2015年4月30日木曜日

2015.04.30 舛岡はなゑ 『しあわせになれる魔法のルール』

書名 しあわせになれる魔法のルール
著者 舛岡はなゑ
発行所 学研パブリッシング
発行年月日 2013.09.11
価格(税別) 1,200円

● いくつか転載。
 本当にそうなんです。今,自分のいる学校,会社,家,すべて,あなたにとってそこがベストなんです。(p20)
 他人を恨むことで,いいことは何ひとつないんだよ。自分が誰かを恨んでいる波動を出していると,イヤなものが引き寄せられてくるんだ。イヤな奴のために自分が不幸になるなんてばかばかしいだろ。(p32)
 プロになるためには,まず本物のプロがどんな仕事をしているのか,よく観察すること。次にやるべきことが見えてくるはずです。(p109)
 不幸な人は,イヤなことを言われると,それをまともに受け取ってしまいます。(中略)イヤなことを言われても,真正面から受け止めないことが大切です。(p117)
 負けたときの対応も大切です。勝ったライバルに対して,ニコッと笑顔で手を差し出して,「おめでとう。本当にすばらしかったです」と言いましょう。その一言が言えたなら,あなたはもう心配いりません。(p125)

2015.04.27 舛岡はなゑ 『運のいい人,悪い人の話し方』

書名 運のいい人,悪い人の話し方
著者 舛岡はなゑ
発行所 PHP
発行年月日 2014.05.12
価格(税別) 1,200円

● 舛岡さんの「斎藤一人」本を3冊続けて読んだ。それにはそれなりの理由(というほどのものでもないけれど)があるんだけども,それは身内の事情なので,省略。

● 3つほど転載。
 誰も嫌いな人のことを喜ばせよう,幸せにしようとは思わないですよね。それと同じで,自分のことを嫌っていたら,自分を幸せにしようとは思いませんよね。つまり,幸せにはなれないのです。 ですから,思っていなくてもいいです,「自分をゆるします,自分が大好きです」という言葉を毎日一〇回だけでも言ってみましょう。(p68)
 やれることをやったら運を天に任せる-これは仕事でもなんでも同じです。なにか問題が生じたら,被害を最小限に止める努力をし,「やれることはすべてやりました。うまく運んでくださり,ありがとうございます」と神さまにお礼を言って,覚悟を決めます。 悪いことを考えると,さらに悪い波動が出て現実に最悪のことが起きてしまいます。(p107)
 誰しも人生をコントロールことは難しいものです。でも,人生は使う言葉によってコントロールできるのです。 言葉がコントロールできれば,豊かで幸せな人生の宝をいくらでも取り出すことができます。(p119)

2015年4月29日水曜日

2015.04.26 内田 樹・釈徹宗 『聖地巡礼 ライジング 熊野紀行』

書名 聖地巡礼 ライジング 熊野紀行
著者 内田 樹・釈徹宗
発行所 東京書籍
発行年月日 2015.03.13
価格(税別) 1,500円

● 熊野に行ってみたくなった。熊野古道を歩いてみたい。観光案内書を読んでも,そうした気持ちになることはまずない。
 熊野の大いなるというか,他にはないというか,魅力が存分に伝わってきた。

● 本書の魅力のひとつは,聖地巡礼とは言いながら,それとは関係のない諸々の話題が飛び交うところだ。
 編集の手がだいぶ入っているはずだ。削除された話もかなりあるのじゃないかと思うけれども,その代わり,読みやすくなっているのだろう。

● 以下に転載するところも,そうした諸々の話題に属するものが多い。
 だいたい富者というのは,一代目は努力して立志伝中の人物となり,二代目はまだ一代目の苦労を見ているけれど,三代目になると生まれてからずっと金がある状況でしょ。そうすると,社会的に成熟しない。どこか世間を舐めた感じになる。とくに自分の家がすでに持っているものを手に入れようとして,ほかの人たちが必死に努力している様子が馬鹿に見える。だから,どうしても人を見下すようになる。(内田 p40)
 頭がいいし,人間がよく見えてもいるんだけど,そのせいでこの世はろくでもない人間しかいないと諦め切っていて,世の中を改善する気がない。だから,そういう人のまわりにはろくでもない人間ばかりが集まるようになる。(内田 p41)
● 社会事象の行き過ぎについても語られる。すでに何人もの人が語っていると思うんだけども,いつも確認しておくべきことがらだ。
 いまの動きは行き過ぎに対する補正なので,それも必ず行き過ぎます。(内田 p55)
 分配のフェアネスって,徹底すると,最終的にはポル・ポトになっちゃうんです。持てる者から奪い取って弱者に分配するということを徹底すると,必ずどこかで行き過ぎてしまう。たとえ貧しくても「そこそこ幸せ」と思うことが許されない。(内田 p55)
 正しいことでも「正し過ぎる」と災厄をもたらす。正義が正義になり過ぎないように,いいあんばいのところで手控えるというのは「大人の知恵」ですけど,こういうのは社会的に成熟しないと身に付かないし,不公平に怒っている人たちにそれを要求するのは,ほんとうに難しいんです。(内田 p56)
● 世界は連続体で境界はないんだけれども,人間は境界を引かずにはいられないのだ,という話。
 聖と俗の二項対立。そもそも昼と夜であったり,男と女であったり,善と悪であったり,そういう二項対立の中でしか人間は生きていくことができない。実際の世界はアナログの連続体であって,どこにも境界線なんかありません。でも,人間は境界線を引かずには生きられない。(内田 p175)
 さらにいえば,その境界線にもよいのと悪いのがあるような気がするんです。(中略) 悪いボーダーというのは,「UFOや霊魂なんてあるわけない」と線引きしてしまう,いわゆる「科学主義」です。科学主義と科学は別物です。科学主義というのは「エビデンスがあるかないか」という二項対立でデジタルに切り分けて,エビデンスがいま示されていないものについては,判断を留保するということをしないで,「存在しない」と決めつける態度のことです。硬直しているんです。科学主義の内側にとどまっている限り,科学の進歩なんかないのに。(内田 p175)
 ボーダーを引くのは,何もないより,そこに二項対立があったほうが知的に生産的だからです。その線上に感じのいいインターフェイスが生まれる。(内田 p176)
 二項対立で世界を分節しながらも,同時に「二項対立になじまぬもの」のための場所もとっておいてある。この「なにものであるか決めかねるので,どうなるのか,判断保留してしばらく待つ」という態度は人間の科学的知性にとっても,宗教的感性にとっても,非常に重要なものだという気がするんです。(内田 p177)
 相互参入しているクロスボーダーがいちばん多産的なんじゃないかな。海の文化と山の文化は二項対立的ですけれど,それが例外的な場所では「文化の汽水域」みたいに,相互参入して,入り交じっている。塩水と真水が混じり合うところにたくさん魚が棲息っするように,文化の汽水域にもそこにしかないないような不思議な混交体があれこれと生まれてくる。(内田 p178)
● その他,ぼくの脳にひっかかったところを転載。
 日本人はだんだん知的な負荷に耐えられなくなっている気がします。「話を簡単にしてほしい」「右か左か,どっちでもいいから,早く決めてくれ」という苛立ちを感じますね。(内田 p57)
 僕は多くの宗教研究者がいうほど,キリスト教が土着していないとは思っていないんです。たしかにものすごく時間はかかってはいますが,少しずつ昇華されて,日本人の肌感覚になっている部分も少なくありません。いまや教育や倫理観などはかなりキリスト教をベースにしています。(釈 p114)
 女の人がいるから男は真剣に祭りをやるんですよ。(釈 p134)
 城郭建築はもちろん軍事的な意味もあるんでしょうが,そこで暮らす人の身体感覚の感度を高めるための訓練の装置でもあったんだと思います。(内田 p153)
 成功するコミュニティっていうのは,センターに公共的で開放性の高い空間が確保されていること。その場を守る人がいること。いつ行っても,誰かそこを守る人がいる。そういった開かれた空間と恒常的な守り手がいることが共同的な空間が持続するための条件でしょうね。行ったときにドアが閉まっていることがあると共同体の中心にはなかなかなれないんです。(内田 p158)
 その品物についての物語が面白いわけで,贈与された物自体の価値は副次的なんです。「これについては因縁がある。聞きたいかい? 長い話になるよ」というきっかけになることが大切なんです。(内田 p160)
 六本木ヒルズとかレインボーブリッジとか東京スカイツリーとかミッドタウンとか,そういうのを見るとね,なんだか末期だなって気がするんです。六本木ヒルズには一回しか行ったことないんですけれど,なんか,瘴気漂う空間でしたね。(中略) あそこだって霊的に浄化することはできたんでしょうけれど,そういう装置が何もない。神社仏閣がない。祈りのための空間がない。そういう空間は人間が一定数以上いる場所には絶対に必要なんです。(内田 p162)
 「聖地はスラム化する」というのは,大瀧詠一さんの名言ですけれども,聖地の周りに世俗のものが拡がるのは,別に聖地を穢しているわけじゃなくて,聖地の発する人間的スケールを超えた力を抑制して,宗教的に成熟していない人間でも「服用可能」な強度にまで抑制する。そういう働きをめざしていることじゃないんでしょうか。(内田 p227)
 喜捨や歓待の文化は,自然が苛烈で見知らぬもの同士でもとにかく助け合わないと生きていけないという,やっぱりある種の地理的な状況のうえに成り立っているんだと思います。(内田 p283)
 鈴木大拙が「大地の霊」と呼んだ自然の生命力,野生のエネルギーを受け容れ,それを整えられた身体によって制御する技術,それが武道です。僕はそういうふうに理解しています。だから,道場は霊的に浄化された場所でなければならない。そんなものには何の意味もないと思う人もいるでしょう。人間が動き回れる空間があれば,それで十分だと思っている人は,道場を使っていない時間にはカラオケ教室にでも,こども体操教室にでも貸し出したらどうかというようなことを考えつくのかもしれません。でも「そういうこと」をすると道場の空気が変わってしまう。稽古できる状態に戻すために,それなりの儀礼をしないとはじまらない。(内田 p289)

2015.04.25 成田アキラ 『男と女の快楽大全 1』

書名 男と女の快楽大全 1
著者 成田アキラ
発行所 実業之日本社
発行年月日 1996.03.29
価格(税別) 680円

● 漫画。「もっと深~く性を楽しむマニュアル」というんだけど。
 食欲,性欲,睡眠欲といっても,睡眠は眠くなれば寝るし,食欲も腹が減れば何か食べる。
 が,性欲に関しては,したくなればする,という具合には行かないこともあるでしょ。相手がいないとか。
 
● それと,睡眠や食事は人前でもできる。電車の中で寝ている人は珍しくもないし,食事は仲間と食べたほうが旨いなんぞと言われる。
 が,Hはそうじゃない。大勢でしたほうが楽しいと考える人はいるかもしれないけれども,普通は秘め事とされる。トイレと同じ。その最中を人に見られるのは恥ずかしいものだ。したがって,人がそれをいたしているところを覗き見るのは,犯罪とされる。

● 寝るのと食べるのは,基本,工夫は要らない。良い質の睡眠をとるために,枕をどうするとか,ベッドをどうするとか,技術はあるんだろうけど,畳のうえにゴロンと横になれば,まぁまぁ眠ければ寝れるものだ。
 食事に関しても,テーブルマナーなんてものがあるけれども,ま,食べたいように食べればいい話だ。

● ところが,Hはやりたいようにやればいいかというと,これまた相手がいることなので,なかなか気を遣うところが出てくる。
 で,この漫画で説かれていることを律儀にやらなくちゃいけないんだったら,Hなんてしなくてもいいかなと思っちゃいますな。面倒だ。Hにそこまでの探求心は持てないぞ,と。

● つまり,それが凡人というものだ。この分野も情熱を持てる人とそうでない人では,引き出せる質量に大差がつくはずだ(と思う)。
 道によって賢し。探求するに値する道ではあると思うんだけどねぇ。

2015年4月26日日曜日

2015.04.23 夏野 剛 『グーグルに依存し,アマゾンを真似るバカ企業』

書名 グーグルに依存し,アマゾンを真似るバカ企業
著者 夏野 剛
発行所 幻冬舎新書
発行年月日 2009.07.30
価格(税別) 760円

● このタイトルは,編集側が付けたのだろう。名が体を表していない。
 ウェブビジネスを進める際に,注意すべきことがらを指南している。その結論は,ウェブはツールであって,それ以上のものではない,ということ。

● リアルで上手くいっていないのに,ウェブを使えばどうにかなるなんてことはない。自分ができることを淡々と続ける以外にない。あたりまえのことをあたりまえにやること。
 そういうまっとうなことが述べられる。が,著者の見るところでは,そのまっとうなことをやっているところは少ない。

● テレビ,新聞業界に対する提言も。ITを敵と思うな,チャンスなのだ,と。
 せっかく予算をかけて作成したコンテンツを,1回放送しただけでお蔵入りさせてしまうのは,いくらなんでももったいないではないか。
 新聞の肝は編集技術にあるのだから,媒体が紙かネットかという議論は不毛なはず。ネットに軸足をおけば紙の購読者が減ると恐れるがゆえに,ネットに対して及び腰でいるけれども,それでは紙もネットも駄目になる。

● 以下に,少々多すぎる転載。
 グーグルの提供するサービスが,他と何が違い,突き抜けているのか。それは,徹底的なユーザー目線を貫き通している点だ。既存勢力との軋轢など,まるで恐れない。例えば,プライバシー侵害の懸念による物議を方々で醸した「ストリートビュー」しかり,著作権問題で各国に波紋が広がった「ライブラリ」しかり。(p18)
 (SNSの)成功の秘訣は,SNSが持つ「出会い系サイト」としての力が大きい。皆はあまり認めたがらないが,ハッキリ言ってmixiをはじめとするSNSは「出会い系」だ。(p21)
 何となく感じていたことをズバッと言葉にしてくれた。SNSは典型的にそうなんだけど,「絆」だの「つながり」だのが売り文句になっているんだから,「出会い系」であることはネットの本質のひとつなのだろうと思う。
 (ネットでは)客が入店するなり名前や住所を聞き出し,果てはクレジットカード情報を登録しなければ買い物をさせられないという。リアル店舗で「当店のメンバーにならなければ,買い物ができない」などと言ったら,その店はもう終わりだろう。(p38)
 ケータイ大国における日本であっても,iPhoneのような革新的な携帯端末は絶対に生まれない。なぜなら日本企業の場合,リーダーがビジネスのディテールを知らない,あるいはディテールを知らなくてもリーダーが務まってしまう組織構造だからだ。 (iPhoneは)ソフト,ハード,そしてビジネスモデルも含めて,ユーザーのための価値を最大限にするための設計がほどこされている。決して,見栄えをよくしようとかデザインをよくしようということが先走っているわけではない。あくまでも,顧客のフィーリングや使いやすさが最優先。パーツごとではなく,全体が最適化されている。 結局のところiPhoneのようなプロダクトは,リーダー・責任者がディテールまで指令を出さなければ実現しないのだ。(p52)
 全ての最終的な判断ポイントは,やはり消費者側の見る目だと私は考える。消費者の実行動を認めるか,認めないか。 これを企業に置き換えると,顧客の行動に自分たちが合わせなければならないのであって,企業が行動を押し付けてはならないはずだ。(p55)
 ドラッグストアでは消費者は自分の判断で薬を買うことの方が圧倒的に多いのに,インターネット販売を規制する理屈は「体面販売でなければ薬は危険」。現実の消費者の行動パターンからバカげたくらい乖離している。(中略) 私がとても悲しいと思うのは,この議論をしている人も一消費者であるということ。(中略)そもそも自分自身が,水虫の薬を買うときに,必ず薬剤師と相談しているのか。 だから,真の消費者目線をこの人たちも本当はわかっているはずなのだ。それなのに,なぜ,本音の議論を避けるのか。 インターネットユーザーには,建前は通じない。なぜなら彼らは,自分のやりたいことに忠実に行動しようとするからだ。(p55)
 ウェブビジネスは,裸での勝負なのだ。ごまかしは,自分以外の人には,いともたやすくばれてしまう。(p69)
 ウェブビジネスの大きな特徴は,「参入障壁が低い」ことだ。(中略)参入障壁が低いという状況下では,とにかくスピードが重要になる。(p72)
 参入障壁が低いということは,誰にもチャンスがあるということだ。だから人の「底力」が露呈しやすいと理解しておきたい。底力とは,言い換えれば「自分が得意とする分野の知識,経験,興味」のこと。 誰にでも得意な分野と不得意な分野がある。不得意な,興味のない分野にいくら時間を割いても,実力にはなりにくい。とりわけ,「興味があるかどうか」がこの上なく重要だ。だれが,ひとりひとりのウリとなる底力につながってくるからだ。(p73)
 ウェブビジネスで気をつけなければならないのは,企業側の態度をユーザーが大目にみてくれないことだ。そのことは,忘れずに肝に銘じておく必要がある。(p117)
 そんなに効果が上がるとわかっているウェブ広告に,なぜもっともっと企業が出稿しないのだろうか。 答えは意外である。広告担当者にとって,効果測定を見ながら,広告戦略を変えたりしなければならないのがとてつもなく大変だから。(p124)
 電子マネーを使いこなせていない人は,実際まだたくさんいるかもしれない。けれども,そういう人たちのために既に電子マネーを使いこなせている人たちが一生懸命啓蒙活動をする意味は,私はないと思う。 むしろ,電子マネーを使おうとしない人に向かっては「どうぞ損して生きていてください」と言いたい。便利なツールは喜んで紹介するが,使うのが嫌なのであれば,別に無理強いはしないという話だ。(p144)
  日本企業は昔から,社内のいろいろな部署から人を集めて議論を尽くし,方向性を決めるやり方が主流だった。小中学校の学級委員会方式だ。ところが,IT時代になって,大きく変わりつつある認識がある。「議論を尽くしても結論は出ない」,皆がこのことをわかってきたのだ。(p168)
 もう“マス”という概念は,ネットの普及により存在しなくなった。本の売れ方も,ミリオンセラーがたくさん出るのではなく,意外なジャンルの本が売れたり,ある一定の層から長い間支持を得たりと,バラエティに富むようになった。(p174)
 それに対して,いまの経営者層,日本の政財界のリーダー層は,いまだ多様化社会に生きていない。だから,若者の間では当たり前となっているネット情報社会に関する理解が非常に乏しいのだ。 処方せんはひとつしかない。それは「早く退くこと」だ。(p175)
 「平均値を上げようと思ったら,トップを伸ばす方が早い」 これはネットリテラシーに言えることだが,学校教育で考えるとわかりやすい。(中略)いまや日本がトップレベルに上り詰めた業種は数多くある。さらにレベルを上げるには,自国のトップエンドを伸ばすこと。そうすれば,つられて上がるに決まっている。(p177)

2015年4月25日土曜日

2015.04.21 松浦弥太郎 『正直』

書名 正直
著者 松浦弥太郎
発行所 河出書房新社
発行年月日 2015.04.30
価格(税別) 1,300円

● 松浦さん,9年間務めてきた『暮しの手帖』編集長を退くことにしたらしい。それを機に,自分のベクトルの向きや長さを確認し,併せて今のベクトルができあがった経緯を総括しておこうというのが,本書執筆の動機のようだ。

● 要点は「はじめに」で述べられている。
 学びの根底にひとつのこんな考えがある。それは,この世界で起きていること,または存在することで,自分に関係ないことはひとつもない,ということだ。 みんなよくこう言うだろう。それは自分に関係ない。しかし,いついかなる時でも,それを言ってしまったら,人生投げ捨ててしまうようなことになるだろう。(p5)
 今の時代を生きる上で,注意しようと思っていることがもうひとつある。それは仕事においても暮らしにおいても,自己完結しがちになってしまうことだ。たとえば,今日もていねいに。ひとつひとつに心を込める。これはとても素晴らしい意識であるけれど(中略),それで自分はしあわせ,これで正しい,と納得してしまうのは,注意すべき落とし穴のようなものだ。できれば,もう一歩先まで心を働かせること。すなわち,なぜていねいにしたいのか。なぜ心を込めたいのか,と考える。なぜという疑問の先に,広い社会なり,たくさんの人の姿を思い浮かべ,そこに届くように想像し,行うということが大事だと僕は思っている。(p5)
● あとは各論。役に立つ(役に立ちそうに思える)のは各論のほうだ。具体的だから。
 当然だけれども,すぐに真似ができることは少ない(というか,皆無だ)。松浦さんが50年をかけて磨いてきたものだ。おいそれと真似できるはずもない。
 が,自分のこれからを考えるときの羅針盤としては恰好のものだと思う。ぼくの場合は,さてどれくらいの「これから」があるのかどうかってことになっちゃうんだけど。
 誰かと向き合うには,まず自分と向き合わねばならないし,自分という人間に興味をもち,面白がらなければ,人に興味をもつこともできない気がする。(p18)
 知らない街に行き,まず,最初に話しかける誰かを探す。目印は“ひとりの人”。一対二もだめだし,二対二もだめだし,一対三もだめ。だけど,一対一ならどんな人とでも人間関係がつくれる。(p23)
 いつも数人で動くプロジェクトというのはいかんせん歩みが遅い。責任の所在が分散されるのも気持ちの入り方に違いがでる。(中略) 共有というのはある時,足かせにもなる。信頼,理解,約束,共感。これらはすべて,一対一で向き合った時にしか,生まれないものではないだろうか。(p24)
 ひとりであることは無敵であるとさえ僕は思う。(p26)
 普通であることは,前例があるということ。馴染みのあること。普通でないことには答えは無い。僕はそこに無限の可能性と魅力を感じている。(p29)
 みんなと一緒という輪の中から抜け出し,自分の道を歩き出す。年齢にかかわらず,これが自立であり,自分らしさを見つける旅の始まりなのではないだろうか。(p32)
 人間は最高と同時に最低の部分をもっているものだと(高村)光太郎は言う。それが美しいとさえ言う。 自分の中の最高と最低を認め,受け入れ,向き合うことが生きるということだと,初めて知った気がした。最低にして最高。これぞ,ほんとうのこと。(p38)
 みんなそれぞれ持って生まれた違いはあるけれど,「正直親切」というのは,誰にでも自分次第でできることではないか。(p42)
 そして,「笑顔」である。言葉の通じない外国にいても,今そこで自分が何もできなくても,「笑顔」だけは人に与えることができるだろう。少し乱暴な言い方だけど,何があっても大抵のことは「笑顔」で解決できると僕は思っている。病気だって治してしまうだろうと思っている。(p45)
 ボール球に手を出して無様な三振という経験をせずに,一足飛びにスイートスポットを探そうというのは無理な話だ。 「自分には何が向いているのか,どんな才能があるのか」 机に向かってそう考えているのは,思慮深いのではなく時間の無駄だ。(p50)
 経験して確かめて得たものは,自分だけの正しい情報になる。自分の財産としてずっと残っていく価値がある。これは乱暴な言い方だけれど,自分を成長させたいのであれば,とにかく「歩く,見る,聞く」ことだ。(中略) なんでも検索すればわかってしまう時代だけれど,「歩く,見る,聞く」にまさる情報収集はない(p59)
 「あきらめて生きる」という深い沼に足を取られると,浮上するのは難しい。(p61)
 人とかかわれば,社会につながる。それができれば,体験したことがないしあわせが手に入れられる気がする。僕は今も,それを目指している。(p68)
 その取引によって相手に得をしてもらうことで,商売ははじめて継続できる。商売の基本は継続である。継続させるために何が必要なのか。(p78)
 ものを売る前に,自分を売る。まず自分を好きになってもらい,自分を買ってもらう。僕を知ってもらい,興味や好意を持ってもらえれば,本に限らず,なんでも売れるという自信ができたのだ。(p82)
 もしかすると,伸びしろがなくなったほうが,楽なのかもしれない。これまでの人生で学び,苦労し,必死で積み上げてきたかたちのまま固まって,満足するほうが,大人なのかもしれない。「私はこういう人間で,こういう価値観で,こういうスタイルで生きる」と。 だけど僕は,そんなものはまっぴらだ。いつでもこれまでの自分を壊したい。新しくありたい。(p108)
 僕は自分の物語より人の物語が聞きたいし,好奇心がある。人の物語に興味をもてるかどうか,人の物語を素直に受け入れるかどうかは,たとえば本を読むか読まないかで分かれる気がしている。(中略)大学生の四割は一ヵ月に一冊も読まないという話を聞き,自分のこと以外に興味がない若い人が多いという証拠を突きつけられたようで,さびしくなった。(p139)
 無防備になり,ばかになり,頭を使うのをやめれば,自然と心を使うようになる。心を使わなければ,人は動いてくれない。(中略)利口に見せることなんて誰でもできる。だが,それがなんになる? 構えて,準備して,正解を探す身構えは,人との間に距離をつくってしまうだろう。(p146)
 暮らしの中や,会社や仕事で付き合う人の中には,自分と合わない人がいるのが普通のことだと思う。だからこそ僕は,人間関係においては,自分の感情にコントロールされまいと決めている。その人が自分にとって大切かどうかは,自分の好き嫌いとはまったく関係のないことだからだ。(p163)
 価値観というと抽象的で,きれいごとになりやすい。だからこそできるだけ具体的に,明確に話しておくといいと思う。 その際は,「自分より何を優先するか」と考えることがひとつの目安になる。 たとえば,「女性を尊重し,子どもを大切にする」という価値観を否定する人は誰もいない。だが,自分の会社で産休を取るという部下がいるとき,心から祝い,自分の仕事より相手を優先できるかと言えば,話は違ってくる。 言葉では「おめでとう」と言いながら,内心「この忙しい時に,かんべんしてくれよ」と思っている人は,女性を尊重する価値観をもっていないのだ。(p166)
 大人になればなるほど,人はやわらかさをなくすから,自分と違う意見にふれて,ぼこぼこに叩かれたり,存分に揉まれたほうがいい。 それなのに大人になればなるほど,人はなぜか自分と違う意見を排除したくなってしまう。(p171)
● 以上の中で,一番ズシンと来たのは, 「『あきらめて生きる』という深い沼に足を取られると,浮上するのは難しい」という一文。
 そうだと実感できるので。自分の半生はそうだったかもなと思ってね。

2015.04.19 桜井章一 『ツキの正体』

書名 ツキの正体
著者 桜井章一
発行所 幻冬舎新書
発行年月日 2010.05.30
価格(税別) 720円

● 2011年5月に一度読んでいる。今回,二度目。
 副題は「運を引き寄せる技術」となっている。技術というのは,訓練すれば誰でも操れるようになるもののことだ。が,本書で説かれているようなことは,さて,訓練でどうにかできるものなのかどうか。

● 次のようなことがらが説かれているんだけど。
 野球でいえば,得点のチャンスを何度も逃していると,流れが相手チームに行ってしまい,ちょっとしたエラーが大量失点につながったりします。(中略) 自分はついていない,と嘆く人は,酷な言い方をすれば,つかなくなるようなことばかりしている。つまり,つかなくなるような考え方や生き方をしているということかもしれません。(p17)
 仕事でも勉強でも,苦しんだ末に得るものなど,たいしたものではありません。苦しまず,極力楽しみながら物事を進めていくための工夫をするのです。楽しんでいれば,気分はよくなっていきます。自分だけでなく,周りにもいい空気が生まれてくるものです。いい空気は,ツキを呼びます。(p25)
 だいたい,日常の生活の中でやるからこそ効くのです。日頃やっていないことを裃つけて特別にやってみたところで,無理や反動が生じるだけ。(p131)
● 考えていては動けなくなる。間に合わなくなる。
 所詮,人間は人間。どんなに文明が発達しようと,そのおおもとになっているのは,感性だと思います。知識やノウハウを信じれば信じるほど,見えなくなるものがある気がするのです。感性を高めるのに一番いいのは,いろいろなことに「気づく」ように努めることです。場の空気に気づく,人の気持ちに気づく,ツキの流れに気づく。(p29)
 気づくだけでは,まだ不十分です。気づいたら,即,動かなければならない。考える前に行動するのです。(中略) だいたい人間は,考えれば考えるほど,動けなくなるものです。損得勘定がちらついたり,体面が気になったりして,迷いが出てくるからです。 そのメカニズムをぶっ壊す。自分に損得や体面を気にする暇を与えず,迷いが出てくる前に,身体を動かしてしまうのです。(p29)
 「物事に取り組むときは集中しろ」なんていう“常識”にだまされてはいけません。一般に言う集中している状態というのは,一つのことに囚われている状態です。(中略)そういう状態は,もろい分だけ危険です。 なぜこんなことを言うかというと,何をやるにしても,一つのことばかり気にしていてはうまくいかないからです。世の中は万事万物,時々刻々と変化していくものですから,一つのことに囚われた瞬間に,ほかの部分の変化を見逃してしまい,間に合わなくなります。(p35)
 ツキはナマモノです。同じシーンなんて,二度と起こらないと考えておいたほうがいい。だからこそ,入念に先を読み続けなければなりません。ツモってから考えるなんて態度でいては,間に合わないのです。(p42)
 目だけで場を見ていては,そういうテクニックにごまかされてしまうのです。また,見ることに囚われていると,最も肝心な「感じること」がおろそかになりがちです。(p48)
● バカになれ,という。バカは素直に通じる。
 一つのバカだとただのバカですが,十種競技のように十のバカになれば,「キング・オブ・バカ」になれる。プロを名乗る専門バカになんか負けるはずがありません。 ここで言う「バカ」とは,何もかもかなぐり捨てて裸になれる,自分への素直さを指します。(中略)知識も学歴も,プライドも体裁も,あるいはトラウマもコンプレックスも,身につけたものを根こそぎ捨て去ることのできる潔さ。(p52)
 バカをやるというのは,つまり遊び心です。たとえば,出版社の人が来て打ち合わせをやるにしても,それを仕事と考えてまじめな顔をしていたら,つまらなくなる。 そこで,編集者の人にあだ名をつけたり,女性の道場生を呼んで編集長の膝の上に座らせたりして,どうやってこの時間を遊びにしてやろうか,という工夫をします。楽しい時間を過ごす努力をするわけです。 そうやって,楽しい空気を作り出していくと,物事ははかどるものです。(p53)
 “遊び心”のところは,取ってつけたような印象も持つんですけどね。もちろん,大事な知恵だと思うし,そうだよなぁと思うんだけど,“バカ=遊び心”としちゃうと流れが途切れてしまうんじゃないか。

● 自分に素直であることと,人の言うことに無条件にしたがうのは,まったく別のこと。当然のことだけれども,次のように念押しをしている。
 人の言いなりになる人は,逆に固定観念に縛られ,それに疑いを抱きません。命令する側,管理する側から見ると,非常に扱いやすいとう意味で「素直」だということになります。 つまり,自分に忠実な本当の素直さと,世の中を支配する都合上求められる素直さは,まったく反対の意味を表している。ここに言葉の怖さがあります。混同するとえらいことになる。(p71)
 人に習わないですむなら,習わないにこしたことはありません。習ったことというのは,頭での処理になるからです。対して,自分で発見したことは,心や身体に染み込みます。理解度がまったく違ってくるし,新しい問題にぶつかったときの修正力にも断然差がついてくる。(p72)
● 不運のときも,ついているときも,守りに入ってはいけない。
 麻雀は,降りたら負けです。手が悪くても,それなりに対応して,いろいろと工夫をしながら攻め続け,いい手がくるような流れを作っていかなければならない。(中略)日常生活も同じです。運のせいにして,降りていてはいけない。自分があがれそうもない流れであるなら,他人のあがりのために汗をかく。流れをよくするための努力をして,自分があがれるようなチャンスを自力で作っていく。そうやって,闘い続けることが,ツキを呼び込むことにつながっていくのです。(p83)
 なぜベタ降りがいけないか。それは「勝負どころ」を逃してしまうからです。勝負どころは,逆境の中に訪れます。 最下位で迎えた最終局の親,手がなかなか進まないところへ,相次いで3人リーチ。絶体絶命です。 ああ,もうダメだ,とガッカリしますか? 勝負をあきらめて,ベタ降りですか? 私なら,奮い立ちます。落胆するどころか,勝負の醍醐味を感じてワクワクする。そして,3人の包囲網をかいくぐりながら,次々と牌を切り飛ばし,何としてでもあがり切る。 すると,次の局では,流れが一変します。(p84)
 もし振り込んだ後に体勢がおかしくなるとしたら,それは,自分の心の持ち方に問題がある。「あの牌を切らなければよかった」といつまでも悔やんでいたり,「これで流れがさらに悪くなるかもしれない」と弱気になったり,そういう心境の変化が闘いに影響を及ぼして,その結果,手が悪くなっていくのだと思います。 振り込むこと自体には,問題はない。振り込んだために生じる「心の揺れ」のほうが問題なのです。(p87)
 勝負における敗因の99%は自滅です。自分で自分を追い込んでいき,そのプレッシャーに耐え切れなくなり,結局はフォームを乱して,人は負けていく。守りや日和ることは,その始まりなのです。 ピンチのときには,勇気を持って,ふさわしい形で果敢に攻める。ついているときは,守りへの誘惑を封じ込め、流れをせき止めないように攻める。攻め続けることです。守っているヒマは,麻雀にも人生にもないのです。(p90)
● トラブルを避けたくなるのも,守ろうと思うからであって,受けて立つと思えば,姿勢が変わる。そうだと思うんですよ。そうだと思うんですけどね。
 問題やトラブル,悩みは,目に見えるし,具体的なことです。そのまま放っておくわけにもいかない。ところが,それを「不運」というふうに置き換えたとたんに,目に見えない,何かわけがわからない抽象的なものとして棚上げすることができる。 逃避です。運のせいにして,現実から目をそむけ,対策を取ることから逃れようとしている。そんな横着をしていると,本当につかなくなります。(p82)
 トラブルを避けてはいけません。堂々と受けて立てばいい。(中略)「守りに入るな」と書きましたが,「守ろう」と思うからいけないのであって,「受けて立つ」と考えればまったく姿勢はかわってくるはずです。(p92)
 トラブルやヤバイ局面から逃げようとするのは,「今」から逃げ出そうとすることでもあります。そういうクセがつくと,いつも逃げ回っていることになる。 トラブルに立ち向かう人は,いつか必ずそれをクリアして,次のレベルに進むことができます。一段階上の問題に取り組めるようになる。ところが,トラブルから逃げ回っている限り,同じレベルにずっとウロウロしていて,形を変えて次々に訪れる同レベルのトラブルに常に悩まされている状態を強いられてしまいます。(p98)
 苦労して克服しようとするから面倒くさくなるのです。遊び心をうまく取り入れて,楽しみながらクリアする算段をする。勉強でも仕事でも,義務と考えたとたんにつまらなくなります。遊んでしまいましょう。目の前の課題をゲームと考えて,「今」を楽しく過ごすように努力するのです。(p99)
 ここで“遊び心”が出てくるのはわかる。すんなりと納得できる。極力楽しみながら物事を進めていくための工夫をする」ことは先にも説かれていた。
 凡人でもできそうな気がするのはこれくらいなんだけど,これだってねぇ,なかなかどうして。機転と気丈さは必要ですよね。

● 心にも適温があるということ。すぐ熱くなるようなヤツは信用できない。
 ところが,体温にも個人差があるように,熱さを持続できる人が(少数だろうけど)世の中にはいると思うんですよね。こちらが逆立ちしても勝負にならないなと思わせてくれる人が。
 36度とか37度とか,身体に適温があるように,心にも適温というものがあります。高すぎても低すぎてもいけません。それはすなわち,自然ではない,ということです。 そういう意味で,「熱い人」を私はあまり信用しません。(p103)
 私自身,自分の子どもや孫,道場生に対する心がけとしてあるのは,「温めてやりたい」ということ。 教育しよう,育成しよう,なんてことは思ってもいません。ただ私にも体温くらいはあるので,温めてやりたい,そう願っています。温まったら,あとは勝手に育って,好きなように成長していけばいい。(p104)
 100度の努力をしようとすると,無理が生じて破綻します。36~37度の努力をじっくりと続けるのです。(p104)
● その他,いくつか転載。
 悪いことを100%追放しようという発想は不自然です。自分の中だけでなく,世の中にも,表があれば裏があり,正があれば負が必ずある。表も裏も知り,正も負ものみ込み,あるがままのものとして丸ごと,淡々と引き受けて,その中でまっとうに生きていく,それが人間だと思います。(p119)
 身体は,相手の表面に出ていない本当の強さを,敏感に感じ取ります。強さというのは,表に出たら強さじゃない。わからない人にはわからない,奥底のほうに潜んでいるものです。(p122)
 私が子どもを育てたのではないのです。子どもたちが私に楽しく生きる力を与えてくれた。「親が子どもを育てる」などという考え方は100年早いと思います。 子どもを持ち,孫を持つというのは,ただそれだけで喜びなのです。こんなに大きな喜びを,生きていく力を恵んでくれる子どもや孫に,悲しい思いをさせたくない,喜びだけを返したい,と心から思います。(p167)

2015年4月19日日曜日

2015.04.17 小山薫堂 『もったいない主義』

書名 もったいない主義
著者 小山薫堂
発行所 幻冬舎新書
発行年月日 2009.03.30
価格(税別) 740円

● 企画について,映画「おくりびと」について,人生観や仕事観について,思いのままに語ったもの。
 いろんな読み方ができると思うけれども,つまりは一夕の歓を尽くすための読みものとしてとても面白かった。

● 面白かったというときに,なぜ面白かったと感じるのか。ひっきょう,元気をもらえたと思うからでしょうね。

● 「もったいない主義」というタイトルの所以は次のようなこと。
 僕がこれまで関わったプロジェクトの共通点は,宣伝費にお金をかけないで最大の宣伝効果を上げるというところかもしれません。いってみれば,きっかけをつくるためにお金を使う。ものごとには,そこへ力を入れれば何倍もの効果を上げられるポイントがあると思います。それに気づかずに,力を薄く分散させてしまうのはもったいないことです。(p178)
● 企画について語っているところから転載。
 企画という仕事はやはりすごく面白い。人々が何にワクワクするか,何を求めているか,どうすれば喜んでくれるかを考えるのは,すごく楽しい作業だと常々思っています。(中略)企画とは人のことを思いやったり,慮ったりすることでもあるのです。(p30)
 米沢牛だと聞いてから食べると「おいしいに違いない」と思ってしまうのは,米沢牛のブランドの力です。(中略)つまりブランドとはあらかじめ刷り込まれた価値への感情移入なのです。(p38)
 どれだけ事前に価値を刷り込むかによって,ものの価値は変わってきます。自分たちが世の中に送り出すものに対して,どれだけ価値を刷り込んで,どれだけ感情移入してもらうか。その方法を考えることが「企画」なのです。(p41)
● 仕事について語っているところから。
 映画のような創作物に,絶対的な正解は最初から存在しないと思うのです。先輩にアドバイスを求めるのは,「この場合の正解は何ですか」と聞くのと同じような気がする。誰かに聞いたら,その瞬間,その人の真似になるような気がしてしまう。生意気かもしれませんが,その結果としてできあがったものも,その人を超えられない感じがするのです。(p83)
 どうしてこんなにいろいろな仕事ができるのかとよく聞かれるのですが,おそらくそれは初めての仕事でも,あまり不安に思わないからかもしれません。 自分にとっては,パン屋をやるのも,映画の脚本を書くのも,あまり変わらない。どの仕事も,人をワクワクさせたり楽しませたりするという目的は同じで,ただ手段が違うだけ。いってみれば新しい道具を持つような感覚です。(p87)
 僕が初めてのジャンルに挑戦するときも,あまり緊張したり不安になったりしないもう一つの理由は,自分にとても甘いからだと思います。要するに失敗してはいけないと思っていない。失敗したら失敗したで,「これでよかったんだ」と思うクセがあります。(中略)僕はいつでもベストの道に進んでいると思うことにしています。(中略)何か新しいことを初めて失敗したら,「神様がこの世界には行くなと言っているんだな」と解釈します。(p88)
 冬のニューヨークには,一番,僕は刺激されます。寒くて,でも街は刺激的で,というときに「よし,何か書こう」という気になる。 これがハワイなんかに行ってしまうと快適すぎて,「もういまのままでいいや。お金なんかいらないよな」という気になって,勤労意欲が芽生えない。(p173)
 深澤(直人)さんのオフィスに行ったとき驚いたのは,すべての家具が壁にくっついてないことです。普通はスペースを広く使うためにも,壁に沿って置きたくなるものです。しかし彼に言わせると,それを始めると,どんどん部屋が汚れていく。隠れる部分が多いがゆえに,どんどんそこに押し込んでいってしまう。だから家具はなるべく壁につけないほうがいいと言うのです。そんなふうにモノのあり方が,人のライフスタイルや,人の行動様式を変えてしまうことは,確かにあると思います。(p182)
● その他,いくつか転載。
 一般的に言って,受付嬢のようなポジションの女性がひとりいてくれることで,社内がいい雰囲気になるという効果があります。たとえばガソリンスタンドの女性店員は,男性客のためというより,内部の男性スタッフのために雇っているそうです。(p15)
 自分が何か失敗をしたときは,逆にチャンスだと思おう。狼狽して「どうしよう,どうしよう」ではなく,「あ,これはチャンスだ」と思いなさい。その失敗をどうフォローするかによって,逆に相手にすごく好印象を与えることができる。(p63)
 不毛な,ネガティブな感情に時間を奪われているのは「もったいない」。 たとえば,イヤな気分にとらわれることによって,ご飯がおいしくなくなったら,こんなにもったいないことはない。(中略) 人生は有限です。ご飯だってあと何回食べられるかわからない。そのことだけ考えても,ネガティブな感情に駆られている暇なんてないと思うのです。(p69)
 映画とテレビはどこが違うのかというと,一つは明らかにお客さんが違います。たとえ同じ人であっても,テレビを観るときと,映画館に行くときとでは,明らかに違う人になる。(p80)
 自分が誰かの人生に登場できたかもしれないと思えるのは,すごく名誉なことです。そういう思い出が一カ月にに一つでもつくれたら,人生はとても幸せなものになるのではないかと思います。(p108)
 この間,高級外車をたくさん所有している友人が,ポロッと,「最近,何を買っても満たされないんだよなあ」と言っていました。ほしいものはすぐ買えるけれど,買ってもうれしくない。この話を聞いたときに,それが実は一番不幸なのかもしれないと思いました。(p171)
 上質な日常品を使うのは,確実に幸せになるコツです。(中略)よくできたものは,使う人を確実に幸せな気分にしてくれます。(中略) 髪を洗うたびに「いいな,このシャンプー」と思うものを使っていれば,こんなに幸せなことはない。仮にそれが市販品の一〇倍,三五〇〇円のシャンプーだったとしましょう。三五〇〇円はシャンプーの値段としては安くないけれど,それによって得られる満足度を考えたら,コストパフォーマンスはすごくいいと思う。そういうものを集められたら,幸せな暮らしだと思います。(p187)
● おそらく著者は,陽性で明るく,クヨクヨしないタイプなのだろう。ひとかどの人物の共通項はこのあたりになるかと思う。
 で,そこのところは,たとえば斎藤一人さんが説いているところと軌を一にするっていうか,結果において重なっていると思える。

2015.04.14 矢矧晴一郎 『〈ビジュアル式〉メモの達人』

書名 〈ビジュアル式〉メモの達人
著者 矢矧晴一郎
発行所 インデックス・コミュニケーションズ
発行年月日 2005.07.31
価格(税別) 1,400円

● タイトルからは,メモのとり方を指南したものかと思う。実際,そうなんだけども,仕事論といったほうがいいだろう。
 仕事を効率的に進めるためのメモ,について解説している(それだけではないけど)。

● したがって,著者の仕事スタイルを前提にしている。そのスタイルが相当にデキる人のものなので,本書で説かれているメモ術を実践できる人はきわめて少ないと思うし,実践する必要がある人もそんなにいないと思う。
 ただし,デキる人を目指す若い人たちには参考になるかもしれない。

● たとえば,次のような記述がある。
 たとえば,お客との大口契約の商談の時間が10分しか取れないときがある。本当は2時間説明しないと十分に説明できないとしよう。120分の内容を10分で説明するので,12分の1に説明内容を縮めなければならない。このときに,何回も要約メモを書いて説得力のある短い言葉を作り出すといい。(p128)
 多くの人は,メモにどんな図をどう描けばよいのかがわからない。したがって,「メモに図を入れたい」と思っていても,結局は文字ばかりになってしまう。図を描けない壁を抜け出すには,まず図としてメモにはさめるのは,どんな図かを知る必要がある。(p154)
 このあと,「どんな図をどう描けばよいのか」を説明するわけだけど,どうもなぁ。わかったようなわからないような。
 ぼくはまさに文字ばかりのメモを書いているんだけど,ここを読んでなるほどと膝を打つような感じにはならなかった。著者とぼくとのレベルが違いすぎるのだ。
 仕事の中で「何がいちばん大事か」というと,因果関係を見つけて動かすことである。他のことがはっきりわかっていても,因果関係がわからなければ,仕事はいつもあなたの思うとおりにいかない。(中略) しかし多くの人は,この因果関係をつかんでいない。(p160)
 勘・感情・感覚で仕事をしないで,価値・確率・効率で仕事をすれば常に成功できる。(p165)
 そのために,メモをたくさんとって活用せよ,というわけだ。具体例をあげて説明している。

● ちなみに,著者自身の仕事の仕方や人生観を述べたところから,いくつか転載。
 厳しく制約ばかりの仕事環境の中で受け身で命令された仕事を忠実にこなしていたのでは、いつまでたってもうだつが上がらない。そこで考えたのは、積極的行動だった。まず実行し始めたのは,「命令された仕事は,命令された内容より,広くて,しかも質の優れた答えを出す」というようにした。(p93)
 私は仕事でも趣味でも,創ることが大好きである。他人の作品を鑑賞するのは嫌いだ。(中略)その創造作品が他の人に役立ち,楽しませる,元気にするなどの役割を果たしてもらいたいとなると,その言葉は,生涯貢献に他ならない(p108)

2015年4月18日土曜日

2015.04.12 林 真理子 『野心のすすめ』

書名 野心のすすめ
著者 林 真理子
発行所 講談社現代新書
発行年月日 2013.04.20
価格(税別) 740円

● 林真理子さんの作品を読むのは,今回が初めて。
 いや,面白かった。ページごとに抜き書きしたくなる箇所がある。

● まず,女性向けに男女のことや結婚について説いているところから転載。
 男性の職業や年収などにはさしてこだわらず「私を好きになってくれる,優しい人なら」という女性たちがなかなか結婚できないのはなぜでしょうか。 私が考える答えはいたってシンプルです。女性が「ハードルが低い」と思うような男性には,心をすっくり奪い取られるほどの魅力がないからだと思います。(p7)
 昭和三十~四十年代には,日活映画で吉永小百合さんが演じていたような貧乏だけど賢くて健気な女の子が,どこかの御曹司と結ばれるという話はあったかもしれません。しかし,それは,貧しくて教育を受けられず,中卒で働いている人がいっぱいいる時代だったからです。 いまの世の中で教育をロクに受けていない人というのは,単に努力しない人だとみんなわかっているから,ちゃんとした男の人は高校中退の女の人にはまず近寄りません。(p48)
 ヤンキーとして生きていきます! という強い覚悟があるなら,ヤンキーのムラ社会で早々に結婚し,誰にも読めない無謀な当て字の名前をつけた子どもを育て,一生ヤンキーの暮らしをしていくことができるでしょう。 いちばんやっかいなのは,ヤンキー人生を送る覚悟も持たずに,このままなんとか二流三流の社会で生きていけるとぼんやり思っている人々です。(p48)
 年下の友人女性は,立派な大学を出て証券会社に入ったのですが,電話で勧誘する仕事を任されたら怒鳴られっぱなしで,ついにはストレスで十円ハゲができてしまいました。彼女は職場の人と結婚して会社を辞め,いまは昼間からママたちとカラオケしたり,公園で子どもと遊んだりしていて,とても楽しそう。もう二度と働きたくないそうです。 「でも,お宅の旦那さんが,十円ハゲ作ってるかもしれないよ?」と言ったら,彼女は「それは仕方ないでしょ」って。大半の女性たちにはまだ「女は十円ハゲ作っちゃいけないけど,男は仕方ないよね」っていう気持ちが根強く残っているのは事実です。(p124)
 二十歳の誕生日プレゼントがゴルフクラブの会員権だったA子さんは,その後,田園調布のお金持ちと結婚して,お子さんたちは名門私立に入りました。A子さんのように育ってきた人は,「自分は不幸になるはずはない」と確信している。(中略)“絶対安全専業主婦”の揺るぎない自信があるわけです。 そして実際,彼女たちには,たとえば旦那さんの会社が倒産したりリストラに遭ったり,とか,旦那さんが他の女の元へ逃げるといった不幸は起こらず,裕福で幸せな専業主婦としてずっと生きていく。生まれながらに上流の層にいる人たちにたいして“専業主婦のリスク”なんていうことを持ち出しても,何の意味もありません。(p126)
 世の中は理不尽なことで溢れていて,自分の思い通りになることなどほとんどありません。だけど人間は努力をしなければならない。それを社会で働くことで学んでいる。仕事から逃げ出して主婦になった人が,子育てで成長しようなんて目論んでいるとしたら,あまりにも自分に甘いんじゃないかしらと思います。(p135)
 オスの度合いが高い男性-たとえば野球選手とか起業家の人たち-ほど,きれいなメスを選ぶよう,DNAに刷り込まれているような気がします。そこにはあまり複雑で屈折した思考はなくて,単に,オス度の高い生物としての本能的な選択なのだと思います。(p140)
 女は若ければ若いほど・・・・・・なんて平気でのたまう“伊勢神宮男”はこちらから無視してやりましょう。若い女を愛するなんていうことは誰にだってできる。(p161)
● 林さんが言う野心とはどんなもので,野心を持つとどんないいことがあるのか。
 彼ら,最近の若い作家は素晴らしい才能を持っているし,真面目に努力もしている。なのに,あっという間に舞台からいなくなってしまう。どうして彼らは消えてしまうのか。 それは,野心という前輪がまわっていないからではないかと思うのです。努力の後輪はちゃんと回っているにもかかわらず。 若い作家のエッセイを読むと,昼頃に起きてシャワーを浴びて,自分で美味しいパスタを作って,そのあとちょっと仕事して,ビデオを観て寝る,みたいな一日だったりするんですよね。欲がまったく感じられない。(p32)
 運と努力の関係とは面白いものです。自分でちゃんと努力をして,野心と努力が上手く回ってくると,運という大きな輪がガラガラと回り始めるのです。(p63)
 運というのは一度回り出してくると,まるで,わらしべ長者のように,次はこれ,その次はこの人,と,より大きな幸運を呼ぶ出会いを用意してくれるのです。(p67)
 人生には,ここが頑張り時だという時があります。そんな時,私は「あっ,いま自分は神様に試されているな」と思う。(中略) ちゃんと努力し続けていたか,いいかげんにやっていたか。それを神様はちゃんと見ていて,「よし,合格」となったら,その人間を不思議な力で後押ししてくれる。(p64)
 その「ここぞという機会」を自分で作り出すのが,野心です。私が強運だと言われているのも,次々といろいろなことに挑戦し続けてきたからだと思います。 もちろん,いまも,小説は一作一作,いつも新しい挑戦をしています。(p67)
 野心が山登りだとすると,少し登り始めると,頂上がどんなに遠いかがわかってくる。少しクラッとするような場所まで来て,下を覗いてみると,登山口の駐車場ではみんなが無邪気にキャッキャッ楽しそうに群れている。でも,自分はぜったいその場所にはもう下りたくないと思う。(中略) なぜ,わざわざ辛い思いをしてまで山登りを続けられるのでしょうか。それは,必死で登って来た場所から見る景色があまりに美しく,素晴らしい眺めを自分の力で手に入れて味わう満足感と幸福をすでに一度知ってしまったからです。(p190)
● では,どうしたら野心を持てるようになるのか。
 野心を持つことができる人とは,どのような人なのでしょうか。それは,自分に与えられた時間はこれだけしかない,という考えが常に身に染み付いている人だと思います。 私が最近の若い人を見ていてとても心配なのは,自分の将来を具体的に思い描く想像力が致命的に欠けているのではないかということです。時間の流れを見通すことができないので,永遠に自分が二十代のままだと思っている。(p36)
 一度も勝ったことがない人は勝ち気にさえなれない。どんなに小さなことからでもいい。人に認められる快感を味わい,勝った記憶を積み上げていくと,人格だって変わっていくんです。(p174)
 田舎で生まれ育った器量も頭も悪い女の子が,どうしてこんなに人並みはずれて欲張りで野心を持つ人間になったのかといえば,それは「妄想力」の為せる業なのではないかと思います。 妄想力とは,想像力よりもさらに自分勝手で,自由な力。現実からは途轍もなく飛躍した夢物語を,脳内で展開させてみるのです。秘密の花園でこっそりと花を育てるように。(p176)
 妄想力を鍛えるためには,なんといっても本を読むことです。辛い時には,空想の中で遊んだり,物語の世界に逃げ込むことだってできる。 それに,読書って,ひとりでやっていて惨めに見えない,数少ない趣味でもあります。(p179)
 ● 三流の場所にいると,その温さが心地よくて長居したり,あるいは抜け出せなくなるから気をつけなよ,とも。
 ここで注意したいのは,二流や三流の人々というのは,自分たちだけで固まりがちなことです。(p17)
 年を取っても,三流仲間は自分を出し抜いたりせずに,ずっと三流のままでいてくれるだろうという安心感。周りはみんなぼんやりしていてプレッシャーもないし,とにかくラクですから,居心地が良い。三流の世界は人をそのまま三流に引き止めておこうとするやさしい誘惑に満ちているのです。(p50)
 一流の場所に行って気づくのは,一流の人たちって本当に面白いんですよね。どんな会話をしても,いちいち面白くて,行動かあら好きな食べ物(たとえラーメンでも),そのすべてが輝きを放っているのが一流の人々です。糸井さんや中畑貴志さんクラスの人って,まぶしいほどの一流オーラが出ている。毎日が刺激的で,信じられないほど楽しかった。(p53)
● 著作そのものについても語っていて,これもなるほどなぁと思うところが多かった。
 「資料を読む楽しさに比べると,文章を書くのは付け足しのようなもの」というのは,敬愛する作家,有吉佐和子さんから生前にお聞きした言葉です。(p22)
 初めての小説を執筆する過程で,私は学んでいったのです。書くからには内臓までお見せする気で,目を背けたくなるような自分をも切り刻んでいかなければならないことを。たとえ小説という虚構の世界において自分とはまったく違う人間を描く時であっても,それこそが自分にとっての「書く」という行為なのだ,ということを。(p109)
 小説よりもエッセイのほうが,物書きは嘘を吐くと私は断言します。いくら本音を売りにしたエッセイであっても,小説のほうが遙かに正直な自分が出てしまう。(p110)
 やはり編集者がついてくれたことは大きかった。編集者と〆切の存在なくしては,私みたいな怠け者は無理。(中略)だから,新人賞の応募で,編集者もいないのに長編一千枚くらい書く人って,たいしたものだと感心します。(p112)
● その他,転載。
 人気を得た芸能人がデビューのきっかけを訊かれて,「友達からオーディションについてきてくれって頼まれただけだったのに,なぜか私がたまたま受かっちゃって!」と少し困った顔をして見せたり,あるいは,急に有名になった文化人美女が女性誌のインタビューで,「本当に自分でもびっくりするくらいのんびりした性格なんですけど,周りの方々が引き立ててくださって・・・・・・」と恐縮しているふうを装うパターン,目にしたことはありませんか。 全部とは言いませんが,ほぼ百パーセント,嘘です。 「私って実はすっごく大食いなんですー」とのたまう極細モデルさんと同じくらい,嘘。 剥き出しの野心が嫌われるこの国で,彼や彼女たちは,嘘をついてでも見事に野心を貫徹させた成功者といえるでしょう。(p5)
 私は思います。「若いうちの惨めな思いは,買ってでも味わいなさい」と。(p19)
 現状がイヤだと思ったら,とことん自分と向き合うこと。 友達と気晴らしに呑んで騒ぐのもいいけれど,時にはひとりで思い切り泣いたり,徹底的に落ち込んでみる必要があります。(p20) このまま布団をかぶって寝てしまいたくなるほど,消したい過去はいっぱいあります。(p25)
 取り返しがつかない,という意味では,やったこともやらなかったことも同じです。やってしまった過去を悔やむ心からはちゃんと血が出て,かさぶたができて治っていくけれど,やらなかった取り返しのつかなさを悔やむ心には,切り傷とはまた違う,内出血のような傷みが続きます。(p25)
 本当に恐ろしいのは「止まっている不幸」だと思います。出口が無くて,暗く沈んでいくだけのモヤモヤとした不幸。(中略) それに比べると,何が欲しいかはハッキリとわかっている「走っている不幸」にはいつか出口が見えてくる。走ることを知っている人たちは,諦めるということも知っています。実際に,運が悪い人とは見切りが悪い人でもある。(p180)
 母はよく,「貧乏って,消極的になるから悲しい」と言っていましたが,その通りではないでしょうか。お金がないと,どうしても行動範囲が限られてくる。(p60)
 自分への投資が実を結び,会話の面白い人間になっていくと,いろんな人が寄ってくるし,お座敷がいっぱいかかるようになります。そこで,また面白い人に出会って,さらにどんどん会話が広がって魅力的な人間になっていくのです。(p62)
 私は,貰った四十通以上の不採用通知の束をリボンで結んで,宝物にしていたんです。 あまりに呑気というか,正気の沙汰ではないと思われるかもしれませんが,きっと,近い将来,私のところへ取材にきた出版社の人に手紙の束を見せながら,「あなたがいる会社も含めて就職試験,全部落っこちゃって!」と笑って話せる日がくるだろうと信じていたからです。(p72)
 貧乏で先の見通しは何も立っていなかったけれど,不思議と,落ち込むほどの悲愴感はありませんでした。当時は日記を書いていましたが,それも,いまに私は大金持ちになって貧乏時代を懐かしむ日が来る,と確信していたから。(p73)
 どん底時代をどういう心持ちで耐え抜いたかというと,「いまに見てろよ」っていうような不屈の精神ではないんです。「おかしいなぁ・・・・・・私,こんなんじゃないはずなんだけど」という「???」の思いでした。 たとえ根拠が薄い自信でも,自分を信じる気持ちが,辛い局面にいる人を救ってくれるということはあると思います。(p88)
 自分を信じるということは,他人が自分を褒めてくれた言葉を信じるということでもあると思うんです。(p89)
 「林真理子って,あんなに野心家だからさー」「あそこまで売り込めないよねー」と当時さんざん悪口を言う人たちがいましたが,成功した人を貶めようと負け惜しみを言う人間は,自分がどんなに卑しい顔をしているんか知らないのでしょう。そして,彼らはもう誰一人として第一線には残っていません。(p98)
 メジャーになるとうことには,大なり小なりの恥ずかしさがついてくるでしょう。そうした恥ずかしさをものともしあい無垢な泥臭さは,野心の味方をしてくれます。都会人のスマートさは,野心の邪魔をすることもある。(p101)
 人に否定されたら,悔しい気持ちをパワーに変えてしまいましょう。凹んでいるだけでは,悪口を言った憎たらしい相手の思うツボではありませんか。(p111)
 漫画家の人たちって総じて野心が低いなぁというのが私の印象です。オタク度が高くて,野心度が低い。(中略)野心というよりも「天然」という言葉が思い浮かぶ人たちが多いんです。なぜだろうかと考えたこともあるんですけど,やはり絵を描ける「才能」が先に立つからではないでしょうか。「アーティスト」の域に入っている人に,野心は不要なのかもしれませんね。(p150)
 松田聖子さんにしても,野心という言葉では括れない女性だと思います。彼女の場合は,まるごと生命体としての強さというか,野心なんてまったく必要なく身体が勝手に行動している感じ。(p150)
 トラへと姿を変えるのは三十歳ぐらいが良いのかなぁと思いますが,あんまり長年ウサギをやっているとウサギ癖がついてしまい,もはやトラになりたくても変身できなくなってしまうから要注意。(p154)
 人生に手を抜いている人は,他人に嫉妬することさえできないんです。それほど惨めなことはありません。(p181)
 こま切れの隙間をどう過ごすかで,生き方さえも決まってくると思います。同じ時間を生きているのに,私たち人間には知識や器の差がある。この差はどこから生じるかというと,隙間の時間にもどれだけ積極的に自分の人生とかかわっているかの違いに拠るところが大きい。電車にのっている三十分なりで,本や新聞を読む人と,携帯電話でのメールに明け暮れている人の差は,年齢を重ねるごとに大きくなってきます。(p183)
 一晩ぐっすり眠ったら,少々の嫌なことを忘れさる能力は大事です。(中略)嫌なことを引きずらない能力は,絶対に運も強くすると思います。今日は今日の楽しみを見つけるのが得意な人が,運の強い人。道端でかわいい花を見つけたら,何かいいことありそう! と思える感性こそが強運への近道なんです、(p184)
 運が強い人って,明るいし,よく食べて,声も大きい。(p185)
● ぼくとしては,最後の“運が強い人は声が大きい”というところで納得。つまり,ぼくは声が小さいのでね。しかも早口。しかも,通らない声だ。
 これじゃ,運が付いてこないのか。言われてみれば,思いあたる節が多々あるね。

2015年4月14日火曜日

2015.04.11 舛岡はなゑ 『福の神がついている人 貧乏神がついている人』

書名 福の神がついている人 貧乏神がついている人
著者 舛岡はなゑ
発行所 PHP
発行年月日 2012.07.04
価格(税別) 1,500円

● ここのところ,この種のものを読みすぎかも。少々,気持ちが萎えることが続いているせいもあるか。一過性であっても,鎮痛剤がほしい。

● いくつか転載。
 最大の人助けというのは,いつも機嫌よくしていることなんだよ。何があっても,不機嫌な顔を人に見せたりしないのが,最大の修行なの。(p34)
 しあわせってね,現状が変わって,こうなったらしあわせ,ああなったらしあわせ,じゃないんだよ。自分を取り巻く,この現状を変えないで,自分がどうやって機嫌よくしてられるか。そこにかかってる。(p35)
 「こうなったらしあわせ」っていってる人は,「今,不幸だ不幸だ」っていってるのと同じことなんだよな。不幸の波動を出しながら歩いていても,寄ってくるのは不幸なことばかり。(p35)
 もし,思い通りにならないとしたら,その思いがおかしい。「働きもしないでお金が欲しい」とか,「自分を魅力的にすることをしないで,モテたい」とか,おかしなことを思ってる。(p39)
 ゆるせない人のことがどうでもよくなっちゃうぐらい,自分がしあわせになんな(p142)
 神が,みんなに奇跡を見せたがっているんだよ。(p200)
 人間ってね,魂は死なないの。生まれ変わりがある(中略)。だとしたら,人殺しだとかってバカバカしいの。だって,相手は死なないんだもん。(中略)それなのに,この世で殺人罪を犯した自分は,何十年と刑務所に入って,一生一回のこの人生を棒にふっちゃってさ。(p207)
 自分の身近に「わっ,この人,ヤだな・・・・・・」って思うような人がいたら,自分から先に逃げな,って。(中略)正しい人ってね,ゼッタイ逃げないんだよ。(中略)いつまでも逃げないでがんばっていると,戦いが始まるんだよ。(中略)正しい人が集まるとけんかが絶えない,っていうけど,それは「自分が悪い」って,マイッタする人がいない。全員,自分が正しい,っていうんだよ。(p208)
 自己犠牲は,神様が全然喜ばないんだよ。あなたも,わたしも,ともに神の子なんだから,神は,両者ともしあわせになってもらいたい。(p224)
● 以上は,いつもの斎藤節。だけれども,本書のテーマは“白光の浄霊”というもの。浮遊霊に憑かれた人を浄霊して,浮遊霊を成仏させる。
 それで病気が治ったり,ウツが溶けたりしたという事例集でもある。

● ということならば,浄霊してほしい人物がごく身近にいる。いや,ぼく自身も浄霊してもらいたい。

2015年4月12日日曜日

2015.04.11 立川談志・田島謹之助 『談志絶倒 昭和落語家伝』

書名 談志絶倒 昭和落語家伝
著者 立川談志
    田島謹之助(写真)
発行所 大和書房
発行年月日 2007.09.30
価格(税別) 2,600円

● 登場するのは次の26人。
 六代目三遊亭円生
 三代目春風亭柳好
 三代目桂三木助
 八代目桂文楽
 六代目春風亭柳橋

 桂小文治
 五代目古今亭今輔
 八代目三遊亭可楽
 四代目三遊亭円馬
 四代目三遊亭円遊

 二代目桂枝太郎
 七代目春風亭小柳枝
 昔々亭桃太郎
 林家三平
 十代目金原亭馬生

 三代目柳家小せん
 七代目橘家円蔵
 九代目翁家さん馬
 三遊亭百生
 二代目桂右女助

 八代目春風亭柳枝
 八代目林家正蔵
 二代目三遊亭円歌
 八代目桂文治
 五代目古今亭志ん生

 五代目柳家小さん

● 「これが東京の噺家の全て」,つまり,昔は噺家は今よりずっと少なかった。
 その中でも,家元(著者)の好き嫌いは当然あるようで,十代目金原亭馬生(五代目古今亭志ん生の長男)と三遊亭百生に,哀惜の念を強く持っていたようだ。
 たぶん,最も心酔していたのは古今亭志ん生に対してかと思われる。

● 田島謹之助さんによる写真も貴重なものだろう。高座での写真,自宅でくつろいでいるときの写真。楽屋で火鉢にあたっているときの写真。
 噺家の写真から受ける印象は,文士のそれと似ているなというものだ。同時代の作家,たとえば井上靖とか,そういった人たちと共通するものを感じた。

● 以下にいくつか転載。
 その頃の落語界では,東京出身以外の噺家は認められなかった。今輔師匠は群馬県の出身であり,それがどれほど劣等感になっていたことか。(p85)
 現代もそうだが,噺家には,そこにある噺を唯演っている奴がゴマンといる。いや,ほとんどがそうだ。(中略)と同様で,その昔もそういう噺家はいた。いや,ほとんどがそうか。(p117)
 この種の,“新しいものを取り入れているつもりがアナクロニズム”というのは,何も枝太郎師匠ばかりに非ズで,下手ァすると,ありとあらゆる師匠に見られた。よほど古典一筋でない限り,当時はそうなってしまったのか。(p120)
 ある批評家が文治を評して,「あるところまで行くと止まる芸」と書いたが,現実にそうなった。上手いが故に,できてしまったがために次の段階に進めなかったのだろう。(p226)
 文治師匠には人望はなかったようだ。けど,“じゃあ人望があったのは誰だ”ということになると,志ん生師匠にもない,円生師匠にも,三木助師匠にも,ほとんどの噺家にないのではないか。(p234)
 私もそうだが,志ん生は落語がなかったら家族も持てなかったろうし,社会からドロップアウトしてたろう。 楽屋の志ん生師匠はあまり喋らなかったし,受け噺もしない。“こんなことがあった”という,よくあるお喋りもなかった。人の話題にも参加しなかったように見えた。(p250)

2015.04.08 みっちゃん先生 『大金持ちごっこ』

書名 大金持ちごっこ
著者 みっちゃん先生
発行所 KKロングセラーズ
発行年月日 2015.03.01
価格(税別) 1,100円

● 「大金持ちごっこ」とは,カニカマを越前ガニと言いながら食べるとか,シマムラをシャネムラと呼んだりとか,そうしたたわいのない遊びのこと。

● 以下にいくつか転載。
 「お金持ちの波動」というのは,「波動の周波数が高い」のだそうです。パワーに満ち満ちていて,エネルギーが外に発散されている。(中略) その反対に・・・・・・,「お金に困っている人」や「お金がなかなか入ってこない人」からは,「不幸な貧乏波動」というものが出ているそうです。 「不幸な貧乏波動」は,「波動の周波数が低く」,パワーが弱々しくて,エネルギーが内向きになっているそうです。(p13)
 「こうなりたい」と思うことがあったら,先手を打って,すでに「自分はそうなっているのだ」という“つもり”で行動してみませんか? これを「つもり行動」と言います。(p46)
 自分が弱いところをつかれたら,相手が大笑いするようなジョークで切り返す。『恥ずかしい』とか『隠したい』とか,そういう態度でいちゃダメなんだよ。(p62)
 自分の波動を『豊かで幸せな成功の波動』に変えたかったら,『自分の預金通帳に一億円が入っているつもり』で生活してみるといいよ。この一億円は『心の余裕貯金』なの。(中略) 会社で部長にガミガミ怒られたとするじゃない。そういうとき,心の中で『このガミガミ言ってる部長より,私の方が貯金をいっぱい持っているんだ! だって一億円もあるんだから・・・・・・』って思うと,怒られてても気持ちがしょぼくれないよね。こういうふうに,いつも楽しさや余裕を感じていることが,『豊かで幸せな成功の波動』なんだよ。(p67)
 人ってね,ホントに正直なところ・・・・・・,『豊かで幸せそうな人』の話を聞きたいと思うものなんだよ。その反対に,『人生下がり気味の人』がどんなにすばらしい『理想論』を語ったところで,それを聞きたいと思うかな?(p95)
 子どもってお母さんが,「私は子どものために節約して,ガマンしているのよ」なんて言うのを聞くの,実はとってもイヤなんですよね。お母さんがキレイな服を着て,オシャレして,楽しそうにニコニコしていう方がずーっとうれしい。(p106)

2015.04.08 水津陽子 『日本人だけが知らない「ニッポン」の観光地』

書名 日本人だけが知らない「ニッポン」の観光地
著者 水津陽子
発行所 日経BP社
発行年月日 2014.09.24
価格(税別) 1,400円

● 2020年オリンピックの開催地が東京に決まった。海外からの観光客を誘致する大きなインパクトになると,関係者は色めき立っているかもしれない。
 本書はそれら関係者への手引書のようなものか。

● 章立ては次の11。
 1 古都と廃墟
   高山と長崎の軍艦島が取りあげられる
 2 桜
   桜といえば日本,日本といえば桜,というのは日本の常識にすぎず,海外では桜は韓国

 3 川・運河
   隅田川クルーズの健闘が紹介されている
 4 宿
   浅草「貞千代」と目黒「クラスカ」,「カオサン」を例に
 5 ローカル鉄道
   和歌山電鐵貴志川線,肥薩おれんじ鉄道

 6 美術館
   Arts TOWADA,直島
 7 食べ歩き
   大阪・黒門市場
 8 都市観光

 9 名城・古城
 10 街道
   中山道を例に
 11 バス

● ぼくは(たいていの人はそうだと思うけど)外国人を迎えるという発想はなくて,自分が外国に観光に出て行くことしか考えていない。どこがいいだろうか,と。
 客になることしか考えていない。が,客を迎えるのを仕事にしている人たちもいるわけですよね。それで生きている人がいる。

● 内容はちょっと堅め。読んでいて面白いというより,少々学術書っぽい印象。
 以下に,いくつか転載。
 お金の落ちない観光資源は,地域に騒音とゴミをもたらすだけにもなりかねません。どんな優れた資源も,それをお金に変える観光商品やブランド戦略がなければ,経済効果は極めて限定的なものになります。(p32)
 外国人は,東京から日帰りできる箱根や日光を東京観光という一つの枠で捉えています。これは私たち日本人が,ベルサイユをパリと一括りで考えるのと同じ発想です。(p67)
 日本の博物館は文化財保護法により,第一の目的が「文化財を守る」ことに置かれ,公衆の「観覧」に供するのはその次です。(中略)これに対して,海外のミュージアムの多くはガラスの仕切りもなく,写真撮影が可能なところや写生をする人などもいて,ミュージアムは市民にとってより身近な存在です。(p101)
 バブル崩壊後の観光市場は団体パッケージツァーが下火となり,観光ニーズも「物見遊山型」から「能動体験型」にシフトしましたが,現代アートの成功はこの変化にまさにジャストフィットしたと言えます。(p102)
 観光地にとって最大の課題はリピーターの獲得です。(中略)人気観光地や有名な名所旧跡を,2度以上訪れる人はそれほど多くありません。リピーターは何を求めて再び日本に来るのでしょう。 同調査(観光庁の「訪日外国人の消費動向)で今回の滞在中にしたいことを尋ねたところ,1位は「日本食を食べること」で,2位の「ショッピング」,3位の「繁華街の街歩き」を大きく引き離しています。(p120)
 建造物としての城は国宝や重要文化財として評価されますが,石垣などが評価されるのは史跡・特別史跡としてのみ。城の佇まい,城の姿や城の世界観,城からの風景など,城の価値を総合的に評価する枠組みは日本にはありません。(p162)
 街道を「中世」というストーリーとして魅せる舞台に仕立て,新たな観光を提起するドイツ。片や,城の外観と天守閣の眺めのみで,城が背負う歴史や地域固有の文化などのバックグラウンドが見えない,「歴史的ハコモノ」の日本の城。(p172)
 「木曽路はすべて山の中である」。島崎藤村の小説『夜明け前』の有名すぎる一文ですが,その世界を実際に見るなら山の中に入って行くしかありません。そういう世界に憧れつつも実現できていない旅の一つです。そこを外国人が歩いていく。印象的なシーンでした。(p176)
 観光開発モデル,観光地のライフサイクルの第1段階は「探検」と呼ばれ,外部から来た人が新たなまなざしで地域の魅力や価値を発見する(中略) しかし中山道は観光資源としてはいまだ埋もれた大器です。これを生かすには観光の発展段階,第2の「参加・関与」つまり,日本の中でこの価値を理解し(中略)これに参加するものが出てくることが不可欠となります。(p185)

2015年4月6日月曜日

2015.04.05 尾形幸弘 『斎藤一人の運を拓く教え』

書名 斎藤一人の運を拓く教え
著者 尾形幸弘
発行所 サンマーク出版
発行年月日 2015.03.30
価格(税別) 1,500円

● アメリカの成功哲学は昔から読まれていたし,国内でも中村天風さんはかなりのファンを持っている(と思う)。天風会の修練に参加した人もけっこういるんじゃなかろうか。
 天風さんの場合は,命をかけた軍務に従事したあとに,奔馬性結核に罹って死の一歩手前まで行った。それを克服したというのがカリスマ性に花を添えているっていうか。

● で,今,最も読まれているのは,斎藤一人さんの著書だと思う。ぼくもあらかた読んでいる。読まれる理由のひとつは,特別な修法を要しないという気楽さにあると思う。
 天風さんの場合は,「心身統一法」という修法の体系がある。“観念要素の更改法”や“積極観念集中力養成法”や“クンバハカ”など。易行だとは思うけれども,それでもなかなかねぇ。
 その点,斎藤一人さんにあっては,そうしたものはない。言葉に気をつける,「上気元」に生きる,押し出しをする。そういった日常の生活での注意事項だけだ。
 それだけで,運が良くなり,幸せになり,お金もできる。

● ところがどっこい。読んでそのとおりにできる人は,百人に一人だろう(千人に一人か)。ぼくはできていない。
 要するに,気を抜けないからね。始終,気をつけていないといけないから。たぶん,それを習慣にできてしまえば,ずいぶん楽になるんだろうけど。

● で,本書は,その斎藤一人教を集大成したものといってもいいと思う。
 人間だけが,“波動”を変えることができるんだよ。それで,どうすれば変えることができるのかというと,言葉を変えれば波動は変わるからね。(p31)
 人をほめる 少し動きを速くする(早足で動いたり,新幹線などの速い乗り物に乗る) おしゃれをする 大きな声を出す 今よりステキな自分を想像する 自分をほめる 恐怖を覚えることをされたり言われたりしても,同調しない 気軽,気楽を心がける(p31)
 成功とは,上へ上へと昇っていく過程のことだから,俺でも『もうこれでいい』と思った時点で,失敗者になっちゃうんだよ。(p42)
● 行動しないと始まらない。思うだけではダメだ。アメリカ製の成功哲学は,“強く念じよ,すべては叶う”といった気味合いがあって,イメージしてれば,あとはジッとしていても,成功や富が勝手に近づいてくる的な受け取られ方をされることがあると思う。
 が,思うだけでは何も変わらない。
 “重続”って言葉は,俺がつくった言葉なんだけど,知恵と勇気を出して行動していくと,必ず最初は失敗するよな。それでも『もう一回,もう一回』と何度も失敗をして,経験を重ねながら改良し続けることを“重続”っていうんだよ。ただ続ける『継続』だけじゃダメだからな。経験を重ねて改良をしながら続けること。(p46)
 失敗や間違いに気づいたと同時に,人っていうのはちゃんと反省をしているもの。だから,それ以上に反省する必要はないの。 それと反省しているときって,行動が止まっていて何もしていないんだよな。だから長々と反省をするくらいなら,次の行動に出たほうがいい。行動しないことには,人は前には進めないんだからね(p56)
 人間の可能性って無限なんだよ。だから,ほんとうはいろいろなことができるのに,人は勝手に自分の限界をつくるんだよな。それがいちばんやっかいなの。(中略) その限界を超えるには,自分がいちばんイヤなことをやらなくちゃならないの。イヤだから限界をつくっているからね。それでイヤなことでも一歩を踏み出してやってみると,そのときに限界というのは超えられるようになっているの。(p60)
● じつはぼくにも悩みがあって,近くの「まるかん」で話をきいてもらったことがある。こちらがグズグズしているものだから,現時点で解決には至っていないけれども(むしろ悪化しているか),それは親身に話を聞いてくれた。ありがたかった。
 ただ,一点だけ違和感を感じたところがある。それは,彼ら彼女らが,「自分たちにはひとりさんがついている」という意味のことをしばしば言っていたことだ。それは見ようによっては,迫害されて新興宗教の信者が自分たちの存在の正当性を教祖に帰すがごとくでもあった。

● この点について,著者は次のように語る。
 ひとりさんの教えは,実践すれば100%の確率でうまくいきます。なぜかというと,それは“心理”だからです。私はそう思っています。 だけど,同じようにひとりさんの本を読んだり,ひとりさんの話をきいたりしても,うまくいっく人と,いかない人に分かれるのが現実。では,なぜそうなるのか? その答えははっきりしていて,うまくいかない人はひとりさんの教えを100%は実践していません。 「この教えはいいけど,これは自分には向いていないからやらない」とか,ひとりさんの教えを“自己流”にアレンジしたり変えたりしているのです。 たとえば,ひとりさんは「押し出しのためにヴィトンのバッグを持つといいよ。それも,持つのなら誰が見てもわかるLVのやつ(モノグラム)がいいんだよ」と勧めてくれます。 でもそれを聞いて「自分はエピにする」とか「私はダミエが好き」など,自分の好みを入れたりする人がいます。(中略)「押し出し」は相手にわかってもらって初めて「押し出し」になるのです。自分の好きなものを持つだけでは,それはただの趣味になってしまいます。(p83)
 ひとりさんのお弟子さんたちはみんな,とても個性的です。(中略)その中で唯一共通うするのはみんな,ひとりさんの教えを100%実践する“素直さ”がハンパじゃないところ。(p84)
● じつは,職人の世界や,芸事の世界でも,これが妥当するのかもしれない。そうした世界の実情をぼくは知らない。
 本は批判的に読めとか,通説に対しては疑ってみろとか,そういう教育を受けたきりで世に出てしまったので,そういうものだと思っていて,それが自分の限界になっているのかも。

● 以下に,ぼくがエッセンスと思ったものを転載。
 ただし,本書には著者がエッセンスをまとめて巻末に掲載している。そちらを読んだほうがいいと思う。
 ひとりさんが「借金をしちゃダメだよ」と言う理由のひとつは,借金があると「返せなかったらどうしよう」という不安が,他の恐れや心配を引き寄せるからなのです。恐れの元になるようなことは,なるべくつくらないし,関わらないこと。(p67)
 大切にしたものが残るんだよ(p72)
 『二兎を追う者は一兎も得ず』なんて小さいことを言っちゃダメだな。いいかい,おがちゃん。こういう言葉もあるんだよ。『一網打尽!』(p74)
 ひとりさんは「不幸な人には,ある特徴があるんだよ」と教えてくれました。それは,「自分にないものに焦点をあてる」のだそうです。(中略) 逆にしあわせな人は,「私はあれができる,これもできる」といったように,常にできることに焦点をあてます。(p76)
 これからは自分も仕事も押し出しなよ。持ち物は押し出して,態度は謙虚。これが商人の姿勢だよ(p81)
 いちばん印象的だったのが,「持ち物や見た目の『押し出し』は,まわりの人が2歩,3歩,後退りするくらいでちょうどいいよ」と教えてくれたことです。(p82)
 ひとりさんは「希少価値の高い人」には誰でもなれると言っています。それは「人をほめる人間」になることだそうです。(p86)
 ダイヤモンドって,誰が見ても輝いているんだよ。ダイヤモンドをみて『ほしい』と言う人もいれば,『いらない』って言う人もいるし,『値段が高い』って言う人もいるよな。(中略)だけど,ダイヤモンドにとって,そんなことは関係ないの。誰が何と言おうが,何と思おうが,関係なしにキラキラ輝いているんだよ。人間もそれと同じ。まわりがどうこうに関係なく,自分がいつもニコニコ笑顔で,明るい言葉を話していれば,誰が見てもそういう人は輝いているように見えるんだよ(p87)
 自分は普通で満足なら,常識を大切にすればいいけど,自分は普通以上にしあわせになりたい,成功したいと思っているなら,常識に縛られないほうがいいよね。もっと運勢を上げてしあわせになりたいのなら,常識以上の考え方をする。これが“ひとりさんの教え”のまず前提なの。(p90)
 ひとりさんは,「自分がいつもしあわせでいることが,最大の社会貢献だよ」と教えてくれました。(中略)「風邪もうつるけど,しあわせもうつる」なんです。(p95)
 ひとりさんからは事前に「商売でいちばん大切なのは,“引き際”だよ」と言われていました。「ここまでやって無理だったらやめるとか,赤字の最大額を最初に決めておいて,そこにいったらすぐにその事業からは撤退するんだよ」と教えられていたのです。(p150)
 事業を拡大していく中で,「楽しい」よりもほかのことを追求するようになりました。それは「おいしい」です。 居酒屋ですから料理のクオリティーを上げれば必ず評判になり,集客がさらに上がるはずだと私は考えました。そして,「楽しい」を追求するためにお店でやっていたさまざまなイベントをやめて「おいしい」に力を入れたのです。 その結果どうなったかというと,客数は減少しました。(p167)
 仕事にも私生活にも活用できて,ものすごい効果のある法則をご紹介します。それは,「『私はすでに成功者なんだ』と思って行動すると成功する」の法則です。(中略) 「成功したい」ということは「自分は“まだ”成功者じゃない」と思っていることになります。すると,成功に対する行動が伴わないか,行動すらしなくなってしまいます。 でも,「自分はすでに成功者なんだ」と思っていると,行動が「成功者の行動」になるんです。だから,結果的に成功するというわけです。(p174)
 よくね,お店がヒマだから内装を変えようとか,メニューを変えようとか,自分以外の外ばかりに目を向ける人がいるんだけど,それは神的ではないんだよ。だって,売れっ子のジャニーズのアイドルが焼き鳥屋さんをやっていたら,少々味がまずかろうか,少々お店が狭かろうが,スゴイ人が来るよね。 結局はその人の魅力で人が集まるんだよ。だから,人間が魅力で負けたらいけないんだよ。(p181)
 この世でいちばん大切な修行を教えてあげよう。それはな,いつも笑顔でいること,いつも否定的なことを言わないこと。これを毎日,毎日,やり続けることだよ。この修行は,1年,2年,そして何十年って続くんだよ。 あのさ,生きていれば誰でも大変なことなんてあるんだよ。いろんな出来事が起きるんだよ。俺だってそうだよ。 だけど,俺が心配そうな顔をしていたら,おがちゃんもみんなも心配するだろう。人に心配かけちゃいけないんだよ。だからね,ウソでもいいから笑うんだよ。(p182)
 人は馬や牛じゃないんだよ。尻を叩いて動くわけがない。尻を叩いて動かしているようじゃ社長失格。人は,楽しい会社,楽しい社長が好きなんだよ。楽しいからがんばれるの。(p193)
 人ってな,弱いところが必ずあるんだよ。その弱いところを責めちゃいけないよ。他人の弱いところを責めはじめると,人ってな,自分の弱いところを隠そうとするからね。(p198)
 信じられないようなことを言うかもしれないけどな,俺はお金持ちになりたいわけじゃないんだよ。たくさん税金を納めて,学校や病院を作ったり,道路を作ったりして人の役に立ちたいだけなの。だから,税金をたくさん納めるために,お金を稼いでいるようなもんだよ。そう思って仕事をしていると,いつの間にか成功していくものなんだよ。(p200)
 世話になるのは恥ずかしくないんだよ。それより,世話になったことを忘れることが恥ずかしいんだよ。これをよく覚えておくんだよ。(p203)

2015.04.05 茂木健一郎 『脳を鍛える読書のしかた。』

書名 脳を鍛える読書のしかた。
著者 茂木健一郎
発行所 マガジンハウス
発行年月日 2009.11.26
価格(税別) 800円

● 講演録かと思いますね。「読書のしかた」といっても,本はこう読めという内容ではなく,読むだけでなく書いたほうがいいとか,外国語を勉強することの効用とか,夏目漱石とか内田百閒とか,いい文学は読み返すたびに気づきがあるものだとか,わりと四方八方に飛ぶ。

● 以下にいくつか転載。
 私はインターネットを全面的に肯定する派なので,ヒマネタといっては失礼ですが,そういうニュースを読む人がたくさんいても,まったくかまわないと思うのです。(p8)
 本になる,言い換えれば活字になることの意味というのは,元ネタの提供者である人(あるいは作家)や社会から,ちょっと距離感を置いて離れたときにも価値として成立することにあります。(p8)
 文学的な味わいという観点からいえば,どんなに素晴らしい作家の自筆原稿も,活字になったものにはかなわない。活字のほうが文学的味わいは深いということなのです。(p15)
 そういう生の体験をそのまま文字として綴れば,それは単なる日記でしかない。自らの経験とあえて距離を置き,その出来事や心の機微を整理し,なおかつ精錬した言葉に置き換える。それが活字化されて,初めて文学といえるのだと思います。だからこそ,活字は偉大なのです。(p27)
 このシナプスという接合は,つなぎ変わるのにだいたい二週間ぐらいかかるのです。(中略)だからお父さんやお母さんがお子さんに注意しても,効果が現れるまで最大二週間は待たなければいけないことになります。(中略)二週間ぐらいかけてゆっくり変わっていく点では,脳というのは植物に似ているのです。(p47)
 例えば,いい音楽を聴いて感動する。もちろんこれだけでもいいことです。でも,自分でいい音楽を作ったり演奏できたりすれば,もっと嬉しいですよね。しかし普通は,いい音楽は知っているが,自分で音楽を演奏するなどの能動的なことはできない人が多いから,大抵の場合は耳年増で終わってしまいます。 しかし,単純に言葉を扱うことでよければ,どんな人でもそれなりに駆使して表記することはできます。(p61)
 最近の研究によると,バイリンガルの脳というのは老化に強いそうです。しかも何歳で第二外国語を始めたかは関係ないといいます。何歳で始めても,外国語のレベルがある程度に達したらバイリンガル脳になって,そのとき脳は強靱になるのだそうです。(p77)

2015年4月5日日曜日

2015.04.04 日垣 隆 『折れそうな心の鍛え方』

書名 折れそうな心の鍛え方
著者 日垣 隆
発行所 幻冬舎新書
発行年月日 2009.09.30
価格(税別) 740円

● 日垣さんの作品はいくつか読んでるんだけど,こういう人でもウツになるのかというのがまず最初の驚き。その経過をかいつまんで書いているんだけれども,かなり以上に凄まじいストーリーだ。なるほどと思った。

● それでも,「ウツウツな気分なのに,ウツに関する大量の本を読み,事情を知ってくれている親しい友人たちに相談し,メモを大量に書きながら,私は自分の体験を客観視する努力を続けました」(p9)というんだから,恐れいる。
 ぼくにもプチウツはあるけれども,そんなときはまず書くことができなくなる。

● 「当時,抱えていた毎月の締め切りは約五〇本。ラジオ番組の収録が週一回。それらをこなしながら(原稿を一本も落とすことはありませんでした),何とかここから這い上がろうと,思いつく限りの「ウツに克つ」試みをしました。素人目で見ても,「そういうことはしないほうがいい」と言われるに決まっているような振る舞いでしたが,悪戦苦闘の末,ほぼ,立ち直ることができたのです」(p10)というに至っては,超人そのものではないか。

● ともあれ。その体験の果実が本書。以下に,いくつかを転載。
 「病気だ」という情報を得ることによって,自分の中の「あやうい部分」を過剰に引き出し,自ら誤ったラベリングをしないように気をつけたい(p19)
 心の病気についてはさまざまな論争がありますが,誰にも迷惑をかけず,暮らしの中で折り合いをつけられるなら,相当しんどくても「自分は病気だ」と判断しないほうがいいというのが,つらかったころに私がたどり着いた結論でした。(p26)
 精神が弱ってくると,何事につけ自分を責めてしまうものです。すべて悪い方向に考えてしまいます。いわば自家中毒の状態ですから,毒を外に吐き出すべきなのです。 とくに客観的に見て「誰もが悲しいだろうと思うこと」は,吐き出すことでラクになります。(p45)
 このときの自分の心理は,極度につらい事態に陥ると,人はそれを「特殊なケース」と見なしがちだという一例だと思うからです。つらい気持ちは相対化できないものですから,これは自然な心の動きではあります。 しかし,「自分は誰にも理解されない,特殊な事態に陥っている」という思いは,奇妙な自己陶酔を生みます。悲劇の主人公のように自分の苦しみに自分で酔いしれ,自分の中でストレスという毒をいっそう増殖させてしまうのです。(p53)
 ものとものとの間には摩擦抵抗があるので,最初に動かすときに一番力がいります。しかし,いったん動いてしまえば,あとはずっとラクに動かし続けることができます。(中略) 文章を書くことで言えばさしずめ,エンジンがかかる書き始め(というより椅子に座る)までが大変で,何とか書き出してしまえば,そう時間やエネルギーはかからないようなものでしょう。(p71)
 落ち込んでいるときには,テレビは消す,これをルールとしたほうがいいと私は思います。(中略) 「それをやろう」と対峙する心構えがあって向き合う映画や本,ゲームであれば,無防備なままエネルギーを奪われずにすみますが,テレビは知らないうちに元気を吸い取られるような気がします。(p77)
 人間は,「できる」と思うことしか,できません。逆にいえば「できる」と思っていれば,できてしまったりするものです。 地区大会の予選すら勝ったことがない野球部の高校生は,甲子園に行けるとはなかなか信じられません。しかし,先輩が甲子園出場を果たしたことがある高校では,野球部員は甲子園を実現可能な目標として捉えています。(中略)「甲子園に行ける」という思い込みと,出場して歓声を浴びるといったイメージトレーニングが,彼らの実力に大きくかかわっているということです。(p88)
 この一〇年ほど,「お金さえあれば,なんでもできるのか?」という議論が,しきりになされました。しかしこの論は,土台にある「健康」が確保された上でしか成り立たないものです。 元気がなくなってしまえば,お金があってもなくても,なにもできません。(p94)
 最後に,この重大な問題について,普通は言ってはいけない本当のことを言っておきます。 それは,たいてのストレス程度はお金で解決できてしまう,ということ。だから今後は「給料以外に稼ぐ」がストレスを大幅に減らす鍵になってゆく,という事実です。(p95)
 一〇代の女性vs四〇代の男性。この取り組みで一〇代の女性に軍配が上がるのは,「身の上相談をこなした件数」という勝負です。(中略) 一〇代の女性のほうが経験値は上であれば,四〇代の上司に心のうちを明かすより,久しぶりに会った親戚の女の子にポロッと話したほうが,役に立つということになります。(p96)
 スウェーデンでは,七〇代の人の三〇パーセントがウツだという新聞記事を目にしたことがあります。これを私なりに解釈すると,「定年退職とは,仕事がなくなることではなく,求められなくなることが問題なのだ」となります。(p101)
 現実というのは統計どおりにいかず,一概に強い・弱いということはない。努力次第で,弱い人が強い人を凌駕することもある-これは,体も心も同じだと思います。(中略) 「努力,努力」と書いているのは,人間の伸び幅には,凄いものがあると感じているためです。(中略) もともと人間が持っている個体差よりも,伸び幅に着目して努力する。それが,正しい楽観的な生き方と言えるのではないでしょうか。(p114)
 「一流の定義」について,私は何人かの人に聞いたことがあるのですが,「あることを一定のアベレージで,一〇〇〇回でも繰り返せる人」というのが結論のようです。簡単に言えば,成功の再現性ということだと思います。 この論にしたがうのであれば,「一流」に近づくには,若いころは小さな集団に属し,小さな成功を何度も繰り返したほうがいい,となるでしょう。(p117)
 人のエネルギーには限りがあるのですから,できないことよりも,できることに集中したほうが,メリットはたくさんあります。 「なぜ自分はできないのだ?」というストレスから解放されますし,得意なことを突き詰めたほうが気分はよくなり,お金の面でのリターンも大きくなります。(p121)
 トゲつきのままでサボテンを食べる民族がいたとしても,たいていの民族はそんなものは口にできませんから,「別に,食べられなくたっていい」とあきらめることができます。 ところが,みんなが平気で食べているキュウリが食べられない人は,往々にして「無理をすればキュウリくらい平気だ」と食べようとしてしまいます。しかし,嫌いなキュウリを我慢して食べることは,その人にとってはトゲつきのサボテンを食べることと同等の苦痛だったりするのです。それに気づかずに努力を続けてがんばってしまうと,本人が思っている以上のストレスになるものです。(p121)
 家族や人生のパートナーなど,「無条件で受け入れてくれる相手」は財産です。しかし,どんなに親しい相手であっても,一定の距離感を保ったほうがいいというのが,私の考えです。(中略) 人と人が「引き合う」のは,距離があるからこそです。密着していては,引き合うすきもありません。(p129)
 嫉妬は,「自己評価=自分にもできるという思い」と「他者評価=そうなっていない事実」の齟齬によって生じるものとも言えます。(中略) 解決策は,自己評価と他者評価を一致させることです。そしてその方法は,「自己評価を下げる」か「他者評価を上げる」かの二つに一つです。(中略) 自己評価を下げると(中略)うまくいけば謙虚で正統な自己評価となりますが,(中略)針が極端に振れて,自己卑下,自己否定までいってしまうと,落ち込み,拭いがたい無力感の原因になってしまいます。(p141)
 「家族モノ」は観客の感情を引き出しやすい,という面があるのは,なぜでしょうか。おそらく,誰もが自分の家族にキズを抱えているからだと思います。 完璧な華族など,おそらくどこにも存在していません。自分にとっての家族や,家族にとっての自分は,当然のことながら大小さまざまなキズを負っています。そのキズを見て見ぬふりをしているあいだは耐えられるのですが,そこを映画やドラマや小説で「引き出されてしまう」と,わりと簡単に涙腺が決壊してしまうのでしょうね。(p168)

2015.04.04 見ル野栄司 『現場王』

書名 現場王
著者 見ル野栄司
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2015.01.25
価格(税別) 1,000円

● 次の11の職業ルポを漫画で紹介。
 鳶職
 ラーメン職人
 ロボット研究者
 トマト農家
 庭師
 塗装職人
 左官工
 宮大工
 しらす漁師
 交通管理隊隊員
 パティシエ

● 世界は誰かの仕事でできている,と結ぶ。そうかもしれない。が,自分が仕事を通じて世界を作っていると思える人は,ほとんどいないだろう。
 結局,取り替えが利くからね。自分じゃなくてもいいということがわかっている。
 この仕事は自分じゃないとできないと思っている人は,職人であっても少ないはずだ。まして会社員や公務員でそう思っているヤツは,大馬鹿者かどえらい傑物かのどちらかだ。99%は前者だろうが。