2015年5月12日火曜日

2015.05.09 爆笑問題 『対談の七人』

書名 対談の七人
著者 爆笑問題
発行所 新潮社
発行年月日 2000.12.20
価格(税別) 1,200円

● 七人とは,なぎら健壱,立川談志,淀川長治,小林信彦,橋本治,山田洋次,ジョン・アーヴィング。
 対談当時,爆笑問題の二人は33歳。その年齢で,こういったそれぞれの分野の第一人者とさしで話ができるんだねぇ。
 この時点で,漫才の寵児になっていた。一目置かれる存在だった。

● なぎら健壱との対談から。 
 太田 お笑いと関係ない人の方が,簡単に「つまんない」って言うんですよ。 なぎら そうなんだね。ああいう言い方が,どんなふうに芸に響くか,わからないんだね。(p14)
 審査員にホントのことは番組中に言ってほしくないんですよ。カメラ回ってないとこでアドバイスされるのはいいけど。お笑い番組という前提があるんだから,そこでの審査を,どこまでお笑いにできるか,考えていない審査員が多すぎる。(太田 p15)
 実際に起きた面白い出来事を面白く話すのは楽だが,なぎらさんの場合は,何も起きていない所から,くだらない出来事をでっち上げるのだ。(中略)しかも,なぎらさんの話は聞いた方にとっても,話した方にとっても,何の得にもならない。何の意味もない話ばかりである。 こういう話を人間は,なかなか創造できるものではない。大抵,どこかに意味を持ってしまうものだ。(太田 p36)
● 立川談志との対談から。
 電車は好きなんだが,庶民に出会う。この庶民の横暴さには腹が立ってねぇ。こっちが捕まらないですむ「庶民の殺し方」,何かないものかなと思って。いや本気だよ。(談志 p42)
 最大公約数的判断はあらゆる部分において,もはや現代では保たないのです。で,例えていうと,俺にとって最大の悲しみの表現は“お茶を飲むこと”だという,このイリュージョン。で,この行為,このイリュージョンを観客に納得させた時,天才になるわけです。(談志 p53)
 五十まで勝手なことをやってりゃいいや。何やったっていいよ。ということは,何でもやんなきゃダメだ。(談志 p56)
 売れるってことは,誰かに自己を確認されることです。その確認してくれるのが,多数であった方がいいのか,自分が満足できる少数であればいいのかという問題がある。三枝や小朝は「たくさんの人に認められたくて,やっている」と言ってたけど,しかし,そもそも彼らの芸は多数には売れるが,高級な客には売れる芸じゃないんだ。(談志 p58)
 芸人は金を使って,酒と女,遊びが芸の肥やしになるなんて嘘だよ。絶対,金は自分のために使う時が来るから,貯めとけよ。(談志 p61)
 人間は,何か答えたいんだろうな。何か喋りたいものなんだよネ。何なのかネ,そんな重大なことでなくても,他人に伝え,自分が納得することによって人間生きているのかも知れナイネ。してみりゃ話題なんて何でもいいのかも知れない。(談志 p65)
● 淀川長治との対談から。
 ほんとに見てること,尊敬していること言いたくて,いろいろやっているうちにね,とうとう質屋の番頭さんのマネしちゃったの,本人の目の前で! チャップリンに番頭さんの演技してみせたの,世界中でぼくだけだよ。 そしたら,「君,中へお入り」って船内に招き入れられた。中に入っておしゃべりしたの,四十二分間,たった二人きりで。僕にとって,これは一生の誇りで名誉。ほんとに愛して本気で惚れたら,怖いことなんてないんだね,人間には。(淀川 p78)
 やっぱり映画にはスターがいりますよ。スターがいないと,映画がつまらなくなる。(淀川 p96)
● 小林信彦との対談から。
 〈芸人の勝負どころ〉ってあるじゃないですか。それが森繁さんの場合,あの映画(夫婦善哉)だったんですね。渥美清も,「男はつらいよ」はTVドラマの時から「勝負だ」と言ってましたよ。そういう時期って絶対あると思うし,勝負できるのも才能だと僕は思いますね。(小林 p107)
 そういう〈勝負どころ〉を全然考えなかったのが,フランキー堺。(小林 p107)
 志ん朝さんは,自分の芸の解説というか,言い訳をしないじゃないですか。あの姿勢が本物ですよ。渥美清もそうでしたけどね。(小林 p114)
● 橋本治との対談から。
 引いたポジションで一言言って笑わすのも考えるんですけど,あれって,すごく完成度の高い言葉が浮かばないと言えないんですよ。だから臆病になる。でも,テンション上げてダメでもなんでも言っちゃえってやり始めると,けっこうそこから道が開けてくるみたいになって。さんまさんも,おそらくハズレもいっぱい言ってると思うんですけど。(太田 p135)
 「芸術新潮」で「ひらがな日本美術史」なんて連載を平気でやれるのも,芸術見てもべつに偉いともなんとも思わなくて,面白いかつまらないか,きれいか汚いかしか感じないから。(橋本 p154)
 橋本 書いて渡すと,「うちの読者にはこういう高級なことはわかんない」って返されてくる。(中略)でも,平常心を保てたのは,さすがに書き直しが三回までだったね。四回目になると,ちょっとキレそうになった。そういう人たちをお客さんにしないとダメかな,と思ってやってたんだけど,最後はここまでつまんないことやってウケてもしょうがないやってところに,やっぱりいっちゃう。(中略) 太田 でも,お笑いやってると,いいやとは思えないんですよ。どんなにベタでも笑いの量が多いほうが絶対うれしい。(p160)
● 山田洋次との対談から。
 中学校に行ってみて,何度も一緒に授業を受けたんだけれども,みんな実に退屈だろうなと思った。この退屈さに耐えているのかと思うと,とてもいとおしい気分になったね。(山田 p190)
 渥美さんはきちんとセリフを言ってくれる人だったけれども,本当にいい状態の時,集中力が高まってくると,ふっと無意識にアドリブが出るんです。(中略)「それを言っちゃおしまいよ」と言ったのはアドリブね。こんなセリフ,彼の生い立ちの中で獲得した表現なんだろうね。(山田 p192)
 「労働者諸君!」っていうのも渥美さんのアドリブ。基本的に観客は労働者ですよね。(中略)悪口を言うのに観客が笑う。森繁久彌さんが「そこがニクイ」って言ってた。「俺には言えないよ。俺が言ったら,観客は怒るだろう。『なんだ,偉そうに。大きなヨット持っていやがって』と。清だって俺と変わらない出演料と取っているだろう。それを観客は重々承知していても,清の悪口は許すんだ」って。(山田 p192)
 作る方がくたびれちゃうと,だらしなくなるんですよ。発想が生まれなくなって,ある一線まで踏み込んじゃえば上手く転がっていくんじゃないかって,安易な作り方になっちゃう。(山田 p194)
 太田 寅さんで一番凄いなと思うのは,お茶の間でおいちゃんはじめ,みんなを相手に,帰ってきた寅さんがいろいろ仕方話をするじゃないですか。喜劇の中にもう一つ喜劇が入ってる,その劇中劇みないな話術の凄さに憧れたんです。 山田 僕たち,現場であれを「寅のアリア」って呼んでた。(中略)それをできる役者はちょっといないですよ。映画の中でまた別な世界を作り上げちゃう。渥美さんのは,所謂「芸」とか「技」じゃないように思うんだ。(中略)なんか渥美清個人の生き方がそのままスッと画面に出てくるというかな。それを観客もどこかで分かってる,そういう質の芸だと思えてしようがないのね。(p196)

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