2015年1月29日木曜日

2015.01.29 宮田珠己 『だいたい四国八十八ヶ所』

書名 だいたい四国八十八ヶ所
著者 宮田珠己
発行所 集英社文庫
発行年月日 2014.01.25(単行本:2011.01)
価格(税別) 700円

● 高名な紀行作家である著者の作品を読むのは,今回が初めて。いや,面白かった。書けそうでなかなか書けない文章。
 書くことを職業にする人には,そうする(そうせざるを得ない)必然性のようなものがあるんだと思う。文章技術をいくら磨いても,こうまで面白い文章は書けないものだろう。人と違う何かを先天的にか後天的にか獲得している人じゃないと。

● 「札所よりも,道そのものがお遍路の醍醐味」(p290)というのが,宮田さんの結論。そうなんでしょうね。そうじゃなかったら(札所の方が大事というんだったら)歩き遍路なんてやってもしょうがないことになる。
 いや,“歩き=修行”と考える人もいるだろうし,本当にそうかもしれないから,「やってもしょうがない」ことにはならないだろうけど,その場合であっても,札所じゃなくて道そのものが重要性を帯びてくることに変わりはない。

● 以下に,いくつか転載。
 先延ばしにしているうちに結局やらないまま時だけが過ぎていくというのは,人生によくある展開である。そんなとき,何のためにやるのか,それはオレの人生においてどんな意味があるのか,なんて考えていると,もうだめである。それはつまり,やりたいけど面倒くさいという正直な本音に,言い訳を与えようとしているだけだからだ。 やりたいことは面倒くさい。案外知られていないが,これは人生の根本原理のひとつである。(p16)
 大自然への畏怖心を,弘法大師信仰へとすりかえさせるある意味陰謀によって,四国遍路が作られていると考えるのは,たぶん正しい。 正しいけれども,それを指摘するのは野暮なことでもあるだろう。そんなことはみんなわかっている。わかったうえで,弘法大師という方便を利用しているのだ。(p47)
 何事も最後までやり抜くよりも,途中でサボるほうが難しく,ステージの高い行為だということがわかる。なぜなら,やり抜くのは惰性であって,サボるのは決断だからだ。(p56)
 四国遍路が,その人気において他の巡礼地の追随を許さない最大の理由は,こうした宿のネットワークが出来上がっているからにちがいない。お遍路とは,寺巡りである一方で,宿を繋いでいく旅でもある。(p92)
 仏さまなんて本当はいない,と考えるよりも,仏を信じてそれにすがった人々の思いが札所という形になっている,と考えると,それはかえって親しみやすく温かいものに思える。人々が切実に何かを願ったからこそ,四国遍路は生まれたのである。(p178)
 かくいう私も信仰心などまったくないが,スピードにこだわらないようこだわらないよう,それだけは気をつけながら歩いてきたつもりだ。速さ,日数などにこだわることで,何かが決定的に損なわれてしまう。そういう意識は,はじめから持っていた。(p313)
● 「速さ,日数などにこだわることで,何かが決定的に損なわれてしまう」というのは,遍路に限ったことではない。
 大昔にJR全線完乗を試みたことがあるんだけど,できるだけムダなく短時間でつぶしていこうとスケジュールを立てた。
 時刻表ゲームだから,この場合はそれでよかったのかもしれないだけど,おかげで何も憶えていないという結果になった。時間とお金を惜しみすぎるとこうなる。
 目標を絞って効率だけを追求すると,その行為じたいが痩せてしまう。そういうことはたしかにある。

● 本書を読んだのはたまたまだけど,ラッキーなたまたまだった。これから宮田さんの他の作品を読んでいく楽しみができた。
 若い頃は,好きな作家ができると,その作家のものばかりを次から次へと読んでいったものだけれど,さすがにそこまでの集中力(と言っていいんだろうか)はなくなっている。ポツポツという感じで読んでいくことになるだろうけど,楽しみが増えたことには変わりがない。

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