2015年5月30日土曜日

2015.05.23 谷山浩子 『浩子の半熟コンピュータ』

書名 浩子の半熟コンピュータ
著者 谷山浩子
発行所 毎日コミュニケーションズ
発行年月日 1998.07.25
価格(税別) 1,500円

● だいぶ古い本。まだパソコンに対して愚かな夢を見ることができた時代の。夢を見るのは簡単だから,ユーザー(予備軍を含めて)は勝手に夢を見ていた。メーカーも夢を見させるようなカタログを作ったり,宣伝に努めていたけど。
 で,今の現実は,あの頃に夢見ていた以上のところに来ている。SNSなんていうのは夢見ることすらできなかったし,動画を自由にアップできるなんてのも同様だ。夢は現実の延長でしか見られないものなんでしょうね,凡人にはね。現実に存在しないものは,夢にもならない。


● これについては,谷山さんも次のように書いている。
 世の中に普及してスタンダードになるということは,夢やスリルやドキドキする感じがなくなって平板になるということでもあるんですね。(中略)ウィンドウズには,DOSにあったような闇がありません。平板です。これはもう,しかたがないことです。(p302)
● それなのに,夢が現実になったっていう感激がないのはどうしてだろう。これは比較的はっきりしてるね,自分の生活が豊かになったっていう実感がないからだ。便利になったけど,豊かになったという実感はない。
 振込もネットでできるようになって,いちいち銀行に行かなきゃいけなかったのに比べると,大幅に時間が節約できている。それは確かだ。ホテルも航空券も電車の特急券もネットで予約や購入ができる。電子マネーもしかり。
 が,そうした諸々が豊かさを実感させるところまでいかない。

● 便利ってすぐにあたりまえになるからですかね。以前がどうだったかっていうのがスッポリ頭から抜けてしまうからかな。
 それ以上に,便利になって浮いた時間をつまらないことに使っているからかもな。


● 逆もあるかもしれない。今できていることのほとんどは,あの頃もできていたんじゃないか。SNSもブログもなかったけれども,“ホームページ”はあった。今ほど簡便ではなかったけれども,とにかくネットに自分を表現して発信する場はあった。フィードバックももらうことができた。
 LINEはなかったけど,メールはあった。今できることのあらかたは,当時もできていたのだ。
 ともあれ。この本は雑誌『PCfan』に連載されたものをまとめたものだ。その『PCfan』も今はない。


● 著者の谷山さんが作った曲は,いくつか聞いているはずだ。それとは知らずに,だったとしても。
 でも,作曲や歌をやめてしまっても,文章だけで喰っていけるんじゃないか。平明で達意の文章。
 出版されたときにすぐに買って途中まで読んで,長年中断していたんだけど,この文章で何で中断したんだか。今回,再開したら一気通貫。途中でやめるなんでできない。
 書かれている内容は当時のコンピュータ事情だから,当然にして古いわけだけど,文章はぜんぜん古くない。20年を越えて瑞々しさを保っている。


● 谷山さん,ゲームも好きで,ゲームもしばしば話材になっている。パソコンリテラシーも相当なもので,当時,ここまで使えていた人ってそんなにいないと思う。今と違って,まだ誰でも使っている状態ではなかったにもかかわらず。
 わたしはHTMLみたいなものは手でシコシコ書くのが好きだ。GUIはキライで(使ってるけど),マウスもキライで(使ってるけど),コマンドをキーボードから打つのがダイスキ。(p180)
 それでもわたしはやっぱりマックを使っていない。なぜかというと・・・・・・特に理由はない。しいて言うならマックを使う理由が特になかったから,というだけだ。(中略)
 こだわりがないのは愛情が薄いのかもしれないけど,わたしにはどうしても,今のパソコンと美意識というものが結びつかないのだ。(中略)パソコンでできるあんなことやこんなことには愛を感じても,パソコン自体は便利に使えればそれでいい。(p283)
 この頃でもミュージシャンでMacではなくWindowsを使っていたのは,圧倒的に少数派だったのではないか。

● 本業の曲作りやコンサートにまつわるものもネタになるわけだ。ネタ探しに苦労はしたっぽいけれども,バラエティーが豊富で読んでて飽きることはまずない。
 才女というのは今は死語なのか。才女っていうイメージだな。自由奔放なんだけど,学級委員もこなせるタイプというか。


● いくつか転載しておく。
 わたしが一番どうしていいかわからなくなる質問の王者は,なんといっても「あなたにとって~とは何ですか」というパターンだ。
 「あなたにとって音楽とは何ですか」
 あたしゃ哲学者じゃないんですからそんな難しいこと聞かないでくださいよ~。(p163)
 このゲーム(ドラクエ3)がこんなふうに絶妙にできてしまった理由は,もしかしたら作者の堀井雄二さんにもわからないんじゃないだろうか。大波に乗ってしまった感じなんじゃないだろうか。(中略)
 どんなに頭をしぼっても,一生懸命考えても,ある日突然やってくる波にはかなわない。これはゲームだけのことじゃない。わたしの場合は,歌を作っていてそれを感じる。(p193)
 全くゆるぎなく,少しもはずかしくなく,安心して100%愛せる文章書きの人たちがいる。たとえばエッセイなら田辺聖子さんとか鈴木志郎康さんとか小田嶋隆さんとか。他にもたくさんいる。
 そういう人たちの共通点は何だろうと考えてみたらすぐわかった。「かわいげ」があるのだ。
 この人たちの文章の中の本人像は,どこかヌケてて,時には情けなかったりヒキョーだったり無能だったりして,かわいい。賢い人たちなのに(賢い人たちだから,というべきか)自分の賢さを文章にディスプレイしてみせない。文章の中の自分像が,自然に人の目を楽しませる芸になっている。(p245)

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