2015年12月30日水曜日

2015.12.25 鈴木宗男 『ムネオの遺言』

書名 ムネオの遺言
著者 鈴木宗男
発行所 講談社
発行年月日 2015.11.27
価格(税別) 926円

● 小泉内閣で田中真紀子外相の辞任と引き換えに,議院運営委員長を辞めた。そこからムネオバッシングが始まり,その後の推移は誰もが知っているとおり。

● ぼくらは直接,世間を見ていない。あるいは,見る術を持っていない。マスコミ報道を通してしか見ることができないのだろう。

● その後,田中さんは民主党に移って文科大臣も務めたが,そのことによって政治生命を消費しつくしたようにも思われる。自分のために動いた結果か。
 鈴木さんは刑務所暮らしも経験し,自民党にはいられなくなったけれども,新党大地は生命を保っている。みんなの党や維新のようなことにはなっていない。それらに比べると規模が比較にならないほど小さいからでもあるんだろうけど。

● 以下にいくつか転載。
 秘書を束ねられた秘訣は,四の五の言わせないくらい,とにかく私が働いたということ。他の秘書は土日休みますが,私は毎日出ているわけですから誰も文句が言えない。誰も真似できませんでした。(p34)
 角福戦争のとき,田中先生が福田赳夫先生に譲っておけば,ロッキード事件に巻き込まれなかったと後にいわれている。年齢的にも若いわけだから,黙っていても田中角栄の時代が作れたのだからといわれた。しかし田中先生は,「なれる時になる。譲ったからといって,なれるものではない」と言っていた。(p36)
 女房は男の兄弟が3人いるんですよ。やっぱり私の働く姿には一目置いていたんじゃないかな。もう365日,仕事仕事で,女っ気なんて全然ない。私の仕事ぶりを見て,あ,これならば食っていけるという気がしたんじゃないでしょうか。(p39)
 極寒の中,自民党の現職は歳をとっているから窓を開けて手を振れない。中川昭一さんもふわふわした立派なアノラックを着てはいるが,それでも窓を開けるという厳しさを知らない。私は目いっぱい手抜きしないでやった。だから選挙戦後半から流れを肌で感じるようになった。これはいけるんじゃないか。「一生懸命やっている鈴木宗男をなんとかしてやろう」という,選挙民の目に見えない力がきた,と。(p95)
 あれから何度も選挙を経験した。結局,人の気持ちをつかむのは「真剣さ」なんですよ。作り笑いはダメ。形だけの握手もダメ。やはり本当に根性をかけて,心をこめて,「お願いします」と頭を下げられるかどうか。いいかげんでは感動も湧かんし,真剣味は伝わりませんよ。(p100)
 グループの上に立つ者として,私が一番気をつけたのは,笑顔なんですよ。誰でも気さくに取り込む,壁を作らない。とっつきにくいと人は集まってこない。作り笑いや,杓子定規に対応する人のところには,なんとなく足を運びづらくなるものです。(p118)
 私は田中角栄先生から言われて今でも印象に残っている言葉があります。「いいか,鈴木君。1番,これは狙ってもなれない。そのときの,やっぱりさまざまな巡り合わせなんだ。しかし,2番は狙ってなれる」(中略) そう教えられていたので,トップを1年,2年やって終わるよりも,5年,10年と圧倒的な力をもった2番,3番の政治家になる方が,より国や社会に貢献できると思っていた。(p124)
 昔から「出る杭は打たれる」といわれるけれど,私は,出過ぎたら打たれないと思っていた。(中略)ところが「抜かれる」とは計算外だった。(p125)
 とにかく空しいんですよ。人一倍働いてきた,頑張ってきた者が,すべて否定される。その空しさ。人生,生きている意味がないんでないか,死んだ方が楽なんでないか,なんて思いが去来するんですね。 ただ,以前に同じようなバッシングを受けたから,耐えられたということはあったかもしれない。中川先生が自死したとき,私は人殺し扱いされた。そのときに比べたら,今回は抵抗力,基礎体力があった。(p133)
 私は一カ所じゃわからんと思って,セカンドオピニオンで築地のがんセンターに行った。そこでも同じ所見なんですよ。 帰り,「なんでこんな仕打ちにあうかね」と思った。逮捕されたこと自体,理不尽だ,筋が通っていないと思っている。そして,やっと出てきて,選挙に出ようと思っていた矢先。これはやっぱり世の中,神様,仏様はいないのか,と思うくらい。言葉では言えないくらい打ちひしがれて,ただ涙が出た。(p148)
 平成23年3月11日,ちょうどお年寄りをお風呂に入れようとしている最中に,あの大震災が起きたんです。もし車椅子がひっくり返ってケガでもさせたら大変だから,本当にもう渾身の力で車椅子を守ったな。(p169)
 下の世話の手伝いもやった。お漏らししたときには専門の介護士が来る。その手伝いをした。老人といってもひとりじゃ介護できない。2,3人で身体をひっくり返して世話をする。これもいい勉強になった。(中略)人の背中を流すのも全然気にならなかった。(p170)
 あの3月11日まで,私には,なんでこんなところにいなければならないのか,と悶々としたものがあった。しかしその日を境に,意識がまた変わった。「おれはまだ命があるぞ」というように。(p173)
 私は,今はまだ現状維持するのが精いっぱいです。それでも付き合ってくれるというのは,昔からの人間関係があったからなんです。(p179)
 刑務所にいた1年間で悟ったことが3つある。 1つめは,信念を持って生きること。自分がぐらついていたら周りもぐらついて,誰もついてこなくなる。(中略) 2つめは,やはりひとりでは生きていけないということ。(中略) 3つめは,目に見えない力で生かされているということ。万物の霊長,ご先祖様,両親に感謝するという思いをもった。(p180) 
 まだ私は「生きていれば逆転もある。生きていればよいことがある」と思っています。生きている限り,生涯政治家をまっとうしたいと思っているんです。(p182)
 「裁きの座に悪が,正義の座に悪がある」ことは,現実のこの世界では,残念ながらあり得ることなのである。月並みな人間ならば,「正義の座」に悪があるという現実に直面して,人生を半ば諦めてしまう。しかし,鈴木氏は,いずれこのような状態は是正される「定められた時」があると確信していた。それだから,人間に対する愛と信頼とを失わず,闘い続けることができるのである。(佐藤優 p215)

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