2015年8月28日金曜日

2015.08.22 下川裕治・阿部稔哉 『週末ソウルでちょっとほっこり』

書名 週末ソウルでちょっとほっこり
著者 下川裕治
   阿部稔哉(写真)
発行所 朝日文庫
発行年月日 2015.08.30
価格(税別) 700円

● ぼくは今のところ韓国に旅行に行きたいとは思わない。目下の日韓関係からして,韓国に嫌気がさしている。ウォン高もあるけどさ。
 自分は日本人なんだなぁと思うんだけども,国と国の関係がどうかってところに影響を受けてしまうのは,少し以上に寂しいというか情けないというか。

● その点,下川さんはそういうふうにならず,相手がタイ人だろうと韓国人だろうと,国籍に関係なく,個対個の関係を最優先にする人なんだろうなと思う。
 個対個の関係を持っていれば,ぼくでもそうなるのかもしれない。そうした人間関係を一切持っていないので,国対国の関係を自分とその国との関係を同一視してしまうわけだ。

● 本書の話題は食と酒,Kポップ,安宿。以下にいくつか転載。
 滞在日数の短い日本人は,ソウルの食堂で,食べたい韓国料理を網羅しようとする。たとえば,サムギョプサルという豚の三枚肉の焼肉を食べたあとに,冷麺を注文したりする。(中略)これは韓国人にしてみたら「?」がつくオーダーである。サムギョプサルを食べたあとは,テンジャンチゲという韓国風味噌汁と決まっている。(中略) 日本人の節操のない注文を質すつもりがあったわけではないが,やはり韓国にこだわれば,韓国の食べ方に倣うのが筋というものだ。食べてみればわかることだが,そのほうがはるかに,胃へのおさまりはいい。(p10)
 この料理(クルポッサム)はもともとポッサムという料理だった。茹で豚を包んで食べていた。そこに,「生ガキを加えてみたら・・・・・・」と発想した韓国人がいたのだ。僕のような平凡な舌をもつ者にはなかなか思いつかない大胆さである。いや,無謀にも映る。そころが,一緒に食べてみると・・・・・・いけてしまうのである。人間には一定の割合で,食べ合わせの天才がいるらしい。(p37)
 韓国人のなかには,ひとつの経験則があるのかもしれない。においがきついものやくせのあるものは,茹でたり蒸したりした豚肉と一緒に食べればいい。韓国料理が少しわかったような気がした。(p41)
 韓国には解けない謎が山のようにあるが,そのひとつが酒である。なぜ,あんなにも飲むのだろうか。(p50)
 十代の頃からジャニーズ系のグループのコンサートは欠かさないという女性に会ったことがある。彼女はすでに三十代の後半に差しかかっていた。「二十代との違い? コンサートの最中,泣かなくなったことかな。ちょっと寂しい思いはあるけど」 そんな話を聞くと,やはり同じようにコンサートの会場に入っても,湧きあがる興奮のエネルギー総量のようなものが落ちているのかもしれないと思う。それでもチケットを買いに走ってしまうのだ。(p88)
 国と国との間には,深刻さのレベルはあるにせよ,常にこの種の問題が横たわっているものだ。陸の国境のある国々の人は,それないrの自己防衛のロジックをもっている。しかし,日本人は島国に育ったためなのか,こういったプレッシャーに弱い気がする。小規模な騒乱でも報道されると過剰に反応し「あの国は治安が悪いから訪ねるのをやめよう」と考えてしまう。日本人観光客が多い国は,この種のナーバスさに,しばしば戸惑うことになる。(p101)
 人は麺を啜るとき,視線が器に向かうはずである。(中略) オタクと追っかけ・・・・・・。共通した因子をもっているという話を読んだことがある。男はオタクに走り,女は追っかけになる。そしてこの同じタイプの男と女は,心を食事に移さずに食べることができる。(p110)
 皆,若い頃,誰かの追っかけをやってたんです。ジャニーズ系が多いかな。Kポップのアイドルと出会って,突然,ファンになるわけじゃない。そういう因子をもった女の子だって気はしますね。(p110)
 ファンが口をそろえるのは,Kポップアイドルの踊りや歌のうまさだった。(前略)デビューするときは,かなりの完成度に達しているのだという。 このあたりが日本のアイドルと違う。ジャニーズ系やAKB48にしても,デビューしたあとに育っていくという感覚がある。ファンにしてみたら育てていく感覚だ。(p111)
 かつて日本で『たまごっち』という電子ゲームが大流行したことがあった。「たまごっち」と呼ばれるキャラクターを画面のなかで育てていくゲームである。しかしこのゲームは,韓国ではあまり流行らなかった。韓国の人は,育てていくということに興味を示さないのだろうか。(p112)
 日本ではビジネスホテル,ラブホテル,ゲストハウス,ホテルといった性格分けがはっきりし,その外観からもわかるのだが,韓国はその境界が曖昧なのだ。(p238)
 温泉マーク宿が妙に落ち着くのは,鼻腔に届く部屋のにおいが理由かもしれなかった。あの頃,なにをしたらいいのかもわからず,狭い部屋でひとり悩んでばかりいた。年をとっても,戸惑ってばかりの人生に変わりはないが,いま,心を占めている苦痛はより現実的な悩みだった。若い頃は幸せだったというのはそういうことなのかもしれない。(p263)
 週末のソウルで,ほっこりとした気分に浸ることができるのは,重い歴史のなかでの決断を後悔しない彼らの優しさのためではないかと思うのだ。(p297)

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