2015年11月10日火曜日

2015.11.03 茂木健一郎 『天才論 ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣』

書名 天才論 ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣
著者 茂木健一郎
発行所 朝日選書
発行年月日 2007.03.25
価格(税別) 1,000円

● 再読。だいぶ前に出版されたもの。“ダ・ヴィンチ・コード”で騒がれた余韻がまだ残っていた時期だったか。

● どうすれば天才になれるのか。そんなことは本書にも書かれていない。神のいたずらが天才を作るのだと考えるしかないと,ぼくは思っている。
 凡人は凡人の幸せを追求すればいいのだし,またそうするしかないのだと思う。

● 以下にいくつか転載。
 凡人の仕事はたいてい,「こういう理由があって,こういうものをつくった。こういう考え方にたどりついた」という原因と結果,つまり,起源と生産物の関係がはっきりしています。一方,天才のつくりだすものは,なぜこのような発想が生まれるのだろうかと首をひねってしまうくらい,意外性のあるものが多いのです。(p8)
 この世のなかに不連続なものはひとつもありません。(中略)たとえ天才の仕事であっても,そこに至る脳のなかの過程をつぶさにたどることができれば,作品であろうがアイデアであろうが,忽然と出現したものではないことがわかるはずです。 ところが,われわれの認識は,その一連の過程のすべてをとらえることができるわけではないので,あたかもひじょうに大きな飛躍があるかのように,あるいは,起源がほどんど隠蔽され,消されてしまっているかのように感じられる。(p12)
 生命原理の特徴のひとつは,起源がよくわからないと思えるくらいの変貌を遂げることにあります。 たとえば,美しい花を咲かせる植物は,土のなかに落ちた一粒の種から成長したものです。 (中略)天才が生み出すものも,同じような性質をもっています。つまり,何が起源なのかわからないと感じさせるくらい,「起源となった何ものか」からの大きな変貌を,天才の作品は示しているのです。(p16)
 レオナルドは,正式に結婚していない両親から生まれた婚外子であるということも含めて,自分のアイデンティティに深い懐疑を抱いていた印象があります。それが,彼の芸術的創造性の根幹にあるのではないかと思います。(p47)
 天才には,かならず型破りなところがあります。(中略)もちろん,型破りであればかならず天才であるというわけではありませんが,「何かが欠落している」という感覚が,創造性のきっかけになることは多いでしょう。「天才に内在する欠落」という視点から天才について考え直してみると,世の人に勇気を与える視点が見つかるのではないでしょうか(p48)
 レオナルドは,機器のデッサンと人体のデッサンを,あまり区別していなかったのではないか。「自分もまたひとつの機械である」というような感覚を,ごく自然に受け入れていたのではないでしょうか。 ただ,人間という「機械」をパーツに分解して理解しようとしたとき,最後にどうしても解明されない何かが残る。レオナルドはこのことも,十分に理解していた。そしてそうした生命の不思議さを,絵画作品のなかに描いていたような気がします。(p60)
 小説家と話していると,こう言ってはなんですが,彼らがいかに茫洋なる目で世界を見ているか,とてもよくわかります。(p64)
 われわれはついうっかり,世界をありのままに見れば,隠されるものの何もない状態があらわれる,「ちゃんと」見れば世界の謎は消える,と考えてしまうことがあります。 しかしレオナルドは,「ちゃんと」見れば見るほどあらわれてくる謎があることを,知っていました。 (中略)結局,人間の知性の歴史は,知れば知るほど謎が増えるという歴史だったような気がします。そうしたあり方を,レオナルドは史上はじめて,絵画表現に定着させることに成功した,と言ってよいと思います。(p79)
 そもそも天才というものは,潜在的には万能なのだろうと思っています。 それはどういうことかというと,たとえば,数学や音楽のような,専門性が高いと言われる領域においても,天才的な業績,独創的な業績を残すためには,じつは「総合的な知性」が不可欠だと考えるからです。(p81)
 脳は,そもそも空間的制約の高い臓器で,限られた空間のなかに多くの機能を詰め込まなければならないので,さまざまな領域が異なる文脈のなかで使い回しされているというのが実情なのです。 そのような脳のあり方を考えれば,ある特定の分野において鍛えられた回路が,思わぬかたちでほかの分野の役に立つことがあるのは,当然のことでしょう。(p86)
 おそらく天才はだれでも,世界について人並みはずれた理解力をそなえているのでしょう。それがある特定の専門的な分野に大変なエネルギーをもって注ぎ込まれたときに,人々の心を動かし,歴史に残るような業績に結実するのではないでしょうか。(p91)
 脳における視覚の成り立ちにはふたつの方向があって,外から入る刺激が徐々に処理されていく「ボトムアップ」と,部屋のようすを目を閉じて想像するというような「トップダウン」があります。 天才と言われる人たちは,どちらかというとトップダウンの働きが強く,頭のなかに具体的な何かを,ありありと思い浮かべてしまうようです。(p103)
 創造したいと方向づける意図がなければ,脳のなかに蓄積された記憶の断片を組み換えて,新しいものが生まれてくることもあり得ません。(中略) 意欲のない天才,無気力な天才というのは,あり得ないのです。(p110)
 現代に生きるわれわれは,身体と精神は別だという直感をもってしまいがちですが,脳と身体は不可分であるというのが,最近の科学の見解です。 あるいは身体という具体的な存在と,数のような抽象的な概念は,まったく別のものだと思い込んでいますが,そうではないということもわかってきています。(p114)
 私はインターネットは,史上はじめてあらわれた,学びのための巨大な図書館,学校だと認識しています。現代における「最高学府」は,インターネット上にあるのです。(中略) ある程度の基礎学力があって,かつ独学のできる人であれば,大学になんて行っている場合ではない,という時代がすぐそこまで来ています。(p127)

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