2014年12月31日水曜日

2014.12.28 森 博嗣 『「思考」を育てる100の講義』

書名 「思考」を育てる100の講義
著者 森 博嗣
発行所 大和書房
発行年月日 2013.08.20
価格(税別) 1,300円

● 森博嗣さんのエッセイは,ぼくは人生訓として読んでいる。今回もまた,なるほどと思わされる記述が満載だった。
 問題は,それを知ったからといって,その分賢くなれるかということだ。たぶん,それほど単純じゃないよな。第一,忘れちゃうもん。

● まず,嫌々ながれでもやってみろ,ということ。
 嫌々でも,その作業をスタートすると,けっこう集中してやれることを学んだし,やっている最中に,いろいろほかのことを思いついたりするのも,自分としては面白かった。つまり,頭が回っていると,その副産物が生まれるらしい。(p20)
 やり始めるまえが,最も道が険しく見えるのだ。(p21)
● 学ぶと考えるは別のことで,読書をしても賢くはならない。
 小説やエッセィで書けるようなネタを探そうとするような場合,TVを見ているよりも,犬を見ている方が,面白い発想に出会う。同様に,本を読むよりも,自然を観察する方が知識が増える。(中略)僕が価値を見出すのは「新しさ」であり,ようするに,オリジナリティに価値のほとんどがあると考えているからである。(p70)
 ネタを探すようなことも,知識を得るために取材をするようなことも,僕の場合はない。身の回りのネタと知識だけで書ける。そういうものしか書かない。(p71)
● 「はっきりしている」ことへの懐疑。
 僕は,はっきりしている人間というのは,つまりそれだけ「浅い」のだろう,と想像してしまう。はっきり言えば,「はっきりしている奴は馬鹿だ」と思う。(p75)
 現実も,いったいどこに本質があるのかはっきりとは見えないものである。物事を簡単に断定しない慎重さこそ「深さ」であって,意見を絶対に変えない頑固さが「浅さ」になる。(p75)
● ツイッターやブログで面白いものはあまりない。
 なんでも,大勢でリンクすれば良いと考えているようだが,その方向性がもうかなり古いと僕は感じる。むしろ,リンクを制限することが,今後のトレンドになるだろう。(p136)
 そもそも,ものを書くというのは,恰好の悪い行為なのである。自分の思っていることをだらだら書くのは,本当に賢い人間のすることではない,と僕は考えている。(p136)
 たいては,書きたい人が書いたものというのは,みんなは読みたくないものである。はっきりいって面白くないからだ。(中略)言いたい人が書くものは,どうも深みがない。プロの作家は,これをよくよく注意して避けているのであって,素人が書くと残念ながら,面白くもなんともない。(p171)
● その他,いくつか転載。
 芸術家でも,一流と呼ばれる人は,仕事を期限までにこなすし,例外なく多作である。(p31)
 そういう「正統なもの」に拘っているから,凝り固まった古いやり方でしか教育ができないわけであり,したがって,つまらないし人気もでないのではないのか。(p43)
 面白いものに理由があると考えていることが,そもそも面白くないものしか作れない理由だ。面白いものは,面白いものを発想すれば良い。面白いものを作る手法に則って理由を設定して作ろうとするから面白くなくなる。(p53)
 注意深い人間は,小さな失敗をしないが,取り返しのつかない大きな失敗をするように見受けられる。(p60)
 プロジェクトを遂行する過程というのは,ようするに,突発的に起こったトラブルに対処する,その連続である。次から次へ発生する問題に対して,そのつど手を打って,なんとか元の軌道へ戻す。そういうのを「予定どおり順調に進んでいる」と表現するのである。(p60)
 数学ではないのだから,答が必ず正解だという保証なんて,現実には得られないことくらい知っているだろう。だから,「確率」というものがある。それなのに,「はっきりしてほしい」とだだを捏ねている人がとても多い。(p75)
 「感じの悪い人」というのは,えてして「感じ方の悪い人」の前に現れるものだ。逆にいえば,「感じ方の良い人」の周囲には,「感じの良い人」が集まってくる。どうして自分の周りには,こんな嫌な奴ばかりいるんだ,と感じたら,自分のことをもう一度振り返ってみると良い。(p113)
 社会というのは,そういうもので,一度現実の悪夢を見なければ動かない。(p187)

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