2015年2月17日火曜日

2015.02.17 美崎 薫 『記憶する道具』

書名 記憶する道具
著者 美崎 薫
発行所 NTT出版
発行年月日 2011.04.19
価格(税別) 2,200円

● 副題は「生活/人生ナビゲータとしてのライフログ・マシンの誕生」。ライフログといっても,自分が書いた日記や日報,メールやメモ,撮った写真などを,どんどんEvernoteに保存していくというレベルの話ではない。
 「人格をコピーし,不老不死になろうする」(p273)という,とんでもないシステム構築を目論んでいるわけだ。

● その中心は「ハイパーテキスト日記とカレンダー型写真情報提示システム」(p155)。
 何やら途方もなさそうだとは感じるものの,本書を読んでもぼくには確たるイメージは湧いてこなかった。そんなこと,ほんとにできるのかよ,みたいな。

● 「過書字」という言葉を知った。読んで字のごとく,過剰に字を書くというわけだけど,その度合いが著者はハンパない。
 わたしはかれこれ著書を三〇冊もつほか,毎週の連載,隔週の連載などのほかに,毎日日誌を一〇〇行も書くほど,ただ書いているのが幸せな人間である。(p38)
 わたしは,これまで生涯で自分で購入したほとんどすべての商品のレシートをもっている。わずかな金額の,ほとんど印刷の色も消えたようなものでさえ,後生大事にもっている。(p38)
 QV-10以降,たまっていたフラストレーションを解消して,反動のようにわたしは写真を撮り始めた。一日に一〇〇枚単位で写真を撮るのである。ほとんど見たものすべてを記録する勢いで,文章だけでは記録できないなにものかに向かってわたしはシャッターを切り続けた。(p43)
 二〇一一年一月三日現在では一九〇万枚を超える画像を所有しているのである。(p46)
● 「最近では,ブログを中心に過書字傾向の人間の活躍が比較的多く見られるようになっている。頼まれもせずなにか報酬があるわけでもなく,ただ好きだから文章を書きつづけている人はブログにはそれなりに存在するようだ」(p40)という。
 実際,ぼくなんかも「過書字傾向の人間」かもしれないと思う。のだけれども,レベルが違いすぎる。
 大変失礼ながら,ひょっとして○○障害といった範疇に入るんじゃないかと思うほど。しかし,それがこの本で説かれているような壮大なシステムに結実するとすれば,やはり常識的な人間じゃダメなんだろうな。偏っていないと。それも,大きく偏っていないと。

● いくつか転載。
 時間感覚の拡大も体験した。記憶が薄れないとその時間をリアルに感じるようになる。去年や十年前を「昨日」のように感じると,いまがいつなのか曖昧に感じ,「いま」を瞬間ではなく,一年~三十年の幅をもって感じるようになったのだ。(p112)
 ひとはどんなことにも飽きるのであり,執着する自分にも飽きる。執着する自分に飽きるためには,徹底的に執着してみるしかない。(p116)
 飛行機や電車で移動中などには,他人の人生をストーリー化した映画を娯楽として楽しむことがあるが,どんなことであれ他人の人生などよりも自分の人生のほうが臨場感においては優っているはずであり,自分の人生をコンパクトにストーリー化して楽しめるとしたら,そのほうが娯楽としては楽しい可能性がある。(p198)
 感じているのは,過去をくり返し体験すると,過去と現在,あるいは未来との区別を感じなくなってしまうことである。(p215)
 未来や現在が変化しつづけているように,過去も変化しているのである。過去に起きたこともあらためて認識することによって変わり,現在における過去の位置づけが変わり,意味が変わる。それは過去に起きたのか現在起きているのか,それとも未来に起きるのかわからなくなり,ただリアルに感じるようになる。(p216)
 「検索」は活用のひとつの切り口にすぎない。それもごく小さなものであるとわたしは考えている。検索は検索に先だって,検索語を考える必要があり,目標を明確にする必要がある。受動的な活用にはほど遠いためである。(p227)
 自分とは解釈のことであるとして,解釈が記録やログによって変わるとすると,自分は記録やログによって変わることになる。自分という固定したものはないのだ。(中略)自分を固定した存在であると考えるよりも,自分とは,さまざまな要素によって複合的にできている存在である,と考えるほうが,うまく自分を解釈できるようである。(p267)
● という次第で,過書字に大きく偏ると,脳科学や哲学にも貢献できるのではないかと思わせる知見に到達できるようなのだ。
 昔から,著者の本はいくつか読んでいたんだけど(もっとも,著者と違って,ぼくは保存しておかなかった。ドサッとまとめて捨てた。今は読んだら捨てるを原則にしている),『TiPO・PLUS究極活用術』(工作舎)が妙に記憶に残っている。
 「TiPO・PLUS」はOSにBTRONを採用したPDA。実身,仮身という用語だったと思うんだけど,要はリンクをはれる機能があった。
 その「TiPO・PLUS」を熱っぽく語っていた。それも本書に至る一里塚だったのだな。

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