2015年11月10日火曜日

2015.11.03 田中眞紀子・外山滋比古 『頭脳の散歩 デジタル教科書はいらない』

書名 頭脳の散歩 デジタル教科書はいらない
著者 田中眞紀子・外山滋比古
発行所 ポプラ社
発行年月日 2010.10.09
価格(税別) 1,400円

● 「デジタル教科書はいらない」といっても,それがメインテーマになっているわけではない。ここは出版社が入れたものだと思う。
 外山さんの発言だけを読んでいった。

● 以下にいくつか転載。
 回りの情報が豊かになってきますと,満腹になってしまって,やっかいなものにいちいち興味を持たなくなります。 ですから,ちょっと難しい本を読むと,これはだめだと思ってしまう。(p24)
 昔の植民地の時代,宗主国はだいたい自分の国の言葉を植民地に強制したわけです。その植民地はだいたいバイリンガルになります。そうするとですね,ものを考える力とか創造する力というのが衰える傾向があります。(p34)
 私たちはわかりきったことは馬鹿にするようにできています。わかりきったものを作っていく努力は,技術面においては大きな価値があると思いますけど,文化として考えると,わからないものの方がわかりきったものよりはるかに面白いのです。(p49)
 本当は,言葉は物事をあまり正確には伝えていないのです。不正確な表現から元の感情とか経験とか物事に到達するには,読む側に大きな精神力や知力とかが必要となります。それが面倒ですから,読むのをだんだんやめる人も出てきます。(中略) 書いた文字は一種の暗号だと思うんです。それを解読するには訓練が必要で,いつの時代でも,ものを読むのが限られたエリートにならざるを得なかった理由もそこにあると思います。(p54)
 戦後にアメリカやイギリスと自由に交流ができるようになってからよりも,ほとんど情報なしに,古い辞書が1冊か2冊ぐらいで読んでいた戦争中の方が面白かったような気がします。 飢餓状態の頭は,なんとかして意味を取ろうと必死です。誰も教えてくれる人はいない。この経験はよかったと思います。(p69)
 デジタルは情報の伝達の効率から言えば優れています。でも,だいたい,得やすい情報というのは失いやすくて価値が低いのが一般です。本当に価値のある情報は暗号みたいで難しい。どうでもいい情報はただでいくらでも得られる。(p73)
 国会図書館はおそらく,日本で一番勉強に適している。大学なんか比じゃないですよ。(中略) 新聞でコラムを書いている人は非常にいい引用をします。あれは新聞社に,しっかりした資料室があるからですよ。あれは新聞社の特権だと思っていますが,おそらく国会図書館の機能をうまく利用すればずっとすごい論文ができて,大変な仕事ができるんじゃないかと思います。(p78)
 無用の用みないな頭の働きをするには,読書というのは人がありがたりすぎてよくない。どうしても読書過多になる。普通はあんまりならないですけど,1日に2冊読んだりする人は年取ってから不活発になりがちです。(p81)
 政治家が年を取ってだんだん賢くなっていくという傾向はね,たとえば学校の教師と比べると著しい。 それはつまり,選挙とか有権者とか,そういうものを絶えず意識して,常に頭を働かせているからだと思うのです。選挙といったら大変な問題でしょう,一生懸命。(中略) 教師をしていると,「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」と言われるようになりがちです。知っていることをただ口に出しているだけで,本当に頭を働かせて,自分で考えたことを言っているということが少ない。(p92)
 読書に関して言えばね,読み切れない本が必要なんです。読めなかった,途中でやめてしまう,そういう本が何冊もないと,本を読めるようにならないんです。(p97)
 上にも下にもきょうだいがいないというのは孤児の状態です。子どもにとって非常にまずいと思います。なんとかして早い段階で,同年齢の子どもを一緒にしてやる。一日少なくとも何時間,数人の子どもと遊ぶというのを経験させてやらないといけないように思います。(p104)
 合理的でいい方法でどんどん教えていきますと,子どもはかえって学習的意欲をなくしがちです。(p127)
 自主的な学習努力は禁じられたところから生まれるもので,奨励されると積極性を失いがちです。(p128)
 知識はいわば無機質で,そこから新しいものが生まれにくい。知恵は有機質で,新しいものを生み出す。知識は無機質ですから,混合しても化合しない。化合したものでないと,人間を動かしていくことにならないでしょう。(p140)
 自然の知恵みたいなものがわれわれの周りにいくらでもある。それは本を読んでものを考えるのとは違って,実際的です。(p146)
 国立の学校というのは,やっぱり広い意味においてお役所的です。(中略)ところが私立には一種の理想みたいなものがあるわけです。志ですかね。少なくとも創立者にはあります。(中略)国立の学校は,優れた教師がいても,理念に結晶されることが少ない。(中略)そういう意味では,私は私立の学校というのが非常に大事だと思うんです。(p150)
 今のところ,家庭は聖域ですから,批判できなくなっているんです。たとえばマスコミでも家庭を批判すれば,相当強い反論があるでしょ。新聞なんかも,恐くて書きません。不買運動を起こされかねません。家庭の教育が大事だということは言っても,今はこれが欠けているなんてことを言ったら,それこそ大変です。 これは家庭にとってもたいへん危険なことです。批判を受けないものは堕落するのですから。(p158)

0 件のコメント:

コメントを投稿