2015年9月15日火曜日

2015.09.13 養老孟司 C・Wニコル 『「身体」を忘れた日本人』

書名 「身体」を忘れた日本人
著者 養老孟司
    C・Wニコル
発行所 山と渓谷社
発行年月日 2015.09.05
価格(税別) 1,300円

● もう面白くて仕方がない。一級の啓蒙書といえるのではないか。自然保護から産業論,社会システム論,教育論,情報論,言語論,心身相関論・・・・・・。名前はどうでもいいけれども,話が次々に展開していく。圧倒される快感を味わえる。

● 以下に多すぎる転載。
 僕のアメリカの友人が日本の杉の人工林を見て,「花粉が多いのは,成長が止まって苦しいから,子孫を残すために必死になって花を咲かせているからじゃないか」と言ってましたね。(ニコル p14)
 林業も,いまの感覚で合理的に考えてやれば,成り立つはずなんです。(中略)なぜそれをやらないかというと,昔からやっている人は1本100万円の時代を知っているから,「またそういう時代が来ないかな」とどこかで思ってるんです。成功体験ってすごく邪魔になるんですよ。(養老 p15)
 日本はこんなにたくさん森があるのに,森の中で働いている人は圧倒的に少ないですね。それなのに,後ろで管理している人は多いからコストがかかる。(ニコル p15)
 この近くで数億円かけて林道をつくって,天然林を全部伐採して,運び出せた材がいくらだったと思いますか? 1千万円だったそうです。でも,馬を使えば,林道をつくらなくても,大きな道のところまで引っ張ってこられる。(ニコル p17)
 間伐もそうなんですよ。切り捨て間伐になっちゃうのは,間伐材が材として回るようなシステムがないからなんです。(中略)ということは,間伐を経済的に成り立たせようと思ったら,間伐材を使うという仕組みをあらかじめつくっておかなくちゃいけない。だから,どこかをいじろうと思ったら,全部いじらなくてはいけなくなるんです。(養老 p20)
 沿岸漁業を生かすためには,川から直さなきゃいけません。でも,川に手を付けるということは,森もちゃんとしないといけないということなんです。(中略)日本人は魚をたくさん食べるのに,なんでこんなに魚をいじめたんだろうって思いますね。(養老 p28)
 日本の漁業は問題だらけだから,極端なことを言えば,漁業権の補償費だけ払って,魚を捕らないほうがいいぐらいですよ。(養老 p34)
 限界集落をみんな「かわいそう」みたいに言うんだけど,全然違いますよ。若い人がいなくても年寄りが暮らせるくらいにいいところなんですよ。しかも,子どもたちが都会に来いって言ったって行かないんだから。ただ,そういうところは年寄りがかんばっちゃって,若い人が入れないんですよ。(養老 p37)
 都会の人は弱いですよね。僕は,それ一番よく象徴してるのが,第二次大戦のときにナチスに殺されたユダヤ人だと思う。ユダヤ人って結局都会の人なんですね。だから,抵抗しないで300万人も殺されてる。普通なら,そんなことあり得ないよね。誰かが抵抗するでしょう?(養老 p39)
 イギリスのワーキングクラスの人は,いろいろなものが食べられないんです。知らないものは食べられない。(ニコル p45)
 一番印象的だったのは,お役所の人がつらそうだったことです。帰宅困難区域に家畜が放置されたままになってるから,その面倒をみているNPOがあるんです。でも,お役所の人は安全を管理する責任があるから,そういう人たちに,「入ってはいけません」と言うしかない。国の被爆量の安全基準は1桁ぐらい厳しくとってあるんだから,ちょっと入って世話する程度なら,たいしたことないんですよ。でも,お役所の人は「牛もかわいそうだから,そうやって飼うのも仕方ないですよね」とは言えないんです。見ていて,本当につらそうだった。(養老 p54)
 何かあったとき,周りに助けてもらえないから,保険会社に保険料を払わなくちゃいけなくなったということです。昔は人間関係で補償していたものを,いまは全部お金に替えていっていて,それをやっているのが保険会社なんです。(養老 p57)
 グレートマザーの怖いところは,子どもがどこまで行ってもその向こうにいようとすることです。それを「子どもを理解する」っていうんでしょうね,よく言えば。でも,そうすると,子どもは母親の世界から出られなくなる。(養老 p68)
 子どもから自然を取り上げると,世界が半分になっちゃうということです。つまり,自然がなくなって人間世界だけになっちゃう。そうなると,いじめみたいな人間世界の中でのマイナスの重さが2倍になっちゃうんです。(養老 p73)
 書物やITで教えるのは,結局,素直に驚くことを邪魔しているんだよね。「よけいなことを教えやがって」って思う。(養老 p82)
 昔の先生は子どもが中心だったけれど,いまは教育制度を維持するために働いている。その証拠に,夏休みで子どもがいなくても,休まずに学校に行ってるでしょう? つまり,先生は自分の給料を出してくれるところに忠誠を誓っていて,子どもは付録になっちゃてるということです。(養老 p85)
 腸内細菌を100兆も飼っている野に、除菌グッズなんておかしいでしょう? こんな生活を続けていると,自己免疫が怖い。特に神経系がやられると,いわゆる難病になって,治療法がありませんから。(養老 p88)
 生き物は甘くない。だって,我々は,1個の細胞ですら,化学的にきちんと記述できないんですよ。(中略)それをいじって何かできたといっても,「正体不明のものをいじったら,別の正体不明のものができた」というのと同じなんですよ。(養老 p112)
 僕は,感覚というのは,違いを識別するものだと思っています。「においがする」ということは,それまでにおいがなかったということを意味するんです。それに対して,我々の意識は,いろいろなものを「同じ」にしようとする。この茶碗とあの茶碗はよく似ていても違うものですが,意識はどちらも茶碗だという。そうやって概念化していくんです。我々の意識が持っている一番強い能力は,「同じにする」能力なんですよ。(養老 p127)
 夢は一種の意識です。脳波をとると,覚醒時とほとんど変わらないですから,大脳の動きはほとんど同じです。だけど,下位の部分,つまり脳の中心部の大事な部分の機能がなくなって,大脳皮質が勝手に動いているような状態なんです。そうするとああいうふうにデタラメになるんですね。(養老 p141)
 聴覚と運動は,耳の中に体のバランスをとるための感覚器官があるぐらいですから,深く結びついているし,体操は音楽や号令を聞きながらやるでしょう? でも,目で見て動作をまねするのは難しい。これは何が問題かというと,視覚は時間を止めるものだからです。写真を撮ると,瞬間が永遠になるし,映画はコマ撮りの連続で動いて見える。目は瞬間を積み重ねているんです。 でも,言葉は目と耳を一緒にしなくちゃならない。そのために,「時間」と「空間」という概念を発明する必要が出てきたんです。つまり,視覚が聴覚を理解するためには「時間」という概念が必要だし,聴覚側が視覚を理解するためには「空間」という概念が必要だったんです。(養老 p142)
 情報を一言で定義すると,「時間と共に変化しないもの」を指しているんです。写真もそうだし,書かれたものもそう。10年経ったって一切変わらないんです。 そして,意識は変化しないものしか扱わないんです。だから,さっきも言ったけれど,いまの時代の人は,自分はいつも同じ自分だと思っている。こんなの完全な錯覚だけど,意識は同じだっていうんです,情報として見るから。(養老 p146)
 しかも,賞味期限の長い情報を珍重する。フローよりもストックに重きを置く。古典に頼ろうとする。
 言葉で何かを表そうとするとき,「自分」があって,「言葉」があって,表そうとする「対象」がありますね。日本語では,言葉と気持ちの関係性が固いんです。だから,自分の気持ちが言葉に直接いっちゃうんです。ところが英語だと,言葉と対象の関係性が固くて,自分がどう思っていても,言葉を変えることができない。これを客観的というんです。逆に言うと,英語はうそがつきにくい。うそをつくときは「真っ赤なうそ」になるんです。(養老 p151)
 だから,裁判制度も全然違ってきて,英語は証拠主義で証言主義になっちゃう。ものとの関係性が非常にきついので,もし自分のいいようにものを言おうとすると,真っ赤なうそをつかざるを得なくなる。だから,証拠とか証言に当たっていくとうそがバレるんですよ。一方,日本の場合は自白主義になるんです。しゃべらせていけば,ひとりでに悪いと思っているかどうかバレちゃう。(養老 p152)
 欧米人が「コーヒーにしますか? 紅茶にしますか?」と聞くのも,どちらが好きかということではなく,それを選ぶ主体,つまり,「あなた」がいまそこに存在しているっていうことを暗黙に指摘しているんだと思います。そういう主体を,ある意味で押しつけていく近代文化が,主語を必要とする言語をつくったんでしょう。(養老 p161)
 漢字も,もともとは象形文字で,「象」という字は最初は本当にゾウのマンガだったんだけど,やっぱりゾウとは似ても似つかない形になるんですよ。つまり,文字を目でみたときにゾウが見えてしまうと,耳は理解できないんですよね。「これはゾウの形をしている」ということは耳ではわかりませんから。だから文字はゾウの形から離れないといけないっていうルールがあるんです。ということは,ゾウの形のままの文字は原始的だということになる。日本語の音声は,そういう意味で原始的といわれる段階で止まっているんでしょう,きっと。だから擬音語が多いんですね。(養老 p165)
 すべてが明るくて解明できると,「いやな人たち」ができちゃうんです。東大医学部の学生が「先生,説明してください」とよく言うけれど,それは説明されればわかると思っているからです。それが気に入らないから,学生が男の子だったら,「説明したら陣痛がわかるのか」って言う。 わからないことがあるということを,必ず保留としておいていないと謙虚にならないんです。学問をするためには自分がものを知らないって前提がある。いまは本当の意味で学問をする人はいないと思いますね。「ネットで調べればわかる」「俺はバカじゃない」というのが裏にあって,説明されればわかると言うんです。(養老 p170)
 僕は,若い人を元気にするのに一番いいのは,年寄りが早く死ぬことだと思っています。年寄りがいなくなりゃ若い人が動かざるを得ない。若い人って責任持たせた瞬間に急激に伸びますからね。(養老 p182)
 いまの若い研究者が気の毒なのは,5年なら5年って任期を切られていることですね。(中略)僕は,そういう状況でやった仕事って,ほんとうじゃないと思ってます。人間って状況の産物で,そういう状況でやった仕事って,やっぱりそういう仕事なんですよ。(養老 p183)
 日本の社会は短期的で,長期にわたる答えが必要なことは考えないか,しないんですよ。(養老 p189)
 日本人って,冷たくないですから。考え方が,冷静でないっていうか,客観的でない。感情で動いているんですよ。だから,「もう一つ先を考えてください」って言うんです。(養老 p194)
 英雄だって,その人が英雄になれるような状況があったから英雄になれたので,状況が合わなければ,英雄にはなれない。(中略)性善説とか性悪説とか言われるけれど,それもやっぱり「状況」によるんです。ある状況に置くと,人間はとんでもないことをする。(養老 p194)
 今の人は絶対それを考えないんです。あの人はどこか変わっていたんだろうって結論にする。でも,「自分が危険だ」とは思っていないんですよ。(中略) 僕が放射能をあまり怖がっていないのは,「怖いのは俺のほうだよ。状況によっては,何をするかわかったもんじゃない」と思っているからです。 放射能を怖がって逃げているお母さんは,きっと「自分は怖くない」と思っているんですよ。でも,そういうお母さんたちをギリギリの極限状態に追い込んでいくと,ほんとうに何をするかわかりませんよ。(養老 p196)
 自分でやると,ひとりでにその人ができてくる。生涯お勤めが悪いとは言わないけれど,それをやっていると,自分がなくなる。組織に合わせなきゃならない場合が多いからである。そのうちに,自分がなんだったのか,それがわからなくなるのではないか。自分はいったい何が好きだったんだろうか。何をしたかったんだろうか。歳をとってそう思うとしたら,悲しいと思いませんか。(養老 p201)

0 件のコメント:

コメントを投稿