2015年11月27日金曜日

2015.11.20 外山滋比古 『「読み」の整理学』

書名 「読み」の整理学
著者 外山滋比古
発行所 ちくま文庫
発行年月日 2007.10.10(単行本:1981.11)
価格(税別) 560円

● 「未知」を読むことの重要性を説く。著者は,わかっていることをスラスラと読むアルファー読みに対して,そういう読書をベーター読みと名づけ,ベーター読みこそが読書だという。
 
● 何度も読まなければならないから自ずと時間がかかるし,時間をかければ了解に至るとも限らない。しかし,それを試みなければならない。禅の公案を何年も考えるがごとくに。

● 以下にいくつか転載。
 つまり,わかることは読めるが,わからないことは読めない,ということである。(p17)
 文学作品や評論のようなものを読んで,文章が読める,というのは,いわば,錯覚である。科学,技術などの文章はほとんど読んだことがないから,詩を読むようなつもりで,マニュアルを読むという誤りをおかして平気でいられる。(p21)
 知らないことを文章で知るのは,マニュアルに限らず,つねに困難である。(p22)
 文章やことばを,あるがままに読んだり解したりする,というけれども,客観的な理解ということは,頭では考えられても,実際には存在しない。頭に入ってきたものは,かならず,受け手の先行経験や知識によって「加工」される。(p52)
 人間には,批評本能ともいうべきものがあるらしい。真の批評を理解するだけの素養はないという読者も,その批評本能を満たしたいとは考える。そのための文章が人物評である。(p89)
 これまでの日本人は翻訳という名のもとに破壊された日本語を読まされて,どれほど頭を悪くしてきたか知れない。 (中略)ところが,ごく最近になって,そういう悪文の標本みたいな翻訳も,案外われわれの文化に貢献してきたのではないかと考えるようになった。これは決してたんなる皮肉ではない。(中略) 難解至極な訳文と悪銭苦闘することが,とりもなおさず,読者にとって,知的活力の源泉になったのではないか。(p92)
 既知にみちびかれて読む読み方はやさしく,ときにたのしい。それでいて,ものを読んでいるという満足感を与えてくれる。しかし,知っていることをいくら読んでも新しいことがわかるようにならない。(p104)
 素読を可能にするには,古典的価値の高い少数の原典を選定することである。それを学習者,そのまわりの人々が絶対的なものであると信じ込む必要がある。信頼していないものでは反復読みに耐えられるはずがない。(p151)
 くりかえし読んだ本のない人は,たとえ,万巻の書を読破していても,真に本を読んだとは言われないのである。(p158)
 昔のことは古い。だからと言って古くさいとは限らない。新しいことはおもしろそうだが,時の試練をくぐり抜けていない。新しいものごとは古くなるが,古いものはもう古くならない。(p160)
 本当に読むに価いするものは,多くの場合,一度読んだくらいではよくわからない。あるいはまったく,わからない。それでくりかえし百遍の読書をするのである。時間がかかる。いつになったら了解できるという保証はない。(中略) わからぬからと言って,他人に教えてもらうべきではない。みずからの力によって悟らなくてはならない。(p187)
 正しい解釈,解決を得るのに,「時間」が大きな働きをするのが,こういう場合で見のがしてはならないところであろう。即座の理解では。時の働く余地がない。(中略)時間によって,未知である対象も,わかろうとする人間も,ともにすこしずつ変化して,やがて,通じ合うところまで近づくようになるのかもしれない。(p190)
 古典化は作者の意図した意味からの逸脱である。いかなる作品も,作者の考えた通りのものが,そのままで古典になることはできない。誰が改変するのか。読者である。(中略)読者は,作者とは別の意味において,創造的である。(p202)
 いかに細かく書いた文章でも,第三者からすれば,不明なところ,不可解なところが随所にひそんでいる。そのわからないところがすなわち読者の未知である。これは読者みずからによって解明するほかはない。解明はしばしば発見になる。(中略)創造的であり創作的な読みは,その不明部分を補充して,その読者に固有の意味をつくり上げる。(p220)

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