2015年10月18日日曜日

2015.10.12 茂木健一郎 『笑う脳』

書名 笑う脳
著者 茂木健一郎
発行所 アスキー新書
発行年月日 2009.08.10
価格(税別) 743円

● 笑いについての著者の考察をまとめたもの。春風亭昇太さんをはじめ何人かとの対談が本書の核をなしている。
 笑いは脳の機能の中でも相当に高度なものであるという。なにせ,笑うことができるのは人間だけなのだ。

● 笑いの考察を通して,どう生きるべきかという人生論にもなっている。脳の話なんだから,必ずそうなるわけだけど。

● 以下に転載。
 笑うことと泣くこと。それらは,すべての生き物のなかで,おそらく人間だけが持っている感情なのだ。 だから,笑いと涙を探求することは,人間そのものを探求することに通じる。(p12)
 逃げている人間には余裕はなくなる。でも,覚悟を決めて立ち止まると,意外と余裕も出てきて,周りも見え,自分の生き方だって省みて,笑い飛ばして喜劇にすることだってできるはずだ。(p44)
 百獣の王が食物連鎖の頂点にいるように,あらゆる感情や体験,そして悲劇までも耕して感情のエコロジーの頂点に上り詰めた感情,それが笑いに他ならない。 笑いは,脳のもっとも高度な活動であることには違いない。そして高度な知能を持つ人間しか,笑うことはできない。(p48)
 私たちの日常生活の中でも,全く同じことを言っていてもなぜか説得力のある人とない人がいる。そのような時に私たちに作用しているのは,おそらくは相手の心の勢いのようなものであろう。(p53)
 本人がおもしろいと思っているネタをその人自身が話すときに,落語は一番おもしろくなるんですよ。ネタって,たいがい文章にして他人が読むとつまらないんです。(春風亭昇太 p57)
 初演は古典でも新作でも,妙な緊張感と集中力があるので,たいがいはウケるんですよ。ただ,ダメなのが二回目。(春風亭昇太 p59)
 ぼくにとって一番のホームは独演会ですね。(中略)その点,寄席はアウェイですね。(中略)アウェイ戦の場合は,すり寄っていくか,突き放してアウトボクシングしていくか,どっちかなんです。中途半端な距離が,一番パンチが当たらない。(春風亭昇太 p60)
 芸人って,僕は「自信」がすべてだと思うんですよ。一度,ウケて「このネタ,イケるじゃん」といった経験が度重なってくると,芸人の自信になっていく。(中略)もう,天才バカボンの世界ですよ。「これでいいのだ♪ これでいいのだ♪」って次元に辿り着く。(春風亭昇太 p62)
 落語だけではなく,すべからく舞台でやっていることはテレビ向きではないですよ。(春風亭昇太 p64)
 僕は演劇のもっている要素を究極まで削ぎ落としていったら落語になったと思っているんですよ。しかも,それは正座という生活様式が日本にはあったから成立したんだと思うんです。(春風亭昇太 p64)
 落語に出てくる人たちって,かなりラテン気質なんですよね。ダメな人が追いつめられて,どんどんとんでもないことをしでかしていっても,楽天的というか,とにかく明るいんですよ。そうか・・・・・・,わかったぞ。落語は「コテン」じゃなくて「ラテン」だな。(春風亭昇太 p67)
 笑いの主体という点では,イニシアティブを握っているのは,圧倒的に男性側のようだ。(中略)女性が笑いの主体となることは,女の色気を捨てることを意味しているのかもしれない。(p78)
 アメリカの神経生物学者,ロバート・プロヴァイン氏の臨床実験によれば,男性が女性を笑わせているときには,女性が相手の男性に好意を持っている可能性は高いという。ところが,女性が男性を笑わせているときは,男性が相手の女性に好意を抱く可能性はきわめて低いというのだ。(p79)
 お笑い芸人さんも,大成しているひとは,どうも攻撃性が高い人が多いのではないだろうか。彼らはその攻撃性を笑いで,たくみに解毒しているのだ。攻撃性が高ければ高いほど,強烈な解毒剤が必要になってくるのは,理にかなっている。 その意味で,怒りと笑いは表裏一体といえる。(p82)
 本物のひとほど孤独であるということだ。その点で,松本(人志)さんは孤独である。脳の仕組みからいっても,それをやらないと生きていけないようなことほど,本物に近づく。そしてその「やらないと生きていけない」ことは他人と共有することができないのだ。(p84)
 僕はギャグマンガ家からドロップアウトしてしまいましたけど,現役でやっているひとたちは,それこそロックやっているひとたちより,よっぽどすごいストイックですよ。バカなことやっているようにみえて,心底ストイックですよね。あとはね。ギャグを考えるということは,それこそものすごく広い枠組みで概念を知り,そしてかなり緻密に構築しておかないとダメなんですよ。ギャグが脱構築だったら,まずはその前提となる構造が必要ですから。そういう意味で言うと,コメディをやっているイギリス人には,変態の人も多い。言い過ぎかもしれませんが,そういうところまで,裾野が広がっていないとギャグなんてつくれないと思いますね。(しりあがり寿 p105)
 茂木 でも,良識って生命力が衰えた人の最後の言い訳みないなものではないですか。 しりあがり うん,まあ,そうでしょうけど,良識は良識で嫌ではないんですよ。なんにも無いと,それはそれでちょっと頼りない感じになってしまうと思うんですよ。(中略)だって,良識が衰えてしまうと,逆にパロディがやりづらくなってしまいますから。(p106)
 でも,人間はどうせ死ぬんですよ。致死率一〇〇パーセントですよ。それなのに生きよう,いつまでも若くあろうとすることは,負けるとわかっている勝負をしているようなものですよね。そんなの見苦しいじゃないですか。(しりあがり寿 p129)
 笑いは許さないといけないし,だけと絶対に栄誉を与えてもいけない。笑いって,ある意味,すごく強いですからね。自分のことは棚に上げて,人の挙げ足とったりするわけですから。道化にしても,ギャグマンガ家にしても,芸人さんにしても,笑いを上等にしてしまったらダメなんだと思うんです。笑いを権威にしてしまったら,本末転倒ですよ。(しりあがり寿 p134)
 橋下大阪府知事の選挙活動に際して,爆笑問題の太田光がテレビでは話していることのコンテンツではなくメッセージの「熱い」差し出し方が注目されるとアドバイスしていたという記事を読みましたけど,政治家も今は脊髄反射的な切り返しで「受ける」ことに非常に貪欲になっている。(中略)ある意味当然で,有権者も視聴者も求めているのは「人の浮き沈み」だからですね。(内田 樹 p161)
 自然科学の成立条件には,世界すべての事象は統一原理によって律されているという一神教的思考があるわけですから,「この世は諸行無常」の日本人にとっては,世界の背後にある統一原理なんて,考えられるわけがないですよ。養老孟司先生からうかがったんですけれど,地球上で起きたマグニチュード6の地震のうち二〇パーセントが日本列島で起きている。しかもここは台風の通り道でしょ。そんな土地で,天変地異の背景に神の摂理を見る様なタフな知性が育つはずがない。(内田 樹 p162)
 生き生きした表現ってズレることなんですよね。命ってそういうものではないですか。小津(安二郎)が描きたかったのも同じですよね。そう考えると,日本のマスメディアに流れている言葉って,まったくもって生きてないんですよね。(p171)
 メディアはメディアを批評しないでしょう。メディアの成り立ちそのものを点検しないじゃないですか。今のメディアが抱えている問題は,批評性を商売にしているくせに,絶対に自己批評をしないことですよ。(内田 樹 p171)
 茂木 つくづくインターネットがあってよかったですね。ブログで書いていければいいかなって。 内田 僕もそう思う。本当に。(中略)マスメディアを通して不特定多数の人に「みなさん! 私はこう思います」って宣言するのに飽きちゃった。そんな暇があったら,目の前にいる生身の子どもをつかまえて,「お前な,世の中そんなものじゃねぇぞ」って言う方が,大事な気がしてきたんだよね。(p172)
 なんとか省の官僚とか,どこどこ会社のお偉いさんとか,彼らの人間としての時価総額の九九パーセントは肩書きだったりしますからね。そういう人って,やっぱり生命力が落ちている。人間ってアナーキーでなければダメですよ。(p207)
 僕も昔はね,世界中が笑う笑いって何だろうって考えたことがあるんですよ。でも,僕たち,この日本の,この環境で,米がおいしいとか,みそ汁とおしんこがあればいいといった,自分たちの足元を大事にしておいた方が,本当の笑いが見つかるような気がするようになってね。(桑原茂一 p213)
 親しい友人や恋人との会話は,その場で消えてしまうから価値があるんですよ。要するに,その一瞬一瞬こそが,命の儚さそのものなんです。だから,この場限りの親密な関係に没入していくことが,今の僕たちには必要なんですよね。(p215)

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