2014年11月25日火曜日

2014.11.22 寺山修司 『両手いっぱいの言葉』

書名 両手いっぱいの言葉
著者 寺山修司
発行所 新潮文庫
発行年月日 1997.10.01(単行本:1982.12)
価格(税別) 514円

● 先日読んだ『ポケットに名言を』は著者が集めた言葉を編んだものなのに対して,この本は著者の言葉を抜粋して編んだもの。
 「413のアフォリズム」が副題。前世紀末,こういうのが流行ったことがあったのを思いだした。遠藤周作とか吉行淳之介の抜粋集を好んで読んだことも。

● こういうものからさらに抜き書きするのはいかがなものか。といいながら,いくつか転載。
 すべてのインテリは,東芝扇風機のプロペラのようなものだ。まわっているけど,前進しない(p27)
 ダ・ダ・ダ・ダーン。「このように運命は戸を叩く」とベートーベンはシントラーに語っている。だが,運命はノックしたりせずに入ってくるのではないか。と,私は思っているのだ。大仰な予告や前ぶれ,ダ・ダ・ダ・ダーンとやってくる運命のひびきは,運命そのものをつかまえた!と思いこむ傲岸さであって,ほんものの運命は正体をあらわすことなく,いつのまにか歴史を記述している。(p76)
 幸福は,デパートで売っている品物ではないから,かるがるしく大小を論じることができない。つまり,それは,「幸福の大小ではなくて,幸福について考える人間の大小」なのである。(p109)
 幸福と肉体との関係について考えることは,きわめて重要なことである。なぜなら,一冊の「幸福論」を読むときでさえ,問題になるのは,読者の肉体のコンディションということだからである。(p109)
 私は,現代人が失いかけているのは「話しあい」などではなくて,むしろ「黙りあい」だと思っている。(p117)
 私は化粧する女が好きです。そこには,虚構によって現実を乗り切ろうとするエネルギーが感じられます。(p140)
 老人にも体躯はあるが,それは肉体とよぶほどまばゆいものではない(p172)
 書物はしばしば「偉大な小人物」を作るが,人生の方はしばしばもっと素晴らしい「俗悪な大人物」を作ってくれるのだ!(p197)
 読書家というのは結局,安静状態の長い人という意味ととれないこともない(p198)

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