2015年5月12日火曜日

2015.05.04 中村天風 『幸福なる人生 中村天風「心身統一法」講演録』

書名 幸福なる人生 中村天風「心身統一法」講演録
著者 中村天風
発行所 PHP
発行年月日 2011.11.09
価格(税別) 1,900円

● まず,いくつか(というには多すぎるか)転載しておく。
 人生は,悟ったように見えるとか,悟ったような気持ちになるというような薄っぺらなことじゃ,解決がつかないのですよ。どんな場合があろうとも,牢乎として抜くべからざる強さが心につくられなきゃだめです。 変化変転極まりなき人生の荒海の中を生き抜く際,何かちょいとした健康上,運命上のこわばりのあるたびに揺る動かされるような心だったら,いくら目に万巻の書を読み,耳にどんな美しいことばを聞いたからとて,煙が風に吹かれていくようなものです。(p121)
● ではどうすれば,そうした強い心を作ることができるのか。たとえば,次のようなことだ。
 難しく考えるてえと際限ない。易しく考えて易しくおやりなさい。一番いい方法を教えてあげるから。 寝際に,いろいろな心配や煩悶が起こるのは,普通の人間なら当然でしょう。況や健康に障害があったり,運命に障りがあれば,何かと心に浮かんでくるのは当然でしょう。感覚があったり,神経がある以上は。けれど,枕に頭をつけたら一切それを心の中に考えさせない努力を習慣づけることです。努力して習慣づけると言うほうがわかるかな。 「身に降りかかることを考えずにいられるか」というようなことを言うからいけないんだ。どんな大事件だろうと,その晩考えなきゃ解決のつかないというような事柄など,めったやたらとあるものじゃないよ,人間の人生に。(p130)
 もう今夜からこういうふうにしてごらん。消極的なことが心の中に浮かんできても,それに一切関わり合いをつけないようにするの。「思い浮かばせちゃいけないぞ」とは言わない。言ったって出てくるもん。出てきても,そいつは相手にしないことなの。冷遇しなさい。何もそれを優遇する必要はない。(p130)
 関わり合いをつけない練習を効果づけるのには,どんなことでもいいから,思うほどに,考えるほどに自分の心が何となく勇ましく,微笑ましくなるようなことだけを考えてりゃいい。 観念の世界は自由だ。楽しいこと,面白いこと,嬉しいこと,自然と微笑まずにはいられないようなことを考えればいいんだ。そのぐらいのことを考えられる心は持っているでしょう。(p131)
 言葉に常に注意深く,どんなことがあっても消極的な言葉を出さないように,日常生活を営む際,自分の言葉を自分自身が取り締まっていかなければいけない。弱音,悲観,失望というようなものを表現する言葉を使っちゃいけない。(中略)言葉は自己感化に直接的な力を持っているのよ。しょっちゅう泣き言ばかり言ってるやつの人生というのは暗いです。(p140)
● さらに,たとえば次のようなことだ。
 尻の穴を締めることを一番先に習慣づけなきゃだめよ。見えないところだから開けっ放しにしておいてもいいと思うかもしれないけれども,これは開けっ放しておくべきところじゃないもの。(p211)
 息を少し長く深く穏やかにするということをやるっていうと,それで今度はさらにクンバハカ応用のプラナヤマ,活力の吸収という尊い方法が行えることになる。(p214)
 何をするときもパッパッと気を打ち込んでやるとね,これはもう意識を明瞭にする,すなわち,とらわれから離れて,はっきりした気持ちになる。これが最上の手段です。これ以外に手段はない。 気が散るというのは,打ち込まれていないから散るのです。気が散ったために打ち込まれないんじゃなくて,打ち込まれないから気が散るの。(p223)
 たとえば,心の中に百の力があるとするでしょう。このまま気が散らずにいれば,そのままあるんだ,心の中に。あなた方ともなるってえと,十は食い物に,十はお金に,十は恋に,十は心配に,十は健康に,十は煩悶に,といった具合に気を散らしてしまうんだ。すると心には四十しか残ってねえ。(p224)
 ただ漫然と何の用意もなく,準備もなく,反省もなく,思うがままに思う,考えるがままに考えるというような状態でやっていくってえと,この肉体本位のまがままいっぱいに振る舞おうとする本能心だけが心の全体を占領する。 もちろん理知教養を受けてくると,そこへちょいちょい理性心というやつが首を出してくる。「だめだ,そんなこと思っちゃ」ということは言うのですよ。だけど,力のないヨボヨボの姑が口やかましく五月雨小言を言っているのと同じでもって,本能心が言うこと聞きやしねえ。(p237)
● また,次のようなことも。
 「まず目的を定めろ。人生のデスティネーションができなかったならば,あてどもない旅に出たと同じじゃないか。だから目的を定めて,その目的に向かって勇往邁進しろ」というのが,今も昔も学者や識者が後輩を教えるときに必ず言う言い草なんです。私はそれに賛成しないのであります。なぜかというと,目的を定めてやると,焦りが来るからです。「まだか,まだか」という焦りが来ると,ファイトに傷がつくんです。これは大事なところだから聞きなさいよ。普通の学者や識者が言うこととは全然違いますよ。がむしゃらでもいいからファイトで行くんです。(中略) われわれの持っている人間に与えられた知識の範囲というものは知れております。それでとやかく思案していたら,この時代に本当のファイトが出ますか。(p155)
 とにかく縁があってあなた方が今の会社にいるのならば,そこでベストを尽くすんです、ベストを尽くすことに対して誰も文句を言う者はいないんだもの。(中略) がむしゃらなファイトというのはベストのことなんだ。がむしゃらというと言葉が下等になるけれども,結局,右顧左眄するなということですよ。右を見たり左を見たりしていると,躊躇という心が出てくる。(p163)
 靴ひとつ磨いたからとて,桶ひとつ洗ったからとて,自分のしてる仕事に対しては自分自身が尊敬を払わなきゃ。ところが現代人は非常に重要なポストを与えられて,普通の人よりもはるか上回った仕事をさせられると非常に尊さを感じられるけれど,たとえば課長級の人に,「おい,ちょっとおまえ,きょう受付しろ」とか言ったらしやしませんよ。「ばかにしやがって,おれは課長じゃないか」と。(p166)
 石橋を金で叩いてるような,薄い氷の上をおっかなびっくり渡っているような人生を生きてたら,そのままあなた方の人生は萎縮しちまうぜ。空気の抜けた風船みたいになっちゃう,どんなに学問しようが,どんなに経験積もうが。 結局,当たって砕けろです。無茶な考えであるかもしれないけれども,ベストを尽くして行きさえすれば当たっても,向こうのほうが砕けちまう。(p169)
 がむしゃらという言葉を考えてごらん。「がむ」とは我を無くしちまえということ。感情や感覚が我なんですから,これを捨てちまうのが,がむしゃらです。(p173)
 大抵の者は我慢しきれなくなっちまうんですよ。追い詰められたとき,生きる道を見出す時間が待ちきれなくなって,大抵は自分の命を落としてしまうようなばかげたことをやっちまうんです。忍耐力というものは,結局,胆力と相対比例していますから。(p184)
● 天風会の心身統一法は体系だった修法がある(と思う)んだけど,中心になるのは「観念要素の更改」だと思う。心を積極化する方法。
 寝入りばな,鏡に映った自分に,おまえは信念強い,とつぶやく。これを子供だましだと受けとめる人もいるだろう。
 しかし,天風会に限らず,このやり方しかないのじゃないか。斎藤一人さんの場合は,言葉が大事だよという(天風さんも言葉は重要視する)。強気になりたければ,「強気,強気,・・・・・・」と言ってればいい,3ヶ月も経てばすっかり強気になっている,と。
 つまり,言葉によって「観念要素の更改」を行おうというわけだ。しかし,これまた子供だましじゃないかと感じる向きもあるだろう。

● ところで。天風さんと斎藤一人さんの違いのひとつは,食に関する見解だ。天風さんは肉食を戒めるのに対して,斎藤さんは肉も食べなきゃダメだよと言ってるからね。
 草食動物に共通な特徴は臆病なこと。驚くだけでショック死する動物だっている。人間も同じ。肉しか食べないというのはいけないけれども,酸っぱいものと一緒に食べればいいよ,と。
 動物性のタンパク質は,医者の言うとおり消化しやすい。消化しやすいけれど,消化する際に副産物として尿酸という酸が生じる。こいつがおっかないんですよ。(p265)
 肉を食う者だけに限って存在する痛風という病がありますわ。(中略)それから水虫。これなんかも肉食をしている者には多いんだ。そして病に罹っても治りが遅い。その上,とかく難病に冒されやすい。(p267)
 本当に人間らしい活動を完全にしたいと思う者は,肉食を控えなさいよ。断然するなと言いたいけれど,これ,あなた方の現在の文化生活ではできないことだから,まず比率を三割にする。(p279)
 経済の問題からいくてえと,動物性のものを食ってるほうが安上がりなんです。この節,果物なんていうのはびっくりするほど高いもんね。けれど,最後の締めくくりで考えてごらん。安いなと思って食ってるもので病気したら,高いものになるね。普段ある程度の金払って食ってるもので病気しなかったら,そのほうが安かねえか。(p290)
● 天風会の会員累計はかなりの数になるのじゃなかろうか。斎藤一人さんの本の読者も相当な数に昇ると思う。
 が,天風会の会員で,天風さんの高みにまでは行かずとも,心を積極化できた,それ以前とは違う自分になれた人って,ひょっとしたら皆無に近いのではあるまいか。「一人さん仲間」も同じだろうと愚察する。
 天風会があろうとあるまいと,中村天風は最初から中村天風であって,その因って立つ由縁は「観念要素の更改」では説明できないのではないか。

● しかし,天風さんはこうも言っている。
 あなた方の一番いけないところは,自分でこしらえた一つの見えない偶像をあまりにも崇拝しすぎることですよ。人が偉いというと,自分が近寄れないほどとびきり偉いように思ってしまう。やれキリストが偉い,釈迦が偉い,マホメットが偉い,孔子が偉い,イプセンが偉い,ソクラテスが偉いって,見たこともないくせしやがって,何かとんでもなく偉いもののように考えて,自分なんか寄りつけないように思っている。だから,いつまでたってもあなた方は下積みでもって,憐れな惨憺たる人生に生きるのだ。(p124)
 私とあなた方と大した差はありゃしないぜ。ただ,ここに立っているか,そっちに座っているかだけなの。裸にしてみろ,私だってへそは一つだ,二つあるわけじゃねえんだ。(中略)だから,及びもつかない,そばにも近寄れないほど偉いなんて思いなさんなよ。(p124)

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