2015年8月19日水曜日

2015.08.15 森 博嗣 『孤独の価値』

書名 孤独の価値
著者 森 博嗣
発行所 幻冬舎新書
発行年月日 2014.11.30
価格(税別) 760円

● 宇都宮に出かける用事があった。が,カバンに本を入れるのを忘れてしまった。ので,駅ビルの書店で慌てて買ったのがこれ。

● 読み始めたら一気通貫。言われてみればもっとも至極。もっとも至極というのは,筋をつなげていけばこうなるしかないのだなと納得させられるってことなんだけれども,ある主の覚悟も背後にある。精神的怠惰は許されないし,自らにも許さない,といった。

● 以下にいくつか転載。
 人生には金もさほどいらないし,またそれほど仲間というものも必要ない。一人で暮らしていける。しかし,もし自分の人生を有意義にしたいのならば,それには唯一必要なものがある。それが自分の思想なのである。(p10)
 なかには,「寂しいといろいろ考えてしまって余計に憂鬱になる」と言う人もいる。この言葉が示しているのは,「賑やかなところではなにも考えなくても良い」という点である。もしかして,人は思考停止を本能的に望んでいるのだろうか,と思えるほどである。(p59)
 孤独とは楽しさを失う感覚だと述べたのは,結局は,失うというその変化が,寂しいと感じさせる根源となっている,ということであり,逆に言えば,楽しさは,苦しさや寂しさを失ったときに感じるもの,となる。(中略) 寂しさがもしマイナスだとすれば,それはプラスあってのマイナスだと捉えることができる。 しかも,こういった変化は当然ながら,生きているうちは繰り返される。まさに「波動」なのだ。ということは必然的に,「寂しい」「孤独だ」と感じることが,そののちに訪れる「楽しさ」のための準備段階なのである。(p66)
 そもそも,他人のことを「なんか,あの人,寂しいよね」と評することが間違っている。勝手な思い込みで,一人でいるのは寂しいこと,寂しいことは悪いこと,という処理を,考えもしないでしているだけなのだ。同じ価値観で返せば,そういう「考えなし」こそが,人間として最も寂しいのではないか。(p78)
 個別の恨みを無差別な対象へ向けるのは,本当の対象がわからないか,それとも,攻撃がしにくいから,それよりも手法的に簡単な対象を選んだにすぎない。そして,無関係であっても,騒ぎが大きくなれば,結果的には自分が恨んでいる本当の対象に自分の怒りが伝わる,という計算がある。これは明らかに,自分を認めてほしいという欲求から発するものであり,つまりは「甘え」である。こんな「甘え」による犯罪は,孤独を愛する派ではなく,孤独を恐れる派の犯行であり,つまりは大勢の人が属する常識的な価値観に基づいていることに気づいてほしい。(p100)
 物事を発想する行為は,個人の頭脳によるものであって,力を合わせることはできない。(中略) それどころか,考えるときには,ただ一人になった方が良い。静かな場所で,自分の頭だけを使って集中する。そんな孤独の中から,最初の発想が生まれる。(p108)
 芸術というのは,人間の最も醜いもの,最も虚しいもの,最も悲しいもの,そういったマイナスのものをプラスに変換する行為だといえる。これは,覚えておいて損はない。(p126)
 現代人は,あまりにも他者とつながりたがっている。人とつながることに必死だ。これは,つながることを売り物にする商売にのせられている結果である。金を払ってつながるのは,金を払って食べ続けるのと同じ。空腹は異常であって,食べ続けなければならない,と思い込まされているようなものだ。だから,現代人は「絆の肥満」になっているといっても良いだろう。(p128)
 失業者が増えても,生産はされているので,社会としては豊かになる。すべてを機械に任せて,人間は遊んでいても良い,という状況に近づいている,と極論しても,さほど間違っていない。(中略) しかし,人間は遊んでばかりでは,なかなか充実感を持って生きられない。社会のために自分が役に立っているという,という実感が欲しい。そこで台頭するのが,人間が人間に対してサービスをするような職種である。(p133)
 トータルとして俯瞰すれば,人間の肉体の活動が不要になり,頭脳の処理的作業も不要になり,今や人間の仕事の領域は,頭脳による「発想」へとシフトしている。「創作」的な活動が,人間の仕事に占める割合は,これからもどんどん増え続けるはずだ。(p135)
 年寄りが,風景に美を見るのは,おそらくは自分の死を身近に感じているからだろう。「この景色をあと何度見ることができるか」というセンチメンタルな感情が加味されるからこそ,美しく見える。なんでもないところに美を見つける目は,人の儚さから生まれるのである。(p140)
 手間暇をかけて飾り立てた美は,いわば人間の「労働」が作り上げた造形である。金をかけるのも同じだ。(中略)一方,洗練の美は,手を動かすことで作られる飾りではない。(中略)生み出すことに必要な労働時間の多さではなく,そこに込められた精神の深さに価値を見出そうとした結果なのである。(p143)
 誰も調べたことがないものに着目し,そこに自分の道理を見つけるのである。大事なことは,他者のやっているものを真似しないこと。本を読むのは良いけれど,学ぶことは研究ではない。学んでいるうち,つまり情報を吸収しているうちは,まだ発想していない。(p158)
 創作も研究も,今すぐ食べることには無縁である。つまり,生きること,生活からはほど遠い。(中略)しかし,無駄なものに価値を見出すことが,その本質であり,そこにこそ人間だけが到達できる精神がある。孤独が教えてくれるものとは,この価値なのだ。(p161)
 少なくとも心は自由でありたい。友達や家族の支えはあるし,感謝はしなければならないが,それでも,それが生きる希望である必要は全然ない。(p164)
 田舎から都会に出てきて,核家族になり,あるいは独り身で暮らす,というライフスタイルが許されるようになった。許されるようになったのは,それを望む人が多かったからだ。(中略)核家族だから子育てに不便だ,というのではなく,子育てを犠牲にしてでも,核家族の自由さが望まれた,というだけのことである。(p167)
 田舎では,まだまだ多少人づき合いを強制されることがあるし,従わなければならない古い風習が残っている。でも,これらが消えていくのは時間の問題だろう。そういう不自由さをなくさないと,田舎から人間はどんどん流出してしまうからだ。もしその過疎化の問題を解決したいなら,田舎も都会の価値観を受け入れるしかない。(p167)
 自分がやりたいように,というのは,やりたいことをじっくりと考えるということである。だらだらとさぼっていたい,今日はやる気がないから寝ていたい,では,やりたいことにならない。それは,やりたいことがない状態であって,人間としては死の次に悪い状態,生きているうちでは最悪の状態である。たぶん,孤独を拒絶し,それを怖れてばかりいる人生だったから,そんな仮死状態になってしまったのだと思う。(p170)

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