですか,それで。ぼくらも他県のことをそれほど知っているわけじゃないし,栃木県の知名度が上がったからといって,それで何がどうなるわけでもない。
 逆にいうと,知名度が低いからといって,何か不都合があるわけでもないからね。

● もちろん,そういう前提で,それを遊びの種にするのはいいと思う。が,本気で知名度を上げようなどと考えているのなら,そういう人にはバカですかと言ってみたい。
 ところが,本気の人がいるようなんだよなぁ。困ったことに。

2015.10.25 櫻井 寛 『宮脇俊三と旅した鉄道風景』

書名 宮脇俊三と旅した鉄道風景
著者 櫻井 寛
発行所 ダイヤモンド社
発行年月日 2013.03.08
価格(税別) 2,000円

● 著者が宮脇氏に随行して,カメラマンを務めたり荷物持ちをしたりしたことが,何度もあったらしい。それをあらためて回想したもの。本書のメインは著者が撮影した写真。特に,宮脇氏を撮った写真。

● 著者が随行したのは,海外の鉄道に乗りに行くときだった。いきおい,海外の鉄道や沿線風景の写真が多くなる。あと,アメリカが少し。

● ぼくも宮脇氏の作品はほぼすべて読んでいるはずだけれども,あらためて読み返したいとは思わないまま,現在に至る。
 新しいのがどんどん出版されるわけだから,なかなか昔読んだのを読み返すって方向にはいかないわけで。

● ちなみに,宮脇作品の中でぼくの特にお気に入りは,『汽車旅12ヵ月』と『台湾鉄路千公里』。当時,何度か読み返しているはずだ。
 特に『台湾鉄路千公里』はまだ貧しさを湛えていた頃の台湾の世相,風景がしみじみと染みてくるようでね。
 それに,宮脇さんがまだ鉄道(あるいは,鉄道について書くこと)に飽いていない時期で,宮脇さんとともに,阿里山のホテルにいた若い台湾人カップルの様子に感慨をおぼえたり,サトウキビ畑をトコトコと走る列車の車窓風景を愛でる気分に浸ることができた。

2015.10.25 番外:PRESIDENT 2015.8.3号

編者 鈴木勝彦
発行所 プレジデント社
発行年月日 2015.07.13
価格(税別) 639円

● 「佐藤優の手帳テクニック全公開」という4ページの特集記事があって,その4ページだけを読んだ。

● 連載原稿85本/月,毎月3冊のペースで単行本を刊行,約1,200枚の原稿生産。月に約130人に会い,情報収集のための読書に毎日4時間を費やす。
 と紹介されているんだけど,そのとおりならばまさに超人的。月に1,200枚の原稿って,1日あたり40枚。それだけの原稿を書けることが普通じゃない。そんなのを続けていたら疲弊するだけだろうと思ってしまう。
 それが疲弊もしないし,枯れもしないのは,インプットにも怠りないからなんだろうけど,うぅん,俄には信じがたいな。

● その佐藤さん,コクヨのCampusノートに何でも書いている。スケジュール管理もこのノートの見開き2ページをマンスリー的に使っている。原稿の締切に1ページ,それ以外の予定に1ページを充てる。
 ノートは1~2ヶ月で1冊を使い切る。ただし,中紙が100枚のやつだ(たぶん,B5ではないかと思う)。
 私が自分の行動記録をつけるようになったのは,東京拘置所に入って何もすることがなかったからだが,おかげでとてもいい習慣が身についた。
 書き込む事柄は仕事に限らない。朝何時に起きて何をして,誰と会い,どのような話をしたのかということを,仕事,プライベートに関係なく事細かに書いていく。
● 佐藤さんのこのやり方は,日経WOMAN 2015年5月号も取りあげていて,へぇぇと思ったものだが,あらためてそれを知らされると,自分とは格が違う人がこの世にはいるのだと思うほかはない。
 以下にふたつほど転載。
 綱渡りで仕事するのはリスクが高いという声もあるだろう。だが,たとえ綱渡りでも,落ちなければ問題はない。綱から落ちたときのためにスケジュールにバッファを多めに入れる人もいるが,入れすぎると緊張感が失われるリスクがある。
 私は現在,チェコ語を週に1時間15分習っている。チェコ出身の宗教改革者ヤン・フスの『教会について』は英訳があるが,古くて間違いが多く,改めて原著で読みたいと思ったことがきっかけだ。

2015.10.25 番外:日経WOMAN 2015年11月号-毎日が充実する手帳の選び方&書き方

編者 安原ゆかり
発行所 日経BP社
発行年月日 2015.10.07
価格(税別) 593円

● 日経WOMANの11月号は,毎年,手帳の特集。どうせ変わり映えしないだろうと思いつつ,毎年,読んでしまう。
 内容も,実際のユーザーに会って,手帳を見せてもらいながら,話を聞き,記者がまとめるのをメインに,女性誌らしく手帳で夢を叶える的なところにページを割く。

● あとは,カタログ的に各社の手帳を紹介していく。日経WOMANと日本能率協会が共同開発した「NOLTY キャレル」は,もちろん詳しく紹介されている。

● ぼくは能率手帳のシステム手帳版をずっと使っていて,当分,それを替えるつもりはないし,使い方もおおよそ固まっていて,それもいじるつもりはない。
 仕事や家庭に変動があれば,それに応じて手帳の使い方も変わるのかもしれないけど,その変動には遭遇しないまま,定年退職ってことになりそうだ。

● 28ページに登場する吉川絢子さんに注目。
 彼女のスケジュール管理(というか,プロジェクト管理)は地味ながら独創的で,こういう発想がなかなかできないのだよね。仕事ができる人なんだろうな。

2015.10.25 番外:Re:raku 2015秋号-県南ブランド

発行所 新朝プレス
発行年月日 2015.09.25
価格(税別) 648円

● ここで県南とは,足利,栃木,佐野,小山,下野,壬生,野木。県北に住んでいる自分にとっては,縁遠いエリアだ。県南に住んでいる人たちにとっても,宇都宮以北はほとんど東北地方だろう。

● とはいえ,このエリアは栃木県の先進地域というか,相当な底力を秘めていると思っている。県北の人間にはコンプレックスの対象でもある。
 この雑誌でも足利学校,鑁阿寺,織姫神社,名草厳島神社(以上,足利市),唐沢山城跡,出流原弁天池(以上,佐野市),出流山満願寺(栃木市)が取りあげられているが,いずれも錚々たる名所旧跡といえるだろう。
 特に,出流山満願寺は一度は時間をかけて拝観したいものだと思いながら,果たせないでいる。

● 下野市にいたっては,古代史に登場する栃木県で唯一のエリアだ。薬師寺,国分寺,国分尼寺があった。天平の里ってところね。
 薬師寺跡は一度,訪ねる機会があったけれども,どうもこれらのエリアに疎いのは,ぼくが車の運転をあまり好まないからでもある。
 出流山満願寺もそうだけれども,古代の遺跡って,車じゃないと行けない場所にあることが多いでしょ。満願寺は修行の道場でもあるのだから,当時から人里離れたところにあったわけだろうけど。
 が,どういう方法でか,いずれは訪れるつもりでいる。

● あと,食の水準が高いのもこのエリアの特長だ。特に,佐野ラーメン。どこで食べても大きくはずことはないと思う。ガイドブックに載っているような店はそれこそ行列必至だけれども,店の栄枯盛衰というのはどうしたってあるようで,この雑誌でも新しい店がいくつか紹介されている。

● 県南特集とは関係ないんだけど,弁当の紹介記事もあった。広告連動記事だろうけど。
 懐石弁当風のものもあれば,ステーキ弁当もある。値段は2千円程度のものが多い。これくらいだったら,なんとか手が出るか。
 弁当というと,ぼくなんかはHotto Mottoがまず思い浮かぶんだけど,ここに紹介されている弁当は率直にいってお値打ちだと思った。ささやかに贅沢感を味わいたいときに,弁当にお金をかけるのはクレバーな選択かもしれないな。

2015年10月25日日曜日

2015.10.25 和田哲哉 『文房具を楽しく使う 筆記具篇』

書名 文房具を楽しく使う 筆記具篇
著者 和田哲哉
発行所 早川書房
発行年月日 2005.11.15
価格(税別) 1,600円

● 「ノート・手帳篇」に続く「筆記具篇」。「ノート・手帳篇」は8年前に読んだが,「筆記具篇」は今になった。
 「日本独自とも言えるこの文房具の文化を,さらに発展させる出来事は今後あるのだろうかと想像をめぐらせながら,本章を終えたいと思います」(p161)とは,本文の最後に登場する文章だ。
 10年前に出ているんだから,当時は,低粘度油性のジェットストリームも,消せるボールペンのフリクションも,200円万年筆のPreppyも,芯が回転するクルトガも,まだこの世になかったのかもしれない。この数年間で「出来事」はけっこう起こっているのだろうな。

● 以下にいくつか転載。 
 パソコンに入力する作業は合理的ではありますが,その過程で継続的に創造性を引き出すことは私にとっては困難なものでした。大きく行き詰まった時,いつも自分を助けてくれたのは紙とペンだったのです。(p7)
 ブログの投稿やビジネスの定型文書などあらかじめ結果が容易に想像できる対象では,いきなりキーボードで書き進んでも最後までたどり着けるものです。しかし結果が見えないストーリー(=プロジェクト)を考える場合,不確定な要素を存分に書き込める紙と筆記具に分があると思います。(p98)
 語弊を恐れず言うなら,数千円,数万円という製品の価格はデザイン料,ブランド料,貴金属材料代,職人さんの技術料,あるいは大量生産できないことによるコストが加算されたものであり,機能的な筆記の快適さと価格との関わりは案外薄いと言ってしまってもよいかもしれません。(p15)
 筆記具を上手に使える人とは筆記具を持つ角度や筆圧を製品に合わせて柔軟に変えることのできる人だと思います。(p66)
 学生の頃は,0.5ミリのシャープペンシル一辺倒だった私が歳を重ねるごとに(中略)一見して実用とは程遠い種類や規格の筆記具を使うようになりました。このことは冷静に考えますと,筆記具自体が文字を記述する道具としての主流から外れてしまっていることを示しているのです。(p98)
 筆記具が「必要な文字を書いてハイ終わり」の手段だけならば文房具店に行ってこんなにワクワクするはすがありません。(p100)
 アレルギーというほどではないものの,ギザギザに加工された部品を指の腹でさわるのが嫌いなのです。(中略)グリップ部分がツルツルの製品でも快適に筆記できるものはちゃんと存在していますから,要は基本設計次第ということです。(p110)
 皆さんの手帳の紙面を見せていただくと本当に個性的で,それこそ作品として鑑賞できそうなものもありました。ページに書かれた文字が作り上げる世界は現在の電子ツールがまだまだなしえない,紙の手帳ならではの魅力です。(p141)
 特に私にとって印象的な紙面をつくっていたかたがふたりいらっしゃいました。ひとつめはポケットサイズの手帳にルーペを使わないと読めないくらいに小さい文字を書いていた人。もうひとつはA4サイズのリーガルパッドにのびのびを大きな文字を走り書きされていた人でした。なぜ印象的であったかと言いますと,両者の一ページあたりの文字の数があまり変わらない点に気づいたからなのです。そしておふたりともご自分がお使いになっているノートに満足して長年このスタイルを続けておられ,それぞれの文字の大きさについてもごく自然な振る舞いで書かれているという事実です。(p141)
 それぞれの筆記具で書かれた文字は情報としてはいずれも正確に伝わりますが,ミクロな視点からの筆跡の美しさは万年筆のほうが数段上です。(p148)
 実際に複数の文房具店を見て歩くとそれぞれに並んでいる商品の半分から九割近くまではどのお店にも共通にあるものです。ですから各店のほんの少しの違いを見て歩くことになります。この「違い」の部分がお店の個性の見せどころになり,店主や売場担当の思い入れが見える部分であります。(p158)
 その人が実際に使っている筆記具と同じ物を欲しくなってしまったことがありました。お店に並んでいるのを見た時にはそれほどでもなかったのに,人が手にすることで製品が生き生きと見えることがありますよね。(p160)
● モレスキンユーザーのために。モレスキンユーザーの間ではすでに共通了解事項になっているのかもしれないけれど。
 フォトエッセイストのカマタスエコさんはご愛用のモールスキン・ノートにはぺんてる株式会社の「トラディオ・プラマン」のインクがぴったりであると私に教えてくださいました。なるほどこのペンならクッキリとした筆跡にもかかわらず,モールスキン特有の裏写りのほとんどない,快適な筆記が実現しました。(p106)

2015.10.24 ラグジュアリーホテル研究会 『人生を変える世界の究極ホテル』

書名 人生を変える世界の究極ホテル
著者 ラグジュアリーホテル研究会
発行所 宝島社
発行年月日 2014.09.05
価格(税別) 1,500円

● 「ザ・リーディングホテルズ・オブ・ザ・ワールドに加盟する430軒以上の中から90軒をピックアップした」もの。写真がメインで構成されているが,その写真もザ・リーディングホテルズ・オブ・ザ・ワールドから提供されている。
 つまり,カタログを編集したものだといっていいのじゃないか。

● ぼくも長らくこの種の贅沢に憧れてきたものだけど,今も間欠泉のように時々,泊まってみたいなぁと思うことがある。
 そうしたときに,この本を眺めると,そうした気持ちを冷やすことができると思う。薄っぺらな贅沢なんだろうなぁと気づかせてくれるから。

2015.10.24 菊地武洋 『ロード極めるなら業界一の自転車バカに訊け!』

書名 ロード極めるなら業界一の自転車バカに訊け!
著者 菊地武洋
発行所 小学館
発行年月日 2013.07.01
価格(税別) 1,300円

● ぼくが自転車に乗るのは通勤くらい。でも,いつか日本一周くらいはしたいなと思っている。その程度はできるだろうとも思っている。
 基本,一人で乗っていれば満足だ。誰かと一緒に走るなんてのは御免被りたい。まず,脚力にまったく自信がない。迷惑をかけてしまいそうだ。

● 一人がいい。徹底的に一人がいい。共同作業は苦手だ。できる人はすごいと思う。
 そういうわけで一人で細々と走っている。田舎のことだし,人の目も気にならないので,3万円のチープな自転車で困ることもない。

● スピードはまったく求めていないので。求めた叶う年齢でもない。乗りだしたときの加速がどうの,走行中の安定性がどうの,といったあたりを云々するレベルにない。
 ただし,長時間サドルの上にいられるようにはなりたい。ぼくのレベルだとまる1日走っても100㎞がせいぜいなんだけど,ひとりで日本一周するにはそれだけ走れれば充分だ。
 いや,50㎞しか走れなくてもかまわない。その分,時間をかければいいだけだから。

● という自転車乗りから見ると,本書に描かれている世界はセレブのそれだ。そういう世界もあるんだなぁと思いながら読む。
 よく理解できないこともある。が,面白いと思いながら最後まで読んだ。

● 以下にいくつか転載。
 欲しいロードバイクが決まっているなら、取り扱いブランドも確認しておこう。これは欲しい自転車を買った方が愛着が湧くからで,実は走行性能など二の次でいい。(中略)誰だって見た目のいい自転車に乗りたい。どんなに加速が鋭くても,ハンドリングが秀逸でも,カッコ悪かったら愛着は湧かない。(p13)
 定価販売するのもなかなか勇気がいる。客筋のいい店であれば,それなりの説明をすれば,キチンと整備した上で相応の価格で販売できる。仕事の中身を判断できず,コスパコスパと叫ぶアホどもが多い店だと,手を抜くか,ショップが割を食うしかない。(p16)
 最低限の筋力や体力は必要だとしても,上手に乗るためのマストアイテムは技術(スキル)なのだ。 スキルを構成しているのは,情報の認知,予測,判断,操作の4つだ。(p20)
 速く走るのは怖さに慣れることではなく,怖くない速度を上げていくことだ。プロ選手が強いのは,苦しくないレベルが高いのであって,苦しみに強いわけじゃない。(p21)
 優勝したのは先取の実力で,機材がもたらす影響は微々たるモノ。それでも強い選手が乗っている機材に惹かれるのは,弱いモノの性。(p122)
 以前,シクロクロスの世界チャンピオンになったケイティ・コンプトンを話をしたことがあるんですけど,当時,彼女はクリス・カーマイケルの事務所でトレーナーをやっていました。で,トレーニングメニューについて,「運動生理学が分かっていても,自分用のメニューは組めない」と言っていました。(p138)
 プロが広告に出ている段階で,否定的なことを言うわけはない。でも,ピュアな人ほど信じちゃう。その典型的な商品だね,パワーメーターってのは。(p139)
 オーダー品というのは,金額ではなく,遊び人や道楽者の贅沢である。どんなに金を使ったところで,気の利いたオーダーフレームも頼めないようでは,一流の遊び人ではない。(p142)
 寿司屋で板さんに包丁の使い方を指示しないようで,フレーム屋に行って角度や寸法の指示をするのは下衆のすること。大体にして素人が出す数字なんて,どんなに頑張ったところで,ほど整合性がとれていない。「指示通り作っても,こういう寸法にはなりません」と言われるだけだ。(p144)
 オーダーフレームとはビルダーとの人間関係を楽しむもの。時々は工房に顔を出し,お互いの理解を深めながら自転車を学ぶ遊びだ。一回に使う金額の大きさよりも,頻度のほうが大切。(p146)
 時計本来の性能は電波時計にとどめを刺すが,(安くはないが)高級品とは言えない。目が飛び出すような価格の高級時計は,独創的なデザインや,普遍的なスタイルの自動巻きや手巻き時計であり,世界観を感じさせられないブランドは姿を消している。 自転車にしても,既製品のカーボンフレームからスチールフレームのオーダー品に乗り換える人が増えているのは,少々時間が狂っても,生活に支障をきたさないことに気がついたからだろう。(p222)

2015年10月24日土曜日

2015.10.22 菊地武洋 『ロード買うなら業界一の自転車バカに訊け! 2012~2013年版』

書名 ロード買うなら業界一の自転車バカに訊け! 2012~2013年版
著者 菊地武洋
発行所 小学館
発行年月日 2012.07.03
価格(税別) 1,300円

● 趣味の世界の話だけれども,趣味といっても濃淡がある。これはかなり濃く自転車を趣味にしている人に向けてのもの。
 一応読んだけれども,意味がわからないところもたくさんあった。

● ぼくのように3万円の自転車に乗っている人間にはわからない世界の風景が展開される。その風景は体験しないとわからないものだ。本を読んだだけじゃ無理だ。
 無理だけれども,アマチュアにもそういう濃い世界があるということは知っていたい。

● 以下にいくつか転載。
 ボクにとって自転車は価格に関係なく,愛でるモノ。で,走っても5万円のクロスバイクは非常に楽しい。100万円のロードバイクと,なんら差がない。自分のモノになったら,どんなコでもかわいい。(p7)
 趣味の世界で費用対効果を重視するなんてのは,貧しい考え方です。(p34)
 スポーツバイクに乗る限り,ちょっといい自転車に乗っているという視線を浴びたい。また,そういう自転車が街中に駐まっていると,その街がちょっと賢く見える気がする。(p77)
 こいつと一緒に暮らしたら楽しそうな感じがする。これは100万円オーバーの自転車でもそうだが,愛車選びには欠かせない要素だ。(p77)
 スポーツバイクでもっとも大切なのは,適切なポジションで乗ることだ。フレームの素材やコンポのグレードなど,二の次三の次でいい。まずはスポーツバイクに乗ってみたいと思うなら,こういう自転車でセッティングを詰めてからで十分である。(p82)
 データ的に良くなくても,記録が出れば,それはいいバイクだし,フォームが理にかなっていなくても,勝てばいい。そして,勝ったら,科学的に分析するわけですよ,みんな。(p112)
 電動メカってクルマのETCと一緒で,使い始めると止められなくなるけど,導入前は必要性を感じにくい。(p197)
 今のグレードの差って,質感なんだよね。(p210)

2015.10.21 外山滋比古 『乱読のセレンディピティ』

書名 乱読のセレンディピティ
著者 外山滋比古
発行所 扶桑社
発行年月日 2014.04.05
価格(税別) 920円

● 本ばかり読んで知識を詰めこむことに警鐘を鳴らしている。忘れることの重要性を説く。この点は,今月読んだ他の著書でも何度も説いていること。
 知識は思考の邪魔になる。借りものの知識より自力で考えることのほうがずっと重要だ。本書の肝をひと言で表せと言われれば,そういうことになるだろう。

● 本を読む場合,ノートを取りながら読むなんてのは下策。なぜならスピードを殺してしまうからで,本はある程度のスピードを保って「風のように」読むほうがいい。そうでないとわからないことがある。

● たぶん,本を読んだあとにこんなふうにブログ(記録)を書くのも余計なことだと言われるのではないかと思う。
 が,半ば惰性で続けている。自分のためのブログだけれども,自分で読み返すことはほとんどない。書いたあとはそっくり忘れている。
 だけど,それだったら書かなくても同じだなと思う。

● 以下に,いくつか転載。
 書いた人間の顔がチラチラするようでは本当の読書にならない。どんなすぐれた著者の本でも,近い人の心をゆさぶるのは難しい。(p11)
 なれ親しんだ仲間,親しきものは,多く,不毛である。われわれはよく知っているものごとや人間からよい影響を受けることが下手である。その代わり,えたいの知れない遠くのものから,おもいがけない美しき誤解とともに深い教えを受けることができる。(p13)
 戦前の青年はいまよりもよく本を読んだが,あまり個性的ではなかった。そして常識的読者が多かった。哲学的なものが高級だと信じこんで,難解な翻訳にとり組んで粋がっていた。(p24)
 読ませたかったら,まず,読むことを禁止するのが案外,もっとも有効な手となる。(中略)かくれて読み,禁書を読むのははじめから自己責任である。かくれて飲む酒は,すすめられて飲む酒よりつねにうまい,にきまっている。(p30)
 わかりやすい文章を書くのは難しく,チンプンカンプンの文章を書くのはいともやさしい。そういうことを,教わらなかった日本人はずっと長い間,わけのわからぬ難解文をありがたがる悪習から抜け出すことができなかった。(p38)
 本当にわからない本でも,百遍読み返したら,わかるようになるか。ためした人はいなかっただろうが,わかる,のではなく,わかったような気がするのである。自分の意味を読み込むから,わかったような錯覚をいだく。(p41)
 いまはむしろ速読に人気がある。十分間で一冊読み上げる法などを言いふらしている向きもある。そんな本なら,いっそ読まない方が世話がない,とは考えないところが,かわいい。(p43)
 本を読んだら,忘れるにまかせる。大事なことをノートしておこう,というのは欲張りである。心に刻まれないことをいくら記録しておいても何の足しにもならない。(p45)
 読書ということはそれほどありがたいことではない。どれくらいご利益があるのかもはっきりしていない。(p49)
 知識はすべて借りものである。頭のはたらきによる思考は自力による。知識は借金でも,知識の借金は,返済の必要がないから気が楽であり,自力で稼いだように錯覚することもできる。(p51)
 文章の上手,下手は,技術の問題であるけれども,話すことがりっぱであるのは,その人の心,頭のはたらきそのものを反映する。そう考えると,書くことばよりも話すことばの方が,大きな意味をもっていることが納得される。(p56)
 ことばは,ゆっくり読まれると情緒性が高まる一方,速く読まれると,知的な感じがつよくなる。重々しい感じを与えたかったら,ゆっくりゆっくり話せばいい。知的な印象を与えるには,速度が大切で,早口だと,なんとなく知的にきこえる。(p61)
 辞書をひいたりして,流れをとめてしまい,むやみと時間をかけると,ことばをつないで意味を成立させている残曵が消えて,わかるものがわからなくなってしまうのである。一般にナメルようにして読んだ本がおもしろくないのは,速度が足りないからである。(p66)
 どうも,人間は,少しあまのじゃくに出来ているらしい。一生懸命ですることより,軽い気持ちですることの方が,うまく行くことがある。なによりおもしろい。(p88)
 学校を出て,自分で考えた問題をつくり,借りものではない思考によってモノを書きたい,論文をまとめたいと思うようになるのに十年はかかったのだから,いかにも血のめぐりがよくないのである。(p96)
 オリジナルなテーマは頭の中だけでは生まれない。生きていく活動の中からひょっこり飛び出してくるらしい。机に向かって考えるだけでは充分でない。常住坐臥,いつも頭の中にとどめていてはじめて,テーマになるもののようだ。(p97)
 読み飛ばしたって,心にひびくところは消えたりしない,ということがわかって,ノートをとりながらの読書をやめた。(p109)
 あえてよい条件からはなれ,不利なところで努力する方が新しいものを見つけることができる,と考えている。(p117)
 映画は俳優の演技によるが,廃油が勝手に動きまわっても映画にならない。監督が俳優を活かしてフィルムにする。俳優が一次的創造とすれば,監督の役割は二次的である。かつては,一次的創造の俳優の方が二次的創造よりも社会的に注目されたが,だんだん映画が進化するにつれて,監督の方が俳優におとらず,やがては俳優以上の評価を受けるようになる。(p125)
 風刺というものはピストルのようなもの。至近距離には威力をふるうが,遠くにはタマが飛んで行かなくて無力である。(p146)
 古典は作者ひとりで生まれるのではなく,後世の受容によって創り上げられるもののようである。絶対的作者の概念は,古典に関する限り,修正されなくてはならない。(p147)
 作者自身の評価はしばしば偏っている。客観的でないからで,作者は自作について,客観的になることはきわめて難しい。(中略) 近いということは,ものごとを正しく見定めるには不都合なのである。近いものほどよくわかるように考えるのは,一般的な思い込みである。自分のことがいちばんわかると思っているが,実は,もっともわからない。(p149)
 中国人は大昔,耳の方が目よりも高度の知性を育むことを知っていたようである。聡明。聡は耳の賢さであり,明は目の賢さであるが,順位は,聡,つまり耳の方が上である。そういうことばを移入させておきながら,日本人は耳を軽んじ,耳でする勉強を耳学問などと言っておとしめたのである。(p160)
 知識が少なくて,利用が活発であれば,余分な知識がたまって,病的状態になることはないが,知識,情報があふれるようになり,さらにせっせと摂取していれば,消費されないものが蓄積されて,頭の健康を害することがありうる。 つまり,体のメタボリック・シンドロームに似たことが,頭においてもおこりうる。(p169)
 忘却力のつよい人は頭がからっぽ近くになるまで忘れることができるのに,自然忘却力の弱い人は,覚えていなくてもいいことまで忘れない。これまでは,こういう忘れない人を優秀だと考えてきた。(p171)
 スポーツをする,勉強もつよい文武両道の子どももある。スポーツの練習で勉強の時間が少ないのに,勉強ばかりしている生徒より学業の成績がよいということがある。スポーツで,頭をきれいにしているからであろう。(中略) 不眠不休は大働きのように見えるが,疲れて,あまりよい成績が得られないことがあるのも,忘れる時間がないからである。(p173)
 知識によって人間は賢くなることができるが,忘れることによって,知識のできない思考を活発にする。その点で,知識以上の力をもっている。(p176)
 記憶はいつまでももとのままであるのではなく,忘却によって,少しずつ変化する。しかも,よりよく変化する。(中略) つまり,回想はつねに甘美である。甘美でないものは消える。(p179)
 知識を得るには本を読むのがもっとも有効であるが,残念ながら思考力をつけてくれる本は少ない。ものごとを考える思考力を育んでくれるのは散歩である。(p190)

2015年10月22日木曜日

2015.10.19 成毛 眞 『大人げない大人になれ!』

書名 大人げない大人になれ!
著者 成毛 眞
発行所 ダイヤモンド社
発行年月日 2009.11.19
価格(税別) 1,429円

● タイトルが内容を現している。人と同じになるな,訳知り組の一員になるな,「空気」に飲まれるな,ということ。
 非常に説得力があると感じる。が,著者の提言が成立するためにはひとつの前提が必要になる。大多数の人が大人げのある大人であることだ。
 もし,大多数が大人げのない大人になったら,大人は分別を持てというテーゼが自ずと幅をきかせることになる。

● しかし,世の中がどう変化しようと大人げない大人は少数であり続けるだろう。寄らば大樹の陰というのとはちょっと違うけれども,多数派でいるほうが消費するエネルギーが少なくてすむからだ。つまり,楽だからだ。

● 著者のような人は,極道の道に入ってもひとかどの人物になったのかもしれない。生命力が旺盛だ。人を怖がらない。人に飲まれない。ある意味,図々しい。押しが強い。場合によっては人を人とも思わない。

● だから,大人げない大人になれと言われても,なれない人がやはり大多数なのだと思う。そうなったほうがいいとわかっていても,それでもなれない。その資質を欠いているわけだから。
 したがって,先に書いたように,大人げない大人は少数であり続けるわけだ。希少価値を保持し続ける。

● という諦めを含んだうえで,それでも本書は読む価値のあるビジネス書(あるいは人生論)だと思う。
 折々に励ましになるかもしれない。ウジウジイジイジしている自分を笑い飛ばせる瞬間を与えてくれるかもしれない。

● 以下に多すぎるかもしれない転載。
 私がこれまで出会った,凄まじい結果を残した人,人生を楽しみ尽くしている人たちには,必ずどこか大人げなく,子供じみたところがあった。 たとえば,かつてマイクロソフトで一緒に仕事をしたビル・ゲイツ。彼は,まさしく大人げないという言葉がぴったりの人物だ。(p15)
 どういうわけか日本では,我慢を美徳として考える傾向がある。そして,強い自制心を持つことが大人の証明になるとされる。しかし,私の周囲の成功者とされる人に,我慢強い人物は見当たらない。逆に,やりたいことがまったく我慢できない,子供のような人ばかりだ。そういう人は,好きでやっているのだから,時間を忘れていくらでもがんばるし,新しいアイデアも出てくる。我慢をして嫌々ながらやっている人が,こういう人達に勝てるはずがないではないか。(p16)
 これから生まれる格差は,階級や学歴は関係ない。創造性の差から生まれる格差になるだろう。(p17)
 優れた企業家の持つ要素とは,行動力や強い意思といったものではないと私は思う。やりたくもないことをする行動力などたかが知れているし,自分本来の欲求から逸れた意思の力は継続もしないのである。(p23)
 飛び抜けた企業家には,思慮深いことや,節操を貫くことは必ずしも必要ではない。むしろ,やりたいことは我慢できないという,ほとんど小学生並みの行動原理で動くことができる人こそ最も強力なのである。(p23)
 望まれる大人げなさとはどういうものだろうか。まず挙げられるのは,物事に夢中になる,ということだ。夢中になることを意識的にコントロールすることは不可能である。だから,夢中になれることに出会えたならば,その幸運に感謝しなければならない。(p64)
 多くの大人は,たとえ興味を引かれる物事を見つけても,自分で言い訳を並べ立てて手を出さないものだ。(中略) ここに大人げない人と普通の大人の違いがある。なにも会社を辞めろとは言わないが,少しぐらいの時間とお金であれば,捻出することは必ずできるはずだ。そうして始めの一歩が踏み出せるか踏み出せないかで,人生はまったく違ったものになっていく。(p70)
 私のスタイルの説明は単純である。自分より偉い人や強い人の意見をいったんはすべて否定していくのだ。もし,こうした人たちが自分と同じ考えを持っていたとしても,おとなしくしているのは気に入らないから,自分の考えを真逆に変えてしまう。偉い人が言うことは全部冗談だ,そんなことがあるわけがない,と自らを思い込ませ,反対意見に回っていく。 なぜこのようにするかといえば,権力をもった人の考えは,完璧な独裁者でもない限り、民主主義の論理に沿って部分最適に向かうからである。(p72)
 こういった考えは,多くの人に嫌がられるかもしれないが,1割ぐらいの人は必ず面白がってくれるものなのだ。こうした変わった人たちを味方につけるのが,私の戦略なのである。確実にこうした1割の方が,より自分にとって付き合って楽しい集団だと断言できる。(p75)
 知らないことは楽しいことでもある。(中略)なぜそれを楽しめないのだろうか。(p78)
 誰だって本来持っている感覚が,人とまったく同じだということはない。しかし,多くの人はなんとなく周囲が良いとするものに流されてしまって,その感覚をないがしろにしてしまうからいけないのである。(p82)
 自分のことを売り込みたいのであれば,やはり自己中心的でなければいけないと思う。相手を褒めて媚びるのではなく,相手に自分を褒めさせることを目指さなければならないのだ。(p85)
 私がマイクロソフト日本法人の社長を務めていた時期には,毎年全体の5%に当たる社員を最低レベルの人間からクビにしていた。ここで言う最低レベルとは,保守的であることを指している。よく組織改革などと声高に叫ぶことがあるが,保守的な社員を切らないことには,組織の活性化などできるはずもないと思う。(p91)
 年をとっても保守的にならないようにするためにはどうすればよいか。処方箋があるとすれば,それは思い切って一貫性を犠牲にしてしまうことである。最新のデジタル機器をいじりながら,江戸時代がどれだけ素晴らしい時代だったかを語るおじさんは,少し魅力的にうつらないだろうか。(p94)
 かつての支配者に相当するものは,ほかでもない日本の企業である。これらは年功序列というシステムの中で,若者に苦労を押し付けることで成り立ってきた。(中略)どんなに単純でつまらない作業でも,それは経験としていつか自分を助けてくれるから意味があるのだというのである。果たしてこれは本当なのだろうか。(p105)
 一つだけやめてほしいことがある。それが「目標を持つこと」である。目標を設定することは無意味であるどころか,自らの可能性を捨ててしまうことに等しい。目標に縛られた人生は物悲しいのだ。(p108)
 自分が持つ可能性を大事にしたいのであれば,目の前のことだけに没入し,何かしらの変化を察知するにつけ,次のベストを探すというスタンスを保持することが重要である。(p110)
 今の若い人たちが,日本の社会に閉塞感を感じるとすれば,社会の重しがあまりにも過大だからだ。若者にとってのこの重しとは,多すぎるおじさんたちである。老害は決して今にはじまったことではないが,いくらなんでもバランスが悪すぎるのだ。(p119)
 感覚が鋭い人は,小さな失敗にもいちいち落ち込んでしまう。その一方で,成功にも敏感だから小さな成功に酔ってしまうのである。これでは大きく成功する前に満足してしまうから,大成しないのだと思う。 その逆に鈍感な人は,失敗を失敗とも思わないから挫折せずに前向きでいられるし,小さな成功では満足しない。(p124)
 世間には,どうしても期限ぎりぎりまで仕事に手がつけられないことで自分を恥じている人も多いようだが,大いに結構だ。無理に計画的な人間に変わろうと努力することはない。このままギリギリ体質を維持していこう。ここにこそ「創造的な仕事」を為し得るためのヒントがあるのだ。(p126)
 何かの仕事の期限を抱えていたとしても,まだ気乗りがしないようであれば機は熟していないのだと考えよう。おそらく惰性的に仕事に取り掛かったところで,その質に期待はできないだろう。思い切って遊ぶなり,いっそ仕事などできない状況に身を投じてしまった方が,よっぽど生産的な時間の使い方である。期限を気にしながら,遊びとしても仕事としても中途半端な時間を過ごすのは,貴重な時間を捨てているようなものなのだ。(p128)
 「空気」に支配された状況においては,たとえ重大な間違いを犯したところで,「あの場の空気では仕方がなかった」とでもいうような責任転嫁が平気で行われてしまう。人々は,物事の最終決定者を「人ではなく空気」であったとさえ考え始めるのだ。歴史を振り返れば,こうした「空気」という存在の絶対化こそが,日本人が犯した致命的な判断ミスを生んだ元凶だったのではないだろうか。(p134)
 成功者の要素ばかり追いかける人の目の前には,次々と新たな要素が持ち込まれ,これらを手に入れようとする努力だけで一生が終わる。(中略)「不屈の精神」を持っている人には持っている人なりの,持っていない人にはそれなりのやり方がある,と考えるべきだ。(p138)
 自分は変えられないのだから,他人の正攻法を模倣したところで結果は出ない。たとえ真似できたとしても,皆が同じやり方をすれば,自分が抜け出すということはないのだ。(p139)
 趣味などは老後の楽しみにとっておけばいいなどと考える人もいるかもしれない。しかしそれは危険な考え方だと思う。何事も本当に楽しめるようになるまでには,思いのほか時間がかかるものだ。(p142)
 平日は好きになれない仕事に忙殺され,あとは休息をとるだけ,という人生にはまったく共感はできない。好きなことに夢中になっている時間こそが,人生を豊かなものにし,創造性の土壌を肥やしてくれるのだ。(p144)
 新しいことを始めるということは,既成の秩序を覆すことに他ならない。だから,そこには怒りだす人が必ずいる。逆に,怒る人がいないようなことは新しくもないし,取るに足らないことである。(p146)
 日本人は不思議なもので,英語以外の言語に関しては,ちょっとしたフレーズを覚えただけで,すぐに試してみたくてウズウズする。(中略)しかし,ことさら英語になると誰もが突然口ごもってしまうのだ。(中略)これは,むしろ充実した英語教育が仇となって,話せないことは恥ずかしいことだという意識があるからだ。(p158)
 「こんな資格を持っている」ということばかりアピールする人間は,同時に「僕は同じ資格を持っている人間となら,いつでも交換可能です」と言っているようなものである。(p161)
 どんなに沢山の知識を覚え資格を取得したところで,大勢と同じことを突き詰めているだけでは,どこまでも消耗戦が続くだけなのだ。(p162)
 自分が好きで,本当にその価値がわかるものにはいくらでもお金を注ぎ込むべきだし,わからないものは,一番安いもので済ますくらいの極端さが必要である。(中略) テレビや雑誌に煽られるがままお金を費やすようでは,それはすべて死に金だ。こうして購入したものはすぐに陳腐化して,自宅にゴミの山を築くことになる(p164)
 そもそも時間をどう使うか考えてしまう人は,その時点で時間の使い方が下手な人だと思う。(中略)スケジュールどおちに一日を終えると,どんないいことが待っているのか教えてほしいものだ。私にとってそんな日々は,ただの作業のように感じられてしまうのである。(p167)
 個人でも会社でも,最も効果的なマーケティングの方法は,神話をつくることである。神話というと少し仰々しいかもしれないが,人が人に話したくなるような面白い話だと理解してくれればいい。自分が言っては,ただの自慢話にしかならないようなことも,他人に語ってもらえば神話になるのである。(p170)
 読書において重要なことは,本の内容を頭の中に入れることではない。大事なことは記憶することではなく,本を読むことで衝撃を受け,自分の内部に精神的な組み換えを発生させることだ。(p175)
 そもそも意識的に記憶ができるようなことなどたかが知れているのだ。(中略) だから,本は最後まで読むことを目指すよりも,より多くの種類の本を面白いところだけ読んだ方がよい。(p176)
 成功や幸福を,人生を楽しく生きることと考えるならば,名声や金とは本質的に無関係である。面白い人生とは,好奇心を満たす時間や,刺激的な体験の積み重ねに他ならない。(中略)人生は楽しむが勝ちである。仕事も人生もナメてなんぼ。いかに面白い人生を送るかを常に考えなければならない。(p206)

2015年10月21日水曜日

2015.10.18 外山滋比古 『リンゴも人生もキズがあるほど甘くなる』

書名 リンゴも人生もキズがあるほど甘くなる
著者 外山滋比古
発行所 幻冬舎
発行年月日 2014.07.25
価格(税別) 1,000円

● 今月になってから外山さんの著書を読むようになった。これが4冊目。外山さんでなければ書けない。少なくとも,今までには読んだことがない類のエッセイ集。滋養があるというか,じんわりと染みてくるというか。
 90年も現実に生きてきて,現在も生きているというその事実が,後の盾になっている。

● 自分の今までの価値観に,やんわりと,しかし完膚なきまでに,訂正を迫る。が,その訂正作業は苦行ではなくて,そうなのか,そう考えてもよかったのか,と荷を減らしてくれるようでもある。

● 以下にいくつか転載。
 忙しい仕事をもつ人は,めったに約束の時間におくれたりしない。これといった仕事もしていない人が,おくれる。ヒマだからおくれるのである。ヒマな人はなにごとも,時間をかける。(p28)
 人と人は近いほどよいなどということはない。近いものは,近いものに,よい影響を及ぼすことができない。(p33)
 若いうちに人生を占うことはできない。しかし,トップより後続の方が,チャンスは大きいのははっきりしている。(p61)
 人間も仕事をするキカイのようなものだが,キカイは同じ調子で動いているのがよろしい。止めたり,動かしたりをすると故障になりやすい。リズムを刻んで順調に作動しているものを不用意に停止させるのはいけないことである。休みなど,すくないほどいいということになる。(p64)
 幼い子が一生でいちばん,かわいい,美しい顔をしているのは,わが子を充分やさしくかわいがらない親のいることを前提にしているのである。(p74)
 人を育てるにはホメるに限る。ということは,あまり広く知られていない。教師でも,教育とは叱ることなりと考える人が多い。(p96)
 慢心を生ずると,つい威張りたくなるのが人情である。威張ると,本人は気がつかないがたいへんなエネルギーを失う。それだけ弱くなるから,次の試合には負けることになる。(p134)
 難しい試験に合格すれば,得意になるのが当たり前,単純な人間は威張るかもしれない。試験はそうそうあるわけではないから,次に失敗することができない。何十年も威張って生きていく人がたくさん生まれる。停年でやめることになると,かつて試験に落ち,労苦の多い人生を歩んできた人よりも虚ろな人間になっていることがザラである。(p136)
 「道を歩かぬ人,歩いたあとが道になる人」 これはすぐれた日本の芸術家のことばである。名前はあえて伏せる。 無人島ならともかく,道を歩かないのは危険である。すくなくともハタ迷惑になることを考えないのは幼稚である。芸術は一般社会とはちがうから,道を歩かぬのが美徳につながるのかもしれないが,やたら歩きまわられては迷惑である。それを顧みないのは,悪しきエリート意識である。気取っては見苦しい。(p143)

2015年10月20日火曜日

2015.10.18 成毛 眞 『教養は「事典」で磨け』

書名 教養は「事典」で磨け
著者 成毛 眞
発行所 光文社新書
発行年月日 2015.08.20
価格(税別) 740円

● 著者の文章の特色は歯切れの良さだろう。逡巡しないで断定を重ねていく。世間に媚びないところも魅力。何の衒いもなく自説を述べる。
 押しの強そうな人だから,常人ではなかなか付き合いきれないだろうけれど。

● 以下にいくつか転載。
 ある分野の素人には,その分野を学んでいく過程を楽しむ権利があるのである。この権利は,もうその分野の専門家になってしまった人には,行使できない。 では,どこからその過程を歩み始めるのか。その道に詳しい人の話を聞くのでも,専門書を読むのでもいいだろう。しかし,案外,簡単で挫折せずにすむのは事典や辞書をよむことだと思う。(p4)
 グーグル先生はキーワードを持たない人には何も教えてくれないのだ。 一方,事典を読むのにキーワードはいらない。適当にページを開けば,そこに必ず何かが記載されている。そのページをたまたま開いたという偶然が,未知を既知に変える。だから事典は素晴らしいのである。(p17)
 大人はこれまでの人生で散々,言葉に騙されてきている。美辞麗句で飾り立てられていたものを実際に見てみたらガッカリしたという経験も,これまた誰もがしているだろう。 だから,ビジュアルでわかるものならば,言葉を尽くされるよりは絵を見せてくれという願望を,大人は持っているのではないかと思う。それに応えてくれるのが図鑑だ。(p33)
● 本書で紹介されている「事典」の中でぼくが惹かれたのは,次の3つ。
 鑑賞のためのキリスト教美術事典(視覚デザイン研究所)
 世界毒舌大辞典(大修館書店)
 こんなにちがう中国各省気質(草思社)

2015.10.17 恵文社一乗寺店 『本屋の窓からのぞいた京都』

書名 本屋の窓からのぞいた京都
著者 恵文社一乗寺店
発行所 毎日コミュニケーションズ
発行年月日 2010.11.01
価格(税別) 1,500円

● たいへんユニークな京都案内。本書に出てくるフレーズを使えば,「京野菜ではなく京都の野菜」を紹介してくれる。
 観光客が食べる京料理ではなく,京都の人たちが普段食べているものを紹介するような趣。

● で,こういう京都案内が読みたかったのだよ,と思いながら読み進めていった。

● 高野文子『るきさん』が紹介されている。恵文社一乗寺店お勧めのマンガ。文庫(ちくま文庫)にもなっている。たぶん,間違いなく読むことになると思う。

● 以下にいくつか転載。
 芸術作品を理解するときの最大の障害は,わかりたいという欲求である(ブルーノ・ムナーリ p18)
 当たり前のことだが,本を読んでも腹は膨れない。だからこそ食の本は実用的であってはならないのだと思う。(p20)
 その昔はきちんと役に立っていたのに,今では何に使っていいのかわからないものを生活の中に取り入れるのは,なかなか悪くない。それは,実用的価値のないものに,美的価値やまた別の実用的価値を見いだすとう,いわば感覚的な訓練になるのだ。(p54)
 手に触れ,味わい,楽しむことでその文化を感覚的に体験することが,ときに膨大な情報や知識を得る以上の,実感というものを与えてくれることもある。(p64)
 食べるということに,味覚以上の愉しみを見出した“発見”こそが,我々を文化的たらしめている要素のひとつである。(p86)

2015.10.16 梶 洋哉 『銀座の粋を巡る』

書名 銀座の粋を巡る
著者 梶 洋哉
発行所 朝日新聞社
発行年月日 2007.01.30
価格(税別) 1,600円

● 銀座に店を張る職人さんをインタビューして1冊にまとめたもの。職人といっても喫茶店のコーヒー職人(?)やバーテンダーも含む。

● 栃木に暮らすぼくには,銀座は遠くから憧れるだけの場所。にもかかわらず,こうした銀座本を読むのは,世界にあるものはすべて日本にもあって,日本にあるものはすべて栃木にもある,というテーゼ(?)を確かめたいからだ。
 ここで紹介されている店や職人は,栃木にもあるはずだと思っているのだ。同等の水準ではないにしても。
 で,栃木の中の銀座的なるものを探すよすがになれば,と。

● ひとつだけ転載。
 銀座という街はね,路地がそこらじゅうにあって迷路のようだと思われていますけど,店が精進を続けていれば,イイモノはピンポイントでお客さまが探し出してくださる場所なんですよ。銀座にやってこようという方は,本物を嗅ぎ分けるものさしを備えておられたのではないか,私はそう思います(p153)

2015年10月19日月曜日

2015.10.16 篠山紀信 『京都 佳つ乃歳時記』

書名 京都 佳つ乃歳時記
撮影 篠山紀信
発行所 講談社
発行年月日 2003.10.01
価格(税別) 1,900円

● 佳つ乃さん,たんに立っているところや座っているところが,スッと美しいんだから,恐れいる。
 横から写した写真を見ると,自然にしてたんじゃこういう背中のラインは出るはずがないと思うし,正面からの写真を見ると,中心線のブレのなさにため息が出る。

● 女性はここまで美しくなれる可能性を秘めているのだねぇ。もっとも,ここまで美しくなるためには,心身を相当鍛えなければならないはずで,その鍛練に耐えられるかどうか。
 と偉そうなことを言っているけれども,ここまでになった女性には,ぼくなんか洟もひっかけてもらえないだろうな。

● 美というのは人工的なものなのだと思う。人工的というか作為が必要なのだ。放っておいたのでは,美は崩壊していく。自然にしていたらどうなるか。だらしがなくなる。
 鍛錬と緊張が美の栄養なのだろう。人は常時,鍛錬と緊張に身を置いているわけには行かないから,それを解いたときの落差も相当あって,その差に常人はついていけないのではないかとも思う。
 いきおい,美を体現した人は孤独に好かれることになる。

● 昔,郷ひろみとの浮き名をマスコミに報道されたことがあったけれども,彼女はそうしたこともムシャムシャと喰ってしまって,自分の栄養にしてきたのだろう。
 その頃はあどけなさも残していたけれども,この写真集ではすっかり女将の貫禄。現在はそれから十数年が経過して,彼女も50代半ばになっている。芸妓も引退しているのじゃなかったか。

● が,長年鍛えて貯めてきた女の美というのは,加齢に対しても相当にしぶといのではあるまいか。

2015.10.15 忌野清志郎 『サイクリング・ブルース』

書名 サイクリング・ブルース
著者 忌野清志郎
発行所 小学館
発行年月日 2006.07.01
価格(税別) 1,600円

● 忌野さんの3台目の自転車は6.8㎞。ぼくが乗ってる自転車の半分の重量だ。はい,お金のかけ方が違う。

● キューバやハワイや沖縄を走った。そのときの写真をメインにキャンプション程度の文章を付けている。
 一世を風靡した大スターのオーラや凄みは正直,あまり感じない。そういうものは生のステージを見ないとね。写真にそこまで求めるのは,求めるほうが間違っている。

● 自転車は忌野さんの本業ではない。趣味だ。趣味に関しては「なによりも大事なことは,自己満足」(p30)というわけで,本業で見せるオーラや凄みは影をひそめる世界の話だ。

2015.10.15 小山龍介 『クラウドHACKS!』

書名 クラウドHACKS!
著者 小山龍介
発行所 東洋経済新報社
発行年月日 2010.12.16
価格(税別) 1,500円

● この本が出てから5年がたつ。ひょっとすると,すでに古くなっているところがいくつもあるかもしれない。

● 自分はネットやクラウドやデジタル器機をほとんど使いこなせていないんだなということがわかった。ほんの初歩的な一部を利用しているだけなのだな,と。
 かといって,では本書で紹介されているHACKを取り入れようとも思わなかった。せめてこのブログは“ブクログ”に移行させようかと思ったけど,たぶんしないで終わるだろう。

● デジタル利用のための投資を惜しみすぎているかもしれない。もっとジャンジャン使わないとだめか。特に,通信器機。ここにもっと投資をすれば,格段に使い勝手が改善するのかも。
 今の自分の使い方で,デジタルの使い勝手を判断してはいけないのかもな。

● 以下にいくつか転載。
 ロジカルシンキングの場合,ものごとを分けようとするため,新しい組み合わせを見つけにくい。イメージ思考は課題全体を広く,直観的に捉えるため,この「新しい組み合わせ」を見つけやすいのです。(p214)
 情報を無意識へとインプットするためには,エピソード記憶が大きな役割を果たします。読書をするときでも,映画を観るときでも,漫画を読むときでも,そして仕事や人生において何か経験するときにも,どれだけ心を動かされるかが重要なのです。(中略) しかめっつらしてビジネス書を読んでも,アウトプットの役にはたたないかもしれません。頭で覚えたことは,分析には使えても,創造にはつながりません。(p218)
 まず紙のノートに記録をとり,そこから重要なところをあとからデジタルで入力する。一見,手間に感じますが,このほうが実は,情報を活用する上で効果的。紙に手書きで記録することで,脳に記憶されやすいという効果があるからです。(p236)
 これはぼくもそうしている。たとえばポメラを使って,ダイレクトにデジタル入力したほうが手っ取り早いかなぁと考えることもあったんだけど,身体がそれを望んでいないような気がしていた。
 背中を押してもらった感じ。
 使い終えたあとのノートは,スキャンしてクラウド保存しています。(中略)いつでもどこでも閲覧できるようクラウド化することにしました。(p238)

2015年10月18日日曜日

2015.10.12 茂木健一郎 『笑う脳』

書名 笑う脳
著者 茂木健一郎
発行所 アスキー新書
発行年月日 2009.08.10
価格(税別) 743円

● 笑いについての著者の考察をまとめたもの。春風亭昇太さんをはじめ何人かとの対談が本書の核をなしている。
 笑いは脳の機能の中でも相当に高度なものであるという。なにせ,笑うことができるのは人間だけなのだ。

● 笑いの考察を通して,どう生きるべきかという人生論にもなっている。脳の話なんだから,必ずそうなるわけだけど。

● 以下に転載。
 笑うことと泣くこと。それらは,すべての生き物のなかで,おそらく人間だけが持っている感情なのだ。 だから,笑いと涙を探求することは,人間そのものを探求することに通じる。(p12)
 逃げている人間には余裕はなくなる。でも,覚悟を決めて立ち止まると,意外と余裕も出てきて,周りも見え,自分の生き方だって省みて,笑い飛ばして喜劇にすることだってできるはずだ。(p44)
 百獣の王が食物連鎖の頂点にいるように,あらゆる感情や体験,そして悲劇までも耕して感情のエコロジーの頂点に上り詰めた感情,それが笑いに他ならない。 笑いは,脳のもっとも高度な活動であることには違いない。そして高度な知能を持つ人間しか,笑うことはできない。(p48)
 私たちの日常生活の中でも,全く同じことを言っていてもなぜか説得力のある人とない人がいる。そのような時に私たちに作用しているのは,おそらくは相手の心の勢いのようなものであろう。(p53)
 本人がおもしろいと思っているネタをその人自身が話すときに,落語は一番おもしろくなるんですよ。ネタって,たいがい文章にして他人が読むとつまらないんです。(春風亭昇太 p57)
 初演は古典でも新作でも,妙な緊張感と集中力があるので,たいがいはウケるんですよ。ただ,ダメなのが二回目。(春風亭昇太 p59)
 ぼくにとって一番のホームは独演会ですね。(中略)その点,寄席はアウェイですね。(中略)アウェイ戦の場合は,すり寄っていくか,突き放してアウトボクシングしていくか,どっちかなんです。中途半端な距離が,一番パンチが当たらない。(春風亭昇太 p60)
 芸人って,僕は「自信」がすべてだと思うんですよ。一度,ウケて「このネタ,イケるじゃん」といった経験が度重なってくると,芸人の自信になっていく。(中略)もう,天才バカボンの世界ですよ。「これでいいのだ♪ これでいいのだ♪」って次元に辿り着く。(春風亭昇太 p62)
 落語だけではなく,すべからく舞台でやっていることはテレビ向きではないですよ。(春風亭昇太 p64)
 僕は演劇のもっている要素を究極まで削ぎ落としていったら落語になったと思っているんですよ。しかも,それは正座という生活様式が日本にはあったから成立したんだと思うんです。(春風亭昇太 p64)
 落語に出てくる人たちって,かなりラテン気質なんですよね。ダメな人が追いつめられて,どんどんとんでもないことをしでかしていっても,楽天的というか,とにかく明るいんですよ。そうか・・・・・・,わかったぞ。落語は「コテン」じゃなくて「ラテン」だな。(春風亭昇太 p67)
 笑いの主体という点では,イニシアティブを握っているのは,圧倒的に男性側のようだ。(中略)女性が笑いの主体となることは,女の色気を捨てることを意味しているのかもしれない。(p78)
 アメリカの神経生物学者,ロバート・プロヴァイン氏の臨床実験によれば,男性が女性を笑わせているときには,女性が相手の男性に好意を持っている可能性は高いという。ところが,女性が男性を笑わせているときは,男性が相手の女性に好意を抱く可能性はきわめて低いというのだ。(p79)
 お笑い芸人さんも,大成しているひとは,どうも攻撃性が高い人が多いのではないだろうか。彼らはその攻撃性を笑いで,たくみに解毒しているのだ。攻撃性が高ければ高いほど,強烈な解毒剤が必要になってくるのは,理にかなっている。 その意味で,怒りと笑いは表裏一体といえる。(p82)
 本物のひとほど孤独であるということだ。その点で,松本(人志)さんは孤独である。脳の仕組みからいっても,それをやらないと生きていけないようなことほど,本物に近づく。そしてその「やらないと生きていけない」ことは他人と共有することができないのだ。(p84)
 僕はギャグマンガ家からドロップアウトしてしまいましたけど,現役でやっているひとたちは,それこそロックやっているひとたちより,よっぽどすごいストイックですよ。バカなことやっているようにみえて,心底ストイックですよね。あとはね。ギャグを考えるということは,それこそものすごく広い枠組みで概念を知り,そしてかなり緻密に構築しておかないとダメなんですよ。ギャグが脱構築だったら,まずはその前提となる構造が必要ですから。そういう意味で言うと,コメディをやっているイギリス人には,変態の人も多い。言い過ぎかもしれませんが,そういうところまで,裾野が広がっていないとギャグなんてつくれないと思いますね。(しりあがり寿 p105)
 茂木 でも,良識って生命力が衰えた人の最後の言い訳みないなものではないですか。 しりあがり うん,まあ,そうでしょうけど,良識は良識で嫌ではないんですよ。なんにも無いと,それはそれでちょっと頼りない感じになってしまうと思うんですよ。(中略)だって,良識が衰えてしまうと,逆にパロディがやりづらくなってしまいますから。(p106)
 でも,人間はどうせ死ぬんですよ。致死率一〇〇パーセントですよ。それなのに生きよう,いつまでも若くあろうとすることは,負けるとわかっている勝負をしているようなものですよね。そんなの見苦しいじゃないですか。(しりあがり寿 p129)
 笑いは許さないといけないし,だけと絶対に栄誉を与えてもいけない。笑いって,ある意味,すごく強いですからね。自分のことは棚に上げて,人の挙げ足とったりするわけですから。道化にしても,ギャグマンガ家にしても,芸人さんにしても,笑いを上等にしてしまったらダメなんだと思うんです。笑いを権威にしてしまったら,本末転倒ですよ。(しりあがり寿 p134)
 橋下大阪府知事の選挙活動に際して,爆笑問題の太田光がテレビでは話していることのコンテンツではなくメッセージの「熱い」差し出し方が注目されるとアドバイスしていたという記事を読みましたけど,政治家も今は脊髄反射的な切り返しで「受ける」ことに非常に貪欲になっている。(中略)ある意味当然で,有権者も視聴者も求めているのは「人の浮き沈み」だからですね。(内田 樹 p161)
 自然科学の成立条件には,世界すべての事象は統一原理によって律されているという一神教的思考があるわけですから,「この世は諸行無常」の日本人にとっては,世界の背後にある統一原理なんて,考えられるわけがないですよ。養老孟司先生からうかがったんですけれど,地球上で起きたマグニチュード6の地震のうち二〇パーセントが日本列島で起きている。しかもここは台風の通り道でしょ。そんな土地で,天変地異の背景に神の摂理を見る様なタフな知性が育つはずがない。(内田 樹 p162)
 生き生きした表現ってズレることなんですよね。命ってそういうものではないですか。小津(安二郎)が描きたかったのも同じですよね。そう考えると,日本のマスメディアに流れている言葉って,まったくもって生きてないんですよね。(p171)
 メディアはメディアを批評しないでしょう。メディアの成り立ちそのものを点検しないじゃないですか。今のメディアが抱えている問題は,批評性を商売にしているくせに,絶対に自己批評をしないことですよ。(内田 樹 p171)
 茂木 つくづくインターネットがあってよかったですね。ブログで書いていければいいかなって。 内田 僕もそう思う。本当に。(中略)マスメディアを通して不特定多数の人に「みなさん! 私はこう思います」って宣言するのに飽きちゃった。そんな暇があったら,目の前にいる生身の子どもをつかまえて,「お前な,世の中そんなものじゃねぇぞ」って言う方が,大事な気がしてきたんだよね。(p172)
 なんとか省の官僚とか,どこどこ会社のお偉いさんとか,彼らの人間としての時価総額の九九パーセントは肩書きだったりしますからね。そういう人って,やっぱり生命力が落ちている。人間ってアナーキーでなければダメですよ。(p207)
 僕も昔はね,世界中が笑う笑いって何だろうって考えたことがあるんですよ。でも,僕たち,この日本の,この環境で,米がおいしいとか,みそ汁とおしんこがあればいいといった,自分たちの足元を大事にしておいた方が,本当の笑いが見つかるような気がするようになってね。(桑原茂一 p213)
 親しい友人や恋人との会話は,その場で消えてしまうから価値があるんですよ。要するに,その一瞬一瞬こそが,命の儚さそのものなんです。だから,この場限りの親密な関係に没入していくことが,今の僕たちには必要なんですよね。(p215)

2015.10.11 外山滋比古 『老いの整理学』

書名 老いの整理学
著者 外山滋比古
発行所 扶桑社新書
発行年月日 2014.11.01
価格(税別) 760円

● 『50代から始める知的生活術』『知的生活習慣』と重複するところがあるけれども,言っていることは,知識・勉強・読書よりも生活が大切だということ。生活が貧弱な人がいくら本を読んでもダメだよ,と。
 男よりも女のほうが,たいてい生活は豊かだ。ここから一歩進めると,男は女を見習えということになる。

● クヨクヨするな,楽天的であれ,知らぬが仏ということもある,怒りを抑制するな,といったところが説かれている。
 つまり,目新しいことは特にないといっていい。が,実際に90歳になった著者が説いているというそのこと自体が,説得に力を与えている。読み手のほとんどは90歳になったことがないわけだから。

● 以下に転載。
 わたくしは,未来にいいことがあるという希望というより勘のようなものをいだきつづけた。つまずき,病気になり,仕事をとりかえたり,おもしろくないこともいろいろだったが,気にしない,すぐ忘れてしまうことで,ノンキに生きて来たように思う。(p6)
 日本人はほかの国の人に比べて元気がないらしい。さきごろ内閣府の行った国際調査は,それを示している。 「自分に満足している」と答えた若者は45%で,米,英,独,仏,韓,スウェーデンと日本の七ヵ国中,最低である。(中略) なぜだろうか。ちょっと考えて答の出ることではなさそうだが,思い当たることがないではない。 端的に言えば,日本人はひとをホメないからであるように思われる。たえず他人の欠点を問題にし,批判,攻撃する。叱ることは少なくないが,ホメることを知らない。(p26)
 お茶を飲んで,とりとめのない話をしているだけで,どれだけ元気が出るかしれない。ハラをかかえて笑うようなことがあれば最高である。(p39)
 エラーより,それをくよくよ気にするほうがいっそういけない。(p52)
 ストレスは新陳代謝しているのが望ましい。溜まったら,発散,放出して,ストレス・フリーの状態にする。そこで,新しいこと,別の活動をして新しいストレスを溜める。減らして,溜めて,という交代を繰り返していて,心身の生活のリズムが生まれ,それにともなって,元気,活気のエネルギーも生まれる。(p60)
 昔の人は“泣く子は育つ”といってみどり子(乳児)の泣くのにむしろ好意を示し,うるさいのを我慢していたのであろう。近年では泣き声がうるさい,不快であるという大人の気持ちが強くなって,赤ん坊が泣かないようにしつけられているのか。もしそうだとすると,こどもの将来の健康が心配になる。(p69)
 老人は赤ん坊に似ている。(中略)年寄りは,赤ん坊にはなり切れないが,なるべく,赤子の心を取り戻したい。(p73)
 高齢者の読書は,泣くか笑うかのものがいい。変に理屈っぽいのは敬遠するのが賢い。いまさら,ためになる本を読んでもなんにもならない。(p75)
 ケンカといってもやり合うのではない。絶交するのである。しかし,それによって得る気力,元気,活力はバカにならない。気の小さい人間は,こういうケンカによって,気を大きくすることができる。(p81)
 本を読まなくてはならない,多く読むほどよいといった不自然な考えが一般に広まっているために,どれくらい損をしたかわからない。 本を読むことは立派なことである。だからと言って,本ばかり読んでいては,人間がおかしくなる。バカになる恐れも大きい。 年を取って,することがないから,本を読もうというのもよろしくない。することがなかったら,すること,仕事をつくるのである。本はいくら読んでも仕事ではない。仕事がなくては人間らしくなれない。(p99)
 いつしか,“風のように読む”のがいいと考えるようになった。さらっと上辺をなでるように読む。それでけっこうおもしろい。それどころか,そういう読み方でなくては目に入らないことが飛び込んでくる。(p101)
 ヨーロッパに「名著を読んだら著者に会うな」ということばがある。会ってロクなことはないということを前提にしていて,残念ながら,当たっていることが多いと思う。(p113)
 細々と書いているのでは,二千枚の原稿用紙は多すぎる。使い切るのにひどく長いことかかった。しかし使い切るころには,いくらかものが書けるようになっていた。二千枚の原稿用紙はムダではなかった。それどころか,仕事を呼びこむ,大きなはたらきをしてくれたのである。仕事のタネまき,として,まず,道具をこしらえるというのは,案外,現実的なのかもしれない。(p124)
 彫刻の大家平櫛田中は九十歳を超える高齢でありながら,十年分の材料を仕入れたというのである。長生きのための,すばらしい知恵である。たいへん感銘を受けた。(p125)
 勉強ばかりしていてひと息入れることを忘れると,いくら努力してもよい大成は望めない。(p134)
 眠りのほうが横臥よりも大事であるとするのは疑問である。眠りも横になるのもともに大切だが,眠りだけを気にするのは不当である。睡眠時間も大事だが,横臥時間はそれ以上に大切である。(p137)
 かつて中国文学の学者から,“料理”というのは“理(ことわり)を料する(考える)”ということです,と教わった。中国では深いところで料理を考えたことを示していて,たいへんおもしろく思った。 手をはたらかせ,頭もつかって作る料理は食べるよりむしろ作るのに意味がある。(p157)
 作ったものが,“おいしい”と言われたときの快感は特別である。原稿を書いていても,そういう思いをすることはまずない。(p160)
 ある元公立高等学校長は,絵画の趣味があって,勤めを辞めたあとは,せっせと絵を画いて,ときどき展覧会をひらいた。(中略)あるとき先輩から,手だけでなく,脚を動かさないと運動不足になるといって散歩をすすめられた。 元校長は,こどもを教えることには馴れているが,ひとから教えられることが下手である。先輩の忠告に反発した。 「目的のないことをするのは厭です」と言った。自分のしている絵画には目的があるつもりなのであろうが,無用の用ということを解しないのは知性の欠如である。(p171)
 体を動かすには,ときどき,思い出したようにしたのでは,話にならない。年中無休。毎日するのである。 それを自分にもはっきりさせるために,毎日の予定表をつくるとよい。(p177)
 流れる水は腐らない。動きまわるものには老いがゆっくりでいつまでも年より若い,と言われる。(p177)
 われわれの心を元気づけ,活力を高めるためには,先々に喜びをもつことが必要らしい。楽しみ,喜びを心待ちするとき,人間はもっとも元気を出すらしい。楽しいという気持ちは,それにつけた名前である。(p182)
 人間にとっても心配,悩みはたいへん怖いものであるはずだが,ふだんは忘れているのは,幸いであるかもしれない。心配ごと,悩みを気にするのは,「気」の「毒」で,気の毒な結末になる恐れがある。(p186)
 平穏無事の一生ということは考えられない。病気になった,災難に遭ったとしても,すぐ,これでおしまいと考えない。楽天的であるのがいい。なんとかなるさ,とタカをっくくっていると,案外,そうなる。人間のおもしろいところである。(p197)
 いやなことは“知らぬがホトケ”。運悪く知ってしまったら,“忘れるがカチ”。(p199)

2015年10月15日木曜日

2015.10.10 西井敏恭 『世界一周 わたしの居場所はどこにある!?』

書名 世界一周 わたしの居場所はどこにある!?
著者 西井敏恭
発行所 幻冬舎文庫
発行年月日 2013.07.05
価格(税別) 571円

● 軽く読める読みものに仕上がっているが,実際にはいろいろと苦労があったようだ。そのあれこれを時系列にどんどん盛りこもうとするのではなく,いくつかをピックアップして,面白おかしく書いて読み手に差しだす。
 サービス精神にあふれているといっていいだろう。

● 読んでもらえる読みものにするには,第一に盛りこむ内容を厳選すること。削ること。で,残ったもので1冊にすること。
 ので,削りに削っても1冊分の文章が残るためには,元の体験なり見聞なりが相当な量に達していなければならない。

● バックパッカー的なやり方で世界一周をする機会など誰でもあまりないだろうから,あれもこれも盛りこみたくなるのが普通ではないか。
 が,読んでもらうためには,その欲望に打ち勝たなければならない。

2015年10月14日水曜日

2015.10.09 外山滋比古 『知的生活習慣』

書名 知的生活習慣
著者 外山滋比古
発行所 ちくま新書
発行年月日 2015.01.10
価格(税別) 800円

● 先日読んだ『50代から始める知的生活術』と重なるところもあるけれど,90歳を超える人でなければ書けない(かどうかはわからないにしても),相当以上の説得力を感じる。
 知識なんて大したものではないというのが,本書に通底する主張(あるいは事実の指摘)のように思う。

● 読み進めていくうちに気分が楽になるのを感じた。ゆったりとしてくる。

● 以下に転載。
 いかに賢く忘れるかは,昔の人の知らなかったいまの人間の課題である。(中略)日記は心覚えのためにつけるのではなく,むしろ,忘れて頭を整理する効用のあることがわかってくる。(p26)
 知識と思考は仲がよくない。知識がふえればふえるほど,思考の必要が小さくなって,考えなくなる。必要が思考の母である。知識で間に合わせれば考えるまでもない。それでいつしか思考を忘れ,思考ができなくなる。(p48)
 知識を得たら,すぐに,使わない。時間をおいて,変化するのを待つ。(中略)“時”の力を加えることで,知識は変容し,昇華する。正確でなくなるかもしれないが生産性を獲得する。そういう特化した知識は,思考と対立しない。(p48)
 図書館で書き上げた本がどれくらいあるか,自分でもわからない。書いていてわからぬことがあると,十歩も歩けば書架である。辞書類もわりによく揃っている。図書館は,私にとって,本を借りて読むところではなく,主として,執筆の代用書斎として役立っている。うちの書斎より仕事のはかが行くのである。(p57)
 あるとき,われわれの日常の生活も,形のない雑誌のようなものではないかと考えた。ぼんやり,なんとなくすごす一日は,編集のない同人雑誌のようなものではないか。(p85)
 自分で編集者になったつもりで,スケジュールをつくるのである。(中略)一日の生活編集である。(p86)
 モノマネによって得られた知識は,それ自体では活力をもたない。新しい知識を生む力を欠いているが,それを反省するのは愉快ではないから,飾りもののような知識のことを教養と呼んで価値づけ,実用よりも一段上のものであるような錯覚をもつようになったのはシッタシズム文化の成り行きである。(中略) 人文学の学者は多くこの教養シッタシズムに陥って,無力である。モノマネの知識は振りまわしても,自分のことばがない。知ったかぶりをしても,借りものの着ていい気になっているおしゃれくらいにしか評価されるべきではない。(p91)
 腑に落ちないこと,わからないこと,不思議なことに出会ったら,素朴に,「なぜ」「どうして」などと自問するのである。すぐ本を調べたりすることは必ずしも賢明ではない。疑問はいつまでも疑問としていだいていれば,そこにおのずから独自の思考が生まれるきっかけになる。(p94)
 飲み屋の雑学的放談はすばらしいエネルギーを与える。象牙の塔に立てこもると,そういう低俗をきらい,ひとり高しとしていると下降し始めるのに気づかない。(p104)
 机の上ではまとまらなかったことが,近所をひとまわり,ふたまわりしてくると,スラスラと解決することがあって,散歩の信者になったのである。散歩中の思いつきをメモにとる習慣が付いた。その後,散歩より,朝,目覚めたあと三十分か小一時間,天井をにらんでいる方が,思考にとって生産的であることに気がつく。枕もとに大きなメモ紙を置いて,自由思考を楽しむ。(p120)
 じっと座っているのがたいへん心身にとってよくないことだという常識を現代人はもっていない。人間はしゃべる動物である。だまってひとりでながい時をすごすのは人間ばなれたことになる。(p135)
 明治の話だが,日露戦争のあったことも知らず,勉強,研究した学者がいて,世人はそれを学問の権化のようにたたえた。象牙の塔では,そういう人たちによって守られると誤解した。生活がすくなければすくないほど人間として価値があるという考え方である。象牙の塔には生活がなくて,ただ知識の残骸あるのみ,ということを啓蒙期の社会は知らない。おくれているのである。(p175)
 人間は生活があるから人間なのであって,知識がいくらあっても,生活のない人間は価値が小さいのである。(p181)
 学校を出て勤めるようになると,生活欠如を反省したりしているヒマがない。ただ勤勉にはたらけば,充実した生活であるように考えやすい。つまり,仕事人間であって,本当の人間らしさを失うおそれが大きい。(p183)
 文学青年は眼高手低である。自分ではできもしないで,他人の仕事にケチをつけるのを得意とし,それを批評だと思い込む。判断力が欠けている上に,反省することを知らないから,ハタ迷惑である。(p201)
 学生だったあるとき,英語学者の大塚高信博士が,こんなことを言われた。若いうちは文学がおもしろいが,年をとると,語学の方がおもしろくなる。私はこのことばに強い感銘をうけたが,私自身,文学青年的であることに満足できなくなっていたからであろう。(p202)
 日本語の散文確立にとって木下是雄『理科系の作文技術』の果たした役割は大きい。文系の人たちの「文章読本」は充分に散文的でない。それをはっきりさせたのが,物理学者の書いた『理科系の作文技術』である。(p206)
 バーナード・ショーがえらいのは,書いた手紙の数ではなく,ほかの人が書かないことを手紙の中で書いたことである。そのひとつに,「今日は疲れている。体力がないから,長い手紙になるが,かんべんしてください」という冒頭の手紙がある。(中略)すぐれた手紙を書く人は,短くて要領よく心にひびく手紙を書く。(p218)

2015年10月9日金曜日

2015.10.09 藤谷 治 『あの日,マーラーが』

書名 あの日,マーラーが
著者 藤谷 治
発行所 朝日新聞出版
発行年月日 2015.08.30
価格(税別) 1,500円

● 「あの日」とは2011年3月11日。「マーラーが」とは,その日の午後7時半,新日フィルが予定どおりにマーラーの5番を演奏したことに基づく。
 東日本大震災の当日の夜,予定どおりに演奏会を開いたところがあったという事実。

● その事実に絡めて,何人かの登場人物を設定し,それぞれにこの日の様子,大震災の衝撃を語らせる。全体的にアンニュイが支配しているようでもある。

● 第5章は,登場人物がマーラー5番の演奏について語る。作者のマーラー観,音楽に関する蘊蓄が存分に披露されているといっていいだろうか。
 ここまで語れる人はそうそうはいないように思う。作者はかなり聴きこんでいるようだ。当然,文献も渉猟している。
 ぼくは聴き手としてその方向に行ってはいけないと思っているところがある。優秀な評論家になるのは避けたい。なれもしないだろうけど。

● 以下に,いくつか転載。
 どんな人間にも個性があるように,どんな人間にも凡庸さはある。社会的動物である人間にとって,凡庸さは生存に欠かせない一種の「機能」である。(p33)
 凡庸に依存するようになり,何が凡庸かを判断できなくなれば,芸術はどこかの専門家から下賜された,ありがたいお品物でしかなくなる。(p33)
 いつか何かの本で読んだことがある。人生のピークが来るのは,遅ければ遅いほどいい。(p79)
● 新日フィルを模していると思われる「新世界交響楽団」には「清楚で知的な雰囲気の,ショートカットで隠れ巨乳の,兵藤みのりさん」(p137)というセカンドヴァイオリンの奏者が登場するんだけど(当日は対抗配置だったんだろうね),新日フィルの奏者の中に「兵藤みのりさん」のモデルがいたんだろうか。
 だとしたら,ぜひ新日フィルのコンサートに足を運んでみたいぞ。

2015年10月8日木曜日

2015.10.06 野口悠紀雄 『「超」集中法』

書名 「超」集中法
著者 野口悠紀雄
発行所 講談社現代新書
発行年月日 2015.09.20
価格(税別) 740円

● わりと既知のことが書かれていた。もちろん,知っていることと実行していることとは,まるで別だけどね。

● いくつか転載。
 われわれは,無意識のうちに,現象が一様分布や正規分布に従うと考えてしまうのですが,現実の世界はもっと「偏っている」のです。(p6)
 2割を制する者は8割を制し,8割を制する者は天下を制する(p20)
 明晰な文章を書くには,「いかに切る捨てるか」が重要です。「いかに盛り込むか」ではありません。(中略) 重要なものが何かを見出し,それに集中しなければなりません。2:8法則は,文章執筆ではとくに重要な原則です。枝葉をとり,幹を見せることが重要です。(p38)
 世界は複雑です。だからといって,「この世にはいろいろなことがある」では,人に伝える価値のある論述にはなりません。すべてをカバーしようとする人は,結局何もカバーできないのです。(p39)
 「コア」とは,「重要なもの」のことであり,分量で言えば全体の2割くらいしかありません。問題は,いかにしてそれを見出すかです。 これに関して,つぎの2つのことが言えます。第1は,書類や資料などの「情報」については,「新しいものが重要」ということ。第2は,「繰り返し利用するものが重要」ということです。(p73)
 いつまでも使わないものを,後生大事にとっておく人が多いのですが,買ったときに高価だったからといって,使わないものには価値がないと考えるべきです。(p76)
 できる学生は,どこが重要化を捉えています。(中略)成績の悪い学生は,怠け者や能力が低い学生とは限りません。多くの場合に,勉強方が下手なのです。具体的には,2:8法則に従っていないのです。勉強ができるかできないかの差は,まさに,ここにあります(そして,この点にのみあります)。(p96)
 よい教師とは,「どこが重要なのか」を教えてくれる教師です。(中略)教科書に比べて講義がすぐれているのは,重要な点を強調できるからです。逆に言えば,それを示せない教師は無能です。(p99)
 古典は,学問が現代のように専門化し細分化していなかった時代の知を表しています。ですから,古典をいま読むことは,全体像を把握する上で,有用です。(p141)
 日本企業の実情を見ると,日常業務のレベルにおいてデータを有効に活用しているとは,お世辞にも言えません。(中略)いまや,エクセルなどの表計算ソフトを用いれば,数字の処理は,誰にでもごく簡単にできます。 その際,難しい統計学の手法は必要ありません。昔なら回帰分析や有意度検定をしましたが,いまではデータのグラフ表示が実に簡単にできるので,それだけで,多くのことが分かります。グラフ化されたデータは,日常業務を漠然と観察しているだけでは気が付かないことを知らせてくれることがあります。エクセルのグラフとは,プレゼンテーションの際のカザリではなく,問題を発見するための道具なのです。(p144)

2015年10月6日火曜日

2015.10.05 宮田珠己 『ふしぎ盆栽ホンノンボ』

書名 ふしぎ盆栽ホンノンボ
著者 宮田珠己
発行所 講談社文庫
発行年月日 2011.02.15(単行本:2007.02)
価格(税別) 790円

● ホンノンボとはベトナムの盆栽のようなもの。あくまでも“のようなもの”であって,日本の盆栽とは趣を異にする。
 植物ではなくて岩が主役。そこにミニチュアの人形を配したりもする。基本的に,底に水をはる。

● そのホンノンボを求めて,何度もベトナムを訪れる。本書は基本的には紀行文だ。ホンノンボはその紀行の要に位置するものだが,あくまで著者の紀行を楽しむために本書はある。

● 以下にいくつか転載。
 あるとき紀州高野山を訪れて,金剛峯寺の石の庭を見たとき,ふと,もしこの石が巨大な岸壁だったらわたしはこれをどうやって登るだろうと,まるでロッククライマーになった気分で思い,それと同時に,わたしと庭を隔てていた何かが突然崩れて,ああ,それでいいのだ,何も秘密なんてなかったのだ,と確信を得て,一気に日本庭園とうものが身近に感じられるようになったのだった。 つまり,庭はもともと全体を地形として見るように設計されているものなのだという当たり前のことに,今さらながらに気がついて,なあんだ,文化とか伝統とかいってしかつめらしい顔してるけど,それでいいんじゃないか,と思ったわけである。(p26)
 (ホンノンボには)日本の庭石などのように,できるかぎり自然の風情を活かしつつ,というような配慮はまるでない。人工物であることにまったく衒いがないのだ。日本のように具体的なイメージを表に出さずに奥に秘めてしまって,その先は独自に想像してください,というようなまわりくどいことはまったくしないで,そっちのほうが粋だとも,こっちは野暮だとも思わず,思ったらそのままつくるというスタンスが貫かれているのである。(p30)
 わたしがホンノンボめぐりで学んだことのひとつが,このように,何ごともこじつければ,それなりに面白く見えるようになる,ということだ。かっこいい言葉で“見立て”ともいうが,つまりこじつけのことである。退屈な人生を面白くするのは,こじつけなのである。(p67)
 裏庭の盆栽園を拝見すると,どれもリウさんの盆栽に匹敵する繊細な品質を保っているように感じられたが,リウさんのようには売れていないらしい。(中略) 「いくらぐらいで売っているのですか?」 「いいものは百五十万ドンぐらいです」 リウさんの十分の一以下の値段だ。(中略) これだけ値段が開くということは,ブランド・イメージの差だけでは説明がつかないような気がする。 わたしが見たところ,ンガンさんは,あまり営業だとか売り込みだとか,そういった攻めの仕事が得意でなさそうであった。どこかおずおずして,表情にこわばりがある。引っ込み思案な性格が,顔や態度にはっきり表れていた。(p182)
 引っ込み思案だと損をすると著者は言いたいわけではない。が,まるで自分のようだと思う人は多いのではないか。ぼくもそうで,「攻めの仕事」はまったく不得手だ。
 自分に自信が持てないというか,自分に居直れない。そこに自負のようなものも感じているから,いよいよ進退きわまる。ま,「攻めの仕事」が不得手ならば,守りの仕事をすればよいのだが。
 知識で解決しようとすると,感動を覚えた肝心のポイントは,かえって奥深く埋もれてしまって見えにくくなり,何も知らずに感動できた最初の一撃を,あれが最良だった,と後悔とともに思い返すはめになるのだ。(中略)もともと人間は,たどり着けない事柄をこそ面白いと感じるものであるらしい。(p189)

2015年10月5日月曜日

2015.10.04 宮田珠己 『ジェットコースターにもほどがある』

書名 ジェットコースターにもほどがある
著者 宮田珠己
発行所 集英社文庫
発行年月日 2011.03.25(単行本:2002.03)
価格(税別) 619円

● 奇書といっていいんでしょうね。ジェットコースターにこれほどまでにこだわる人がいたのかという発見。
 巻末の座談会はへぇぇの連続を生む。

● 2000年に著者と一緒に,ジェットコースターに乗るためにアメリカまで出かけた西島君,今はどうしてるんだろう。
 高校を卒業して1年目は浪人というか,コンビニでバイトをしてたようなんだけど。どの世界に行っても,花を咲かせることのできるキャラクターのようなんだけど。

● いくつか転載。
 アメリカでは客に大人が多い。日本では遊園地は原則として子供のものという認識だが,アメリカでは大人もたくさん遊びにくるのだ。つまり遊園地が全体に大人向けにできているわけである。 この事実をさらに追求すると,アメリカと日本では,遊びを悪いことと考えるか,逆によいことと考えるか,その大前提のところがすでに違っているのではないかという深い考察に結びつく。日本ではまだまだ遊びは悪であり,暗黙のうちに遊園地はまだ善悪の区別のつかない子供向けと前提されているのである。(p50)
 ジェットコースターは痛くないことが最低必要条件なのだ。いくらデカくても,速くても,痛いとすべてが台無しである。その点で,アメリカの新型コースターは非常によくできていた。日本だってやればできるはずなのだが,どういうわけか日本製で痛くないコースターはほとんどない。(p116)
● ぼくはといえば,ジェットコースターには乗らないタイプ。単純に怖いから。
 が,この本を読むと乗れそうな気がしてきた。乗らないと思うけど。

2015.10.03 外山滋比古 『50代から始める知的生活術』

書名 50代から始める知的生活術
著者 外山滋比古
発行所 だいわ文庫
発行年月日 2015.02.15(単行本:2010.03)
価格(税別) 650円

● 本書刊行の時点で,著者,91歳。

● 知的生産術といいながら,その前提として,健康と資産がなければならない。健康については歩くことを奨励している。
 「老後」ということばを意識し始めてから,ずいぶんと歳月がたちました。思いのほか長いのが,老後です。この老後を輝かしきものにするために考えたのは,(中略)まず自分の足で歩くことでした。(p17)
 ウォーキングを毎日の習慣として持続させるためには,自分のスタイル,「型」を持つことが大切です。型とは怠け心が頭をもたげても崩れないスタイルです。わたしの場合は,自宅まわりを歩くのではなく,定期を買って遠方に行くことが自分の流儀です。(中略)定期を買った以上,使わなくてはもったいない,という気持ちがはたらきます。だから,ひたすら歩くことになります。自分のケチな根性を生かすのが,自分でも愉快です。(p55)
● 資産については株式投資。若いときからやっておけ,と。
 どうせ株式投資をするなら,若いうちからがいいと思うのは,年をとると欲が深くなるからです。欲が深くなると,判断も狂いがちになります。(p30)
 その会社に対する投資にしても,見誤ることがあります。投資の格言である「人の行く裏に道あり花の山」を地で行ったとしても,その裏道で迷ってしまうこともあるのです。(p31)
 株を始めてしばらくすると,教員という人種がいかに世間知らずかを痛感するようになります。世の中の経済動向や流行などにも,からきし無頓着。新聞を読むとき,文化欄ばかり読んだりする。 これでは,浮世離れするのも当然,世間が狭くなるのも,むべなるかなです。(p32)
 老後の備えは,早くから自助努力すべし。しかも,自己責任がともなう株式投資がリスクが大きいからよろしい。自己責任に対する意識が希薄なうちは,人生に対するリスクテイクの意識も芽生えません。(p37)
 では,株式投資に失敗して,足を洗った人はどうすればよいのか。そんなことは知ったことじゃないのである。

● 本題(?)の知的生産については,知識をインプットすることではなく,考えることをせよ,と説く。考えるためには知識は邪魔になることが多い。したがって,忘却も大事である。
 知識が増えれば増えるほど,それに反比例するように,思考力が低下することに,はっきり気づくべきです。(p103)
 テストの点が七十点の学生は,その足りない分,自分なりに頭で考えていこうとしているのです。対して,九十点をよしとする人のほうは,自分の知識で勝負します。だから,独自の思考力がもとめられるときになると,途方にくれるのです。(p104)
 染みついた知識・常識の多くは,他人のこしらえた思考です。それを自分でつくったように使うのは,正直さに欠けます。(p107)
 忘却こそ,知性のはたらきをさかんにする,大切な下ばたらきをしていると言ってもいのです。(中略) 個性的なアイデア,発想,思考は,この忘却なくしては不可能と言ってもいいでしょう「知的生活」を実践するために,よくノートなどで記録したりします。いまならパソコンに入力します。しかし,あれは記憶の保護に過ぎず,むしろ考える作業の邪魔にさえなるかもしれないのです。(p117)
 読書体験もせいぜい三十代くらいまで。それ以後の読書は,あまり役に立たない。(中略)よけいな本は読まないことです。(p120)
 自分で考えないで本に答えを求めるというのは間違っています。人が考えたことを信じて,その通りにしてもうまくいくはずはありません。(p121)
 忘れようと思ってもなかなか忘れなられないことでも,書いてみると,案外,あっさり忘れることができます。書いて記録にしてあると思うと,安心して忘れることができるのです。(p170)
 思考は,生きている人間の頭から生まれるのが筋です。研究室で本を読んでいる人は思考に適しません。生活が貧弱だからです。(p212)
● その他,いくつか転載。
 サラリーマンの場合はもともと,自分の本来の価値とピタリとはまったものを仕事にしているわけではありません。 そのことを,組織のエスカレーターに乗っているうちに,いつのまにか自分の「得意」と思いこんでしまっていることもあります。 もし,あるとき人生の二毛作を志したのなら,そのエスカレーターはいったん降りて,自分の足でのぼる階段を見つけたほうがいいでしょう。階段も無ければ,自分ではしごをつくるくらいの気概があってしかるべきです。(p24)
 若いときの友人関係は,もう賞味期限が切れています。賞味期限の切れたものは,捨てて,買い換えないといけないのです(p84)
 雑談・放談は,人生最大の楽しみであり,人間が発見した最高の元気の素ではないでしょうか。(p92)
 『源氏物語』を英訳して世界に知らしめたアーサー・ウェイリーは,日本に招聘されたとき,「自分の愛する日本は昔の書物のなかにある」と,辞退したそうです。このエピソードに,わたしは強い感銘を受けていました。(p110)
 いまの企業は考えが古いから,休みはムダ,休みなく働くのが望ましい,という単純な労働至上主義にとらわれているのです。それが結局,生産性を落とすとは考えていません。(p149)
 机に向かい何時間も仕事をするというのはたいへん不自然なことです。野生の動物だって食べるために働きますが,同じところに何時間も座っているなどということをするものはありません。じっとしていることは,動物にとってときに危険です。(p150)
 まじめな人は,朝から晩まで,ひとつのことに集中することができます。それをいいことのように思っている人は,一日中,図書館にこもって難しい本を読んで得意になるかもしれませんが,知恵が足りません。図書館,もちろん結構ですが,一日中というのがいけません。せいぜい二,三時間です。(p151)
 少し高等な教育を受けると,知識をありがたがって,生活を小バカにします。知識さえあれば人間は進歩するという古い思想にいまなおとらわれています。(p155)
 これ,グサッとくるところがある。若いときの自分はそうだった。いや,中年に達してからもしばらくはそうだったかもしれない。
 本当に好きなことがないと,流行の後追いをすることになる。(中略)人のことばに動かされたり,世間の常識に引きずられたりします。(p161)
 くよくよするのは,要するに,後ろ向きになっているからです。いくら過ぎ去ったことにこだわっても,過去が変わるはずがありません。(p170)
 これもあたりまえのことなんだけど,言われてみないとわからない。くよくよするのは後ろ向きになっているからだ。憶えておこう。
 年をとったら,おしゃれ,ぜいたくは,いいクスリです。やはり若返るのはむずかしくても,元気は出ます。なりふり構わずというのは,若いうちのこと。年をとったら,なりふりをできるだけよくしたいものです。(p190)
 江戸中期の俳人,滝瓢水の句に, 濱までは海女も簑着る時雨かな という名句があります。(中略) 海女は浜へ着けば,海に入る身,濡れることはわかっています。時雨が降ってきても,どうせ,すぐ濡れるのだから雨に濡れていこう,などというつつしみのない考えはしない。やがて濡れる身であることはわかっているが,それまでは濡れないように簑を着てわが身をいとう,大切にするというのです。どうせ,という弱い心をおさえて,わが身をかばい,美しく生きるたしなみ,それが人間の尊さであるのを暗示しています。(p192)
 文学青年などは,「文学が第一,生活否定」といった思想にとらわれると,一生を無為に終えてしまいます。小説を書くには,生活がわからなくてはなりません。二十歳にもならない若者にも「傑作」が書ける小説などというものに,人生的意義はあまりないと言うべきです。(p214)

2015.10.02 宮田珠己 『晴れた日は巨大仏を見に』

書名 晴れた日は巨大仏を見に
著者 宮田珠己
発行所 白水社
発行年月日 2004.06.15
価格(税別) 1,600円

● 巨大仏はとにかく周囲と調和しない。仏像なのにありがたみもない。「マヌ景」(マヌケな風景)の典型だ。でも,気になる。
 というわけで,全国の巨大仏を巡りながら,なぜ気になるのかを探ってみよう。

● 以下にいくつか転載。
 私にとって巨大仏が気になるのは,“ぬっ”とした感じのさらにその奥に,何か殺伐として手触りが隠れている気がするからではないかと思うのである。 突然不穏なことを言うようでなんだが,世界平和大観音にも牛久の大仏にも,ぬっとした巨大仏にはすべて,何か妖怪的な,見ようによっては,人間のことなどまったく知ったことではないというような,非常な手触りがないだろうか。(p48)
 思えば何もこれは巨大仏に限ったことではなく,むしろ深い山の中で一夜を明かすときや,宇宙の果てを想像するとき,あるいは自分が死んだ後の世の中について思うときなどに,強く心の中に沸き上がる人間の力ではどうしようもない圧倒的な孤独のようなものであり,言い換えれば,この世界があること自体の怖さ,理由もわからないままにこの世界が厳然と存在し,そこにどかから来たのかもわからない自分がいる,という怖さ,それを人口的に少しだけ感じさせるのが巨大仏なのではないか。(p50)
 巨大仏が“ぬっ”とした印象を持つのは,それが仏さまであるという意味を失って,そこにそんな巨大なオブジェが唐突にあるだけの風景として見えたときだった。廃墟も,その機能や意味を失ってただのオブジェになったとき,そこにあるモノの存在の不気味さが,“ぬっ”とこちらの心に迫ってくる。(p211)
● 本書に登場する編集者(男女各1名)が面白く描かれている。編集者が著者をインスパイアすることがあるんだね。だいぶ著者を助けているようだ。

● タイトルの由縁は,白い巨大仏は空の青さとの対比で映える。だから,見に行くなら晴れの日がよいということ。