2015年5月15日金曜日

2015.05.10 尾田栄一郎 『ONE PIECE STRONG WORDS 下巻』

書名 ONE PIECE STRONG WORDS 下巻
著者 尾田栄一郎
発行所 集英社新書ヴィジュアル版
発行年月日 2011.04.20
価格(税別) 760円

● 巻末の内田樹さんの「解説」が面白かった。ここを読むためだけに,この本を買う価値はあった。

● その「解説」からいくつか転載。
 本格的にスポーツをやっている人や,あるいは自然科学の最先端で仕事をしている人なら,すぐに納得してくださると思いますけれど,ある定型的な「増量法」でごりごりやっている限り,どうしても超えることのできない壁にぶつかります。その壁を超えるためには,発想を根本から変えるしかない。どういうふうに変えるかは分野によって,課題によってさまざまですけれど,いずれにせよ「コペルニクス的転回」が必要です。(p187)
 「この人と一緒に仕事をしいたいか,したくないか」ということは言葉を交わさなくても自分の身体が反応する。自分自身の内臓のわずかな緊張や脈拍や体温の変化,そういうものをていねいにモニターしていると,「この人と一緒に仕事をしいたいか,したくないか」はわかる。 面接する相手を仔細に観察して情報を得ているわけではないのです。自分を観察しているのです。(p194)
 僕たちはふつう自分の強さや才能といったプラス要素を誇示すれば,人々の尊敬や愛情を獲得できると考えています。でも,ほんとうはそうではない。僕たちは「あなたなしでは生きてゆけない」という弱さと無能の宣言を通じてしか,ほんとうの意味での「仲間」とは出会うことはできない。そういうものなのです。(p195)
 僕たちは「あなたなしでは生きてゆけない」という言葉を聴くと深い感動を覚える。それは,その言葉が「だから,あなたにはいつまでも健康で,愉快に,生き続けて欲しい」という強い予祝と祈りの言葉を伴って到来するからです。「あなたなしでは生きてゆけない」という祈りを向けられたものは,その懇請に応えるために「私は生き続けなければならない」という強い使命感を感じます。 予祝と使命感がどれほど人間の生きる知恵と力を高めるか,それは例えば幼児と母親が互いに見つめ合うさまを見れば理解できるはずです。(p196)
 たしかに,「誰の支援もなしに私は生きてゆける。私は誰にも迷惑をかけたくないし,誰からも迷惑をかけられたくない」と宣言する人もある意味では「強い」と言えます。でも,その強さには限界がある。というのは,そのような「自立」した個人には,その人に「死なれては困る」という人がいないからです。その人が仮に疲労の極,絶望の淵に立ったとき,死の限界を超えてもなお踏みとどまることができるでしょうか。僕はむずかしいと思います。(p197)
 僕はこのウソップという登場人物の造形の巧みさに,作者尾田栄一郎の天才性を感じたのです。(中略) ウソップの「責務」とは何でしょう。それは(中略)「ウソをつくこと」です。言い方を変えれば「物語を語ること」です。その才能が集団的なパフォーマンスに必要不可欠のものであるという理路は,ルフィもほかの乗組員も誰もうまく言葉にすることができません。でも,実はそうなんです。あらゆる集団は,「その栄光の冒険譚を末永く語り継ぐ」ストーリーテラーを含むことなしには,そのポテンシャルを最大限まで発揮することはできない。その貢献は,ある意味で,個別的な超人的身体能力のもたらす貢献を大きく上回ります。(p199)
 「自由な」とは,生きる知恵と力を最大化するためには,何をすることもためらわない,そのような開放性のことだとぼくは理解しています。自分なりの「こだわり」とか「美意識」とか「スタイル」とかいうものがあって,それを外すとうまく生きることができないと言っているうちは,まだまだ「自由な人間」とは呼ばれません。(p204)
 ルフィは自由です。仲間の誰よりも自由です。ほとんど無文脈的に自由です。「これまでのいきさつ」とか「ものごとの筋目」といったことはルフィの判断や行動を規制しません。ルフィが気にするのはただ一つ。それが自分にとって「楽しい」かどうか,それだけです。 もちろんこれは平凡な快楽主義とはまったく別のものです。快楽主義者たちは「説明」したがるからです。(p204)
 その人が発する言葉の重さと,そのコンテンツの「政治的正しさ」の間には相関関係は(ほとんど)ありません。むしろ,論理的に正しい命題だけを選択的に語っている人間の言葉はしだいに重みや深みを失っていく。そういうものです。正しい命題は言い換えを嫌います。だから,しだいに録音された音声のリピートのようなものになっていゆく。そういう言葉は人に届きません。(p206)
 僕たちの身体の奥には,そこから言葉が湧き出てくる「マグマ」のようなものが,熱を発して生き生きと活動しています。その「マグマ」からときどき間欠的にボコボコと気泡のように言葉が湧いてくる。それは用意されたものでもないし,検閲されたものでもないし,推敲されたものでもありません。だから,状況や条件が変わるたびにそのつど変わる。でも,源泉は一緒なので,どんなに表現が違っていても,「つじつまが合っている」んです。「マグマ」から湧き出す言葉は重く,深く,熱く,しっかりとした手応えがある。(p207)

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