2015年6月30日火曜日

2015.06.29 浅見帆帆子 『大丈夫! うまくいくから』

書名 大丈夫! うまくいくから
著者 浅見帆帆子
発行所 幻冬舎文庫
発行年月日 2006.08.05(単行本:2003.08)
価格(税別) 495円

● 一服の清涼剤というかカンフル剤。
 「自分が幸せになることを目標にするときに,その夢が他人に迷惑をかけずに自分の心が本当に楽しくワクワクすることであれば,どんなことでも必ず思えば現実になります。(中略)どのような過程でそれがかなうのかは考えません。とにかく,かなったときの状況を具体的に鮮やかに想像します」(P40)というのが,本書に書いてあることのほとんどすべてといっていいんでしょ。

● ほかにいくつか転載。 
 心の奥底からそうなる予定があるように思い描くには,少しでも不安を持ってはいけないのです。この漠然とした不安が足を引っぱっているのだと気づきました。(p56)
 うまくいかせたいことほど心配してはいけないのです。人間は,楽しいことを考えるよりも,不安をふくらますほうが真剣になるので,イメージが簡単に固まってしまうのです。(p63)
 実現するパーセンテージが多い少ないに関係なく,自分に不安がなければないほどうまくいくのです。(中略)だから,自信がないから不安になるのは当然というのは逆で,むしろ確率が低いときほど心配してはいけないのです。(p65)
 わたしは,人が心の中で思った瞬間に,そこへの道がつながると思っています。一番はじめに思ったこと,一番はじめに思い描いた映像が一番パワーが強いということです。(p71)
 「本当はこうしたいけど,まあこれでもいいかな」という思い方より,本音ではこうなりたいと思うことを素直に思い描くほうが,たとえ本音のほうが大きなことでもうまくいくでしょう。(p74)
 精神レベルが上がると,ラッキーなことや不思議なことが絶妙のタイミングで起こるので,「うまくいったのは自分だけの力じゃない」ということを自然と感じるようになります。(中略) そして,感謝をすることがますます精神レベルを上げることにつながると気づきます。(p146)
 自分の人生が左右されてしまうようなこと以外でイライラする必要はない(p151)
 言った通りのことが現実になる,これはすべての人に起こっているのですが,意識していない人は,自分が発した言葉が,まさかここまで影響があるとは思っていないだけなのです。「わたしって肝心なところで邪魔が入るのよね」と言って本当に邪魔が入ってしまう人は「ほら,やっぱりね」と思うでしょうが,自分がそう言っているからそうなっていることに気づいていないのです。(p168)
 小さなことにイライラしないとか,礼儀正しくするとか,広い心を持つというのは,他人にならできるのです。誰でも他人にはいい顔ができますが,同じことを家族にするほうがずっと難しいはずです。(p192)
 自分の一番身近にある人間関係は家族です。だからこそ,もし家族に対してイライラしていたり,関係がうまくいっていなければ,そこを改善することが一番プラスのパワーをためることにつながります。自分の一番近くの環境がゴチャゴチャしている人が,外で「タイミング」とか「情報」とか言っても始まらないのです。(p193)
 あれほどつまった隙間を通るのは,たとえねらったとしても難しいことだと思います。あまりに一瞬のことでどの車もブレーキを踏むことさえできなかったと思うのですが,逆に一台でもブレーキを踏んでいたら玉突き50台くらいの大惨事になっていたでしょう。(中略) 今思い返しても,不思議としか言いようのない出来事で,「神業」というのは,まさにこういうことを言うのだと思いました。 でもきっと,目に見えない世界から見れば,ほんのチョチョッとしたことなのでしょう。(p199)
 かなえたいことを思い描くときにも,感謝している自分のシーンまで思い描くことができれば本物です。必ずかないます。(p202)

2015.06.29 下野康史 『ロードバイク熱中生活』

書名 ロードバイク熱中生活
著者 下野康史
発行所 ダイヤモンド社
発行年月日 2011.06.16
価格(税別) 1,400円

● 読んで楽しい自転車エッセイ。この手の本の多くは,自転車ってこんなにいいものなんだよと読者を煽っているところがあると感じるんだけど,この本にはちょっと冷めたところがある。
 いや,自転車にはまっているんだけど,一方で冷静。

● 以下にいくつか転載。
 その手の超高級自転車にポンとお金を出すのは,クルマからドロップアウトしてきたおじさんなんかが多い。高いといったって,クルマに比べたら自転車は安い,と錯覚する層を当て込んで,輸入業者がやたらとノッケているようなフシがある。(p19)
 個人的には自転車ってせいぜい30万円までのものだと思う。(中略)人が乗ったロードバイクで最も重要な部品は,人間というエンジンである。カーボンのモノコックフレームも,完組み軽量エアロホイールも,11段スプロケットも,人間エンジンに比べたら所詮,“たかが自転車”である。(p20)
 クルマと伍して走るには,一瞬だってボーっとしていられない。なぜならクルマの多くはボーっとしているから。そのかわり,車道を走るようになると,途端に平均スピードが上がる。どんなに舗装の質が悪い車道も,歩道よりは平滑にできている。(p52)
 坂は,斜度より長さがキク。(p92)
 余っているより足りないほうがおもしろい。そのほうがドラマがあるし,ストーリーが生まれる。工夫するから,頭もスマートに(賢く)なる。(p188)

2015.06.28 平野勝之 『旧型自転車主義』

書名 旧型自転車主義
著者 平野勝之
発行所 山と渓谷社
発行年月日 2012.03.10
価格(税別) 1,905円

● イギリスのサンビームという古い自転車があるんだそうだ。写真で紹介されている。
 著者によれば,「「あなたは私と暮らす勇気はあるのかな?」と,伊達ではない黒塗りの車体がそう語りかけてくる」(p11)ような自転車で,「自分のレベルを上げないと,とてもつきあえない」(p12)自転車である。
 しかし,ママチャリの中にもこれと似たデザインのものがなかったか。あったとしても,あくまで似ているだけで,本物と偽物ってことになるんだろうなぁ。

● イタリアのチネリについては,「この「魔物」という強烈な形容詞がついたものは,僕の知るかぎり自転車だけだ。自転車はそんなふうに呼ばれるほど,人を狂わせるものなのかもしれない」(p62)と言う。
 このあたりの感覚,わかる人にはわかるんだと思うけど。

● 「蛍光灯は,便利だが醜い。明るいことは素晴らしいことだが,余計なものまで,鮮明に写し出してしまう。僕は,日本が美しくないとしたら,それは蛍光灯のせいだと思っている」(p111)とも言う。
 たしかに蛍光灯というのは味も素っ気もないっちゃないんだけど,そこまで言ってしまうと,蛍光灯が気の毒だとも思う。
 これからはLEDが取って代わっていくんでしょ。蛍光灯よりずっといいよね。

● 自転車に関しては著者の美観はとんがっていて,したがって許容範囲がごく狭い。こういう人は距離をおいて付き合う分には面白い。
 著者と読者という関係が理想的か。

2015.06.28 平野勝之 『旅用自転車 ランドナー読本』

書名 旅用自転車 ランドナー読本
著者 平野勝之
発行所 山と渓谷社
発行年月日 2010.04.15
価格(税別) 1,800円

● ランドナーはたしかに端正な形で美しいと思う。だけど,今のロードバイクも同じように美しい。
 そこで,ランドナーに惹かれるというのは,形以外の何かの理由があるはずだ。著者の場合は,それは何なのか。

● 昔からその自転車に乗り続けてきた先達が紹介されている。堀越進一さん,88歳。渋谷英さん,81歳(当然,本書の出版時)。
 こういう人がいるのだと思うと,自分も老けこんではいられないと思う。当時に,自分はその年齢になっても自転車に乗っているだろうかと,遠い目をしてみたくなる。

● 著者は厳冬期の北海道を一人でツーリングするそうだ。しかも,野外にテントを張って。完全に冒険の領域だろう。
 「帰ってきてしばらくすると,また行きたくなってしまう。なぜだろう? 正直,わからない」(p113)というんだけどね。

● 以下にいくつか転載。
 「視覚」は重要だ。「スタイル」は機能なのである。そこから「精神」が生まれ,旅の哲学が生まれる。(p48)
 いつから,こんなに自転車の地位は下落したのだろう。少なくとも,1950年代から60年代にかけては,スポーツタイプの自転車で旅をすることは,大人の優雅な遊びだったはずだ。(p87)
 今まで旅人を見てきて,強く感じたことのひとつに,自由であるはずの自転車旅行が,気がつくと,あるレールに乗って,みんなで判で押したようにパターン化されているのを感じたことだ。(p88)
 世の中は頑張る人が好きだ。頑張るのは普段の仕事くらいでいいじゃないか。頑張りたくないから,僕は自転車で旅に出る。集団で走るのも,僕は苦手だ。(p88)
 もしかしたら,日本一周したり,縦断して完遂した人ではなく,途中で挫折した人のほうが「旅」をしてきた人なのではないか?(p89)
 吹雪の国道を自転車で走るなど,クルマから見たら「ただの馬鹿者」でしかない。旅人が存在しない雪の路上では,僕は完全に異星人と化す。(中略) フッと,「でも,お邪魔虫の客人とは,もしかしたら,旅人であることの基本姿勢ではないのか?」と気がついた。「孤立に耐えること」それは旅の証明書でもあったのだ。(中略) 「自転車の旅」は「自由である」と錯覚しやすい。(中略)しかし,実は「旅の本当の姿」とは,たったいま,味わっている,この「孤立感と不自由」にこそあるのではないだろうか?(p115)

2015年6月29日月曜日

2015.06.27 和田良夫 『和田サイクルおすすめ 小径車の愉しみ方』

書名 和田サイクルおすすめ 小径車の愉しみ方
著者 和田良夫
発行所 ラピュータ
発行年月日 2010.10.25
価格(税別) 1,500円

● ミニベロやフォールディングバイクをカスタマイズして乗る人たちを紹介している。本体価格を上回るお金をかけてパーツを交換したり,付け加えたりする。
 それによって,走行が安定するとか,速度が出るとか,荷物を積めるようになるとか,具体的なメリットがある。が,そのメリットにコストが見合っているかといえば,大方の普通人は首をかしげるのではないか。

● 要するに,そういうことが好きだからやっているんだろうな。趣味の領域。こういうのって,自転車に限らず,オートバイとか車とかパソコンとか,それぞれにある。
 ぼくはデフォルトのまま,お仕着せで使っている。入れ込み度が浅い。つまり,普通人の一人。

● だけれども,それがどんな分野であれ,深くのめり込んでいる人たちって,どうしてこう魅力的なんだろう。
 魅力的な人たちの体験談だから,面白くないはずがない。

● ある人が次のように語っている。
 店の人と仲良くなるよう努めるのが,僕のポリシー。人とのつながりがあると,またそこへ行きたくなるでしょう。それがサイクリングの楽しみだと思いますから。だから,結局何度も同じ所へ行くことが多いですね(p95)
 ビジネスライクじゃダメだ。用が足りればいい,それ以上の言葉は要らない,という態度ではこうした楽しみを逃してしまう。社交性が必要で,そこを欠くのが自分の第一の欠点だと思っている。

2015.06.27 長谷川慶太郎 『中国大減速の末路』

書名 中国大減速の末路
著者 長谷川慶太郎
発行所 東洋経済新報社
発行年月日 2015.07.02
価格(税別) 1,500円

● あった,買った,読んだ。一気通貫で読了。

● 中国の現状については,これまでも何冊もの著書で,その末期的な症状を訴えてきた。
 これまで中国経済は,大規模な都市開発や高速道路,高速鉄道建設といった膨大なインフラ整備による投資主導での経済成長を果たしてきた。いわば,国家主導の「国土開発バブル」で高度成長を実現させてきた。 しかし,いまや,この「国土開発バブル」による成長モデルが完全に崩壊してしまったのだ。(p21)
 「窮余の一策」として出てきたのが,アジア・インフラ投資銀行なのだ。国内で行き詰まってしまった従来のモデルを,そのまま他国に持ち込み,国内で過剰となった自国企業の延命を図ろうという狙いなのである。このような自分勝手な理屈が,はたして国際社会で通用するのか。結果は言うまでもあるまい。(p54)
● 公害もよくよくの状態になっている。それを防げるかどうか。もう手遅れなのではないか。しかも,公害対策を徹底すれば,経済はさらに減速する。
 日本でよく報道される人権問題や民族問題などは,特定の階層や集団だけが,反政府で団結するにすぎないが,公害問題では,普段,デモなどには参加しない女性や家庭の主婦までもが「版政府」で団結してしまう。(p46)
 かつて,日本も深刻な公害に悩まされたが,日本は国を挙げてこの問題に取り組んだ結果,いまでは深刻な環境汚染は見られなくなった。これは自由で民主主義的規制,すなわち自由な告発,批判があり,マスコミの監視,公平な司法があったからこそ実現できたのである。(中略) 企業は基本的には,公害対策などの費用がかかることはやりたがらない。(中略)放っておけば排煙は出しっぱなし,汚水は垂れ流しっぱなしとなる。これはかつての日本でも同様であった。(p47)
● 習近平が元幹部の大物を汚職の疑いで投獄している。個人独裁を目指しているのではないかと,長谷川さんは見ている。ソ連のスターリンを引き合いにだして論じる。
 習近平が個人独裁を狙うということは,具体的には何を意味するのか。著者には,旧ソ連で絶大な権力を保持し,次々と政敵を粛清していったスターリンを目指しているように思えてならない。(p69)
 ドイツの場合,最小限度の犠牲で最大の戦果を挙げることが指揮官の任務であり,その方針を徹底的に教え込むかたちで士官の養成を行った。最後まで懸命に闘ったうえで命を落としそうな場合には,手を上げるというのが西側の常識である。 ところがソ連はそれを認めなかった。ソ連軍では大戦中,五〇〇万人が捕虜となったが,戦後,ソ連に帰ったその全員は,強制収容所へ送られた。(p76)
 粛清は粛清を呼ぶ。これが歴史の教訓である。 粛清を行った指導者が,何より恐れるのは自身への報復である。疑心暗鬼に陥り,些細なことでも自分に対する反逆なのではないかと疑ってしまう。自分以外の誰もが信用できなくなってしまうのだ。 習近平にもその兆候は見え始めている。習近平は突如,国家主席の護衛責任者である曹清・中国共産党中央護衛局長(人民解放軍中将)を解任し,その後任に自身の派閥に近い王少軍・副局長(人民解放軍小将)をあてる異例の人事を行った。(p81)
● 共産党幹部の汚職,資産の海外逃避は,習近平自身も例外ではない。
 これら共産党幹部によるやりたい放題の悪行が許されたのは,経済の高成長によって,国民に「豊かさ」を与えることができていたからである。国民は共産党政権のもとで,自分たちの日々の生活が豊かになっているからこそ,多少の不正には目をつむってきたのである。したがって,経済が行き詰まり,「豊かさ」を享受できなくなれば,民衆の怒りによって政権はどう転ぶかわからない。(p91)
● 東側が倒れるに至った,大きな環境変化があった。IT革命だ。共産主義の基礎は情報統制だからである。
 東西の技術格差が急速に広がり始めたのは一九八〇年代である。これは世界中でIT革命が進展した時代でもあったが,東側は技術の導入ができなかった。ITを導入すれば情報統制が崩壊し政権の維持が難しくなるため,共産党の一党独裁体制が消滅してしまうからである。 ITどころか,当時世界で普及していたコピー機でさえ,東側では自由に設置・使用することができず,厳重な監視下に置かれていた。情報の拡散を極度に恐れていたのである。(p104)
● 今後,中国が自前の改革でこの危機を脱することができるか。できないというのが著者の見方。これもソ連を例を引いて,諄々と説いていく。
 ソ連における共産党の自発的改革は,長年の計画経済の硬直性に慣れた国民には通じなかった。党の指導層にも経済ないしは市場経済への認識不足があった。自由競争という経済の本質への理解は進まず,国内で産業を振興しようとしても,市場経済とは何かがわかっている人間がいなかった。技術,知識はあっても,システムとして機能させることができない。その結果,現在に至るまで惨めな経済状態に置かれている。(p105)
 中国の場合には,自由経済がある程度機能しているので,ロシアの場合と違って,企業の人材が育っているように見えるかもしれないが,実はほとんどの経営者が,自由経済のルールをまるっきりわかっていない。 その端的な例が,企業が潰れても,平気で金を持ち逃げしてしまう経営者が続出していることに表れている。(p111)
 中国が今後,適切な経済システムをつくる上げることは,自発的にはあり得ない。崩壊して生まれ変わるしかないのである。(p112)
● では,そういう中国に対して,日本側はどう対応していけばいいのか。
 中国はまだ国際社会の一員であるという自覚が乏しい。一番重要なことは国際公約を守ることである。国際法を尊重することである。ところが,中国はこれを平気で破る。中国外務省の言い分は,一九九七年と今とでは違うというのである。九七年に決めたことは今とは関係がないと言うのである。国際的には通るわけがないが,このような利己的な主張を通すことは,昔からの中国の特性である。(p124)
 日本がとるべき選択は,安易に妥協しないということだ。日本人は手を差し伸べられると弱い。友好という言葉に弱い国民である。しかし,相手は戦略的に,「窮余の一策」として手を差し出してきているのである。 仮に,首尾よく現状を脱することができれば,すぐさま手のひらを返してくることは目に見えている。(p108)
● その他,いくつか転載。
 パナソニックはみなが知る世界企業である。日本の中小企業に対するようないじわるなことをしたら,どんな騒ぎになるか,十分に理解している。当局は「強きに弱く,弱きに強い」のだ。(p56)
 サムスンはスマホの後が何もない。スマホは中国の安売り機種にやられているが,そうなるのは決まっているのだ。スマホとはパーツさえ買って組み立てれば,誰でも簡単につくれてしまうからである。そこに高度な技術力は必要としない。(中略) 逆に日本は部品で儲かっている。(中略)中国とビジネスモデルがぶつかる家電産業は苦境に立たされることになったが,中国にはできない技術がある会社は存在感を増しているのである。(p151)
 韓国は東芝のスマホ用の技術を盗もうとして,最近もトラブルになった。盗むとしてもバックグランドまでは盗めないので,一回だけである。最初はそれで成功しても,更新されるとまた盗まなくてはならない。そのようなことは何度もできない。(p152)
 市場経済であるかぎり,地域によって景気に差異が生じることは避けられない。また,所属する企業や業種によって業績の差が生じることも避けられない。かつての高度成長期のように,誰もがみな給料が上がっていくよう時代を望むのは,もはや現実的ではない。 問題はフリクション(摩擦)をできるだけ緩和するように,政治が努力できるかである。先進国を中心に広がる格差問題を引き起こす最大の要因は,経済のグローバリゼーションにある。しかし,「平和の時代」において,グローバリゼーションを抜きにした経済システムはもはや成り立たない。その流れに逆らえば,多くの場合,企業経営は行き詰まることになるだろう。(p191)
 農業技術については,海外のほうが進んでいると思われがちだが,これは事実ではない。日本は農業分野においても世界のトップクラスの技術を有しているのである。 今後,日本の農業でもっとも期待されているのがLED技術を活かした農業である。具体的にはLEDライトを太陽光代わりとして,穀物を量産できる可能性である。(p199)

2015年6月27日土曜日

2015.06.27 番外:愛しの文房具-毎日を彩る,楽しい,かわいい,美しいステーショナリー

編者 清水茂樹
発行所 枻出版社
発行年月日 2011.06.10
価格(税別) 1,300円

● 「実用性のみの道具ではなく,遊び心があって愛着が深まる,楽しい,かわいい,美しい文房具を集めました」ということ。
 したがって,想定読者は主に女性。

● 実用性を極めれば美に至るという予定調和的な信仰を持っているわけではないけれども,ぼくは徹底的に実用性重視。実用的でさえあればいい。文具に遊びやファンシーさは要らない。
 と思えるのは,遊びは文具以外のところに求めているからだね。

● 女性だって,自分たちはこういうのを好んで使う一方,男性が同じものを使っていたら,眉をひそめるのではないか。
 ただし,その使い方が自分たちのセンスを超えている場合は,この限りではない。
 
● 「意外と男性より女性のお客さんのほうが,買い方がいさぎよくて,冒険をするんですよ」(p55)という「五十音」の宇井野京子店長の言葉が紹介されている。
 洋服や化粧品と同じ感覚で買っているんだと思う。自分を飾るものなんだろうな。

2015.06.26 すなみまさみち・古山浩一 『万年筆クロニクル』

書名 万年筆クロニクル
著者 すなみまさみち
    古山浩一
発行所 枻出版社
発行年月日 2007.08.10
価格(税別) 3,200円

● すなみさんはどうやら日本一の(世界でも有数の)万年筆コレクターであるらしい。万年筆本体のみならず,カタログとか広告とかといった資料も収集してきたらしい。

● 本書はその成果の一部をまとめたものだ。万年筆百科全書的な趣。万年筆についての蘊蓄を語ったものは,これまでにもいくつか読んでいるけれど,これほどの情報量が詰まっているのは初めて読んだ。
 万年筆の魅力や奥深さ。技術開発競争の裏面史のようなもの。いろいろ勉強になる。

● コンウェイ・スチュワートって,高名なイギリスのメーカーらしいんだけど,ぼくは知らなかったもんね。って,これは無知が過ぎるというものですか。
 夏目漱石の随筆に出てくるペリカンは,ドイツのペリカンとは別物。何かで読んだことがあるかもしれないけれども,すっかり忘れている。初めて知ったといっていいね。
 同じく夏目漱石で有名なオノトについても,まとまった知識が入った。

● だから何なのと言われると,まぁ,そこで終わるんだけど。
 が,趣味というのはそういうもので,興味のない人にとっては,“だから何なの”という世界だ。
 蝶々を捕るのもそうなら,野球をやるのもそうだし,旅行もしかりなら,酒も煙草もそうだ。煙草なんか吸わない人には迷惑だ。
 逆に,万年筆や文房具に関心がある人にとっては,この本は面白いはずだ。著者の情熱がこもっているから。

● 以下に,3つほど転載。
 人間は基本的に快楽を追求して生きるものである。紙に筆記する行為は最も根源的な自己表現であり,快楽である。ならば心の機微に敏感に反応して自在な変化が可能なものは万年筆をおいてない。(p1)
 すなみさんにコレクションとは何か?という質問をしたことがある。答えは単純で「コミュニケーションに他ならない,コミュニケーションの深まり無しにコレクションはありえない」である。だから若きコレクター達への言葉も「ただ集めるのはすぐに限界が来る。深い人間関係を築くことこそ重要です」になる。(p6)
 コレクションは60本ほどで,外国製のオールドファッションの中字,太字がほとんどである。しかし,使うのは国産に限るという。「品質は国産が一番,ペン先は日本のが最高だね」とおっしゃっていた。(p361)

2015.06.24 和田茂夫 『「かしこい手帳」の選び方,使い方』

書名 「かしこい手帳」の選び方,使い方
著者 和田茂夫
発行所 日東書院
発行年月日 2009.11.10
価格(税別) 1,000円

● この手の本は佃煮にするほどあるわけだが,この本はベーシックで役に立ちそうだ。社会人になってこれから手帳を使おうとする若い人たちに益するところが大きいと思った。

● ぼくはこの手の本を読むのが好きで,けっこう読んじゃうほうだ。が,読むだけ。なるほどと思って取り入れることはあまりない。っていうか,ほとんどない。
 自分なりのやり方が固定しちゃっている。いいんだか悪いんだかわからない。が,あえて変えようという気にはならない。

● ふたつほど転載。
 必要なことがもれなく書き込まれていなかったり,書かれていてもわかりにくい書き方では,手帳を開く気にならなくて当然でしょう。 逆に言えば,ちゃんと書き込まれた手帳なら,誰に言われなくても開いて見るものです。(p45)
 手帳を使い慣れていない人は,ムリをして手帳を見る習慣をつける必要はありません。手帳を使いこなすにすれて,放っておいても自然に,1日のうちに何度も手帳を開いて見たくなります。(p45)

2015.06.23 下川裕治・阿部稔哉 『週末香港・マカオでちょっとエキゾチック』

書名 週末香港・マカオでちょっとエキゾチック
著者 下川裕治
   阿部稔哉(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2015.02.28
価格(税別) 680円

● 「茶餐廳」の話で1章分書いている。色々なメニューを試しているわけだけど,これだけで1章分書ける筆力がすごい。たんに書くだけじゃない。読ませる文章だ。しかもグイグイと。

● 下川さんは社会派でもある。現在の香港の苦境とその理由を丁寧に説明する。中国に対する学生たちの反発についても,学生側に立って諄々と解き明かすという感じ。
 文献も渉猟しているのだろうが,基本,現地で確認している。それが下川さんの真骨頂でもあるわけだけれども,説得力のある1章になっている。

● これで下川さんの作品の手持ちはなくなった。すでに読んだものを再読するという手はある。それで糊口をしのぐか。

2015.06.23 伊集院 静 『逆風に立つ 松井秀喜の美しい生き方』

書名 逆風に立つ 松井秀喜の美しい生き方
著者 伊集院 静
発行所 角川書店
発行年月日 2013.03.10
価格(税別) 1,000円

● 松井がメジャーに行くときに,「戦後,日本がアメリカに送り出すもっとも美しい日本人」と書いたのが伊集院さん。
 松井のどこが素晴らしいのか,彼と自分との交友を絡めて1冊の本にした。

● 以下にいくつか転載。
 どんな人間にも生きて行けば必ず試練がやってくる。周囲の人が懸命に庇護していても,人生には,その人が独りで乗り越えなくてはならない状況がやってくる。生きるということは,それを乗り越えることだ。たとえ一度で乗り越えられなくとも,大切なのはその試練から逃げないことだ。一度敗れても二度,三度とチャレンジすれば,いつか乗り越えられるものだ。それでも私は松井選手にいきなり試練を与えたベースボールの神さまを少し恨んだ。神様,今じゃなくてもいいじゃないですか。少しメジャーの野球に慣れてからにしてくれても・・・・・・。(p15)
 これはメジャー1年目の開幕試合でのこと。このあと,松井は満塁ホームランを放つわけだ。
 しかし敗れた時,これが肝心なのだ。(中略)敗れた時にいかに冷静に結果を見つめ,次になるべきことを見つけ,成功までの苦しい時間を耐えられるかだ。その忍耐力があるかないかがその人の成長を決める。忍耐力を養うのに一番必要なことは,強靱な精神力である。ではその精神力はどうやれば培われるのか。それはなぜ自分がこの仕事をしているのか,使命感を持つことだ。(p21)
 これは後に,私が長嶋氏と対談した時,彼が言った言葉である。 「私が監督をしている時の九年間で,一番練習した選手は松井です。練習をしているかどうかはわかるんです。一ヵ月,二ヵ月一生懸命する選手はたくさんいます。調子が良くなると,彼等は練習をしなくなるんです。それではダメなんです。三年,五年,十年先の自分のバッティングがそうなりたいと思い描いて,それを信じて毎日欠かさず練習ができる選手でないと大成しないんです。松井はそれを唯一できた選手です」(p68)
 「日本のファンの方を裏切ることになるかもしれませんが・・・・・・」 その言葉を聞いた時,そこまで言うことはないのだよ,と思った。でもそれが松井選手がどれだけ悩み抜いたかの証明に思えた。そして,あの言葉が出た。 「決断した以上は,命を懸けて戦ってきます」私はその言葉を耳にして,背中に戦慄が走った。君はこの挑戦に命を懸けると言うのか・・・・・・。これまで松井選手と何度も逢って,彼が本心でないことを口にしたのを一度たりとも耳にしていなかったから,彼の決心がそこまでのものなのか,と驚愕した。(p83)
 注目されるべきは怪我をしたことではない。私たち野球ファンが感動したのは,グローブが取れた骨折した左手をぶらぶらさせながら,彼が芝生の上を子供がするように這いずりながら,右手でボールを取り,送球したことなのだ。そのシーンを見た時,私は彼のプレーヤーとしての真価を見せられた気がした。インプレーである限り,自分が為すべきことのベストのことをする。(p132)

2015年6月24日水曜日

2015.06.23 今 陽子 『60歳からのフェイスブック』

書名 60歳からのフェイスブック
著者 今 陽子
発行所 マイナビ新書
発行年月日 2012.08.31
価格(税別) 830円

● この本で説かれているのは,Facebookは楽しいよということよりも,プライドを捨てて自分を解放すると楽になりますよ,ということ。
 プライドというのは人生の自信ですから,簡単に捨てられるものではありません。でも,実はそこが捨てられるようになったら,人生がものすごく楽になるんです。(p83)
 私も,初めて地元の学校の同窓会に出席したときは,「私は芸能人で,こんな普通のおばさんたちといっしょに食事をしたりお酒を飲んだりしたくない」という,今思えばまったくつまらなくてくだらないプライドを持っていました。でも,そういうのが少しでも見えてしまうと,もうだめなんですね。誰も近寄ってきてくれない。(p84)
 私は,今はもう,屋台でコップ酒なんて全然平気です。むしろ,そういうほうが楽しかったりします。でも,20代のころはそんなことできませんでした。「私のようなスターがそんな下世話なところで」というプライドがあったのです。 でも,それは言い換えれば,自分を解放できていなかったからなのです。私の場合は,「ピンキーとキラーズ」「恋の季節」から,私自身を解放するのに長い時間がかかりました。(p190)
 こういうところは,海外の方に学ぶべきだと思います。(中略)普通の人も,リュックをしょって電車やバスで安上がりの旅行を楽しまれています。すばらしいのは,貧乏旅行だからってみじめったらしくしていないこと。(p191)
 仕事でがんばってこられた方,家を守るのにがんばってこられた方が,いつまでもそこにとらわれて,自分を解放できないでいたら,あまりにも哀しいと思います。長い間がんばってこられたんだから,もういいじゃないですか? 自分を解放してあげましょう。ほんのちょっと考え方を変えればいいだけなんです。「おれなんて,ただのおじさんだ」「あたしなんて,ただのおばさんだ」と,そう言えればいいだけなんです。(p192)
● スマホについて次のように。
 スマホはアレもできる,これもできる。だから,なんでもスマホでやろうとするのではなく,自分がテレビのほうが楽しめるのならテレビで見る,使いやすいのであればラジオを使う。そういう使い分けをするのが大人の使い方だと思います。(p168)
 そのとおりだと思う。なんでもスマホでやろうとするのは,スマホを使っているのではなく,スマホに使われていると言っていいだろう。
 ところが。ぼくはスマホでできることは多少の我慢をしてでもスマホでやりたいと考えてしまうタイプ。幼児性を残しているのだと思う。
 スマホを使い倒しているという快感が味わえる。それとサイバー感。昔,こんな器械があればなぁと夢みていた以上のガジェットだもの。これ1台ですませたいなと考えてしまう。

● ブログには関心がないようだ。
 ずいぶん前から「ブログを書きませんか」というお誘いもいただいていましたが,気乗りしなかったのです。ブログはどうしても一方通行になってしまって,こちらが話をするだけ。読者との交流がないわけではありませんが,やっぱりフェイスブックのほうがハートとハートのお付き合いがしやすい。(p186)
 じつは,ぼくは,まさにその理由でブログしかやっていない。個対個のコミュニケーション,ハートとハートのお付き合いというのを避けたいと考えているようだ。ようだって自分のことなんだけどね。避けてるわけですよ。たまにもらうコメントに対しても,きちんと答えようと思えないことがあるくらいだ。
 当然,リアルでも同じ。ここが自分の最大の短所であり弱点だと思っているんだけどねぇ。

● ともあれ,ブログは書きっぱなしですむからいいけれど,SNSはコミュニケーションをしなければいけない。そういうの,面倒だなと思ってしまう。
 自分で言うのもなんですが,私にはハートがあるから,これだけたくさんの友人ができるのだと思っています。(中略) 友だちを作るというのは,社交的だとか明るい性格だとか,そういうことではなく,ハートでぶつかっていけるかどうかの人間性だと思うんです。(p120)
 本当にそうだなと思うんだけどね。

● もう一点。中川淳一郎さんの『ウェブはバカと暇人のもの』を読んで,妙に納得するところがあったのも影響している。
 これはFacebookに限らず,ネット掲示板とかも含めての話なんだけど。Facebookだったら友だち申請を承認しないこともできるわけだから,話はぜんぜん違ってくるのかもしれない。
 でもなぁ。ここを免れるのは難しいんじゃないかなぁと思っていてね。自分のバカを棚にあげて言ってるわけだけどね。

● Facebookの楽しさと注意点についても,もちろん言及されている。
 私の歌なんかで,つらい思いを一瞬でも忘れてくれたら,シンガーとしてこれ以上うれしいことはありませんし,なにより私自身がそのコメントで「シンガーをやっていてよかった」と勇気をもらっているのです。(p92)
 このコメントにはほんとうに励まされました。これからもほんとうにがんばっていかなければと思ったのです。ただ歌を歌ってそれを聴いてもらうということだけじゃなくて,そうやって私のことを人生の支えにしてくれる人がいる。もう,「疲れた」とか「休みたい」なんて言っていられないと思いました。(p96)
 この距離感というのは,現実でもフェイスブックでもまったく同じです。男と女も近くなりすぎれば激しいことになる。フェイスブックでも近くなりすぎれば論争になったりケンカが始まったりする。(p196)
● シンガーとして歌うときも,大きなホールやディナーショーよりライブハウスのほうが楽しいという。
 この臨場感,一体感というのは,ライブハウスにしかありません。(中略)その代わり,かっこいいことを言わせていただければ,ライブハウスはほんとうに実力のあるシンガーにしか務まりません。(p183)
 臨場感,一体感というのはFacebookと重なるんだろうか。Facebookでもそういうのが味わえる?

2015.06.22 美崎 薫 『ライフログ入門』

書名 ライフログ入門
著者 美崎 薫
発行所 東洋経済新報社
発行年月日 2011.01.01
価格(税別) 1,500円

● ほぼ同じ時期に出版された『記憶する道具』(NTT出版)もライフログに関するものだけれども,そちらは著者が構築を続けてきたライフログのためのシステムに関する記述がメイン。
 本書はライフログそのものについての解説書。とはいっても,重複する部分はどうしたって出る。

● 以下にいくつか転載。
 ライフログの場合には,この汎用技術,オープン技術によるマッシュアップには,もっと別の観点からの意味もある。それは,どんな技術にも寿命があり,どんな技術を作る会社にも寿命があり,その寿命は,しばしば人生(ライフ)よりも短いということである。(p36)
 ライフログの大部分の記録は,この単調で日常的な情報である。そこでキーになってくるのは,その単調なデータのなかから,どれだけより濃密な情報を再構築できるか,である。濃密で有益な情報を構築できないライフログシステムは,使われないものになってくだろう。(p41)
 重要なことは,このライフログ,行動履歴が,近未来の自分の行動を予測するのに,きわめて重要だという点である。 ライフログは,予兆のようなものを含んでいるのである。(p97)
 ライフログには,ログ期,注釈期(物語期),発見期,統合期がある。ログが役にたつかどうかは,発見したり統合する時期になって初めてわかることであって,それまでは,役に立つかもしれないという予感あるいは啓示あるいは直感はあるとしても,ともかくまずはログ化する時期やログ自体がないと話にならないのである。(p101)
 純粋客観とか,より価値のある考え方とかいうのは,ない。「我々の『客観的』行為ではなく,我々の思考や感情が生活に意味を与えている」と,『楽しみの社会学』でM・チクセントミハイもいっている。パーソナルであることは,自分らしい価値を見いだすことなのだ。(p111)
 ライフログといって,どんなことを集めていても,客観性などにこだわらずに,おおらかな態度で見ていれば,だいたい全部の立ち位置は,それなりの場所に収まるはずである。 ぜんぐ集めたからといって,それが既存の枠に収まらないことを恐れて,過剰に見えるものを捨てたりするのはやめたほうがいい。(p115)
 目的のないライフログ記録は,いざ活用しようとしても実用にならない,ということにある。 ライフログ記録がなにを記録するのかは,まだ自明ではないと,くり返し書いてきたのだが,重要なことは,最終的にそれをどう使うか,というところまで視野に入れてライフログするかをデザインすることなのだ。(p136)
 ライフログで蓄積した過去に,強くのめり込んでいくと,しだいに,いまが現在なのか,それともライフログで体験している過去なのか,わからなくなってくることがある。(中略) ふつうなら,引っ越しや大掃除のときに,懐かしいアルバムにひととき見入ってしまうくらいのことかもしれないが,ライフログで体験すると,たいていのライフログのシステムは押し入れの奥の段ボール箱のアルバムよりも,ずっとアクセス性が高いから,ひんぱんにくり返し体験できる。その結果,すべての体験は「いま」になる。(p189)
● 著者のいうライフログは,毎日日記を書いてブログにアップするとか,家計簿をつけるとか,アルバムをデジタル化するとか,食べるものの写真を撮ってTwitterに流すとか,そういう個々的なものではなく,フルタイムを記録するというものらしい。
 そんなことができるのかと思うんだけど,著者はそれをやってきたし,やりつつあるということ。

2015年6月22日月曜日

2015.06.21 木下綾乃 『文房具さんぽ』

書名 文房具さんぽ
著者 木下綾乃
発行所 世界文化社
発行年月日 2007.10.25
価格(税別) 1,300円

● この本の47ページに出てくる「古い活版印刷用の引き出し」は欲しいと思った。引き出しというか棚なんだけど,これはけっこう便利に使えそうな気がした。

● 著者の職業はイラストレーター。当然,画材を日常的に使っているわけで,その話も出てくる。
 が,文房具を楽しんでいる様子が伝わってきて,これは女性特有(でもないか)。文房具でままごと遊びをしているかのようでもある。

2015.06.21 番外:文房具マスターピース

編者 坂 茂樹
発行所 東京カレンダー
発行年月日 2013.04.01
価格(税別) 1,143円

● 特集が“ノマドワークSTYLE”。ノマドワークって定着しないまま流行を過ぎたような気がするんだけど,ともかくそういう特集。
 鴨志田由貴,イケダハヤト,林久美子さんら12人が登場。“コレなしには仕事にならない”ものとして最も多くあげられていたのは,MacBookAir。このムック本に登場するような人たちは,Macユーザーであるようだ。
 “お気に入りのカフェ”もあげているんだけど,一番人気はスタバ。

● この特集の最後に高城剛さんが出てくる。“コレなしには仕事にならない”は高城さんの場合も,MacBookAir 11inch。
 彼の発言からひとつだけ転載。
 僕はほとんどメーラーしか使っていません。メーラーでいっぱいメモとかテキストを書いて自分に送ります。内緒のアイデアが浮かんだらメールに全部書く。(中略)クラウドもほとんど使いません。(p29)
● もうひとつ,丸善書店の宮原義郎さんの発言。万年筆についての発言。
 これは全般的に言えるのかもしれませんが,ユーザー側では2極化が進んでいる感があります。低価格の実用ラインと付加価値性の高いラインの2極化です。(p11)
 低価格の実用ラインにいるのは当然,若い人たちが多いんだと思うけれども,ぼくのようにいい年こいてPreppy一点張りというのも中にはいるんだろう。
 万年筆は実用品なんだから,実用以外の付加価値は要らない。200円のPreppyと約9万円のモンブラン149を比べて,書き味や持った感じで149を選ぶということはまぁあり得ることだ。が,その場合だって,149を選んだのは実用性によるってこと。

2015.06.21 日垣 隆 『情報の「目利き」になる!』

書名 情報の「目利き」になる!
著者 日垣 隆
発行所 ちくま新書
発行年月日 2002.09.20
価格(税別) 700円

● この著者から伝わってくるのは,覚悟のようなものだ。この本にもそれが全編に満ちている。
 ぼくからすると,わざわざハードな途を選んでいるように見える。そうしたいからそうしているというより,そうしないではいられないのだろうと思う。その心はといえば,廉直ということになろうか。

● 以下にいくつかを転載。
 物書きになりますと,もっとたくさん読んでいる人の存在を知ります。こりゃすげえや,と諦めかけましたが,せっかく死の淵から何度も立ち直ったのだから,一つくらい“トップ”を狙いたい。目をこらして上方を眺めると,どうやらプロでも「1ヵ月で100冊」がトップ集団であることがわかってきました。(p29)
 人生には,ある種の極端さはあったほうがいい,と私は考えているだけです。(p31)
 教科書を「なんとなく読む」「1日50ページと決めて読む」というような勉強をする方もおられると思います。そういう人は,早く寝たほうがいいでしょう。そうではなく,試験勉強では,幾多の出題と解答を先に見て,それを(仮説のように)踏まえながら教科書を読んでいく,というふうにすれば非常に効果的になってゆくはずです。(p41)
 脳は出力依存型なので,教科書や参考書を中心に勉強するより,ある程度の知識を入れたあとは,問題集を参考書代わりに使ったほうがよいでしょう。(p42)
 私はメディア・リテラシーを鍛えるうえで,自分に対してなされた質問に相手が満足する程度の長い文章で答える,というのが最も近道だと思います。(p64)
 習慣あるいは伝統を踏まえたうえで,敢えて冒した逸脱が一定の支持を得られたら,それが創造になります。(p81)
 辞書は原理的に言葉の守旧派です。市民や作家は,言葉を創造してゆきます。ある個人,あるいは小さな場(メディア)で支持されたものがカスタム化したとき,辞書編纂者はおもむろにそれを掲載して悦に入るわけです。(p84)
 エステと勘違いさせられて大腸洗浄を何度もやったりしたら,体内自然洗浄力ともいうべき,大腸内新陳代謝による便通能力が落ちるのみです。 医療行為の反作用というのは,基本的にそういうものです。解熱剤や頭痛薬や睡眠薬の多用は,本来もっている解熱や鎮痛や睡眠の力を落としてしまう。そのリスクをあえて負ってでも,現在の不健康を避ける価値がある場合にのみ,投薬をうけるべきなのと理屈はまったく同じです。(p112)
 別に,同情してもらおうと思って(原稿料を)公開したのではなく,ただ単に,私たちマスコミの住人は,他者に向かっては情報公開を当然のごとく求めてしまいがちな立場にいるわけですから,自分の住む世界の上方に関してのみ非公開をあたりまえにすべきではない,と思ったからにすぎません。(p147)
 出会い系サイトについて専門家(って何だ)に意見を求めると,否定的な意見ばかりが返ってきます。大昔,テレビが登場・普及し始めたときにも,最近では携帯電話がらみでも,同じような条件反射的拒絶は繰り返されてきましたから驚くには当たりませんが,無責任な恫喝だと思います。(p166)
 私が常に念頭に置いている先達は,ヘミングウェイのほかには,日本人では司馬遼太郎,現役ではD・ハルバースタム氏です。(中略) このような人々に,もとより対抗しようなどとは思っておりません(少しは思っている)。せめて資料収集の量で追いつこう,と努めているだけです。能力で格段に劣っているにもかかわらず,インプットでもまったくかなわなければ,いったいどうすればいいのよ。(p195)
 凡人には強引さと極端さが必要です。そうでなければトップランナーとの差は開くばかりだからです。いい仕事をした先達は,それだけの出費をしています。それだからこそ恥ずかしながら,私は出張費と資料代に,可能な限りの支出を惜しまないできました。(p196)
 旅先では,いろいろなことを,いやでも考えます。預金残高に余裕があるわけでは全然ないから,いつも崖っぷちで考えるわけです。そして日々,何かと出遭う。毎日毎晩,幾つものテーマが立ち上がり,行く先々で資料も集まってくる。遊んでいても,必ず何かを思いつく。自宅の風呂やトイレで思いつくことはないけれど,自分が動いているときには,もう勘弁してくださいというほど無数の「考え」が降ってきます。こういうことを言っていいのかどうか,しばしば完成された文章で降ってくるわけです。(p198)
 極端さはノウハウの母であるとは言えるので,自分より20倍とか50倍ほどの量をこなしている人のノウハウは,それなりに役立つはずです。(p202)
 ダイオキシンが史上最悪の猛毒というのは他の有害化学物質を見過ごさせる錯覚なのではないか,精子激減説は意図して捏造されたものではないか,刑法39条を削除して,本物の心神喪失者は「過失犯」として裁けば凶悪犯罪者を無罪放免にする愚は避けられるのでは,などというふうに,相当に取材と勉強を進めたある段階で,私の頭上から忽然と仮説が降ってくるのです。 そのような中途からの仮説(変更)を私は何よりも大事にします。そうしたおおきな仮説を“通らばリーチ”とするために,その仮説が降りてきた直後から短期間で集中豪雨的に,専門書や学術論文を浴びるほど読みます。(p210)

2015.06.20 込山富秀 『「青春18きっぷ」ポスター紀行』

書名 「青春18きっぷ」ポスター紀行
著者 込山富秀
発行所 講談社
発行年月日 2015.05.26
価格(税別) 1,800円

● ぼくの趣味のひとつは,JRのチラシを集めること。その代表が「青春18きっぷ」のチラシ。発足(?)以来のものをすべてコレクションしている。
 が,「青春18きっぷ」のチラシはコレクションアイテムとして人気があるらしい。ぼくだけじゃないようだ。

● ただし,どんどん溜まっていくので,途中でスキャンしてパソコンのハードディスクに移して,現物は捨ててしまった。取り返しのつかないことをしてしまった?
 そんなことをするんだったら,スキャンなんて余計な手間だった。ネットにぜんぶアップされているからね。

● 当初は“18歳”に軸足を置いた写真だった。乙女チックな絵柄が多かったように記憶している。「一瞬にして去って行く特別な年代の儚さ」(p10)が強調されていた。
 それがいつからか,人物が小さくなり,風景が前面に出るようになった。あるいは,旅の風情とでもいうべきものが強調されるようになった。
 著者が「青春18きっぷ」のポスターを担当するようになった時期と重なりますかね。

● ところで,直近(2015年春)の「青春18きっぷ」チラシは,どの駅にも置かれることがなかった。大型のポスターは駅構内で見かけたことがあるので,完全にやめてしまったわけではないんだろうけど,基本,JRはやめたい方向にあるのだろうね。
 知名度が上がったというか,何せ魅力的な企画乗車券だから,PRしなくても売れるんでしょうね。

● コレクターが多いくらいだから,このポスターには魅力がある。なくなってしまうのはプチ寂しいけれども,やむを得ないのだろうな。
 このポスターの何が魅力かといえば,旅情が写っているからだと思う。旅に誘う効果においてはあまたあるJRのチラシのなかでもナンバーワンだろう。

● で,そういうポスターを制作するためにはそれなりのコストがかかるのだということが,本書からわかる。コストというか,多くの人の共同作業と時間。

● 以下にいくつか転載。
 ところが申請書は書き直され,“東京駅から535.○○㎞地点”に書き換えられていた。東京駅からの営業キロを基準として位置決めがされたのだ。その時,鉄道業の本質に触れた感じがして,とてもショックを受けた。 同時に鉄道の旅とは“距離”なんだと腑に落ちた。そして旅情とは距離感が生むのだなと理解した。(p2)
 小さな列車がただ走っているに過ぎない写真が,なせかどこか遠くから長い時間をかけて走って来たように見えることがある。そこには疲れてはいるが,旅の心地よさを感じていい顔をした旅人が乗っている。そんな写真をポスターにしたいと思って,今までやってきたように思う。(p2)
● 「旅情とは距離感が生むのだ」とあらためて言われてみると,なるほどそうだなぁと思う。
 一方で,遠くに行くばかりが旅ではないとも言われる。宮脇俊三さんがその代表例としてあげていたのが,鶴見線だった。日本離れした景観が味わえる,と。
 吉行淳之介に「街角の煙草屋までの旅」というエッセイがある。体調がよろしくないときには,それでも旅になってしまうのだ,と。

● が,基本は,旅情は距離の産物なのだろう。新幹線や航空機のネットワークが張り巡らされて,日本も地球も狭くなった。そうなれば,旅情の総量は減っていくしかないものだろう。

2015.06.19 疋田 智 『天下を獲り損ねた男たち』

書名 天下を獲り損ねた男たち
著者 疋田 智
発行所 枻出版社
発行年月日 2005.12.10
価格(税別) 1,400円

● 自転車で歴史の舞台を廻るという趣向だけれども,自転車は陰に隠れて,メインは歴史の話になる。大変な蘊蓄の持ち主と驚愕するよりは,個々の出来事に対する疋田さんの評価が面白いわけだ。
 それと文章の魅力。

● 巻末に高千穂遥氏との対談が収録されている。そこで,日本史に興味を持ったキッカケは「井沢元彦さんの本との出会いが大きかった」と言っている。

● 以下にいくつか転載。
 現代とかつての時代の違いはといえば,何が一番大きいと言って,やはり「日本は狭くなった」「地球は狭くなった」ということに尽きるだろう。距離というものが昔の人にとってどんなに障壁であったことか,そして,それゆえ「土着すること」というのが,どれほど大きな価値を持っていたのか,そういうことを知るのに「自転車で」というのは,実に最適なやり方であった。(はじめに)
 自転車ツーリングの場合,一日の適度な距離はどの程度だろうか。(中略) 私は,取材でなくとも七〇キロ程度が一番かなと思っている。一〇〇キロも二〇〇キロも走るのはそれはそれで悪くはないが,そうなると旅の思い出は「自分はいかにして自転車を漕いだか」ばかりになってしまう。(p45)
 自分のコダワリの地を設定し,そこここで必ず「ペダルを踏まない時間」を過ごす。すると,あら不思議,帰った後に,旅が印象に残っているとともに,自転車に乗っていた自分,というのをより鮮明に思い起こせたりもする。(p46)
 この幕末の両者を見つつ,私は常に感謝することがある。戦はどちらにとっても後のない,必勝の戦であったはずなのに,どちらの勢力も外国の物資に恃まなかったことだ。この時期,フランスもイギリスも「武器を貸しましょう」「借金のご用は」と,薩長や幕府ににじり寄ってきていた。だが,両者ともにそれをはねつけた。(中略) その選択は正しかった。日本はそれらの国々の支配下になることを避け得た。私は涙が出るほど有り難いことだと思っている。それが「民族自決」というものだろう。(p202)
 結局のところ,この山崎の合戦,そして,本能寺の変とは何だったのか。 私はやはり簡単に言ってしまうと「新旧の対決,そして,旧弊さの完膚無きまでの敗北」ということに尽きると思うのだ。(p216)
 信長は新しい時代のシンボルだった。旧態依然としたシステムを次々と破壊していった。(中略)各方面に軋轢を生んだのも確かだろう。実際に残しておきたい伝統やいい習慣が失われることも少なからずあったと思う。インテリ光秀は,きっとそれが許せなかった。この時代にインテリであることは,すなわち過去を学んできたことであり,結果として過去の文化や知識の蓄積,伝統といったものを大切にすることだからだ。(p216)
 現地に行くまでに情報収集とうものは必須作業だ。あらゆる旅で私はそう思うのだが,「まっさらな状態」で行くか「下調べをして」行くかで,旅の密度はまったく変わってくる。 時折「まっさらな状態」で行った方が,先入観なく物事を見ることができ,旅の印象は鮮烈に残るものだ,というようなことを仰る方がいるが,私はあまり賛成しない。(p222)

2015.06.17 伊集院 静 『となりの芝生』

書名 となりの芝生
著者 伊集院 静
発行所 文藝春秋
発行年月日 2014.10.10
価格(税別) 1,000円

● 『悩むが花』の続編。悩み事に答えるというもの。質問者は主には若者,ときどき中高年。

● 以下にいくつか転載。
 まさか人生とか,仕事とかが面白くて楽しいものだと思ってるんじゃなかろうな。プロスポーツ選手のアホ,バカ言葉に,試合を,競技を楽しみたい,というのがあるが,楽しんで金もらうのは仕事じゃねぇだろうが。(p115)
 古い考え,新しい考え、などという区分は,コペルニクスの地動説,ガリレオの,それでも地球は回ってると言った大発見くらいの時しかないものなんです。 あとはだいたい昔からある物事に対する考えの方がほとんど正しいものなんです。(p117)
 生涯に渡って,一冊の本も読まなくとも,素晴らしい人生,生き方をした人は大勢いるし,むしろそういう人の方が読書家よりも,まっとうな生き方,賞讃される人生,仕事をしている例が多い。(中略)人生も,恋愛も,本に書かれてあることより,まず実践で身に付けたものの方がたしかで,応用がきくものだ。(p132)
 世の中に起きていることは必ず自分にも起こるってことを覚悟して人は生きてなくちゃいかんよ。新聞の三面記事は明日の自分。これも常識だから!(p143)
 君も四十二歳と言えば,ちゃんとした大人なんだから,周りの動きにいちいち反応するようじゃ,アカンよ。もっとドーンと構えて,平然とできる自分を持っておかんと・・・・・・。(p145)
 人見知りは悪いことじゃないからね。この頃,人見知りしないのが多過ぎて,気安く話しかけるんじゃないって,よく思うもの。もう少しシャイになれんのかって,ね。(p160)
 手を差しのべている人の手の中にしか,リンゴやブドウの房は降りてこないってことだな。だからもっと考え,もっと苦心しなさい。それしか方法がない。(p170)
 若い時に金で手に入るものにロクなものはないし,むしろその人をダメにするものばかりだから。(p175)
 まだ未熟,半人前と思われている人たちに何かを学ばせる基本は,ついてこさせる,という姿勢だ。(中略)ついて行くことで身に付けるものが大半だから,先輩,上司はただ懸命に働き,その姿を見せればいいんだ。(p214)
 要領が悪かったり,我慢強くなかったりするが,それは時間が何とかしてくれるものだ(君だってそうだったろう)。(p215)
 有名レストランのオーナーって十中八九(もっとかな)ダメだから。まず有名ってのがダメ。ほら有名人って,わけがわからない人種の呼び方があるでしょう。有名人って十中八九(こっちはもっとだな)ダメ。バカばっかり。だから裏を返せば有名人が好きって連中はさらにバカ。(p230)

2015.06.16 伊集院 静 『大人の男の遊び方』

書名 大人の男の遊び方
著者 伊集院 静
発行所 双葉社
発行年月日 2014.11.23
価格(税別) 926円

● 酒とゴルフとギャンブルについて指南している。入れ込みが並外れているわけですね。酒だったらボトル1本空けてもまだ足りないっていう。好きで入れ込んだわけではないのかもしれないけど。
 短期集中&長期ダラダラの併存。これ,真似したら体を壊すか,心を壊すか。少なくとも,生活を壊すことになるだろうな。

● 大学生が勢いに任せて飲むのと同じ飲み方を長じてからもやっている。とんでもない体力の持ち主なんだろうと思うしかない。
 ぼくは酒は飲むけど,ウィスキーでいえば,ボトル半分がせいぜいだ。

● 面白いのは,やはりギャンブルの部分。年季の入れ方がハンパないわけだから。
 一年を仮に四季と同じようにクォーターに分けて統計を取ってみるとわかるのだが,最初の四分の一で勝った年は,最後の師走までなんとかやっていけるものである。(p166)
 麻雀を打つ人ならわかるだろうが,麻雀においても先手必勝である。(中略)では先手必勝のためにはどうしたらいいか? それは人より早く,人より丁寧に,人より一歩先に臨戦状態をこしらえておくことが肝心なのである。(p167)
 フォームを定めると,奇妙なものだがパターンが生まれる。パターンは,勿論,“勝ちパターン”と“負けパターン”である。ギャンブルの大切なところは,“勝ちパターン”に入ったと見たら,いかに打っていけるか。これと“負けパターン”に気付いたらいかに早くその場を立てるか。このふたつである。(p174)
 これがカジノの一番大事なことなのだが,すぐに,飛び込みで賭けないことだ。それでたまたま勝つことはあっても,まずその日は負けると考えた方がいい。種目を決めたらまずそのテーブルなりエリアで賭けの状態を見る。見であるが,これが実は一番必要なことだ。(p189)
 カジノは賭けを進めるテンポがすこぶる速い。それがカジノ側からすると客を常に熱い状態にしてどんどん賭けさせる大事なところなのだ。速いテンポの中で瞬時にテーブルの流れ,自分のツキを読むのは至難の業だ。人間がカジノのあのテンポで全部に賭け続けるのは,せいぜい三十分である三十分したら休む。(p191)
 小博奕をいくら打って買っても,それは所詮小博奕でしかない。(p197)
 たとえばゾーン張りをしていて,気が付けば赤がもう二十回続けて出ているのがわかったら,それは無条件で赤に金を張るべきなのである。 「でもその時,たまたま潮目がかわって黒が出たらどうするんですか?」 そういう発想ではいつまで経ってもギャンブルは勝てない。(p199)
 ルーレットはチップを少しずつ増やすギャンブルではない。賭けるタイミング。勝負処の見方。そうして思い切って張って,短時間で勝負をつけることだ。(p215)
 あなたの目の前に二牌の牌がふせて置いてあるとしよう。その牌を仮に東と南としよう。このふせた牌をだれかが,どちらが東ですかと訊かれて,その牌をじっと見て,こちらが東です,と引き当てる確率が,六割から七割で的中できなければ,ギャンブルはやめた方がいい(p218)
● その他,いくつか転載。
 私の周囲にも“遊び人”と称される人たちが何人かいるし,今はあっちの世界にいってしまった“遊びの名人”と呼ばれた人を見てきた。そういう人たちの共通点がひとつある。それは一般の人たちから見ると,「バカなことをする人だ」ということである。 じゃどんなバカなことをする人たちかと言うと,このケースでそれはしないでしょう,ということを平然とやる人たちだった。(p14)
 酒というものは,毎晩,楽しくやれるものではない。酒をいつも良い気分で飲めるほど私たちの生活,仕事は楽なものではない。(p37)
 小説にとって一番の肝心は描写にあると私は考えて,ずっとこれまで仕事をしてきた。描写とは何か? 人間の内面が露出しているものを見逃さずに捉えることだ。(p98)
 情報はどこまで行っても情報でしかなく,知らなくて済むものが大半である。(p131)
 バカは伝染しますから。一度バカが伝染し体内にバカの菌が入ると取り除くのに時間がかかるし,放っておくと君は完全なバカになる。(p132)
 器量というのは己には見えない。そういうものなのである。この器量がわかるというが,ここまでが自分の範疇だと,仕事も生き方も見切ると,これが意外と当人の器量を伸ばす例が多い。(p172)

2015.06.15 疋田 智・ドロンジョーヌ恩田 『明るい自転車相談室』

書名 明るい自転車相談室
著者 疋田 智
    ドロンジョーヌ恩田
発行所 東京書籍
発行年月日 2011.04.26
価格(税別) 1,300円

● 自転車に絡む諸々の疑問に答える。まじめな質問もあるし,おちゃらけた質問もある。
 この二人の共著はこれが3冊目。前2冊はドロンジョーヌ女史の持ち味が存分に出ていて面白かったんだけども,この形式になると経験豊富な疋田さんの独演場になる感じ。

● その疋田さんの回答からふたつほど引用。
 さすがは“万年青年”。20年後,私もそういう60代を迎えたいと思ってます。これは本気の本気。やはり女性への興味は人生への興味,性の力は生の力でありますから。(疋田 p54)
 おそらく自転車運動は(いや,自転車に限らず移動物体を運転するということは)脳内にセロトニンやらエンドルフィンやらの幸福系物質を生む行為なのである。未確認だが,たぶん本当だ。(疋田 p122)

2015年6月15日月曜日

2015.06.14 番外:TOKIO STYLE 2005年9-10月号

編者 林 俊介
発売所 金沢倶楽部
発行年月日 2005.08.01
価格(税別) 762円

● 巻頭は「女優という職業」で,池脇千鶴。江森康之さんのカメラ。
 彼女,顔立ちはまぁ普通なんだけど,スター性は間違いなく感じる。何が理由なのかわからない。オーラといってしまったんでは,説明にならない。絶対的な何かがある。その何かが何なのかがわからない。

● 特集は「有名シェフのこの一皿」。平松宏之や三國清三らに取材している。宇田川悟さんがエッセイを寄せている。

● 巻末の「東京料理人百撰」は「重よし」の佐藤憲三さん。
 色々やってきてわかったことですが,私は,自分の感覚が平均だと思っています。自分が食べたいと思うものは,人もたべたい。自分が美味しいと思うものは,人も美味しいと思う。大切なのは,人に合わせることではなく,自分の作ったものを信じることです。
● ほかの連載は「美しい日本の顔」で岡倉天心。「ホテルに泊まるといふこと」は沖縄の「ジ・アッタテラス クラブタワーズ」。
 このふたつは林さんの筆によるもの。

● これ,10年前の雑誌。出て間もない頃に買っておいたわけ(今まで読まないでいた)。当時の自分はこういうものに惹かれていたのかと,ちょっと唖然とするところもある。
 いわゆるセレブの世界っていうんでしょうね。セレブに憧れていたのか。今はつまらん世界だと思う気持ちのほうが勝っている。

2015.06.14 下川裕治・阿部稔哉 『週末沖縄でちょっとゆるり』

書名 週末沖縄でちょっとゆるり
著者 下川裕治
   阿部稔哉(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2014.08.30
価格(税別) 680円

● 最も印象に残るのは,波照間島で自殺した友人を語るくだり。編集者だった。ベストセラーを送りだした。下川さんが世に出たのとほぼ同じ時期だった。下川さんのデビュー作『12万円で世界を歩く』もヒットした。
 ので。友人の悩みの襞がわがことのように思われたのだろう。気が入っている文章が連なる。
 マスコミは怖い世界である。ヒット作がなければ見向きもされないが,一度,売れる本を作ると,それを超える本を暗に要求してくる。僕は出版社にいわれるままに本を書き続けたが,貧しい旅行者というイメージは強く,そこからはずれることは許されないようなプレッシャーを感じていた。(中略) 僕はそのなかでアジアを書きはじめた。そして,タイのバンコクに暮らすことになる。自分のなかでは,アジアをもっと知らなくてはいけないという思いはあったが,いまになって考えてみれば,ある種の逃避だったような気がしてしかたない。バンコクのとろりとした空気のなかに身を置くことで,次の本を書かなければいけないという息苦しさから逃げた気もする。それは一時的なことであることもわかっていたのだが。(p178)
● 以下にいくつか転載。
 沖縄病に罹った人たちの一部は,移住を決意する。(中略) 暮らしはじめると,沖縄はまた違った顔を見せる。(中略)蜜月はそう長くない。あれほど好きだった沖縄への思いに綻びが目につくようになる。それを呑み込んで生きていかなくてはならない。(p64)
 東京にいても,さまざまな祭りはある。しかしそれに加わる気にはなれなかった。ひねくれ者といわれればそれまでだが,少し離れた場所で,祭りを見ることのほうが心地よかった。 いつも客観視しようとすること・・・・・・そこに美意識を見いだしているようなところがあった。実際には手をくださず,周囲から眺めているだけという謗りを向けられれば返す言葉もなかった。(p87)
 沖縄の人の多くは,気がつくと手をあげ,カチャーシーを踊っている。彼らのなかにも,僕のような性格の男はいるだろう。しかしウチナーンチュのなかには,それを越える世界がある。それが彼らのアイデンティティなのかもしれなかった。 「笑顔ッ」 カメおばぁが何度となく口にした言葉の意味がわかった気がした。カチャーシーは踊りではなく,嬉しさを示す手段なのだ。(p88)
 ホテルのマネージャーをしている知人はこんなことをいう。 「リーマンショックのあと,観光客が一気に減ったんですよ。それでホテルは値段をさげた。そこから値段を元に戻せないでいるんです。(中略)新しくやってくる観光客は,すごくシビアなんですよ」 これもLCC効果というらしい。人は不思議なもので,安いLCCに乗ってやってくると,石垣島で使うお金も節約モードに入ってしまうようなのだ。それを島の人たちは見抜くことができなかった。(p126)

2015.06.13 下川裕治・阿部稔哉 『週末ベトナムでちょっと一服』

書名 週末ベトナムでちょっと一服
著者 下川裕治
   阿部稔哉(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2014.03.30
価格(税別) 660円

● ベトナムといえば日本の中高年はベトナム戦争を連想する。しかし,日本人の連想したものと現実とはかなり違ったらしい。
 本書もそのあたりを詳述しており,その部分が最も面白かった。

● そこのところを書こうとすれば,いきおい,ベトナム戦争当時に学生だった自分を語ることになる。そこを含めて,読みごたえがあった。

● ちなみに,ぼく自身のことをいえば,興味がなかった。興味がなかったといってしまっていいと思う。
 遠い世界の出来事だったし,政治やイデオロギーを熱く語る輩には相当以上の違和感を抱くタイプだった。そういう人を信用しないところがあった。たんに冷たい性格だったというだけかもしれないけれど。普通にはノンポリといったのか。


● 以下にいくつか転載。
 戦争が終わってから,南部も急速に社会主義化が進んだ。おばさんは配給制度も経験しているはずである。しかしそのふるまいからは,社会主義のにおいがしないのだ。タイと同じように愛想がいいし,サービスということを知っていた。(中略) 社会主義という制度は受け入れたが,人と人の間にあるアジアはなにひとつ変わっていなかった。東南アジアの気質は,勘定高さと絡みあい,イデオロギーをも呑み込んでしまっているかのようだった。(p32)
 大学へ入り,それが自然な流れのような感覚で,左翼運動に加わっていった。デモの隊列のなかで足並みをそろえ,夕暮れの三里塚で放水車の水を浴びた。しかしいまになって考えてみれば,それは全共闘世代のまねごとにすぎなかった気がする。若者はそうするものだと思い込んでいる節すらあった。遅れてきた青年だったのだ。(p119)
 記憶というものは不思議なものだ。視覚に刻まれたものは,折に触れ,脳細胞の奥のほうからのっそりと顔をのぞかせるのだが,においの記憶というものは,なにげなく甦ることはない。しかしそのにおいが鼻腔に届くと,視覚の記憶とは比べものにならないほど鮮明に,そのときのシーンが脳裡に広がる。においの記憶は,より本能的なもののような気がする。(p157)
 ローカル列車の車掌は,本当に働かない。自分の利権を使って,車内販売おばさんに,さまざまな用事をいいつけるのだ。 これも社会主義国の公務員らしい話といいたいところだが,同じことがタイでも行われている。タイの鉄道も多くは国営で,職員は皆,公務員である。公務員という人種は,どの国でも,こういうことをする。それは社会体制とは別次元の話である。(p232)

2015.06.13 下川裕治・阿部稔哉 『週末台湾でちょっと一息』

書名 週末台湾でちょっと一息
著者 下川裕治
   阿部稔哉(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2013.08.30
価格(税別) 660円

● 読みだしたらとまらない。
 ひとつには文章。この人の文章はコントロールが効いている。すべて自分のコントロール下に置かずんばやまずといった気概(といっていいのか)を感じる。
 神経質といってもいい。これでは疲れるはずだと思う。

● 日本社会の神経質さかげんが嫌で旅に逃げる。一方で,文章に関してはここまで神経質。じゃなければ人に読んでもらえる文章にならないとしても,人はどこかで神経質のスイッチが入る分野を抱えているのか。

● もうひとつは,そこはかとなく漂うせっぱつまった感じ。タイトルどおりにはゆるみ切れない哀しさというか。
 それとユーモアだ。ひょっとすると狙っているのか。狙っているわけではないとしても,たくまざるユーモアというのではないような気がする。

● 旅をしてその体験をそのまま書けば事が成るというわけではないだろう。読者の気を惹くエピソードが必要だ。旅の場合,その多くはトラブルということになる。あるいは,現地人との心暖まる交流ってやつ。
 本書にはそのどちらもあまり登場しない。著者の内面の表出が過半を占める。それでも面白い。

● 台湾史については蘊蓄が溜まるほどの勉強をしたろうし,文献も読み込んでいると思う。が,勉強の結果を書いてもらっても,面白くも何ともない。
 著者の体液を通しているから,読むに耐えるものになる。

● 以下にいくつか転載。
 僕は,ドミトリーというスタイルが苦手である。もともと,陽気な旅行者ではない。自分から知らない人に声をかけることも少ない。そういう性格がわかっているから,ドミトリーに泊まると,ことさら陽気に振る舞ってしまうようなところがある。自分で笑顔をつくっておきながら,自分でその表情に疲れてしまうのだ。(p42)
 すっかり台湾庶民派食堂の心地よさが,薄味の台湾料理と一緒に刷り込まれてしまった。こういう店を覚えてしまうと,丸テーブルが並ぶレストランは宴会場に映り,四川や広東と銘打つ店は高級エスニック中華に思えてきてしまうのだった。(p83)
 清は台湾への移住を制限するために,女性の渡航を禁じていた。開拓民のほとんどは男だったのだ。(中略)しかし,この土地には平埔族という先住民族が暮らしていた。次々に漢民族の男性と,平埔族の女性のカップルが生まれていく。混血が進んでいく。移住した漢民族は世代を重ね,やがて平埔族は姿を消してしまうことになる。(中略) 本省人の体のなかには,北回帰線から赤道あたりのエリアに住む人々の血が流れている。ゆるい空気を共有していることになる。本省人のなかで,最も多いのは福建系の人々だが,大陸にいる福建系の人々とは違うのだ。(p236)

2015.06.13 白岩義賢 『華麗なる万年筆物語』

書名 華麗なる万年筆物語
著者 白岩義賢
発行所 グラフィック社
発行年月日 2003.01.25
価格(税別) 3,800円

● 「この本は世界で初めての万年筆芸術劇場だ!」とのコピーが。
 まず,高級限定品51本が紹介される。Preppyを常用しているぼくには無縁の品々だ。っていうか,たいていの人にとっては無縁ですよねぇ。こういうのは写真で見て,へぇーと思うもので。だからこそ,こういう本が出版されるわけでね。他のムックでも見たような記憶がある。

● なぜ無縁かといえば,主には経済的な理由による。でも,もしぼくが腐るほどのお金を持っていたとしても,ここに紹介されている万年筆を買うことはないような気がする。
 モンブランの149は使ってみたいと思うことがあるけど,装飾性が強すぎるものはちょっとねぇ,なんぞと思っている。

● ペン置きやインク壺にも工芸品と呼びたくなるようなものがあるんですね。これは抵抗なく使えそうな気がする。
 もちろん,入手困難なものだろうし,やはり経済的な理由で使うことはないわけだけど。

● メーカーの紹介もあったけど,これは飛ばした。
 最後が「筆跡でしのぶ文化人の面影」。ダーウィンやメンデルスゾーン,コナン・ドイルなど有名すぎる人たちの自筆手紙を写真で載せている。
 アルファベットだし,ぼくには筆跡の違いすらよくわからないんだけどね。

● 人をしてここまでのめり込ませるほどの魅力を万年筆は持っているんだなぁと思った。
 また,ここまでのめり込んだ人じゃないと面白いものは書けないんでしょうね。こっちとしては万年筆について知りたいというより,書き手の熱を感じたくて読んでいるわけなのでね。

2015.06.13 ピエール=アンリ・ヴェーラック編 『ヘルベルト・フォン・カラヤン写真集』

書名 ヘルベルト・フォン・カラヤン写真集
編者 ピエール=アンリ・ヴェーラック
発行所 ハマハミュージックメディア
発行年月日 2012.04.10
価格(税別) 3,500円

● 現在の音楽評論家や音楽愛好家の間では,カラヤンの評判はすこぶるよろしくない。その多くは有象無象で,かけ算九九もろくろくできないのに,微積分を答案を見て,これは出来がいいとかイマイチだなと言っている類だろうし,評論家というのは,分野を問わず,間違えるのを商売にしているようなものだ。
 では,おまえは有象無象じゃないのかと言われると,考えるまでもない。その他大勢の一人にすぎない。
 カラヤンがけっこう好きな有象無象の一人なんですよ。だから,こういう本を手にとってみたりもする。

● 巻頭で,アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリニスト)が序文を寄せている。カラヤンに引き立ててもらった人ってことになるんだろうけど,引き立てられるだけの実力があったわけでもある。
 リハーサルでは自分を厳しく律し,作品にとことん向き合うことによって,コンサートの本番では完全な自由と権威を獲得した。私には,楽譜のほんのこまかい部分にも非常に重要な意味が隠されていることを教えてくれた。(p3)
● 続いて,ユルゲン・オッテンがカラヤンの伝記をまとめている。
 カラヤンほど集中的にリハーサルに取り組み,取り憑かれたようにスコア・リーディングに没頭した指揮者はいない。(p5)
● 人当たりが良くて性格円満な天才などあり得ないものだろう。カラヤンは円満なほうではないか。フルトヴェングラーに嫌い抜かれて鍛えられたのかもしれないが。
 それでも,人との衝突を恐れなかったようだ。音楽に対する没頭がその前提なのだろう。それだけではきれい事にすぎるか。名誉欲・名声欲も並外れていたんだろうけど。

● 恋多き男だった。スピード狂であり,スポーツマンでもあった。快を求める欲が旺盛だったと総括できるか。
 これが少ない多くの男と,旺盛な少数の男がいる。

● カラヤンの次の言葉が掲載されている。
 君に指揮を教えることはできないが,リハーサルのやり方は教えられる。そのとおりにすれば,本番を迎えたとき,ほどんど指揮をしなくて済むだろう。(p160)

2015.06.13 浅倉ユキ 『働く女性のための手帳術』

書名 働く女性のための手帳術
著者 浅倉ユキ
発行所 パルコ
発行年月日 2013.01.07
価格(税別) 1,300円

● 浅倉さんの手帳術というのは,一にも二にも付箋の活用。やりたいこと,やるべきこと,やらなければならないことを,細分化して付箋に書いて手帳に貼っておけ,というものだ。
 単純である。フォーマットを作るといった面倒かつ失敗が約束されているような方法論を提言しているわけではない。

● この本ではA5サイズのシステム手帳の使用が推奨されているんだけど(付箋を貼るのにある程度の大きさがあったほうがいいという理由),あれを持ち歩かないと立ち行かないような生活っていうのは,生活じたいが間違っているんじゃないかと思う。
 かといって,間違いを正す方法があるのかと問われれば,俯くしかないわけだけど。

● アナログであれ,デジタルであれ,情報管理でよく言われるのは,効率化,共有化,一元化の3つだ。ぼく一個は,こういうのはクソ食らえと思っている。もっとゆるいやり方でいいんじゃないかと思う。
 共有化なんてそもそも無理じゃないか。Googleカレンダーで予定を共有するっていうのは,何というか遊びの次元でしかない。何月何日の何時から何時まで,誰某さんには会議の予定が入っているっていうのがわかったところで,しょうがない。
 自分のスケジュールと同じレベルで相手のスケジュールもわかるというのでなければ,使いものにならない。で,それを予定表で表現するのは不可能だ。

2015.06.12 下川裕治・阿部稔哉 『週末バンコクでちょっと脱力』

書名 週末バンコクでちょっと脱力
著者 下川裕治
   阿部稔哉(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2013.03.30
価格(税別) 640円

● 「はじめに」に次のように書いている。
 旅はいつか終わる。怖い日本社会に戻らなければならなかった。そんな繰り返しのなかで,バンコクという街に出合った。この街で救われた。 しかしバンコクという街が,高度経済成長の波に乗ってしまった。僕を救ってくれたバンコクは,次々に姿を変えていった。僕が愛したバンコクは,しだいに色を失い,若いタイ人から「時代遅れの日本人」と冷ややかな視線を浴びるようになっていた。若い日本人がバンコクを描くようになっていく。内容は,元気なバンコクにアップデートされていく。そんな書籍を書店で眺めながら,忸怩たる思いに包まれていた。(中略) それから十年---。 バンコクが変わりはじめた。誰しも十年も走れば疲れがでる。ましてやタイ人である。彼らの波長と再び合ってきた感覚がある。そういう十年だった気もするのだ。(p8) 
● 下川さんはタイについてはたくさんの本を書いている。タイは彼のホームグラウンドのようなもの。ただし,ホームだからといって,たくさんの人たちがそこで生活している以上,それは竜宮城にはなり得ない。

● 日本に帰国したときに下川さんが感じること。だけれども,外国から戻ってくると,誰しもそう思うのじゃないか。
 気分を暗くさせるのは,空港からの電車である。飛行機の時間帯によっては,朝のラッシュとかち合ってしまう。ただでさえテンションは低く,体は寝不足で重く,電車は脇に置いた荷物への視線がきついほど混み合っている。しかしそれ以上につらいのは,車内を支配する思い静けさである。会話ひとつなく,人々はスマホや新聞に目を落とす。いつから日本人は,こんなにものっぺりとした顔をした民族になってしまったのだろうか。(p200)
 日本人は車内では静かにするものだと思っている。車内放送でも静かにするよう言うことがある。うるさい人がいると,眉をひそめるのが一般的ではないか。ぼくもその例にもれないんだけど。
 それが行き過ぎちゃってるんだろうか。

● 「いまのバンコクは,ぼんやりしていると,毎食,チェーン店で食事をすることになってしまう」(p212)という状況のようだ。日本と同じ。
 で,ぼくはチェーン店で食事をすることにほとんど抵抗がない。飲むときも,和民とか海蔵とか,けっこう使っている。が,ものには限度があって,日本国内どこに行っても飲むのは和民というのでは味気がなさすぎる。
 下川さんは貧乏旅行を出版社(ひいては読者)に強いられているのかもしれないけれども,彼が書くものを読むと,アジアは安くて旨いものにあふれている。これなら,レストランやホテルで食事をするのはお金を捨てるようなものだと思えてくる。

2015.06.11 白鳥和也 『自転車依存症』

書名 自転車依存症
著者 白鳥和也
発行所 平凡社
発行年月日 2006.11.15
価格(税別) 1,600円

● 静かに興奮できる本。自転車に興味がない人が読んでも面白いと思う。どんな人でも何かには興味のベクトルが向かっているものだろう。自分の興味の持ちようとひき比べながら,充分に楽しめる。
 あるいは,何に対しても特別な興味はないという人がいるかもしれない。そういう人が読んでも,やはり面白いと思う。

● そうだったのかと思わされた文章があった。
 自転車や独り旅は,若者が持て余しているエネルギーを受け止める装置のひとつになったのだった。政治闘争は,地方出身のありふれた学生たちにその装置の役割を果たすにはもはや質的に変わりすぎていた。そこで,皆,大なり小なり,旅をした。実際に旅に長く出るほどのモチベーションや機会を持てなかった若者でも,田舎から都会に出て,四畳半の風呂のないアパートで学生生活を送り,旅に近い数年間を過ごした。(p165)
 ぼくは,学生時代,旅に惹かれることがなかった。それは,学生生活じたいが旅のようなものだったからか。そう言われれば,ストンと得心がいく。
 あれは旅だったのか。そうか。卒業は旅の終わりだったのか。わざと留年する人もいるけれども,もっと旅を続けたかったからなのか。

● 自転車好きの人に共通する他の趣味について,次のように指摘する。
 ツーリング系のサイクリストは,自転車以外のほかの趣味にも共通の傾向を示す。鉄道なんてのはその最たるもので,輪行を好むサイクリストの三人に一人は,かなりの鉄分が入っている。(中略) オーディオが好きな人も多い。(中略)しかし,これら二者よりさらに浸透度が高いと思われるホビー領域がある。カメラである。(p182)
 分裂気質の人が多いんだろうかね。鉄道にしろ,オーディオにしろ,カメラにしろ。
 ぼくも自分が分裂気質であることは自覚している。鉄道も好きだ。が,オーディオとカメラには入れ込まなかった。要するに,自分がメカに直接手をくだすというのは,甚だしく苦手意識がある。
 自転車もパンク修理やブレーキシューの交換程度は自分でやるけれども,ワイヤーの調整になるともうお手あげだ。お手あげというより,端から自分で何とかしようと思うことがない。
 そこが「依存症」という面白さに満ちているであろう領域まで踏み込めない大きな理由になっていると思う。

● 古い駅舎になぜ郷愁を覚えるのか。この点に関する考察も読みごたえがある。問題提起の部分だけ転載しておく。
 鄙びた駅や鉄道というものの持つ切なくなるほどの郷愁の理由を説明することなど,半ば不可能に近い。あまりに根源的なものが何かそこに関わっているような気がしてならないからだ。(p223)
● 他にもいくつか転載。
 一般的に,入ることと出ることに関して,「入り出」とは言わず,「出入り」と言う。「入り出口」はないが,「出入り口」はあらゆるところにある。 このあたりのことが暗に語っているのは,存在にとっては「出す」ことの方が,「入る」ことより重要なのではないかという示唆である。お金が入ってこなくなったから,困窮状態になったというよりは,お金を使うことができなくなったために,入るべきものも入って来なくなった。息を吸うことができなくなったときにジ・エンド,となるのではなく,もはや息を出すことができなくなったときに完となる。「出る」「出す」は,「入る」「入れる」より優先する。(p39)
 そういう間抜けと馬鹿の日々を通り過ぎないと,まともな感覚や判断が身につかないというのが,人生の一種哀しい真実なのかもしれない。極端を知ることがないと,中庸に辿り着かないのだ。(p46)
 どうも人生というのは,思い通りにならないという面も強いものの,それ以上に,むしろ自分が心底からイメージできる以上のものにはならない,という法則があるようだ(p48)
 海外のロードの一流選手のなかには,何かの原因で選手活動ができなくなり,自転車に乗らなくなると,酒に溺れたり,場合によっては本当に「クスリ」に手を出してしまう場合もあるらしい。そういうものをやりたくてやったのではなく,ただ一生懸命自転車に乗っているうちに,われ知らず脳内麻薬の気持ち良さを知ってしまうのではないか,という推論なのである。(p71)
 人生に物語やドラマがある,と言っているのではない。逆なのだ。何かの意図を持つようにしか思えない時間の流れや弾道のなかに,人の生というものは置かれているらしい。それはしかし固定されておらず,時間,空間,人間といった要素でいくつかは記述ができるファクターのなかで,刻一刻とその振る舞いを変化させているように見える。(p94)
 一個部品を換えると,なんだか全体がしまらなくなってくる。優れた文章にはほとんど手を入れられないことに似ている。ひとついじくると,ほかが,がたがたになってしまうのだ。換えるなら,全体の秩序を再構成しなければいかん,ということになる。(p127)
 馬鹿げた車になぜ魅力を感じるのかというと,私にとっては,それが自転車的な何かを持っているからだ。私にとっては,おそらく自転車は,事実そうであったとしても,社会的に意義のある有用な乗り物というよりも,ただ単純に人生に歓びを与えてくれる乗り物なのだ。馬鹿げた車も,また同じ。(p175)
 サイクリストは音楽好きではあるが,反面,騒音は嫌いで沈黙を愛するようなところもある。自転車が聴覚と深い関係を持つ乗り物であることと関連しているのだろうね,これは。(p232)
 本や文章というものは聴覚の産物である。これは多くの人にとって意外なことだろう。なるほど,朗読などを除けば,文字は目を通して意識に入ってくるものだから,視覚だと思いがちである。しかし言語は聴覚を通して心魂に入ってくる。(中略) つまり,本の好きな人は聴覚人間なのではないか,ということなのだ(p233)

2015.06.09 山下晃和 『自転車ロングツーリング入門』

書名 自転車ロングツーリング入門
著者 山下晃和
発行所 実業之日本社
発行年月日 2013.08.06
価格(税別) 1,400円

● 東南アジアと南米を自転車で走破。それじたい,なかなかできることではない。若さの賜だろうか。

● しかし,文章はやや平板か。石田ゆうすけさんの文章と比べてはいけないものだろうけど,石田さんが書いたものから受ける質量には及ばない感じ。情報量もさほど多くない印象。

● 山下さんも当然,石田さんをはじめ,先行者の作品は読んでいるようだ。その結果,自分の旅のシナリオ的なものが頭にできていたのかもしれない。
 こういう風景を見たらこんなふうに感動しよう,と予め決めていて,そのとおりの反応をして,それをそのまま文章にしているような。

2015年6月10日水曜日

2015.06.08 白鳥和也 『自転車フェチの独り言』

書名 自転車フェチの独り言
著者 白鳥和也
発行所 枻出版社
発行年月日 2009.07.10
価格(税別) 1,500円

● うーむ,なるほどフェチだ。ここまでの思い入れを持てる人が世の中にはいるんだな。いや,けっこういるのかもしれない。
 自転車の各パーツに美を見いだすというかね。さらに工作好きであること。漢(おとこ)だねぇと思ってしまいますよ。

● ぼくはまるでダメだ。子どもの頃,男の子だったら誰でも夢中になるプラモデルも,ぼくは上っ面をかすっただけだった。ちょっと細かくなると,もうお手上げだったので。天性の不器用だった。
 ぼくの父親は職人で,たいていのモノは自分で作れた人なんだけど。

● もちろん,三つ子の魂百までというわけで,今でも工作はダメだ(と思っている)。自分で自転車をカスタマイズするなんてのは,ぼくにとっては別世界の話になる。パンクくらいは自分で修理できるけれども,たぶん,人の倍の時間を要するだろう。
 その分,その世界の人には憧れもある。なれないけどなってみたいっていう。

● 以下にいくつか転載。
 だいたいにおいて,道楽の乗り物というのは,個人の独立や自立,自律を絵に描いて額に入れたようなもの(p110)
 主人とともに長い時間を過ごし,なおかつ主人に愛され,手をかけられていた乗り物には,独特のオーラがある。一種の迫力に近い。部品自体は物質なんだけれど,物質を超えた何かがそこに生きている。(p125)
 多くの人は,本物という物体があると考える。物質の世界の中に原型があると考えるのである。私はそうは思わない。この世の物体はすべて,別の世界の中に存在している理念のレプリカまたは複製だと思っている。(p191)

2015.06.08 下川裕治 『僕はこんな旅しかできない』

書名 僕はこんな旅しかできない
著者 下川裕治
発行所 キョーハンブックス
発行年月日 2015.05.25
価格(税別) 1,200円

● 「あとがき」に次のように書いている。
 『こんな旅しかできない』僕である。自負するでもなく,卑下することもなく,受け入れようと思っている。(p255)
 もちろん,矜恃もあるのだと思うが,その矜恃さえ超えた枯淡の境地に至っているのかもしれない。いや,枯淡の境地にいるのであれば,このタイトルの本を出すことはないか。

● ぼくは,正直なところ,下川さんの作品が受け入れられる土壌は消えかかっているのではないかと思っていた。こういったストイックとも見える,費用を切り詰めた旅の仕方は,大方には受けないだろう,と。
 書店の旅行コーナーで目を惹くのは,景気回復を反映してか,ファーストクラスだとか豪華ホテルだとか,そういうのが多い。バックパックを背負って,安宿に泊まり,長い期間を旅の空で過ごす若者も少なくなったろう。

● そもそも成長著しいアジアの各国に安宿がいつまであるのかと思う。
 でも,ま,これはずっとあるのかもね。東京にだって2,000円で泊まれる宿がある(嘘だと思ったら山谷に行くといい)。カプセルホテルという新手の安宿も登場している。

● ところが。下川さん,エリートビジネスマンなんか及びもつかないスケジュールで,外国を行き来しているのだった。
 要するに,彼の文章に対する需要は衰えていないようなのだ。

● おそらくは,日本の妙に細やかな,行方不明になることすら許さない,息苦しささえ覚えるほどの,ダラシがありすぎる空気に嫌気がさして,タイのほどよく抜けたいい加減さに自然を感じて,タイにハマッていったのだと思う。
 にもかかわらず,この調子で日本と外国を行き来して,それを文章にする生業を続けているのだとすると,なかなか楽な話じゃないね。楽どころか相当シンドクないかねぇ。旅が義務になっているような。

● 以下に,いくつか転載。
 バンコクを見てみたい・・・・・・そんな知人を連れて何回となく,イミグレーションの列に並んだ。彼らのうち何人かはバンコクで暮らしている。しかしそのなかには,つらい病に罹り自ら命を絶っていった知人もふたりいる。(p16)
 誰がそういいはじめたのかわからない。チェンマイではなんでもできる・・・・・・。それが不安の種になる。人が暮らす街で,なんでもできる街などないのだ。ボタンのかけ違いではじまったチェンマイ暮らしは,結局,自分の矮小さをつきつけられる結末に向かっていってしまう。その隘路に入り込んでしまった老人の背中は寂しい。(p29)
 憧れの文体というものがある。僕にとってのそれは,金子光晴であり,開高健である。その内容もさるものながら,彼らの文体がもつ息遣いとか間には太刀打ちできない。 文章というものは,ときに立ちあがることができないほど重い内容を綴らなくてはならないことがある。書くほうは酸欠状態のようになりながら筆を進める。読むほうも息が詰まる。そんなとき,ふっと息を抜いてくれる間のようなものを,ふたりの作家は身につけていた。天性の重みと軽さである。(p42)
 僕には,宿についてのイメージがない。昔から貧しい旅ばかりしてきたから,受け入れる宿の許容範囲が海のように広くなってしまった。こういうタイプは,宿を事前に決めることは面倒なことだ。その宿に行かなくてはならないからだ。(p48)
 宿を決めない僕のような旅行者は少数派であることはわかる。いまの予約システムを否定もしない。 しかし,Tシャツに汗をにじませながら,部屋を探してくれた香港人の背中から,「旅とはいろんな人に助けられてやっと実現するもの」ということを学んだ。そのなかで生まれてきた人間関係が,僕とアジアを結んでいる。それもまた事実である。(p49)
 僕のような男から見ると,インターネットの予約サイトは,大いなる無駄に映る。店と交渉してメニューを紹介し,地図を貼り込み,評価をまとめていく。そういう情報に価値を見いださない人間にしたら,そのサイトに費やされる膨大なエネルギーに首を傾げてしまう。(p73)
 さまざまな国を歩く。ナショナリズムが前面に出る国ほど気を遣う。足どりがぎこちなくなってしまう。だが,台湾にはそれがない。(p99)
 海外を舞台に日本人が登場する作品は,寡黙なほどリアリティが出てくる。それを補うのが,役者の演技力であり,原稿でいったら文章力である。(p100)
 ものを書くということは,「人間嫌いの人恋し」といった性格でなければ続かない。評価されるのは原稿だけであって,人間関係は二の次のようなところがある。人間的に破綻していても,面白い原稿さえ書ければ認められる世界なのだ。(p136)
 世の中には情報が溢れている。インターネットで,人は膨大な情報を得ることができるようになった。しかし,そこに流れている情報というものは,本物を前にすると,あまりに薄っぺらなものに映る。(中略)誤解を恐れずにいえば,本物からどんどん遠くなってきたものを情報と呼ぶのかもしれない。(p139)
 電車に乗り,前に座るカップルが羨ましく映る。東京はとんでもなく暑い。しかしそのなかで,笑顔を絶やさずに生きている。海外旅行に出るわけでもないが,日本での生活を大切にしている。 疎外感に包まれる。僕は日本人のことがわかっているのだろうか。こんな人間が,本を書いていいのだろうか・・・・・・。 僕は旅を書く。しかし旅とは,日本での日常がなければ輝きを失う。僕の旅は,もう色褪せているのではないか。(p146)
 旅行で訪ねた国を好きになるか,ならないか。それは人それぞれだ。バンコクのツーリストエリアには小悪党がうじゃうじゃいる。観光客は当然,騙されるのだが,そこでタイが嫌いになるかどうか。それは微妙な問題に思える。(p165)

2015.06.08 下川裕治・中田浩資 『鈍行列車のアジア旅』

書名 鈍行列車のアジア旅
著者 下川裕治
   中田浩資(写真)
発行所 双葉文庫
発行年月日 2011.02.13
価格(税別) 686円

● 朝の5時から読み始めたら,面白くて止まらなくなってしまった。出勤しないといけない時刻が刻々と迫ってくる。でも,やめることができない。
 ええぃ,面倒だ,今日は休んでしまえ。つまり,ズル休みを決めてしまった。

● 鈍行列車でアジアを巡って,その見聞を文章にすれば,誰が書いても面白くなるかといえば,当然,そんなことはない。
 ぼくが同じコースを廻ってみても,こういう文章は書けるはずがない。

● 視点の角度が著者ならでは。視点だの角度だのと書いてしまうとそれまでなんだけれども,これは真似しようとして真似できるものではない。
 下川さんは文学を書いているつもりはないと思う。が,できあがった文章は紀行文学というレッテルを貼りたくなるようなもの。おそらく,この分野では当代随一というか,当代唯一の人なのではないか。

● 次のように書いている。
 日本の鉄道ファンは、どちらかというと乗り換えなしで釜山とソウルを結ぶ列車に興味をひかれるようだった。その感覚が僕にはわからなかった。そんな列車に乗ってしまったら,途中の街に止まることができないではないか・・・・・・。短い区間でも,鈍行列車を乗り継ぎ,気に入った街で泊まっていくような旅をしたかった。(p202)
 僕は海外に出ても観光地にはあまり足を運ばない。名物料理に食指が動かないわけではないが,あえて行くほどの熱意はない。(p220)
● ぼくもずいぶん昔にJR全線完乗に走ったことがる。このときに最優先したのは,時刻表と首っ引きで,うまい乗り継ぎを見つけることだった。短時間で効率的に乗る。
 途中下車なんてあり得ない。乗って乗って乗り続けること。それはそれで,面白いといえば面白かったけど,今となってはだいぶ記憶からこぼれている。
 人との触れあいといった要素は皆無に近かったからね。見えない檻に入って,電車に乗ったり,ビジネスホテルに泊まっていたようなものだから。

● それでも(つまり,ことさら人との触れあいなんていうものを求めなくても)紀行文学にしてしまえたのが宮脇俊三さんだと思う。

● 観光地に興味がないのは,ぼくも同じ。名物とされる料理にさほど興味がないのも。
 昔は「名物に旨いものなし」とよく言われた。半ばは負け惜しみだったのかもしれないけれども,子どもながらそうだよなぁと思っていた。それが今に至るもぼくを縛っている。
 長じると例外があることも知った。が,讃岐うどんと高知の鰹のたたきがたった二つの例外だと思っている。

2015年6月9日火曜日

2015.06.06 疋田 智 『疋田智のロードバイクで歴史旅』

書名 疋田智のロードバイクで歴史旅
著者 疋田 智
発行所 枻出版社
発行年月日 2008.05.30
価格(税別) 1,400円

● 「はじめに」で自転車歴史旅の優位性を説いている。
 あらゆる「旅」のカテゴリーの中で,ロードバイク・ツーリングこそがもっともスペシャル&エキサイティングな旅だと思う。なにがすばらしいといって「旅」というものに支払う代償(たとえば金銭的,精神的,または肉体的な)に比較して,受ける喜び,愉しみの比重が,著しく大きい。つまり,安くて,精神的なストレスが皆無で,誰でも気軽に利用できる。それでいて大変楽しく,すばらしく爽快。こんなエクセレントな旅の手段はない。
 日本の道路インフラの唯一とも言っていい美点は,ひとえにアスファルトの優秀性にあって,この国ほど道路がツルツルな国は世界中どこにもない。ということは,ロードバイクの身上のひとつである「超高圧のタイヤ」が生きる,ということなのだ。
● 読みものとして面白い。自転車に興味がない人でも,歴史好きなら楽しめる。文章も独特。真似したくなる言い回しがいくつも出てくるけれども,うかつに真似てはいけない。
 疋田さんが,悪戦苦闘の末(?),生みだしたものだろうからね。たんに真似だけしても,全体の収まりがぎごちなくなるだけだろうね。

● 以下にいくつか転載。
 鬼があらわれる恐ろしい場所とは,大まかなところ「辻」であり「門」であり「河原」であった。それぞれに共通しているのは,浮浪者が屯しやすい場所であることではないか。 思うに平安時代ほど「庶民の生活」が蔑ろにされていた時代というのはない。(中略) その「塀の外の人々」が,食い詰めて門の内外に集まった。一般庶民の中にも,目端の利く人間はもちろんいた。黙って餓死したくない,と思う輩も当然いただろう。その彼らが多少の武装をし,塀の中の食料や物資を狙った。(中略)それこそが「鬼」だ。(p37)
 怨霊を祀ることで祟りを封じ込め,現世の貴族たちが安寧を得た。そもそも「オカルト」と「精神的な癒し」とは,ほぼ同義である。私は,オカルトとは「後ろめたさ」があるところに発するものだと思っている。(p39)
 武士は武士でなければ政権を維持できない。貴族になった武士は必ず滅びる。これは日本史の隠れた法則のひとつだ。(p147)
 北関東の各都市は他の地方都市と比較すると,存在感が低く見られがちだ。(中略)なぜなのか。私には確信に近い仮説がある。 問題なのはテレビ局の配置なのだ。普通の県,地方都市にはあるはずの民放ネットワーク局が,茨城,栃木,群馬の3県にはない。その地域は東京の電波がそのまま入るからだ。だが,これはつまり地元に強力なテレビ局が存在しないという事実に繋がってくる。(p159)
 ここが渋沢の卓越したところで,この時代,日本の指導者の多く(特に高級武士たち)は,天下国家を論じたがるが,商業や工業は軽んじた。軍艦は重く見たが商船は軽く見た。ところが渋沢だけが違ったのだ。(p176)
 私は思う。日本の歴史教科書というものは,そもそも「政治史」に偏りすぎている。本当に歴史に大書特筆されるべき人は,このような人(渋沢)ではないだろうか。(p180)
 (元寇のとき,壱岐では)日本軍は誰一人逃げず,全員が死んだ。もしかして日本軍が対外的に喫した最初の「玉砕」なのではなかろうか。だが,それはとりもなおさず本土に「どのような敗北を喫したか」「元軍はそのような軍だったか」を伝える人間がいなくなったということであり,結局,日本軍は九州でも同じことをやってしまった。日本人は色々な意味で「情報戦」に弱い。これは今も昔も変わらず,だ。(p279)
 せいぜい聖武天皇程度の『かわいい暴君』がいるくらいで,彼は,確かに大仏や国分寺を作らせましたけど,それ以上はしなかった。道をきれいにして平らにして,車を動けるようにするなって大工事には手を出さない。こういう大事業って暴君が大号令をかけてやるしかないんですよ。それがこの国にはなかった。(夢枕獏 p296)
 日本の文化として『別の呼び方』をして誤魔化す,ということはありますから。たとえばウサギを『これは獣ではなく鳥だ』といって食べてしまうような。だから今でもウサギを数えるのに一羽二羽って言いますね。(中略)これが古代の中国だとぜんぜん比較にならない。もろに人間の肉を売り買いしてましたから。自分の奥さんを殺して肉屋に売りにいくんです。場合によっては,生きたまま肉屋に連れて行って,肉屋で肉にされて・・・・・・(夢枕獏 p298)
● 重箱の隅を突っつくような指摘。
 「滅ぼされた最後の執権,北条高時」(p140)とあるんだけど,北条高時はこのとき執権ではなかった。執権職はすでに形骸化されていて,すったもんだの末に北条一門の赤橋守時が就いた。高時は北条氏得宗家の当主で,実質的な権力を握ってはいたろうけど。
 北条氏の中でも様々な確執があったろうね。藤原氏しかり,平氏しかり,徳川氏しかりで,そんな家に生まれてしまうのは不運以外の何ものでもない。ヨーロッパだとハプスブルグ家なんて,典型的にそうだよね。哀れな末路を辿った人が多いんじゃないか。
 吹けば飛ぶような平民に生まれたことを言祝ぐべきだと思うね。

2015年6月6日土曜日

2015.06.06 番外:折りたたみ自転車&スモールバイクカタログ2015

編者 横木純子
発行所 辰巳出版
発行年月日 2015.05.10
価格(税別) 950円

● 片道8キロを自転車通勤したりしている。毎日じゃないけど。
 で,それに使っている自転車なんだけど。ヤフオクで19,800円で買ったミニベロ。2×7の14段変速でハンドルはドロップ。

● 高校生のとき以来,何十年かぶりで乗ったので,まぁこんなものかと思っていたんだけどね,何だかあんまり走らないような気がするんですよ。
 タイヤが20インチであることを差し引いても,たとえばロードだったら時速30㎞は普通に出るなんて言われると,オレ,そんなに出したことないなぁ,とか思って。

● 体力と運動神経には子供の頃から自信を持ったことがないので,その理由は自分の脚力不足にあるのだろうと思っていたんですよ。
 でも,待てよ,ひょっとしたら自転車のせいかもしれないぞ,と思うようになってまして。なんたってイチキュッパですからね。普通のロードバイクって,その10倍くらいしますからね。中学生だって,こんな安い自転車には乗ってませんよ。

● なので,新しい自転車が欲しいなぁ,と。ちゃんとしたのを自転車店で買ったほうがいいなぁ,と。
 普通のロードとフォールディング(折りたたみ式),ふたつ欲しい。どちらかにしろと言われたら,フォールディングバイクにする。

● 輪行っていうのをやってみたいんですよ。自転車を分解して袋に入れて,電車で移動して,着いた先で組み立てて,走って,また電車で帰ってくるっていうね。
 ロードバイクって簡単にバラせることは知ってますけどね。今のイチキュッパもしかりです。タイヤ交換とかもやってるし。
 でも,簡単とはいっても面倒なんですよねぇ。ブレーキの位置が元に戻らなかったもしたことがあって。生来の不器用が災いしてるんでしょうけど。

● その点,折りたたみ式なら,ほんとに簡便だ。それに,ぼくの場合はスピードは追求しないのでね。700Cの必要は必ずしもないわけですよ。
 というわけで,このムックを買ってみたわけなんでした。

● スピードは追求しないといっても,そこそこの走りは楽しみたいので,タイヤは20インチがいい。ハンドルはドロップに限る。
 フラットバーだと,掴むところが一カ所に限られるんで,握力がどんどん落ちていくんですね。ドロップだとだいぶ楽になる。

● これで見ていくと,そんなに選択肢はなくなりますね。折りたたみ式でドロップハンドルってそんなに多くない。折りたたんだときにかさばるしね。
 2,289,600円の自転車もある。モールトン。これ,乗ってる人がいるんだねぇ。事情が許せば一度は乗ってみたいか? ノン。1週間以内に盗まれる自信があるもんね。

● できれば台湾のジャイアントにしたいと思っている。理由はといえば,東日本大震災のときの台湾の人たちの対応がほんとにありがたかったこと。
 こういう情緒的な理由はかまさないほうがいいのかもしれないんだけど。

● そのジャイアントのフォールディングバイクはこのムックには載っていない。ここはネットで探さなくては。

2015.06.06 いとうせいこう・みうらじゅん 『見仏記 メディアミックス篇』

書名 見仏記 メディアミックス篇
著者 いとうせいこう・みうらじゅん
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2015.03.31
価格(税別) 1,600円

● もうずっと続いている「見仏記」の最新刊。今までは,いとうさんとみうらさんが二人でお寺を訪ねて仏像を見て・・・・・・,それを雑誌に連載していた。
 今回は,DVD版の撮影スタッフと一緒に行動。

● ただし,尾道では二人だけの「見仏」になった。で,その尾道篇が一番面白かったりする。
 文章はいとうさんの担当。文章の二割か三割はみうらさんを描いている。みうらさんが,いとうさんが文章を書くのを助けようとしているようにも思える。

● 互いに,互いの力量をリスペクトしているのだろう。たとえば,次のような文章もある。
 武蔵の『鷲の図』と『竹林の図』の障壁画に戻ると,みうらさんが絵を描く人ならではの言葉を短く吐いたのが印象的だった。下絵もなしに一気に描くのは本当に勇気が要るし,難しいというのだった。以前,みうらさんは私の家の襖に四体の仏を墨で描いた。その時もこわい,こわいとみうらさんは言っていた。そして,いざ描き出すとすさまじい集中をした。最後は私さえ外に出されたものだった。(p196)
● シリーズ最初の単行本を読んだときには,面白そうな読みものだと思っていた。「見仏」は取って付けた理由にすぎなくて,要は珍道中を面白い読みものに仕立てようとしているのかと思った。
 のだが。そうじゃないと気づくのに時間は要しなかったですね。だんだん「見仏」のレベルが高くなってきてて,もはやぼくにはついていけない。
 いや,当初からついて行けてなかったんだろうけどね。

2015.06.04 疋田 智・片山右京・今中大介・勝間和代・谷垣禎一 『自転車会議!』

書名 自転車会議!
著者 疋田 智
    片山右京
    今中大介
    勝間和代
    谷垣禎一
発行所 PHP
発行年月日 2009.09.24
価格(税別) 1,300円

● 疋田,片山,今中,勝間の4人が自転車をめぐって,肩肘はらずにお喋りしたのを文字にしたもの(谷垣さんは,インタビューを受けているだけ)。
 したがって,こちらも肩肘はらずに読める。難しい話は出てこないし。

● 自転車の魅力や効用について主に話が進み,後半で自転車に関する道路政策や交通規則に話題が及ぶ。
 ぼくも自転車通勤をしたりしてるんだけど,この本を読んで感じたのは,自分は自転車の魅力を満喫できていないっていうか,わかっていないんじゃないかってこと。

● ひょっとして縁なき衆生のひとりなのか。いやいや,体力,運動神経ともにない自分のような人間にもできる数少ないスポーツが自転車だと思っているので,もうちょっと付き合ってみたい。
 あるいは,スポーツそのものが好きじゃないのかもしれないけどさ。

● 以下にいくつか転載。
 「馬の上と自転車の上は同じなんだな」と思ったんです。からだが適度に動いて,でも一応拘束されているので,頭の中で考えをぐるぐる,ぐるぐる回すじゃないですか。そうすると,パッと思いつくんです。それを忘れないうちに,ボイスレコーダーでメモする。(勝間 p76)
 普通に何か仕事をしているときって,インプットかアウトプットか,どちらかをやっていますでしょう。でもたぶん,インプットもアウトプットもしないぼんやりした時間っていうのがないと,せっかくのインプットもアウトプットも,実は有効に活かせないと思うんです。なにもない一見無駄な時間こそが,本当は一番,考えがまとまる時間。それが自転車の上なのかなと思うんです。(疋田 p76)
 電車に乗っているときは,何も考えまいと,無念無想になろうとしても,できないじゃないですか,いろんなことを考えてしまう。(中略) でも自転車乗っている場合は,物事を考えよう,アイデアを練ろうみたいなこともできるし,かつ,無念無想にもなれるっていう。(疋田 p78)
 日本のプロのレーシングドライバーって言える人たちが,やっぱり言葉遣いとかを,ちゃんとやってこなかったと思うんです。暴走族の延長戦上だったり,若い人の暴走族の先導的な部分があって。自転車もそういうふうに,存在をちゃんと文化として,スポーツとして認知されなかったら,同じようなことになっちゃうと思うんです。(片山 p94)
 自転車本をいくつも書きながらいつも思うんですが,私なんかが雑誌や本,さらにはネットにいくら書いたって,それよりもメッセンジャーの台数が増えてくれたということが,東京の自転車環境を変えたっていう気がするんです。(疋田 p107)

2015年6月5日金曜日

2015.06.02 奥野宣之 『新書3冊でできる「自分の考え」のつくり方』

書名 新書3冊でできる「自分の考え」のつくり方
著者 奥野宣之
発行所 青春新書プレイブックス
発行年月日 2012.10.20
価格(税別) 1,000円

● 2009年に出た『だから,新書を読みなさい』の改訂版。この本も読んでいるが,内容はすっかり忘れている。

● 以下にいくつか転載。
 僕たち一般人が,必要以上にたくさんの情報に触れて,いったいどうなるというのだろう。 情報に触れる時間をこれ以上増やすのではなく,情報をシャットアウトして自分の頭で考える時間を増やしていく。そのために情報量をあえて絞る必要がある。(p20)
 相場の世界には「人の行く 裏に道あり 花の山」という格言があるそうだ。みんなと同じことをしていては勝てない。大勝ちするためには,みんなと逆の相場を張れということらしい。ビジネスパーソンの情報戦略も,基本的にこれと同じ「逆張り」でいくべきだと僕は思う。(中略) ごく少数の超ベストセラーを除けば,書籍というのは全然「マス」なメディアではない。だから普通に書店売りの本をチェックして読んでいくことが,十分インプットの逆張りになる(p33)
 ビジネスマンが仕事で学んだことをビジネス書に書いて,それを読んだビジネスマンが仕事に生かし,その成功体験をビジネス書に書いて・・・・・・。極端なことをいえば,こういう「堂々めぐり」「劣化コピー」の構造がビジネス書にはある。 すると当然ながら,新しいものは生まれにくい。「八〇対二〇の法則」などは一〇〇回くらいみたような気がする(p64)
 ビジネス書は,著者も読者も,極端にいえば同じ世界観に従って生きている。簡単にいえば,スーツの人が書いてスーツの人が読んでいるわけだ。世間には割烹着の人も白衣の人もパンツ一丁の人もいるというのに。(p69)
 「朝まで生テレビ」を徹夜して見たことがある人はわかるだろうが,まともに「討論」を成立させ,なんらかの有意義な着地点を見つけるのは至難の業だ。 ところが,本をうまく選ぶと,互いの意見に影響されないテキストだけを足がかりに,議論を進めることだってできるわけだ。 (中略)頭の中で本同士が議論するようになってくる。こうなればしめたものだ。(p134)
 手を動かさずに「ただ考える」というのは不可能に近い。(中略) つまり,考えるには,「足がかりになる情報」だけでなく「手を動かす時間」がいるのだ。(p158)
● 「自分の考え」を作るために本を読むって,ぼくはしたことがなかったように思う。思うっていうか,なかった。たぶん,一度も。
 楽しみのために読むか,教科書や参考書のように憶えるために読むか。そのどちらかしかしたことがない。
 が,それらから知らず知らず影響を受けて,自分の考えというか,モノの見方,枠組みができてきたようだ。

2015.06.01 さとうめぐみ 『手帳という武器をカバンにしのばせよう』

書名 手帳という武器をカバンにしのばせよう
著者 さとうめぐみ
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2013.10.31
価格(税別) 1,400円

● 「はじめに」に,次のような警句がある。
 成功,能率アップ,時間短縮,片付け上手,コミュニケーション力アップ,手帳特集・・・・・・。あなたの本棚にはこんなタイトルの本がずらりと並んではいませんか? もしそうだとしたら要注意。なぜならそうした本は,「痩せられないダイエット本」と同じだからです。
● この本はそうではないと言いたいのか。この種の本が次から次へと手を変え品を変えて登場していることじたいが,「痩せられないダイエット本」であることを証明していると思うんだけどね。
 ただし,それは本のせいよりは,読む側に原因の過半があるだろう。

● ぼくなんかは「痩せられないダイエット本」を読むのが趣味のようなものだ。同じ人がかなりいるんじゃないか。いなかったらビジネス書の著者の多くは失業してしまうだろう。
 要するに,「痩せられるダイエット本」があったら,いずれダイエットそのものが消滅する。ダイエットが商売の種にならなくなる。

● 次の指摘はなるほどと思わせる。実行できたら人生が変わるかもしれないと思うほどだ。しかし,その簡単なことができない。
 できる人ができない人に教えを与える。が,それがいくら続いても,圧倒的に少ないできる人と,圧倒的に多いできない人の割合は,将来も変わらない。
 仕事の中には,必ずといっていいほど気が重いものがいくつかあると思います。その場合実行してほしいのが「5分だけルール」です。 やり方は簡単,そのto doを「5分だけ」実行するという方法です。(p168)