2015年7月11日土曜日

2015.07.11 下川裕治 『南の島の甲子園 八重山商工の夏』

書名 南の島の甲子園 八重山商工の夏
著者 下川裕治
発行所 双葉社
発行年月日 2006.12.20
価格(税別) 1,400円

● 沖縄の離島から初めて甲子園に出場した八重山商工。その八重山商工を追ったルポルタージュ。
 だけれども,本書は八重山商工を話材にした沖縄文化論といったほうがいいだろう。下川さんは本書によって自身の沖縄観を集大成したいと思ったのではあるまいか。

● 沖縄人の気質,沖縄が置かれた経済状況,沖縄の風土,本土との関係。そういったものが次々に展開される。

● それらを以下に転載。
 南の離島の子どもたちは意識を持続する力に欠ける。負けたときは,沖縄本島や本土の子どもたちと同じように唇を噛む。その後の練習にも熱が入るのだが,一カ月,二カ月とつづくうちに悔しさを忘れていってしまう。本土の人間のように根にもつようなしつこさがない。それは島の人たちのおおらかさでもあるのだが,裏を返せば甘さでもある。(p50)
 二〇〇五年の九月五日,沖縄県の秋季大会の組み合わせ抽選があった。それを眺めた仲里拓臣は少し顔をしかめた。組み合わせを辿っていくと,準々決勝で浦添商業と対戦することになる。その表情をみた伊志嶺は仲里に語りかけた。 「拓臣,そういうマイナス思考だからおまえはだめなんだよ。もう負けるような気分でいるんじゃないか。絶対に勝つ,気持ちで負けたらだめなんだよ」(p53)
 横浜高校の渡辺元智監督と小倉清一郎部長が野球の指導をしながら教員免許をとったのは有名な話だ。生徒と長く接することやふたりでベンチに入るための方策でもあったのだが,おそらく学校にしても,生徒に授業を教え,職員会にも出席する野球部の指導者のほうが教育者としての意識を共有できるのだろう。ただ単に野球だけの指導では優秀な選手は育たない。高校の授業とまったく違うところに野球部があるわけではないのだ。 千葉経済大付属の松本吉啓監督も,埼玉栄時代に大学に通って教員免許をとっている。 「野球の練習はきついです。どうしても授業中眠くなる。それを我慢して頑張る強さ。そういう生徒がいい選手になっていく。ふだんの生活がすごく大切なんですよ」 これがいまの野球部の多くの監督の考え方なのだろう。(p133)
 八重山ポニーズから十一人が入部するとき,伊志嶺は銀行から二百万円を借りている。甲子園融資などと本人は笑うが,八重山商工の監督を引き受けたとき,それは覚悟していたことだった。 野球は金のかかるスポーツである。(中略)その金も一年間でほぼなくなってしまったという。(中略)甲子園という夢。それはなかなか金がかかる夢でもあるのだ。(p147)
 本土のある私立高校は,甲子園に出場すると,在校生の家庭から一律二十万円の寄付を集めるという話を聞いたことがある。それを東舟道に話すと,嘘でしょ,といった顔をした。島ではそれより二桁低い資金集めに父母会は奔走していたのだ。(p159)
 八重山から甲子園。それはどうしても野球のレベルの話になりがちだ。しかしかつての八重山の野球が,そのレベルで甲子園に遠く及ばなかったように,島の経済力もそれを支えることができなかったのだ。(p160)
 元々,「男が働かず,女がしっかりしている」という南の国の構図が流れている。沖縄には「男逸女労」という言葉が生きているし,「男のひとりも養えないでなんで女か」という諺までいい伝えられている。つまり男が頼りない社会なのだ。 そんな沖縄社会は,家族を背負い,社会的な責任も果たさなければならない本土の男たちにしたら,心の芯がとろけてしまいそうな世界に映る。それを世間では癒しなどというのかもしれない。(p161)
 強いチームとあたっても接戦だが,弱いチームとあたっても僅差のゲームなのである。決して二十対〇といった大勝ちはしない・・・・・・。(中略) 八重山商工のOBたちともその話をした。(中略) 「そうだよな。なんとなくわかるな。八重山っぽい。相手をこてんぱんになるまでやらないんだよ。刺さないっていうかね。本土の人に比べて,沖縄の人はいろんなことを根にもたない気がするな。こう,このへんでいいよって思っちゃう。甘いっていわれれば甘いんだけど」(中略) その傾向は,沖縄本島より,離島に行けば行くほど強くなる。(p179)
 沖縄に限らず,南の国の人々は意味もなく頑張ることを嫌う。(p186)
 楽をして勝ちたい。だがこの言葉は禁句に近い。常に全力疾走が高校野球のイメージである。「勝てそうだから手を抜く」などといったら冷たい視線に晒されるだろう。(中略)しかし八重山商工野球部の戦いぶりを見ていると,どうしてもそんな発想が潜んでいるような気がしてしかたないのだ。(p187)
 沖縄,なかでも離島という土地はやはり本土とは違う。会社というものがしっかりしていないためか,終身雇用が定着しなかった。職を転々とし,ときにアルバイトをしながら働かないと生きていけないのだ。(中略) その分といってはなんだが,沖縄では仕事というものへのプロ意識も希薄である。ひとつの職種のプロになったところで生きていけないということなのだろう。なんでもこなさないと生きていけない土地だが,その分,要求される能力も高くない。職を転々とすることがあたり前になってくる。(p199)
 島の子はもっと本質的な島気質も備えもってしまっていた。それはタテ社会というものへの未熟さのような気がする。それは封建制というものへの不適応といい変えてもいいのかもしれない。もっとも沖縄の魅力もそのあたりにあるのだが,野球で強くなっていくには,それは決定的な島の弱さに伊志嶺には映っていた。(p224)
 夏の甲子園出場校のなかで,八重山商工の部員数は二番目に少なかった。それがまた好感を呼んだ。島の子どもばかりで,その人数も少なければ,どうしても応援したくなる。しかしそれは本土の感覚にすぎない。もし,八重山商工野球部の部員数が百人を超えていたら,チームがなりたたなかったのではないかという気がするのだ。本土のようにタテ社会が育ちにくいから,練習も上下の関係のなかで行えない。上級生が下級生を教える構造がないから,いつも伊志嶺が指示を出すことになる。伊志嶺の指導にも限界がある。島の野球部は,いつも少ない人数でなければ強くなることはできないのではないか。(p232)
 まだ若い高校生が,野球に秀でたというだけで人生を決めていく姿は残酷ですらある。ましてや彼らは石垣島で生まれ育ってきた。仕事というものへのプロ意識が薄い社会なのである。そこに本土から高額の契約金だの,年俸などといった世知辛い話が大手を振って舞い降りてくる。島の空気に触れながら,そんな話を聞くと,本土とはなんといぎたない世界なのか・・・・・・と思えてしまうのだ。(p246)

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