2015年6月15日月曜日

2015.06.11 白鳥和也 『自転車依存症』

書名 自転車依存症
著者 白鳥和也
発行所 平凡社
発行年月日 2006.11.15
価格(税別) 1,600円

● 静かに興奮できる本。自転車に興味がない人が読んでも面白いと思う。どんな人でも何かには興味のベクトルが向かっているものだろう。自分の興味の持ちようとひき比べながら,充分に楽しめる。
 あるいは,何に対しても特別な興味はないという人がいるかもしれない。そういう人が読んでも,やはり面白いと思う。

● そうだったのかと思わされた文章があった。
 自転車や独り旅は,若者が持て余しているエネルギーを受け止める装置のひとつになったのだった。政治闘争は,地方出身のありふれた学生たちにその装置の役割を果たすにはもはや質的に変わりすぎていた。そこで,皆,大なり小なり,旅をした。実際に旅に長く出るほどのモチベーションや機会を持てなかった若者でも,田舎から都会に出て,四畳半の風呂のないアパートで学生生活を送り,旅に近い数年間を過ごした。(p165)
 ぼくは,学生時代,旅に惹かれることがなかった。それは,学生生活じたいが旅のようなものだったからか。そう言われれば,ストンと得心がいく。
 あれは旅だったのか。そうか。卒業は旅の終わりだったのか。わざと留年する人もいるけれども,もっと旅を続けたかったからなのか。

● 自転車好きの人に共通する他の趣味について,次のように指摘する。
 ツーリング系のサイクリストは,自転車以外のほかの趣味にも共通の傾向を示す。鉄道なんてのはその最たるもので,輪行を好むサイクリストの三人に一人は,かなりの鉄分が入っている。(中略) オーディオが好きな人も多い。(中略)しかし,これら二者よりさらに浸透度が高いと思われるホビー領域がある。カメラである。(p182)
 分裂気質の人が多いんだろうかね。鉄道にしろ,オーディオにしろ,カメラにしろ。
 ぼくも自分が分裂気質であることは自覚している。鉄道も好きだ。が,オーディオとカメラには入れ込まなかった。要するに,自分がメカに直接手をくだすというのは,甚だしく苦手意識がある。
 自転車もパンク修理やブレーキシューの交換程度は自分でやるけれども,ワイヤーの調整になるともうお手あげだ。お手あげというより,端から自分で何とかしようと思うことがない。
 そこが「依存症」という面白さに満ちているであろう領域まで踏み込めない大きな理由になっていると思う。

● 古い駅舎になぜ郷愁を覚えるのか。この点に関する考察も読みごたえがある。問題提起の部分だけ転載しておく。
 鄙びた駅や鉄道というものの持つ切なくなるほどの郷愁の理由を説明することなど,半ば不可能に近い。あまりに根源的なものが何かそこに関わっているような気がしてならないからだ。(p223)
● 他にもいくつか転載。
 一般的に,入ることと出ることに関して,「入り出」とは言わず,「出入り」と言う。「入り出口」はないが,「出入り口」はあらゆるところにある。 このあたりのことが暗に語っているのは,存在にとっては「出す」ことの方が,「入る」ことより重要なのではないかという示唆である。お金が入ってこなくなったから,困窮状態になったというよりは,お金を使うことができなくなったために,入るべきものも入って来なくなった。息を吸うことができなくなったときにジ・エンド,となるのではなく,もはや息を出すことができなくなったときに完となる。「出る」「出す」は,「入る」「入れる」より優先する。(p39)
 そういう間抜けと馬鹿の日々を通り過ぎないと,まともな感覚や判断が身につかないというのが,人生の一種哀しい真実なのかもしれない。極端を知ることがないと,中庸に辿り着かないのだ。(p46)
 どうも人生というのは,思い通りにならないという面も強いものの,それ以上に,むしろ自分が心底からイメージできる以上のものにはならない,という法則があるようだ(p48)
 海外のロードの一流選手のなかには,何かの原因で選手活動ができなくなり,自転車に乗らなくなると,酒に溺れたり,場合によっては本当に「クスリ」に手を出してしまう場合もあるらしい。そういうものをやりたくてやったのではなく,ただ一生懸命自転車に乗っているうちに,われ知らず脳内麻薬の気持ち良さを知ってしまうのではないか,という推論なのである。(p71)
 人生に物語やドラマがある,と言っているのではない。逆なのだ。何かの意図を持つようにしか思えない時間の流れや弾道のなかに,人の生というものは置かれているらしい。それはしかし固定されておらず,時間,空間,人間といった要素でいくつかは記述ができるファクターのなかで,刻一刻とその振る舞いを変化させているように見える。(p94)
 一個部品を換えると,なんだか全体がしまらなくなってくる。優れた文章にはほとんど手を入れられないことに似ている。ひとついじくると,ほかが,がたがたになってしまうのだ。換えるなら,全体の秩序を再構成しなければいかん,ということになる。(p127)
 馬鹿げた車になぜ魅力を感じるのかというと,私にとっては,それが自転車的な何かを持っているからだ。私にとっては,おそらく自転車は,事実そうであったとしても,社会的に意義のある有用な乗り物というよりも,ただ単純に人生に歓びを与えてくれる乗り物なのだ。馬鹿げた車も,また同じ。(p175)
 サイクリストは音楽好きではあるが,反面,騒音は嫌いで沈黙を愛するようなところもある。自転車が聴覚と深い関係を持つ乗り物であることと関連しているのだろうね,これは。(p232)
 本や文章というものは聴覚の産物である。これは多くの人にとって意外なことだろう。なるほど,朗読などを除けば,文字は目を通して意識に入ってくるものだから,視覚だと思いがちである。しかし言語は聴覚を通して心魂に入ってくる。(中略) つまり,本の好きな人は聴覚人間なのではないか,ということなのだ(p233)

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