2015年5月31日日曜日

2015.05.31 石田ゆうすけ 『地図を破って行ってやれ!』

書名 地図を破って行ってやれ!
著者 石田ゆうすけ
発行所 幻冬舎
発行年月日 2013.07.25
価格(税別) 1,300円

● 下川さんが陰性,内に向かっていくタイプだとすると,石田さんは陽性,外に向かうタイプの人。ベタな比喩を使えば,下川さんは文学者で石田さんはジャーナリスト。

● 「人と会わなくなるので,自転車道は基本的にあまり好きじゃない」(p173)とか,「もともと僕には人並みの羞恥心がない」(p192)とご自身で書いているように,人に会うことをまったく億劫がらない。
 たとえば,高校生のときに自転車で日本一周をしたときのエピソードが登場する。茨城県で野宿をしようとしていたところに,涼やかな女子高校生が現れて,彼女の家に泊めてくれた。
 20年後,その彼女の家に行くのをためらわない。この軽さは何なのだと思いますよ。

● おそらく,石田さんは人好きのする性格なのだろう。可愛がられるタイプなのだ。
 人との間に垣根を作らないことが,その第一条件になると思うんだけど,しかし彼ほどそれが徹底してる人って,そうそういないように思う。

● したがって,本書の魅力もそこにある。人との出会い。そこでの心暖まるエピソード。
 同じ日,同じ時刻に,同じルートをぼくが自転車で走っていたとしても,こういう出会いやエピソードは起きない。起きるはずがない。
 出会いもエピソードもその人が引き寄せるものだ。石田さんは人との縁を大事にしている。

● 本書を読むと,正直,羨ましいと思う。こういうふうに自分もやっていきたいと思う。久しぶりに訪ねていけば喜んでくれる人が,北海道にも東北にも九州にもいるっていう。
 うっかりすると,真似しそうになる。が,それはやってはいけないことだろう。失敗することが目に見えてもいる。 

● 「旅はおそらく,時間の長さじゃない。一瞬一瞬の光る断片を,どれだけ拾っていけるかだ」(p110)と書いている。「光る断片」もまた,人との出会いが作るもののようだ。

2015.05.31 下川裕治 『「裏国境」突破 東南アジア一周大作戦』

書名 「裏国境」突破 東南アジア一周大作戦
著者 下川裕治
    阿部稔哉:写真
発行所 新潮文庫
発行年月日 2015.04.01
価格(税別) 630円

● 海外を旅するっていったって,今どきは航空券もホテルもネットで予約できるんだし,スマホという便利至極なものがあって,それを持っていって現地でも使えるんだから,あとは身体を動かせばいいだけじゃないか。
 間に合うように成田か羽田の空港に着けば,あとは何もしなくても飛行機が現地まで運んでくれる。着けば着いたで,入国手続きと両替をすませれば,バスか電車で街中に入るだけでしょ。

● ところが,もちろん,そんなものじゃないですよね。旅のリテラシーは厳然としてあると思う。リテラシーを要しない旅の仕方ももちろんあって,多くの人は(当然,ぼくも)そういう旅行しかしていないだけのことで。
 バックパッカーになっての旅だって,リテラシーなしでやろうと思えばできるんだろうと思う。そういうやり方もあるんでしょ。バックパッカーの多くはそのやり方を採用している(と思う)。

● その点,下川さんは『12万円で世界を行く』から,旅のトラブル処理の専門家的な役割を,出版界から求められてきたようなところがある。そうした現場での嗅覚やリテラシーは相当な水準になっているんだろう。
 が,還暦を迎える年齢になっても,その役割を果たさなくちゃいけないってのもなぁ。

● 当の下川さんは,身体の衰えを嘆きながらも,わりと嬉々としてその任務を果たしているように思われる。
 とは言いながら,ミャンマーではバスが横転して肋骨を3本折るというめにも遇っている。平穏とはほど遠い。

● 「裏国境」とは旅行者がまず通過することのないゲートの意味で使われている。ただし,国際情勢の基本方向は“安定”のように思われる。「裏国境」の裏性も薄らいでくるのではないか。
 そうなると,下川さんの活躍の場もなくなってくるのではないかと余計な心配をしたくなるんだけれども,まぁ,そんなことはない。「裏」だけが彼のフィールドでもないし。

● 以下にいくつか転載。 
 戦乱に明け暮れた国は産業が停滞する。豊かな自然は,流れる血や土に還る死体を養分にするかのように育まれていく。そんな話を傭兵として雇われて戦地に向かう日本人から聞いたこともあった。彼はその眺めを懐かしむかのように,「戦場の自然は,うっとりするほどきれいなんだよ」などというのだった。(p13)
 長距離バスを使うのは,高度成長に乗ることができなかった人や若者たちである。ターミナルに飛び交う言葉はつっけんどんで,流れる空気は寒々しい。(中略) 数年前まで,北バスターミナルを埋めるタイ人たちの瞳は,もう少し輝いていた気がする。久しぶりに故郷に帰る若者の顔には無邪気さがあった。(中略)いまは瞳の底に,都会の澱のようなものがべったりとくっつき,精彩が薄れてきた。(p22)
 中国人観光客は,アジアの主だった観光地でできれば一緒になりたくない人々だった。(中略)多くの国の団体客は,個人旅行者に気遣いの態度をみせてくれる。しかし中国人団体客にはそれがない。(p48)
 救済など人が暮らす土地にはないと悟るにはやはり彼らは若かったのだろう。ドラッグが誘う一時的な快楽とないまぜになったイメージがネパールやインドを中心にできあがっていった。日本の若者もその後を追いかけることになる。(p64)
 ベトナムは若い国だ。皆,元気にご飯を食べている。 日本のテーブルとは,そこに漂うエネルギーが違った。全員の食べ方が太いのだ。高齢化が進む日本はさまざまな階層で食が細くなっている。老人の食は細く,シニア層はメタボを気にして食を細め,ダイエットに支配された若者の食も細い。先細りとは,つまりこういうことなのかもしれなかった。(p135)
 しかしこの寒さと雨である。(中略)僕の前に座った男の子はTシャツ一枚と短パン姿にビーチサンダルだった。雨のなかで船を待っていたのだろう。体は冷え切っているらしく歯の根が合わないほど震えていた。唇の色も変わっていた。それでも子供である。年長の子が口にした冗談に無邪気に笑った。震えながら笑う顔をいうものをはじめてみた。(p169)
 ベトナムからラオスに入り,急に旅のストレスが減った。宿や食堂では英語が通じ,どこもぼることをしなかった。旅というものは,それだけで心が軽くなる。(p179)
 それはおそらく密度の問題なのだろう。ラオス人が図抜けて正直なわけではない。何万人もの人が暮らす街と数百人が集った町との違いなのだろう。(p179)
 こういう経験をすると,中国人には悪いが,ラオス人の宿に泊まりたくなる。ラオス人が経営する宿は,質素だが清潔だった。そして泊まり客と宿の関係が普通だった。(p200)
 国境を通過できるか,どうか。それは一国の問題ではなかった。ひとつの国の公式ホームページに掲載できる性格の情報ではないのだ。(p312)

2015.05.30 下川裕治・中田浩資 『週末アジアでちょっと幸せ』

書名 週末アジアでちょっと幸せ
著者 下川裕治
   中田浩資(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2012.08.30
価格(税別) 660円

● 下川さんの著書は『12万円で世界を行く』以来,ほぼすべてを読んでいる。旅から離れたノンフィクションもいくつかあるようだけれども,それは逆に大半,読んでいない。
 下川さんのすごみは,旅を取りあげられたら生きられない人ではないかと思わせるところにある。ギリギリのところで命をつないでいるという趣がある。

● したがって,彼の文章で表現される旅も,娯楽や遊びという範疇を自ずと超えて,ある種の香気を放つ。たくまずして紀行文学になるというか。上手に世渡りができる人,世間と苦もなく折り合える人には,まず書けない文章のように思われる。
 これを才能といってもいいけれども,その才能のために彼が払っている犠牲を思うと,自分はその才能を持たなくてよかったと思う。

● 金子光晴『マレー蘭印紀行』の跡を辿る章がある。このときの金子光晴もまた傷心を抱えていたというか,思い屈して光が見えない状態だったと思うんだけど,それをわざわざ辿ってみようと考える人はあまりいないように思う。
 ひょっとすると,編集側の企画だったのかもしれないけれども,どうしたって金子光晴と下川さんを重ねたくなってくるわけでね。

● 以下にいくつか転載。
 なぜ旅に出るのか。「人はなぜ山に登るのか」という問いかけの答に似た,含蓄のある言葉を期待する人には申し訳ないが,僕の答はいたって単純である。 逃げたいから。 ただそれだけである。仕事や知り合いや家族からの逃避である。(中略) しかし僕にはいくじがない。糸が切れた凧になる勇気がない。ぎりぎりまで行くのだが,引き返してくる。(p8)
 しかしいまになった気づくことがある。 原稿用紙に書き込んでいく僕の旅のエッセンスは,その二十七歳のときの一年にぎっしり詰まっているのだと・・・・・・。書く内容や国が違っても,そこに流れる旅は,あのときのものだったと・・・・・・。(p113)
 地名というものは,旅の目的地を決める動機になると思っている。こういう感覚は,目的地を決めず,さて,次はどの国に行こうか・・・・・・といった長い旅を経験すると身に付いてしまう。(中略) 長い旅を続けていると,旅の欲求のレベルがどんどん下がっていってしまう。「ソウルで参鶏湯が食べたい」「台北で足裏マッサージ」などと週末旅のプランを練る人には想像もつかないほど,密やかで控えめな,旅の目的で十分になってくる。(p149)
 中国人は列をつくることができず,声が大きい。世界のあちこちで,中国人観光客と接した人々が溜息まじりに呟く。しかし中国では,そうでもしなければ,ほしい物は手に入らず,切符も買うことができなかったのだ。それが彼らの行動に染みついてしまっている。(p158)
 新彊ウイグル自治区の,穏やかな人間関係のなかで育った彼らが,漢民族の世界に入っていく。(中略)いじめられることがわかっている世界が待っているのだ。 果てしない異国といわれたエリアから,星星峡を越え,東の厳しい社会に向かっていかなくてはならない。それが少数民族となってしまった人々の生き方だとしたら,少し切ない。(p185)

2015.05.28 吉田友和 『12日間世界一周!』

書名 12日間世界一周!
著者 吉田友和
発行所 角川文庫
発行年月日 2011.04.25
価格(税別) 667円

● かつて607日をかけて世界を一周した吉田夫妻が,今度はマイルで手に入れた世界一周航空券で世界一周。
 旅は長ければいいというものではないようだ。が,読む側とすると,607日のほうが読みごたえがあるのも確かですね。

● 12日間というのは,勤め先に迷惑をかけないですむギリギリの線という理由で弾きだしたもの。
 このとき,吉田さんは出版社に勤める編集者だった。これ以上連続して休むことは,事実上できない。このあたりはよくわかる。

● ただし,これだと体力勝負にもなるようだ。かなり慌ただしくなる。ので,12日間で世界一周をするか,1ヶ所か2ヶ所に絞るかは,旅行者の好み。というか,普通は絞ることになるのだろう。
 吉田夫妻は旅のエキスパートで,すでに絞っていく週末旅を何度も重ねているから,こういう選択肢もあるってことでしょ。

● 読んで印象に残ったのは,トルコとポーランド。ポーランドがヨーロッパ随一の美人の産地というのは,前にも聞いたことがあるんだけど,どうやら本当らしいね(ちなみに,アジアだとベトナムだというんだけど,これはアオザイ効果もあるのかねぇ)。
 トルコ(イスタンブール)は名所旧跡のほかに,食べ物が旨そうだ。

2015.05.26 吉田友和 『サンデートラベラー!』

書名 サンデートラベラー!
著者 吉田友和
発行所 角川文庫
発行年月日 2010.10.25
価格(税別) 629円

● 別名,週末トラベラー。吉田さんの週末旅本の集大成のような感じですか。韓国や台湾,東南アジアがメインになる。
 韓国,台湾より東南アジアのほうが遠くなるけれども,時間の有効利用には東南アジアが向いているらしい。深夜便の飛行機があるからで,むしろ東南アジアのほうが滞在時間が長く取れるんだそうだ。

● 本書最後の旅は対馬。韓国人旅行者が多い。ところが,旅行者のみならず,韓国資本の進出もすごい。有象無象の韓国人は韓国の旅行会社のツァーでやってきて,韓国資本のホテルに泊まって,韓国資本のレストランで食事をするから,地元にお金が落ちないという話が出てくる。
 同じことはカンボジアのアンコールワットでもあるらしく,こちらは下川祐治さんが『週末アジアでちょっと幸せ』で紹介している。韓国流はけっこう嫌われる。
 でも,たぶん,韓国人のライフスタイルに由来するのかも。ぼくらだったら,海外で白菜のおしんこや味噌汁がなくても耐えられるけれども,韓国人はキムチのない食事なんて考えられないらしい。外国にいてもキムチは食べたい。しかも,キムチもどきではダメなんだろ。
 いきおい,対馬だろうが,カンボジアだろうが,生活インフラ(?)をまるごと再現しなきゃってことになる。のでしょうかねぇ。

● しかし,対馬にとって,問題はこれから発生する。韓国人がいつまでも席巻しててくれればまだいいけど,そうはいかないからだ。なぜって,韓国経済がおかしくなっているからね。
 韓国資本の多くは対馬から撤退する。もうその動きがあるのかどうか知らないけれども(ウォン高だから,韓国人はまだ多いか),撤退したあとどうするかという問題。
 過疎化,国内観光客の減少があったから,韓国人を呼び込んだってところもある。韓国が撤退したあとに日本人観光客が増えてくれればいいけれども,そういう想定はちょっと無理っぽい。

● 対馬単独でできることはそんなにない。離島振興法があるにはあるけどねぇ。

2015.05.25 田宮陽子 『世界で一番楽しい「取材の時間」です』

書名 世界で一番楽しい「取材の時間」です
著者 田宮陽子
発行所 KKロングセラーズ
発行年月日 2015.06.01
価格(税別) 1,400円

● 著者は斎藤一人さんのライターを務めている人。書くのが専門の人だからというのが理由かどうかわからないけれども,斎藤一人さんのすごさというか本気度というか,それが直裁に伝わってくる感じがした。

● 実際のところ,斎藤一人本を読んで成功したとかお金持ちになったっていう人は,おそらく皆無に近いのではないかと思う。
 斎藤一人さんに限らない。中村天風さんでもナポレオン・ヒルでもデール・カーネギーでも,本を読むだけで霊感を得て行動が変わって,それが継続して大団円を迎えるなんてことは,少々以上に想像しにくい。

● おそらく,個人的に直接接触していないと,その人のすごさは伝わらないだろうから。本で読んでもダメでしょ,みたいな。
 なんだけども,この本はそこのところがけっこう伝わってくるっていうか。

● が,本書の圧巻は,著者自身が弟が統合失調症であることを告白し,それについて自分が弟にどのように接してきたか,を述べるところだ。ぼくも似たような境遇なので,ここを読むときには目が皿になった。
 これだけで,この本を買った甲斐があった。っていうか,ありすぎた。

● それに対する斎藤一人さんのアドバイスは次のようなもの。
 その対応をやってきて,弟さんは何か良くなったかい? ならなかったよね。だったら,違う対応をするの。 弟が「自分は病気だから・・・・・・」って言ったら・・・・・・ 「そうだよね,あんたは病気なんだから,しょうがないよ」って陽子ちゃんが先に言ってあげるんだよ。(中略) そうやって,相手の言ってほしいことを,こちらから言ってあげるの。そうすることで,弟さんもラクになるし,陽子ちゃんもラクになる。 弟さんがラクになって,心を開いたとき・・・・・・。はじめて陽子ちゃんの言うことに耳を傾けるようになるんだよ。 相手を認めてあげたときに,初めて奇跡が起こるようになるんだよ。(p144)
 弟さんが,なんで陽子ちゃんを怒らせるようなことばっかり言うか,わかるかい? それはね・・・・・・。陽子ちゃんにかまってほしいんだよ。弟さんは,陽子ちゃんに無視されるのが,一番ツラいんだよ。 無視されるぐらいなら・・・・・・,嫌われてもいいから「自分の存在」を覚えてほしいの。(p157)
 それからね,弟さんが「高いもの」ばっかりほしがるのは・・・・・・,「自分は,すっごく価値が低いんだ」と思っているからなの。だから,「高いもの」を取り入れることで,「自分の値打ち」を高めようとしているの。それが弟さんに思いつく,せいいっぱいの「自分を高める方法」なんだよ。 だからね,弟さんが,「こんなものほしいんだ・・・・・・」とか,「こんなもの食べたいんだ・・・・・・」とか陽子ちゃんに言ってきたらね,こういうふうに言ってあげるといいよ。 「それって,いいよね。お姉ちゃんも,そういうもの,身に付けてみたいなあ」「(略)」 そうやって同意してあげるだけでいいんだよ。(p158)
 「働かない子」とか「こころの病気の子」ってね・・・・・・,実は,とても人のために役立っているの。なぜなら,そういう子は・・・・・・,「周りの人の魂の成長のため」に生まれてくるんだよ。 そういう子がいると,その子のお姉ちゃんとか,その子の親は,一生懸命なおそうとするでしょう? でも,「なおされる」のが目的じゃないの。家族の成長のために,その子がいてくれるの。(p163)

2015.05.24 榊原英資 『財務官僚の仕事力』

書名 財務官僚の仕事力
著者 榊原英資
発行所 SB新書
発行年月日 2015.03.25
価格(税別) 800円

● もちろん,著者が自分で書いたわけではない。ライターさんが入っている。著者への取材も短時間ですませている感じ。通り一遍な内容。

● 「主計官,主査たちは,自分たちが属する主計局で,担当省庁の応援団になり,要求している予算の相対的シェアを減らさないようにするという側面もあります。一方で厳しく査定しながらも,一方で応援団になるというデリケートな役割をうまくこなすことが,主計局内で成功する一つの鍵となっているのです」(p56)というのも,今さら教えてもらわなくてもね。
 同じ局長でも主計局長は別格というのも,周知のことですよね。

2015.05.24 吉田友和・松岡絵里 『世界一周デート 魅惑のヨーロッパ・北中南米編』

書名 世界一周デート 魅惑のヨーロッパ・北中南米編
著者 吉田友和・松岡絵里
発行所 幻冬舎文庫
発行年月日 2014.04.10(単行本:2005.03)
価格(税別) 840円

● 結婚を機に勤めていた会社を辞め,607日に及ぶ新婚旅行に出かけた。本書はその後半篇。
 吉田さんはそれが初めての海外旅行だったというから,たぶん相当な幸運だった。まっさらの状態で,いきなり607日間の世界一周を体験できたわけだから。これだけのビッグイベントになると,事前になまじな体験があると邪魔になるだろう。

● 物怖じしない性格さえあれば,旅行に語学力は要らないんだと思う。では,誰でもこういう旅行をできるのかといえば,そうはいかない。
 少なくとも,新婚旅行のために会社を辞めることが,普通はできない。せっかく入った会社なのに,と思ってしまう。それができるかできないか。まず,できるほうに入っていなければいけない。それだけではっきり少数派に属することになる。

● 著者たちにしたって,おそらく夫婦2人だったからできたのであって,単独でやれたかといえば,なかなか難しかったのではないか。

● 著者たちが面白かったものが,読者にとっても面白い。というわけで,特に印象に残ったのは,キューバとサンパウロの日本人街。
 サンパウロの日本人街のとんかつ屋の親父さんは,とても魅力的だ。

● それと帰国後の日本の印象。暗ったい。洋服も地味で表情も乏しいという。
 そうですよね。特に,朝の通勤電車なんか,外国人が見たら異常事態が発生していると思うのかもしれない。
 それじゃダメなのかと言われると,どうなんだろうねぇ。昔,「日本人を幸せにしない日本というシステム」というタイトルの本があったように記憶しているけど。

2015年5月30日土曜日

2015.05.23 犬丸一郎 『帝国ホテルの流儀』

書名 帝国ホテルの流儀
著者 犬丸一郎
発行所 集英社新書
発行年月日 2012.02.22
価格(税別) 700円

● 帝国ホテル云々より,自身の自叙伝といった趣。もちろん,ライターさんが入って書いている。ちょっと取材が足りなかった部分もあるか。もう少し突っ込んで欲しかったと思えるところもある。
 もっとも,別な著書ですでに語られているから,この本ではあえて簡略にしたのかもしれないけど。

● 著者は何というかセレブの出。縁戚や知り合いに元華族っていうのが多いですな。職業がらもあって,知り合いも多彩だったのだろう。そのうちの何人かに言及している。
 まず,小佐野健治氏。彼は著者の上司というか,帝国ホテルの会長で大株主だったから,いやでも付き合わざるを得ない。

 小佐野氏はあまり帝国ホテルに顔を見せませんでした。しかしやって来る時は,私の執務室に突然やってきて,あれこれ話し始める。思いついたら即行動の性格で,相手の都合おかまいなしに電話をかけてきて,出られないと怒り出すせっかちさには困りましたが,経営者としては非常に優秀でした。(p87)
 ポジションに就いた者にはつべこべ指図せず,責任を与えて任せる。その方針が私と一致していたことが,最後までネガティブな感情を抱かなかった最大の理由かもしれません。(p87)
● 白洲次郎氏も登場する。
 クラブハウスの洗面所のタオルには,「持ち出し禁止」の札がかかっていたのですが,首相になる前の田中角栄さんがそれを拝借してコースに出たことがあります。白洲さんは「角栄! お前日本語読めないのか」と怒っていました。そこですぐ謝ることができる素直な角栄さんを白洲さんは可愛がっていたものです。(p142)
 強く印象に残っている,白洲さんの言葉があります。私が社長になるちょっと前,白洲さんが私のオフィスにやって来て,こう言ったのです。
 「そのうち社長になるんだろ? いいか,地位が上がれば役得ではなく“役損”ということを覚えておけ。上の人間がおかしなことをすると,下もそれを真似しようとするからな。むしろ,役損のほうが多いんだ」(p142)
● ほかに,いくつか転載。
 一般の企業は「わが社はこれだ」という強みを持って,どこか一点が突出していれば評価されます。しかしホテルは満遍なく,ムラなく良いことが求められます。(中略)何かひとつでもお客様にとって不満足なことがあると,そのお客様は二度とホテルを使ってくださらないかもしれない。一カ所切れた鎖は,もう鎖として評価されません。
 つまり百マイナス一は九十九ではなく,ゼロということになってしまうのがホテルのサービスなのです。(p8)
 私は(中略)深々と頭を下げることはしません。デンマークやベルギーの国王がお見えになった時も,歓迎のひと言の後お辞儀をしないで,握手しながら相手の目をみました。そちらのほうが「よくいらっしゃいました」という気持ちが伝わるからです。(p18)
 お客様から聞かれてもいないのに,従業員が自分から押し付けるのはご法度なんです。(中略)受け身のように見えて,陰で考えうる最大限の努力をしている。これがいいサービスの本質です。それは自分の知識を声高にアピールするウエイターの対極にあると言っていいでしょう。(p23)
 定められた通りのサービスを淡々とする。やりたいことを持つ。でもそれをじっと我慢する。聞きたいことをあえて聞かない。ホテルマンにはこのような行動が求められます。基本にあるのは,相手に対する慎みです。(p61)
 運ばれてきたメロンに家内がスプーンを入れた時,どこにいたのかマネージャーが飛んできた。「申し訳ありません。このメロンはまだ若いようでした」
 日本のホテルでは,これほどの気配りと目配りができるスタッフにはなかなかお目にかかれません。日本の場合は,人的サービスというものを,どちらかというと数で補う傾向があるからです。一方,アメリカでは少ない人数で,与えられた仕事を見事にこなしている。(p57)
 私が知りたいのは,本人の地金だけなのです。大学の成績がどうだったか,将来会社に入って何をやりたいかはあまり興味がない。(中略)
 社員育成と言いながら,ある意味,育てていないのかもしれません。(中略)
 もしかすると人を育てること自体,驕った発想なのかもしれない。他人ができるのは,人の素材を見抜いて,環境を与えることぐらいなのではないでしょうか。(p97)
 身の丈以上の財産を所有していても詮無い気がします。必要としている人がいるなら,与えてしまえばいいのではないでしょうか。
 かつて私はもらったから,今度は人に与えた。私からもらった人は,また人に与えると考えたい。物事はそうやって循環していくのであって,自分だけ貯め込もうとしてはいけません。人に与えなければ自分には何も還ってこない,という教えは真理である気がします。(p146)
 ホテルマン時代は仕事に手を抜かず,その日その日,懸命に働いてきました。しかしお客様もいろいろですから,どうしたって不愉快な出来事に遭遇することがあるし,理不尽なことを言われることもあります。
 しかしどんなに嫌なことがあっても,心の中のムカムカした気持ちを持ち越さないように心がけていました。それを引きずったまま,次の接客サービスに移っては,関係ない人まで巻き込んでしまうことがあるからです。そうやって心のスイッチを素早く切り替えていた習慣が,今,後悔のない人生につながっているのかもしれません。(p166)

2015.05.23 谷山浩子 『浩子の半熟コンピュータ』

書名 浩子の半熟コンピュータ
著者 谷山浩子
発行所 毎日コミュニケーションズ
発行年月日 1998.07.25
価格(税別) 1,500円

● だいぶ古い本。まだパソコンに対して愚かな夢を見ることができた時代の。夢を見るのは簡単だから,ユーザー(予備軍を含めて)は勝手に夢を見ていた。メーカーも夢を見させるようなカタログを作ったり,宣伝に努めていたけど。
 で,今の現実は,あの頃に夢見ていた以上のところに来ている。SNSなんていうのは夢見ることすらできなかったし,動画を自由にアップできるなんてのも同様だ。夢は現実の延長でしか見られないものなんでしょうね,凡人にはね。現実に存在しないものは,夢にもならない。


● これについては,谷山さんも次のように書いている。
 世の中に普及してスタンダードになるということは,夢やスリルやドキドキする感じがなくなって平板になるということでもあるんですね。(中略)ウィンドウズには,DOSにあったような闇がありません。平板です。これはもう,しかたがないことです。(p302)
● それなのに,夢が現実になったっていう感激がないのはどうしてだろう。これは比較的はっきりしてるね,自分の生活が豊かになったっていう実感がないからだ。便利になったけど,豊かになったという実感はない。
 振込もネットでできるようになって,いちいち銀行に行かなきゃいけなかったのに比べると,大幅に時間が節約できている。それは確かだ。ホテルも航空券も電車の特急券もネットで予約や購入ができる。電子マネーもしかり。
 が,そうした諸々が豊かさを実感させるところまでいかない。

● 便利ってすぐにあたりまえになるからですかね。以前がどうだったかっていうのがスッポリ頭から抜けてしまうからかな。
 それ以上に,便利になって浮いた時間をつまらないことに使っているからかもな。


● 逆もあるかもしれない。今できていることのほとんどは,あの頃もできていたんじゃないか。SNSもブログもなかったけれども,“ホームページ”はあった。今ほど簡便ではなかったけれども,とにかくネットに自分を表現して発信する場はあった。フィードバックももらうことができた。
 LINEはなかったけど,メールはあった。今できることのあらかたは,当時もできていたのだ。
 ともあれ。この本は雑誌『PCfan』に連載されたものをまとめたものだ。その『PCfan』も今はない。


● 著者の谷山さんが作った曲は,いくつか聞いているはずだ。それとは知らずに,だったとしても。
 でも,作曲や歌をやめてしまっても,文章だけで喰っていけるんじゃないか。平明で達意の文章。
 出版されたときにすぐに買って途中まで読んで,長年中断していたんだけど,この文章で何で中断したんだか。今回,再開したら一気通貫。途中でやめるなんでできない。
 書かれている内容は当時のコンピュータ事情だから,当然にして古いわけだけど,文章はぜんぜん古くない。20年を越えて瑞々しさを保っている。


● 谷山さん,ゲームも好きで,ゲームもしばしば話材になっている。パソコンリテラシーも相当なもので,当時,ここまで使えていた人ってそんなにいないと思う。今と違って,まだ誰でも使っている状態ではなかったにもかかわらず。
 わたしはHTMLみたいなものは手でシコシコ書くのが好きだ。GUIはキライで(使ってるけど),マウスもキライで(使ってるけど),コマンドをキーボードから打つのがダイスキ。(p180)
 それでもわたしはやっぱりマックを使っていない。なぜかというと・・・・・・特に理由はない。しいて言うならマックを使う理由が特になかったから,というだけだ。(中略)
 こだわりがないのは愛情が薄いのかもしれないけど,わたしにはどうしても,今のパソコンと美意識というものが結びつかないのだ。(中略)パソコンでできるあんなことやこんなことには愛を感じても,パソコン自体は便利に使えればそれでいい。(p283)
 この頃でもミュージシャンでMacではなくWindowsを使っていたのは,圧倒的に少数派だったのではないか。

● 本業の曲作りやコンサートにまつわるものもネタになるわけだ。ネタ探しに苦労はしたっぽいけれども,バラエティーが豊富で読んでて飽きることはまずない。
 才女というのは今は死語なのか。才女っていうイメージだな。自由奔放なんだけど,学級委員もこなせるタイプというか。


● いくつか転載しておく。
 わたしが一番どうしていいかわからなくなる質問の王者は,なんといっても「あなたにとって~とは何ですか」というパターンだ。
 「あなたにとって音楽とは何ですか」
 あたしゃ哲学者じゃないんですからそんな難しいこと聞かないでくださいよ~。(p163)
 このゲーム(ドラクエ3)がこんなふうに絶妙にできてしまった理由は,もしかしたら作者の堀井雄二さんにもわからないんじゃないだろうか。大波に乗ってしまった感じなんじゃないだろうか。(中略)
 どんなに頭をしぼっても,一生懸命考えても,ある日突然やってくる波にはかなわない。これはゲームだけのことじゃない。わたしの場合は,歌を作っていてそれを感じる。(p193)
 全くゆるぎなく,少しもはずかしくなく,安心して100%愛せる文章書きの人たちがいる。たとえばエッセイなら田辺聖子さんとか鈴木志郎康さんとか小田嶋隆さんとか。他にもたくさんいる。
 そういう人たちの共通点は何だろうと考えてみたらすぐわかった。「かわいげ」があるのだ。
 この人たちの文章の中の本人像は,どこかヌケてて,時には情けなかったりヒキョーだったり無能だったりして,かわいい。賢い人たちなのに(賢い人たちだから,というべきか)自分の賢さを文章にディスプレイしてみせない。文章の中の自分像が,自然に人の目を楽しませる芸になっている。(p245)

2015年5月28日木曜日

2015.05.23 まど・みちお 『まど・みちお画集 とおいところ』

書名 まど・みちお画集 とおいところ
著者 まど・みちお
発行所 新潮社
発行年月日 2003.11.16
価格(税別) 3,200円

● まど・みちおさんの絵と詩。絵は抽象画。
 巻末に,谷川俊太郎,江國香織,河合隼雄,神沢利子,長新太,阪田寛夫の6人が解説を寄せているが,それを読んでもなお,抽象画ってのはピンと来ない。


● 頭をゆっくり通して鑑賞するものじゃないんだと思うんだけど,見た瞬間にピンと来ないからそれで終わりってものでもないんでしょ。
 何度も見てれば,自分なりのイメージや解釈が飛び出してくるんだろうか。


● 著者自身の「わたしと絵画」と題するエッセイも巻末に収録されている。
 ことばによって命名されたり,ねじ曲げられたり,端折られたり,曖昧にされたりする以前の世界が,そのまま純粋に視覚的な構築を得たものが抽象画であって,それは私には,この世で視覚が「名前」と「読み」と「意味」から自由になれる唯一の世界のように思える。 そして耳が最も耳らしくなれる時は,会話ではなくて音楽という抽象を聴く時であるように,目もほんとうに目らしくなれる時は,「読み」から解放されて絵という抽象を見る時ではあるまいか。(p134)

2015.05.21 野村正樹 『人生の質を高める時間術』

書名 人生の質を高める時間術
著者 野村正樹
発行所 NHK生活人新書
発行年月日 2009.01.10
価格(税別) 700円

● 八重洲ブックセンター宇都宮店のアウトレットコーナー(今はない)で320円で購入。

● オビに「IT化が進むと,なぜ残業が増えるのか?」とある。これは昔から言われていること。究極の理由は,IT化の果実を経営側が独占するからだ,ということになるのだろう。

● 著者も「はじめに」で「最近の書店で目にする類書を読むうちに,ふと感じることがあるのです」と,時間管理を説く「類書」に3つの違和感を挙げている。
 第一に「スピードや,効率化や,ムダの削減への過剰な賛美」。第二に「パソコンや携帯電話などのITツールへの過剰な期待」。第三に「競争社会ではもっと働かなければ生き残れない,との過激な脅し」。
 いちいち,腑に落ちる指摘だと思う。


● 以下に,いくつか転載。
 わんこそばの場合も,最初は野次馬気分で「まあ,気楽に楽しく」と思っていたのに,いざ店(会社)に入って席についてまわりの客(同僚)たちの姿を見ながら食べ始めると,いつのまにか「よし,がんばらなければ」と真剣勝負のモードになってしまったり。つまり,「他人に負けたくない」や「私だってできるはずだ」といった闘争心や競争心に火がついてしまうのが人間の悲しき性かもしれません。(p38)
 確かに,連絡や指令にメールを使うことで大幅な時間短縮は実現できました。しかし,それにより何倍もの時間のロスもひんぱんに起こる時代なのです。(p42)
 アメリカ流時間術の根幹をなすのは,賃金は働いた時間ではなくて,生まれた成果に応じて支払うべきだとの主張です。その考えに立てば「残業代」という概念はなくなります。(p63)
 西洋に「羊はよい草を食べなければよいミルクが出ない」ということわざがあるとか。作家も会社員も,よいミルク(成果)を出すためには,よい私生活(十分な休息や余暇や睡眠)が欠かせないはず。(p64)
 新幹線のなかで必死にパソコンやケータイをあやつる人の多くは,ワーカホリック(仕事病)か,仕事以外にやるべきメニューを思いつかないか,組織の上に立つ能力がまだ未熟な人かも。(p72)
 “本来は自分のものである時間資産の放棄”をしているのが,昼休みではないでしょうか。これに関するスピード礼賛時間術の定番が,「三分間昼食」かもしれません。(中略)なんともったいないことでしょうか。たぶん,これほど自分の幸福に関心の薄い会社人間はいないでしょう。(p72)
 一定の時間に集中して取り組んだ仕事は“仕上がりの質もアップする”。それが会社員時代からの私の持論でした。(中略)企画書では,かかる費用や,期待される効果と同じように大切なのが「なぜその企画をやりたいのか,やらなければならないのか!」の担当者の熱意やアピール力です。のんびりと書いた書類よりも短時間で集中して仕上げた書類のほうが文章に勢いがあり,熱意と迫力に満ち,主旨が鮮明。もちろん,まわりくどい表現などを使う余裕もありませんから,文章も単純にして明解。まさに「締め切りパワー」だと実感したわけです。(p132)
 現役世代の会社員からよく聞くこんな話があります。退職後もよく古巣の職場を訪ねては,後輩にあれこれと指導をしたり,かつての取引先の人を強引にゴルフなどに誘う先輩が思いのほか多いとか。これもまた,立派な時間泥棒とはいえないでしょうか。(p210)

2015.05.19 千田琢哉 『たった2分で,やる気を上げる本』

書名 たった2分で,やる気を上げる本
著者 千田琢哉
発行所 学研文庫
発行年月日 2013.09.02
価格(税別) 552円

● 最初に千田さんの著書を読んだときには,これが最初で最後になるだろうと思った。が,これで3冊目になる。彼の数多くの著書からすれば,九牛の一毛に過ぎない。

● なぜ読んだかといえば,手っ取り早いカンフル剤になりそうだったから。で,実際になった。カンフルだから,効き目は長続きしないけれども。

● カンフルの内容は次のようなもの。
 やる気を出すためには周囲から「すごい」と言われる何かを始めるのが一番だ。スタートは虚栄心の塊でいい。大きな目標は本音の動機でなければ達成できない。建前だと途中で必ず挫折する。(p20)
 ナルシストであることは,自分が大好きだということだ。自分が大好きだということは,とてつもない才能なのだ。(p23)
 ブランドはひたすら自己満足でいい。誰が何と言おうと自己満足でいい。ここでいう自己満足とは,それを手にするだけで元気になれるということだ。ブランドの究極の目的は,持ち主を元気にすることなのだ。(p26)
 身につけているものが大好きな人と,大好きというほどでもない人では,わき上がってくる生命力がまったく違う。(中略)イマイチなものはすべて処分しよう。そして数少ない大好きなものだけを揃えるのだ。(p38)
 猛烈に仕事ができる人は,例外なく仕事のスピードが速い。スピードが速いということは,手を抜く箇所を見極めているということだ。(p45)
 雑用を面白くする方法がある。素早く終わらせることだ。(p51)
 ちょっとモチベーションが落ちてきたなと感じたら,スピードを上げることだ。スピードを上げるとやる気が漲ってくるが,スピードを下げるとやる気が萎んでくる。(中略)歩くスピードの速い人は,仕事ができると考えて間違いない。(p63)
 あなたの周囲に先輩や上司で「いかにそれは難しいか」と延々と語り続ける人はいないだろうか。もしいたら,なるべくその人とは距離を置くことだ。(中略)仕事に限らず人生すべての課題というのは,難しい問題ではなく面白い課題しか存在しない。難しい課題にするか面白い課題にするかは,すべて関わった人間の解釈次第なのだ。(p48)
 やる理由というのは,とりあえずやってみなければ永遠にわからない。(p54)
 私の周囲の仕事ができる人たちはみんな捨て魔だった。仕事ができない人は古い資料で埋もれていた。(p57)
 大人の勉強のコツは,理解できないところで立ち止まってグズグズしないことだ。(p79)
 人が一番セクシーなのは,真剣に何かを学ぶ姿勢だと思う。(中略)本を読んでいる横顔は最高にセクシーだと思う。(p85)
 思わず逃げ出しそうになったら,それは他人もまったく同じ気持ちだという当たり前のことに,まず気づくことだ。他人と一緒になって逃げていたら,せいぜい他人と同じかそれ以下の人生で終わるのは目に見えている。(中略)難問からは逃げるのではなく,こう囁いて友だちになっていくことだ。「お,難問君,なかなかやるね」(p88)
 長期的に愛されるお金持ちは自分が得する方法ではなく,まずお客様が得する方法をひたすら真剣に考える。後から得する人は,いつもドカンと得するようになっている。(p117)
 高級品はどんどん使って,どんどん傷つけてあなたの日常に溶け込ませよう。(p120)
 もしあなたが目の前の人と友情を育みたいと考えるのであれば,自慢話を最後まできちんと聴いてあげることだ。世の中にはこれがなかなかできない人が多い。(p135)
 人間のコミュニケーションの過半数はその場にいない誰かの愚痴だ。つまりすべての愚痴を排除すれば,ほとんどの人たちのコミュニケーションは内容がなくなってしまう。だからカッコいい人たちはいつも1人で颯爽と歩いている。(p153)
 素敵な人は,必ず規則正しい生活を送っている。規則正しい生活を送っている人と出逢うためには,あなたも規則正しい生活をしなければすれ違いで終わってしまう。(p169)
 時間ギリギリというのはいつも混雑して人口密度も高い。会社のエレベーター前は,時間ギリギリの仕事のできない人たちでいつもウジャウジャしている。(p170)
 なぜなら我々の脳は妄想したことをそのまま実現させるからだ。こんな口癖の人は要注意だ。「あんな人間だけにはなりたくない」 そっくりそのまま「あんな人間」になるように,あなたの人生プログラムは組み込まれてしまう。「なりたくない」の部分はカットされて,「あんな人間」という部分が脳裏に刻み込まれていくからだ。(中略)脳はあなたが考えているよりも遙かに影響力が大きい。脳の力を舐めてはいけない。常軌を逸するほど,気持ちのいい妄想だけをしよう。(p185)
 せっかく頑張ってブログを続けてきたのに,つまらない批判コメントをもらってからと突然やめてしまう人がいる。(中略)何かを始めるということは,ヤイヤイ言う人がでてくるということなのだ。(中略)ヤイヤイ言うひとには,言い返さないのはもちろんのこと,関わらないことだ。まるで空気の一部であるかのように無関心でいい。(p188)
 今まで随分写真撮影をしてもらった。その中でこのカメラマンはプロフェッショナルだな,と感じた人の共通点がある。「笑ってください」と言わないことだ。「笑ってください」と言わずに,カメラマン自らが積極的に笑顔になっていた。(p203)

2015年5月24日日曜日

2015.05.17 佐藤オオキ 『問題解決ラボ』

書名 問題解決ラボ
著者 佐藤オオキ
発行所 ダイヤモンド社
発行年月日 2015.02.26
価格(税別) 1,500円

● 著者は新進気鋭のインダストリアルデザイナー。

● 「はじめに」でデザインの要諦が述べられる。
 重要なのはデザインのジャンルではなく,新しい視点を提供することでいかにして目の前の問題を解決できるか,です。「あめ玉」でも「高層建築」でも,デザインするなかで考えていることは,どちらもたいして変わらないのです。
 体内の毛細血管を介して酸素を吸入するがごとく,アイデアを取り込む。しっかり吐き出して「空っぽ」になることで,より多く吸い込める。
● 「おわりに」では次のように。
 デザイナーの思考は,まずは遠く離れたところにポーンと「答え」をイメージします。それは身近なものでも,夢のようなものでもいい。「仮の答え」でいいんです。全然。そして,それを意識しながら目の前に山積みになっている課題と照らし合わせて,それに合った「正しい問題」を見つけること。これが,「問題解決ラボ」の正体です。(p238)
● ノートの使い方。
 スケッチやメモを書き留める「紙」は,どちらかというと「小さい」ものを好みます。(中略)大きい紙だと「紙全体を埋めなくては」「たくさんのアイデアを考えなくては」といった強迫観念に駆られて,むしろ何も書けなくなっちゃうんです。勝手にアイデアが時系列に並んでしまうので,ページを切り離せないノート状のものも使いません。(p60)
 何かつかんだ感触を得たら,メモはすべて捨てちゃいます。頭の中に残しておく程度のほうが,後々使い勝手がよいからです。(p61)
 基本的にアイデアは,クライアントとの会話や,工場やショールームを見学する中でみつけていくもの。暇さえあれば「仮想クライアント」との「妄想ブレスト」をして遊ぶのです。(中略) 「妄想ブレスト」は,ゲーム感覚でできるため,自分は日々行っています。(中略)ポイントは,他人ごとを思いっきり,そして無理やり自分ごとにしてみること。(p63)
● 以下にいくつか転載。じつは,付箋を付けたところはもっと多いんだけど,全部書いてたんじゃ切りがない。あとは,本書をご覧くださいってことで。 
 デザイン事務所の経営にはジレンマが常につきまといます。「デザインをがんばればがんばるほど儲からない」のです。(p2)
 ものづくりには制約がつきもの。しかしその制約をすべて額面通りに受け取っていては,新しい解決策が出ないことも多いもの。こうしたとき,制約を少しずつ崩してみると,アイデアにバリエーションが出ます。(p5)
 「誰も見たことがないもの」は,「誰も求めていない」と紙一重。理想は「本来はそこにあるはずなのに,なぜかない」ものを「補充する」くらいの感覚です。(p7)
 「ちょっとした思いつき」を頭にストックしていると言うと,「自分にはできない」とよく言われるのですが,そういう人に限って,思いついたことは頭の中にしまっておかなきゃ,と考えていることが多いです。そうではなく,思いついたらまず言ってみる。(p17)
 欠点のないアイデアは,愛着もわかないし,記憶にも残らない。(中略)商品はやっぱりキャラが大事。キャラクターにはみんな欠点があります。(p25)
 「自分にはセンスがないから(できない)」と言う人がいますが,自分はセンスよりも「好き」でいつづけることこそが問題発見やアイデア出しにおいて重要だと思っています。 センスというのはすごくレベルが高い話。世界のトップ10が戦っているときに,「これはもうセンスだな」と感じるときはたしかにあります。しかし,それ以外の場面においては,すべて努力でカバーできる話じゃないかという気がします。(p33)
 「チャンス」というのは,「女子」なんです,基本的に。目の前の仕事に脇目も振らずに夢中になっていると嫉妬し,自分のところに訪れる,と。逆に,常に「チャンス」を探している人にはめもくれない,と。(p35)
 めんどくさいことを避けていては,決して真の問題に気づくことはできません。問題が見つからないと言う前に,めんどくさい方法を見て見ぬふりをしていないか,自問してみてください。(p37)
 人は皆,他の人とは違うものが欲しいんです。でも,結局はみんなと同じものを持つことによる安心感を捨て切れない生き物でもあります。目立ちたいけど,周囲から浮くのは気恥ずかしい。新しいものに憧れるけど,新しすぎるものは怖い。 この少々面倒くさい心理を汲み取れるかどうかは,デザインをするうえでとても重要で,新商品であってもどこかしら「懐かしさ」というか「過去に経験したことがある」という安心感をさりげなく匂わせることがコツだと思っています。(p48)
 入力時に大切なのは,できるだけ「ポジティブ」にものごとを捉えることでしょうか。長所は長所として認識し,短所も視点を変えることで長所にしちゃう前向きさが必要です。同じ情報量でも「たくさんのアイデアにできる人」と「そうでない人」がいるのは,こういったスタンスの違いがあると思います。(p70)
 「もうこれ以上アイデアが出ない」と言うのは,頭の中で整合性がとれてしまっている状態だからだと思います。たとえば「ペン」であれば,「ペンとはこういうものだ」と,イメージが固まってしまっているのです。(p107)
 自分の場合,大学よりも,大学に隣接している戸山公園で経験したことが,今のデザイナーとしての「覚悟」につながっています。 戸山公園にはブルーシートでできた小屋が並び,ホームレスの人たちが生活しています。最初は変な目で見ていたのですが,気づけば放課後に彼らの飲み会に参加させてもらえるようになってまして。 話を聞けば,「糖尿病になった」「オレは最近,痛風になった」などと話している。日本のホームレスはカロリー過多なのか,と。 小屋の中では自家発電機でテレビのナイター中継を見ながらキンキンに冷えたビールを飲み,室内犬まで飼っているわけです。20歳そこそこにして「これがホームレスの生活だとしたら,もはや怖いものはない」と腹を括りました。(p226)

2015.05.17 『世界で一番美しい駅舎』

書名 世界で一番美しい駅舎
発行所 エクスナレッジ
発行年月日 2014.05.27
価格(税別) 1,800円

● 多くはヨーロッパの駅舎が紹介されている。世界遺産になっている駅舎もあるんだもんね。近代的な建築物の駅舎もある。
 日本からは金沢駅と東京駅が登場している。

● 世界にはどれほどの駅舎があるものだろうか。そこからどれをチョイスするか。どれを美しいと思うか。人によってだいぶ違うだろうな。

● 駅舎の写真を見ただけで旅情に誘われることはあまりないね。電車の写真も同じだ。これは空港や航空機でも同じ。
 乗り物にしろ駅舎や空港にしろ,最新型って造形的にはともかく,印象としては冷たい感じだもんね。あるいは構造物として大きくなりすぎて,取りつくシマがない。
 が,こちらの年のせいかもしれない。

2015年5月21日木曜日

2015.05.15 滝田誠一郎 『「消せるボールペン」30年の開発物語』

書名 「消せるボールペン」30年の開発物語
著者 滝田誠一郎
発行所 小学館新書
発行年月日 2015.04.06
価格(税別) 720円

● 世界を席巻しているフリクションボールの開発者を取材したもの。ぼくはフリクションは使ったことはないけれども,どういう人たちがどんな経緯をたどって作りだしたのか,そこには興味がある。

● 以下にいくつか転載。
 「メタモカラー」の研究・開発を長く続けられたのは,そのときどきの技術レベルに応じた商品化に取り組み,利益をあげ続けてきたからである。(p5)
 商品化に関してはもうひとつ注目すべき点がある。それは研究・開発のゴールがそもそも決まっていなかったということだ。じつは最初から消せるボールペンの開発を目指していたわけではないのである。もし,最初から消せるボールペンの商品化を目指していたのならば,この研究・開発は失敗に終わっただろう。5年経っても,10年経っても筆記具への応用の目処が立たなかったのだから。(p7)
 研究室にはいろいろな材料が山のようにあって,それをいろいろと組み合わせて実験していくなかで,ドライヤーの熱で変色する組成や,冷蔵庫内で変色する組成を発見した。これは理屈じゃないですから。ひたすら実験を繰り返して観察して,それでたまたま発見したのであって,ですから,やっぱり偶然の巡り合わせですよ。運です。(p32)
 消せるボールペンというコンセプト自体は目新しいものではない。『フリクションボール』以前にも商品化されたものがいくつも存在する。しかし,いずれも“しっかり書けてきれいに消せる”という肝心の機能が不十分だったため,消費者に受け入れられず,市場に根付くことがなかった。(p104)
 ある雑誌のインタビューに答えて,千賀は次のように答えている。 「新しい発見は,教科書を捨てるところから始まるということを実感しました。常識にとらわれずに,むしろ常識を捨てる勇気を持てば局面は打開できることを知りました」(p147)
 難産だった『フリクションボールノック』の誕生は,フリクションのシリーズ化戦略のなかでもエポック・メイキングな出来事であり,大きなターニング・ポイントだったと関係者は口を揃える。販売数が飛躍的に増え,フリクションシリーズが市場に定着するきっかけとなった。(p147)
 キャップ式の商品を出していたときは,使い勝手はあまり良くないけれども消せるのが便利だからということでお客さんが買ってくれていた。消せるボールペンが本当に必要な人だけが買っていた感じでした。しかし,ノック式が出てからは普通のペンとして普通に買って,普通に使っているお客さんが増えた。特殊なボールペンだったものが,一気に一般化した。(p148)
 最初に『フリクションボール』に飛びついたのは,女子中高生を別にすれば,考える道具を欲していた職業人であり,趣味人たちだった。 たとえば出版社の編集者や校正の担当者たち。(中略)漫画家やデザイナーをはじめとするクリエイターのなかにも『フリクションボール』の愛用者が少なくない。(中略)『フリクションボール』を使って下書きをしておけば,仕上がった原稿にヘアドライヤーの熱風をあてるだけで原稿を傷めることなくきれいにサッと消すことができる。(p152)
 すぐにビジネスに結びつかないテーマを,ちょっと言葉は悪いですが,われわれは“遊び”と呼んでいます。自分の好きなテーマで真剣に遊べるというのはパイロットの文化だと思っている。研究に熱中するあまり,若手のなかには夜遅くまで仕事に没頭している人もいます。技術者や開発者にはそういう時間が必要だと思います。(p172)

2015年5月20日水曜日

2015.05.11 みっちゃん先生 『「自分ほめ」の魔法』

書名 「自分ほめ」の魔法
著者 みっちゃん先生
発行所 PHP
発行年月日 2013.05.27
価格(税別) 1,200円

● 著者は思春期には引きこもりだった。ウツも経験している。ぼくの身内にも長く引きこもり,不登校を続けて,今なお予後が思わしくないのがいるので,何だか身につまされる思いで読んだ。
 もっとも,著者とぼくの身内との間には,ひとつだけ決定的と思われる違いがあるんだけれど。

● この種のものは,読了したら地元の図書館のリサイクルコーナーへ持っていくのを常としているんだけれども,上のような理由で,この本は手元に残しておくことにした。

● 以下にいくつか転載。
 私の中にも「明るさ」や「無邪気さ」,そして「喜び」は,ちゃんとあったのです。いまでも,このときのことを思い出すと,私はなんだか泣けてきてしまうのです。(p37)
 私の心の中には,「どうせ,途中であきらめるんだろう?」とうすら笑いを浮かべている,もう一人のはすっぱな私がいるのです。それは,たびたび私の心の中を占領しては,前に進もうとする力を奪っていくのです。(中略) そんな私に,最後にやってきた感情が「静かなあきらめ」。(p42)
 ここでポイントになるのがね・・・・・・,行動を始めると,最初の“神さまからのお試し試験”が必ずあるんだよってこと。(中略) 神さまは『仕事をしたい!』っていう,みっちゃんの気持ちが本気かどうか,試すような試験を出してくるの。たとえ,どんなに履歴書が戻ってきたとしても,みっちゃんがそのことで不機嫌にならないで,自分をほめながらニコニコして続けていたら,それは『マル』なんだよ。(中略)答案用紙に花マルがつけば,必ず何らかのサプライズが起こって,みっちゃんの願いが叶うようになってるの。(p52)
 実は多くの人が,そこで行動することをやめちゃうんだよ。『やっぱり,私には無理なんだ・・・・・・』と思ってね,あきらめちゃうの。でも,そこが成功する人と,成功できない人の違いなんだよ。(中略) なぜだか,わかるかい? (成功する人は)『自分は,最後には絶対に成功する!』って信じているからだよ。成功できない人は(中略)『結局,自分はできないんだ!』っていう気持ちのほうが強いからだよ。(p56)
 自慢話をする人って,人からほめてもらいたくてしようがないから,もう待てないんだよ。(p97)
 理想を何度も言い続けていると,現実が後からついてくるの。オレは,いつもそうしてきたんだよ。いま現実に起きていることなんか,実は,どうでもいいの。どんなにイヤな人が現れても,オレが『あの人って,いい人なんだよ。あの人って,えらいんだよ』って言い続けていると,現実がオレに従ってくるの。(p109)
 こういうチャンスが来たときに,言っちゃいけないのが,『私にできるかしら・・・・・・』っていう言葉なんだよ。『私が・・・・・・』『私が・・・・・・』って,できない理由を探すのが,オレに言わせると『我』なんだよ。人助けで大事なことは,『我』を捨てることなの。変に遠慮したり,必要以上に謙遜したりするのも『我』なんだよ。(p116)
 人はね,自分のために力を出そうとしても,本当の『底力』って,出ないものなの。人のために力を出そうとしたときに,その人が持っている「最高の力」が出るようになっているんだよ。人を助けるために,自分の全力を出すことを,『志を高くする』って言うの。(p117)
 今回のように,みっちゃんがやったことに対して,お金を払ってくれるという話がきたときはね・・・・・・。絶対に『いりません』なんて,言っちゃダメなんだよ、(中略)『いりません』って言っていると,なぜかお金って先細りになって,だんだん入ってこなくなっちゃうんだよ。そういうお金の法則があるの。(p121)
 野菜っていうのはね,こうやって単品で調理したほうが,絶対に美味しいんだよ。キャベツにはキャベツの・・・・・・,もやしにはもやしの・・・・・・,その野菜独自の『うまみ』っていうのがあるんだよ。それぞれの野菜が持って生まれた個性がある。それが『神さまの味』なの。(p126)
 人間も同じなんだよ。(中略)どれも比較はできないの。オレは,ひとりずつ,その人が生まれ持った個性を生かすように教えていくのが好きなの。みんな一緒に,ごちゃ混ぜにして,教えていくのは好きじゃないの。(p127)
 昔の私のような「ダメダメモードの人間」に,根気強くものを教えて,導いていく・・・・・・というのは,どれほど大変だったことでしょう。でも,一人さんは一度も,大変そうなそぶりを見せたことはありませんでした。私を落ち込ませるような言葉を言ったこともありません。いつも楽しそうに,幸せそうにしながら・・・・・・。(p178)

2015年5月19日火曜日

2015.05.11 中村天風 『真人生の創造 中村天風講演録』

書名 真人生の創造 中村天風講演録
著者 中村天風
発行所 PHP
発行年月日 2015.04.26
価格(税別) 1,800円

● 以下に,少々多すぎるかもしれない転載。
 私は神仏というものの存在を,第二義的に人生を考えるものには必要かもしれないが,自分自身を真理に沿って正しく生かすものに対しては,既成宗教は何ら顧みる必要のない存在だという,大きな確信の下に人生を生きているものであります。(p19)
 あの病から来る苦痛に耐えかねてやっちゃった,えらいみすぼらしい憐れな心。人に侮辱を受けたより,自分自身が自分自身の心の中の憐れさを感じたときぐらい悔しいことはありません。 ここが違うんだ,あんた方と私と。あんた方は人に馬鹿にされると怒る。(p35)
 人生は,よろめきかけたところで止まっているとこにいいとこがあるね。そして向こう向く心に,「こっち向け」って向け得るようにならなきゃあかん。それを「これを怒らずにいられるか」とかね,「これを怖れないで,どないするねん」なんて。(p38)
 風邪を防ぐ一番の根本的な秘訣は,風邪をおっかながらないことだよ。「引くんなら引きやがれ,チクショーめ。風邪なんか引かされたって,こっちは引かねえから」って,こういう気持ちでいりゃいいんで,おっかなびっくりやってるとすぐ来るぜ。(p42)
 人生を本当に生きがいあるものにするのに必要な条件っていうものは,よろしいか,金の力や,あるいは名誉や地位の力や,あるいは物質の力じゃ,どうしてもできっこないんであります。また,それでできるとしたら,貧乏人にはこういう力がないはずだが,皮肉なるかな皮肉なるかな--。 ついこの間の老人の日,東京の一番長命な奴はどこにいると探したら,下谷の金杉の裏町にルンペンのおじさんで百三歳。(p61)
 我々の魂というものは,学問をしようがしまいが,そんなことは別問題。人生への真理というものをことごとくよく知ってるんですよ。本心を煥発するということは,その知ってる魂から一切を心へと引き出すということと同じことになる。(p80)
 本当の幸福というものはね,なんぞ図らん,凡人の多くが忌み嫌う苦悩というものの中にある。すなわちその苦悩を,わかりやすく言えば,むしろ楽しみに振りかえるというところにある。 もっとも普通の人は,苦悩を楽しみに振りかえるなどと言うと,「そりゃとてもたやすくできるもんじゃない」と言うでしょう。しかしです,我々は「観念要素の更改法」というのを知ってる。したがって,苦悩を楽しみに振りかえるということをさして難しいこととは思いませんわ。(p87)
 ただ感覚してる世界だけを考えて生きているからいけない。感覚しない世界,すなわち自分の生命の後ろ,見えないところにちゃんと完全であらしめようとする自己,どこまで行っても自分を完全たらしめるという力がちゃんと用意されているんだということを考えたら,なんにも悶えることも悲しむことも,怒ることもないだろ? (中略) そうすると,長くその消極的な思考と絡み合っている愚かなことをしなくなっちまうんだよ。出ることは出ますよ。(中略)それがパッと消えるんだ。(p91)
 「怒らず,怖れず,悲しまず,正直,親切,愉快」と,この「三勿三行」は,最もよい感情,言い換えれば,すべて融通性を持つ円満具足的な値の高い感情。その感情を,自然と自分の心の中から常に湧き出させしめようとするためにも,大変に必要なことなの。 理屈なしに,ただもう「怒らず,怖れず,悲しまず,正直,親切,愉快」,これを実行に移さなきゃだめですよ。(p97)
 どんな場合にも親切に,どんな場合でも愉快であるということにしましょう。そして始終,人の欠点は見ないでもって,人をほめることを心がけ,そして自分は最善を尽くそうということに努力しましょう。ね? 人を批判する間には,自分も批判されるということを考えなきゃいけないから,だから人の落ち度を発見したならば,それはもう頭から許しちまわなきゃ。ね?(p99)
 世の中によく時々予言が的中するとか言い当てるとかという人見ると,自分と全然かけ離れた人間のように思うだろ。とんでもねえことだ。同じ人間だもん。頭の中が,脳みそが別に向こうのほうが塩気が多くて,こっちのほうが砂糖気が多いわけでも何でもねえんだ。ただ彼らは先天的かあるいは何かのことによって,そういう力が啓発されただけ,訓練されただけなんだ。だからあなた方だって訓練すりゃ出てくる(p146)
 自己以外に自己の生命の支配を行なう権利を持ってるのは絶対にない。それで,その自己はなんだってことを考えてごらん。自己とは何だ。自己とは学問的な言葉を使えば「真我」と言います。本当の我。真我とは何だというと,生命の根本要素を成すところの霊魂と称する一つの気体が本当の姿だ。形はないんだよ,本当の自分というものには。(p156)
 あなた方どうしても今それを思わなきゃ,また考えなきゃ,もう一分といえども現在が過ごせないというような大事なことを現在思ったり考えたりしてるかい? たいていあんた方の腹を立てることや悲しいことや煩悶してることは,考えなくても考えてもどうでもいいようなことで,また考えても考えきれないことか,考えりゃ考えるほど自分の気持ちを悪くして,果ては健康や運命を悪くするようなことばかりじゃねえか。(p166)
 事実において人生苦というものの九割九分は,よろしいか,入念に分析してみると,心を己の生命の生きるための道具として使わないで,反対にそれに使われているがためであるんですよ。生命に対する支配権を心が持つものと誤解しているからなんだ。もっとはっきり言うと,自分というものを知らず知らず,心の奴隷にいているために,年がら年じゅう煩悶苦悩というものに苦しめられているんですよ。(p167)
 心を完全に操縦し,又これを完全に支配する威力を有するものは,実に意志なるものよりほかには絶対にない。意志なるものが,心の働きの一切を統率する最高なる統率者なんです。 そもそも意志というものは,元来真我の属性なんですから,俗に意志が強いとか弱いとかいうのは,これは意志そのものの強弱をいうのではなくして,意志の力の発現の強いか弱いかを指していってるんだよ。(p182)
 だってねえ皆さん,よく考えてごらん。例えば,自分がいくら財産をこしらえて銀行の預金帳増やしてみたところで,それがいったいどうなる? ただ観念の上でいくらか安心が行くだけでしょ。なんかの拍子でもって自分がくたばってごらん。そのカネがあったばかりにこりゃ,家族でもってお互いに諍いを初めて大騒動が起こるぜ。 だからカネなんか貯めるなというんじゃないんですけど,差し支えのないだけ以外貯めたって何もなりませんよ。(p227)
 人生は生きてる時間が極めて短いということは気がつかないでもって,朝から晩までねえ,閻魔様が塩舐めたような顔して,ちっとも愉快な気持ちを出しゃしねえ。(p231)
 現在ただ今,どんどんどんどん過去へとスピードフルにリールは回ってるんだ。それ考えてみたらば,すぐ怒ることがあるから怒るんだ,悲しいことがあるから悲しむんだ,怖れることは怖れるんだっていうようなことを言ってたんじゃ,人生に極楽は来ないぜ。(p232)
 今,私の心の中のどっかに憎んでる人がいやしないか。嫉んでる人がいやしないか,恨んでいる人間がいやしないか。そういうものが少しでもあなた方の心の中にたとえ一人でもいるような心を持っている人は,さもしい,卑しむべき下等な人だ。(p233)
 事の如何を問わず,事情のなんたるを問わずです,断然自分の心に争いの気持ちを起こさないことなんです。常に親しみ穏やかに溶け合うという和の気持ちを心に堅く持つこと。第一,この争う気持ちというのは,厳格に言うと,自己の存在とその周囲関係の貴重な因縁をいうものをないがしろにし,それを無視没却しているから起こる,極めて蔑むべき心持ちなのであります。(p239)
● 斎藤一人さんが説くところとの共通点を感じる。上の「三勿三行」は,斎藤一人さんの上気元(上機嫌)に過ごせというのと同じことだ。
 こういうものは,自ずとそうなるのだろう。行き着くところは,結局,その一点になる。

● で,それができるようになるためのメソッドを両者ともに用意しているわけだけれども,問題はそのメソッドで上手く行った例があまりないことだ。
 メソッド以前の条件があるのだろうと思う。

2015年5月18日月曜日

2015.05.11 番外:TVガイドPERSON vol.32

編者 影山伴巳
発行所 東京ニュース通信社
発行年月日 2015.05.23
価格(税別) 900円

● 発売は4月9日。この時期の話題の筆頭は,木村拓哉主演のドラマ「アイムホーム」。ので,巻頭を飾るのは木村君のロングインタビュー。
 それがあったので,この雑誌を買ったわけだけど。

● ほかには,堀北真希,斎藤工,大島優子,千葉雄大,伊野尾慧,ピエール瀧,間宮祥太朗,伊勢谷友介。
 写真がメインで,そこにインタビューをまとめたライターさんの記事が加わる。
 大島優子とピエール瀧については記事も読んだけど,あとは写真だけ見ていった。

● 元がいいうえに,綿密な打ち合わせがあって,衣装も用意して,メイクさんが付いて,プロのカメラマンが撮影するわけだから,できあがった写真は何というのか,鑑賞に耐えるわけ。
 当然ですけどね。でなかったら,雑誌を買ってもらえない。

● オレもこんな恰好してみようかなぁ。って,ダメだね。その前に体を作らないとね。

2015年5月17日日曜日

2015.05.11 番外:an・an 2015年4月22日号-楽しい!お仕事

編者 北脇朝子
発行所 マガジンハウス
発行年月日 2015.04.15
価格(税別) 417円

● 巻頭は木村拓哉君のインタビュー記事。写真もたくさん。この部分は切り取って,スキャンして,永久保存。

● そのインタビューも木村君の仕事観を訊く的な内容。で,次に11人の女性たちが登場して,自分の仕事と仕事ぶりを語る。
 いずれも才色兼備なのはいいとして,スーパーウーマンを揃えてきた。こういうの,どうやって見つけるのだ? 編集という名の脚色もあるのかねぇ。

● こういうのを読んじゃうと,男だったらコンプレックスを抱え込むことになる。女はそうじゃないのかね。よぉし私も,とか思うんだろうか。あるいは,私とそんなに変わらないじゃん,とか。

● その11人。まず,ファッションエディターの小脇美里さん。
 充電器は常に持ち歩き,電話かメールで必ず連絡がとれるようにしている。
 100人以上の誕生日を記録していて,当日にはバースデーメールや手書きのカードを送る。
 初めて仕事をするカメラマンやモデルについては,過去の記事などをすべて調べる。
 現場で,疲れたとか忙しいと言わない。
 疲れた顔の女に仕事は来ない。

● 「Spindle」PR 佐藤佳代さん。
 曖昧な返事はしない。
 相手に信頼してもらうと多くの情報を伝えてもらえるので,調整がスムーズにいく。
 電話をかける前,メールを打つ前,人と話をする前は,深呼吸して心を落ち着かせて臨む。

● 料理家 渡辺有子さん。
 レシピは同じサイズのノートに書き,見た目の統一感を確保する。
 資料は捨てる。溜めない。
 やるべきことを書きだすことで,頭の中が整理される。

● 「チームラボ」カタリスト 吉永麻穂さん。
 クライアントの意向であっても,自分の言葉で話す。
 最初に全員で最終目的地を共有しておく。

 ただし,これ,意外に難しい。最終目的地ってけっこう動くし,固定しないほうがいい場合もありそうだ。

● 「東京ステーションホテル」広報マネージャー 濱 純子さん。
 毎日,なるべく多くの人と話す。
 (総支配人の)相手に質問を投げかけて答えを引きだし,お互いに納得のいく方向に持っていく話し方は,勉強になる。

● 「ワーク・ライフバランス」広報室長 田村優実さん。
 仕事に優先順位を付けられるかどうか。
 朝,その日にやる仕事を15~30分単位で組み立て,それをメールで部署内で共有する。就業後,実際にかかった時間を書く。それを続けると,タスクごとの所要時間を把握できるようになる。

● 「PLAZA」ステーショナリー担当バイヤー 藤岡知里さん。
 これいい!という直感が生まれるのは,日々の情報収集の結果。
 海外のインスタグラムはアイデアの宝庫。
 手を動かさないと頭に入ってこない部分も多いから,大切なことは手書きでまとめておく。

● 「aeru」代表 矢島里佳さん。
 使命感では乗り越えられないことも,好きな人や事柄のためだから頑張ってこられた。
 事前に思いつく限りの「失敗ケース」を想定しておく。
 必ず現場に足を運び,直接,土地の人と会って言葉を交わす。
 ひとつ断られたら,次にもっといいご縁が見つかるはずだから良かった,と思う。

● ピップ㈱ 藤代智春さん。
 世の中にある「脚に関する困りごと」をいかに見つけるか。
 意識してみれば,日常のあらゆるものが参考になる。
 聞いた話ではなく,聞きながら自分が気づいたり考えた発想の種を書いておく。
 空気を読まずに動ける行動力。

● 東宝演劇部プロデューサー 小嶋麻倫子さん。
 力のあるクリエイターに賛同してもらって,あの方がやりたいと言っていると会社に提案する。
 俳優さんに出演交渉をする際には,いい部分もマイナス部分も全部説明する。感想を求められれば,よくない感想でも正直に伝える。

● 「楽天」執行役員 河野奈保さん。
 一歩会社に入ったら,表情から思考回路まで,スイッチを切り替える。
 自分に与えられた仕事の役割をとことん演じきる。
 やる気の持たせ方。女性は今が大事。男性には10年後の自分がどうありたいかを考えてもらう。

● 「石橋貴明&清水ミチコの労働お悩み相談室」も面白い。回答を見ると,ぼくなら清水ミチコに相談したくなったけど。

2015年5月16日土曜日

2015.05.11 番外:究極のノート術

書名 究極のノート術
編者 松井謙介
発行所 学研パブリッシング
発行年月日 2015.04.11
価格(税別) 690円

● まず,“プロに学ぶ! ビジネスに差がつく「仕事ノート」の極意”では9人の“プロ”が自分のノートを示して,何をどう書いているかを語る。
 ただし,9人のうちの4人は,ノート術についての著書を持っている人たちで,その4人は語るだけ。

● 次に,石井貴士,横田伊佐男,河野英太郎,工藤浩美,高橋政史の5人のノートコンサルタントが,蘊蓄を語る。
 これだけの蘊蓄が披露されるということが,「究極のノート術」など存在しないという充分な証拠になる。ないものを探しても仕方がない。それぞれが置かれた環境でそれぞれのやり方を探っていくより仕方がない。
 手応えを感じるようになるのは,棺桶に入る直前だったとしても,それはそれで仕方がない。

● 小西康陽さんが,「白い部分に未来への可能性が秘められている気がするんです。ノートもそこが魅力なのでしょう。白紙のページに何かを書きつけたいという衝動がイメージを生み出すのだと思います」(p13)と語っている。
 「白紙のページに何かを書きつけたいという衝動がイメージを生み出す」かぁ。つまるところ,そういうことなのかもしれないなと思った。

● 中村信仁さんが営業マンに推奨するのが「一冊一顧客ノート」。
 「売れない営業マンは,顧客を十把一絡げにしてしまいがちです。お客さん一人ひとりに目を向けることを忘れてしまうと,成績は上がりません」(p24)ということ。だから,だからお客さんごとにノートを作って,お客さんごとの個別性を追求せよってことなんだろう。
 もちろん,そうすれば売れる営業マンに変身できるといった荒っぽい話ではないんだろうけど。

● 神田昌典さんの「フューチャーマッピング」というのも紹介されている。「身近にいる主人公(第三者)が大喜びしている姿を想像することからスタート」し,次に「悩みや問題を抱えている現状の姿を想像する」。で,「その間をつなぐ物語を考える」(p30)というもの。
 「最後には,始める前にはまったく予測していなかった意外な結果に出会えるそうだ」(p31)。95%の人は成功します,ということ。
 どうも憎まれ口をきくようで申しわけないんだけど,残り5%に該当するのが全体の95%じゃないかと思ってしまうね。あるいは,こういうものでうまく行くことって,うまく行っても行かなくてもどっちでもいいことに限られるんじゃないのかね。
 斜に構えすぎですか。やりもしないで。

● 篠原菊紀さんが語っていること(p79)。
 ひとつは,「ルーティン化されるとノートを取ることが無意識な作業になり,脳のメモ帳にも余裕ができてくるので,俗に言う「頭が良くなる」という感覚が得られると思います」。
 もうひとつは,「気軽に使えることと,筆記時のストレスがないことは発想力を高めるには重要」。
 後者に関しては,必要条件ではあっても十分条件ではないよねぇ。あたりまえのことを言って,これまた申しわけないけれど。

● 今村暁さんが語っていること。
 「幸せとは,自分が笑顔でいられるか。まわりに笑顔の人がどのくらいいるか。つまり,笑顔の数で決まるのです」(p99)。幸せの定義としてひじょうにわかりやすい。
 収入の多寡だの,子どもの成績だの,乗ってる車がベンツかカローラかっていうのは,少しばかりは笑顔の数に影響するかもしれないけれども,メインストリームでないことは明らかだ。

● 中島孝志さんが紹介している「ドンブラート法」って,今泉浩晃氏のマンダラートとまったく同じもの。
 ほかにも自分が考えたのだと言ってる人がいたっけな。単純なものだから,同時多発的に複数の人が思いついたって,まったく不思議はないけど。

2015.05.11 尾田栄一郎 『ONE PIECE STRONG WORDS 2』

書名 ONE PIECE STRONG WORDS 2
著者 尾田栄一郎
発行所 集英社新書ヴィジュアル版
発行年月日 2014.03.09
価格(税別) 760円

● ここでも内田樹さんの「解説」が面白かった。以下に転載。
 僕は武道と能楽を稽古していますが,その分野には強い型というものがあります。その型が周りにいる人たちの身体に刻み込まれ,他人の身体にまで「感染する」,そういう力を持つ型のことです。(中略) いかに力感があふれていても,破壊力があっても,スピードが速くても「感染しない型」があります。どこか生物として不自然な動きは感染しません。(p188)
 「美しい」というよりは「強い」という印象を与える芸術作品がときどきあります。そういう作品は近づくと「身体が整う」「身体が浮く」「身体が泡立つ」など,いろいろな感触を僕に残します。誰でも同じように感じるかどうかはわかりませんが,とりあえず僕は芸術作品を身体で受け止め,自分の身体の反応に基づいて,作品のクオリティを計ることにしています。(p191)
 外部から到来したものを自分がずっと探し求めていたものだと感じて,それに一気に同化できる「被感染力」の高さこそ,他のどんな種にもまさって人類の成長と変身を可能にしたものだ(p193)
 イノセントで,(食欲以外については)無欲で,冒険への好尚と友人に対する無限責任以外に生きる上での特段の方針を持たないルフィは,その「空虚」さゆえに,世界を支える天蓋になりつつあります。なぜこの少年がその任にふさわしいのか。それは,世界のコスモロジカルな中心は「空虚」でなくてはならないからです。「クッションの結び目」と同じです。クッションの結び目は実在物ではありません。布のドレープが全部そこに集約される「空虚」です。(p195)
 「おれは助けてもらわねェと生きていけねェ自信がある」というのは,ルフィという人の「強さ」のありようを語ってあまりある名言です。(中略) ふつうは逆に考えます。誰にも依存しない,誰にも頼られない,自立した人間がいちばん強い。そう思っている人がたくさんいます。もしかしたら現代日本人の過半はそう信じているかも知れません。でも,違いますよ。いちばん強いのは「あなたなしでは生きられない」という言葉を交わし合って生きる人です。 「あなたなしでは生きられない」というようなかたちで他人に依存するのは危険な生き方ではないかと思う人がいるかも知れません。その人がいなくなっちゃったらどうするんだよ,と。そのときはなんとかなるんですよ,実は。問題は「あなたなしでは生きられない(ので,死にました)」という事後的な話ではなく,「あなたなしでは生きられない(だから,死なないで)」という懇請の方なのです。(p199)
 この依存を緩和する方法が一つあります。それは頼ってくる人を頼らなくてもいいくらいに強くすることです。(中略)どうすれば人間は強くなるか。そう,「あなたなしでは生きられない」と人に言われると人間は強くなるのでした。(中略)ですから,考えれば自明のことなのですが,「あなたなしでは生きられない」という祝福に対しては「私もあなたなしでは生きられない」という祝福を返すことがもっとも効率的だということになる。(p201)
 現代の日本人のほとんどはそんなふうには思っていません。それよりは自分につがりついてきたり,懇請したりする人間をできるだけ切り捨てようとしている。扶養家族や生活保護受給者や老人や幼児のような「足手まとい」なんかいない方が生きる競争では有利になると信じ込んでいる。そのために,できるだけ濃密な人間関係を持たないようにしている。それが賢い生き方だと思っている。(p202)
 他人から依存されるときにこそ人間の潜在能力は爆発的に開花する(p202)
 ルフィが不動の船長の地位を占めている最大の理由は彼が「何かが足りない」というタイプの愁訴を(「腹が減った」と「退屈」以外)絶対に口にしないことにあると僕は思います。すべての必要はすでに満たされている。「何かが足りない」という欠落感は必ず「隙」を作り出します。「何かが足りない」というのは,文字通りそこに「隙間」があるということに他ならないからです。「何かが足りないせいで,ものごとがうまく進まないのだ」という他責的な言葉づかいで現状を説明する習慣を持つ人はやがてその「隙」をことあるごとに誇示し,ことさら大げさに語るようになります。それはほとんど自分の弱点を満天下に公開しているに等しいのですが,愚痴を言う人はなかなかそのことに気づきません。(p206)
 魚人族との戦いにおいて『ONE PIECE』で今回ルフィが直面するのは「テロリストには理があるのか?」という問題です。これはおそらく作者である尾田さん自身の問題でもあるのでしょう。 もちろん,こういう場合にもルフィには迷いがありません。彼には直感的にわかる。それはルフィの判断基準がおのれの「生身の身体」だからです。生き物として正しいかどうか,それがルフィの唯一の基準です。(p211)
 麦わらの海賊たちは「小さな義理」を重んじるけれど,「聖戦完遂」というような「大きな話」は信じません。友情は信じるけれど,イデオロギーは信じない。イデオロギーを信じないのは,どれほど整合的であっても,過激であっても,イデオロギーにはそれが生きる上でどうしても必要なのだと訴える生身の身体による支えがないからです。(p214)
● 『ONE PIECE』本体を読んでみたくなった。たぶん,読むことになるだろう。まんが喫茶かネットカフェかレンタルショップに急げ。
 既刊77巻。買って読むってことにはなりそうにないものな。読み終えたあとにブツが残るのはイヤだから。コミックは貸本屋で借りて読むって人が多いんじゃないか。

● CDやDVDについては曲がりなりにも制作者側との協議は経ていると思われる。
 が,コミックの場合はどうなのだろう。「出版物貸与権管理センター」なるものがあって,作者にお金が流れる仕組みはあるようだけど。

2015年5月15日金曜日

2015.05.10 尾田栄一郎 『ONE PIECE STRONG WORDS 下巻』

書名 ONE PIECE STRONG WORDS 下巻
著者 尾田栄一郎
発行所 集英社新書ヴィジュアル版
発行年月日 2011.04.20
価格(税別) 760円

● 巻末の内田樹さんの「解説」が面白かった。ここを読むためだけに,この本を買う価値はあった。

● その「解説」からいくつか転載。
 本格的にスポーツをやっている人や,あるいは自然科学の最先端で仕事をしている人なら,すぐに納得してくださると思いますけれど,ある定型的な「増量法」でごりごりやっている限り,どうしても超えることのできない壁にぶつかります。その壁を超えるためには,発想を根本から変えるしかない。どういうふうに変えるかは分野によって,課題によってさまざまですけれど,いずれにせよ「コペルニクス的転回」が必要です。(p187)
 「この人と一緒に仕事をしいたいか,したくないか」ということは言葉を交わさなくても自分の身体が反応する。自分自身の内臓のわずかな緊張や脈拍や体温の変化,そういうものをていねいにモニターしていると,「この人と一緒に仕事をしいたいか,したくないか」はわかる。 面接する相手を仔細に観察して情報を得ているわけではないのです。自分を観察しているのです。(p194)
 僕たちはふつう自分の強さや才能といったプラス要素を誇示すれば,人々の尊敬や愛情を獲得できると考えています。でも,ほんとうはそうではない。僕たちは「あなたなしでは生きてゆけない」という弱さと無能の宣言を通じてしか,ほんとうの意味での「仲間」とは出会うことはできない。そういうものなのです。(p195)
 僕たちは「あなたなしでは生きてゆけない」という言葉を聴くと深い感動を覚える。それは,その言葉が「だから,あなたにはいつまでも健康で,愉快に,生き続けて欲しい」という強い予祝と祈りの言葉を伴って到来するからです。「あなたなしでは生きてゆけない」という祈りを向けられたものは,その懇請に応えるために「私は生き続けなければならない」という強い使命感を感じます。 予祝と使命感がどれほど人間の生きる知恵と力を高めるか,それは例えば幼児と母親が互いに見つめ合うさまを見れば理解できるはずです。(p196)
 たしかに,「誰の支援もなしに私は生きてゆける。私は誰にも迷惑をかけたくないし,誰からも迷惑をかけられたくない」と宣言する人もある意味では「強い」と言えます。でも,その強さには限界がある。というのは,そのような「自立」した個人には,その人に「死なれては困る」という人がいないからです。その人が仮に疲労の極,絶望の淵に立ったとき,死の限界を超えてもなお踏みとどまることができるでしょうか。僕はむずかしいと思います。(p197)
 僕はこのウソップという登場人物の造形の巧みさに,作者尾田栄一郎の天才性を感じたのです。(中略) ウソップの「責務」とは何でしょう。それは(中略)「ウソをつくこと」です。言い方を変えれば「物語を語ること」です。その才能が集団的なパフォーマンスに必要不可欠のものであるという理路は,ルフィもほかの乗組員も誰もうまく言葉にすることができません。でも,実はそうなんです。あらゆる集団は,「その栄光の冒険譚を末永く語り継ぐ」ストーリーテラーを含むことなしには,そのポテンシャルを最大限まで発揮することはできない。その貢献は,ある意味で,個別的な超人的身体能力のもたらす貢献を大きく上回ります。(p199)
 「自由な」とは,生きる知恵と力を最大化するためには,何をすることもためらわない,そのような開放性のことだとぼくは理解しています。自分なりの「こだわり」とか「美意識」とか「スタイル」とかいうものがあって,それを外すとうまく生きることができないと言っているうちは,まだまだ「自由な人間」とは呼ばれません。(p204)
 ルフィは自由です。仲間の誰よりも自由です。ほとんど無文脈的に自由です。「これまでのいきさつ」とか「ものごとの筋目」といったことはルフィの判断や行動を規制しません。ルフィが気にするのはただ一つ。それが自分にとって「楽しい」かどうか,それだけです。 もちろんこれは平凡な快楽主義とはまったく別のものです。快楽主義者たちは「説明」したがるからです。(p204)
 その人が発する言葉の重さと,そのコンテンツの「政治的正しさ」の間には相関関係は(ほとんど)ありません。むしろ,論理的に正しい命題だけを選択的に語っている人間の言葉はしだいに重みや深みを失っていく。そういうものです。正しい命題は言い換えを嫌います。だから,しだいに録音された音声のリピートのようなものになっていゆく。そういう言葉は人に届きません。(p206)
 僕たちの身体の奥には,そこから言葉が湧き出てくる「マグマ」のようなものが,熱を発して生き生きと活動しています。その「マグマ」からときどき間欠的にボコボコと気泡のように言葉が湧いてくる。それは用意されたものでもないし,検閲されたものでもないし,推敲されたものでもありません。だから,状況や条件が変わるたびにそのつど変わる。でも,源泉は一緒なので,どんなに表現が違っていても,「つじつまが合っている」んです。「マグマ」から湧き出す言葉は重く,深く,熱く,しっかりとした手応えがある。(p207)

2015年5月14日木曜日

2015.05.10 尾田栄一郎 『ONE PIECE STRONG WORDS 上巻』

書名 ONE PIECE STRONG WORDS 上巻
著者 尾田栄一郎
発行所 集英社新書ヴィジュアル版
発行年月日 2011.03.14
価格(税別) 760円

● 『ONE PIECE』のアンソロジーといっていいんだろうか。作家のエッセイや小説から文章を抜きだして1冊のアンソロジーを編むことはしばしばあるように思うんだけども,漫画から「STRONG WORDS」を抜きだすというのは,『ONE PIECE』以外に知らない(あるのかもしれないけど)。
 ただ,漫画からその一部だけを読むってのは,さほどに面白いものではないですね。ストーリーや展開があっての言葉(台詞)なのだろうな。

● ぼくは,じつは『ONE PIECE』は読んだことがない。テレビアニメは見てた。ムスコがまだ小さかった頃だから,15年も前の話か。
 圧巻だと思ったのは,クロコダイルだね。魅力的な悪役だったと思う。で,クロコダイルの巻が終わると,アニメも見なくなっちゃった。
 映画化されたものは,その後もムスコと見たことがあるけど。

● 解説を内田樹さんが書いている。『ONE PIECE』を「昭和残侠伝」になぞらえている。ルフィたちは支配者に刃向かう者なんだけど,体制自体は認めている,というようなことが語られる。

2015年5月13日水曜日

2015.05.10 舛岡はなゑ・ひらいみも 『開運つやメイクと魔法の法則』

書名 開運つやメイクと魔法の法則
著者 舛岡はなゑ
    ひらいみも(絵)
発行所 PHP
発行年月日 2012.11.19
価格(税別) 1,200円

● いくつか転載。
 まずは誰からも愛される笑顔の訓練が大切です。笑顔って簡単に言うけれど,ほとんどの人は練習しないとできません。鏡の前で最高の笑顔の練習をしてみる。毎日やってこれだという笑顔にめぐりあうまで十日くらいはかかるものです。(p13)
 しあわせな人って,顔から何から全部,幸せな人の役作りしてるから,もっとしあわせになるんだよ。不幸な人は,見事に不幸な人の役作りしてるの。(p15)
 あなたの仕事の能力が一〇とする。あなたが笑顔で楽しく働いている姿を上司が見ると,「おっ,ガンバってるな」と目をかけたくなる。能力の一〇×,見た目一〇,イコール自分の値打ちはなんと一〇〇なんだよ。ところが,能力だけだと一〇の評価しかもらえない。(p16)
 顔って自分が釣りたいもののエサみたいなものなんだよ。鯛を釣りたかったら,ミミズじゃダメなんだよ,キレイなエビじゃなきゃ鯛は釣れないよ(p25)
 不思議なんだけど,生まれつきキレイな顔よりも,ちゃんと手入れしてキレイにしてる顔のほうが飽きないよな。(中略) それは,顔立ちだけの問題じゃなくて,以前の自分にはやれなかったこと,難しいことにも挑戦して,どんどん自分を磨いている内面が顔に出るからなんだよ。こういうのを“克つ”というんだよ。生まれつき顔立ちのいい美談美女は“勝つ”なの。それで,自分を改良して克ってきた人間と,生まれつきの“勝つ”が魅力競争したらゼッタイ“克つ”が上。(p34)
 素材がザンネンであればザンネンであるほど,上がり幅がすごいんだよ。見てる側の人間は,そこに魅力を感じちゃうんだよね。 だから,魅力というのは「ここから,ここまであがった」という距離感。どのぐらい高いところにいるか,じゃなく,どのぐらいあがったか,なの。(p37)
 自分用ならまぁいっか-ついやってしまいがちですが,もしかすると,そんな考えでいるあなたは自分を大切にしていないかもしれません。(中略)自分で自分を大切にしない人は,他人からも大切にされない-という法則があります。(p55)
 腸がキレイだと判断を誤らなくなり,不安や心配、ストレスが軽減。マイナス思いからも解放されるので顔のくすみもとれます。(p59)
 腸をキレイにするために,これを食べるといいよと紹介されているのが,ポン酢納豆。「納豆に味ぽんを加えてまぜるだけ」というもの。
 ぼくも食べてみたんだけど,ご飯のおかずというより,それ単独で食べたほうがいいみたい。サプリのつもりで食べ続けようと思う。
 たしかに,便の状態が良くなったような気がするのでね。
 同じような顔立ちでも,ステキな顔に見える人と,そうでない人がいる。その原因はいろいろあるけれど,一つあげるとしたら,自信というか,強気。(中略) ここで,わたしは言いたい。メイクは強気を引き出す魔法です。(p80)
 それで「ちょっと」「ちょっと」ってやっていくと,誰でも行けるんだよ。意外と「ちょっと」って早いんだよ。だって,三階までジャンプしてこいって言われても無理だけど,階段を昇っていけば三階なんてすぐつくだろ。(p83)
 わたしは先日「松田聖子さんはスゴい」と思ったんです。なぜかというと,いくつになっても若々しいこともあることながら,自分を魅力的に見せることに余念がない。彼女の手の動きなんかを見ると,バレエとか習ってそうだし,他にもいろいろ身分を磨いているに違いない。それって,現状維持でいいわと思ってないワケで。だから,考え方ってすごいんです。行動はもちろん,顔立ちも変えちゃう。(p107)
 考え方を磨くって,言葉を磨けばいいんです。なぜなら,言葉が考え方だから。(p108)
 神さまは才能のあるひとにしかハンデをくれない。ハンデをものともしない強さを持ってるから,ハンデをもらえるのであって。だから,ハンデを損だと思うのって,損。(p108)
 魂は上に向かって,神に向かうほうが,ゼッタイに,しあわせなんだよ。(中略)横に歩いてる人間も落っこってる人間も,楽しそうな顔してないよな。『誰か,自分の苦労をわかって』っていう顔をしてる。そういう顔して生きてたら,自分もつらいけど,周りの人も不幸だよ。(p119)

2015.05.09 鶴見辰吾 『とことん自転車』

書名 とことん自転車
著者 鶴見辰吾
発行所 小学館新書
発行年月日 2015.02.07
価格(税別) 720円

● 2010年に刊行された『気がつけば100㎞走ってた』をアップデートしたもの。

● 以下にいくつか転載。
 とにかくおんぼろマウンテンバイクにまたがった瞬間にぼくの「自転車劇場」の幕が上がり,あとはまるで早回しの映画を見ているかのように次々と新しい場面が展開していったわけだ。(p25)
 これは自分の経験からもよくわかる。ぼくの場合は2010年6月に数十年ぶりに自転車に乗った。片道28キロの自転車通勤だった。往きはよいよい復りはこわいの典型で,帰りは尻は痛くてどうにもならなかった。走っては休み,走っては休みで,這々の体で帰宅したんだけど,7月には下館まで自転車で往復してた。
 それまで下館って遠いところだった。小山経由で水戸線に乗り換えて行くところだった。が,自転車だったら,五行川をまっすぐ下っていけばいい。近いところだったんだなぁと思った。
 自転車のいいところは,だれにでも簡単に乗れることだ。子どもからお年寄りまで,男女問わずに楽しめるものだし,特別な運動神経もそれほど要求されない。(p41)
 実際,大人になって自転車に親しんでいる人って,かなりの割合で,運動音痴だった人が多いのだと聞いたことがある。あと,登山(とは言うまい。山歩きと言っておこう)を趣味にしている人も。
 自分もそうだから,この話は納得できる。
 このまま,60代,70代,そして80代になっても,自転車を続けられる体でいることが目標だ。(p42)
 自転車に乗っているときは案外いろいろなことを考えている。(中略)サドルの上はアイデアがひらめく場所でもある。(中略)自転車は楽しみながら体力作りができるうえに,頭のなかを整理したり新たな発想を得たりするのに最適だ。(p43)
 疋田智さんも同じことを書いていた。逆に,何も考えないでペダルを漕いでいることもある。自転車禅とでもいうべき状態だ。
 ヴァイオリンならどうだろう。高いものなら1億円以上する名器もあるが,いい音色に値段はつけられない。自転車も素晴らしい走りを味わえる喜びがある。その喜びの対価として100万円,150万円という値段は,けっして現実離れした数字ではないと思う。 自転車はいわば相棒だ。せっかくなら,ぼくは最高の相棒と組みたい。(p48)
 ぼく自身,仕事場に毎日乗っていくわけではない。週に1回がいいところだ。ぼくの場合は毎日同じところへ「通勤」するわけではないが,乗る条件(「乗れる条件」ではない)を設けている。距離は片道40キロ以内のところ。あるところで仕事をして,そこからまた移動しなければならないときは自転車では行かない。「仕事が深夜までずれこまない」「雨が降っていない」などの条件も付けている。 乗る条件がそろわないときは乗らない。そう決めておくのが,自転車を長く楽しむためには大事なことだ。(p50)
 仕事で海外に行くときも,ぼくは可能な限り自転車を持っていく。仕事の合間を有意義に過ごせるし,何よりその街がいっそう好きになれるからだ。(中略) 現地に着いてまだ何日もたっていないのに,なんだか昔からこの街に住んでいたのではないかと錯覚してしまうほどだ。それに街の人も,ぼくが自転車で走っているだけで,「地元の人」という扱いをしてくれるから,いよいよ街に溶け込んでいるという気分になれる。(p82)
 なるほど。そうだろな。やってみたいね,これ。
 さて,どの一台にするべきか? 雑誌やカタログで念入りに調べるのもいいが,最終的には見た目でいちばん気に入ったものを選ぶというのがぼくのおすすめだ。(p98)

2015年5月12日火曜日

2015.05.09 爆笑問題 『対談の七人』

書名 対談の七人
著者 爆笑問題
発行所 新潮社
発行年月日 2000.12.20
価格(税別) 1,200円

● 七人とは,なぎら健壱,立川談志,淀川長治,小林信彦,橋本治,山田洋次,ジョン・アーヴィング。
 対談当時,爆笑問題の二人は33歳。その年齢で,こういったそれぞれの分野の第一人者とさしで話ができるんだねぇ。
 この時点で,漫才の寵児になっていた。一目置かれる存在だった。

● なぎら健壱との対談から。 
 太田 お笑いと関係ない人の方が,簡単に「つまんない」って言うんですよ。 なぎら そうなんだね。ああいう言い方が,どんなふうに芸に響くか,わからないんだね。(p14)
 審査員にホントのことは番組中に言ってほしくないんですよ。カメラ回ってないとこでアドバイスされるのはいいけど。お笑い番組という前提があるんだから,そこでの審査を,どこまでお笑いにできるか,考えていない審査員が多すぎる。(太田 p15)
 実際に起きた面白い出来事を面白く話すのは楽だが,なぎらさんの場合は,何も起きていない所から,くだらない出来事をでっち上げるのだ。(中略)しかも,なぎらさんの話は聞いた方にとっても,話した方にとっても,何の得にもならない。何の意味もない話ばかりである。 こういう話を人間は,なかなか創造できるものではない。大抵,どこかに意味を持ってしまうものだ。(太田 p36)
● 立川談志との対談から。
 電車は好きなんだが,庶民に出会う。この庶民の横暴さには腹が立ってねぇ。こっちが捕まらないですむ「庶民の殺し方」,何かないものかなと思って。いや本気だよ。(談志 p42)
 最大公約数的判断はあらゆる部分において,もはや現代では保たないのです。で,例えていうと,俺にとって最大の悲しみの表現は“お茶を飲むこと”だという,このイリュージョン。で,この行為,このイリュージョンを観客に納得させた時,天才になるわけです。(談志 p53)
 五十まで勝手なことをやってりゃいいや。何やったっていいよ。ということは,何でもやんなきゃダメだ。(談志 p56)
 売れるってことは,誰かに自己を確認されることです。その確認してくれるのが,多数であった方がいいのか,自分が満足できる少数であればいいのかという問題がある。三枝や小朝は「たくさんの人に認められたくて,やっている」と言ってたけど,しかし,そもそも彼らの芸は多数には売れるが,高級な客には売れる芸じゃないんだ。(談志 p58)
 芸人は金を使って,酒と女,遊びが芸の肥やしになるなんて嘘だよ。絶対,金は自分のために使う時が来るから,貯めとけよ。(談志 p61)
 人間は,何か答えたいんだろうな。何か喋りたいものなんだよネ。何なのかネ,そんな重大なことでなくても,他人に伝え,自分が納得することによって人間生きているのかも知れナイネ。してみりゃ話題なんて何でもいいのかも知れない。(談志 p65)
● 淀川長治との対談から。
 ほんとに見てること,尊敬していること言いたくて,いろいろやっているうちにね,とうとう質屋の番頭さんのマネしちゃったの,本人の目の前で! チャップリンに番頭さんの演技してみせたの,世界中でぼくだけだよ。 そしたら,「君,中へお入り」って船内に招き入れられた。中に入っておしゃべりしたの,四十二分間,たった二人きりで。僕にとって,これは一生の誇りで名誉。ほんとに愛して本気で惚れたら,怖いことなんてないんだね,人間には。(淀川 p78)
 やっぱり映画にはスターがいりますよ。スターがいないと,映画がつまらなくなる。(淀川 p96)
● 小林信彦との対談から。
 〈芸人の勝負どころ〉ってあるじゃないですか。それが森繁さんの場合,あの映画(夫婦善哉)だったんですね。渥美清も,「男はつらいよ」はTVドラマの時から「勝負だ」と言ってましたよ。そういう時期って絶対あると思うし,勝負できるのも才能だと僕は思いますね。(小林 p107)
 そういう〈勝負どころ〉を全然考えなかったのが,フランキー堺。(小林 p107)
 志ん朝さんは,自分の芸の解説というか,言い訳をしないじゃないですか。あの姿勢が本物ですよ。渥美清もそうでしたけどね。(小林 p114)
● 橋本治との対談から。
 引いたポジションで一言言って笑わすのも考えるんですけど,あれって,すごく完成度の高い言葉が浮かばないと言えないんですよ。だから臆病になる。でも,テンション上げてダメでもなんでも言っちゃえってやり始めると,けっこうそこから道が開けてくるみたいになって。さんまさんも,おそらくハズレもいっぱい言ってると思うんですけど。(太田 p135)
 「芸術新潮」で「ひらがな日本美術史」なんて連載を平気でやれるのも,芸術見てもべつに偉いともなんとも思わなくて,面白いかつまらないか,きれいか汚いかしか感じないから。(橋本 p154)
 橋本 書いて渡すと,「うちの読者にはこういう高級なことはわかんない」って返されてくる。(中略)でも,平常心を保てたのは,さすがに書き直しが三回までだったね。四回目になると,ちょっとキレそうになった。そういう人たちをお客さんにしないとダメかな,と思ってやってたんだけど,最後はここまでつまんないことやってウケてもしょうがないやってところに,やっぱりいっちゃう。(中略) 太田 でも,お笑いやってると,いいやとは思えないんですよ。どんなにベタでも笑いの量が多いほうが絶対うれしい。(p160)
● 山田洋次との対談から。
 中学校に行ってみて,何度も一緒に授業を受けたんだけれども,みんな実に退屈だろうなと思った。この退屈さに耐えているのかと思うと,とてもいとおしい気分になったね。(山田 p190)
 渥美さんはきちんとセリフを言ってくれる人だったけれども,本当にいい状態の時,集中力が高まってくると,ふっと無意識にアドリブが出るんです。(中略)「それを言っちゃおしまいよ」と言ったのはアドリブね。こんなセリフ,彼の生い立ちの中で獲得した表現なんだろうね。(山田 p192)
 「労働者諸君!」っていうのも渥美さんのアドリブ。基本的に観客は労働者ですよね。(中略)悪口を言うのに観客が笑う。森繁久彌さんが「そこがニクイ」って言ってた。「俺には言えないよ。俺が言ったら,観客は怒るだろう。『なんだ,偉そうに。大きなヨット持っていやがって』と。清だって俺と変わらない出演料と取っているだろう。それを観客は重々承知していても,清の悪口は許すんだ」って。(山田 p192)
 作る方がくたびれちゃうと,だらしなくなるんですよ。発想が生まれなくなって,ある一線まで踏み込んじゃえば上手く転がっていくんじゃないかって,安易な作り方になっちゃう。(山田 p194)
 太田 寅さんで一番凄いなと思うのは,お茶の間でおいちゃんはじめ,みんなを相手に,帰ってきた寅さんがいろいろ仕方話をするじゃないですか。喜劇の中にもう一つ喜劇が入ってる,その劇中劇みないな話術の凄さに憧れたんです。 山田 僕たち,現場であれを「寅のアリア」って呼んでた。(中略)それをできる役者はちょっといないですよ。映画の中でまた別な世界を作り上げちゃう。渥美さんのは,所謂「芸」とか「技」じゃないように思うんだ。(中略)なんか渥美清個人の生き方がそのままスッと画面に出てくるというかな。それを観客もどこかで分かってる,そういう質の芸だと思えてしようがないのね。(p196)

2015.05.07 水野敬也・鉄拳 『それでも僕は夢を見る』

書名 それでも僕は夢を見る
著者 水野敬也
    鉄拳(画)
発行所 文響社
発行年月日 2014.03.24
価格(税別) 986円

● ゆっくり読んでも10分で読める。夢を捨ててはいけないよ,といいたいのかね。どんな人生でも生きてるだけで素晴らしいということを言いたいようでもあるが。

● であれば,明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」のほうが,簡潔かつスマートだな。

2015.05.04 中村天風 『幸福なる人生 中村天風「心身統一法」講演録』

書名 幸福なる人生 中村天風「心身統一法」講演録
著者 中村天風
発行所 PHP
発行年月日 2011.11.09
価格(税別) 1,900円

● まず,いくつか(というには多すぎるか)転載しておく。
 人生は,悟ったように見えるとか,悟ったような気持ちになるというような薄っぺらなことじゃ,解決がつかないのですよ。どんな場合があろうとも,牢乎として抜くべからざる強さが心につくられなきゃだめです。 変化変転極まりなき人生の荒海の中を生き抜く際,何かちょいとした健康上,運命上のこわばりのあるたびに揺る動かされるような心だったら,いくら目に万巻の書を読み,耳にどんな美しいことばを聞いたからとて,煙が風に吹かれていくようなものです。(p121)
● ではどうすれば,そうした強い心を作ることができるのか。たとえば,次のようなことだ。
 難しく考えるてえと際限ない。易しく考えて易しくおやりなさい。一番いい方法を教えてあげるから。 寝際に,いろいろな心配や煩悶が起こるのは,普通の人間なら当然でしょう。況や健康に障害があったり,運命に障りがあれば,何かと心に浮かんでくるのは当然でしょう。感覚があったり,神経がある以上は。けれど,枕に頭をつけたら一切それを心の中に考えさせない努力を習慣づけることです。努力して習慣づけると言うほうがわかるかな。 「身に降りかかることを考えずにいられるか」というようなことを言うからいけないんだ。どんな大事件だろうと,その晩考えなきゃ解決のつかないというような事柄など,めったやたらとあるものじゃないよ,人間の人生に。(p130)
 もう今夜からこういうふうにしてごらん。消極的なことが心の中に浮かんできても,それに一切関わり合いをつけないようにするの。「思い浮かばせちゃいけないぞ」とは言わない。言ったって出てくるもん。出てきても,そいつは相手にしないことなの。冷遇しなさい。何もそれを優遇する必要はない。(p130)
 関わり合いをつけない練習を効果づけるのには,どんなことでもいいから,思うほどに,考えるほどに自分の心が何となく勇ましく,微笑ましくなるようなことだけを考えてりゃいい。 観念の世界は自由だ。楽しいこと,面白いこと,嬉しいこと,自然と微笑まずにはいられないようなことを考えればいいんだ。そのぐらいのことを考えられる心は持っているでしょう。(p131)
 言葉に常に注意深く,どんなことがあっても消極的な言葉を出さないように,日常生活を営む際,自分の言葉を自分自身が取り締まっていかなければいけない。弱音,悲観,失望というようなものを表現する言葉を使っちゃいけない。(中略)言葉は自己感化に直接的な力を持っているのよ。しょっちゅう泣き言ばかり言ってるやつの人生というのは暗いです。(p140)
● さらに,たとえば次のようなことだ。
 尻の穴を締めることを一番先に習慣づけなきゃだめよ。見えないところだから開けっ放しにしておいてもいいと思うかもしれないけれども,これは開けっ放しておくべきところじゃないもの。(p211)
 息を少し長く深く穏やかにするということをやるっていうと,それで今度はさらにクンバハカ応用のプラナヤマ,活力の吸収という尊い方法が行えることになる。(p214)
 何をするときもパッパッと気を打ち込んでやるとね,これはもう意識を明瞭にする,すなわち,とらわれから離れて,はっきりした気持ちになる。これが最上の手段です。これ以外に手段はない。 気が散るというのは,打ち込まれていないから散るのです。気が散ったために打ち込まれないんじゃなくて,打ち込まれないから気が散るの。(p223)
 たとえば,心の中に百の力があるとするでしょう。このまま気が散らずにいれば,そのままあるんだ,心の中に。あなた方ともなるってえと,十は食い物に,十はお金に,十は恋に,十は心配に,十は健康に,十は煩悶に,といった具合に気を散らしてしまうんだ。すると心には四十しか残ってねえ。(p224)
 ただ漫然と何の用意もなく,準備もなく,反省もなく,思うがままに思う,考えるがままに考えるというような状態でやっていくってえと,この肉体本位のまがままいっぱいに振る舞おうとする本能心だけが心の全体を占領する。 もちろん理知教養を受けてくると,そこへちょいちょい理性心というやつが首を出してくる。「だめだ,そんなこと思っちゃ」ということは言うのですよ。だけど,力のないヨボヨボの姑が口やかましく五月雨小言を言っているのと同じでもって,本能心が言うこと聞きやしねえ。(p237)
● また,次のようなことも。
 「まず目的を定めろ。人生のデスティネーションができなかったならば,あてどもない旅に出たと同じじゃないか。だから目的を定めて,その目的に向かって勇往邁進しろ」というのが,今も昔も学者や識者が後輩を教えるときに必ず言う言い草なんです。私はそれに賛成しないのであります。なぜかというと,目的を定めてやると,焦りが来るからです。「まだか,まだか」という焦りが来ると,ファイトに傷がつくんです。これは大事なところだから聞きなさいよ。普通の学者や識者が言うこととは全然違いますよ。がむしゃらでもいいからファイトで行くんです。(中略) われわれの持っている人間に与えられた知識の範囲というものは知れております。それでとやかく思案していたら,この時代に本当のファイトが出ますか。(p155)
 とにかく縁があってあなた方が今の会社にいるのならば,そこでベストを尽くすんです、ベストを尽くすことに対して誰も文句を言う者はいないんだもの。(中略) がむしゃらなファイトというのはベストのことなんだ。がむしゃらというと言葉が下等になるけれども,結局,右顧左眄するなということですよ。右を見たり左を見たりしていると,躊躇という心が出てくる。(p163)
 靴ひとつ磨いたからとて,桶ひとつ洗ったからとて,自分のしてる仕事に対しては自分自身が尊敬を払わなきゃ。ところが現代人は非常に重要なポストを与えられて,普通の人よりもはるか上回った仕事をさせられると非常に尊さを感じられるけれど,たとえば課長級の人に,「おい,ちょっとおまえ,きょう受付しろ」とか言ったらしやしませんよ。「ばかにしやがって,おれは課長じゃないか」と。(p166)
 石橋を金で叩いてるような,薄い氷の上をおっかなびっくり渡っているような人生を生きてたら,そのままあなた方の人生は萎縮しちまうぜ。空気の抜けた風船みたいになっちゃう,どんなに学問しようが,どんなに経験積もうが。 結局,当たって砕けろです。無茶な考えであるかもしれないけれども,ベストを尽くして行きさえすれば当たっても,向こうのほうが砕けちまう。(p169)
 がむしゃらという言葉を考えてごらん。「がむ」とは我を無くしちまえということ。感情や感覚が我なんですから,これを捨てちまうのが,がむしゃらです。(p173)
 大抵の者は我慢しきれなくなっちまうんですよ。追い詰められたとき,生きる道を見出す時間が待ちきれなくなって,大抵は自分の命を落としてしまうようなばかげたことをやっちまうんです。忍耐力というものは,結局,胆力と相対比例していますから。(p184)
● 天風会の心身統一法は体系だった修法がある(と思う)んだけど,中心になるのは「観念要素の更改」だと思う。心を積極化する方法。
 寝入りばな,鏡に映った自分に,おまえは信念強い,とつぶやく。これを子供だましだと受けとめる人もいるだろう。
 しかし,天風会に限らず,このやり方しかないのじゃないか。斎藤一人さんの場合は,言葉が大事だよという(天風さんも言葉は重要視する)。強気になりたければ,「強気,強気,・・・・・・」と言ってればいい,3ヶ月も経てばすっかり強気になっている,と。
 つまり,言葉によって「観念要素の更改」を行おうというわけだ。しかし,これまた子供だましじゃないかと感じる向きもあるだろう。

● ところで。天風さんと斎藤一人さんの違いのひとつは,食に関する見解だ。天風さんは肉食を戒めるのに対して,斎藤さんは肉も食べなきゃダメだよと言ってるからね。
 草食動物に共通な特徴は臆病なこと。驚くだけでショック死する動物だっている。人間も同じ。肉しか食べないというのはいけないけれども,酸っぱいものと一緒に食べればいいよ,と。
 動物性のタンパク質は,医者の言うとおり消化しやすい。消化しやすいけれど,消化する際に副産物として尿酸という酸が生じる。こいつがおっかないんですよ。(p265)
 肉を食う者だけに限って存在する痛風という病がありますわ。(中略)それから水虫。これなんかも肉食をしている者には多いんだ。そして病に罹っても治りが遅い。その上,とかく難病に冒されやすい。(p267)
 本当に人間らしい活動を完全にしたいと思う者は,肉食を控えなさいよ。断然するなと言いたいけれど,これ,あなた方の現在の文化生活ではできないことだから,まず比率を三割にする。(p279)
 経済の問題からいくてえと,動物性のものを食ってるほうが安上がりなんです。この節,果物なんていうのはびっくりするほど高いもんね。けれど,最後の締めくくりで考えてごらん。安いなと思って食ってるもので病気したら,高いものになるね。普段ある程度の金払って食ってるもので病気しなかったら,そのほうが安かねえか。(p290)
● 天風会の会員累計はかなりの数になるのじゃなかろうか。斎藤一人さんの本の読者も相当な数に昇ると思う。
 が,天風会の会員で,天風さんの高みにまでは行かずとも,心を積極化できた,それ以前とは違う自分になれた人って,ひょっとしたら皆無に近いのではあるまいか。「一人さん仲間」も同じだろうと愚察する。
 天風会があろうとあるまいと,中村天風は最初から中村天風であって,その因って立つ由縁は「観念要素の更改」では説明できないのではないか。

● しかし,天風さんはこうも言っている。
 あなた方の一番いけないところは,自分でこしらえた一つの見えない偶像をあまりにも崇拝しすぎることですよ。人が偉いというと,自分が近寄れないほどとびきり偉いように思ってしまう。やれキリストが偉い,釈迦が偉い,マホメットが偉い,孔子が偉い,イプセンが偉い,ソクラテスが偉いって,見たこともないくせしやがって,何かとんでもなく偉いもののように考えて,自分なんか寄りつけないように思っている。だから,いつまでたってもあなた方は下積みでもって,憐れな惨憺たる人生に生きるのだ。(p124)
 私とあなた方と大した差はありゃしないぜ。ただ,ここに立っているか,そっちに座っているかだけなの。裸にしてみろ,私だってへそは一つだ,二つあるわけじゃねえんだ。(中略)だから,及びもつかない,そばにも近寄れないほど偉いなんて思いなさんなよ。(p124)

2015年5月10日日曜日

2015.05.03 畑農敏哉 『アマチュアオーケストラに乾杯! 素顔の休日音楽家たち』

書名 アマチュアオーケストラに乾杯! 素顔の休日音楽家たち
著者 畑農敏哉
発行所 NTT出版
発行年月日 2015.04.30
価格(税別) 1,700円

● オーケストラに関しては,CDで聴くのと生演奏を聴くのとはまったく別の体験だと思っている。どちらがいいという問題ではない。どちらかだけでいいという話でもない。
 正確にいうと,生演奏を聴ければCDは聴かなくてもいいかと思うけれども,星の数ほどもある楽曲の中で,生で聴ける機会があるのはごく限られた一部になるから(ならざるを得ないから),CDは聴かないという選択肢は事実上,ありえない。

● で,生演奏をセッセと聴くようにしてるんだけど,プロのオーケストラしか聴かないっていう人もいるに違いない。定評のある楽団で聴くのが間違いないからね,っていうね。
 ぼくの場合は,メインはアマチュアオーケストラになっている。理由はすこぶる単純で,栃木の田舎に住んでいると,地元で聴く機会が多くなるのは,どうしたって地元の市民オケとか学生オケになる。
 もうひとつ,チケットの料金の問題。アマチュアは安いわけで。中には無料だったりする。5千円とか1万円はそうそう出せないもんなぁ。そうした経済的な事情。

● ぼくの知りあいにもアマオケで活動している人が,一人二人はいる。だけど,どうも寡黙というか,オケ活動について自分から喋るっていうふうじゃないんだよなぁ。
 で,本書を読んでみましたよ,と。何せ,個人的な気持ちとしてはひとかたならぬお世話になっている人たちだから,彼ら彼女らがどんなふうに練習や本番をこなしているのか,一回の演奏会を催行するのにどんな苦労があって,どれだけお金がかかるのか,そういったことをひと通りは知っておきたい。

● 管楽器をやっている人は,カラオケ店に行って練習することもあるそうだ。言われてみれば,同じことを知りあいから聞いたことがあったかもしれない。
 もっとも,栃木ならばカラオケ店以外にも練習の場所はあるのかも。原っぱとか河原とか。東京だとそうもいくまい。カラオケ店は貴重かもなぁ。間違ったって,アパートやマンションでやるわけにはいかないものなぁ。
 車の中で練習する人もいるそうだ。そこまでやるかという感じだな。

● アマオケの数は年々増えている。問題は聴衆は増えていないってこと。これから大きく増える余地もそんなにないように思う。
 むしろ,減るんじゃないか。人口が減っているんだから。日本って音楽大国で,ヨーロッパを含めても,これほどさかんにコンサートが開催される国ってあるんだろうかと思う。
 とすれば,聴衆も開発され尽くしていて,潜在的な顧客がそんなに大量に眠っているとも考えにくい。

● 一方で,会場が足りなくて争奪戦になることもあるらしい。主には東京での話なんだろうけどね。
 平日には開催しにくいだろう(お客が来ない)から土日祝日に集中するし,時期的な偏りもあるのかもしれない。
 ホール自体はかなり増えている。さらに増やすことにはなかなかなってこないと思う。

● 音楽にしろ草野球にしろ落語研究会のようなものにしろ,ひとつの団体が何の問題もなく活動できるなんてことのあるはずもない。
 それはそうなんだけど,オーケストラのように大人数でやるものには,それ特有の悩みもあるようだ。

● 最後にコントラバス奏者の苦労話が出てくるんだけども,たしかに車がなかったら手も足も出ないですよね。

2015年5月9日土曜日

2015.05.02 吉本隆明 『吉本隆明 最後の贈りもの』

書名 吉本隆明 最後の贈りもの
著者 吉本隆明
発行所 潮出版社
発行年月日 2015.04.20
価格(税別) 1,600円

● 詩歌論。吉本さんの詩や短歌,俳句に対する考えが直截に述べられている。語りを文字にしたものなので,読みやすくもある。
 が,それでもぼくがどれほど理解できたかは,少々以上にわかりかねる。

● 新海均さんが「はじめに」を書いている。茂木健一郎さんとの共著を作ったときの,茂木さんの対応にチクリとコメント。
 多忙な茂木さんが半年を経過しても原稿に手をいれてくれないことを詫びると「いいですよ。気にしないでください。待ちますから。こっちも仕事が減って楽ですから」と、気配りの行き届いた返事をしてくれる。結局,本が出たのは,二〇一二年六月。吉本さんが亡くなってからになってしまった。(p4)
 自分が閑職に異動させられたとき(本人は左遷と受けとっていたようだ)の,吉本さんから励まされたことも書いている。
 二〇〇七年二月,私は編集部から外れ,校閲部に異動となったので,挨拶に行った。すると,「・・・・・・で,体は楽になった? 給料は減った? 変わらない? 変わらないんだったらいいな。俺だったら,自家製の勉強をするな。チャンスですよ。(会社には)知らん振りして・・・・・・。ぜひチャンスを生かしてください」と大きな声で言う。(p6)
● 日本語の音構成についての,吉本さんの指摘。
 子音の第三列音に「あいうえお」をつなげて,それを短縮していくと,「か」今日なら「か」行の,「さ」行なら「さ」行の音自体が表現されます。日本語の五十音はほとんどこれで理解することができます。(中略) そこから大きくはずれるのは「や」行音と「わ」行音です。いくら母音と子音を重ねても,「や」行の音と「わ」行音は出てきません。ということは,「わ」行音と「や」行音はちがう原則にのっとっているに相違ない。それはなにかというと,母音の二つ重ねだと思います。(p27)
 日本語のばあいは,「あいうえお」の母音五音,それに各行の第三列音である「くすつぬふむる」の七音,例外の「や」行音,「わ」行音,「ン」の三音があれば足ります。合わせて十五音で日本語は表現できるということになります。(p29)
● 日本語で書く場合に,外国の流儀を取り入れれば,それだけでグローバルになるか。なるわけがない。
 森(有正)さんのエッセイを読んでいると,なんでここまで入れ込まなきゃいけないんだと感じることがよくあります。あそこまでいったら,「もうフランス人そのままじゃないか,ヨーロッパ人そのものじゃないか」と,ぼくなんかは思います。 じつをいうと,外国の文化や芸術との格闘はそこまでいかなければ意味がないんです。加藤周一のように小手先のテクニックで西洋のまねをしたところで,なんの意味もありません。(p61)
 まず日本語で,日本語の表現でいったら,これが限界じゃないかというところまで行ったら,それはグローバルな意味をもつだろうと思いますね。そうじゃないとグローバルにならないですね。(p124)
 今,グローバル,グローバルって言っているけれども,本当の意味のグローバルはどこにもないよって思います。 地域語同士があるっていうだけです。地域語には,はやっている地域語と,日本語みたいに(中略)(はやっていない)地域語もある。ただこれは,はやりすたりの問題であって,地域語としては同等なんだって,僕なんかはそう思います。(p116)
● その他,以下にいくつか転載。いずれも,オォッと思ったこと。 
 短歌でも俳句でもいいんですけれども,古典の短歌に劣らない短歌をつくる可能性があるとしたら,そこに自分をうち込んだ自己劇化っていうのが必要です。自己の真実に対して自己劇化を加えることが技術的にできれば,多分,匹敵するだろう。(p84)
 地獄という概念で,その人が生まれたことに対しては責任がないはずなのに,そこに責任をもたせたいというのが『往生要集』の一番の要点,理念の最初の要求だと思います。(p96)
 チンパンジーとか,そういうのを研究すると,人間の言葉に一番近い言葉だから,これを研究すると,人間の言葉の本質がだんだんうまく解明できてくるよとかんがえるのと同じことで,それは本当は一番,遠いやり方で,簡単に見当違いをしているっていうふうになる(p122)
 少し前になりますけれども,臨済宗の管長さんが老苦を,老人としての苦しさでもって首吊り自殺をしちゃったことがあるんですよ。(中略) それで,京都で,浄土真宗東本願寺派の集会でおしゃべりに行っていたとき,(中略)(そこにいた坊さんに)聞いたんですよ。 するとその坊さん,(中略)何て言ったかっていうと,「いやあ,臨済宗の管長になるような,修行をして,悟りを開いたそういう人でも,普通の庶民のおかみさんに及ばないっていうことは,あり得ますからね」って言ったんですよ。それで,それだけ言ってもらえれば,僕には,ああ,わかった,わかったと。(p125)
 音楽でいえば,バイオリンとか,ピアノとかで,古典の,モーツァルトならモーツァルトを演奏する人ってあるでしょう。要するにあれは批評なんですよね。批評家なんですよ。(p137)
 歴史というのは,いわばその時代における頂点でかんがえられます。その頂点のところで把らえられやすいし,また,文化の担い手というのは知識的な部分です。知識的な部分というのは,確率的にいえば,わりあいに上層のほうに多いわけです。(p167)
 それから文化,あるいは文学,芸術の世界というのは,一つは場がなければ-場の産物ですからね-進歩していかないという,そういう性質を持っていますから,単独者がどこかで詩あるいは文学をやりというばあいには,単独でじぶん自信がパターン化するまで修練を重ねることをまず前提として必要とします。そのうえで,初めて場を持つものと対等の基盤に立てるわけです。その上でつくられるわけです。だから単独者とか疎外者が,優れた作品を生むのが大変むずかしいというのは,そういうところに一つは依存しています。支配者であれ,支配者に近き存在であれ,文学,芸術とうようなものがえてして,階級的に上層というものにになわれるという宿命を持っていることは大変避けがたいことなんです。(p167)
 例えば、高松塚というのはたまたま壁画がわりあいによく保存されて発掘された。そうすると,高松塚の塚の主,埋められた主はたれであるかというようなことを(中略)一かどの歴史家というものが口角あわを飛ばして論証しようとするわけです。(中略)それらの論証に一様に欠けていることは,高松塚に埋められた主がたれであるかということが,その時代の歴史的な現実の全体からいってどういう意味を持っているんだということがふまえられていないことです。つまり,全体からみれば,そんなことどうだっていいじゃないかということですよ。 (その)自覚なしに,そういう立証にのめり込むということは全くナンセンスだということです。そのナンセンスを素人がやるならいいけれども,歴史学者がそれをやるわけです。そうするとやりきれないです。(p169)

2015年5月8日金曜日

2015.05.02 番外:日経WOMAN 2015年5月号-時間の使い方がうまくなる! ノート&手帳術

編者 安原ゆかり
発行所 日経BP社
発行年月日 2015.04.07
価格(税別) 537円

● まず手帳について6人の実例を紹介。面白かったのは,うち2人が百均手帳を使っていたこと。どちらもマンスリー。
 それぞれの手帳が写真で掲載されているんだけど,百均手帳だからといって見劣りがするわけでもない。そりゃそうだ。手帳はどう使うかが問題であって,何を使っているかは枝葉末節に属する話だ。
 それぞれの使い方に合った手帳は存在するんだろうけど,手帳が使い手を支配するなんてことのあるはずもない(と思う)。

● ノートのほうは,菊池亜希子さんがメインで登場。女優,モデル,クリエーターと紹介されている。才色兼備ですな。雑誌の編集長的な仕事もしているようだから,ハンパないんだろうな。
 ライフのノーブルノート(A4 無地)を使用しているとのこと。しかも,右ページのみを使用。ライフでも裏抜けすることがあるようだ。
 イラストを多用している。絵で何かを伝えることができる人って,それだけですごいなと思う。自分ができないからなんだけどね。

● 対照的に強面の佐藤優さん。1日24時間の行動記録をノートに付けている。こういう人も世の中にはいるのか。コクヨCampusの100枚つづり(そういうのがあることを知らなかった)をひと月に1冊つぶしていくというから,これも大変なものだな。
 ロシア語の個人レッスンも継続している。そこでの収穫もそのノートに書いておく。書き方はとにかく速度重視。乱雑になる。男のノートという気がする
 この人,1ヶ月に300冊読むという超人。

● 方眼ノートの高橋政史さん,東大生ノートの太田あやさんも登場。が,ありていにいうとあまり面白くなかった。っていうか,ちゃんと読む気にならなかった。
 高橋さんのは,あらかじめフォーマットを固く決めておくというやり方。ぼくのダメなところなのかもしれないけれど,それだけで勝手にすればと思ってしまう。

● なぜ,それが自分のダメなところかといえば,ダメじゃんと思うやり方に対する対案をぼくは持っていないからだ。
 ぼくのやり方は,よくいえば無手勝流。普通にいえば考えなしでやっているだけだから。

2015.05.01 舛岡はなゑ 『メチャクチャ人生が楽しくなるヒント』

書名 メチャクチャ人生が楽しくなるヒント
著者 舛岡はなゑ
発行所 KKロングセラーズ
発行年月日 2015.04.10
価格(税別) 1,200円

● いくつか転載。
 人をしあわせにするには,どうしたらいいのかわからないという人もいますよね。カンタンに言うと,自分のしあわせを伝染させればいいのです!(p3)
 つらいことを我慢して乗り越える必要はありません。苦しんで出した答えは,さらに苦しい結果を招きます。そうではなくて,一見つらく見えることを,どうやってとらえたら楽しくてしあわせになれるかという答えを導き出したとき,神さまは最高の答えを出したあなたに○をくれてご褒美をくださるのです。(p17)
 よく旦那さんが亡くなったら最低でも一年間は派手なことは控えて喪に服さなければいけないとか言うだろ。でも,そんなことをしても誰も喜ばないんだよ。それよりも,その人の分まで楽しく生きるぞっと,前を向いたほうが,亡くなった人も神さまも喜ぶんだよ。(p21)
 あの人は美人だからモテるんだとか,家がお金持ちだから成功したんだとか,親が頭がいいから勉強ができるんだとか,他人のカードをついうらやましく思ってしまうこともありますよね。でも,それは「私にはあれがない」「これができない」というように自分にないもの,足りないものに目を向けてしまっているのです。これぞ不幸の始まり,地獄に向かってまっしぐらです。(p62)
 人生のしあわせや成功というのは,経済的に豊かになったり社会的に成功したりした結果,得られるものではないんだよ。まず,波動が先。豊かな波動を出しているから,しあわせや成功を得られるんだよ。人生は波動どおりのことを引き寄せるから,何を思い,どんな波動を出しているかが大切なんだ。(p64)
 最高の波動とは『上気元』(上機嫌)です。(p68)
 分かれ道に来たとき,何か困難なことが起こったとき,楽しい道がぜったにあるはずです。ところが,正しいほうを選ぶと,苦労が山のようにあってたいへんな目にあってしまいます。ここでいう正しいこととは,世間でいう「常識」のことです。(p82)
 私たちは人を批判して人を変えるために生まれてきたのではなく,自分の未熟なところを成長させるために生まれてきました。(中略)楽しくないときというのは,自分が悟らなければいけないのに人のことをかまったり,人のことを心配したりしている。それは,自分のほうが優位だと思い込んでいるからなのです。(p84)
 一人さんから教わったアイデアのコツは,「お金がかからないこと」「やってみてダメならすぐに止めること」という二つでした。(p119)
 人間っていうのはね,仕事というと適当にサボりたくなる生きものなんだよ。『仕事だから一生懸命やりなさい』って言うけど,仕事だからやらないの。(p122)
 この母親と娘さんのように二人ともいろんなことがわからないで心配しているのは,暗闇の中で迷っている状態です。でも,母親が「どう生きたら楽しいか」ということがわかったら,母親が光になります。すると,娘さんも暗闇から抜け出すことができるのです。(p157)