2015年10月5日月曜日

2015.10.03 外山滋比古 『50代から始める知的生活術』

書名 50代から始める知的生活術
著者 外山滋比古
発行所 だいわ文庫
発行年月日 2015.02.15(単行本:2010.03)
価格(税別) 650円

● 本書刊行の時点で,著者,91歳。

● 知的生産術といいながら,その前提として,健康と資産がなければならない。健康については歩くことを奨励している。
 「老後」ということばを意識し始めてから,ずいぶんと歳月がたちました。思いのほか長いのが,老後です。この老後を輝かしきものにするために考えたのは,(中略)まず自分の足で歩くことでした。(p17)
 ウォーキングを毎日の習慣として持続させるためには,自分のスタイル,「型」を持つことが大切です。型とは怠け心が頭をもたげても崩れないスタイルです。わたしの場合は,自宅まわりを歩くのではなく,定期を買って遠方に行くことが自分の流儀です。(中略)定期を買った以上,使わなくてはもったいない,という気持ちがはたらきます。だから,ひたすら歩くことになります。自分のケチな根性を生かすのが,自分でも愉快です。(p55)
● 資産については株式投資。若いときからやっておけ,と。
 どうせ株式投資をするなら,若いうちからがいいと思うのは,年をとると欲が深くなるからです。欲が深くなると,判断も狂いがちになります。(p30)
 その会社に対する投資にしても,見誤ることがあります。投資の格言である「人の行く裏に道あり花の山」を地で行ったとしても,その裏道で迷ってしまうこともあるのです。(p31)
 株を始めてしばらくすると,教員という人種がいかに世間知らずかを痛感するようになります。世の中の経済動向や流行などにも,からきし無頓着。新聞を読むとき,文化欄ばかり読んだりする。 これでは,浮世離れするのも当然,世間が狭くなるのも,むべなるかなです。(p32)
 老後の備えは,早くから自助努力すべし。しかも,自己責任がともなう株式投資がリスクが大きいからよろしい。自己責任に対する意識が希薄なうちは,人生に対するリスクテイクの意識も芽生えません。(p37)
 では,株式投資に失敗して,足を洗った人はどうすればよいのか。そんなことは知ったことじゃないのである。

● 本題(?)の知的生産については,知識をインプットすることではなく,考えることをせよ,と説く。考えるためには知識は邪魔になることが多い。したがって,忘却も大事である。
 知識が増えれば増えるほど,それに反比例するように,思考力が低下することに,はっきり気づくべきです。(p103)
 テストの点が七十点の学生は,その足りない分,自分なりに頭で考えていこうとしているのです。対して,九十点をよしとする人のほうは,自分の知識で勝負します。だから,独自の思考力がもとめられるときになると,途方にくれるのです。(p104)
 染みついた知識・常識の多くは,他人のこしらえた思考です。それを自分でつくったように使うのは,正直さに欠けます。(p107)
 忘却こそ,知性のはたらきをさかんにする,大切な下ばたらきをしていると言ってもいのです。(中略) 個性的なアイデア,発想,思考は,この忘却なくしては不可能と言ってもいいでしょう「知的生活」を実践するために,よくノートなどで記録したりします。いまならパソコンに入力します。しかし,あれは記憶の保護に過ぎず,むしろ考える作業の邪魔にさえなるかもしれないのです。(p117)
 読書体験もせいぜい三十代くらいまで。それ以後の読書は,あまり役に立たない。(中略)よけいな本は読まないことです。(p120)
 自分で考えないで本に答えを求めるというのは間違っています。人が考えたことを信じて,その通りにしてもうまくいくはずはありません。(p121)
 忘れようと思ってもなかなか忘れなられないことでも,書いてみると,案外,あっさり忘れることができます。書いて記録にしてあると思うと,安心して忘れることができるのです。(p170)
 思考は,生きている人間の頭から生まれるのが筋です。研究室で本を読んでいる人は思考に適しません。生活が貧弱だからです。(p212)
● その他,いくつか転載。
 サラリーマンの場合はもともと,自分の本来の価値とピタリとはまったものを仕事にしているわけではありません。 そのことを,組織のエスカレーターに乗っているうちに,いつのまにか自分の「得意」と思いこんでしまっていることもあります。 もし,あるとき人生の二毛作を志したのなら,そのエスカレーターはいったん降りて,自分の足でのぼる階段を見つけたほうがいいでしょう。階段も無ければ,自分ではしごをつくるくらいの気概があってしかるべきです。(p24)
 若いときの友人関係は,もう賞味期限が切れています。賞味期限の切れたものは,捨てて,買い換えないといけないのです(p84)
 雑談・放談は,人生最大の楽しみであり,人間が発見した最高の元気の素ではないでしょうか。(p92)
 『源氏物語』を英訳して世界に知らしめたアーサー・ウェイリーは,日本に招聘されたとき,「自分の愛する日本は昔の書物のなかにある」と,辞退したそうです。このエピソードに,わたしは強い感銘を受けていました。(p110)
 いまの企業は考えが古いから,休みはムダ,休みなく働くのが望ましい,という単純な労働至上主義にとらわれているのです。それが結局,生産性を落とすとは考えていません。(p149)
 机に向かい何時間も仕事をするというのはたいへん不自然なことです。野生の動物だって食べるために働きますが,同じところに何時間も座っているなどということをするものはありません。じっとしていることは,動物にとってときに危険です。(p150)
 まじめな人は,朝から晩まで,ひとつのことに集中することができます。それをいいことのように思っている人は,一日中,図書館にこもって難しい本を読んで得意になるかもしれませんが,知恵が足りません。図書館,もちろん結構ですが,一日中というのがいけません。せいぜい二,三時間です。(p151)
 少し高等な教育を受けると,知識をありがたがって,生活を小バカにします。知識さえあれば人間は進歩するという古い思想にいまなおとらわれています。(p155)
 これ,グサッとくるところがある。若いときの自分はそうだった。いや,中年に達してからもしばらくはそうだったかもしれない。
 本当に好きなことがないと,流行の後追いをすることになる。(中略)人のことばに動かされたり,世間の常識に引きずられたりします。(p161)
 くよくよするのは,要するに,後ろ向きになっているからです。いくら過ぎ去ったことにこだわっても,過去が変わるはずがありません。(p170)
 これもあたりまえのことなんだけど,言われてみないとわからない。くよくよするのは後ろ向きになっているからだ。憶えておこう。
 年をとったら,おしゃれ,ぜいたくは,いいクスリです。やはり若返るのはむずかしくても,元気は出ます。なりふり構わずというのは,若いうちのこと。年をとったら,なりふりをできるだけよくしたいものです。(p190)
 江戸中期の俳人,滝瓢水の句に, 濱までは海女も簑着る時雨かな という名句があります。(中略) 海女は浜へ着けば,海に入る身,濡れることはわかっています。時雨が降ってきても,どうせ,すぐ濡れるのだから雨に濡れていこう,などというつつしみのない考えはしない。やがて濡れる身であることはわかっているが,それまでは濡れないように簑を着てわが身をいとう,大切にするというのです。どうせ,という弱い心をおさえて,わが身をかばい,美しく生きるたしなみ,それが人間の尊さであるのを暗示しています。(p192)
 文学青年などは,「文学が第一,生活否定」といった思想にとらわれると,一生を無為に終えてしまいます。小説を書くには,生活がわからなくてはなりません。二十歳にもならない若者にも「傑作」が書ける小説などというものに,人生的意義はあまりないと言うべきです。(p214)

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