2015年10月31日土曜日

2015.10.31 外山滋比古 『「マイナス」のプラス』

書名 「マイナス」のプラス
著者 外山滋比古
発行所 講談社
発行年月日 2010.01.28
価格(税別) 1,143円

● 副題は「反常識の人生論」。本書は著者の箴言集のような趣がある。

● 「まえがき」にある次の文章が本書の要諦。
 幸福をプラス,不幸,災いをマイナスとすれば,プラス,マイナスは縄のように交錯してあらわれる。その場合,マイナス先行がよく,プラス先行ではうまくない。禍福と言って,福禍と言わないのがおもしろい。(p4)
● ほかにも以下に転載。
 相手が調子に乗ってなんでもいろいろしゃべるのを,いやな顔もしないできいている,というのは,案外,難しいことである。(中略)きき上手はひとつの徳である。きき手の沈黙は話し手の雄弁にまさることがすくなくない。(p16)
 自分を売り込もうとしている人間はおもしろくない。(p16)
 人間はいずれ死ぬ。どうせ死ぬのだから,よく生きる努力など空しいではないかと考えるのは,先を見透しているようで,実は,考えが足りない。人生に,美しく生きる人生に,“どうせ”はない。さかしらに,よく考えもせず,タカをくくってなすべきことをしないのは怠慢である。(p25)
 若いときの考えなど考えにならないのである。なにも考えないのがかえってよい結果につながることがある。(p31)
 よそからの差し出口はすべて無益有害である。(p32)
 われわれは,ことに若いときは,努力すればなんでもできる,いや,できるはずだ,という途方もない思い上がりにとりつかれている。(p34)
 努力,人事の限界を知れば,人生は気が楽である。すべてを自分の責任とするのは,いかにも,りっぱなようであるが,その実,うぬぼれであり,不遜である。(p35)
 三分の人事といっても,三分の一だけ努力すればいいというわけではない。十をすべてやるのである。しかし,成果を収めるのは三分である,という覚悟がほしい。(p35)
 敵は味方よりも人間を成長させてくれるものだ,ということがわかるようになるには,いくつもの強敵をねじふせておおしく生きてきた経験が必要である。そういう苦労人には敵に味方以上に熱い気持ちをいだくことができる。(p38)
 昔の人は口が悪い。「惣領の甚六,末っ子は三文安い」と言ったものだ。(中略)ひとりっ子は惣領と末っ子をかねているようなものだから,(中略)よほど危険,苦労,失敗などを経験しないと,もっている可能性も発揮できなくなってしまう。(p38)
 親がえらいうちの子が,親を越えることもないではないが,多くは,及ばない。父の苦労の方が子よりも大きいのが理由のひとつである。(中略)子の育ち方が親より恵まれていることによるのであって,二世の努力不足ではないということを考えるべきである。(p41)
 張り合っていた相手が急にいなくなると,目標が消えたようなものである。努力は目標を失って空を切り不発に終わる。それが,相手と実際に張り合っているよりはるかに大きな消耗になる。スランプに陥る。 (中略)ここでいちばん賢明なのは,新しい敵を見つけて,それと張り合って,自分をのばしていくことである。なかなか,そこに思いつかないだろうが,これができるかできないかは,大問題である。(p44)
 知識は力なりと,ノンキなことを言った哲学者がいるけれども,知識によりけり。悪性知識,有毒知識は命とりになる。ものを知らなくても死にはしないけれども,なまじおそろしい知識を吹き込まれると命をおとす。(p47)
 病気だと知ると病気になる。知らないでいれば病気ではない。そんなバカげたことがあってたまるか,と人は言うかもしれないが,人間は弱いもので病気ということばで病気になり,病気だ病気だと気に病んでいると,ひょっとして,死んでしまうかもしれない。知らぬが仏,である。知るは災い,知らぬは力であるというのが,案外,道理に近いのかもしれない。(p49)
 早期発見・早期治療というが,早々と病人にされるのはありがたくない。知らぬうちに治ってしまうかもしれないのを,ほじくり出し,ひっかきまわして,本ものの病気にする医学が絶対にないとは言えないような気がする。(p53)
 このごろの医学は,アメリカにかぶれて,告知ということを当然のことのように考える。(中略)われわれ人間はみんな生まれながらにして死ぬ運命にあるが,いつ執行されるかわからないから,笑って生きていられる。神だって死期の告知を遠慮しているのに,医学があえてそれをするのは,天を怖れざる業ではないのか。(p53)
 人間,敏感であるのは考えものである。つまらぬことにいちいち反応し,いつまでもそれにこだわって悩み苦しむのは人間として賢明だとはいえないだろう。それに引きかえ,鈍根はよろしい。(中略)どんな大きな不幸でも,病苦でも,反応しなければ,かなり毒が消えるのである。(p54)
 いわゆる恵まれない境遇にある人はとかく自分たちを不幸と思うけれども,それは当たらない。真の不幸は,我慢すべきものがない,すくないことである。(p60)
 コンプレックスは弱きものの友である。コンプレックスのない人はひとりで人生の難関に立ち向かわなくてはならない。(p73)
 人間を教えるのは人間ではない。苦労,貧困,病苦などおそろしい体験によってのみ,人間は人間らしくなる。(p93)
 企業で働くようになっても,別に,馬車馬のようにただ働くばかりが能ではありません。人からきいた,おもしろい話,さしさわりのある話,秘密は,胸にしまって,ほかの人に話さないようにすると,五年もすればまわりの信望が集まり,出世できます。とくに大きな仕事をしなくても,評価されることうけ合いです(p96)
 ことばづかいが乱れていると戦後ずっと言われてきたが,つまり,もともと相手本位,相手を立てることを基本にしていた日本語を,アメリカ流コミュニケーションのスタイルへ変えようとし,変えたところに混乱の原因がある。(p108)
 ホテルの喫茶室は,中年女性に人気がある。ことに数人でコーヒーとケーキ,それにおしゃべり,が最高のレジャーになるらしい。ボソボソやっているテーブルはない。みんな大声の競争のようで,仲間の言うことさえきこえない。だからますます大声になる。ひとりでお茶をのんでいる客は五分とはいたたまれない。声が大きいという自覚がないから,注意でもしようものなら,どんなトラブルがおこるかわからない。(中略) こういう自分勝手,はた迷惑を,それと自覚しない人間は洗練されることが難しい。(p120)
 年をとるにつれて欲は深くなるのが普通で,老人には欲のかたまりのようなのが珍しくない。欲は欲でも,物欲などは,あからさまにあらわれることがなくてすむだけに,とくにはた迷惑ということもないが,見ぐるしいのは自慢の欲望である。(p140)
 かげでほめるのはきわめて効果的である。ただし,なかなかできない。(p148)
 よく試行錯誤という。新しいものごとをするとき,やってみて,失敗してもまたやってみる。それを繰り返してすこしずつ上手になるのをそう言うのである。いちばん大切なのは,失敗をくり返す点である。いっぺんでうまくいく,というようなことはこの世の中に,そんなにあるはずがない。(p166)
 試行錯誤のおもしろいところは,失敗は忘れる,成功したことは記憶する,という点にある。つまり,成功体験は蓄積するが,失敗体験はその都度,消滅して加重しない。それでやがてうまくいくようになる。(p168)
 日記はいわば日々の決算のようなものだが,それより大切かもしれない予算というものを考えない。日記だけつけて得意になっているのは,予算を立てずに決算を行っているみたいなもので,おかしくはないか,そう思った。 (中略)さっそく予定を立てることにした。朝,前日の日記をつけたあと,その日にしなくてはならない予定の仕事を紙片に書き出す。(p186)
 多少の我慢をしないと,カネはたまらないようにできている。精神の自立を保証する第一はカネであるというのは決して俗物のたわごとではない。(p200)
 どういうものが,自由思考か,純粋思考であるかというと,いまないもの,わからないものを考えることである。 算数の応用問題の答えを求めて考えるのは,(中略)前段思考,具体思考である。それに対して算数の応用問題を“つくる”のは自由思考である。どういう問題をつくるかは自由である。一般に問題に答えるのより問題をつくる方がはるかに難しい。そのためもあって,問題を解く思考のみ力を入れる教育が行われている。(p211)
 朝,目をさましたら,すぐ起きないで,ぼんやりする。なるべく過ぎ去ったことは頭に入れない。浮き世ばなれしたことが頭に浮かんだら,それを喜び,忘れてこまるようなことだったら,メモする。毎朝,十分か二十分,こういう時間をもてば,誰でも思考家になれる。考える人間になれる。夜,考えごとをするのは賢明でない。思考は朝に限る。(p214)

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