2015年4月5日日曜日

2015.04.04 日垣 隆 『折れそうな心の鍛え方』

書名 折れそうな心の鍛え方
著者 日垣 隆
発行所 幻冬舎新書
発行年月日 2009.09.30
価格(税別) 740円

● 日垣さんの作品はいくつか読んでるんだけど,こういう人でもウツになるのかというのがまず最初の驚き。その経過をかいつまんで書いているんだけれども,かなり以上に凄まじいストーリーだ。なるほどと思った。

● それでも,「ウツウツな気分なのに,ウツに関する大量の本を読み,事情を知ってくれている親しい友人たちに相談し,メモを大量に書きながら,私は自分の体験を客観視する努力を続けました」(p9)というんだから,恐れいる。
 ぼくにもプチウツはあるけれども,そんなときはまず書くことができなくなる。

● 「当時,抱えていた毎月の締め切りは約五〇本。ラジオ番組の収録が週一回。それらをこなしながら(原稿を一本も落とすことはありませんでした),何とかここから這い上がろうと,思いつく限りの「ウツに克つ」試みをしました。素人目で見ても,「そういうことはしないほうがいい」と言われるに決まっているような振る舞いでしたが,悪戦苦闘の末,ほぼ,立ち直ることができたのです」(p10)というに至っては,超人そのものではないか。

● ともあれ。その体験の果実が本書。以下に,いくつかを転載。
 「病気だ」という情報を得ることによって,自分の中の「あやうい部分」を過剰に引き出し,自ら誤ったラベリングをしないように気をつけたい(p19)
 心の病気についてはさまざまな論争がありますが,誰にも迷惑をかけず,暮らしの中で折り合いをつけられるなら,相当しんどくても「自分は病気だ」と判断しないほうがいいというのが,つらかったころに私がたどり着いた結論でした。(p26)
 精神が弱ってくると,何事につけ自分を責めてしまうものです。すべて悪い方向に考えてしまいます。いわば自家中毒の状態ですから,毒を外に吐き出すべきなのです。 とくに客観的に見て「誰もが悲しいだろうと思うこと」は,吐き出すことでラクになります。(p45)
 このときの自分の心理は,極度につらい事態に陥ると,人はそれを「特殊なケース」と見なしがちだという一例だと思うからです。つらい気持ちは相対化できないものですから,これは自然な心の動きではあります。 しかし,「自分は誰にも理解されない,特殊な事態に陥っている」という思いは,奇妙な自己陶酔を生みます。悲劇の主人公のように自分の苦しみに自分で酔いしれ,自分の中でストレスという毒をいっそう増殖させてしまうのです。(p53)
 ものとものとの間には摩擦抵抗があるので,最初に動かすときに一番力がいります。しかし,いったん動いてしまえば,あとはずっとラクに動かし続けることができます。(中略) 文章を書くことで言えばさしずめ,エンジンがかかる書き始め(というより椅子に座る)までが大変で,何とか書き出してしまえば,そう時間やエネルギーはかからないようなものでしょう。(p71)
 落ち込んでいるときには,テレビは消す,これをルールとしたほうがいいと私は思います。(中略) 「それをやろう」と対峙する心構えがあって向き合う映画や本,ゲームであれば,無防備なままエネルギーを奪われずにすみますが,テレビは知らないうちに元気を吸い取られるような気がします。(p77)
 人間は,「できる」と思うことしか,できません。逆にいえば「できる」と思っていれば,できてしまったりするものです。 地区大会の予選すら勝ったことがない野球部の高校生は,甲子園に行けるとはなかなか信じられません。しかし,先輩が甲子園出場を果たしたことがある高校では,野球部員は甲子園を実現可能な目標として捉えています。(中略)「甲子園に行ける」という思い込みと,出場して歓声を浴びるといったイメージトレーニングが,彼らの実力に大きくかかわっているということです。(p88)
 この一〇年ほど,「お金さえあれば,なんでもできるのか?」という議論が,しきりになされました。しかしこの論は,土台にある「健康」が確保された上でしか成り立たないものです。 元気がなくなってしまえば,お金があってもなくても,なにもできません。(p94)
 最後に,この重大な問題について,普通は言ってはいけない本当のことを言っておきます。 それは,たいてのストレス程度はお金で解決できてしまう,ということ。だから今後は「給料以外に稼ぐ」がストレスを大幅に減らす鍵になってゆく,という事実です。(p95)
 一〇代の女性vs四〇代の男性。この取り組みで一〇代の女性に軍配が上がるのは,「身の上相談をこなした件数」という勝負です。(中略) 一〇代の女性のほうが経験値は上であれば,四〇代の上司に心のうちを明かすより,久しぶりに会った親戚の女の子にポロッと話したほうが,役に立つということになります。(p96)
 スウェーデンでは,七〇代の人の三〇パーセントがウツだという新聞記事を目にしたことがあります。これを私なりに解釈すると,「定年退職とは,仕事がなくなることではなく,求められなくなることが問題なのだ」となります。(p101)
 現実というのは統計どおりにいかず,一概に強い・弱いということはない。努力次第で,弱い人が強い人を凌駕することもある-これは,体も心も同じだと思います。(中略) 「努力,努力」と書いているのは,人間の伸び幅には,凄いものがあると感じているためです。(中略) もともと人間が持っている個体差よりも,伸び幅に着目して努力する。それが,正しい楽観的な生き方と言えるのではないでしょうか。(p114)
 「一流の定義」について,私は何人かの人に聞いたことがあるのですが,「あることを一定のアベレージで,一〇〇〇回でも繰り返せる人」というのが結論のようです。簡単に言えば,成功の再現性ということだと思います。 この論にしたがうのであれば,「一流」に近づくには,若いころは小さな集団に属し,小さな成功を何度も繰り返したほうがいい,となるでしょう。(p117)
 人のエネルギーには限りがあるのですから,できないことよりも,できることに集中したほうが,メリットはたくさんあります。 「なぜ自分はできないのだ?」というストレスから解放されますし,得意なことを突き詰めたほうが気分はよくなり,お金の面でのリターンも大きくなります。(p121)
 トゲつきのままでサボテンを食べる民族がいたとしても,たいていの民族はそんなものは口にできませんから,「別に,食べられなくたっていい」とあきらめることができます。 ところが,みんなが平気で食べているキュウリが食べられない人は,往々にして「無理をすればキュウリくらい平気だ」と食べようとしてしまいます。しかし,嫌いなキュウリを我慢して食べることは,その人にとってはトゲつきのサボテンを食べることと同等の苦痛だったりするのです。それに気づかずに努力を続けてがんばってしまうと,本人が思っている以上のストレスになるものです。(p121)
 家族や人生のパートナーなど,「無条件で受け入れてくれる相手」は財産です。しかし,どんなに親しい相手であっても,一定の距離感を保ったほうがいいというのが,私の考えです。(中略) 人と人が「引き合う」のは,距離があるからこそです。密着していては,引き合うすきもありません。(p129)
 嫉妬は,「自己評価=自分にもできるという思い」と「他者評価=そうなっていない事実」の齟齬によって生じるものとも言えます。(中略) 解決策は,自己評価と他者評価を一致させることです。そしてその方法は,「自己評価を下げる」か「他者評価を上げる」かの二つに一つです。(中略) 自己評価を下げると(中略)うまくいけば謙虚で正統な自己評価となりますが,(中略)針が極端に振れて,自己卑下,自己否定までいってしまうと,落ち込み,拭いがたい無力感の原因になってしまいます。(p141)
 「家族モノ」は観客の感情を引き出しやすい,という面があるのは,なぜでしょうか。おそらく,誰もが自分の家族にキズを抱えているからだと思います。 完璧な華族など,おそらくどこにも存在していません。自分にとっての家族や,家族にとっての自分は,当然のことながら大小さまざまなキズを負っています。そのキズを見て見ぬふりをしているあいだは耐えられるのですが,そこを映画やドラマや小説で「引き出されてしまう」と,わりと簡単に涙腺が決壊してしまうのでしょうね。(p168)

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