2015年3月30日月曜日

2015.03.26 日垣 隆 『ダダ漏れ民主主義』

書名 ダダ漏れ民主主義
著者 日垣 隆
発行所 講談社
発行年月日 2010.05.27
価格(税別) 1,000円

● 全3章で構成。「メディア強者になる!」という副題がついているんだけど,これは第3章のタイトル。
 3分の2は読書について論じている。電子書籍は紙の本を駆逐するか。しないよ,両者並立だよ,というのが著者の意見。っていうか,これ以外の見方ってたぶんないと思うんだけどね。

● 街から書店が消え,書籍が売れなくなっているのはたしか。しかし,今ほど人が文字を読んでいる時代は過去になかった。
 著作権が切れた小説はネットからダウンロードして読むことができる。ブログやツイッターも含めれば,膨大な量の文章を今の人は読んでいる。

● ところで。本書の元になったのは,『週刊現代』の連載。
 週刊誌も部数減少に見舞われているに違いないけれども,こういうものが連載される日本の週刊誌の水準の高さ。たいしたものだよなぁと思う。

● 以下にいくつか転載。
 肝心なことは,エディターシップなしに本や雑誌を作ったらロクなことがない,という点だ。私は生涯,尊敬する編集者と仕事をしたいし,絶妙な変化球を投げてくれるのは彼ら彼女らである。プロを甘く見ないほうがいい。(p50)
 キンドルの『老人と海』と,新潮文庫の『老人と海』も,同時期に読み進めてみた。後者の解説は実に秀逸であった。当然キンドル版にはない。だが,どうしても引っかかるフレーズを原文ではどうなっているかをキンドルで調べるのは三秒とかからず,ヘミングウェイの天才的文体に直接触れるまたとない至福の時間に恵まれた。(p52)
 私も,四日間だけ無人島で過ごしたことがある。(中略)小さな船で大きな島に戻り,空港から日本に向かう飛行機のなかで,普段は読まない新聞(日本語)を,隅から隅までむさぼり読んだ。 嗚呼なんと新聞は楽しいのだろう。飢えていると,その吸収力たるやすごいものがある。(p63)
 声を大にして言っておきたいのだが,電子ブック版になった『日本大百科全書』全二六巻と,小さな電子辞書に入っている自称百科事典とでは,ボリュームや編集者の努力や年季という点で,まったく別物と言わざるをえない。(p73)
 今でもウィキ(ペディア)は信用できない」と言い張る人々も少なからずいるのだが,その人たちよりウィキは信用できる。(p74)
 何者かになる,ということは,多くの何かを捨てる,または諦めるということでもある。得ることだけを考えるのは愚かすぎる。(p126)
 一〇分でこんなにきちんとやってくれるなら(千円カットは)一万円でも良いくらいだ。プロにはカットに専念してもらったほうが,技術的にも信頼感が高まる。「時間がかからない」ことに価値を見出す人々が少なからずいることを発見した新業態は,非難されるべき存在では断じてない。(p132)
 私の持論の一つに,「極端さこそノウハウの母」という確信がある。極端なことをやりきることによって,多くの人が普遍的に摂取しうるノウハウやアイデアが浮き彫りになる。(p149)
 一〇〇個くらいあらかじめ質問を考えておき,たとえ一分しか時間が与えられなかったとしても「これだけは何があっても質問させてほしい」という,心の底から湧き出る感情がなければ,その質問はクソだ。この自覚はプロには必須だろう。(p180)
 「制限なし」というのは自由を醸成する反面,制限がないと自由な表現は成り立ちがたい,という悩ましい逆説も成り立つ。一枚のキャンバスに描く絵を念頭においてみればわかりやすいかもしれない。(中略)人生もしょせん,限られているから,いくばくかの努力やら我慢やらトキメキやらが続くのだと思う。(p192)
 何も知らない私が自分なりに理解したのは,「取材とは謎解きのこと」というものである。何も知らない,というのは謙遜で言ったのではない。何も知らない,ということさえ自覚すれば,事件や事故や恋愛や家族やら職場やら宗教やら,実は謎だらけであることに気づく。(p194)

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