2015年10月6日火曜日

2015.10.05 宮田珠己 『ふしぎ盆栽ホンノンボ』

書名 ふしぎ盆栽ホンノンボ
著者 宮田珠己
発行所 講談社文庫
発行年月日 2011.02.15(単行本:2007.02)
価格(税別) 790円

● ホンノンボとはベトナムの盆栽のようなもの。あくまでも“のようなもの”であって,日本の盆栽とは趣を異にする。
 植物ではなくて岩が主役。そこにミニチュアの人形を配したりもする。基本的に,底に水をはる。

● そのホンノンボを求めて,何度もベトナムを訪れる。本書は基本的には紀行文だ。ホンノンボはその紀行の要に位置するものだが,あくまで著者の紀行を楽しむために本書はある。

● 以下にいくつか転載。
 あるとき紀州高野山を訪れて,金剛峯寺の石の庭を見たとき,ふと,もしこの石が巨大な岸壁だったらわたしはこれをどうやって登るだろうと,まるでロッククライマーになった気分で思い,それと同時に,わたしと庭を隔てていた何かが突然崩れて,ああ,それでいいのだ,何も秘密なんてなかったのだ,と確信を得て,一気に日本庭園とうものが身近に感じられるようになったのだった。 つまり,庭はもともと全体を地形として見るように設計されているものなのだという当たり前のことに,今さらながらに気がついて,なあんだ,文化とか伝統とかいってしかつめらしい顔してるけど,それでいいんじゃないか,と思ったわけである。(p26)
 (ホンノンボには)日本の庭石などのように,できるかぎり自然の風情を活かしつつ,というような配慮はまるでない。人工物であることにまったく衒いがないのだ。日本のように具体的なイメージを表に出さずに奥に秘めてしまって,その先は独自に想像してください,というようなまわりくどいことはまったくしないで,そっちのほうが粋だとも,こっちは野暮だとも思わず,思ったらそのままつくるというスタンスが貫かれているのである。(p30)
 わたしがホンノンボめぐりで学んだことのひとつが,このように,何ごともこじつければ,それなりに面白く見えるようになる,ということだ。かっこいい言葉で“見立て”ともいうが,つまりこじつけのことである。退屈な人生を面白くするのは,こじつけなのである。(p67)
 裏庭の盆栽園を拝見すると,どれもリウさんの盆栽に匹敵する繊細な品質を保っているように感じられたが,リウさんのようには売れていないらしい。(中略) 「いくらぐらいで売っているのですか?」 「いいものは百五十万ドンぐらいです」 リウさんの十分の一以下の値段だ。(中略) これだけ値段が開くということは,ブランド・イメージの差だけでは説明がつかないような気がする。 わたしが見たところ,ンガンさんは,あまり営業だとか売り込みだとか,そういった攻めの仕事が得意でなさそうであった。どこかおずおずして,表情にこわばりがある。引っ込み思案な性格が,顔や態度にはっきり表れていた。(p182)
 引っ込み思案だと損をすると著者は言いたいわけではない。が,まるで自分のようだと思う人は多いのではないか。ぼくもそうで,「攻めの仕事」はまったく不得手だ。
 自分に自信が持てないというか,自分に居直れない。そこに自負のようなものも感じているから,いよいよ進退きわまる。ま,「攻めの仕事」が不得手ならば,守りの仕事をすればよいのだが。
 知識で解決しようとすると,感動を覚えた肝心のポイントは,かえって奥深く埋もれてしまって見えにくくなり,何も知らずに感動できた最初の一撃を,あれが最良だった,と後悔とともに思い返すはめになるのだ。(中略)もともと人間は,たどり着けない事柄をこそ面白いと感じるものであるらしい。(p189)

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