2014年6月30日月曜日

2014.06.30 内田 樹 『先生はえらい』

書名 先生はえらい
著者 内田 樹
発行所 ちくまプリマー新書
発行年月日 2005.01.25
価格(税別) 760円

● このタイトルから本書の中身を想像できる人は,著者の本をすでにいくつも読んでいる人に限られるだろうね。

● 学びを恋愛のアナロジーから説き起こす。
 全員が妄想抜きの同一の客観的審美的基準で異性を眺めるということになったら,おおごとですよ。 恋愛というのは,「はたはいろいろ言うけれど,私にはこの人がとても素敵に見える」という客観的判断の断固たる無視の上にしか成立しないものです。(p15)
 こと生物に関する限り,ほとんどの場合,「誤解」がばらけることの方が,単一の「正解」にみんなが同意することよりも,類的な水準でのソロバン勘定は合うんです。(p16)
 技術には無限の段階があり,完璧な技術というものに人間は決して到達することができない。プロはどの道の人でも,必ずそのことをまず第一に教えます。 では,どうしてそれにもかかわらず,プロを目指す人は後を絶たないのか? それは完璧な技術に到達しえない仕方が一人一人違うからです。(p30)
● そして,脱線だと言いながら,本書の肝を書き下ろす。コミュニケーションの構造についてだ。
 ここでたいせつなことをみなさんに一つ教えておきます。 それは,人間はほんとうに重要なことについては,ほとんど必ず原因と結果を取り違える,ということです。 コミュニケーションはその典型的な事例です。 私たちに深い達成感をもたらす対話というのは,「言いたいこと」や「聴きたいこと」が先にあって,それがことばになって二人の間を行き来したというものではありません。そうではなく,ことばが行き交った後になって,はじめて「言いたかったこと」と「聴きたかったこと」を二人が知った。そういう経験なんです。(p72)
 コミュニケーションを駆動しているのは,たしかに「理解し合いたい」という欲望なのです。でも,対話は理解に達すると終わってしまう。だから,「理解し合いたいけれど,理解に達するのはできるだけ先延ばしにしたい」という矛盾した欲望を私たちは抱いているのです。(p102)
 コミュニケーションの目的は,メッセージの正確な授受ではなくて,メッセージをやりとりすることそれ自体ではないのでしょうか? だからこそ,コミュニケーションにおいては,意思の疎通が簡単に成就しないように,いろいろと仕掛けがしてあるのではないでしょうか?(p103)
● そのことを文学や芸術に落としこんでいく。そうして大団円となる。
 私たちが聴いて気分のよくなることばというのはいくつかの種類がありますが,そのすべてに共通するのは(誤解を招く表現ですが),そこに誤解の余地が残されているということです。(p116)
 わからないけれど,何か心に響く。「たしかに,そうだ」と腑に落ちるのだけれど,どこがどう腑に落ちたのかをはっきりとは言うことができない。だから,繰り返し読む。 そういう文章が読者の中に強く深く浸透する文章なのです。(p131)
 デヴィッド・リンチは(そして,ほかの多くの芸術分野でのクリエイターたちは)「何か言いたいこと」があらかじめあって,それを映像記号やオブジェや音符に託して表現しているわけではありません。「気が付いたら,こんなものができちゃった」というのが,芸術的創造においては,だいたいのみなさんの本音ではないかと思います。(p138)
 作者はしばしば自分がいちばん強い影響を受けた作家や作品のことを忘れます。 そもそもそれを忘れてしまわないと,「どうしてこんな作品ができたのかわからない」という自分自身の創造工程に対する「無知」が失われてしまうからです。 そして,「無知」に支えられない限り,人間は創造的になりえるはずがないのです。 自分がどうして作品を作るのか,どういう技法を使ったのか,誰の影響を受けたのか,どの点が新しいのか,何を伝えたいのか・・・・・・そういうことがあらかじめわかっていたら,人間は創造なんかしません。(p141)
 人間の個性というのは,言い換えれば,「誤答者としての独創性」です。あるメッセージを他の誰もそんなふうに誤解しないような仕方で誤解したという事実が,その受信者の独創性とアイデンティティを基礎づけるのです。(p151)
● というわけで,本書のキーワードをひとつあげろと言われれば,それは「誤解」である,と。「誤解」することが,コミュニケーション(人対人,人対文学,人対芸術)をコミュニケーションたらしめる心臓部であるということ。

2014年6月29日日曜日

2014.06.29 土橋 正 『やっぱり欲しい文房具』

書名 やっぱり欲しい文房具
著者 土橋 正
発行所 技術評論社
発行年月日 2006.01.05
価格(税別) 1,580円

● 4年前に一度読んでいる。今回は再読。
 著者の文具が好きという思いが素直に伝わってくる。好きなものは何でもいい。その好きっていうのが伝わってくると,読んでいてほっこりする。

● たまたま,今,モレスキンを使っている。そのモレスキンについて「このモレスキンという手帳,使い込むほどに愛着がわく不思議な魅力を持っている」(p35)と書いている。
 ここだけ,ちょっと異議あり。「使い込むほどに愛着がわく」のは普通であって,それを「不思議な魅力」と言ってしまうと,“普通=不思議”となってしまう。「不思議な魅力」を持たない手帳やノートはこの世に存在しないことになる。

2014年6月28日土曜日

2014.06.27 小沢昭一 『小沢昭一がめぐる寄席の世界』

書名 小沢昭一がめぐる寄席の世界
著者 小沢昭一
発行所 ちくま文庫
発行年月日 2008.09.10(単行本:2004.11)
価格(税別) 800円

● 対談集。対談の相手は次のとおり。
  桂米朝(落語家)
  延広真治(落語史研究者 東大名誉教授)
  柳家り助(落語家)
  桂小金治(俳優・タレント)
  国本武春(浪曲師)
  小松美枝子(お囃子)
  神田伯龍(講談師)
  あした順子・ひろし(漫才師)
  笑福亭鶴瓶(落語家・タレント)
  北村幾夫(新宿末廣亭席亭)
  立川談志(落語家)
  矢野誠一(評論家)

● 落語の聞き方の手引書としてぼくは読んでみたんだけど,もちろん本書は手引書ではない。これ以上はいないだろうと思われる語り手が,寄席の表や裏や前や後や右や左を無尽に語るといった趣。
 面白かった。だけど,けっこう重い内容だったりもするので,休み休み読んだ。

● 地方にいると,落語をライヴで聞く機会というのは,まずないものだ。大きなコンサートホールで年に1回か2回,行われる。
 もっとも,東京でも寄席は少なくなっているのだろう。身近な媒体はやっぱりテレビってことになるのかね。

● CDでときどき聞く。CDだから古今亭志ん生の噺を聞くこともできる。
 できるんだけれども。
 本書に,落語で人生を教えてもらう,という言い方が出てくる。同時代の落語家の噺をライヴで聞いて,一緒に時を過ごしていく。そうして初めて,“落語で人生を”ということになる。のかどうかわからないけど,そういうふうにぼくは受けとめた。

● 以下に,いくつか転載。
 人間というのは本当に,年とってからのことが若いときから分かれば,ずいぶん生き方が違うんだろうというふうにおもいますけれども,なかなかどうも。そういうなかでもう本当にね,若いときに話の数を増やして,年とったらば体のなかに入っているものを一つ一つ磨けばいいという。これは噺家だけではなくて,いろいろなお仕事をしている人にも共通する名言,至言だと私は思うんですよ。(小沢 p29)
 テレビでも落語でも,迎合していくことによってお客さんは離れていくんですね。やっぱりお客さんを引っ張っていかないと。つらい時期はあるけれども,そこを越えてしまうと絶対にこっちへ来させる自信はありますから。(鶴瓶 p227)

2014年6月25日水曜日

2014.06.23 石田高聖 『株セレブ ニートから億万長者になったオレの方法』

書名 株セレブ ニートから億万長者になったオレの方法
著者 石田高聖
発行所 講談社
発行年月日 2006.06.20
価格(税別) 1,400円

● 元カリスマトレーダーになっちゃいましたか。傷害罪で刑務所暮らしも経験した。この点については,本人にも言い分はあるのかもしれないけれども,中身はいわゆる破廉恥罪。
 でも,ここからどう持っていくかが,本人の器量ってことになる。言うほど簡単ではないんだろうけど。

● 部外者の勝手な感想になるんだけど,5億円プレーヤーだったら,そのままデイトレで50億円,500億円を目指せばよかったのに。
 社会的名声なんてつまらないものが欲しくなったのか。デイトレはお腹いっぱいになってしまったのか。

● 本書は著者が時代の寵児だった頃のもの。「ニートから億万長者になった」というのは版元が付けた副題だろう。
 ニートといってもどこにも就職できなくてやむを得ずニートに甘んじていたというのではなく,積極的に就職しなかったわけだから,ちょっと普通のニートとは違う。

● 本書の肝というか,内容は前半3分の1でほぼ説きつくされている。残りは本の形態にするための工夫。が,後半にも一箇所,なるほどと思うことが書かれていた。
 このとおりにやれば誰でも株で儲けることができるか。まぁ,そうはいかない。でも,参考にはなると思う。

● それらを以下に転載。
 デイトレでは業務内容はあまり関係ない。問題は値動きだけです。(p54)
 KOSEI式トレードの基本は,わかりやすくいえば「高値で買って,より高値で売る」です。(中略)具体的にいうと,一度下がった株価が底を打って上昇に転じ,「直近の高値」を抜いた瞬間に買います。「直近の高値」を抜くということは,その銘柄が上昇の勢いを持っている証拠。(p60)
 KOSEI式トレードはとてもシンプルです。いろいろな人に教えると例外なく全員が納得し,翌日の取引からすぐに実践します。 しかし,そのまま続くかというと,ほとんどの人が自分のやり方に戻ってしまいます。頭では理解できても,気がつかないうちに元のスタイルに戻り,結局損することになるのです。 なぜそうなってしまうのか。ここが株式投資の難しいところであり,人間の不思議なところです。(p61)
 ロスカットは損切りともいいますが,損を出しても手仕舞いすることを指します。そして,個人投資家が失敗する最大の原因は,ロスカットができないからだといわれています。(p66)
 株式投資は,弱い者をいじめるゲームといっていいでしょう。弱者から徹底的にしぼりとるゲームなので,踏み上げられるとたいへんなことになります。 ただし,資金のある人がカラ売りをすれば,一〇〇%勝てます。ここが株のおもしろいところです。 株には「重力」というものがあって,下がった株は必ずしも上がるとは限りませんが,上がった株はいつか必ず下がります。(中略)豊富な資金でそこをしのぐことができれば,必ず相場は下落するので勝てるのです。(p164)
● 相場を取るのに要求される資質の第一のものは,非情であることかと思う。これを欠いてはいけないような気がする。
 しかし,たいていの人は情を持っているだろう。そういう人は,業績がよくなる企業の株を持って,その企業の幸せのお裾分けに預かろうとするだろう。これから業績がよくなりそうなところはどこか。懸命に考えて(考えた気になって)どこかの企業の株を買う。それで成功することもあるし,それ以上に失敗するというわけだろう。

● その判断を人に預けてしまう人も多いだろうな。そういう欲の皮だけ突っ張らせているやつらからは,いくらふんだくっても構わないような気がするな。
 証券会社の営業マンのいうことを聞いて,その通りにしたら損をしたといって,証券会社に苦情を言うやつ,今でもいるのか。そういうときに,証券会社が非難されるのが,この国の不思議なところ。
 営業マンは業務に忠実なだけだものな。彼らは買わせるのが仕事だ。そういう人間の言うがままに,自分のお金をさしだす輩がいるというのがおかしいんで。

● でも,先達に相乗りするという手はありますよね。ぼくは邱永漢さんに乗って美味しい思いをさせてもらったことが二度ある。
 その後,自分の判断で動いたら,惨めに失敗した。その失敗を何度か繰り返したところで,株からは足を洗った。
 というわけだから,利いたふうな口をたたく資格はないんだけどね。

2014年6月23日月曜日

2014.06.22 オダギリ展子 『ストレスゼロを実現する! 最強の文具活用術』

書名 ストレスゼロを実現する! 最強の文具活用術
著者 オダギリ展子
発行所 PHPビジネス新書
発行年月日 2011.12.02
価格(税別) 840円

● たとえば,色鉛筆型の箸を絵の具のチューブ型の箸置きにセットする。それを「カワイイ」と思える感覚の持ち主。根っからの文具好きなんだろうね。
 ここまで来ると,工夫欲がわいてくる。ありきたりの使い方じゃなくて,こうすれば便利になるんじゃないかとか,ほかにもっといいものがあるんじゃないかとか,探究心がわいてくる。そういうものなのかなぁと思った。

● それと,細部にこだわる人だね。そんなのどうでもいいじゃんと普通は見過ごすところを,キチッと形よく仕上げたいと考える人。それでまた色々と工夫を凝らす。いろんな文具を試してみる。

2014.06.21 内田 樹・釈徹宗 『聖地巡礼 ビギニング』

書名 聖地巡礼 ビギニング
著者 内田 樹
    釈徹宗
発行所 東京書籍
発行年月日 2013.08.23
価格(税別) 1,500円

● 面白かった。対談形式で高度なことをわかりやすく語ってくれているという印象。聖地が聖地であることの種々様々な理由が語られる。
 中沢新一さんのアースダイバー論は以前に読んでなるほどと思ったものだけど,そのときと同じ感じ。が,それだけではない。もっと広範にいろんなことが語られる。

● たとえば,次のような話。
 「ええかーとし子,向こうに行ったら水が変わるから飲み物,食べ物には気いつけてな。人さまのもんにはどんなにほしくても万劫にも手を出したらあかんで。おまえは末っ子やから,帰ってきても家が困るから,どんなつらいことがあっても辛抱せなあかんでー」。 すると,とし子さんがまたうんうんとうなずく。黙って歩いていると,また「ええかー,とし子」がはじまる。(中略) やがてバスが着く。(中略)昔のバスですから,下から押し上げる窓ですよね。あれを開けてバーッと身体をのり出したんですって。ベンチに座っていたお母さんも気づいてダーッと走ってきて,窓の下で二人は一瞬見つめ合ったそうです。 最後のお別れやなと思って茂利先生が見てたら,お母さんの「ええかー,とし子」ってはじまったんです。そしたら今度は「つらかったら何時でも帰って来いよー」というたんですって。そしたらね,「お母さんっ!」って,とし子さんの声を一回だけ聞いたと茂利先生はいうてはりました。(釈 p137)
 釈さんは「この「帰ってこいよ」「お母さん」といった呼応に,宗教の原型を見る思いがします」と引き取り,本来はかなり合理的でクールな宗教である仏教が,日本に移植されるとだいぶウェットになったと総括する。

● 「つらかったら何時でも帰って来いよー」という思いを忍んで,娘を奉公に出さなければならない母親。その思いをわかったうえで覚悟を決めている娘。ここのところの切なさが,この話の通奏低音。
 すべてはその上での解釈だ。ぼくらはこの母親の崇高な境地をかすめることが生涯に一度でもあるかどうか。良い時代に生きていると言っていいのだろう。これ,相当にしんどいもん。

● ほかにいくつか転載。
 この四天王寺とは,日本でもっとも優しいお寺なんです。すべての敗者を受け入れてきましたから。だから荒陵に建てられるのも無理ないんです。荒陵って,生と死の境界線上みたいなところです。『弱法師』でも『しんとく丸』でもここに捨てられたし,施薬院や悲田院がつくられる。死者や敗者が集い,実はそれらは自分の写し身じゃないかととらえて祀る,そんな場所ですね,ここは。(釈 p128)
 いつ行ってもその場所が自分にとって新しく見えたり,あるいは元の自分に戻れたりするような場所があるんです。(釈 p164)
 じつはそういう場所,ぼくにもある。生まれ故郷に近い山(低い山だけど)の尾根道だ。途中,山幅が狭くなって,両側に集落が見える箇所がある。一方は田んぼが伸びやかに拡がる豊かそうな集落。もう一方は耕地が狭くて貧しそうな集落。どっちにしても今は耕地に縛られたりはしていないんだろうけど,そんなことを思わせる場所。
 もっともそれがぼくにとってのそういう場所である理由ではなくて,眼下に蛇行する河があって,田んぼが拡がっていて,その向こうに家々がひかえめに連坦している。それを眺めていると,何とはなしにここはオレがいてもいい場所だと思う。
 宗教というのはぎゅっとエネルギーが集積してしまうものです。でも笑いがそれをポカッと外すような役目をしていて,そこに演劇の原型を見るような気がします。宗教が熱狂的な方向に行ってしまわないために,どこかで脱臼させるような役割は大事だと思うんです。(釈 p171)

2014年6月20日金曜日

2014.06.19 山下洋輔・茂木健一郎 『脳と即興性』

書名 脳と即興性
著者 山下洋輔
    茂木健一郎
発行所 PHP新書
発行年月日 2011.02.01
価格(税別) 720円

● 再読。再読した理由は,最近,山下さんの生演奏を聴く機会を得たこと。山下さんが語っているところをもう一度,読み返してみようと思った。

● いくつか転載。
 (即興演奏では)自分が,その場で何かを作り上げていくんだという意識と意欲は,常にもっていないといけませんね。この瞬間しか生きていないんだから。(山下 p59)
 やり残していることがあるうちは終わってはダメだと思うんです。(山下 p60)
 子供が何をしたら褒めるのかがその国の文化です。たとえば,ワーッと騒いで言いたいことを言う子を「えらい」と言うか「うるさいからやめなさい」と言うかで,文化はまったく違ったものになります。(山下 p76)
 あの方(筒井康隆)は,人生は芝居だという考え方をもっていらっしゃるから,どこかで客観的に自分を見ているんですよ。ドタバタの主人公になってもいいじゃないかと。さんざんな目にあって苦しんでいるのだって,一つのストーリーならば何も苦悩する必要はないと考えられる。(山下 p85)
 茂木 板子一枚下は地獄みたいな感覚があるのでしょうか。 山下 音楽家は皆もっているでしょうね。 茂木 みんなもっている? 山下 ええ,みんなありますよ。クラシックの人はとくにすごいかもしれない。間違っても「あれは即興でやったんだ」って言えませんからね。 (中略) 茂木 聴衆は気楽に聴いているけど,演奏している人たちは必死ですよね。 山下 それはもう,泣きそうになってやっているんじゃないですか。(p90)
 「おもしろいか,おもしろくないか」ということで自分の生き方を考えたら,間違いなく創造的になりますよね。(茂木 p103)
 自分のやっていることが大好きで,おもしろいと信じ込んでいる人が本を書けば,そのおもしろさはその世界を知らない人にでも絶対に伝わる(山下 p109)
 ジャズマンのジョークで,「あいつは黒人に生まれたかったんだ」というものがありますが,それは,まず第一にジャズマンが克服しなければならないことですね。(中略)みんな克服するんです。クラシック音楽のプレイヤーが,自分がヨーロッパ人じゃないことを意識したりすることもね。(山下 p148)

2014年6月19日木曜日

2014.06.18 番外:働く女は,美しい。 AERA臨時増刊No.48

発行所 朝日新聞出版
発売年月日 2008.10.30
価格(税別) 648円

● タイトルに惹かれて買って,6年間放置しておいたのを,ザッとななめ読み。巻頭は勝間和代さんと佐藤悦子さんの対談。6年前だねぇ。

● ANA,フジテレビ,ゴールドマン・サックス証券,三井物産,ローソンの選りすぐり(?)の女性社員が登場。タフな仕事に加えて,子どもを産み,育て,家庭を切り盛りする。ぼく的にはほとんどスーパーウーマンに見える。
 仕事にやりがいを感じている。であれば,傍からとやかくいう筋合いは何もない。

● ローソンを取材した記者が次のように書いている。
 ローソンで印象的だったのは,女性社員たちが,「新浪社長のために頑張る」とてらいなく話したことだ。担当する仕事で抜群の成績を収めた女性社員に「ご褒美は何がいい?}と聞くと,「社長によく頑張ったとハグしてもらいたい」と答えたというエピソードも聞いた。トップの「愛され力」が女性社員のモチベーションに繋がっていた。(p22)
 これは大きなポイントなんでしょうね。これからの経営者や部門長に求められる一番目の資質って,ここのところだと思う。

● 程度の差はあれ,男性も同じなんだと思うんですよ。要するに,子ども成分ですよね。子どもは親にほめられると嬉しい。
 ところが,いったん大人になってしまうと子どもに戻ることは許されない(特に,女性の場合)。したがって,自分の中に抱え持っている子ども成分を満たす機会はめったにない。大人だってほめてもらいたいのに。

● とはいえ,誰にほめられてもいいってわけじゃない。ほめる資格がある(と自分が認定した)人にほめてもらいたい。子どもにとっての親になり得る人じゃないといけない。
 経営者や部門長は,その親になり得る人じゃないとね。組織のサイズもあまり大きくしすぎてはいけないだろうね。

● でさ,経営者や部門長はどうやって子ども成分を満たせばいいのかっていえばさ,赤ちゃんパブに行って,赤ちゃん言葉をばぶばぶ喋って,ホステスの女性にいい子ちゃんねぇとやってもらえばいいのである。

2014.06.18 日本能率協会マネジメントセンター編 『中学生・高校生のための手帳の使い方』

書名 中学生・高校生のための手帳の使い方
編者 日本能率協会マネジメントセンター
発行所 日本能率協会マネジメントセンター
発行年月日 2014.02.10
価格(税別) 1,300円

● 手帳の使い方を中高生に説いているわけだけれども,彼らに独特の使い方があるわけじゃない。書かれることがらは授業や部活動がメインになるにしても,どう書くかという方法論は,大人のビジネスマンや自営業者や主婦にもそのまま通用するはずだ。

● でも,なんだか違和感があった。中学生にこうした手帳を使わせることがいいことなのか。
 子どもが子どもでいることを許さない風潮がそちこちに出ていると思えるんだけど,中学生にビジネス手帳を使わせるとは,それが行くところまで行ったのかという印象。
 「私たちは,手帳を使うことによって,次の3つのよい習慣(手帳に書く習慣,時間を意識する習慣,考える習慣)が身につき,「時間を守る行動」や「自学自習」だけでなく,さまざまな効果が期待できると考えています」(p18)と言うのだけれども,本当なのかね。
 本当だとしても,奔放に生活できる子どもの特権を,そんなものと引き換えてしまっていいのか。

● さらに,能率手帳スコラプログラムというのがあって,採用するかどうかは学校単位になっている。ということは,教師が生徒の手帳を見て指導するのだろう。
 そんなことをしたら,生徒はかえって手帳を遠ざける結果にならないか。少なくとも,見られちゃまずいことは書かなくなるだろう。要領のいい子は教師が喜びそうなことを先回りして書くだろう。

● 今どきの中学生はけっこう忙しいらしい。一部の生徒は言われなくても,手帳かそれに変わるツールを自分で使っているだろう。教師はその邪魔をしちゃいけない。
 およそ,自分でまともに手帳を使いこなせている教師は少数だろう。しかも,圧倒的に少数ではないか。もっといえば,そもそも手帳を使っていない教師の方が多いのじゃないか。
 生徒にそんな指導をする前に,まずやることがあるだろう。

● 手帳など使ってない生徒の方が,それでも多いだろう。それはそれでいいではないか。放っておくということがなぜできない?

● 池谷裕二『受験脳の作り方』を参照してのことらしいが,「昼寝でも記憶は定着するそうなので,昼寝をするなら,その前に暗記学習をするようにしましょう」(p98)などという文章も出てくる。書いたヤツ,気はたしかか。
 総じて,手帳メーカーが自分の業域を拡大するために,中高生を喰いものにしようとしているという印象を,ぼくは持ってしまった。このメーカーはまったくの善意で取り組んでいるのだとは思うけれども。

2014年6月17日火曜日

2014.06.17 日垣 隆 『ラクをしないと成果は出ない』

書名 ラクをしないと成果は出ない
著者 日垣 隆
発行所 大和書房
発行年月日 2008.05.30
価格(税別) 1,429円

● さくら市のBOOK-OFFの百円均一コーナーにあった。ラッキーと思って購入。
 しかしなぁ,本の経年劣化というのも無残なものだなぁ。もちろん市場での経済価値の話にとどまるものですけどね。
 BOOK-OFFが引き取るくらいだから,外見はきれいなものなんですよねぇ。それでも価格はここまで下落する。一度誰かに買われたものはそれだけで半額になる。常識だろって言われると,それはそうだと頷くしかないんだけど。

● ぼくの書庫にも相当な書籍が読まれないままに積もっているんだけど,市場的には腐ったゴミ同様になってるってことだね。放置されれば本も腐る。
 積ん読の効用が説かれたりするんだけれども,あまり積んどかないでサッサと読んだ方が,経済的にも精神衛生からもお得なようだ。

● 逆にいうと,BOOK-OFFなんかを利用すると,百円でとんでもなく価値のある買いものができる(こともある)ということだ。本書もそう。ビジネス書であり,情報論であり,人生哲学書でもある。

● 以下にいくつかを転載。メモの効用,マス情報は不要である,創造的な人は人の真似をためらわない,過去のライフログなど無意味,即やることと継続することが大事,といった話。
 ときどき,記憶力に対して自信過剰な人がいて,一〇〇覚えておけると思ってメモをゼロにしてしまいます。このタイプは実際に記憶力が優れているので,九〇は覚えていますが,一〇は忘れてしまいます。 一方,私のように,一〇〇のうち四〇しか覚えておけない普通の人間であれば,六〇をメモしておけばいいのです。記憶力がはるかに劣ったとしても,仕事の質はぐっと上がります。(p25)
 新聞はもう,やめたほうがいいでしょう。NHKのニュースもいりません。この二つは不要だと私は断言します。(p40)
 情報は,収集しようと必死になっても得られません。なぜなら,情報とは「出合う」ものだからです。(中略)重大なことは人から教えてもらう。これがいちばんの情報収集法であり,それは「出合う」類いのもの。(p41)
 専門家になるためのインプットは青天井ではなく,三〇〇冊が目安になる(p49)
 多摩大学の創設時,初代学長を務めた野田一夫さんの教授選びには,ある強烈な基準がありました。 「最初にお誘いしたときに即答しない方は,こちらからご遠慮申しあげる」(p84)
 創造的な人ほど,素直に人の真似をします。逆に言うと,クリエイティビティに鈍感な人ほど,真似をしません。(p128)
 そもそもアイデアとは,パクリ合いで生まれます。既存のものを見つけて組み合わせることでオリジナリティが出てきます。創造性がある人は,このセオリーを良く知っているので,抵抗なく真似をするのです。(p129)
 もし,過去を記す習慣があるなら,これからは断ち切りましょう。「予定が終了して過去になったものの蓄積が,放っておくとデータベースもしくはゴミになっていく」それくらいの意識でいいのです。(p130)
 私の知人に,登山が趣味の男性がいます。定年間近ですが,せいぜい五〇歳にしか見えません。彼は長らく「月曜から金曜は,会社に行きながら,土日に元気に登山するための準備をする期間」と割り切って働いてきました。残業も無理もしないので出世もせず,傍目にはパッとしないように見えても,本人は充実していたのです。(p145)
 「自由な会議」を無制限にやると,何もわからない素人が,無責任に思いつきの意見を担当者に押しつけることになり,収拾がつかなくなってしまします。ここから集団の叡智など,生まれるはずもありません。(p171)
 長年にわたって試行錯誤をし,先輩や後輩,自分の次の世代も含めてたくさんの人に触れた結果,私はある結論にたどり着きました。 「天才など,一世紀に一人しかいない」 もちろん,私が出会った人の中には優秀な人や成功した人は何人もいます。しかし,彼らとて「天才」ではないのです。天才以外のその他大勢がほとんどであれば,そのなかで成果を上げ,抜きん出ていく方法は一つだけ。 継続することです。(中略)そして「好き」でないと,長くやり続けていくことはできないのです。(p194)
 文明の進化とは,退屈の克服と定義できます。遺跡を見れば,そこかしこに「遊んだ形跡」が残っていますが,これは霊長類だけの特徴です。(p218)
● それと,著者のいう「自爆の法則」(p88)。次の3カ条。
 1 嫌なことに二つ以上の理由をつける
 2 自分にできないことを,できると言ってしまう
 3 自分にできないことを他人のせいにしてしまう

2014年6月16日月曜日

2014.06.16 ゲッツ板谷 『メタボロ』

書名 メタボロ
著者 ゲッツ板谷
発行所 幻冬舎文庫
発行年月日 2012.10.10(単行本:2010.04)
価格(税別) 648円

● 『ワルボロ』後の1年間。この話はほぼ実話に近いのだと思うんだけど,何とも濃い1年。高校1年生でこれかよ,っていう感じの。見過ぎ世過ぎといっていい暮らしを半ば強制され,半ば自分から飛びこんでいく。
 新たに登場する同級生の植木と鬼。テキヤ稼業で知り合う清美,ヤクザの叔父である猛身と満。いずれも(小説の登場人物としては)魅力的な面々だ。

● ヤッコがずっと奥に引っ込んでしまうのだが,鬼がその分を埋めて,物語が立体的になった。『メタボロ』で最も魅力的な人物を一人あげろといわれれば,この鬼でしょう。強くて影があって,しかし幼気を感じさせるほどに人情に厚い。自分に好意を寄せる人に弱い。
 主人公のコーチャンがまさしく主人公然としてくる。物語の中心人物になる。居場所のないところに居場所を作っていく。

● 進学した高校が違えば,中学のサークル仲間は容赦なく解体する。コーチャンの錦会も例外ではない。
 にしても。ヤッコはどうしちゃったんだよと読み手も思う。作者の他のエッセイふうの作品に,キャームはしばしば登場するけれども,ヤッコはまったく出てこない。
 たぶん,この小説においてもコーチャンとは別の世界に進むことになるんだろう。あるいは,ひょっとして死んでしまうのか。というようなことを考えさせる。

● 次作の『ズタボロ』はすでに出ている。だけども,宇都宮の本屋にはないんですよ(全部まわったわけではないんだけど)。幻冬舎は文庫化するのが早いから,もうすぐ文庫で登場するのかもしれないけど。
 このシリーズは4部作になるらしい。完結すれば,他に例のないピカレスク・ロマンがこの国にそびえ立つことになる。大げさなもの言いですか。いや,そんなことはないと思うんですよね。

2014.06.15 指南役 『キミがこの本を買ったワケ』

書名 キミがこの本を買ったワケ
著者 指南役
発行所 扶桑社
発行年月日 2007.02.20
価格(税別) 1,300円

● 先日読んだ内田樹『街場の読書論』に「交換においては交換される物品の有用性に着目すると交換の意味がわからなくなる。交換の目的は「交換すること」それ自体である」という文章があって,なるほどねぇ,いいこと言うねぇ,と思った。
 しかし,この本では買いものを例にあげて,そのことをもっとサラッと語る。
 欲しいものを手に入れたいという意味ではなく,買い物という行為自体が,たまらなく好きなのだ。(p39)
 まったくそのとおり。だものだから(買いものがしたいものだから),欲しいものや必要なものを半ば無理やりに作ってしまったりもする。

● 口コミは広告と同じで,購買動機になることはほとんどない。口コミの影響が大きいなんてのは,マーケティング会社が自分の都合で捻りだした苦肉の策にすぎない。
 回転寿司が流行るのは安いからではなくて,気楽に食べられるからだ。寿司屋のオヤジの目線を気にして緊張しなくてすむからだ。
 親切すぎる美容院は嫌われる。ほどほどの距離感があって,こちらのテリトリーにやたら踏みこんでこない程度に事務的な方がいい。
 人は「ひとり」が好きなのだ。だから,サービスはどんどんパーソナル化している。若者が田舎から都会を目指すのも,都会ならひとりになれるからだ。

● というような,言われてみればそのとおりと膝を打ちたくなる,ティプスが次々に披露される。サッと読んでおいて損のない1冊だと思う。

2014年6月14日土曜日

2014.06.14 ゲッツ板谷 『ワルボロ』

書名 ワルボロ
著者 ゲッツ板谷
発行所 幻冬舎文庫
発行年月日 2007.07.20(単行本:2005.09.25)
価格(税別) 686円

● 2008年7月に一度読んでいる。2年後に続編の『メタボロ』が出た。すぐに読んでおけばいいものを,無為に過ごして今日に至る。
 でも,やっと『メタボロ』の文庫本を買って読み始めたんですよ。でも,ダメ。何がダメかというと,主要な登場人物は『ワルボロ』から継続しているわけだけれども,『ワルボロ』でどんな役どころだったのか忘れちゃってるんですよ。主人公のコーチャンのほかに,ヤッコとキャームはさすがに記憶にあるけど,ほかは忘れている。
 これじゃ『ワルボロ』を読み返さないとダメだわってわけで,『ワルボロ』を再読。

● 再読だから,ストーリーは知っている。知っているけれども,一気通貫で読了。面白い。ゆるぎなく面白い。
 登場人物がみな魅力的。情が細やかで男気があって。それぞれが重いものを抱えていて。
 ストーリーの展開もスリリング。弛みは一切なし。
 神は細部に宿る(のかどうかじつは知らないけど)。細部の描写や語彙の選び方に手抜きがあっては,こちらの集中もそこからこぼれていくだろう。この作品にはそれもない。
 たとえば,最後の最後に登場する昭和中学の安原のたたずまい。その描写は圧巻の迫力で,そうした迫力がこの作品のそこここに散りばめられている。

● 純な恋も横糸になっている。相手をどんどん美化して,身動きできなくなる主人公。中学生だもんな,じゃなくて恋ってそういうもので,だからできるときにしとかなきゃ。
 相手の女子生徒は中学生にしてすでに大人。山田規久子もエミもサユキも。

● 小説というのを読まなくなって四半世紀が経つ。だものだから,その間にどんな小説が世に出ているのかぼくは知らない。そのうえで言うんだけれども,この『ワルボロ』は,阿佐田哲也『麻雀放浪記』以来の本格的なピカレスク・ロマンといっていいのではあるまいか。
 ともあれ。これで『メタボロ』も読める。

● にしても。すごい小説でしょ,これ。

2014年6月12日木曜日

2014.06.12 長谷川慶太郎 『朝鮮崩壊』

書名 朝鮮崩壊
著者 長谷川慶太郎
発行所 実業之日本社
発行年月日 2014.06.10
価格(税別) 1,500円

● 長谷川さん,中国はもうもたないと警鐘を鳴らす著書を矢継ぎ早に出している。本書はその最新版。
 習近平主席が正確にいつ,北朝鮮を捨てるかは正直にいってハッキリと分かりません。しかし,そう遠くない時期であることは確かです。私は2014年中と見ています。その根拠は何か。「理財商品」の大量償還不能により中国の経済破綻がハッキリしてくるからです。(p42)
● 具体的には,穀物,原油,無煙炭のそれぞれ50万トンの無償援助が打ち切られる。そうなれば北朝鮮はもたない。38度線を越えて北朝鮮から韓国に同一民族の大移動が起こる。
 それから1年以内に中国自身が倒れ,内戦状態になるというのが著者の予想。

● 日本人はどう備えるべきか。中国に滞在している日本人を救出しなければならない。アメリカは着々とその準備を進めているが,日本は打つ手がない。現行法制では自衛隊は動けない。外国の航空会社のオープンチケットを持たせておくのが,有効な唯一の方策だ,と。
 共産党が倒れたあとの混乱期の中国には一切手出し無用。国内から,人道上,救済すべきだという意見が必ず出てくるけれども,それをやっては日本が泥沼にはまる。

● いくつか転載。
 河野談話というのはデマで書いた談話だからです。当時の状況をしゃべった元従軍慰安婦は,明らかにウソをついています。河野談話を作成する時に,事情聴取した元従軍慰安婦の証言が信用できないことを日本政府はもちろんのこと,韓国政府も知っているのです。(中略)私の知るところでは,16人のうち,5人は完全にウソをついています。そのことを日本政府は全部,調べて証拠を握っているのです。そして日本政府が証拠を握っているということを韓国政府は知っています。(中略)日本政府によって再度,本格的に調査されたら韓国政府は面目丸潰れになり,窮地に立たされることは明らかでした。だから,安倍首相が河野談話の見直しをしないと発言したことで,朴槿恵大統領は心底,喜んだのに違いありません。(p15)
 日本政府が急遽,魚釣島などを購入したのは,理由があります。日本政府が購入する前に中国政府の関係者が,来日して魚釣島の所有者に会って売却の交渉を始めたのです。いくらでもいいから,「いい値で買う」と持ちかけたのです。この件で,中国関係者は中国大使館経由ではなく,直接,北京にいる胡錦涛国家主席に報告しました。それに日本政府は気づいたのです。そしてほぼ中国と売買交渉がまとまりかけて,日本政府は慌てたのです。(中略)中国が提示した金額を知った政府は,その金額より上乗せした金額を提示することになったのです。(p185)
 (商船三井が中国側に貨物船を差し押さえられ,それを解除してもらうために40億円を納付したことについて)これは,単なる中国側の脅しに過ぎなかったのです。その脅しにまんまと日本側は乗ってしまったわけです。(中略)商船三井は日本政府と共同で国際司法裁判所に提訴すれば,良かったのです。当然,中国側は審理を拒否しますが,それでも提訴は中国の国際的な信用を落とすことになるので,提訴を中国側は恐れていたはずです。(p194)

2014.06.11 永江 朗 『批評の事情』

書名 批評の事情
著者 永江 朗
発行所 ちくま文庫
発行年月日 2004.09.10(単行本:2001.09)
価格(税別) 820円

● 「一九九〇年代デビュー,もしくはブレイク」した批評家を取りあげて,レビューしたもの。取りあげられた批評家たちは,次の44人。社会評論,文芸評論,芸術評論から自動車評論,美容評論にまで及ぶ。
 「不良のための論壇案内」が副題となっているが,当時,不良とか不良のためのという言い方が流行ったんだろうか。
  宮台真司(1959) :( )は生年
  宮崎哲弥(1962)
  上野俊哉(1962)
  山形浩生(1964)
  田中康夫(1956)
  小林よしのり(1953)
  山田昌弘(1957)
  森永卓郎(1957)
  日垣 隆(1958)
  大塚英志(1958)
  岡田斗司夫(1958)
  切通理作(1964)
  武田 徹(1958)
  春日武彦(1951)
  斎藤 環(1961)
  鷲田清一(1949)
  中嶋義道(1946)
  東 浩紀(1971)
  椹木野衣(1962)
  港 千尋(1960)
  佐々木 敦(1964)
  阿部和重(1968)
  中原昌也(1970)
  樋口泰人(1957)
  安井 豊(1960)
  小沼純一(1959)
  五十嵐太郎(1967)
  伏見憲明(1963)
  松沢呉一(1958)
  リリー・フランキー(1963)
  夏目房之介(1950)
  近田春夫(1951)
  柳下毅一郎(1963)
  田中長徳(1947)
  下野康史(1955)
  齋藤 薫
  かづきれいこ(1952)
  福田和也(1960)
  斎藤美奈子(1956)
  小谷真理(1958)
  小谷野 敦(1962)
  豊崎由美(1961)
  石川忠司(1963)
  坪内祐三(1958)

● このうち,ぼくが1冊でも読んだことがあるのは,田中康夫,日垣隆,岡田斗司夫,鷲田清一,夏目房之介,福田和也の6人に過ぎない。複数読んでいるのは,岡田斗司夫だけ。
 
● 「ちょうど10年間(1990年代)の真ん中には,阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件という大事件があって,「日本の土建技術や工業技術は世界一だ」とか,「日本の治安は世界一だ」という自信が一気に吹き飛んでしましました」(p13)という記述がある。
 こうした出来事の影響に敏感であることが,批評家の資質として大変大事なものになるのかもしれない。こういうものに鈍くちゃどうにもならないのかも。
 とはいっても,現在においても日本は世界でも例外的に治安のいい国であり続けていると思われるし,アメリカに対してもドイツに対しても特許収入は黒字だ。しかも,黒字幅は毎年増大している。工業技術は世界一なのではないか。

● そうした出来事は日本の致命傷にはならなかった。台風で大雨が降っても,その大雨が永久に続くと考える人はいない。必ずやむ。やめば旧に復する。それを知らない人が批評家になるのかとも思っちゃったりね。
 瞬間風速に生きる人たちなの,世間を微分しすぎなんじゃないの,とか思った。たぶん(というか確実に),ぼくが浅はかなんだと思うんだけど。

● 以下にいくつか転載。
 店による客の選別に怒るということは,同時に「カネさえ払えば何をやってもいいだろう」という驕り高ぶりとも表裏一体なのだ。いくらカネを積んでも得られないものはある。(p61)
 いいかげんなライターは,この基本取材の部分で手を抜いてしまう。いちばんありがちなのは,新書で出ている概説書を読んで事の全体像をつかみ,次に「Aは危険だ」という論調の本を読み,さらに「Aは危険だ,というのは間違っている」という論調の本を読む。そえから当事者や事情をよく知っている人に話を聞く。この程度で済ませてしまう。(p93)
 一時期,「母原病」などという無神経な言葉が使われたり,あるいは,いまでも精神疾患の理由を母親の育て方に帰したり,あるいは家庭環境に求めたりする評論家がいる。しかし,そんなものは「子育て論」の域を出ないし,精神病患者や心身障害者の母親や家族を追いつめるだけで,それで患者の病が癒えるわけでもなければ,障害者が生きやすくなるわけでもない。(p157)
 そもそも,〈普通の家庭〉〈普通の家族〉なんてない。一人親だったり,夫が失業していたり,息子が不良で少年院に入っていたり,娘が新興宗教にはまっていたりと,どこかしらに〈異常〉を抱えている家族こそが,実は〈普通〉だったりする。すべての〈異常〉,すべての〈特殊〉こそが〈普通〉なのであり,〈普通一般〉などというものは存在しない。(p265)
 この国は誰もが被害者を名乗り,弱者を装いたがる。なぜなら,弱者こそいちばん強いことを知っているからだ。もっとも,本当の社会的弱者は,声を上げることもできずに踏みつぶされていくのだけれども。(p336)

2014年6月11日水曜日

2014.06.11 番外:TOKIO STYLE 2006年5月号

編者 林 俊介
発売所 金沢倶楽部
発行年月日 2006.04.01
価格(税別) 762円

● 8年も前,こういう雑誌を買っていた。毎号買っていたのに,まったく見ないで放置しておいたのは何でだ。
 ササッとみて処分しようと思う。

● 「東京を生き,東京を探り,東京を楽しむ」というのが副題。
 巻頭特集は「フランス料理に胸騒ぎ」。稲森いずみのグラビアが数ページある。ちょうど彼女主演のドラマ「曲がり角の彼女」が人気だった頃か。
 ほかに,玉置浩二,野村玲子,岸谷五朗,藤村俊二,黛まどかなどの短いインタビュー記事。
 あと,パークハイアット東京の日本料理店「梢」の料理長を取材した記事。

● 巻頭エッセイと「ホテルに泊まるといふこと」と巻末の編集後記を編者の林俊介さんが書いているんだけど,巻頭エッセイにあまりなことが書かれている。
 昔,若い女性に告白されたことがあるそうだ。どうぞ,ご勝手に,と返事をした。その彼女は怒って林さんの前から姿を消し,半年たらずで他の男性と結婚して子供を産んだ。
 「愛は,相手の歓心を得ることを目的にしていません。もっと自発的で,もっと永遠のものです」とのたまうのであるが,ぼくはその彼女に同情の念を禁じ得ない。つまらぬ男を好きになってしまって不運でしたね,と。女には時間がないのにね。

● ハイブロウなライフスタイルを提案するビジュアル系雑誌ということになるか。わかりやすい高級志向というか。この種の雑誌が抱える問題点は3つほど思いつく。
 ネタ切れに見舞われる。いくら東京でも一流ホテルやレストランが無尽蔵にあるわけではない。
 飽きられやすい。毎号,この内容ではどうしたって飽きる。どう切り口を変えても,似たような内容になるから。
 記事と広告の区別が曖昧になる。

2014.06.11 番外:航空旅行 vol.1 ファーストクラス

発行所 イカロス出版
発行年月日 2012.06.01
価格(税別) 1,429円

● 2年前に買っていた。ファーストクラスに乗ってみたいなと思ったのか,ファーストクラスのサービスってどういうものなのか興味があったのか。って,その両方だ。
 ファーストクラスとは無縁の人間の興味の持ち方だ。この雑誌を買った人たちの99%はぼくと同じはずだ。

● ファーストクラスに乗る人たちって,2種類しかいないと思う。
 ひとつは,会社の経費で落とせる人たち。もうひとつは,経済観念のない人たちだ。
 お金持ちって,たいていは経済観念は持ち合わせているだろう。だからこそ,お金持ちになれたのだから。で,こういう人たちはたぶんファーストクラスは使わない。
 そういうことだと,稼ぐだけ稼いで,使う経験をしないままあの世に行ってしまうことになる。使うのは,彼らのバカ息子,バカ娘が担う。二世代での分業体制だ。それではいけないから,一生懸命使いなさいと,邱永漢さんが力説していた。

● 乗務員にとってもファーストクラスを担当することが目標になるという。それなりの訓練もある。語学,接客,アナウンスなどなど。
 乗務員ひとりが担当するお客は2~3人。「呼ばれて要望を聞き,それに応えるのがビジネスクラスだとしたら,ファーストクラスは要望される前に察知して自分から提供できなければなりません」ということ。こういう神業も,たぶん人間はできるようになると思うんだけれども,相当な緊張の持続を要求される。しかも,緊張を見せてはいけない。
 ファーストクラスの第一の売りはこの乗務員ってことになるだろう。居住性とか食事とかは二義的なものだ。

● その食事も豪華だ。フレンチのフルコースや懐石が供される。しかし,だね。そんなものは地上でしょっちゅう食べているのじゃないのかね。飛行機の中でまで喰わなくてもいいだろうよ。
 いくら豪華だとはいっても,機内で調理するわけじゃないだろう。作りおきを保温しておくわけだろう。レストランで食べるようなわけにはいかないでしょ。いいんじゃないのぉ,食べなくても。

● 居住性にしたってさ,要するに機内なんだからね。ホテルとは違うんだから。自ずからなる限界がある。鼾防止のパッチを持ってさ,隣の人に迷惑をかけないようにして,眠ったのか眠らなかったのかわからない程度に寝れれば充分じゃん。
 着いた瞬間からハードワークが始まる? だったらなおのこと,機内で深くリラックスしちゃダメでしょ。懐石喰って酒飲んでちゃ,立ち遅れるんじゃないの。

● ファーストクラスは有閑階級のためのもので,エグゼクティブビジネスマン(時間貧乏)にはそもそもそぐわないような印象。
 当然,ぼくなんぞがいては絶対にいけない空間でしょ。

● ただ,何と言うんでしょうか,魅力的な人ってたいてい忙しい人ですよね。何が魅力かっていうのは時代によってまるで違ってたりするんだろうけど,今は,忙しさを捌いている人がまといやすいものが魅力とみなされがち。
 そうした魅力的な人がファーストクラスに多いとは,ぼくはぜんぜん思ってない。ビジネスでもエコノミーでも,魅力的な人が全体に占める割合って,そうそう変わらないんじゃないのかなぁ。体験がないまま想像で言っているわけですが。

2014年6月10日火曜日

2014.06.09 内田 樹 『街場の読書論』

書名 街場の読書論
著者 内田 樹
発行所 太田出版
発行年月日 2012.04.29
価格(税別) 1,600円

● この人のものを読んだのは,これが初めて。“知の巨人”という手垢にまみれた言葉があるけれども,世の中に巨人はいるものなのだね。
 本書をぼくがどれほど理解できたのか,まったくおぼつかない。けれども,面白かったですよ。面白ければそれでいい。そのように思い決めている。だから,理解できようができまいが,本書を読めてよかったと思う。

● 著作権の話など,なるほどと思うことの連続だった。著作権はもともと政治の産物であって,かくあるべしという不易の理屈に載っているわけではない。
 自分が本を書くのは読んでもらいたいからであって,本を購入してもらいたいからではないっていう,まっとうな話。

● “箴言”のオンパレード。そこから多すぎるかもしれない転載。
 交換においては交換される物品の有用性に着目すると交換の意味がわからなくなる。交換の目的は「交換すること」それ自体である。(p82)
 教条や社会科学は「汎通性」を要求する。あらゆる歴史的状況について普遍的に妥当する「真理」であることを要求する。だが,その代償として失うものが多すぎる。マルクスの理論が普遍的に妥当すると主張してしまうと,なぜ他ならぬマルクスが,このときに,この場所で,このような文章を書き,このような思想を鍛え上げたのか,という状況の一回性は軽視される。(p106)
 たしかに,「快刀乱麻を断つ」読みのもたらす爽快感や全能感が私たちにはときには必要だ。でも,爽快感や全能感を欲するのは,私たちが賢明で強い人間だからではなく,あまり賢明でなく,それほど強くない人間だからである。その原因結果の関係だけは覚えておこう。(p217)
 いったん「極端」まで行ってから「戻ってきた」人の方が,はじめから「そこ」にいる人よりも,自分がしていることの意味をよく理解しているというのは経験的にはたしかなことです。(p241)
 社会問題はぎりぎり切り詰めると,実践的には「どうやって大人を育てるか」というところにいきつきます。(p244)
 物書きは本質的には「ニッチ・ビジネス」である。つまり,「私の代弁者がどこにもいない」という不充足感に苦しむ読者たちをクライアントに評定する,ということである。(p269)
 もし歴史を動かすほんとうに大きな出来事があったとしたら,それは出来事としては出来しないだろうということである。もっとも巨大な人間的努力、もっとも精密な人間的巧知は,「起こってもよかったはずの災厄が起こらなかった」というかたちで達成されるからである。(p291)
 美的価値とは,畢竟するところ,「死ぬことができる」「滅びることができる」という可能態のうちに棲まっている。 私たちが死ぬのを嫌がるのは,生きることが楽しいからではない。一度死ぬと,もう死ねないからである。(中略) 私たちが定型的な言葉を嫌うのは,それが「生きていない」からではない。それが「死なない」からである。(p347)
 真に「古典」という名に値する書物とは,「それが書かれるまで,そのようなものを読みたいと思っている読者がいなかった書物」のことである。書物が「それを読むことのできる読者」「それを読むことに快楽を覚える読者」を創り出すのであって,あらかじめ存在する読者の読解能力や欲望に合わせて書物は書かれるのではない。(p394)
 長く生きてきてわかったことの一つは,人間は「自分宛てのメッセージでないものを理解するために知的資源を投じることについてはきわめて吝嗇である」ということです。 一度,「あ,これはオレ宛ての話じゃないわ」と思われたら,発信者がどれほどがんばってメッセージを送っても,右の耳から左の耳に素通りです。 ですから,ひとりでも多くの人に話を聞いてほしい,書いたものを読んでほしいと思う人間にとっての技術的な最優先課題は「どうすれば,聴き手や読み手はこのメッセージを『自分宛てだ』と思ってくれるか」ということに集約されることになります。(p407)

2014年6月7日土曜日

2014.06.06 おおたとしまさ編 『生きる力ってなんですか?』

書名 生きる力ってなんですか?
編著者 おおたとしまさ
発行所 日経BP社
発行年月日 2014.05.07
価格(税別) 1,300円

● 生きる力とは何かを「7人の識者に聞きました」というもの。基本,小学生に説くというスタンス。
 その7人とは
  内田 樹
  乙武洋匡
  西原理恵子
  C.W.ニコル
  椎名 誠
  高濱正伸
  三浦雄一郎

● 最も印象に残ったのは,内田樹さんの話。「生きる力」の4つの条件。
  楽観的である
  先入観にとらわれない
  ふところが広い
  ローカルなパターンを発見する知性がある

● あと,西原理恵子さんの発言からもいくつか転載。
 自殺者が3万人もいる社会なんてどう考えてもインチキだよ。あなたはそんな戦場みたいなところに絶対に行ってはダメ! 特に男の子! 我慢ばっかりしていると,日本の男性は極限まで働かされちゃうから。(p54)
 ワタシは若いころ,いろいろなアルバイトを経験しました。そしてある法則に気付きました。いやなお店って,店長も店員も全員がいやなやつなの。いい人は出ていってしまうからです。逆に,いいお店っていうのは,全員がいい人です。(p56)
 逃げ足が速いのはとっても大事。(p57)
 仮に転んでも「なんちゃやない」と考えて,ずうずうしく生きてください。(p63)

2014.06.05 酒井順子・関川夏央・原 武史 『鉄道旅へ行ってきます』

書名 鉄道旅へ行ってきます
著者 酒井順子
    関川夏央
    原 武史
発行所 講談社
発行年月日 2010.12.20
価格(税別) 1,600円

● 汽車好き三人のぶらり旅というテイスト。山手線や埼京線に乗るわけじゃない。運転本数の少ない鉄道のことゆえ,事前にスケジュールをキッチリ確認しているわけで,ぶらり旅というのは事実に反する。
 が,車内や反省会での三人の会話は,いたってぶらり的。要するに,どうでもいい話。これが軽くて面白い。

● 昔,宮脇俊三さんの作品群に触発されて,JR線の全線完乗を試みたことがある。北海道,四国,九州は全部乗った。本州でも東北は民鉄も含めてすべて乗った。宮脇さんお勧めの鶴見線や,飯田線も。
 ま,でも全体の7割くらいかなぁ。それで息が切れた。時刻表を首っ引きでスケジュールを決め,とにかく効率的に乗ることだけを考える。こういうのって,今から思えば少なからず虚しかった気もするし,面白かったような気分もある。

● よかったなと思っているのは,ギリギリで青函連絡船に乗れたこと。松前線や南部縦貫鉄道など,すでに廃止された路線にも乗れた。
 もちろん,その時点で廃線になっている路線がだいぶあったんだけど。特に,北海道はね。

● これから鉄道事業体は厳しい状況に入っていくと思う。今までが楽だったということではないけれども,LCCの台頭にどう応接するか。
 特に,長距離輸送は難しくなるだろう。東京発博多行きの新幹線は消滅すると思う。新幹線が機能するのは,東京~大阪間の距離が限度になるのではないか。それだって利益を確保するのは容易じゃないかも。リニアなど無用の長物にすでになったと思う。

● 寝台特急は,北斗星やカシオペアを含めて,すべて消えると予想しておく。ずっと速い飛行機がずっと安くなるんだから。
 わずかに残ったとしても,それはお金と時間をふんだんに持っているお大尽が乗るものになるだろう。お大尽だけを相手にして利益を出せる商売は,ごく限られてくる。鉄道事業は間違ってもそれには入らない。

● とはいっても,鉄道が消えてしまうわけじゃない。短中距離,都市間輸送はそっくり残るだろう。新幹線や寝台特急ではない,普通の鈍行列車も今までどおりだ。本書で語られているような鉄道旅の楽しみは,これからも味わえるだろう。そうじゃないと困る。

2014年6月5日木曜日

2014.06.04 木村俊介 『仕事の小さな幸福』

書名 仕事の小さな幸福
著者 木村俊介
発行所 日本経済新聞出版社
発行年月日 2014.04.25
価格(税別) 1,500円

● インタビュー集。インタビュイーは次の18人。小説家が多いのは,著者の嗜好だろうか。
 箭内道彦(クリエイティブ・ディレクター)
 角田光代(小説家)
 津村記久子(小説家)
 山口絵理子(デザイナー・起業家)
 池井戸潤(小説家)
 古賀絵里子(写真家)
 慎泰俊(投資家・NPO法人理事長)
 木原直哉(ポーカープレーヤー)
 安部龍太郎(小説家)
 柳川範之(経済学者)
 三上延(小説家)
 きたみりゅうじん(イラストレーター・漫画家)
 新海誠(アニメーション映画監督)
 伊集院静(小説家)
 高井研(地球生物学者)
 中村文則(小説家)
 為末大(元陸上選手)
 佐藤真海(陸上選手)

● 「取材者の発する,インタビューの触媒としての言葉はひとことでも削りたい」(p5)という方針で,インタビューの結果を文章化している。それがいいのかどうかについては,たぶん異論があるに違いないけれども,この方法において著者は巧みだ。

● こういうものから転載するのは,あまりというかまったく意味のないことかもしれないが,以下にいくつかを。
 会社で弱い立場でいるとは,仕事に魂を売らないでいいということでもある。(津村記久子 p41)
 デザインも全くの素人としてはじめたのに,なぜ,今は「温もりが最も大事」と言い切れるようになったのか,ですか。それは・・・・・・自分で出した答えだからです意思決定の場面で若いスタッフたちに問うのも,ほんとうに自分で考えてそう思うのか,なんですよ。(山口絵理子 p47)
 なぜ,そこまで時間をかけて仕事をするのかと言うと・・・・・・こちらが本気にならないと,向こうも本気になってくれないからです。(古賀絵里子 p68)
 ぼくが他人に勝ることって黙々と続けることぐらいなんですが,それを実現するには結果に一喜一憂しないことだと思っています。(慎泰俊 p78)
 フリーでやってきた身からすると,いわゆるメディアでよく見かけるような言説は「ものすごく無責任だな」と思いますね。とくにビジネス関連の本ですよね。(中略)それなのに信奉者たちはそのつどあおられて,また大きな声でその演説を増幅させる・・・・・・。書いている人はそれで食っているだけで,きみたち信奉者がいなくなったらやっていけなくなるような人なんだよ,とは思うんです。(きたみりゅうじん p138)
 もうひとつ大事なことは,若い時には,物事をトータルで考えないほうがいい,という姿勢かな。(伊集院静 p166)
 色川武大先生は,昔,コンピュータゲームが流行って「ひとり遊びの子どもが増えた」と社会問題になった際に,いいことを言ったんです。あれはひとり遊びじゃない,と。「夜に日本の家々の屋根を開けて空から各家を見てみたら,全員,同じことをやっている。全員遊びなんだ。(中略)」とおっしゃった。その通りで,コンピュータをやることの欠点は均質化にある。(伊集院静 p169)
 誰もやれない分野を切り拓くことだけが研究者の存在意義なんです。リスクを取らなければゲインはありません。安易な道からは大成功はないのに,今は役人だけでなくあらゆる人がリスクを冒そうとせず,自分だけは小さな成功をとろう,あるいは難を逃れようとしますね。(高井研 p178)
 欧米では研究者が一般の方の前で話す際,明らかに専門家にしかわからない単語や議論も訊き直されませんから。科学を楽しむのは限られた上流階級という前提で,意地悪な見方をすれば知ったかぶりを楽しむサロンみたいになっているのが欧米における科学のアウトリーチ(専門知識を伝える活動)の現状なんです。(高井研 p181)
 これだけ科学に興味を持つ国民が多い国もあまりなくて,アウトリーチの多様さに関しては,ぼくが日本が世界で最も素晴らしいと思います。(高井研 p182)
 天才的な人って答えを先に持っているんですよね。考えてみれば当たり前で,人の脳は無意識学習が大半で,直感は無意識が出した結論だから,「わかっちゃうけど,なぜわかったのかはわからない」状況も充分に起こり得るというだけのこと。(高井研 p182)
 トップアスリートというのはダイエットをしようと思ったら絶対やり抜けるからすごい,みたいな人ではなく,むしろあう方法でダイエットをせざるを得ない環境を作って場所や時間を制御できるみたいな優秀さがある場合も多い(為末大 p200)
 しあわせにも飽きるし,どんなすばらしい人と一緒にいられても孤独はある。(為末大 p207)
 実は海外に遠征をするようになってから練習の量は減らして,それで記録が伸びているんです。それも海外で量を追って練習した際,「本番でそんな跳び方はしないだろう?」と言われ,練習も一本ずつ試合のような走り幅跳びにしたからで。跳躍フォームを変えたのもやはり,同じ練習では同じ結果しか出ないと海外で言われたことをきっかけにして,です。(佐藤真海 p214)

2014年6月3日火曜日

2014.06.03 番外:鞄の中のデジモノ百科 flick!特別編集

書名 鞄の中のデジモノ百科
編者 村上琢太
発行所 枻出版社
発行年月日 2014.06.10
価格(税別) 780円

● 1年前に同じ体裁の「携帯ツール百科」が出た。その続編でしょうね。「外出先でバリバリ働くモバイルの達人たちはどんなアイテムを持ち歩いているのか,鞄の中を見てみたい」という次第。
 ぼくも見てみたい。だから,この種の雑誌というかムックというか,そういうものが出ると,ま,買ってしまうよ,と。

● 著名人(タレント,モデル),エグゼクティブ(社長さん),ブロガー&ユーチューバー(おばけブログの制作者など),シリコンバレー,クリエイター(カメラマンなど),ビジネスマンの6つに一応分類されている。合計40人。

● パソコンはMacBookAirが,タブレットはiPadが,スマートフォンはiPhoneが圧倒的に多い。「取材対象の偏り」なのか,モバイルの達人にはappleユーザーが多いのか。
 たぶん,前者だと思うんですけど。

● パソコンとタブレットとスマホを持ち歩く。周辺器機も。中にはそれぞれ複数を持ち歩く人もいる。必要に迫られてということなんだろうけど,タフだなぁと思うし,大変だなぁとも思う。
 大荷物になる。重量も相当だろう。毎日,これで過ごしているのか。

● モバイルの達人は重装備。オフィス環境をそのまま外に持ちだしている。ともかく持ちだせるようになっているわけだ。
 こうしてみると,ITによってたしかに経済的な意味での生産性は上がっているんだろうなと思う。たぶん,上がっているんだろう,と。それを体現している人たちなんだろうな,と。

● ノートや手帳とペンを併せて持つ人が多い(そうじゃない人もいるけど)。モバイルの達人たちも,なんでもかんでもデジタルというわけではない。

● ちなみに,ぼくの鞄の中に入ってるモノたちは次のとおりだ。おそらく,その他大勢の平均的なものだと思う。
  スマホ1台
  通話用のガラケー1台
  スタイラスペン(雑誌の付録)
  スマホで音楽を聴くためのイヤホン
  財布(定期券も入ってる)
  バイブルサイズのシステム手帳(薄型)
  A6サイズのノート(百均で購入)
  ペン2本(1本は200円のPreppy万年筆)
  付箋(百均で購入)
  本1冊
  雑誌1冊
  禁煙用ニコレットガム
  ポケットティッシュ
  運転免許証
  部屋の鍵
 正直,これ以上のモノを持つ気にはならない。持たないですむ職業であることに感謝したいです。

2014.06.03 伊藤まさこ 『フランスのおいしい休日』

書名 フランスのおいしい休日
著者 伊藤まさこ
撮影 竹内章雄
取材・構成 奥田香里
発行所 集英社
発行年月日 2007.11.20
価格(税別) 1,400円

● ドイツと接するアルザスと,スペインに接するバスク。2つの地域を訪ねて,旨いものレポート。ジャムやガトーバスクを実際に作ったり。雑誌の取材ならではだろうけど。けっこう美味しい取材だったんじゃないかなぁ。

● パリだけがフランスじゃないってことを教えてもらえる。行ってみたくなる。でも,たぶん,実際に行って見れば,本書から感じるほどに魅力的かどうか。
 ぼくとしては,本書で誌上旅行を楽しんで,あとは空想の世界で遊んでいたくもある。

● 本書の魅力のひとつは,著者の娘さん(当時,7歳くらいか)が作っていますね。ガトーバスクをつくるときの,見開き2ページに収められた写真の効果は大きい。

2014.06.02 長谷川慶太郎 『平和ボケした日本人の戦争論』

書名 平和ボケした日本人の戦争論
著者 長谷川慶太郎
発行所 ビジネス社
発行年月日 2014.06.10
価格(税別) 1,100円

● 2002年に刊行された旧著に加筆したもの。タイトルから想像するより,ずっと高度で硬派な内容だ。
 40ページに及ぶ「まえがき」が付いている。お急ぎの人は「まえがき」だけを読むのもありだと思う。

● その「まえがき」から転載。
 その直後,筆者は当時の海部俊樹首相を顔を合わすことがあった。筆者は彼のそばへにじり寄ってこう伝えた。「総理,いよいよベルリンの壁が崩れます」。これに対する海部元首相の答えは「えっ」という嘆声一声であって,それ以外の言葉が出てこない。よほど強い衝撃を受けたに違いない。しかし,衝撃を受けただけでは困る。どう対応するかについては内閣総理大臣の肩にずしりとのしかかっている。それにもかかわらず,海部首相は日本国をリードする役割を演ずることのできない存在であることを,「えっ」という嘆声一声を通じて筆者に示してくれたのである。「なんという情けない首相を上にいただいているか」と筆者は本当に嘆いたものである。(p10)
 筆者はかつて陸上自衛隊幹部学校の校長に聞いたことがある。「いまの自衛隊では演習の講評を行うのに,原稿を作ってからやるんですか」。校長は答えた。「そうですよ。それ以外に方法があるんですか」。筆者はさらに質問した。「『ドイツでは第一次大戦以前から大規模な演習の後の統裁官は必ず原稿を携えることなく詳細に親しく演習の状況について講評を下す』と戦前のレポートに書いた帝国陸軍の将校がおります」。校長曰く,「そうですか。そんなことがあったんですか。我が陸軍は陸上自衛隊を含めてでありますが,それだけの芸当のできる能力をもった指揮官がおりません。残念です」。このやり取りを通じてもわかるとおり,日本陸軍の高級指揮官を務めるべき高級将校の知的レベルは低かった。まことに遺憾なことである。したがって戦争には負けるべくして負けてしまったのだと筆者は考えている。(中略) 同様のことが筆者に焼き付けられたがゆえに筆者は今日においても,この原稿もそうだが,一切原稿など作成していない。自分で述べたことがそのまま文章になるはずだし,またならなければおかしいという確信のもとに口述を続けている。(p24)
 筆者はよく言うことだが,「カネと情報はあるところに集まってくる」。言い換えれば,「カネと情報はないところには来ない」のである。どのような努力を重ねたとしても,まずカネを作ろうとするならば,つまり資産を作ろうとするならば,元金をそれこそ爪に火を灯す思いで貯めなければいけない。(中略)情報を集めようとするならば,まず知識を,少なくとも正確な情報を集めるにはどういう方法を採るべきかのノウハウを身につける努力が必要である。それを身につかない人などに,情報は絶対に来ないと覚悟しなければならない。(p36)
● 戦前の帝国陸軍・海軍は日露戦争以後,目を外に向けなくなり,秘密主義を強め,「民間の批判を許さない存在」になっていった。これに対して,著者は手厳しい。
 「軍事評論」の否定は,軍隊が,自ら進歩する努力を放棄したことを意味する。客観的な資料に基づく評論の存在は,軍隊に対する批判につながるが,同時にこの批判を通じてのみ,軍隊は進歩していくのである。(p183)
 昭和二年に制定された「統帥綱領」あるいは「戦闘綱要」といった戦略・戦術に関する典範令は,日本陸軍の高級将校たちが近代的な軍事科学を勉強する必要性を拒否する役割を果たした。(中略)その結果は,高級将校の戦闘を指揮する戦術能力の低下であり,複雑多岐な近代戦を闘いぬくための不可欠の政治・経済・社会に関する広範な知識を学ぶという意欲の喪失であった。(p184)
 こうした硬直した思考方式,あるいは柔軟性を欠く判断能力しか持たない高級指揮官には,したがって格段の能力を持たない凡庸な人々ばかりが揃うことになった。(p185)
 民間の批判を拒否すること,それは軍事費を税金の形で負担する国民からの批判を軍人が否定することであって,このことは軍人が税金という形で国民に課されている義務を無視して,いわば国民を食いものにする考え方にもつながっている。(p189)
 かつて軍事科学を独占してきたはずの軍人は,敗戦によって軍隊が解体され,その権威がまったく失われてみると,実は一般の知識人に比べて,さらに一般の社会人に比べてすら,生活能力も知的能力も大幅に劣る存在であることが白日のもとにさらされたのである。(p192)
 以上の軍人たちの中には,井上成美も米内光政も入るに違いない。いや,彼らは例外かもしれないけれども,山本五十六も含めて,著者の眼中には存在していないように思われる。

● 著者の仕事は多岐にわたるけれど,その中の大きなひとつについて,本書は集大成になるのではないか。